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2014年8月に作成された投稿

2014/08/25

この夏、二回目の松本散歩

Img_7480 昨日は、木曽の手仕事市を観て、途中バスで到着した娘と待ち合わせて、最後は昔からある漆器の店「E」の女将さんにいろいろと話を伺う。ひとりで聴くより、ふたりで聴いたほうが、話が進みやすい。ここでは、オリジナル製品をいくつか出していて、その中で「八角箸」について話が弾んだ。

Img_7344 クラフト経済では、究極の問題として、「手作り」なのか「機械生産」なのかという問題がある。どちらが良いのかは一概には言えない。現代のクラフト経済では、むしろ機械生産も積極的に取り入れて、生産を行う人が多くなった。それで、箸については、機械生産の方が、均等ですべすべした、使いやすそうな商品が出来上がる。それに対して、なぜ手作りの箸をオリジナル製品として、この「E」では店に並べるのか、という話だ。

Img_7449 それは、写真にある、この箸なのだが、実際に持ってみないとよくわからないところがあるのだが、たしかに軽いし、癖のある箸だ。この癖にぴったり合ったら、均質のものよりも使いやすいのだ。わたしの母は、手がリュウマチで変形してしまっている。だから、通常の箸よりも、変形に合った箸が必要なのだと、かねてから理解できないでいたことが、このようなところでわかるとは思ってもみなかったのだった。

Img_7440 この店の女将さんは、わたしよりちょっと年上だと思われる。この店の前が昨日紹介した「ろうきん」で映画館だったところだ。それで、裏にあった木曽川での水遊びについて、記憶が鮮明に残っているらしい。やはり、子どもたちだけで、木曽川で遊んだという話をなさっていたから、もしかしたら、わたしと一緒に遊んでいたのかもしれない。また、いらしてください、という言葉に、思わず答えてしまいそうになってしまったのだった。

Img_7390 それで昨日は、木曽から松本へ出た。天気が良ければ、岡谷へ出て、博物館・美術館巡りをしたかったのであるが、時間が遅かったこともあって、次回に延ばすことにした。松本に着いてから、すこし休憩して、Img_7397 夕飯はいつもの鰻屋「S」へ行く。まだ閉店時間前だったのだが、すでに店が閉じようとしていた。ところが、娘の泣き落としが功を奏して、閉じる寸前のところで入れていただいた。貸し切り同然の状態で、ここもいつもの肝吸い付き「うな丼」。

Img_7405 その後、コーヒーを飲みたいということになって、近くのジャズ喫茶「E」に行く。きょうはサイトウキネン・コンサート帰りの客が流れてきていて、混んでいたが、ピアノ曲と、トリオ曲が素敵に鳴っていた。

Img_7445 松本の宿は、一度は泊まってみたかった、旅館「M」。中で使われている調度品は、ほとんどが松本民芸家具で、使って黒光りするようなものばかりだった。松本の人びとについていえば、この辺のシンシアリティについては意固地といえるほど、忠実だなといつも感心するのだ。宿の方々も、古い施設を撫でながら丁寧に使っている様子が伝わってくるようだった。英国でいえば、マナーハウスまでは行かないが、上級のBBというところだろうと思われる。

Img_7389 朝食も充実していて、川魚の塩焼きが美味しかった。夜は、大町へ帰るので、今日一日娘と一緒に、松本散歩なのだ。まずは、クラフトフェアで知った作家の器があるという、喫茶店「m」。昨日の雨で、娘の布の靴がすっかり駄目になってしまったので、駅近くの靴屋さんで、スニーカーを購入して、そこから女鳥羽川を渡り、六九町を横切って、横道に入っていく。生あん屋さんなどが残っている街だ。Img_7410 喫茶店「m」は、手作りの木の感触を大事にしている感じの店で、玄関で靴を脱ぎ、板張りの床を踏みしめながら、席に着く。郊外の一軒家という雰囲気を醸し出していて、長時間居ても良いという、落ち着いた空間だった。信州大学の学生たちは、このような店へ来て、勉強をするのだろうか。そこで勉強できるほど、長居のできる喫茶店文化を持っている土地は、仕合せだと思う。

Img_7424 昼食は、市役所そばの、以前夜食を食べに行ったことある居酒屋「S」で、おでん定食とやきとり定食。このボリュウムだ。この店も、民芸家具に満ちていて、見事に使用され尽くされている。食器も、砥部焼や益子焼などが多くを占めている。Img_7425 とくに、このテーブルには年季が入っていて、光輝いている。高校野球の決勝戦をテレビで放映していて、店の中が甲子園ムードだった。

それで、そろそろ電車の時間も迫ってきたので、Img_7458 中町通りへ戻って、今年の買い物に精を出す。真ん中辺にある「G」へ行き、お目当ての「T」氏制作のカップ&ソーサを購入する。Img_7484 この濃い藍色は新しく挑戦したものだと聞いていたが、店の方によれば、彼はずっと以前にもやはり制作していたことがあったのだそうだ。当時のものと比べてみたいとも思った。彼の制作したポットは早稲田大学のO」先生も愛用している。

Img_7395 ここでは、女将さんが木工の方の妻なので、木工事情に詳しいのだが、それで並べられているいくつかの木工品について、質問をして答えていただく。この内容は、思いもかけず素晴らしい内容だったので、おそらく再来年の授業の中で、事例として出てくることになるだろう。楽しみにしていただきたい。

2014/08/24

木曽福島でセンチメンタル・ジャーニー

Img_7262 クラフト経済の取材で、木曽町で開催されている「手仕事市」を訪れている。何人かの方々への質問を考えている。再来年の論文を目指してのまだ準備段階のヒアリングなので、基本的な感触を得たいというところかもしれない。Img_7268 生産性が悪くても持続できる経済という、基本的な構造があるというところが、面白いのだ。

たとえば、滋賀からきた木工の方から、カッティングボードを購入した。この方は、経済性にたいへん意識の高い方で、商品を説明してくれている最中に、こちらの経済的な質問に適格に説明してくださった。Img_7272 曲線が上下にあり、曲線部分が台形を描いていて、さらに三つもアクセントが埋め込まれている。単なる板きれ状態から、かなりの手が入っていると観られるのだが、曲線部分などの手仕事的なところをいかにクラフト経済として成り立たせるのか、たいへん興味深い製造法をいろいろと語ってくださった。Img_7436 正方形で鉛を埋め込んだ木製文鎮の作り方も面白かった。また、窓際に設置されていた自然素材を活かしたテーブルと椅子も素敵だった。

Img_7369 ヒアリングのほうは、順調に進みそうだったので、もうひとつの目的のほうも、追究することにした。じつは、この木曽福島には、幼稚園前期時代に1年間ほど住んでいたことがある。Img_7373 当時、まだ蒸気機関車中心時代であって、東京から直接この街へ来たのだが、トンネルの多い中央線で、窓を開けていると、顔が真っ黒になった記憶がある。駅を降りると、構内には転車台があって、蒸気機関車を軽々と方向を変える様子をみていたこともある。現在は、その面影といえば、駅前の駐車場のなかに、D51が飾られていて、当時ここに所属していたと書かれていた。Img_7379 駅というシステムが、交通手段以上の大きなシステムとして位置づけられていた時代である。

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それにしても、機関車の連結器には、感心した。社会的に言う連結器には、絶えず結合器と緩衝器とが均衡を保っているとうまく行くといつも説明している。ところが、物理的な連結器にはすでにこの両方が着いているのだ。機関車好きの人には当たりまえの話かもしれないが、目の前に実際に現れると、変に納得してしまうのだった。

Img_7273 記憶のなかで、鮮明な場所として、駅から街まで長く続く、大きな坂道があった。この坂道の上から、木曽川と谷間に広がる宿場町がパノラマのごとくにながめられたのだった。家が坂道に連なって、縦に長い構築物となっていた。木曽谷らしいというところがあって、みんな板塀だった。

Img_7279 また、その坂道に連なって、畳屋や瀬戸物屋などがにぎわう商店街が坂道の下からのびていた。商店街の中で、とりわけ幼稚園生の頭の中に残ったのが、映画館で、現在は「ろうきん」の建物になっていた。Img_7343入り口にいた捥りの方と仲良くなって、毎日のように無料で入らせてもらった。テレビの無い時代である。当時は中村錦之助の東映チャンバラ映画が最盛期で、市川右太衛門などの月形半平太ものも観ていた。母親が呼びにくるまで、友人と楽しんだものだ。

Img_7286 木曽川にかかるこの街の中心である「行人橋」に至る手前に、小路があって、奥に「H」家があり、そこに当時木曽ひのきを扱っていた父親が赴任してきて、間借りをしたのだった。駐車場で道を聴くと、偶然にもその当人が「H」家から土地を買って、家を立てた方で当時のおおよその場所を教えてくださった。Img_7299 木曽川が氾濫したあと、「H」家と木曽川の間に、立派な国道が通ってしまっていて、表面上は変わってしまっていたが、記憶の街をトレースしてみると、見事にそのままが残っていることがわかった。

Img_7302 木曽川が遊び場のひとつで、当時から澄んだ大量の水が流れていて、自然に親しみ、自然に畏怖し、そして尊敬する良い機会だった。幼稚園生のわたしには、恐れを抱かせるくらいの水量だった。Img_7304 通過儀礼で、ここで遊ぶには、対岸まで泳いで行って、また帰って来なければならなかった。それで、多くの子どもが挑戦して、何人かは必ず流されてしまうのだ。けれども、年長の子どもがちゃんと観ていて、助けてくれた。

Img_7345 資料館へ至る道を辿ると、中央線の線路が高架になっていて、その奥に時計台を設けた、わたしの通っていた幼稚園が見えた。ところが記憶していた場所と違うのだ。建物があたらしくなっているのは仕方ないとしても、建たっているところが違うのは、まずいのではないか。Img_7330 あとでわかったのだが、やはり記憶は正しくて、移転した事がわかったのだ。別れの日には、園庭からみんなが手を振ってくれて、中央線に乗ったわたしを送ってくれた。

Img_7325 じつは木曽福島は、宿場町であると同時に、木曽義仲以来の木曽家の居城のあったところで、武田信玄時代には、勢力を保っていて、三女真理姫を娶っている。木曽家が徳川に滅ぼされたあとも、長寿を全うしたらしい。Img_7322 ここの山門には立派な梵鐘があって、木曽谷のコミュニティを代表する鐘の音を響かせていることが察せられたが、残念ながら時間が無くて、音までは確認できなかった。

Img_7312 歩いていると、信州の田舎以上に豊かなコミュニティを、この福島の街は築いていることがわかった。ひとつは、尾張藩が管理していた「木曽ひのき」は、森林資源の豊かな恵みをこの土地に与えていただろう。ふたつには、「御嶽信仰」があって、日本国中から六根清浄を唱える人びとが集まってきて、宗教上の聖地でもあった。Img_7331 みっつには「木曽漆、木曽駒、蕎麦」などの特産物が思ったよりも豊富で、人びとを惹き付けた。したがって、米こそ取れなかったけれど、地元の酒や土産物屋などが栄えたのだった。

Img_7337 「手仕事市」が終了したので、取材と一緒に仕入れた戦利品を手にもって、さらに地元の漆器屋さんへ入って、最後の物色を行った。

2014/08/18

松本の散歩

Img_7075 母と妹が東京へ帰るので、コミュニティバスと大糸線を乗り継いで、松本駅まで送っていく。昨日まで、豪雨の中の生活を続けていて、東京へ戻るときに、こんなに晴れて、何と巡り合わせの悪い親子でしょうか。せっかく、田舎まで来て、家に閉じこもっていただけだとは情けないというので、昨日は雨模様だったのだが、一番近い温泉宿の露天風呂を借りに行った。

Img_7036 わたしのほうは、誰も入っていないで、貸し切り状態だった。露天風呂の半分には屋根があるが、半分は雨ざらしで、頭に大粒の雨を受けながらの露天風呂も、いつもと違った趣があって良い。

Img_7034 というように、雨の中でも工夫次第では、自然を楽しめるのが、田舎の良いところだと思う。帰りに、いつものように壜牛乳を飲んで、妹は按摩機にもかかっていて、ここまで楽しめば、もう今年の夏に思い残すこともないだろう。あとは、極暑の東京で頑張ってくれ。

Img_7136 さて、松本駅では、母の面倒をみて、買い物を手伝い、宅配便で送る手配を済ませ、コーヒー屋さんで相手をして、妹が街中の買い物から帰ってくるのをまった。母の買い物は、Kのクッキーと、S飴のまめ板と、杏子のお菓子数種類と、O堂のくるみ餅1箱・・・と止まるところを知らない。10件ほどで、打ち切ってもらった。改札口前のコーヒー屋さんでは、仕事。田舎では、インターネットの容量が制限されているので、松本へ出るときにまとめて事務的なメールを済ませてしまう。だから、数日に一度は、この街に出ることにしている。母と妹と別れて、ようやく街へ向かう。

Img_7168 ところが、駅を一歩出たところで、この日差しに参ってしまった。忘れていた太陽が、ここぞとばかりに照っている。途中、蔵作りの古本屋さんがあって、ちょっと覗いただけなのに、呼び止められてしまった。ポスターをくださるというのだ。それで、最近の古本屋業について聞く事にした。昔の客の多くは、信州大学の学生たちだったとのことだ。床に座り込んで、ずっと読んでいったらしい。けれどもな・・・と、最近の学生は来ないのだそうだ。社会科学分野のところには、みすず書房や法政大学選書などが、奇麗に並んでいた。

Img_7172 古本屋の隣りにある、いつも寄るギャラリーKでは、常連の作家たちの陶器・磁器が並んでいて、目の保養をさせてもらった。ここを過ぎると、中町通りはすぐなのだ。けれども、暑さというよりは、日差しの強さに参ってしまう。日陰を選んで歩くことする。

Img_7174 久しぶりに、角のランプ屋さんへ入る。輸入品の照明器具がほとんどで、わたしなどが購入できるような安価なものはあまり無いのだが、見ているだけで、ヨーロッパへ行ったような気にさせてくれる。イタリア製のランプ・シェードがあって、白いガラスに青い線が入っているもので素敵だった。Img_7173_2 きっかけをつかんだので、ここでも値段談義を一刻させていただく。輸入品の場合には、やはり出品者に主導権があって、ほとんど言い値で購入するのだそうだ。だから、粒は揃っているのだが、そのかわり高めの価格決定がされてしまうらしい。

Img_7183 写真は店内禁止だったので、この奇麗なシェードを見せることはできなくて、残念ではあるが、この値段は7800円だった。これなら、他がみな3万円以上しているランプ群に比べて、妥当で、手の届く値段だと思ったのだ。ところが、それだけで終わらないのが、商売というものだ。天井から吊るす付属品の鎖や、留め金類を付けてしまうと、やはり2倍以上の値段になってしまう。Img_7179 装飾品というものには、このように本体はそれほど高価なものでなくとも、周辺のものまで込みで、全体の値段が決まってくることが常套手段として行われているのだ。付加的な仕事が必ず付いてきて、さらに付加価値がそれに字義通りに付いてくるのだ。

Img_7188 中町通りにある、いつもの「C」で、毎年1客ずつ買い足してきたカップ&ソーサーを今年も1客購入した。それでいつもは素っ気ない店の女主人のかたも、今日はとても機嫌が良さそうだったので、昔話を少しばかり。以前にも、書いたことだが、わたしたちの結婚の引き出物は、当時ここで売られていた木製の額を選んだのだ。現在も、木製額は売られているのだが、まったく別物で、当時の額はうっとりとするほどのものだった。「かまぼこ」のような盛り上がった、重量感ある額の木について、しばし話した。今はすでに故人になってしまった木工が作っていたのだ。注文を出すときに、やはり最初にこのような感動した部分がないと、自信を持って、注文は出せないだろうと思ったのだった。この額に紺色の布地のものを入れて飾ると、壁の白さがぐっと引き立つ。

Img_7203 店のガラスの部屋を歩いていると、何気なく、砥部焼の中皿がおいてあった。砥部焼の太い藍色の線が荒々しく、白磁に引かれていると、それだけで朝の目覚めに効果的なのだが、今日の砥部焼はちょっと違っていた。むしろ、藍色の線は限りなく細くて、均等にすっと次の線まで伸びている。絵の具を置くような、こんなに繊細な絵付けは砥部焼では、観たことがなかったので、といってもそれほどわたしが詳しいわけではないので確かなことは言えないが、それでも素人目にも、かなりの手だれが描いたものであることがわかった。この線を描いているところが、目に浮かぶようだった。

Img_7187 これで十分に満足したので、そのあとは喫茶店「M」で、しばらく読書。これほど、混んでいるにもかかわらず、ずっと静かにしていると、何時間でも時間が流れていくような、喫茶店は珍しい。追い立てを食らうことは、決してないという安心感がある。だから、地元の人も、観光客がいくら来ようと決して、席を占めることを止めないのだ。この誰でも受け入れて、しかも、長居できる雰囲気は、この「M」ならではのものだと思う。

Img_7195 コミュニティバスに間に合うための、大糸線の最終電車の時刻が近づいてしまった。ここからだと、喫茶店「L」を経由して、またまたすこし買い物をして、北松本から乗っても同じではないかと思って、すこし距離はあったが、ゆっくりと歩いた。日差しが強くて、用心のためのサングラスが十分に役に立ったのだった。

2014/08/08

今年も野菜尽くし

Img_7035 信濃大町駅へ着き、いつものように駅前で買い物を済ませて、そのあとT家に挨拶に行く。けれども、あいにく留守で、声を掛けるだけで、そのまま田舎の家へ。5s5wq 途中の定点観測の場所も、今年も健在で、雨模様のなか迎えてくれた。それにしても、あのブルーのペンキは、誰が何時、塗装するのだろうか。このように塗装するからには、何らかの用途があるのであろう。一体何のための小屋なのだろうか。永遠の謎のまま、今年も通り過ぎる。

Img_7012 傘をさして、舗装されていない道を辿って、玄関へ辿り着く。と、そのあとを追って、T伯父さんが野菜を持って訪ねてくださった。それで、家の中が、急に野菜の鮮やかな色が溢れてきたのだった。

Img_7014 トマトはいつもながら、まっ赤に熟れていて、ただちに食べてくださいとわたしを誘う。そして、緑のキュウリも負けじと、皿に乗ってきた。インゲンは、茹でて、これもすぐ食卓に乗った。アスパラは青いが、すでに食べごろで、筋はほとんどない。

Img_7123 温泉の入り口に立つ、野菜市から、今年もリンゴを買ってきた。昨年は、お盆の供え用のものを買ってきてしまって、Img_7121 ほとんど食用にはならなかったが、ことしは当たりで、青リンゴ特有の酸味の効いた味で、皮ごとかぶりつくのに適していた。

Img_7229 さて、今年の野菜尽くしで一番気に入ったのは、T家の漬け物だ。たぶん、浅漬けの一種ではあると思われるが、漬け物に使う汁はかなり濃厚なのだ。Img_7013 けれども、相手は、写真にあるような人参なのだ。色鮮やかさだけではない。食感もぱりぱりして気持ちよいのだが、それ以上に、人参の味が良く出ているのだ。

Img_7023 信州に育って、じつは小さなころは野菜嫌いだったのを思い出した。教育ということがもっとも効果的だったのは、わたしに関して言えば、野菜嫌いが野菜好きに転換したことだった。この転換が起こったのは、幼稚園時代だ。Img_7041 お弁当にいつも野菜が入っているのだが、何かのきっかけで、人参の味噌漬けを食べて、それが美味しかったと思い込んだのだった。このことから、好きになることの効用を、脳の中に植え付けた、というわたしにとって重要な事件が、起こったのだった。

2014/08/07

面接授業の二日目

Img_7008 長野学習センターは、駅前のプラザビルに入っている。けれども、隣りにあった老舗の丸光百貨店が閉店してしまい、名店街もすっかり寂びれてしまって、さらにビルの老朽化が進んでいる。昨日の講義でも、空調が効かず、また窓のない講義室は、あまり居心地が良くなかった。なぜか神戸や和歌山などの関西からも学生が来ていて、せっかく涼しいところに来たはずだったのに、と言っていた。センターの職員の方に伝えたところ、早速あちこち働きかけてくださって、涼しい風を遠くから回してもらって、何とか事なきを得た。職務とはいえ、職員の方にお礼申し上げたい。

Img_7010 そういえば、かなり昔になるが、神奈川学習センターの空調設備が真夏の定期試験の監督最中に、半分の講義室でダウンしてしまったことがある。暑さという感覚は、個人差があって、中には30度を超えるとまったく頭が回らないという学生が出てきて、試験を延期せざるをえない寸前まで、問題が拗れた事があったのだ。試験室を替えるなりして、急場を凌いだことを思い出した。わたしも暑さには弱い方だが、それはそれで、滅却すれば何とやら、という方法も身につけていて、このような時には重宝している。この方法を知らない方々はたいへんだと思う。

Img_6968_2 それで、長野学習センターの入っている、このビルも再開発で建て直す事になり、建てている間は、近くの文化会館にバラック建ての校舎を建てて、引っ越すことになったらしい。移転の準備と、通常の業務と重なって、事務長さんをはじめ事務の方々も、腰に工事用具入れをさげて、奮闘なさっていた。

Img_6961 今日の昼食も、昨日行った一軒家の隠れ喫茶店「I」で済ます。今日のメニューは、冷しゃぶだった。この店には、古伊万里や古道具などが並べられて、骨董屋も兼ねている。その中で、壁を占めているのは、近郷の絵描きさんたちの絵画である。ちゃんと値段がついている。失礼。小さな号のもので、1万円弱。すこし大きくなると、油絵で3万円くらいする。さらに、ちょっと素敵だなと思う絵には、当然ながら、値段が付いていないのだ。Img_6964 今年から来年にかけて、値段について考えることにしているのだが、この値段のついていないところに、なぜか感動してしまったのだ。もちろん、商売として、値段を付けずに置いて、交渉次第という意思表示であるという意味はあるのだが、じつはもっと奥深いところで、値段を付けられないということがあるかもしれないな、とふっと思ったのだった。絵の値段ほど、不思議なものはない。

Img_6958 問題は、喫茶店「I」だと思う。じつは、冒頭に書いたように、駅前ビル群が再開発で建て替えになるのだが、もし幾何学的なデザイナーであったならば、この区画全体を再開発したいと考えるだろう。近代的な思考としては、大規模に開発する事が経済原則上鉄則と言ってもよい。そのなかに、素人目にみても、この喫茶店「I」が含まれてしまうだろう。たぶん、その綱引きがおこなわれているのだと想像するのだが、当事者でなければ、そこのところはわからないのだそうだ。わたしとしては、昨日の喫茶店「J」のこともあるので、この喫茶店「I」だけは残ってほしいと思うのだ。

Img_6967 良い兆候といっては、開発者から怒られてしまうのだが、プラザビルの地権者が古くからいて、その数がたいへん多いらしい。それで、個別に交渉が進んでいるらしい。Img_6920_2 もしその中から喫茶店「I」保存運動が持ち上がるならば、すこしは残る可能性は出てくるのでは、と傍目からみている。ぜひ残ってほしいと思う。長野学習センターで授業を行う、ひとつの魅力になっているのだから。

9 毎年恒例となった墓参りを済ませて、これも恒例となった鰻屋さんへ出向く。10 昨年は、鰻の高騰で客足が悪かったが、今年は満員で、家族連れから仕事仲間まで、たくさんの客を集めていた。11 諏訪湖の花火大会が近いことを知らせるかのように、小さな小さな花火大会が15分だけ、夜空に響いていた。

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2014/08/06

協力の記憶

4 今日から二日間約11時間かけて、長野学習センターで面接授業を行う。この学習センターでは、毎年授業を受け持っているので、昨年と異なる授業を心がけている。今回は今年の継続したテーマである「協力論」を取り上げた。6月に愛知学習センターの授業でこのテーマを取り上げたが、後半になってから時間が足りなくなってきてしまったので、このときの授業とは後半ちょっと違う構成を考えてみた。

まずは、学生の全員の方々に、協力活動を行った「記憶」を掘り起こしてもらった。ここは前回の愛知と同じだが、内容で異なる、いくつかの面白い例が挙げられた。直接、そのままを述べるわけにはいかないのだが、差し障りの無い範囲で言うと、たとえばこのような記憶はたいへん興味深い。

ある学生の例だ。小学校の図工の時間に、グループで大きな絵を描いた経験があったそうだ。分担して書くのだが、それぞれ個性があって、一つの絵を別々の部分に分けて描くのだそうだ。それで、全体を統一しているのは、背景の色であるということになるのだが、たまたま絵の具に手が届かなくて、また取ってくれと言えなくて、異なる背景の色になってしまったのだそうだ。それで、この大きな絵を皆で観たときに、自分の描いたところだけ、違っていて、「協力」出来なかった、と思ったそうである。

面白いな、と思う。つまり、協力は多くの場合に、このように暗黙の作業プロセスとして存在していて、最後になって、急に協力が現れるのだ。本人は、これは失敗だ、と思い込んだのだそうだ。けれども、ほんとうにこれは失敗だったのか、とわたしは思う。

5 じつは、わたしも幼稚園時代に絵画教室に通っていて、「深海の絵」を皆で描いたことがある。この時の背景のことを考えると、深海の藍色には様々な色があって、部分的には桃色を描いた人も居た。けれども、そのおかげで絵が多様に輝いて、大きな絵のなかでは、それはそれなりに色の組み合わせとしては、モザイクみたいで大成功であったと、わたしは思ったのだ。

6 何が、協力の成功で、あるいは失敗かは、極めて微妙な問題なのだ。もしその学生が失敗だと思っていて、何十年か経って、今でもそれが記憶に残っているのならば、それは、そのときに言葉に出すことが出来なかったという点に尽きるのではないかと、思われる。ちょっと使わない論理だが、その学生が改めて、今回の授業のなかで、そのことが記憶に残っていたことを言葉に出して、皆に知らしめたことで、この時の「失敗」は、十分に「成功」に転換されたのではないかと、わたしは思っている。

8 以上の例は、極めて内省的な例なのだが、これ以外に積極的と思われる例もたくさんあった。スキューバーダイビングを若いころから行っていた学生の方がいた。結婚して、子どもができると、なかなか子どもを連れて潜るわけには行かなくなったらしい。それで、ネットで仲間を呼びかけ募ると、ネットワークができて、持ち回りで子どもの面倒をみてくださることになったそうである。これなどは、十分に「弱い絆の強さ」の事例であって、「協力」の授業を展開するには、好都合の事例となった。

時代を反映して、介護にかかわる協力活動は、これも多くの事例が挙った。わたしのラジオ講座でも、板橋区で活動している介護チームを取り上げたのだが、今回長野の介護チームを形成しているケア・マネジャーの方も参加してくださった。実例を聞きながら、授業を進めることができるのは、放送大学の魅力のひとつだと思う。

7 さて、昼食となって、今回は水曜日に当たっているために、いつもの一軒家の喫茶店「I」には、ゆうゆうと行くことができた。いつもは、日曜日の定休日などが挟まれるため、なかなか毎日通うことは出来ないのだ。きょうのランチは、焼き豚だった。

Img_6909 喫茶店といえば、今日の授業が終わって、昨年見つけた静かな、蔦の絡まる喫茶店「J」へいくと、蔦が取り払われていて、コーヒーの香りの少しも残って居なかった。どこかへ移転してしまったらしい。昨年の写真も取り出してみた。0806 ビル・エバンズの「デビィのワルツ」が掛かっていて、落ち着ける雰囲気のところだっただけに、ほんとうに残念だ。街の衰退は、このようなところから、ぼろぼろと始まっていくのだ。

Img_6947 夕飯は、信州の野菜ときのこをたっぷり使った洋食屋さんへ行った。マッシュルームのバターとニンニクを効かせた鍋焼きがおいしかった。Img_6948 魚や肉よりも野菜の味に感動した。

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2014/08/05

いよいよ信州へ

Img_6908 今日の気温は、35度になる。ここ数週間、横浜の家の3回目になる大改修を頼んでいて、妻が気にしていた雨漏りや、約十年毎に行っている外壁のペンキ塗り替えもようやくに終了したところだ。

昼頃には、足場屋さんが来て、鉄骨の立派な足場を撤収していった。足場には、簾のような被いがかけられていて、家全部をすっぽりと包んでいた。夏に全部を覆ってしまうと、風の通りが悪くなって、蒸し暑くなるのかと思っていたが、まったく逆で、この簾が日よけの代わりになったために、直射日光が遮られて、家の建物自体の温度の上昇を食い止めていたらしく、かえって涼しいのだった。

これは、意外な発見であった。もしこれだけの効果があるのであれば、ペンキを塗り替えるよりも、家全体の簾を買い求めた方が良かったのかもしれない。足場屋さんの真っ黒に日焼けした顔は、爽やかだった。

新宿から中央線特急あずさ号で、上諏訪へ。新宿へは、横浜から湘南ラインで30分くらいなのだが、最近多くなった人身事故と重なり、予定よりも遅れて到着。いつものように、コーヒースタンドでポットにLサイズを入れてもらって、電車に乗り込む。

それにしても、最近のチェーン店系のコーヒーは味が落ちたとしか言いようがない。これだけ店の数が多くなると、同じ味を保つことがほんとうにできるのだろうか、と思ってしまう。牛乳を沢山入れて、カフェオレ、ラテにして出せば、コーヒーの味とは関係なしにコーヒーを売ることが出来るかもしれないが、それではコーヒーの味とはなにか、ということになってしまうだろう。

何か、根本的なところで、おかしなことが起こっているのではないだろうか。ちょっと前までは、コーヒースタンドにも独立系の店があって、独自の味を出していたのだ。

Img_6912 途中、土産物などの買い物をすいすいとこなし、とびっきり暑い世界に「さらば」を告げ、完全に日向のホームを蹴って、電車に乗り込んだ。相変わらず、勝沼の葡萄は美味しいワインを想像させ、緑濃い稲の波を何度か乗り切ると、盆地の山並みに夕陽が沈み、上諏訪に到着したのだった。

2014/08/04

試験の採点日とビール

Img_6901 試験の採点を今日一日で済ませてしまわなければならない。今回、当初8月1日に採点日を計画していたが、急に幕張へ行く用事が出来てしまい、またいつも一緒に採点を行うのを助けてくださっているF先生の都合も悪く、結局今日になった。明日には、すでに信州へ旅立つ準備を進めていたので、やはり今日済ませるしかないのだ。

答案の枚数は、一日で済ますことのできる量であるのだが、注意すべきはこの暑さである。答案を段ボールに詰めて、持ち上げた途端に、相変わらず大袈裟なことではあるが、坂道が急になったように感じ、さらに目眩のする気がした。もし答案を持つ手が腱鞘炎になったり、運んだために心臓病になったりしたら、このところ研究室にたびたびいらっしゃっている、放送大学の産業医の方に相談すべきことなのかもしれない。笑い事ではないと言いつつ、にやにやしていたら、妻に注意を受けた。

Img_6905 ちょうど本屋に注文していた本が届いていたし、図書館から夏休み用の本もかり出さなくてはならないので、それらを済ませつつ、待ち合わせ場所へ急いだ。F先生が、Tシャツを汗でびっしょりさせて、現れた。ちょっと痩せて見えたのだが、やはりこの暑さのせいで、坂道を毎日登っているそうで、脂肪が取れてむしろ健康になったとのことだ。精悍になったと言われたいらしいのだ。

昼頃になって、採点作業の中間報告を互いに行うことになっていたが、なぜかわたしは大幅に遅れてしまった。新刊本を片手に置いていたのが悪かったなどと言うつもりは無いし、図書館で作業していたのが悪かったなどとも言うつもりはないのだが、遅れたのは事実だった。それで、13時過ぎになって、F先生の作業している部屋を訪れると、わたしより余程進んでいる。それでは、と言って、同じ部屋で採点作業を行うことにして、それでペースを掴んだらしい。予定通り、無事済ますことができた。これは採点作業を行ったことのある方であればわかるのだが、ふたりの共同作業で行うメリットが、採点作業にはあるのだ。とりわけ、採点の確認を一人で行うほど馬鹿らしいことは無いのだ。時間は掛かるし、間違うし。世の中に、ひとりより、ふたりの方が良い協力活動の一例が、ここにある。このように苦労ばかり書いていると、採点は苦痛のように聞こえてしまうのだが、そうとばかり言えないところが採点の面白さなのだ。採点も相手のある作業であるという点は見逃せない。思いもしなかったことが書かれている答案に遭遇するのは楽しみだ。

Img_6894 前回は、K宅配便で送付して済ませたのだが、なぜか今回答案に同封されていたのは、J宅配便の伝票だった。それで、ちょっと遠回りであったが、横浜駅近くにある大きな郵便局から、「セキュリティ便」で早速放送大学本部へ送り返した。

Img_6898 そして、馬車道に出て、沼津から進出してきているいつものビール屋さんで、イングランド風エール「アングリー・ボーイ」で乾杯したのだった。写真にあるように、最近になって、ここの肉料理が充実してきた。ビーフ・ジャッキーをワイルドにし、量を多くした風の料理が美味しかった。F先生は、明日も朝早くから、勉強しなければならないことがあると言って、慎ましい食事を後にして、自宅へ戻って行った。お世話になりました。

2014/08/03

試験監督の最終日

試験期間も、そして試験監督も、今日が最終日だ。けれども、今日が日曜日だけに受験生たちの人数は、試験期間中で最高の数に登っている。神奈川学習センターだけで約5千人弱の人びとが一日で押し寄せる。だから、学習センターの廊下は試験時間を待つ人びとでいっぱいだ。日本全国でも、神奈川学習センターの約10倍の受験生がいると概算できるので、ちょっとした祭りイベント並みの人数が動員されていることになる。ご苦労様です。

試験監督時間には、試験会場に一度入ってしまえば、ときどき見回る以外には、とても暇な時間を過ごさなければならない。受験している方がたは、必死の形相で取り組んでいるので、こちらも心して、真剣な態度は絶やさないことにしている。いつも監督を手伝ってくださる、横浜国立大学の大学院生たちのように若い人びとには、たいへん退屈で厳粛な時間をお付き合い願うことになる。かつては、試験監督を行っている間に、論文が2本書けるとか、3本書けるとか豪語していたけれども、近年は監督に没頭しなければならない規則になってしまって、退屈さを回避するのは並大抵のことではない。とはいえ、頭の中までは試験規則に統制されることは無いので、文献もメモもまったくない状態で、頭の中だけで論文の構想を練るという、たいへん楽しい作業を行っている。もちろん、外見から察知されないように心がけつつも行うところが、たいへん難しいのであるが。

それでかえって、何も見てはいけないという制約があることで、想像力のほうが発達することも、もしかしたらあるのでは、と淡い期待を持ちながら、1時間、1時間を過ごしていく。そうすると、作業の進むことこの上ないのだ。錆び付いた頭をいかにリフレッシュできるか、年取った者だけの楽しみなのかもしれない。

休憩時間にセンターの試験実施本部へ戻ると、センター所長のI先生がいらっしゃって、S君の出版した『喫茶店の伯父さん』という詩集を持って、職員の間に回覧していた。S君は、わたしがこのセンターで学習相談を行っていた当時からの常連で、統合失調症を抱えながら、作業所の仕事に通っていた。もう潰れてしまったが、横浜の古いホテル「バンドホテル」にかつては勤めていた、という話も聞いたこともある。当時から、自分を詠った詩を原稿用紙に鉛筆で書いて、センターへ持ってきていた。わたしが『神奈川学習センターだより』の係を受け持っていたので、数回に渡って、載せさせてもらった。この本のページを捲っていたら、当時作られた詩もこの本に転載されていて懐かしかった。突然居なくなってしまった友人や、過去や将来の自分を詠んだ詩には、真実が宿っていた。アマゾンでも購入できるそうなのだ。


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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。