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2014/07/04

講義が終盤に近づいて、夜には映画を

Img_6675 K大学での講義が終盤に近づいて、そろそろ学生たちも、最後のまとめを求める時期に来ている。参考文献を自分で探してもらうことを、例年行っていて、講義だけに縛られない自由な発想を養ってもらう工夫をしている。こちらから、こんなことを言うのはおこがましいのではあるが、自分自身が学生のときに、やはり自由論題の科目で苦労して良かったという思いがあって、取り入れているのだ。図書館へ帰りに寄ると、わたしの科目を取った学生たちが、書棚の前でいろいろな書籍を渉猟していた。十分に悩んで、1ヶ月後の試験に臨んでいただきたい。

Img_6676 講義が終わった後、生協書籍部へ頼んでいた本を二冊と、予てから検索しておいた図書館の本九冊を持って、桜木町のBシネマへ出る。時間がなかったので、途中の東神奈川のパン屋さんから、カレーパンとカスタードのパンを買って、映画館で空いた腹をすこし埋めて、開始を待つ。

それにしても、どういうわけか、今日のこの映画は上映最終日なのだが、女性客が圧倒的に多く、しかも一人客なのだ。Img_6677 複数で入ってきたのは、仕事帰りの女性5名客だけで、カップルはまったくいない、という珍しい客層の映画なのだった。それはおそらく、映画評のせいなのだろう。酷い方では、長くて退屈というのと、良い方でも、複雑で理知的などという、金輪際観たいという意欲を挫くような批評しか乗っていないのだ。最近の女性は逞しい限りなのだが、このようなミステリアスな映画が好みらしい。

Img_6684 今日の映画は、ハギス監督の「サード・パーソン」だ。パリ、ローマ、ニューヨークを舞台に3組の男女、ピュリツアー賞の小説家「マイケル」と愛人「アンナ」、ビジネスマンの「スコット」と娘を誘拐されたと言うロマの女性、元女優「ジュリア」とその元夫である画家「リック」の物語が複雑に交錯する映画だ。フランスのホテルで起こっていることなのかと観ていると、いつの間にか、ニューヨークのホテルの出来事となっているのだ、なぜこんなに交錯するのかについては、それぞれ観ている観客の側に特別な解釈が必要なのだ。

この映画の場合、じつは題名に惹かれて、見に来てしまったのだ。まったく関係ないのだが、数ヶ月前に読んだ本「サード・プレイス」のイメージが強くて、ファースト・プレイスが家庭、セカンド・プレイスが職場、そしてサード・プレイスがあるのと同様にして、どうしてもファースト・パーソン、セカンド・パーソン、そしてサード・パーソンとは誰なのかが気になってしまう。

三つほどの解釈が成り立つだろう。第1に、3組の男女がそれぞれパリ、ローマ、ニューヨーク出ていて、それぞれの男女には、第三の人が絡んで出てくる。小説家には、愛人の男。ビジネスマンには、女性の娘を誘拐した男。そして、元女優には、元夫の現在の妻だ。それぞれの男女には、サード・パーソンが現れてくるのだ。という解釈はいかがだろうか。

第2に、三組のそれぞれの男のほうには、独特の特徴がある。もしビジネスマンがファースト・パーソンならば、騙されてもなお「信頼」を尽くす男として登場している。そして、もし元女優の元夫がセカンド・パーソンならば、真実を話しても決して信用することのない「懐疑」の男が彼だ。そして、サード・パーソンはこの映画の中核を担ってきた小説家のマイケルだ。信頼できそうに演じていて、しかし信頼を得ることができない男として描かれている。彼こそ、ビジネスマン、元夫に続く、サード・パーソンだ。

第3の解釈は、この映画の成り立ちすらも揺るがしてしまう解釈だ。この映画は3組の男女を描いているが、じつは中心は小説家「マイケル」と愛人「アンナ」の物語であって、もう2組の男女は、小説家の描いた小説の中の登場人物に過ぎない、という解釈だ。まず、小説家マイケルには、実際の妻との間に存在するファースト・パーソンたる第1の「マイケル」がいる。つぎに、愛人との間に存在するセカンド・パーソンたる第2の「マイケル」がいる。そして、これらの関係を観ているサード・パーソンたる小説家としての第3の「マイケル」がいるのだ。

Img_6686 さて、どのようなサード・パーソン像が妥当なのだろうか。わたしの趣味をいうならば、最後の解釈だ。書き物を行っている者として、最後に残るのは、実際の人間関係なのではなく、小説の内容における人間関係なのだ、という思いが強く出るのだ。手の込んだことに、この映画の中で、姿なきサード・パーソンからの3回ほどの、つぶやきを入れているのだ。小説家の背後に、すこし離れたところから、「Watch Me!」とつぶやくサード・パーソンが存在する。そして、このサード・パーソンは、ファースト・パーソンの関係やセカンド・パーソンの関係を破壊する力を発揮してまで、自己保存の激しい性格をもっているのだ。自分の中の、恐るべき「サード・パーソン」なのだ。

Img_6687 目に見えない人物を描くのは、極めて映画的な作業だ。サード・パーソンは、まさにあなたの中にいて、現代の特徴的な個人の在り方なのだ、ということで、久しぶりに映画的な映画を堪能したという気分なのだ。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。