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2015年2月に作成された投稿

2015/02/14

映画「リトル・フォレスト」を観る

Img_8904 茗荷谷で大学院ゼミが開かれた。先月京都合宿を行った後なので、皆さん一安心してしまったらしく、共通に低迷ムードだ。それで、じつはここ2、3ヶ月の、この一段落ついた時が重要であることを強調するゼミとなった。1月には、ラフな目次(論文構成)を提出してもらった。これはどちらかといえば、「頭の中から絞り出す形式の構成案」だ。これに対して、今日は「現実の分析側からの構成案」を、出席者には求めた。つまり、論文の構成を考えるときに、上から、論文の目的に沿って構成を決めるやり方と、下からの、実際の論文項目の積み上げによって構成が決まるやり方とがあり、今日は後者の観点から、出席者たちの論文を眺めてみた。

このやり方で見ていくと、上からの目次案ではきちんと、「起承転結」が書かれているのだが、実際には、「転」の工夫が足りなくて、この山場からの構成の弱い論文が多く目立った。たとえば、Yさん、Mさん、Oさんは、先行研究についてかなりの量を昨年1年間でこなしていて、分量も相当なものになっているのだが、ただ並列において、同等に紹介しているだけの発表が相次いだのだ。ここは、何が重要な問題点で、何が中心軸となり、そして論文が展開されていかなければならないことを明らかにする必要がある。そのことを、実際の論文の中身を検討しながら、今日は行うことができたと思う。一度、解体してみると、自分の論文の中心がみえてくる。わたし自身の場合を振り返ってみると、ここで労力を惜しんでしまうと、結局中心軸が定まらずに、軟弱な論文ができてしまうのだ。きっと、こんな抽象的な書き方でも、出席者の方々には自分の例が指摘されているので、十分にわたしの意図するところはわかってもらえたのではないかと考えている。

昼食は、いつもの駅前の定食屋さんへ行く。カキフライ定食がこのところ定番となっている。学生の方がたも、一度は生牡蠣に当たった経験を持っており、その話題に終始する。美味しいものには毒があるのだ。石巻市出身のMさんは、震災前の牡蠣養殖の様子を語ってくださったが、さすがに、地元では新鮮なものが手に入るので、彼からだけは当たったという話は出なかった。

Img_8902 味覚にも記憶というものがあって、それが蓄積されていくのを、今日は映画に観た。久しぶりに川崎へ出たのだ。駅から109シネマまでの道には、人が溢れかえっている。川崎は日本の中で多国籍の多様な人びとが往来している場所だと思う。人びとの顔を堪能したければ、ここは最適な場所だ。

映画「リトル・フォレスト冬・春編」を観る。昨年、「夏・秋編」を観て、出演する俳優もさることながら、野菜や果物に懐かしさを感じた。グルメ映画ではないのだけれど、レシピを案内しながら料理していく画面が、トマトやくるみ、栗などが総出演で、新鮮に感じたのだった。今回も、田舎の「生産性の低い」食材たちが主役を張っている。

Img_0300 米やジャガイモのような主食の味は、その土地の土を使って、自分で作って、自分で掘り起こし、保存を考えて、一年中絶えることなく手元に置いておくことを考える。だから、この味は忘れるわけがない。わたしも12歳ごろからは、大都会に住むようになって、この感覚をすっかり忘れていたけれど、その前には地方都市に住んでいて、自分の手で土に触れる機会が毎日あった。この映画「リトル・フォレスト」を観ていて、身体中にその記憶が蘇ってくるのを感じた。たとえ、米を作ったのは、小学校の1年間であり、ジャガイモを作ったのも、小学校の高学年でこれも転校して、途中で頓挫してしまったのだが。だから、「作った」などとは到底言えないのだが、それでも経験は尊い。とりわけ、ジャガイモのほくほくした映像を見ていて、思わず口の中の変化を感じてしまったほどだ。

映画の中で、画面をモンタージュさせながら、ジャガイモの種芋から小さな芋、そして育った大きな芋への変化をたどっていくシーンがあった。芋掘りでは、このシーンの最後のところだけについてみんなで行うのだと、思い込んでいたのだが、映像で見ると、時期がかなり早い時にも、収穫は可能であり、途中の小さな芋がごろごろできる頃にも、収穫して良いことを観て、なるほどと思った。やはり、1年しか作ったことがないわたしには、この小さな芋のころの芋ほりの記憶はなかった。

Img_0299 ネギ坊主にも思い出がある。映画の中では、玉ねぎのネギ坊主が出てきて、これらは間引かれることになっていた。わたしの思い出は祖父の家でのネギ経験だ。祖父は材木屋だったのだが、自給用にネギを作っていて、育ってくると、青い部分が大きな筒状になる。じつは、この筒を利用して、想像にお任せするが、二人のいとこと悪さをして見つかり、土蔵に閉じ込められ、なかなか出してもらえなかったことがあった。十分に肥料が与えられていれば、間引かれることもないかもしれないと考えていた節がある。当時は、途中で間引くという考えはなく、栄養を与えれば、野菜は十分に育つものだと簡単に考えていた。

この映画の良い点は、まだ育っていない小さな芋や、途中で間引かれたニンニクほどの小さな玉ねぎがそれなりに利用され、美味しい料理に変わっていくところだ。もっとも量は少なく、貢献の度合いも少ないのだが、全体としてみると、料理の脇役として、十分に役割を演じていることがわかる。

Img_8903 冬編の冒頭に、クリスマスケーキのレシピが出てくる。考えてみれば、一年間家の外で活動していた人間が、家あるいは共同体へ帰って、家族やコミュニティと祝うのがクリスマスだ。そこには、赤米の生地と、ほうれん草の生地の二色のケーキに、真っ白な生クリームを塗って現れたケーキが似合う。つまり、組み合わせの妙を楽しむクリスマスケーキが出来上がった。ときには、身近で自分で作ったものだけで、親密な寄り合いを催すのも良いな、と思わせるシーンだった。ひとつひとつのレシピが季節ごとに展開していくように、個々の食べ物を軸に据え、そして構成を考えている、実りの多い映画だった。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。