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2014年6月に作成された投稿

2014/06/29

博多近辺を歩き回る

Img_6603 今日こそは、雨が降るのかと思っていて、そとへでるのを躊躇っていたら、どんどん良くなって行く。それで、予定通り九州の芸術関連の大学図書館へ出かけることにする。Img_6594 宿をとっていた天神から西鉄電車で、昨日の白木原へ行く途中駅である大橋で下車する。

大学構内には、芸術関連の展示がたくさん有り、もし図書館が開いていれば、それなりの成果が得られたであろうが、何ということであろうか、今日は臨時休館日に当たっていた。Img_6597 国立大学の図書館で、日曜日に休館であるところは、最近になく珍しい。ちゃんと調べなかった自分の迂闊さを恥じたのだった。

Img_6610 今、「音」についての社会的現象を追っている。そのなかでも、最初の意図からはちょっと外れてきているのだが、「鐘」について遠回りして、興味を持ち始めている。Img_6614 ベルというのか、チャイムというのか、日本における鐘は、随分曖昧で、両方の意味で「鐘」と呼ばれている。音響学が充実していると聞いている、この大学図書館で、文献を探してみようと思っていたのだが、今日はお休みだったのだ。Img_6624 それで、二つ目の目的地である九州国立博物館へ行くことにした。首都圏と関西圏では放送大学はキャンパス・メンバーズの会員になっていて無料なのだが、この九州地区でも福岡学習センターが入っているらしく、入館料は署名だけで済んでたいへん有り難かった。こちらへ住んでいたら、足しげく通いたいところの一つだ。

偶然ということは、起こるから不思議なもので、じつは日本最古の鐘は、この国立博物館近くの太宰府内にあるのだ。Img_6625 太宰府の「観世音寺」に残されている鐘が、京都の妙心寺と並んで、日本最古の鐘ということになっており、7世紀に作られていることを知った。それは、今日特別に展示されていたのが、日本で二番目に古く、9世紀前半に作られたとする鐘であり、そこから一番古い鐘がわかったのだ。

Img_6628 もちろん、日本には銅鐸文化というものがあったのだが、銅鐸が当初は形からして鐘の一種として使われていたと想像できるが、やはり途中から、「音」の意味合いが少なくなって、祭事的なシンボルになっていったと思われる。Img_6634 どう見ても、銅鐸は全体の形は鐘であっても、音の響きからは、遠ざかって違う方向へ進化してしまった感じがある。これはこれで、面白い点があるのだが。

Img_6637 それでは、なぜその次の時代の「鐘」文化が太宰府辺りから始まったのかが問題になるだろう。それは、普通の考え方であれば、やはり仏教との関係が深いということになるだろう。Img_6640 仏教が日本へ定着する過程で、遣唐使あるいは鑑真上人などが、九州文化へ、そしてさらに、京文化へと影響を及ぼして行った。その過程で、「鐘」文化も伝わって行ったのだと考えられるだろう。

Img_6643 つまり日本では、「鐘」文化が8世紀ごろから、寺院を中心に発達を遂げることになったと思われる。この過程で、まずは鐘文化は宗教的な意味をもったと言える。これらの鐘がどのような変遷を辿ったのか、仮説はいくつか考えられるが、それをどのように確証して行くのか、たいへん楽しみにしている。Img_6646 文献もいくつかあるらしいということがわかり、追加して、高麗時代の「銅鐘」、声明の時に使われる「磬」などの展示物も鑑賞して、博物館を離れた。こんな回り道をしていても良いのだろうか、ということは棚上げして、太宰府町の山あいに木工品・陶磁器を陳列しながらの喫茶店があったので、休憩をしてから、帰りの電車に揺られた。

Img_6649 じつは「出張で映画」を今回は諦めていたのだが、1つの計画が駄目になったので、再び検討してみた。ところが、どれもこの博多では早朝に上映するらしい。Img_6650 こんなシリアスな映画をこんな朝早くから見る人がどれほどいるというのだろうか、とボヤいたところで、上映スケジュールが変わるわけではないので、あっさりと諦めて、今日も昨日見つけた喫茶店「F」へ足を向ける。

Img_6655 昨夜とはやはり客層が異なり、一人で来て、ちょっと息抜きをしているような客が集まっていた。この店の雰囲気からいって、そのような傾向が似合っている。Img_6662 また、自家焙煎の店なので、豆を買って行く客層も確保しているらしい。このような繁華街には、むしろ繁華街から逃れたいという客層があるものだと思われ、これらの人びとが重層的に絡まって、良い街を作って行くのだと思われる。Img_6664 この店は、得難い雰囲気を持っているとわたしは思うのだった。今日も酸味の強いキューバTLと、チョコレートケーキ、そしてお代わりで、組Img_6666 み合わせた味が絶妙なブレンドを頼んで、しばしの解放感を愉しんだ。今日最後のコーヒーはこの店のスタンダード・ブレンドを味わった。いくつか持ってきた論文のうち、卒業生のKさんが紀要論文だといって送ってくれた、K大学歴史民俗研究科へ提出した「飛騨の匠」の歴史に関する論文を楽しみながら読んだ。いつもながら、数多くの資料を自分の足で稼いで書いた論文だ。冒頭の万葉集の歌がこの論文の素晴らしさを表している。

 かにかくに 物は思わじ 飛騨人の

         打つ墨縄の ただ一道に

そして、収穫の多かった出張に別れを告げ、飛行機に乗ったのだ。Img_6669

2014/06/28

博多へ説明会のために出張

Img_6578 雨が降りそうだったが、学習センターへ着くころには、薄曇りになって、今日一日は何とか降らずに済みそうな空のようすだった。今日は、放送大学の卒業研究、修士課程、博士後期課程の説明会で、博多にきている。

Img_6581 昨日は、K大学での講義のあと、前日に博多入りしていたのだ。十数年前から博多へ行くときには、常宿しているホテルがあって、なぜ気に入っているのかと言われれば、静かで便利で洒落ているという、当たり前の理由しか言うことはできない。Img_6580 けれども、特別な理由があるとすれば、博多の「大名町」にあるからだということになるかもしれない。Img_6568 黒田官兵衛が流行っていて、家臣の屋敷跡があちこちに標識が出ていて、興味深いということもあるが、じつはもっと現代的な理由だ。Img_6569 いつ来ても、都市の持つ活気が溢れていて、この一区画だけは、色々な店の集積の様子を見ることができるからだ。

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Img_6582_2 たとえば、洒落ているという事例として、あざといと言われようが、次のような事例も挙げられる。この泊まっているホテルのレストランには、大きな時計が掲げてあって、雰囲気を作り出している。よくみると、アンティークなどの文字が見えて、本当に古い時計なのかはわからない。けれども、朝食を取るレストランとしては、時間が明確にわかって余すところがないのだ。従業員の方に訊くと、かなり古くから使っていることだけは、確かなことである。

Img_6573 Img_6574 Img_6577

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朝早く、このPホテルを出て、ビルに囲まれた公園を渡って、天神の西鉄駅から各駅停車に乗って、トコトコと白木原駅へ着く。学習センターの入っているビルのある九州大学の筑紫キャンパスはここからJR大野城へ向かってあるかなければならない。大野城といえば、古代から防人たちの中心として働いて来たところだ。ちょっと掘れば、遺跡や遺構に当たってしまう地域として名高い。九州大学の門はとってつけたような、歩行者用の門だったが、そこから並木を辿って、落ち着いた緑の茂るキャンパスへ入る。

Img_6579_2すでに、数学のI先生、情報のK先生がいらっしゃっていて、少し遅れて、心理のM先生が到着し、学生課のKさん、福岡学習センターのT先生も現れて、学部の卒業研究説明会での準備も整えられた。説明会はサクサクと順調に進み、学生の方々もトクトクと質問を行って、無事終了した。今日一日は、このあと学食で昼食を済ませ、引き続きO先生や教務課のSさん、Mさん、学務部長のIさんが加わってきて、修士課程の説明会、博士課程の説明会と、これも面白い質問を受けたり、アドリブを効かせた受け答えを行ったりしながら、最善とは言えないかもしれないけれども、大方の満足を得るような結果であったと思われる。

Img_6591 全部を通しで行ったのは、もちろんセンターの職員の方々と、心理のM先生と、わたしだったのだが、我がことながらご苦労様でした。卒業生のTさんも佐世保から駆けつけてくださったし、またわたしの大学院科目を履修しているという方々も聴きにいらっしゃっていて、言葉を交わすことができたのはうれしかった。

Img_6592 それで、三つの説明会を説明している過程で、これまで迂闊にも見過ごしていたことに気づいたのだった。博士後期課程の論文指導が加わったことで、放送大学の教育方法の一つとして、これまでは鬼っ子扱いされていた論文指導が一貫したものとして、ようやく放送大学の教育システムとして確立された、ということではないかということである。放送大学は通信制の大学なので、対面指導ということが、副次的にしか扱われてこなかった。けれども、このように卒論、修論、博論と系統的に整備されるのをみれば、これはこれで付随的な教育課程ではなく、メインのシステムの一つであるということになるだろう。説明を行ってみて、ここの論文指導は重要だと認識はあったものの、このように系統的には、初めて自覚した次第である。改めて、「書く」という課程は、大学の教育の柱だと思った。

Img_6584 最後まで説明会で一緒だったM先生とも、博多駅で別れて、簡単な食事をして明日の取材に備えようと考えていた。今回は、週末にまともにあたってしまったので、出張で映画も抑制することにした。それで、短い時間を割いて、大名町にある自家焙煎の喫茶店を探し、そこでしばし今日の疲れを宥めることにした。Img_6586 ホテルの方に訊いてわかっていたつもりだったのだが、どうも教えられた場所には存在しないことがわかって、改めて探すことになった。

Img_6587 ほどなく、料理屋などが入ったレンガビルの二階の奥の奥にある喫茶店「F」を見つけ出したのだった。最初は、タンザニアとチーズケーキを注文し、今日一日を振り返った。そのうち、バックグランドにも女性ボーカルの心地よい音楽が流れ出したので、すこし長居して、明日のことを考え始めた。Img_6589 夜にもかかわらず、まだ寝る気分ではない、二杯目のコーヒーはコロンビアを頼むことになった。もうすこしこのゆったりした時間を過ごそうと思った。

 

2014/06/25

水彩画が日本にマッチした時代

Img_6559 父が集めていた雑誌「みづゑ」が家にすこし残っている。わたしが生まれたころの時代のものだ。そして、幼稚園のころ、わたしは絵画教室のある幼稚園へ通っていて、描いた絵を先生に褒められた経験がある。たいへん気を良くしたのを覚えている。成功体験ということがあるとすれば、これ以上のことはないだろうというくらい思い上がってしまった記憶があり、そののち、これが萎んでしまうまで、何回か水彩画の児童コンクールに応募して、ニューヨークなどへもわたしの絵画が行くなど、いくつかの賞をいただいた。これは父の趣味が乗り移っていたのだと、今になってみると思っている。いまでは、絵心がすっかり廃れてしまって残念なのだが。

Img_6549 この雑誌「みづゑ」を創刊した水彩画家「大下藤次郎」の展覧会を、千葉美術館で観る。大下は、19世紀から20世紀の転換期に生きた水彩画家だ。彼の生きた時代は、水彩画が流行った時代だ。以前書いた三宅克己もちょっと前だが、ほぼ同時代だ。水彩がなぜこの時代の日本人にフィットしたのかは、たいへん興味深い点だ。

Img_6550 大下藤次郎の水彩画を観ながら、素人目に感じたことを言うならば、第一に「水」ということについて、当時流行していた志賀の「日本風景論」における水蒸気論との自然主義的な関係は深かったと想像できる。日本の風景が水蒸気によってぼんやりとした輪郭を持っており、このことが水彩画を発達させた。このことは、遠因ながらも、日本の独自性を喧伝することになったと言える。

Img_6555 第二に、水彩画の流行が、伝統の水墨画との関係にもあることが予想できた。つまりは、日本の風景自体が、自然に観られる「水」の特性を活かす傾向を持っていて、日本風景の独自性をこれに寄って強調できた。透明感を創り出す画法には、水彩画特有のものがあったと思われる。伝統の復古とまでは、大袈裟なものではないにしても、「水で描いた」と評されている透明感ある画法は、当時の日本人にとって魅力があったといえる。

Img_6551 第三に、以上の第一と第二の点は、展覧会に掲げられていた批評家や学芸員の方々の受け売りの域を免れないところだが、これら以外にあげるとすれば、「水平に広がる」開放的な風景の描写が素晴らしいのだ。モダンを志向する当時の日本の時代にマッチしたといえるのではないだろうか。大下の絵には、近景・中景・遠景が下段から中段、上段へ配置されている絵が多い。中心は中景にあって、風景の中核や人物が書き込まれているのも、この中景である。けれども、注目したいのは、この中景を浮き上がらすために、効果的な近景と遠景が配置されているのだ。

Img_6553 この例として、わたしが好きな絵は、1898年に海外で描かれた「シドニー南端」をはじめとする海と波を描いた連作だ。近景の緊張感が、全体の開放感とマッチして、複雑な絵画を構成している。自然主義からすこし超え出た趣があると思う。

Img_6554 帰りに研究室へ寄ろうと大学へ向かう。いつもの中華料理「ホイトウ」で昼食を食べようとしていたら、KビジネスのSさんが現れた。手には、裏庭で取れたという「すもも」をいっぱい持っていて、あとでくださるという。そういえば、写真の3枚目にあるように、千葉市内の大学新入生は、千葉学習センターの学生にも適用されるようなのだが、9月まで千葉市立美術館への入館料が無料なのだそうだ。残念ながら、教職員は駄目で、新入学生のみなのだ。

2014/06/17

音にとって贅沢な場所

Img6472 世の中に「贅沢な場所」だと思われているところは、たくさんあっても、実際にその人にとって好ましいと思えて、なおかつ、ぴったりと思えるほどの感覚を持てるところはそう多くはない。つまり、贅沢な場所とは、五感を満足させるところということになるのだが、これも贅沢に付き物の「飽き」ということがあって、多様な感性を実現することはたいへん難しい。たとえば、味覚の贅沢はよく描かれているが、ユイスマンスの「さかしま」のように、頽廃的なところへ直ちに行ってしまう場合が多い。

Photo それで「程よい贅沢」がどのようにして現出するのか、この点はたいへん微妙で難しい問題を持っている。職人が時間を掛けて工房を形成するように、外から観ていて、程よい贅沢が実現されているとよいのだ。もっとも、本人がそのように認識しているのか否かは定かでないのだが。つまり、鑑賞者が贅沢を感ずるところと、制作者が贅沢を感ずるところは異なるのではないだろうか。

今日、寄せもらったところは、まさに職人的な贅沢な場所を形成していて、作り手にとって、たいへん羨ましい限りの場所だった。北千住にあるT芸術大のスタジオを、S大学音楽学のT先生、放送大学コミュニケーション学のO先生、物理学のK先生と一緒に訪問した。放送大学のラジオ番組で一緒に制作することになっているK先生に、音楽スタジオを案内していただいたのだ。耳が悪くなっている、わたしのような老人が、このような良い耳をもった若者の巣のようなところを訪れてもよいのだろうかとの逡巡はあったのだけれど。

Asutajio 北千住の駅を出て、放送大学の学習センターのある方向とは逆の盛り場のほうへ向かって、少し歩くと、近代的な建物が見えてくる。玄関で待っていると、程なくK先生が現れた。いくつかあるスタジオの中で、特徴ある3つのスタジオを見せていただいた。

最初に通されたスタジオ部屋では、学生が音圧(デシベル)の強さを訓練する部屋として使われているところだった。このデシベルを変えて、どのくらいの強さなのかを、体感し認識する訓練を行うそうだ。これによって、録音のときの適切な音のレベルを設定することができるのだ。絶対音感と同じようなデシベル音感が身に付くのだそうだ。それぞれ低音部、中音部、高音部のデシベルを変えて、聞き分けるのだそうだ。O先生は、ファゴットを吹いているので、このようなデシベル訓練に興味を持ったらしい。音楽を嗜まないわたしでさえ、つい引き込まれるような、訓練だった。

二番目に案内された部屋は、体育館を改造した小ホールになっていて、ちょっとした演劇公演にも使われている部屋だそうだ。壁面が鏡になっていて、ダンスの練習にも使えそうである。

Img6484 三番目のスタジオ(Aスタジオ)がまさに「贅沢な場所」のイメージにぴったりのところだった。調整室も然ることながら、このAスタジオでは天井が意外に高くとってあって、ホールとしても使用されているらしい。檜の香りがして、木造のホールだ。建設するときに、実際に耳で確かめながら、音の響きを設定していったらしい。ホールの響き方をどのように設計するのか、疑問に思っていたのだが、やはりこのように努力の賜物として、響きというものが存在するのだ。

Photo_2 原型の音をどこに定めるか、というのは、たいへん難しいらしい。けれども、響き方はあとで、反響材を入れたり吸音材を入れたりすることで、どのようにでもコントロールできるので、むしろ原型を耳に馴染む音にしたのだという。その際、もっとも気を使ったのが、音の遮断だそうだ。良い音を創り出すということは、雑音からの遮断が必要なのだそうだ。調整室との間には、ガラスが張ってあるのだが、空気による遮断が行われている。金魚鉢の窓は二重窓になっていて、この中の空気が遮断材の役目を果たしているらしい。

音楽学のT先生が、設置されていたグランドピアノを弾いてくださったのだが、「柔らかい」音がした。直ちに反響が来るのではなく、T先生の表現を借りるならば、「包み込む」ような音が演奏者自身に届くらしい。鑑賞者に優しいホールはたくさんあるけれども、演奏者に優しいホールはそう多くはないと、K先生はおっしゃっていた。

調整室を挟んで、このホールの反対側には、録音用のスタジオももうひとつ附属されていて、ちょうど学生たちによる「ポケモン」コーラスの多重録音が行われていて、聞かせていただいた。ここに籠もり始めたら、昼夜がわからなってしまうので、夜はかならず錠をかけ、人が入れないようにしているのだそうだ。そうそう、このスタジオから離れられなくなって、とうとう博士課程に進んでしまった学生もいるとのことだ。たぶん、それほど彼にとって「贅沢な場所」だったに違いない。

Kissatenn 帰り道に洒落た喫茶店を見つけたが、その後幕張へ向かう必要があったので、残念ながら、今日の最後のコーヒーには有り付くことができなかったのだった。しかし、そのかわり、素晴らしい音たちをたくさん感じることができたような気がするのだ。新しいラジオ番組にも、希望が湧いてきた感じだ。

2014/06/15

面接授業2日目

名古屋での講義が2日目を迎えた。始まりが、9時45分からであって、10時から始まる「日本対コートジボアール」のサッカーの試合と、まともに競合するという、栄誉な事態となった。このサッカーの試合を上回る講義を求められているに等しいと思われる。10名ほどが欠席していて、心なしか、すでに昨日から出席しない学生の数が多いような気がする。

今回の名古屋の講義では、ふつう40人規模で行う講義を計画しているところなのだが、70名にまで引き上げた。募集した大教室で3人掛けの椅子にびっちり3人座らなければ、収容できない勘定で、10時間以上に渡って、狭いスペースに座らなければならない方が出てしまう。そう考えれば、サッカーで多少なりとも欠席が多くなるのは、大歓迎と言うところなのかもしれない。もっとも、全員がサッカーのために欠席したという確証はまったくないのだが。

Img_6436 講義の方は、順調に進んで、ほぼ全員の方々が発言し、こちらも意見を述べる機会をたくさん造り、「協力」についての講義に相応しく、学生たちとの授業「協力」もたいへんうまく行ったと思っている。授業アンケートもとることになっているので、あとでどのように受講者が考えていたかもいずれわかることになっている。すこし講義の内容量が多すぎて、学生の負担が多くなってしまったことは、おそらく受講生にとっては不満だったと思われるが、今回は内容を充実した結果だったので、それは致し方ないことだと思っている。よく10時間耐えてくださったと、耐久努力に対して、敬意を評したい気分だ。

Img_6438 愛知学習センターのセンター所長のH先生には、土日ともに昼食につき合ってくださって感謝している。また、面接授業の準備を担当していただいた、Hさんには、最後に名古屋の美味しい珈琲店を教えていただいた。それで、ちょうど現在卒業研究を履修しているM氏が奈良から駆けつけて来ていたので、その紹介していただいた珈琲店Cへ一緒に行って、卒業研究の相談を受ける。住宅街のなかに、邸宅のごとくにたっぷりと敷地がとってある珈琲店で、駅前のチェーン店などを凌駕して、集客していた。

Img_6440 やはり、講義のあとは、コーヒー1杯とすこしの甘いものが欲しくなる。今回は、コスタリカSバレー農園の上品な酸味のものを得ることができた。M氏は外国人労働者問題の論文を書いていて、きわめてホットな題材を集めている。だいたいの目処が立ちそうになっているのだが、いかんせん、仕事がかなり忙しいらしい。無理をせずに頑張っていただきたいと思っている。

Img_6441 夕飯は名古屋名物の「味噌カツ」だった。肉屋さんの二階に開かれた食堂で、油のたっぷり載ったトンカツ定食をいただく。Img_6442 写真のように、味噌たれが黒光りしていて、この濃厚さは名古屋ならではのものだと、腹に入っていく塩っぽさの感触を楽しんだ。胃の焼けるような感覚が素晴らしい。Img_6444

2014/06/14

協力の「図々しい」関係

Img_6413 梅雨の季節にもかかわらず、名古屋は連日30度を超え、真夏が到来した。宿泊しているホテルを出ても、日陰を探して、歩いて地下鉄の入り口へ足早に入っていく。前を歩いていた通勤客も、迷って1つ前の入り口から入っていった。地下へ潜りたいという欲求を持つほどに、日差しが暑いのだ。

放送大学の面接授業の一時間目の開始時間には、2種類あって、通常は10時からなのだが、この愛知学習センターをはじめ、いくつかの学習センターでは、9時45分始まりにしている。今回もてっきり10時始まりだと思い込んでいた。早めに行ったので、遅刻することはなかったのだが、ちょっとひやっとした思いだ。

Img_6416 面接授業のはじめの数分は、たいへん気に入っている時間なのだ。それは、講義に入る前に、学生の方々に経験を語っていただくことにしていて、この「白紙状態」の発言には、興味深い内容がしばしばみられるのだ。今回は「協力」というテーマなので、なおさら協力の経験には、聞くべき発言が多かった。なぜ協力ということに興味を持ったのか、この問に対する参加者の理由は多彩だった。

Img_6429 ボランティア活動を行っている方々が多いらしいことがわかって、自分の経験での紹介でもこの事例が多かった。たとえば、1つだけ紹介すると、一緒に協力活動をしていて、いつの間にか「図々しい」人が現れるのだが、どうしたら良いだろうかという体験談があった。この「図々しい」という表現が面白かったので、印象に残っている。もちろん、理論的には、いくつかあって説明はできるのだが、協力活動というものは、絶えず二重化する性質があって、ほんとうの協力活動はいつもインフォーマルなところに沈潜化してしまい、表面にはうその(図々しい)協力活動浮かび上がってきてしまう、ということだと思われる。

Img_6424 形式的な協力活動が表に出てきてしまうのだ。図々しい状態とは、よく言ったものだ。「図」という形そのものが二重になって現れるのだ。形式の度が過ぎていることが「図々しい」状態なのだ。図の内容は、潜在化してしまうことになる。協力活動には、絶えずこのような危険性がつきまとう、というエピソードが最初から始まったのだ。結局、授業の内容もこれに準じて、活発な議論がわいたのだった。

Img_6428 授業が終わって、映画に行くには、まだ陽が高い。地下鉄の途中駅である本山駅で下車して、ちょっと近辺を歩き、コーヒー専門店の「N」へ行く。今日最後のコーヒーは、コンゴの豆を使ったすこし苦めの味のものだった。Img_6426 それから、チーズケーキがこの店の特色だったので、焼いた種類のものを注文した。渇いた喉を柔らかい疲れが下って行った。

2014/06/13

何かを受け取ると、同等のものを失わなければならないということ

Img_6408 映画「嘆きのピエタ」を観る。ミラノにあるミケランジェロの「嘆きのピエタ」をみたことのある人は、そこから無限の人間の在り方を想像することができることは知っている。とりわけ、母子関係を描いて余すところがないのが、この「嘆きのピエタ」だ。Img_6409 映画のなかに、それが出てくる訳ではないが、日本語の題名を付けるにあたって、母子関係の「嘆きのピエタ」だと担当者が想像したとしても、それは不思議ではない。良い題名付けだったと思われる。

Img_6410 映画には「不思議さ」が必要なのだが、この映画の「不思議さ」は、因果応報というものが「復讐」を巡って起こると考えているところだ。ふつう、復讐は悪事の結果なのだということであれば、単なる因果応報なので、そのままで不思議はないのだが、この映画の場合には、因果応報がもっと深いところに設定されている。そんなことはほとんど起こらないという状況のもとでも、もしからしたそうかもしれない、と思わせることができたとすれば、それはそれで素敵なことなのかもしれない。Img_6411 映画的状況がうまく現れている映画だ。その復讐が母を失うという感情を土台として現れてくる。相手に植え付けてダメージを与えるという、捨て身の復讐なのだが、これは真実かもしれないと思わせられるのだ。

「嘆きのピエタ」のモデルは、子どもに寄り添い、あるいは親が子どもに背負われているという同時的な、「貸借関係」を実現している像だと考えることができるが、この寄り添い、背負う双務関係を逆手にとって、あたかも寄り添い・背負い関係が存在するかのような状況を創り出し、この感情を失われた時のダメージを復讐と考えているのだ。これは、古い感情でもあり、それに似せかけることで、極めて新しい考え方となっているのだ。

Img_6412 出張では、映画を観る、ということで、名古屋の名画座「K」に入った。コンサートホールのような奇麗なガラス張りのビルだ。明日の朝からの面接授業が愛知学習センターであるので、前日に名古屋入りした。けれども、すでに講義の準備は終わっているので、手持ち無沙汰なのだ。このようなときに、近くに映画館があるというのは恵まれた出張だといわなければならない。

2014/06/11

「迷うことは、惨めな状態ではない」

Img_6387 映画「Parked(邦題:ダブリンの時計職人)」を観る。車上で暮らすホームレスがいる。彼が海に面した駐車場(Park)で遭遇する出来事が多くを占めていて、路上のホームレスとどこか異なる雰囲気を持って描いている映画だ。じつはこのパークには幾重にも意味が込められていて、本当のところは最後まであきらかにされないのだ。でも人生には、しばしばParkが必要であることはわかる。

「迷うことは、惨めな状態ではない」という主人公の日記帳からの引用から、映画が始まる。主人公は英国からの長い暮らしから故郷のダブリンに戻って、パークで車上生活を始める。時計を直す専門の道具を持っていて、すぐ直すことができるから、「時計職人」だっただろうと想像がつく。公衆トイレで身体を洗い、車のタンクからの水で、歯磨きと植物への給水を行う毎日だ。この駐車場の前の海がアイルランドらしい風景を持っている。どんよりと曇がいつも立ちこめていて、晴れる日は一度もない。濃い青色した海が駐車場越しに広がって、重く冷たい日々を演出している。

この映画「ダブリンの時計職人(原題:Parked)」は、この時計職人だった主人公フレッドと、カハルというドラッグに染まった青年との間の友情物語だ。カハルが自動車を修理したり、フレッドが時計を直したりという出来事の積み重ねが友情を育くむ。そして、夫に先立たれた女性のピアニストとの付き合いがそれに加わる。けれども、これらの人びとの間には、微妙な距離感が常に存在する。この距離感は、一体なんなのだろう、と考えているうちに、早くも最終場面の悲劇に結びつくが、これも事故であるかのような、微妙な距離感が支配している。

この主人公フレッドの英国での人生に重い何かが隠されていることは、匂わせるのだが、それ以上には、この映画は踏み込まないのだ。だから、結局のところ、この主人公がどのような半生を送ってきたのかは、やはり不明だ。けれども、映画の中で、この謎の男が自然な自信に満ちてくるにしたがって、何か確からしい日常が現れてくる。そして、映画は終了する。現実とは、真実とは異なるのだと行ってしまえば、その通りなのだが。

人生に立ち止まって考えてみる時期があって、それは凄く必要なことだと思われる。この詩人のように付けられた日記帳が「迷うことは、惨めな状態ではない」と言っていることはそういうことだと思われる。

Img_6384 今日も名画座ジャック・アンド・ベティの最終回上映に間に合った。支配人のKさんが最後まで勤務していて、観客たちに笑顔をみせていた。この映画館の近くには、横浜の伊勢佐木町をずっと登ってきた趣の商店街が広がっていて、映画を見る前のちょっとした時間をつぶすことができる喫茶店があるのだ。喫茶店「P」でモカを飲んで、映画館に入ったのだ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。