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2014年11月に作成された投稿

2014/11/30

鎌倉の麻生三郎展を観に行く

Cimg3863 今の時期、12月に迫っている修士論文の締切を前にして、連日100ページを超える論文が届く。通信制大学の辛いところは、「添削」という手段が日常化していることだ。通常の大学では、指導は口語体で、面接中心に行われるのに対して、放送大学では文語体で添削という手段が使われる。おそらく、10倍以上の労力がかかっているのだ。口で伝えれば、すぐわかることが、全て書き言葉に直されてから、送付されるのだ。この大学では、放送文化は文字文化と並存して成り立っている、というパラドクスを維持しているのだ。

Img_8406 今年度は、8~10名ほどの学生の提出が見込まれており、早い人は2ヶ月くらい前から、初稿を送ってきており、2回、3回と赤を入れて送り返していて、遅い人でも、この時期には大体初稿を見ることになっている。それで、締切日に近づくほどに原稿が重なってくる。昨夜も3本ほど重なっていたのだが、夜明け頃にはなんとか片付け、きょうの午前中には、ほぼ8名分が終了した。いつも、2週間前にこれほどきちんと送ってくるわけではない。今年の学生はたいへん時間観念が発達していて、ずぼらな指導にもめげずきちんとしている。

Img_8411 気分がすっきりしたところで、妻と約束していた鎌倉へ午後から出かけることになった。日曜日の鎌倉行きは極力さけたい、と思っていたのだが、タイミングを考えると、今日以外に都合がつかないので、致し方ないだろう。Img_8417 今日は、県立近代美術館の鎌倉別館が目当てなので、逗子から入らずに、北鎌倉から徒歩で、坂を下って行くコースを辿ることにした。それでも、駅を降りる頃には、道いっぱいに観光客があふれていて、途中の円覚寺、東慶寺などの前は、予想どおり人でいっぱいで、なぜ屯しているのかといえば、昼時間で食事の店の前の行列が、道いっぱいにはみ出しているのだった。

Img_8415 鎌倉はすっかり「脱戦後体制」の時代に入っていて、地元の人々も観光客と密接な関係を持たざるを得ない時代を迎えているのだといえる。Img_8422 鎌倉文化人が優雅な散歩を楽しむという時代は、記憶の中にだけ存在していて、その記憶を辿って、われわれ大衆人が過去の遺産を楽しむ時代へ移っている。今日、二番目に行く鎌倉の近代美術館も、そのまま存続できず、鶴岡八幡宮に土地を返還することになっている。時代は変わる。

Img_8424 とはいえ、別館は別世界だ。前を通っていく人びとはほとんど、美術館の中までは入ってこない。静かな世界がまだまだ存在しているのが、鎌倉がいろんな人に支持される理由だろう。麻生三郎展は、意外な展開だった。松本俊介と並んで展示される油絵は、いつも暗く、背景も見えないほどに塗りたくられた抽象画なのだが、Img_8430 今日は線画が中心で、雑誌の表紙絵や挿絵なのでイラスト風の、けれども描き方が素敵な絵がたくさん展示されていた。

Img_8428 たとえば、「あつまり」という雑誌「小金井」に載ったイラストは、面白かった。集まりを絵として描くと、どうなるのか、とみると、興味の尽きない描き方が展開されるのだ。十数人が線画で描かれている。それだけで「あつまり」なのは確かなのだが、それに加えて、一人一人みんな異なっているのだ。Img_8434 それにもかかわらず、真ん中にぽっかり空いた白い空間に向かって並んでいる。さらに、一列なのだが、ズレがあることで、多重的なあつまりがそこに現出しているのだ。ちょっとした線画で、これだけの意味が込められていて、見ていて興味が尽きないのだった。もう一枚あげるなら、「日暮里駅」も見ていて時間を忘れる線画だった。

Img_8435 「帳面」という蓬莱屋印刷所の宣伝のための雑誌は、全体として、本という体裁を取りながら、全体が作品になっている。特徴があると思えたのが、線画の線に二種類あり、太い線と細い線とが書き分けられていて、この二本の線だけで、世界が描けてしまうか世界があることを知ったのだった。

Img_8440 紅葉が迫る中、本館でもコレクション展を行っていて、見ていて元気の出る絵画である、海老原喜之助やわが朝井閑右衛門は健在だった。ベランダへ出て、ベンチに座って、妻が持ってきた小岩井農場のバターたっぷりのクッキーとコーヒーを飲んで、しばしの静寂を楽しんだ。Img_8447 ここ数年使い続けてきた、コーヒーポットを手を滑らせて、落としてしまい、蓋の部分が欠けてしまったのが残念だった。丁寧に使い続けてきたものにも、最後が来るのだ。

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2014/11/29

横浜へ来たイチゴ

Img_8377 朝から強い雨が降っている。風も出てきた。東日本大震災以来、インタビューなどでお世話になっているM氏が、復興の催しに参加するために、横浜の山下公園にきているのだが、この風雨の中で、テントは大丈夫だろうか。

Img_8355 午後から所用があったので、午前中にご挨拶にうかがいますと、告げてあった。テントが50以上あって、イベント参加者も大勢集まっていた。M氏はM苺農園を経営していて、震災が起こったのち、いち早くビニールハウスを立て直し、自宅農園を復活させた一番手だった方だ。共同でテントを張っているらしく、なかなかテントの場所がわからなかった。

Img_8358 尋ねていると、ステージに出演していることがわかって駆けつけると、ちょうど終わったところで、自分のテントへ帰ったところだった。社長である奥さんが手作りしたジャム(苺ジャムと葡萄ジャム)が売りだされていたので、早速購入した。ガラス瓶を通して、香りが突き抜けてくる。Img_8383 一緒に頂いた苺のふた粒も、ポケットにそのまま入れて、地下鉄の中でちょっと取り出してみたら、淀んでいる空気に対して、苺の香りが鮮烈に広がったのだった。

Img_8393 それから、ご本人は謙遜して、評判が悪いのですが、おっしゃっていたが、大きなサツマイモと、つるっとしたジャガイモの付けてくださった。雨の中だったので、Img_8389 あまり話はできなかったけれども、ボランティアの方々と一緒に働く姿をみていると、何歳も若返っているように思えた。Img_8396 実際には、震災があって苦労が重なっていて、年配に見えていたのだが、実際の年齢は今日の姿が本来の姿のような気がしてきた。

Img_8382 帰りに、開港記念館での「団地」を特集した展覧会にちょっと寄って、毎年必ず訪れる日本大通りのイチョウ並木を拝見しながら、次の目的地を目指したのだった。雨の黄葉をそれなりに、色鮮やかなことを確認したのだった。

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2014/11/22

ガバナンス研究会のコメンターを務める

Unnamed ガバナンス研究会が開かれて、コメンターとして招かれる。放送大学を定年退職なさったA先生が主宰し、N大学のT先生が会長を務めていて、毎月1回例会を神奈川学習センターで開かれている放送大学の名物ゼミである。これまでも、事あるごとに聴衆の一人として招かれたことはあったが、コメンターとしては初めてだ。会場には、25名の方々が集まり、センター所長のI先生も加わって、さらにウォーキング主催しているFさん、社会と産業のAさんも聴きに来てくださった。議論するのに、最適の研究会となった。

今回はT大学名誉教授のA先生が基調講演を行うことになっていて、テーマは、「ポストベッドタウン体制について」という、現代的な問題だ。どのような風の吹き回しかは分からないのだが、たいへん名誉でかつ興味深いことには、わたしにコメンターのお鉢が回ってきたのだ。じつは、政治学や政治史の分野では、両A先生を含んだ泰斗たちが「戦後とは何か」を巡って、長い間座談会を繰り広げてきた経緯があって、到底わたしの教養の程度では追いつかないことは知っていた。そこで、「脱戦後体制」については、「横浜市」ということに限って報告するという、少し工夫を行うことにした。これならば、20年にわたって、神奈川学習センター赴任時代から考えてきたことがあって、十分にしゃべらせてもえらえる良い機会だと思えたのだった。

A先生の基調講演は、重厚な内容にもかかわらず、わかりやすく、かつテンポ良くとんとんと進められた。戦時体制・戦後体制・脱戦後体制という時間軸の元で、空間的な配置が国際、政治、経済、社会と並べられ、社会のシステムがいかに変容をしていったのか、という歴史的な推移が十分に理解されたのだった。

じつを言えば、横浜こそ、この戦後と脱戦後の複雑性が重なって現れている、典型的な都市だといえる。わたしは学生のとき、1970年代に横浜へ移ってきたのだが、そのときから、横浜の都市化と、さらに横浜のコーヒーと喫茶店をずっと追い続けてきたように思う。わたしにとっては、この喫茶店のような場所は、家庭と職場のあいだにある「サードプレイス」だということになるが、これを見る中で、横浜都市に現れる「構造」というものが分かってきたところがある。

コメントのなかで、二つの点を強調した。ひとつ目は、横浜市という都市の構造に4つのタイプが重層的に存在しており、これらの相互作用によって、横浜市全体が成り立っているという観点である。横浜市という一枚岩的な文化構造が存在するわけではない。A先生は、適切にも「連合」としての横浜市という表現であらわしてくださった。

二つ目の観点は、発表者のA先生が脱戦後体制の特徴として、市場システム、政府システムに並行して、「再生産」あるいは「再結合」のシステムが存在するという問題提起をなさっていて、それに対応して、横浜市のジャズプロムナードの「再生産」方式をわたしが紹介し、大いに議論が盛り上がったのだった。こう書いてしまうと、感激が薄れてしまうのだが、そのあとの酒の席でも、当人たちは随分と議論が積み上がったと思えるときを過ごすことができた。

2014/11/16

映画「紙の月」を観て

Img_0037 大学で試験業務を済ませて有楽町へ出る。仕事をこなしたな、という状態になって、このようなときには、スカッとする映画よりも、ぽちっとした映画を観たくなる。けれども、入った映画館で、前半で退屈な描写があって、途中で投げ出したい映画に当たってしまった。この映画も危うくそうなるところだった。ところがである、後半から前半の蓄積が効いてきて、その途端に頭の中で、急速にストーリーが展開していくのだった。

パートから契約社員になった女性銀行員「梨花」が、外回りの営業を行い、顧客からお金を預かる。彼女にとっては、金を受け取り、預金証書を渡せば、銀行員としての「誠実」が完結するものと考えている。現金も証書も紙でできており、この限りでは、表面的には双方ともに価値の代理であるに過ぎない。貨幣も証書も、実体のない名目だけのものだ。

この集めた預金を使い込み、そして最後は、逃げる話だ。ここで貨幣とは何かが問われることは間違いない。後半になって、むしろ貨幣の使い方における「誠実」という倫理性が問題になる。また、対立する人間像も同僚の二人の女性を通じて明らかになり、俄然面白くなるのだった。

銀行員が扱う貨幣は、もちろん「紙にインクの染みがついたもの」というレベルでは、ほかの印刷物とそれほど変わるわけではない。紙幣は単なる紙切れなのだ。映画の中の「紙の月」のように、指で擦ればすぐにでも消えてしまう幻影のようなものだ。だから、右から左へその価値のない紙が動くだけで、「最初に誰に渡り、最後に誰の元へ収まるのか」さえ、きちんとしていれば、途中で多少出し入れがあったとしても、全体としては許される、という貨幣の構造がわかってしまうのだ。このとき、途中で「誠実」でなければならないという倫理観は、主人公の梨花の中で、限りなく拡大されることになってしまう、というのが、この映画のコアの部分だ。

社会のなかの「大きな善」さえ達成されるならば、途中の「小さな悪」は許されてしまう、という「ピカレスク小説」の世界が、ここで開かれることになる。この映画「紙の月」も、このピカレスクの伝統に乗っている。小さな悪が積み重なって、個人はこのことに囚われることになっていくのだ。これはふつうの人の感覚だ。つまり、貨幣をめぐる二つの人間像が描かれていて、ひとつは「小さな悪」も許さない、「小さな善」の積み重ねが、「大きな善」になるのだ、という人間像がある。これに対して、もう一つは上記のタイプがありえるのだ。前者は、先輩同僚の彼女の倫理観であり、銀行組織によって退職の嫌がらせに耐えても、倫理観は失わない女性も描かれている。この対照的な人物像として、主人公の彼女が「小さな悪」の人間像として描かれているのだ。ところが、これらの対立を笑うかのように、個人の使い込みなどは、日常茶判事で、それを尻拭いするのが組織たる銀行の役割なのだ。だから、銀行さえ、ちゃんと?していれば、小さな悪など、問題とならない、という大きな「誠実」が、社会には存在するのだ。これがある限り、「小さな悪」はなくならないだろうし、「大きな善」が取り繕う仕組みも続くことになるだろう。

最後のほうのシーンが印象的だ。走って逃げるシーンがとくに秀逸だ。「逃げる」映像には、映画の歴史的には、かずかずのものがあり、ボニーとクライドなどは代表選手だ。この映画のなかでは、宮沢りえの演じる梨花が、銀行の窓を破って、走りに走って逃げる場面が設定されている。この時の宮沢りえの姿形は、「語り草」になるのだろうと推測されるくらい、素敵な場面だ。人間の欲望のなかで、「誠実」から逃亡したいという万民の共通欲望を実現しているからだ。万民は、日常生活ではできないことを、宮沢りえに演じさせることで、視覚的解放を実現しているのだ。このような、ふつうの人には実現できない場面こそ、「パンとサーカス」たる映画には必要なのだ。

この映画の逃げることの正当化に使われる論理は、なんと「誠実」なのだ。近代社会の中では、経済取引で相手を騙すことをしない、本当の付き合いを行うことが「誠実」であって、近代人の肌の中まで、この「誠実」が染み通っている。けれども、主人公の彼女は、いとも簡単に、顧客を裏切り、上司を裏切り、会社を裏切る。けれども、彼女自身は、小さな頃からの体験から始まって、終始男たちを助け、「誠実」を貫いている。この点で、大きな「誠実」を実現している。だからといって、小さな「誠実」を裏切って良いわけではないが、この辺がピカレスクの現実的なところであれ、会社組織が全体の誠実を貫けば、それで小さな不誠実は贖われてしまうのだ。

この点で、見事な人生の逆転が、「誠実」にはありうることを後半では描いていて、たいへん興味深く見たのだった。この映画で描かれた「誠実」は、きわめてリアルだと思う。

2014/11/07

元町辺りを散策する

Img_8177 昨日、雨が降るというので、雲が心の中を見透かすように垂れ込めてきていた。それで、外出を控えて、「社会経営研究」の校正に精を出す。現在、再校から三校の段階で、Img_8182 すでに9割がた出来上がっているので、少しずつ届く校正稿に従って、修正を行っている。いつもながら、校正というのは、時間をかければかけるほど、いろいろなことが出てきてキリがない。

Img_8186 それで今日は朝から、かねてより、妻と一緒にいくことになっていた展覧会「須賀敦子展」へ出かけることにする。家の近くのバス停から、山下町経由の日赤病院行きのバスが出ていて、機会があったら乗りたいと思っていた。それで、直通でフランス山の麓まで着いてしまう。Img_8195 このバスが面白いといっては失礼なのだが、幹線通りを通ってくるバスにもかかわらず、そこを避けて通りたい病人や老人(われわれもそうなのだが)などで、満員状態なところだ。この奇妙な感覚は、このバスに乗った人にしかわからないだろう。

Img_8202 「フランス山」から「港の見える丘」公園も、休日にくると、人とぶつかってしまうほどに混雑しているのだが、きょうは人の顔を見ながらでも、ゆったりと坂道を登ることができるのだった。大仏次郎記念館から近代文学館へ渡る橋があって、港の眺望が良いばかりか、Img_8206 緑が豊かで、散歩コースにはかならず組み込みたい場所となっている。開館までに時間があったので、散歩者たちに混じって、ベンチでコーヒーを飲んで港の自由な空気を吸い込んだ。

Img_8211 「須賀敦子」については、妻と娘が好きで、それぞれが全集や単行本を持っている。それに誘われて、本を手に取るようになったのだが、わたしなりの読む動機が別にあることに次第に気がつくようになった。Img_8213 それは、彼女の中に、よくわからないのだが、「何かを超えていく」という、不思議な感覚を持っていて、行動にも評論にも、それがひょっと現れるからだ、ということに思い至ったのだ。

Img_8216 須賀敦子は、早くから、父親が若い時の世界一周旅行の話をしていて、外国へ出る機会を狙っていたこともあって、フランス留学からイタリア遍歴へと続くことになるのだが、それ以外に、日本を離れて、イタリア人と結婚して所帯を持つに至るのだ。このような有り様は、人間の存在が女性の交換によって成り立つとする、じつは「構造主義の原理」そのままだと思えたのだった。Img_8222_2 原理的な行動が、率直にかつ具体的な人物となって現れてきたのは、わたしにとっては二度目だった。ちなみに、女性が外国へ出て行く契機として感動的だったのは、わたしの学生時代に、教生教練を横浜の女子高校で行ったときに、「卒業したら船乗りになって外国を回るのだ」という生徒がいて、なるほどと思ったのだ。これ以来だ。

Img_8280 今日の須賀敦子展のなかの展示物で、シモーヌ・ヴェイユについての須賀敦子の評論に「横につながる思想」という考え方があって、それが展示されていた。この表現が的確に彼女の潜在的な思想を表しているように、わたしには感じられたのだった。

Img_8228 散歩道を辿って、元町へ出る。なぜか、まだバラが咲いている。途中、外国人邸跡を迂回して、人影がない道。そこから、急に元町の人ごみへ入っていく。ここではちょっと、コーヒーと休憩が必要だ。Img_8229

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2014/11/05

赤瀬川源平展を観る

Img_8163 この展覧会がはじまる直前10月26日に亡くなった「赤瀬川源平」の展覧会を千葉市美術館で観る。入口を入って、すぐ左の作品にキャプションが付いていて、彼が初期のアフリカ・アラブに惹かれた頃、カフカを題材にして、名前がたいへん奇妙なので覚えやすいのだが、「変な具体物」ということに興味を持ったと書いてあって、それで僭越ながら、展覧会のほぼ半分を納得してしまったのだった。

Img_8166 近代の芸術家の中には、洒落て抽象にいってしまったり、思い余って想像の世界にはいり混んでしまったりする人びとが多く、なかなか現実を直視する芸術家はいない。ここで、現実に固執するのではなく、けれども、超現実へ直ちに行ってしまうのではない方法を追求したのが、赤瀬川源平だった。「変な具体物」という中間的なものを見つけたことが、初期の成功だったのだ。彼らが設立した、ハイレッド・センター(こういう名前がよくわからない)の活動が、ネオダダの一連のものだったのだ。

でも、「ふつう」をまずは脱しないと、「変な」ということを感じられないので、ダダだということにして、「ふつう」を壊したのだが、けれどもじつは、壊してはいなかった、というところなのだろうか。

Img_8167 初期のころ、一連に繰り広げられた最後のころに、意味もなく包んでしまうという「梱包」シリーズと、彼を有名にした「千円札模写」事件があって、「ふつう」を壊す話題があるのが面白かった。この「現実」があり、想像や象徴などの「非現実」があるのだが、じつは「超現実」をさらに超えていくと、ダダ的な「現実」が待ちかまえている、という構図になっていることがわかる。

Img_8174 それでも、やはり「具体物」にこだわったところに、赤瀬川源平の特色があるのだと思われる。このあとに続く、「路上観察」や「トマソン」そして、晩期に開発した、老人のボケは現実の力なりうるとする「老人力」にまで、この痕跡が残されている。現実から排除されたものが、もっとも現実的で具体的なものだとする考え方が強く出されている。

彼の本の中で、「リアルとは何か」を書いていた。第1章でモネの「日傘をさす女」を取り上げていて、このモデルの婦人のさす日傘に、心棒の描かれてないことに気づく。しかし、心棒がなくとも、リアルなのだと続く。その筆致に勢いがあれば、その先にあるものが見る者の目に自然に浮かび上がってきて、むしろ心棒が描かれているよりも、リアルなのだ。「リアリズムというのは、すべてを描くことではない。描かないものまでも、そこに潜り込ませるということである。」これこそ、リアルの極致だ。

Img_8169_2 「変な具体物」は決して「変で」もないし、「具体物」である必要もないのだ。最初から、真にリアルなのだ。このようにみてくると、攻撃性の初期から、今日性の最後まで続く、一貫した視点があるように思われる。ひとつひとつは、奇妙にみえても、何をやったのかわからなくても、ずっと同じことを追究していて、わたしたちの日常生活の幅を広げることに貢献しているのをみることができるのだ。

Img_8170_2 近くのMBの中二階にある喫茶店で、ランチを食べる。定番のカレーだ。それから、この季節には、リンゴのタルトが出ている。写真にあるように、芸術品のごとくに、薄切りのリンゴで身を包んでいる。カレーのあとの、リンゴタルトほど、美味しいものはない。

2014/11/02

鳥取での講義の2日目

Img_8101 2日目の面接授業が始まった。今日の日曜日には、昨日昼食をとったビルの1階にある福祉喫茶店はお休みだというので、駅に向かう本通り(街道)にあるパン屋さんでお腹に溜まるような、重量級のパンを買っていった。Img_8112 ところが、学習センターの入っているビルの前には、ちょうど全国のちゃんぽんが集まってのお祭りが開催されていて、こちらの方に目移りがしてしまったのだ。だが、結局は、行列が長かったために、お昼のちゃんぽんは断念することになったのだが。

Img_8110 2日目の面接授業で印象に残った点は、一人一人の話をじっくり聞き、さらに意見を言ってもらったのが功を奏して、極めて凝集性の高い答えが受講生から聞くことができたことだ。それは、たぶんに少人数で円陣を組んでの授業が良かったからだと思われる。

Img_8113 わたしが行ってきたインタビューを題材として、受講生に話し合いをしてもらった。その中で、受講生たちが共通して気にしていた点が、二つあった。それはわたし自身が今回の面接授業の主眼としていたことだったので、それを取り上げてもらったことは、たいへん有意義なことだった。

Img_8106 ひとつの点は、他にも幾つかの事例が提示されたが、典型的には次の例だ。I氏が過疎の村のボランティアを行っていて、絶えずその村で、お年寄りが村のネットワークから外れてしまう事態が起こることを指摘なさっていた。このネットワークから逸脱した方に対して、どのような協力活動があり得るのか、という問題提起をなさっていた。過疎の村では、人口減少が深刻で、ボランティアのネットワークも縮小せざるを得ない。それに対して、見守らなければならない老年層は増える一方であり、そこでネットワークの外にでてしまう方をどのように支えたら良いのか、というネットワークの二重性問題が起こっているという興味深い視点が出された。

Img_8102 もうひとつは、看護チームに長年所属なさっていた学生の方、それから、企業で業績を上げて成功してきたチームにあって、近年業績が上がらなくなってしまったという学生の方などが典型例の事態である。つまり、チームの中で、団結を目指さなくなる傾向が出てきたときに、チーム全体としてはどのような協力体制をとり得るのか、という問題意識である。つまり、もっと強いチーム力を必要とされている場合である。チームメンバーと異なる「アウトサーダー」がチームに入ってきたり内部に巣食ってしまったりしたときに、このメンバーとの差異というものをいかに解決できるか、というアウトサーダー問題である。

Img_8104 いずれの問題も短期的に解決出来る問題ではないが、それぞれに共通の糸口があって、全員の話し合いの中では、ずいぶん話の弾んだ話題となった。そして、二日目も心理的な時間よりも、もっと早く進んで行き、もう少し時間が欲しかったという余韻を残すくらいのときに終了となるのであった。

Img_8103 時間が終わってからも、学生の方々から質問を受けたり、また、独自に昨夜勉強した結果をプリントアウトして持ってきてくださったりした方々がいて、相変わらず、面接授業の最大の特徴である、対話の時間が設けられることになった。わたしの方も、このテーマの面接授業が最終回であることから、なんとなく、別れがたい題材として、学生との対話が記憶されることになった。

Img_8120 結局、予定通り、最終の飛行機には間に合わないことになった。採点を行い、集めたレポートを整理していて、学習センターの方々には、最後までお世話になってしまった次第である。レポートの整理は、時間のかかることがわかってきたので、明日に回すことにして、帰り道が一緒になった学生のかたとおしゃべりをしながら、駅を目指した。

Img_8065 今日の夕食は、宿から駅に至る途中で見つけたフランス料理のF店に入った。「日本海ブイヤベース」という文字が黒板の中段に書かれていて、何やら美味しそうな感覚が刺激されたのだった。海老や蟹を濃厚に煮込んだ香りがぷーんと脳の中に広がったのだ。Img_8121 その昔、大学院生時代にアルバイトして、帰りに新宿三丁目の料理屋へ入って、このブイヤベースを食した。その思い出は、今から考えると、純粋に味としての記憶で満たされており、たぶんわたしの西洋料理の不変要素として定着した味として、脳の中に存在しているのだろう。

Img_8122 不変要素として味とは、違うものだったが、日本海らしさというものを味にするとこんな感じになるのか、という、言葉には表すことはできないが、Img_8123 西洋的な味に、プラスαの付け加わった複雑な味を堪能した。最後の夜なので、就寝の前に、鳥取の銭湯温泉へ入ったのだった。Img_8124

2014/11/01

鳥取での講義第1日目

Img_8086 昨日は激しい雨が降っていて、この連休にはずっと雨が続くのかなと、昨夜の雨音を布団のなかで聞いていた。その場合には、授業の出だしで、「晴耕雨読」だと言うと受けるのだが。ところが、朝になると、陽こそ出なかったが、空模様を伺うと何とか持ちそうになってきた。ここは、「晴耕雨読」を使えなくて、良かったと思うことにしよう。朝、宿から歩いて、10分ほどのところにある、市立図書館の入っているビルの5階にある、鳥取学習センターを目指す。

Img_8090 「人びとはなぜ協力し合うのか」と題する面接授業の開始である。このテーマで、今年は愛知と長野を回ってきて、今回が最後の授業ということになる。準備に2年以上かかっていて、インタビューも豊富に話し合いの題材として使っているので、これで最後にしてしまうのは、なんとなく惜しい気はするものの、来年からの授業ではこれと異なるテーマがすでに出来上がってきているので、終了すべきものは終了しなければならない。今回は、少人数の9名の学生の方々が集まったので、最後に相応しい、こじんまりと、そしてじっくりと話し合う授業を心がけようと思った。

Img_8091 さっそく、教室のテーブルをぐるりと四角に並べていただき、全員の顔を見られるように座ってもらった。わたしが少し話をして、それに対して、続けて、学生の方々の話を聞くという対話形式の方法を今回は取った。少人数の利点を最大限活用することにする。話していると、これまでの放送授業や愛知、長野の授業が思い出されてきて、面接授業の良さがじんじんと伝わってきた。集まった方々は味のある話し方を持っていた。

Img_8093 最初に、自己紹介を兼ねて、自分の半生における「協力」経験を、全員に語ってもらった。若い頃のストライキ進行中の協力活動、小学校でのトーテムポール造りの協力経験、過疎の村での見守りボランティア、職業としての看護、贈り物をして誤解を受けた協力の失敗談、職場での成功体験が崩れ始めている経験、農業会社での協力、子育てにおける夫・家族の協力などなど、これらの話を聴く時が、放送大学に勤めていて良かったと思える時だ。この語り、経験の豊富さは、一般の大学では望むべくもない。

Img_8096 1日当たり6時間近くもある時間の長さを忘れるほど、授業に夢中になってしまった、ということが、信じられないかもしれないが、(もっとも歳のせいもあるのだが、)ほんとうにありうるのだ。それで、時間の経つのは早くて、予定の授業もさくさくと進んだのだった。

Img_8095 夕方になって授業を終えて、教室を出ると、昨年度放送大学を定年退官されたK先生が、待合室から出てきて、ニコニコなさっていた。K先生は、元鳥取大学の先生で、そのあと放送大学へ来たのだ。そして、また鳥取へ再び戻っているのだ。Img_8098 駅から北へちょっと行った、昨日の温泉近くの弥生町あたりに、飲み屋さん街が固まってあり、そのうちの「S」へ入る。K先生の数十年来の馴染みの店らしい。堀こたつ形式のカウンターにドッカと陣取って、さっそく飲み始める。Img_8099 酒は、地元のZSをお燗して出してもらった。また今は、様々な種類のイカが旬で、こりこりとした歯ごたえのあるイカや、肉厚のどてっとしたイカや、刺身のイカなど、どっと出てきたのだった。また、ヒラメの刺身も美味しかった。

Img_8100 積もる話もたくさんあって、酒も肴も美味しかったので、今回の授業では明日までの宿題を出していて、それに取り組んでいると推測できる学生たちには悪かったけれども、鳥取の味を堪能させていただいたのだった。K先生は身体も大きく、飲む方も達者で、最後はウィスキーをストレートでグイグイと飲んでいらっしゃった。夜の更けるのも忘れてしまうほどだった。

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『貨幣・勤労・代理人』(経済文明論)

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。