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2014/11/16

映画「紙の月」を観て

Img_0037 大学で試験業務を済ませて有楽町へ出る。仕事をこなしたな、という状態になって、このようなときには、スカッとする映画よりも、ぽちっとした映画を観たくなる。けれども、入った映画館で、前半で退屈な描写があって、途中で投げ出したい映画に当たってしまった。この映画も危うくそうなるところだった。ところがである、後半から前半の蓄積が効いてきて、その途端に頭の中で、急速にストーリーが展開していくのだった。

パートから契約社員になった女性銀行員「梨花」が、外回りの営業を行い、顧客からお金を預かる。彼女にとっては、金を受け取り、預金証書を渡せば、銀行員としての「誠実」が完結するものと考えている。現金も証書も紙でできており、この限りでは、表面的には双方ともに価値の代理であるに過ぎない。貨幣も証書も、実体のない名目だけのものだ。

この集めた預金を使い込み、そして最後は、逃げる話だ。ここで貨幣とは何かが問われることは間違いない。後半になって、むしろ貨幣の使い方における「誠実」という倫理性が問題になる。また、対立する人間像も同僚の二人の女性を通じて明らかになり、俄然面白くなるのだった。

銀行員が扱う貨幣は、もちろん「紙にインクの染みがついたもの」というレベルでは、ほかの印刷物とそれほど変わるわけではない。紙幣は単なる紙切れなのだ。映画の中の「紙の月」のように、指で擦ればすぐにでも消えてしまう幻影のようなものだ。だから、右から左へその価値のない紙が動くだけで、「最初に誰に渡り、最後に誰の元へ収まるのか」さえ、きちんとしていれば、途中で多少出し入れがあったとしても、全体としては許される、という貨幣の構造がわかってしまうのだ。このとき、途中で「誠実」でなければならないという倫理観は、主人公の梨花の中で、限りなく拡大されることになってしまう、というのが、この映画のコアの部分だ。

社会のなかの「大きな善」さえ達成されるならば、途中の「小さな悪」は許されてしまう、という「ピカレスク小説」の世界が、ここで開かれることになる。この映画「紙の月」も、このピカレスクの伝統に乗っている。小さな悪が積み重なって、個人はこのことに囚われることになっていくのだ。これはふつうの人の感覚だ。つまり、貨幣をめぐる二つの人間像が描かれていて、ひとつは「小さな悪」も許さない、「小さな善」の積み重ねが、「大きな善」になるのだ、という人間像がある。これに対して、もう一つは上記のタイプがありえるのだ。前者は、先輩同僚の彼女の倫理観であり、銀行組織によって退職の嫌がらせに耐えても、倫理観は失わない女性も描かれている。この対照的な人物像として、主人公の彼女が「小さな悪」の人間像として描かれているのだ。ところが、これらの対立を笑うかのように、個人の使い込みなどは、日常茶判事で、それを尻拭いするのが組織たる銀行の役割なのだ。だから、銀行さえ、ちゃんと?していれば、小さな悪など、問題とならない、という大きな「誠実」が、社会には存在するのだ。これがある限り、「小さな悪」はなくならないだろうし、「大きな善」が取り繕う仕組みも続くことになるだろう。

最後のほうのシーンが印象的だ。走って逃げるシーンがとくに秀逸だ。「逃げる」映像には、映画の歴史的には、かずかずのものがあり、ボニーとクライドなどは代表選手だ。この映画のなかでは、宮沢りえの演じる梨花が、銀行の窓を破って、走りに走って逃げる場面が設定されている。この時の宮沢りえの姿形は、「語り草」になるのだろうと推測されるくらい、素敵な場面だ。人間の欲望のなかで、「誠実」から逃亡したいという万民の共通欲望を実現しているからだ。万民は、日常生活ではできないことを、宮沢りえに演じさせることで、視覚的解放を実現しているのだ。このような、ふつうの人には実現できない場面こそ、「パンとサーカス」たる映画には必要なのだ。

この映画の逃げることの正当化に使われる論理は、なんと「誠実」なのだ。近代社会の中では、経済取引で相手を騙すことをしない、本当の付き合いを行うことが「誠実」であって、近代人の肌の中まで、この「誠実」が染み通っている。けれども、主人公の彼女は、いとも簡単に、顧客を裏切り、上司を裏切り、会社を裏切る。けれども、彼女自身は、小さな頃からの体験から始まって、終始男たちを助け、「誠実」を貫いている。この点で、大きな「誠実」を実現している。だからといって、小さな「誠実」を裏切って良いわけではないが、この辺がピカレスクの現実的なところであれ、会社組織が全体の誠実を貫けば、それで小さな不誠実は贖われてしまうのだ。

この点で、見事な人生の逆転が、「誠実」にはありうることを後半では描いていて、たいへん興味深く見たのだった。この映画で描かれた「誠実」は、きわめてリアルだと思う。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。