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2014/09/23

S氏の椅子についての話

Img_7747 S氏の椅子について述べようと思う。他のものとそれほど変わるわけではない。人目を引くには、材質の色もそれほどでないし、構造に工夫があるようには見えなかった。それで、話を聞くのが後回しになってしまったところがある。他の椅子については面白い話を、ここまで1時間ほどたっぷりしていただいた。短くしてしまうには、もったいないので、このたっぷり感はまたの機会、たとえば2年後のテレビ放送まで、温めておこうと思う。ここでは、三つだけ取り上げたい。

Img_7649 つまり、帰る先たって、ご本人を目の前にして、他の人の作った椅子の話だけ聞くわけにはいかないだろう。それで、S氏が他の客と話をしている間に、ようやくS氏の椅子を見つけて、坐って待っていた。

Img_7650 にこにこして近寄ってきて、この椅子の来歴を話始めた。ひとつの注文がきっかけだった。注文主が陶器の絵付け師であった。それで、絵付け作業に合わせた椅子となったのだった。長時間の作業になること、腕が自由に動くこと、立ち上がる動作に合っていることなどなど、特別な制約を考えていくと、この形になったのだというのだ。(そういえば、町で見かける椅子の中にも、このように肘掛けや背もたれを低く作っている椅子が思ったより多い。)

Img_7655 まず、長時間作業を行うと疲れがたまり、前屈みになってしまうそうだ。それで後ろの背もたれに寄りかかるのだが、そのときに背面が固定されていると、疲れがとれないので、可動式にしたとのことで、この背面は角度が自由に変わるのだ。その変わり方も、通常の背面全体が動くのではなく、背中を延ばすように変わるところが珍しい。

Img_7651 絵付け作業の自由度を高めるということで、肘掛け部分があるにもかかわらず、極端に低く作ってあるのだ。これで、左右の手の動きを制約する事がないのだ。肘付き椅子であるにもかかわらず、肘掛け部分が低いということは、むしろ特色を減じてしまう可能性があると思われるのであるが、このような仕事・作業の性質によっては、むしろありえることなのだということを知った。

立ち上がりの工夫は、ちょっとしたことなのだが、それがあると無いとでは、やはり椅子としての役割が異なってきてしまうのではないかと思われるのだった。

二番目のエピソードは、興味深いものだった。この椅子展の中に、「アドルフ」と名付けられた椅子があった。なぜアドルフなのかは、S氏も作者から聞いてないとおっしゃっていた。でもヨーロッパの古典的なベンチを思わせるような、重厚で肉厚なフォルムをしていた。ベンチといえば、聞き忘れてきた椅子が、この店の1階の入ってすぐのところにあって、二つ繋げればベンチになるが、ひとつひとつでも、椅子になる椅子があって、これはこれで、ベンチとは何かについて、聞いておきたいところだったのだが、これも次の機会にしておきたい。アドルフに話を戻すと、実際のものは新作で、アイディアの凝縮したものなので、写真に撮ることは極力避けたが、イメージははっきりした椅子だった。いずれ、ちゃんと取材の機会を得てから、お目に掛けたいと考えているのだが、じつはアドルフの重量感は、実際にみてみなければ、その効用はわからないものだろう。

つまり、ひとりで坐る用に作られていながらも、ふたり以上のベンチのようなフォルムをもっているのだ。その工夫のひとつは、「たっぷり感」にあると思われる。お尻を受ける座面の回りにさらに二重に肉厚の縁が付いている。それから、背面の木も通常の厚さではなく、もりっとした感触があるのだった。

「椅子の集団性」というものがあるとすれば、それは実際に集団が輪になって坐ることができるから、集団性が存在するのだというように考えてしまうと、集団性のあり方を誤解することになる。集団性は、集団性がむしろ抜けたところで、それを補おうとして、過剰に発揮されてくるのだ。つまり、ひとりで坐っていながら、ふたり以上の想いを乗せて、その椅子はあるのだ。

椅子の原理には、じつは恐ろしいところがあって、芸術作品で描くことがなかったことが、鑑賞者によって補われて、その作品を高めることがあるように、生活芸術たる椅子にも、じつはそのようなことがあるのだと知った。

エピソードの3番目のものが、こちらが聞くともなしに、話を二重に向けたら、よどみなく、話が出てきたので、びっくりしたのだった。この椅子展の特色は、実際に、現物の椅子に腰掛けてみることができるという点にある。それで、ひとつの椅子のところで、「坐ってみてください」と言われたのだった。そして、「足を閉じるのでなく、投げ出すようにまえで構えるように坐ってください」、というのだった。

その椅子というのが、足のない椅子なのだ。土台があって、座面があって、背もたれがずっと伸びているだけの椅子なのだ。たとえば、CD立ての横に指していくタイプのものがあって、それにかなり似ている。だから、ちょっと不安定な椅子ではないか、と思ってしまうのだが、実際にすわってみるとかなり安定している。S氏が言うには、発想は「携帯用の椅子が可能か」、というところらしいが、そこから始まって、じつは足の無い、むしろ足が無いばかりか、坐っている人の足を、椅子の足として、利用してしまっている椅子だと言ってよいのだ。このために、通常の椅子には、足が3本から4本付いているところ、土台だけで椅子が成立してしまっている椅子となっている。これも、足りない機能が、むしろプラスに働いて、椅子の過剰性を生み出している。

坐るという用途が椅子の形を決定しているというのが、通常の椅子であるとすれば、人間が坐ってはじめて、椅子という現象がようやく成立するのが、この椅子の面白いところだと思われる。

椅子展は今日が最終日なので、S氏も余裕があって、話につき合ってくださったのだと思われる。話をしている間にも、10組くらいの鑑賞者の方々が訪れて、かなりの盛況さを表していたと思われる。2年後には、さらに面白い話を取材で集めて、もう一度S氏のインタビューも採って、番組を作りたいと考えている。そのときには、ぜひ今日取り上げた椅子も写真付きで紹介できることを願っている。


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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。