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2014/06/13

何かを受け取ると、同等のものを失わなければならないということ

Img_6408 映画「嘆きのピエタ」を観る。ミラノにあるミケランジェロの「嘆きのピエタ」をみたことのある人は、そこから無限の人間の在り方を想像することができることは知っている。とりわけ、母子関係を描いて余すところがないのが、この「嘆きのピエタ」だ。Img_6409 映画のなかに、それが出てくる訳ではないが、日本語の題名を付けるにあたって、母子関係の「嘆きのピエタ」だと担当者が想像したとしても、それは不思議ではない。良い題名付けだったと思われる。

Img_6410 映画には「不思議さ」が必要なのだが、この映画の「不思議さ」は、因果応報というものが「復讐」を巡って起こると考えているところだ。ふつう、復讐は悪事の結果なのだということであれば、単なる因果応報なので、そのままで不思議はないのだが、この映画の場合には、因果応報がもっと深いところに設定されている。そんなことはほとんど起こらないという状況のもとでも、もしからしたそうかもしれない、と思わせることができたとすれば、それはそれで素敵なことなのかもしれない。Img_6411 映画的状況がうまく現れている映画だ。その復讐が母を失うという感情を土台として現れてくる。相手に植え付けてダメージを与えるという、捨て身の復讐なのだが、これは真実かもしれないと思わせられるのだ。

「嘆きのピエタ」のモデルは、子どもに寄り添い、あるいは親が子どもに背負われているという同時的な、「貸借関係」を実現している像だと考えることができるが、この寄り添い、背負う双務関係を逆手にとって、あたかも寄り添い・背負い関係が存在するかのような状況を創り出し、この感情を失われた時のダメージを復讐と考えているのだ。これは、古い感情でもあり、それに似せかけることで、極めて新しい考え方となっているのだ。

Img_6412 出張では、映画を観る、ということで、名古屋の名画座「K」に入った。コンサートホールのような奇麗なガラス張りのビルだ。明日の朝からの面接授業が愛知学習センターであるので、前日に名古屋入りした。けれども、すでに講義の準備は終わっているので、手持ち無沙汰なのだ。このようなときに、近くに映画館があるというのは恵まれた出張だといわなければならない。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。