« 松本の散歩 | トップページ | この夏、二回目の松本散歩 »

2014/08/24

木曽福島でセンチメンタル・ジャーニー

Img_7262 クラフト経済の取材で、木曽町で開催されている「手仕事市」を訪れている。何人かの方々への質問を考えている。再来年の論文を目指してのまだ準備段階のヒアリングなので、基本的な感触を得たいというところかもしれない。Img_7268 生産性が悪くても持続できる経済という、基本的な構造があるというところが、面白いのだ。

たとえば、滋賀からきた木工の方から、カッティングボードを購入した。この方は、経済性にたいへん意識の高い方で、商品を説明してくれている最中に、こちらの経済的な質問に適格に説明してくださった。Img_7272 曲線が上下にあり、曲線部分が台形を描いていて、さらに三つもアクセントが埋め込まれている。単なる板きれ状態から、かなりの手が入っていると観られるのだが、曲線部分などの手仕事的なところをいかにクラフト経済として成り立たせるのか、たいへん興味深い製造法をいろいろと語ってくださった。Img_7436 正方形で鉛を埋め込んだ木製文鎮の作り方も面白かった。また、窓際に設置されていた自然素材を活かしたテーブルと椅子も素敵だった。

Img_7369 ヒアリングのほうは、順調に進みそうだったので、もうひとつの目的のほうも、追究することにした。じつは、この木曽福島には、幼稚園前期時代に1年間ほど住んでいたことがある。Img_7373 当時、まだ蒸気機関車中心時代であって、東京から直接この街へ来たのだが、トンネルの多い中央線で、窓を開けていると、顔が真っ黒になった記憶がある。駅を降りると、構内には転車台があって、蒸気機関車を軽々と方向を変える様子をみていたこともある。現在は、その面影といえば、駅前の駐車場のなかに、D51が飾られていて、当時ここに所属していたと書かれていた。Img_7379 駅というシステムが、交通手段以上の大きなシステムとして位置づけられていた時代である。

Img_7381

それにしても、機関車の連結器には、感心した。社会的に言う連結器には、絶えず結合器と緩衝器とが均衡を保っているとうまく行くといつも説明している。ところが、物理的な連結器にはすでにこの両方が着いているのだ。機関車好きの人には当たりまえの話かもしれないが、目の前に実際に現れると、変に納得してしまうのだった。

Img_7273 記憶のなかで、鮮明な場所として、駅から街まで長く続く、大きな坂道があった。この坂道の上から、木曽川と谷間に広がる宿場町がパノラマのごとくにながめられたのだった。家が坂道に連なって、縦に長い構築物となっていた。木曽谷らしいというところがあって、みんな板塀だった。

Img_7279 また、その坂道に連なって、畳屋や瀬戸物屋などがにぎわう商店街が坂道の下からのびていた。商店街の中で、とりわけ幼稚園生の頭の中に残ったのが、映画館で、現在は「ろうきん」の建物になっていた。Img_7343入り口にいた捥りの方と仲良くなって、毎日のように無料で入らせてもらった。テレビの無い時代である。当時は中村錦之助の東映チャンバラ映画が最盛期で、市川右太衛門などの月形半平太ものも観ていた。母親が呼びにくるまで、友人と楽しんだものだ。

Img_7286 木曽川にかかるこの街の中心である「行人橋」に至る手前に、小路があって、奥に「H」家があり、そこに当時木曽ひのきを扱っていた父親が赴任してきて、間借りをしたのだった。駐車場で道を聴くと、偶然にもその当人が「H」家から土地を買って、家を立てた方で当時のおおよその場所を教えてくださった。Img_7299 木曽川が氾濫したあと、「H」家と木曽川の間に、立派な国道が通ってしまっていて、表面上は変わってしまっていたが、記憶の街をトレースしてみると、見事にそのままが残っていることがわかった。

Img_7302 木曽川が遊び場のひとつで、当時から澄んだ大量の水が流れていて、自然に親しみ、自然に畏怖し、そして尊敬する良い機会だった。幼稚園生のわたしには、恐れを抱かせるくらいの水量だった。Img_7304 通過儀礼で、ここで遊ぶには、対岸まで泳いで行って、また帰って来なければならなかった。それで、多くの子どもが挑戦して、何人かは必ず流されてしまうのだ。けれども、年長の子どもがちゃんと観ていて、助けてくれた。

Img_7345 資料館へ至る道を辿ると、中央線の線路が高架になっていて、その奥に時計台を設けた、わたしの通っていた幼稚園が見えた。ところが記憶していた場所と違うのだ。建物があたらしくなっているのは仕方ないとしても、建たっているところが違うのは、まずいのではないか。Img_7330 あとでわかったのだが、やはり記憶は正しくて、移転した事がわかったのだ。別れの日には、園庭からみんなが手を振ってくれて、中央線に乗ったわたしを送ってくれた。

Img_7325 じつは木曽福島は、宿場町であると同時に、木曽義仲以来の木曽家の居城のあったところで、武田信玄時代には、勢力を保っていて、三女真理姫を娶っている。木曽家が徳川に滅ぼされたあとも、長寿を全うしたらしい。Img_7322 ここの山門には立派な梵鐘があって、木曽谷のコミュニティを代表する鐘の音を響かせていることが察せられたが、残念ながら時間が無くて、音までは確認できなかった。

Img_7312 歩いていると、信州の田舎以上に豊かなコミュニティを、この福島の街は築いていることがわかった。ひとつは、尾張藩が管理していた「木曽ひのき」は、森林資源の豊かな恵みをこの土地に与えていただろう。ふたつには、「御嶽信仰」があって、日本国中から六根清浄を唱える人びとが集まってきて、宗教上の聖地でもあった。Img_7331 みっつには「木曽漆、木曽駒、蕎麦」などの特産物が思ったよりも豊富で、人びとを惹き付けた。したがって、米こそ取れなかったけれど、地元の酒や土産物屋などが栄えたのだった。

Img_7337 「手仕事市」が終了したので、取材と一緒に仕入れた戦利品を手にもって、さらに地元の漆器屋さんへ入って、最後の物色を行った。

« 松本の散歩 | トップページ | この夏、二回目の松本散歩 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/173786/60266579

この記事へのトラックバック一覧です: 木曽福島でセンチメンタル・ジャーニー:

« 松本の散歩 | トップページ | この夏、二回目の松本散歩 »

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。