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2014/10/16

悪童日記を観る

Img_8024 評判のベストセラーが映画になってやってきた。文庫本をぺらぺらと、立ち読みした記憶はあるのだが、内容までは思い出さなかった。東ヨーロッパの「辺境」での双子の美少年を描いた物語だ。

冒頭の二人の寝顔がたいへん良い。ポスターにもなっているから、わたしだけの感想ではなく、多くのひとが、この冒頭のシーンに何かを感じたのだと思われる。つまりは、少年たちの「眠れる時代」の物語が主題だ。ということは、このあと、少年たちが覚醒して、旅立っていくことになるのだが、それまでその間の「原初状態」ということを描いている。親子の原初、道徳の原初、親愛の原初などなど、わたしたちが2、3歳のころに獲得されて当然と考えられていることが、ひとまず断ち切られて、当然ではなく、いかにして身に付いていくのかが描かれる。

注目できるのは、「道徳」観念はいつ獲得されるのか、ということが、この映画では正面から捉えていることだ。まず親子間の感情がもし原初においてなければ、そこでどのような状況が生ずるのか、という点である。映画の筋では、父母は戦争の勃発によって、この兄弟と一緒に暮らせないことになり、この兄弟は祖母へ預けられるのだが、この祖母が自分の娘であるこの母に対して憎悪を抱いており、その子であるこの兄弟への厳しい仕打ちとなって現れる。このように描かれた厳しい家族関係には、なぜか映画的なリアリティが存在するのだ。

「悪童」の悪とは何か、ということが、次から次に起こる彼らの行動の中で、現れてくる。隣の少女は、精神障害を負ってはいるが、立派なドロボーで、最初は兄弟のものを盗るのだが、次には仲良くなって、一緒に盗みを働くようになる。ひとつのリンゴをこんなに真剣になって、追い求めることは、仕合わせな時代なのかもしれない。冬の厳しい気候の中で、真剣に革の長靴を購入しようとして、ユダヤ人の靴屋の善意に遭う。これも、仕合わせだと思う。だから、この善意を裏切ることは、かれらの道徳観からは、許せないのだ。爆弾を以っても、贖いきれない罪なのだ。

Img_8025 感動的なのは、最後の場面だ。兄弟が二人でいないと、うまくいかないことがわかっていても、互いに別れる決意をする。これは、兄弟であるからこその、人間の普遍的なあり方だ。だから、そのためには、たとえ廃人同然となっているとはいえ、父親さへも、踏み越えていく存在でしかないのだ。あるいは、踏みしめて、超えていくからこそ、父親足り得るのだ、というのは、まったくのところ、真理を描いていて、「悪童」の本筋が描かれていて、興味が尽きなかった。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。