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2014年10月に作成された投稿

2014/10/31

「社会経営研究」「社会経営ジャーナル」第2号発刊

2014 世の中で、「多重」債務問題などが騒がれだしたのは、やはり世界史的にみれば、金融ということがビジネスの中心の一つになってからだ。貨幣や金融資産の特徴として、「パテ」(可塑性のもの)であると、経済学の比喩で言われてきた。この比喩は、よく教科書に登場する。パテのうちは、まだ形が定まっていないから、何にでもなりうる。ところが、貨幣が使われて、商品や実物資産に固定されると、「クレイ」状態になり、役割が確定する。けれども、パテであるうちは、二重性や多重性の機能をこなすことができ、それが特性となっている。

わたしたちが書く原稿も、パテ状態とクレイ状態があり、パテ状態の時には、まだまだ書ける、もっとたくさんのことが書けると思ってしまう。ところが、いつの間にか、頭の中は固まっていて、クレイ状態になっていて、最後にはこれ以上は書けないということになってしまうのだ。

2014_3 それでつい、パテ状態の原稿を複数抱え込んでしまって、いつでも、もっとたくさん書けるような錯覚を持ってしまうのだ。今日は、その最たるもので、今日一日だけで、締め切りの論文が2本あり、出すように要請のあったシナリオ原稿が1本あり、校正稿を返送しなければならないのが1本あった。その上に、二つの雑誌の編集・製本が、今日最終締め切りで、明日には、ホームページへ掲げなければならないことになっている。成功していれば、無事次のところに、研究誌「社会経営研究」第2号と機関誌「社会経営ジャーナル」第2号が、めでたく掲載されていることだろう。

こちらから、閲覧できる。

http://u-air.net/SGJ/

数ヶ月前から、今日がその日だとわかっていたので、すこしずつ形を整えてきていた。おおかたは間に合うのだと踏んでいたが、さて実際はどうだろうか。1日を振り返ってみると、午前中に全部を済ますことになっていて、昨日からの仕事量は相当なものだったが、なんとか最終の仕事の一つ前まで、漕ぎ着けた。

それで、午後にはK大学の講義があるので、早めに送るものは送ってしまい、編集も校正を残すのみの状態にまで持って行ったのだ。長い午前中も終わりに近づいた。そこで、このような計算違いが生じているなどと、誰が知っていただろうか。じつは、K大学が学園祭の準備で、全講義が休講だったのだ。大学へ着くと、F先生がいらっしゃっていて、同じく日程を間違えてしまったのだということだった。やれやれ。

Img_8069 夕方には、明日からの鳥取学習センター面接授業の前泊のため、羽田空港に向かった。じっさいにはK大の講義がなかった分だけ、余裕ができたことになる。Img_8078 空港に着いて、じつは機内で済ませようと計画していた校正原稿を、飛行機に乗る前に、全部済ますことができたのだった。怪我の功名とは、このようなことを言うのだろうか。このような仕合わせな出来事は、一年にそう多くあることではない。

Img_8073 鳥取の宿へ着いて、近くの銭湯温泉「日の丸温泉」のジェットバブルを浴びながら、何年かに一度は訪れる素晴らしき「納会」が無事済んだことを確認した。最後の最後に幸があるということだ。Img_8074 なぜだかは知らねども、神話の国鳥取の「因幡の白兎」に感謝することしきりだったのだ。Img_8108

2014/10/29

写真と言葉のミックスについて

Img_8040 日比谷図書館へ久しぶりに来ている。千代田区の図書館はどこも充実しているので、都心に出た時に、ちょっと1時間ぐらい籠って仕事をするのに最適である。それで、会員となって、図書カードも作っている。

Img_8052 今日は、これまでも何度となく特集されてきている林忠彦の「日本の作家」シリーズがまとまって展示されているというので、エッセイ集を片手に、写真を確かめに来たのだ。写真もさることながら、人物像をスパッと切り出す手並みを拝見しにきたのだ。

Img_8054 展覧会の最初の一枚が、川端康成で、「寄って撮る」方式の典型例として、展示されている。他の機会に取られた川端康成写真は、いつも遠くから、望遠レンズで撮られているが、この写真だけは珍しく、かなり接近した顔写真が成立している。そのため、鋭利な目つきと、やせ細った顔付きを見事に捉えている。エッセイには、目の鋭さに注目したとあり、写真の作為というものを強く押し出している。林が撮っているうちに、これが川端だという写真を撮り出したと言える。

Img_8276 写真よりも切り取った言葉が面白かったのは、石川達三の写真に付された言葉だ。批評家然とした顔の隣に、「便利なものは不便だ。飛行機を途中で降りることはできない」とあった。林には、二つの目があって、一つはレンズの目で、もう一つは人物を見る目だ、と井上靖が原稿に書いていた。つまり、いつもは、カメラを持っていないらしいのだ。それで、人物を見る目を大切にしていて、被写体から恐れられていたらしい。

Img_8279 写真展のメインは、織田作と太宰と安吾で、みんなが一度は見たことのある写真だ。エッセイでは、織田作を撮りにいったら、銀座のルパンで、「自分を撮れ」という若い作家がいて、それが売り出し中の太宰だった、という有名なエピソードを紹介している。織田作の座っているカウンター椅子は作り付けのごっついものだが、太宰の座っているのは、カウンターの端だったので、可動式のハイチェアーなのだ。Img_8274 ここで林が引き出している教訓が素晴らしい。写真の成立は、撮る方よりも、撮られる方に寄って決定される、と言っていて、なるほど具体的な事例だな、と感心したものだ。

極め付きは、安吾の座卓写真だ。座っているまわりのゴミの山やうず高い埃は、単純な作為であったとしても、注目したのは、蚊取り線香だ。線香の灰がそのまま残っているのは、もちろん認められるとしても、形が残ったままで、5重層くらいに積み重なって残っている。Img_8278_4 これは、すくなくとも5日くらいは徹夜して、夜通し原稿を書いたことを見せようということだろうか。「作為以上の作為」的写真と言わなければならない。

食事は、地下の食堂も美味しいのだが、きょうはすこし整理したい仕事を持ってきていたので、1階の奥にある書店付き喫茶店へ陣取ることにした。ふつうの喫茶席だけでなく、仕事をする人用に電気コンセント付きのテーブルがゆったりと用意されている。Img_8056 一応、長時間を抑制している言葉書きがついてはいるものの、かなりの時間占めていても大丈夫なのだ。豪のものがいて、テーブルの端にプリンターまで持ち込んで、Img_8060 電話を片手に、書類を作っている女性もいた。さすが、日比谷だ。

2014/10/21

夜行列車でリスボンへ

Img_8028 映画「リスボンに誘われて」を観る。原題は、「リスボンへの夜行列車」なので、かなりイメージが異なることがわかる。この映画のキーワードは、「アクシデント」である。アクシデントには、事故などの悪いイメージもあるが、それ以外に、偶然めぐり合うという、チャンスという意味もある。映画の中でも、この言葉が使われていた。日常があって、そこにアクシデントが起きることで、違った日常が立ち上がる。

Img_8034 ある日、橋の上で飛び込もうとしていた女性を助けたことで、残された私家版の古本を手にいれる。この本を返そうとして、中に挟まれていた切符を頼りに、リスボン行きの夜行列車へ行くが、その女性は見つからず、主人公ライムントが乗ってしまうことになる。これこそ、アクシデントだ。

夜行列車のなかで、この古本の小説を読む。リスボンについたライムントは、この自伝的小説の主人公アマデウの恋愛事件の中心を探ることになる。事件の関係者にひとりひとり会っていくなかで、自分の生活を振り返ることになる。素敵な眼科女医に出会い、そこからも、物語は発展し、事件以来バラバラになっていた歴史が全て結びつくことになる。それにしても、旅先で、こんなに感情移入できる相手に会うこと自体が、アクシデントなのだ。

Img_8035 旅に出るときには、自分の一部がここに残り、また戻ってきたときにはそれを思い出すというフレーズは、洒落ていると思う。この一部残っている自分とは、いったい何なのかといつも考える。自分の中が複数に分かれていて、その土地に残されている自分が、居るように思える。ある日、夜行列車に乗って、そこを訪れたとき、その自分と会うのだ。

Img_8036 最後の場面で、主人公ライムントは、眼科医マリアナからリスボンに残るように誘われる。さて、彼は果たして残ったのか、それとも、スイスのベルンの自宅へ帰ったのだろうか。

Img_8037 それにつけても、映画の冒頭のシーンは忘れられない。高校の古典文献学教師ライムントが学生たちの答案を添削している場面だ。忘れられないのは、ベルンの古い町並みの中にあって、自宅いっぱい広がる書棚だ。部屋から廊下、廊下から階段に至る開放的な書棚が並んでいて、家中が書庫なのだ。そして、最後はベランダに面した窓のそばに机があるのだ。わたしだったら、時々は外へ出てちょっと授業を行っても良いが、このアパートを決して離れることはないだろう。

Img_8027 映画のあと、野菜カレーランチを「M」にて。ここはケーキ屋さんの二階にほんの数席あるだけの喫茶店で、ランチどきには、近くの女性社員たちがグループで押し寄せる。このライスを山形にして、周りのカレー汁のなかに、野菜の断片を浮かせてあって、何となく余情があるのだ。手間をかけて、つまりは楽しみながら、カレーを作って盛り付けているシェフの姿が眼に浮かぶ。野菜カレーの中の日常についても、とうぜんアクシデントはあり得るのではないか、とふと思ったのだ。

2014/10/16

悪童日記を観る

Img_8024 評判のベストセラーが映画になってやってきた。文庫本をぺらぺらと、立ち読みした記憶はあるのだが、内容までは思い出さなかった。東ヨーロッパの「辺境」での双子の美少年を描いた物語だ。

冒頭の二人の寝顔がたいへん良い。ポスターにもなっているから、わたしだけの感想ではなく、多くのひとが、この冒頭のシーンに何かを感じたのだと思われる。つまりは、少年たちの「眠れる時代」の物語が主題だ。ということは、このあと、少年たちが覚醒して、旅立っていくことになるのだが、それまでその間の「原初状態」ということを描いている。親子の原初、道徳の原初、親愛の原初などなど、わたしたちが2、3歳のころに獲得されて当然と考えられていることが、ひとまず断ち切られて、当然ではなく、いかにして身に付いていくのかが描かれる。

注目できるのは、「道徳」観念はいつ獲得されるのか、ということが、この映画では正面から捉えていることだ。まず親子間の感情がもし原初においてなければ、そこでどのような状況が生ずるのか、という点である。映画の筋では、父母は戦争の勃発によって、この兄弟と一緒に暮らせないことになり、この兄弟は祖母へ預けられるのだが、この祖母が自分の娘であるこの母に対して憎悪を抱いており、その子であるこの兄弟への厳しい仕打ちとなって現れる。このように描かれた厳しい家族関係には、なぜか映画的なリアリティが存在するのだ。

「悪童」の悪とは何か、ということが、次から次に起こる彼らの行動の中で、現れてくる。隣の少女は、精神障害を負ってはいるが、立派なドロボーで、最初は兄弟のものを盗るのだが、次には仲良くなって、一緒に盗みを働くようになる。ひとつのリンゴをこんなに真剣になって、追い求めることは、仕合わせな時代なのかもしれない。冬の厳しい気候の中で、真剣に革の長靴を購入しようとして、ユダヤ人の靴屋の善意に遭う。これも、仕合わせだと思う。だから、この善意を裏切ることは、かれらの道徳観からは、許せないのだ。爆弾を以っても、贖いきれない罪なのだ。

Img_8025 感動的なのは、最後の場面だ。兄弟が二人でいないと、うまくいかないことがわかっていても、互いに別れる決意をする。これは、兄弟であるからこその、人間の普遍的なあり方だ。だから、そのためには、たとえ廃人同然となっているとはいえ、父親さへも、踏み越えていく存在でしかないのだ。あるいは、踏みしめて、超えていくからこそ、父親足り得るのだ、というのは、まったくのところ、真理を描いていて、「悪童」の本筋が描かれていて、興味が尽きなかった。

2014/10/12

今年も横濱ジャズプロムナード

Img_7937 今年も横濱ジャズプロムナードの日がやってきた。この日ばかりは、仕事があっても、ちょっと横に置いて、港の近辺にある会場へ出かけたくなる。毎年、10時から始まる、外国からの異色のグループ演奏を聴くのを習慣にしていたのだが、今年はなぜか、Img_7941 10時からのプログラムがなかったのは残念だった。しかし、SバンドやIオーケストラは健在で、期待通りの音を身体全体に浸み通らせてくれた。

Img_7940 この横濱ジャズプロムナードでしか聴くことができない音というか、ユーチューブでも載らない音群というか、この場だけのために構成された、幾重にも重なった音たちがステージから落ちてくる。Img_7993 さらに重層的な積み重ねが、この1日に凝縮されている。一様ではないように、横浜の街全体が音のレンガ壁状態となって音群を繰り広げるのだ。Img_7997_2

Img_7999 いままで巡り合わせが悪くて、横浜開港記念館(通称、ジャック)のこの古めかしい演壇を見たことがなかった。場所としては、横浜の中心地であり、なんと岡倉天心が生まれたところでもあり、これまでここでの催し物に来たことがないなんて、横浜に長年住んでいて、有りえないはずである。ところが記憶の中に、ここだけはないのだ。ホールの中に、細いが柱が通っていて、二階席を支えている。Img_8002 昔作りのホールで、演奏が始まる前に、気に入ってしまって、こじんまりした、ジャズの音にちょうど合っているようにも思えてきたのだった。昭和初期の文化の発信地として、活躍したことを忍ばせるホールだ。

Img_7960 Sバンドは、この時この場でしか聴くとこができない音のオンパレードで、今年もこの全員の素晴らしい息使いで、一気にスタートした。何気ない登場と、この最初の一吹きとの落差がこの場にいるということであり、Img_7964 現場感覚が満載の会場となったのだった。ギタリストのI氏作曲の「Slide Slip」「月の鳥」など、一年に一回は聴かないと、生活のリズムが整わない。こういった類の感じ方を、この身に刻印するのだ。この余韻を残すのだ。

Img_7957 海岸通りへ出て、横浜トリエンナーレの開かれている会場のひとつ、Sスタジオへ入る。赤レンガ倉庫を遠望して、トリエンナーレのA氏出品作品でもある、二階建ての屋台に乗っかって、インドカレー料理を食べる。運河側から、人通りの激しい埋め立て方面を望む。Img_7968 ゆっくり休憩をしたのち、コーヒーが飲みたくなったので、娘の推薦する古いビルの2階にある喫茶店Rへ入る。スイーツも美味しかったし、象の鼻公園に臨む窓のロケーションもよく、しばし海を眺めながら、雑談に興じる。このように、海に面しておしゃべりできるところの豊富なのが、横浜の取り柄だと思う。Img_7978 「海」は横浜の比喩でもあり、隠喩でもある。

最後は関内ホールだが、その前に夕方になって、ちょっとお腹がすいてきたので、馬車道をちょっと入ったところにある、Img_7983 Img_7981_2 クラフトビールの行きつけの店Bへ入って、ビーフとビールで空腹を慰める。Img_7987 最近、米国風焼き肉料理が美味しくなってきた。

Img_8015Img_8013







Iオーケストラも、7割がたは昨年と同じ曲だ。ジャズだから、時が違えば、違った演奏になるのだが、音の本質は変わらない。やはりこのメンバーが一致して吹くと、「この場にいるんだ」、という気分になるのだ。Img_8011 臨場感というのは、このようなことを言うのであって、これ以外にはあり得ない。病気上がりだというKのアルトサックスが踊るようにインプロヴィゼーションを奏でていて、ここにいる全員の精神に、Img_8020_2 かっかと伝わってくるものを感じたのだった。

Img_8023 最後は、家に帰る前に、軽くスイーツと今日最後のコーヒーをとって、娘との話に興じた。

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2014/10/11

木のうつわ展をみる

茗荷谷にある放送大学は、公園のような雰囲気のなかにあって、もしここに喫茶店が併設されていたならば、場所が良いだけに、きっと評判になると思われる。ちょうど1階の一等地に相当なスペースがあるので、ほんとうに勿体ないと思う。建物の内側が駄目ならば、門から玄関に至る所にも、かなりのスペースがあり、ここに平屋の建物を建ててでも進出したいという、コーヒー屋さんはかなりあると思われる。

そんな予感を感じさせるような、ショールームが門の真ん前にあって、通常はキッチンのショールームなのだが、ときどき喫茶店付きの展示会が行われていて、すてきな空間を提供している。大学院のゼミがM1だけになってしまったので、かなり時間を残して終了した。そこで、この展示会M氏の「木のうつわ展」を見学させていただいた。

M氏が今回の展示に至った理由に興味を持った。もちろん、「木のうつわ」展として、作品を出しているのだから、「木のうつわ」のデザインや技術をみてほしいという意図は十分に理解したのだが、それ以上に、やはりクラフトを超えて、もうすこし異なる技術を強調したいという意図が溢れているような気がした。

第1に、ビデオで制作過程を映していて、原材料の調達に特別な方法を持っていることを強調していた。ここで興味深かったのは、カラマツなどの間伐材などを集めれば、木の国である日本では、かなり材料費を節減できるのだ、ということを写していて、面白かった。そして、さらには原材料を集めるだけではなく、木工では木を乾かすことに時間がかかることも、面白い点だと思われた。つまり、木工では、お金よりも時間が重要だ。

第2に、クラフトなのに、M氏の場合には機械技術が、キーポイントになっていることが、話していて、わかったことだ。これは通常のクラフトのイメージとはちょっと異なるものだった。M氏には木工の師匠がいて、木地を薄く加工する技術を編み出した、中心人物らしいのだ。書籍も会場にあって、説明も十分にしてくださったのだ。機械を扱うことにかなり長けていることが、話を聞いていてわかったのだった。

第3に、M氏の作品が、いろいろな方面と結びついているのを感じた。まずは、このような展覧会が成立するまでには、かなりの人脈が必要であった。また、奥さんも陶芸家であって、木工と陶工とが、互いに共作できることも、ネットワークの一環らしい。このように見ていくと、ますます、職人・工人の世界というものに、疑問と同時に、多くの魅力を感じてしまうのだった。これは、何とかせねばならないが、どのようにしたら良いだろうか。

2014/10/05

映画のグランド・シャルトルーズ僧院を観る

Img_7902 映画「大いなる沈黙へ(原題も同じ)」を観る。映画に「大いなる」という題名をつけると、大いにヒットするのだろうか。「大いなる幻影」から、ずいぶんとこの題名の映画を見てきたように思う。沈黙に関しては、「大いなる」とは、どのような「大い」さなのだろうか。宣伝文は、こう語っている。

「静けさのなかに 聴こえてくる

 ふりそそぐ光の音 ふりしきる雪の音

 グランド・シャルトルーズはフランスアルプス山脈に

  建つ伝説的な修道院。

 これまで内部が明かされたことはなかった。

 1984年に撮影を申請、16年後に扉が開かれる。

 差し出された条件は、音楽なし、

  ナレーションなし、照明なし

 中に入れるのは監督一人のみ。

 そして5年後、完成した映画は大きな反響を

  巻き起こす。」

Img_7904 グランド・シャルトルーズ僧院の中に、カメラが入るのに、「16年かかった」、という広告文で、グッときて観に行った観客はかなりの数いると思う。「ほんとうの聖域」というものが無くなりつつある現代において、数少ない聖域のひとつだ。

それから、今勉強している「音」論の中で、僧院の鐘の音は、沈黙の中でも唯一調和する音として、この映画に「出演」していて、音とは何か、と考える上でも恰好の「音」映画だと思ったのだった。沈黙には、ほんとうに鐘の音が似合うのだ。互いに顔を合わせても、しゃべることをしない生活のなかで、身体いっぱい使って、縄を引っ張って鳴らす鐘の音がもっとも饒舌なのだ。

この映画では、宣伝文が語っているように、監督と僧院との契約で、音楽を使ってはいけないことになっている。それで、かえって、どのような音が出てくるのかが興味深いのだ。冒頭のシーンで、朝早く起きた僧侶が、自室で祈りを始める。すると、「カッ・・・カッ・・・」という小さく静かな音が入る。何の音だろうか。

Img_7906 会話も「音」なのである、ということを、この映画を見ると理解してくる。だから、1週間のほとんどにおいて、会話が禁止されている、この僧院の場合には、会話以上の会話を自分の中に持っていないと、あれほどすっきりした顔を持つ僧侶にはなれないのだと思う。Img_7907 映像に時々差し込まれる僧侶の顔は、充実していて、絶えず会話をしているような上気した肌の色を見せている。それは、たいへん不思議なことだと思ったのだった。その顔は、会話を許されている、日常生活の世話をしている僧侶の手伝いの人びととまた違った顔付きを持っているのだ。

Img_7911 結論は、もっとも常識的なものだった。僧院で、最も饒舌なのは「沈黙」だ、これ以外のこの映画の結論はあり得ない。

昼食は、C劇場近くの喫茶店Rで、ロールキャベツ定食とコーヒー。禁欲的な食事と、比べながら賞味した。

2014/10/04

博士後期課程が始まった

雨の予感あり。台風が来ているそうだ。大学院博士後期課程が4日のオリエンテーションからスタートした。4日には授業も行われた。新入院生は、放送大学での「社会人研究者」として、博士論文を目指すことになる。放送大学大学院は博士後期課程の第1期生を迎えた。生涯学習の新たなステージに挑む、というふれ込みで、これまで計画を練ってきた。大学の中では、10年越しの懸案だった。

振り返ってみると、放送大学のような「生涯学習」の機関で、高等な教育が本当のところ必要なのだろうか、また教養教育に「高度な」という段階は、存在しうるのだろうか。学部設立当時にも問われたものだが、博士後期課程の設立でも、このような学部の時と同じような問いかけが行われたのだった。

博士後期課程の1年次には、何と授業・講義が組まれていて、ふつうの博士課程と異なるチーム制による学生への取り組みが行われることになった。もちろん、主たるメニューは主指導教員による論文指導が中心なのだが、それ以外に専門の異なる教員が講義を受け持つのだ。今日は、その第1回目で、「特論」と呼ばれる課程が行われた。

特論では、十数人の先生方が、次から次へと、新入の院生たちへ講義を行うのだ。わたしは、言い出しっぺの責任上、先方を受け持つことにした。政治学・国際関係論志望の博士学生たちが対象だったので、経済学のそのままを話しても、本人たちがつまらないと思い、社会科学の質的研究法に関する近年の議論について、テキストを参考にして、学生たち本人の論文構想を交えながら、話をした。たいへん反応の素早い方々だったので、楽しい3時間を過ごすことができた。

いわば、ジェームス・ボンドやバットマンのような感じといえば、良いのだろうか。最新兵器や最新自動車・機器をずらっと並べて、「さあ、これで行ってらっしゃい」と送り出したような、気分だった。どのような最新兵器・機器だったかは、企業秘密だが、「直ちに論文を書きたくなってきた」と言ってくれたので、一応論文を書く旅路へ向かって、餞が無事出来たのではないかと、喜んでいる。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。