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2014/05/01

衰退にこだわるようだけれど

衰退にこだわるようだけれど、最近ゼミ発表を行ったYさんの綿布団店のエピソードは衰退産業の典型を示していて、絶えず思い出される。先日、妻が図書館から山田太一著「月日の残像」を借りてきた。この中に、綿の話が載っている。なぜ綿布団が良いのか、というエピソードだ。山田太一が助監督だった撮影所時代のOさんの話として紹介されている。「友人がOさんのお宅を訪ねると、狭いアパートの一室で、掛け布団の皮をはいで、中の綿だけにくるまって寝ていたという。どうしてこんなことを、ときくと、これだと綿をちぎって首の周りを囲めるからあたたかくていいのだといったという。そして、間もなく亡くなった」というのだ。ちぎって使うことのできるのが綿であり、このようなユニークな使い方ができるにもかかわらず、なぜ綿布団は衰退するのかと嘆く、いやOさんは消滅しなければならないのかと嘆く、この衰退を憂い、楽しむ心境のわかる話だ。

このエッセイ集では、相変わらず、近代社会からはみ出さざるを得ない人びとのエピソードを集めている。これらの話の中で、最も頻繁に出てくるのは、じつは山田太一氏自分自身だ。なぜシナリオ・ライターになったのか、なぜ溝ノ口に住んでいるのか・・・いずれの話の中でも、特有のはみ出し人生を開陳している。なぜシナリオ・ライターになったのかといえば、「監督になるのが怖かった」からであり、なぜに溝ノ口に住むのか、といえば、都内から外れており、神奈川に至らないからだ、ということになる。

この屈折の具合が絶妙で、本人にとっては、当時深刻な問題であったことが想像されるのであるが、しかし部外者にとっては、この屈折の在り方が訳の分からないところであって、山田太一が西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」という言葉を引いて説明している不思議さをもっているのだ。シナリオ・ライター問題では、「社交が苦痛でない人ならよいけれども、私はすぐ一人になりたくなってしまう。片隅にいたくなる」ということになるだろうし、溝ノ口問題で言えば、「どこかで東京に出て光を浴びたくないという心持ちのようなものがあるような気がする」ということになるだろう。

それでは、監督になりたくない問題や、溝ノ口に住み続ける問題がどのように、解決されるのか、という究極の問題になるだろう。これはこれで、山田太一的解決がなされていて素晴らしい。「考えると、フィクションを書くような人間は、どこかで現実の自分や人生からはみ出したいと願っている人種なのではないかと思う」と。

それにしても、溝ノ口にはこだわっていて、ねじめ正一の書いた「荒地の恋」を取り上げ、詩人の北村太郎と田村隆一夫人が駆け落ちして、最初に溝ノ口に居を定めるが、後に逗子に移り住むくだりで、「逗子に住むことができるなら、最初から溝ノ口に住むな」と言っているところは、かなり笑ってしまったのだ。綿をちぎって暮らす者の心境がここに出ている。曲がり具合が半端でない。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。