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2014/05/25

「工芸の五月」をみて回る

Img_6270 クラフトフェアのようなフェスティバルには、フリンジ効果ということが起こる。昨日紹介した30周年記念の書籍『ウォーキング・ウイズ・クラフト』のなかで、座談会出席者のMさんが「フェスティバル・フリンジ」という言葉を使って説明していた。Img_6310 演劇などで有名なエジンバラ国際フェスティバルが開かれたときに、招待されなかったり参加できなかったりした人びとが、勝手に場外で、追加的なフェスティバルを行うようになった、ということを発言なさっていて、興味を覚えた。フェスティバルの目的は、内的な本来の中核的活動にあるのだが、じつはそれだけではなく、むしろ場外的な、外部的な目的が存在するようになる、というのだ。この点が重要なのは、この外部的で周辺的な、つまりはフリンジ的な部分がむしろ中核になり得る可能性を秘めているのだということだと思う。このフリンジについては、もうすこし考えてみたいところだ。

Img_6254 今回のクラフトフェアでも、このフリンジ部分で頑張っている人びとがいることを知って、今日一日はクラフトフェア本体ではなく、このフリンジ部分を探索しようと考えた。松本では、この動きはすでに数年前からスタートしていて、「工芸の五月」と呼ばれている。クラフトフェアの前後の5月中ずっと開かれているのだ。ちょっと逆転していて、理解できない部分もすこしある。ふつうフェスティバル本体のほうに、行政は協力していて、フリンジ部分は民間でというのだが、松本の場合には、本体部分は行政の力を必要としていないのだ。それで、行政はむしろフリンジ部分を手助けしている。面白い現象だと思う。

Img_6256_2 これらのなかで、木工作家M氏が全体の企画にかかわっている「六九クラフトストリート」のギャラリーの動きは、見逃せない。午前中かけて、この街を歩いた。この六九町には、その昔アーケードのある商店街が発達していて、百貨店もあって、松本市商業の中心地だったのだ。何年前の話だと言われてしまいそうだが、わたしの小学校時代の話だ。かなり以前に駅近くへ移ってしまった「I」というデパートだったと思うが、食堂に山下清の大きな富士山図がかかっていたりして、買い物のメッカだったのだ。今では、無用となったビルが並んでいるばかりで、当時栄えた布団屋や洋品店はまったく存在しない。現代風の新たな街に生まれ変わろうとしているところらしい。

Img_6259 この六九町の半地下形式コンクリート打ちっぱなしの洒落たビルでは、金沢から来た、金属のナイフやフォーク・スプーン作家と、白い磁器作家のコラボレーション展が行われていて、作者たちが丁寧に客の質問に答えていた。Img_6260 とりわけ、スプーンとフォークは、ステンレス製だとおっしゃっていたが、黒い煤を浮かせて重厚な質感を活かしていて、存在感ある作品となっていた。もしそれほど高価でなければ購入してしまうところだったのだ。それから、入り口にはシンガーミシンの椅子だけがぽつんと置かれていて、この鉄と木の組合わさった有機的な物体は好ましく思った。

Img_6262 ひとつの古い商店を改造した店Mに、女性たちが吸い込まれるように入っていく。娘から、今東京で流行っているデザイナーなのだと教わった。わたしも入ってみる。不思議な空間であることはわかるのだが、老年を迎えたわたしには、なかなか理解することの難しかったことを正直に告白しておきたい。しかしながら、女性たちには随分と人気のある空間だった。そこには、想像を超えた多様性が存在しているとしか言いようのない状況が存在するのだ。

Img_6261_2 これらのギャラリー群と並んで、盛んに健闘していたのが、以前寄ったことのある、この街本来の紙問屋さんと瀬戸物屋さんだ。紙を少々、それに土瓶を1個購入してしまった。それでも、ギャラリーに展示されていた、フォークの握り手にも満たない額なのだった。混んでいたので入らなかったのだが、以前からあるクラシック喫茶にも、客が入っていた。このようなフリンジ効果こそ、クラフト活動の活動力なんだろうと感じ入った。

Img_6275 それで、急速に昨日の疲れがわたしたちの身体を支配しつつあることに気がついた。Img_6276 まずは、この空腹をどうにかしなければならないということになり、大名町に出て、有名な蕎麦屋たちを横目で観ながら、娘が所望する鰻屋さんへ直進する。昨夏にも、娘と入ったところだ。落ち着いた店だったことで、ゆったりしたことが良かったのか、やっと元気を取り戻した。

Img_6279 予定では、フリンジ部分のところをさらに歩き回り、クラフトフェア会場の「あがたの森」へ最後に回るつもりになっていた。まだまだ、質問し足りない気がしていた。ところが、老体が急に言うことを聞かなくなっていた。そこで、無理をしても駄目なことがわかっているので、鰻屋さんを出て、しばらく座って考えることにした。Img_6280 ちょうどフリンジ部分にあたるイベント「すわりまわる」を信州大学のKゼミが展開していて、清水が湧き出る公園で、しばしすわったのだ。

Img_6283 そういえば、鰻屋さんに、「日曜日の午後は、この辺静かですね」と言うと、「日曜日だけでなく、平日もですよ」という答えが返ってきた。松本市の統計を駅でもらっていた。Img_6286 それに寄ると、松本市では毎年10月に、普通の日曜日に市内に歩く人びとを数えているそうだ。1978年から2011年の33年間に、松本の街中を歩く人の数が、35万人から11万人へ、つまり三分の一になってしまったそうだ。なぜこんなに、市内歩行者数が減少したのだろうか。

Img_6293 結局、わたしたちの落ち着く先は、喫茶店「M」ということになった。当然の帰結だと、娘との話し合いでなったのだ。縄手通りの店をすこし冷やかした。Img_6294 30年ほど前から、この女鳥羽川の象徴として、「かえる」が選ばれていたらしく、「かえる」の雑貨店があった。その後は、老舗喫茶店のMへ入って、エネルギー源の甘味をとり、複雑さのバランスが素晴らしいコーヒーを飲んで、今回の旅行を早々に振り返ったのだった。何ともはや。

Img_6255 先ほどの六九クラフトストリートでは、洒落た元眼鏡店ビルで、これは珍しいと思ったことがあったのだ。それは、東京大手の小説中心の出版社Sが展示を行っていたのだった。Img_6290 クラフトフェア創立者の一人でもある、工芸家のMさんの本がこの出版社から出ていて飾られ、即売されていた。なぜS社がクラフトフェアに参加するのか、ここは出張してきていた社員の方に聞いてみた。「持ち出しなんですが」と断りを入れながら、しっかりと、今秋創刊される工芸雑誌「S」(雑誌とはいえ、装丁から、値段から、書籍を遥かにこえるものだった)の宣伝を行っていた。2号分の束見本を持ってきていて、それはみごとに奇麗な装丁本だった。束見本の意味は、娘に後から教えてもらったのだが。

Img_6302 らに、クラフトフェアでいただいたチラシを整理していたら、S社以外にも、クラフト雑誌「C」の創刊が企てられていることがわかった。もちろん、読者層はかなり異なると思われるが、それで、双方に共通している点のあるのが面白かった。両方の雑誌ともに、1000部限定発行なのだった。Img_6308 この世界で、雑誌を観る客層の可能性を限定している点が興味深いところだ。クラフト毎の限定的な集団の発達があるだけでなく、さらに出版として限定的に、多様で多種類なフリンジが発達Img_6309 するところが、クラフトフェアあるいはクラフトには特徴として存在するようだ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。