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2015年1月に作成された投稿

2015/01/12

合宿の2日目

Img_8727 合宿ゼミの二日目の朝にも、昨日と同じMコーヒー本店にて、持参のポットにブレンドを詰めてもらう。昨日と違う若い店員が応対してくれた。しばらく待たされた後、わたしのポットの分量がカップの1.5倍に相当するので、二杯分の金額になるが、それでも良いかと訊かれた。Img_8730 東京でも、いつもそのように支払っているので、良いと答えたが、一言、昨日は1杯分の値段でした、と言うと、即座に店員が反応して、昨日と異なるのは良くないので、1杯分で結構ですと言った。昨年のIコーヒー店もそうであったが、京都の商売人たちの基本に流れている伝統的な倫理観を感じたのだった。このような商売習慣は、やはり一朝一夕には形成されないし、醸成される場所として、特別な街が必要なのだろうと推察した。

Img_8691 それにしても、京都人の朝コーヒーを飲む習慣は羨ましい。朝、7時ごろ、自宅を出て、行きつけの広い喫茶店で、新聞を読んで1日の予定をチェックして、9時くらいにおもむろに仕事場へ向かうのだ。自宅のそば、少なくも500米以内に、朝コーヒーの広い喫茶店を持ち、しかも仕事場がやはり少なくとも500米以内にあるような、集積のある伝統的な街が、ここには形成されているのだ。

Img_8797 それで、コーヒーを詰めてもらっていたら、時間が迫ってきたので、一目散に走って、地下鉄電車に滑り込んだ。と、向かいの席には、昨日の懇親会から参加しているTさんが座っていた。「間に合いましたね」と笑いながらしゃべりかけてきた。ゼミの二日目には、まだ昨日のアルコールが残っていて、今日発表の懇親会出席者たちはやはり前日に発表を済ましておけば良かったと、言っていた。

Img_8790 昨夜の懇親会と今日の発表では、わたしにとっても幾つかの収穫があったのだ。ひとつは、4月から始まったわたしの大学院授業「社会的協力論」の感想を幾人かの方々から聞く機会を得た。中には、@をとったという学生がいて、わたしの授業は一般に難しいことになっていて、@を取る方は非常に珍しいので、このような少人数の中にいるとは思われなかったが、思い出してみると、その方の答案のイメージが目の前に蘇ってきたのだった。

Img_8625 これもたいへん珍しいと感心したのだが、他の学生の方で、わたしの使った概念を巧みに組み合わせて、しかもわたしのまったく思いつかないような、現実の事例を観察して、見事にその概念を再構成している学生にも会うことができた。この方は、I先生の指導学生であったが、このような分野で、あの概念が適用できようとはまったく思ってもみなかったのだ。共感を得たときの仕合せな気分を、思いがけず、ちょっとだけ味わったのだった。

Img_8652 最後には、恒例のT先生の辛口の総括を行っていただき、さらに参加していただいた先生方の教訓となるお話もいただいた。さいごに、わたしらしくはなかったけれども、このような合宿に遠方からはるばる来て、何も持ち帰るお土産がないのは申し訳ないと思い、「こうすれば、必ず修士論文の評価がワンランクほどアップします」形式の有難い話をして、二日に渡って25名が参加した合宿ゼミを終了した。

Img_8731 修了生のH氏と「社会経営研究」「社会経営ジャーナル」の発表会の打ち合わせを、今出川の同志社近くの、評判良い喫茶店で行った。Img_8733 ランチメニューにスープや前菜などがついて、お得な昼食を堪能した。外は、京都特有の底冷えのする気候になっていて、このままこの暖かい喫茶店で、ゼミでの議論の応酬をなぞって、いつまでも合宿の余韻に浸っていたいという感じだった。

Img_8813 今日の夜食は、1年に一回は食べておきたい料理の一つで、ホテルの前にある中国家庭料理の店Sでの、「白胡麻担々麺」だ。こってりとしたスープが特色で、思ったよりは辛くはないが、かといって練りこまれた複雑な味のところどころに、ドンとした辛さを感じる味なのだ。Img_8812 こんな小鉢のような容器なのに、食べ終わる頃にはすっかり満足したお腹になっている。夜の栄養としても、これで十分と言えるほどの、こってりさがある。Img_8810 京都の町家を改造した店なので、奥の席に入ってしまうと、本当に静かだ。中庭の緑が夜陰に紛れてあやしい。Img_8809

2015/01/11

京都で合宿、第1日目

Img_8777 午前中、早めにホテルを出て、京都御所広場の真ん中を、建礼門へ向かって北上する。周りの騒音がほとんど聞こえない空間を作り出していることに感動する。この1区画の広さが一つの集団的な住空間に相当していることがわかった。Img_8780 通常は、音が溢れていることで、「音の共同体」を作っているのだが、じつは沈黙が保たれる範囲が「音の共同体」となっている空間も存在することに身震いを感じる。さてその昔、友人が、御所に向かって左手の街に住んでいて、わたしが数週間ここに居候して、この御所広場を一緒に突っ切って、右手の道に入り、鴨川を超えて大学へ通ったことを思い出した。Img_8783 それから、数年後幼い娘を連れて、この御所広場を再び横切ったことも、今となっては良い思い出だ。そのときには、この静寂にそれほどの意味があるとは考えていなかった。この広さの示す沈黙が凄い。

Img_8654 毎年恒例となっているのは、相国寺の承天閣美術館訪問である。今回は円山応挙の絵が4点展示されていた。子犬の図は有名で、可愛さの強調された絵だ。水墨画だが、応挙の特徴が出ている絵だ。Img_8663 色彩が鮮やかなのが朝顔図で、銀箔のなかに紫の花と緑の葉が目立つのだ。応挙も狩野派の系譜に属していて、狩野正信から数えて、10世代の後に現れ、ようやく技法の成熟期が訪れたのを確認できるのだった。

Img_8665 それから、いつ観てもずっと見つめてしまうくらいの感動を覚えるのは、常設展で観られる伊藤若冲の鹿苑寺書院の「葡萄」襖絵だ。蔓の繊細さに加えて、葉には病の染みが出ていて、表現の枠を広げたいという、若冲の自然な意図が好ましいのだ。

Img_8796 合宿会場の同志社大学「至誠館」S23号室へ出向く。毎年、正月の京都女子マラソンと開催日が同じなのだ。道には、応援する人びとが数多く出ていた。今年目立ったのは中学生の応援団で、じつは中学生ランナーも参加しているとのことだった。Img_8680 会場確保についてはいつもながら、N先生にはたいへんお世話になっている。今回は、ドクターコースの社会人研究者Oさんにも、ご面倒をかけている。それで、これだけのことをしてまでも、京都合宿を毎年行うのは、転地効果によって、修士履修生にはやはり良い論文を書いていただきたいと考えているからだ。

Img_8674_2 合宿の醍醐味は、参加者みんなの「経験の共有」ということになるが、この一言では片付けることができない集団的な心の動きが次々に起こることが素敵なことだ。たとえば、発表している人が「リレバン(リレーショナル・バンキング)」と言って、自分は銀行に25年勤めていました、と言うと、別の人が自分は30年金融機関にいました。Img_8675 とすぐに、じつはわたしも27年銀行にいましたので、「リレバン」(このようなところで、業界用語がすっと出てくるところが面白いのだ)については一言言いたい、とつないでいくのだった。経験的な知識の爆発的集積は、ときにはあっと言う間に集まってしまうのが、この合宿の良い点だと思われる。

Img_8684 このように議論していくと、当然のように時間はどんどんオーバーしていくのだったが、程よいところで欠席者がいたりして、ようやく時間の帳尻を合わすことができたのだった。Img_8685 さて、夜の懇親会は、会場を烏丸通りの向かいにある、同じく同志社大学の「寒梅館」のイタリアンレストランへ場所を移して、行われた。

Img_8649 ちょっとしたサプライズを今年度は用意したのだ。それは、今年度末に退任する予定の、たいへんお世話になったT先生の「感謝会」も同時に行おうと企画したのだった。Img_8705 もちろん、T先生という御方は、このような儀式については信条として断固として拒否するタイプの先生であることを熟知しているので、ゼミ幹事のかたがたは、花束の準備などずっと秘密裏に行ってきていたのだった。Img_8707 この辺は、社会人のソツのなさが表れていて、たいへん順調に儀式は執り行われた。T先生にゼミの女性から花束が送られ、懇親会も最盛会を迎えたのだった。

T先生には、数々の思い出があって、記憶に残っているのは、第1に、相手を泣かしてしまうほどの鋭い質問(誤解のないように言わねばならないが、この質問を受けた学生はのちのち素晴らしい修士論文を書くことができたのだ)、Img_8709 第2に、論争好きだったということ(中国研究の先生とよく論争していたのだ)、第3に、とことん議論はするのだが、その結果には拘泥しなかったという思い出などがある。T先生は健康のために、食事制限をある時期厳格に行っていたけれど、ときには清酒を浴びるほど飲んでいらっしゃったのを目撃した。

Img_8712 さて、先生方のあいさつや、先輩方の脅迫的思いやりや、幹事たちの超越的な奮闘に明け暮れ、合宿の1日目の懇親会の夜会は、京都の雨と寒さを吹き飛ばして、盛況のうちに閉じたのだった。

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2015/01/10

京都で、修士論文審査と映画「0.5ミリ」

Img_8641 朝早くから、京都駅近くの放送大学京都学習センター会議室で、修士論文審査を行った。今週の京都と来週の千葉とに分かれているが、今日は主として、西日本で開かれていたゼミ所属者中心の審査だ。長崎や博多からも、学生たちは出席してくる。学習センターへ着くと、すでに審査員のT先生も到着していた。その次の審査での審査員のI先生、A先生、S先生、N先生とそれぞれの審査員の先生方も続々といらっしゃって、この2年間の総決算が始まった。

Img_8643 1番目の、長崎のKさんから始まり、途中では時間が1時間ほど、オーバー気味に推移して、最後にTさんまで行い、無事終了した。今年度の京都組の印象は、一にも二にも、努力に努力を重ねていて、熱意のこもった、時間をかけた論文が多かったな、というものだった。結局、予定より1時間以上も余計にかかってしまった。それだけ重厚な論文が多かったということだ。それで、時間からして無理だとは思われたのだが、京都にきて、出張先の映画を堪能しない手はないと考え、京都駅を走って、地下鉄駅へ行き、四条烏丸駅の真上にある京都シネマに駆け込んだ。

Img_8644 狙いは、映画「0.5ミリ」である。案の定、席は満席で、立ち見でも入れるかどうかわからない、と言われてしまう。体調が悪く、3時間近い映画を立ってみる勇気があるとは、まったく思わなかったが、ホテルに帰って、原稿を書くのも今日の疲れ方からして、遠慮したい。そこで、近頃にない立ち見での「出張先の映画」となった。無理してでも、見るべき映画はあるのだ。

Img_8645 映画「0.5ミリ」のテーマは、介護サービスなのだが、ちょっとひねってある。ひねってあるところに、興味深く魅力のある、映画なのだ。介護サービス、プラス、メルヘンとでもいうのか、日本映画あるいは西洋映画の中でも、珍しい系統の映画ではないかと思われる。強いて言うなら、映画「ジョゼと虎と魚たち」あるいはちょっと飛躍して、黒澤の映画「ドデスカデン」の系統だと言えば、多少わかるかもしれない。もっとわからなくなったと言われても、この件では責任はとらない。けれども、本当にそのような気がするのだ。

Img_8646 映画の出だしは重要だ。じつは介護老人に「吸引カテーテル」を通すところから始まるのだが、これを観て、現実に帰り、入院している母を思い出してしまった。今頃、顔をしかめて、これを受けているのだろうな、と思った。どのような病院にも、枕元には酸素チュウブと、吸引チュウブが設置されているのだ。じつはこの映画の中で「おしかけヘルパー」役として、まさに介護老人に対して、この「吸引カテーテル」的な存在を演じているのが、主演安藤サクラ演じる「山岸サワ」だ。

Img_8647 この映画の批評では、精神科医の香山リカの寸評が、もっとも本質を簡潔に表していたと思う。「『介入しすぎはダメ』は医療や介護の決まり文句。でも、一歩、踏み込むことでしか、見えてこない景色がある。香山リカ(精神科医)」つまりは、サワが「吸引カテーテル」として、介護老人の体内に暴力的に介入する映画なのだ。どのようにして、この一線を超えて、初対面の他者の内部に入ることができるのか、これは現代社会の核心的な課題だ。

Img_8648 介護サービスには、「ケア・フォ」と「ケア・アバウト」があると、わたしの書いた教科書で追究した。前者の「世話」と後者の「配慮」の二面性があるのが、介護サービスの特徴である。問題は、この「世話」程度の粗い親密関係であれば、お金を払って手に入れることは可能である一方で、「配慮」に至るまで、お金で解決しなければならなくなっているのが現代だ。けれども、お金だけでも「配慮」はほんとうに可能だろうか、という興味深いところが、この映画では描かれていると思う。結論を言ってしまうなら、「配慮」関係にまで、他者の心の中に入り込むには、お金だけでは不十分で、多少の「暴力的な介入」を行わなければ、可能ではないということを、この映画は描いている。さて、どのような「暴力的な介入」なのだろうか、それは観てのお楽しみだ。介入される側を演じた坂田利夫や津川雅彦の、正常を逸した演技が、頭の中から離れないほど、素晴らしいのだ。

この映画の欠点は、前半で終わらせれば、大傑作だったのに、後半まで話を伸ばしてしまったことだ。せっかく介護老人の問題で焦点が定まっていたところに、さらに戦争問題や性同一問題を入れてしまって、ロードムービー風に焦点を分散させてしまっている。この結果、結末の感動が完全に失われてしまっている。これさえなければ、名画の部類に入ってくる映画だったと思う。しかしながら、見終わってからここは強調しても良いのだが、じつはこれを割り引いても、ほんとうに無理をしてでも、観るべき映画だと思っているのだ。

夕飯は東洞院通りにある、ソツのないパスタ屋・ケーキ屋さんで、合鴨の前菜とクリームパスタとチェリーケーキ。気付くのが遅すぎたのかもしれないが、カップルばかりいるカフェでも、一人で入って、まったく気にならなくなっている自分を発見する。他者へ介入するには、年を取りすぎたのではないかと、ふと自分を疑う。

それにしても、映画の中で、津川雅彦演じる「先生」の書斎には、先日の鳥取出張で購入するのをためらった、鳥取民芸の木製電気ランプが置かれていてうらやましかった。このことからもわかるように、建物や小道具の選択には細心の注意がなされていて、小津の映画を思わせるところもあったことも、帰りの道で思い出したのだった。映画「0.5ミリ」の「0.5ミリ」の意味は、親密度の距離かと思っていたら、そうではなく、「0.5ミリ」でも積み重ねれば、厚くなるという教訓だそうだ。この逸話も、ちょっとピンとこなかった。褒めたり貶したりだが、ほんとうのところ前半は手放しで褒めたい。

2015/01/09

今年も京都から始まる

暮れから正月は、母の入院騒ぎで明けたが、今日からはもう仕事だ。朝からメールが次々と舞い込んでくる。二重三重にやり取りをして、またまた返信が届く。それで、あっと言う間に、正月の余暇空間から、仕事空間へジャンプだ。昼には、作るのに2時間かけたという、妻のロールキャベツが食卓に並んだ。栄養を十分にとって、今年の仕事に励めということか。

Img_8621 今年のK大学の講義については、1月になっても、まだ2回ほど残している。例年は1回を残すのが多かったのだが。「経済組織に見られる信頼」が今日のテーマだった。出席していた経済学部の学生に感想を求めたところ、マクロ・ミクロの講義とだいぶ異なるので、戸惑っているという答えが返ってきた。そうだろうと思う。きっとこの学生は、正統的な経済学をこれまで学んできた、まっとうな学生だったのだろう。Img_8623_2 講義のひとつの機能は、「異化作用」にあるのだ。だから、この講義で十分に、正統な経済学から異化されて欲しいと思ったのだ。すでに試験を視野にした講義段階に入ってきているのだが、さてこの異化作用が、ほんとうのところ、どの程度の効果を上げているのを、そろそろ見てみたいと思ったのだった。

Img_8624 講義が終わって、その足で新横浜へ出る。ここでお土産の、いつもの「鳩サブレ」と、これもまた、いつものお弁当の「栗おこわ」を購入して、京都へ出発した。Img_8628 明日の朝早くから、修士論文審査、それに続く、大学院合宿が向こうで待ち構えている。ちょうど、3分おきに新幹線「のぞみ」が出発していく時間帯だった。4本目の最後の列車を予約したので、2人掛けのシートにずっと一人で座っていくことができた。ゆったりとした新幹線の旅となった。

Img_8630 京都では、三条と四条の間にある常宿としているホテル。水がおいしく、朝食のバリエーションが良いのが気に入っている。それに中心部だから、夜中までさまざまな店が開いているという便利さがある。さっそく、荷物を置いて、京都に来るといつも夜寄る喫茶店Kへ行く。原稿を書くのに最適な店だ。Img_8632 残念ながら、いつもの4人掛けのゆったりしたソファはいっぱいだったので、カウンターの席に閉じこもって、白ワインと夕飯を食べながら原稿に精を出す。すでに新幹線でおこわを食べているから、ちょっと夜食を、という感じで、写真の白インゲンのキッシュを食べることにする。

Img_8767 じつはこの間にも、入院している母の付き添いをしている妹から、頻繁にメールが入ってくる。喫茶店を程よく切り上げて、Img_8633 京都の街の底冷えのする外気にあたりながら、街角ギャラリーや古い街並みを鑑賞しながら、宿へ帰った。すでに12時近くなっていた。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。