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2014年5月に作成された投稿

2014/05/30

映画「ぼくたちの家族」をみる

Photo 「ぼくたち」という題名が付いていることからわかるように、家族構造のなかでも、母を巡る兄弟関係を描いた作品だ。家族の基本構造が、夫婦関係(横の関係)と親子関係(縦の関係)によって、「主として」成り立っている、という常識的な近代家族のなかで、家族のなかではいわば斜めの関係、「友愛」関係である兄弟関係に焦点を結んでいる点で、そしてまた、弱くなりつつある父と子の関係という点で、きわめて現代的な視点をもった作品だと思う。近代的な核家族のなかでは、失われていた視点でもある。

俳優の妻夫木演じる「兄」浩介のひきこもり経験ということが、この家族のトラウマになっているという前提が効いている。それは映画の至る所に兆候が配置されていて、それが通奏低音のように、映画の進行の奥に流れている。

映画の冒頭で、俳優の原田美枝子演じる「母」玲子の顔演技がこの映画のすべてである。顔の表情が微妙に変化して、サボテンの名前をつぶやくのだ。そのサボテンの名前は複雑過ぎて、覚えられなかったほどだ。それで、この主人公の一人である、母に「記憶が途絶える」という症状がでるところから、この映画が始まるのだ。

家族の人びとの日常とは何か、ということを考えさせる映画だ。たぶん、この映画の様には、わたしたちの日常は動いていない。それは確かなのだが、映画的に日常を描こうとすると、この映画の方の日常の方が秀でていることがわかる。たとえば、家族映画だな、と思わせるシーンに、父親と子どもの会話シーンで、父親役の長塚京三が歯磨きをしながら、しゃべるところがある。たぶん、ふつうの家族では、このような場面で会話は行わないだろうが、映画では日常を表すためには、このようなシーンが有効だ。たぶん、その分だけ、映画は過剰に作られているのだ。

息子夫婦の懐妊お祝いの席上で、突如として、母の症状が出て、狂うシーンがある。このときの原田美枝子の演技も素晴らしい。セリフが固まっているだけでなく、セリフに合わせて、顔の表情も固まって引き攣っているのだ。このときの父と息子の反応も、ふつうならば、大騒ぎになるところだが、静かさのなかに、この家族の過剰さが現れているのだ。この対比で、原田美枝子の演技が引き立っている。

ずっと重苦しいシーンの連続で、ああー、このように家族は壊れていくのだ、ということを思い知らされる。それで、映画を観ていて、物語の転機となるのはどこなのか、を注目していた。そろそろ転機があるだろうと。けれども、それはほとんどあらわれない。が、兄弟を描いたという意味は、ここだけに集中してあらわれる。兄弟ふたりの「引きこもり」をめぐる年月のなかで、全体をふたりで理解する場面が出てくることになる。ふつうの映画ならば、この転機をもっと大げさに描いてしまうところだが、かなり抑制して描いていて好ましい。兄がひとりで悩むところから成長して、兄弟ふたりの悩みに発展したときに、転機が訪れることになる。この静かな坂道をずっと登っていくような、丁寧な描き方は素晴らしいと思った。

この映画は、腫瘍やリンパ腫に揺れる母を巡って、兄弟と父との関係のなかで家族とは何かを問うている映画だということになると思う。「がん」という、今日の家族であれば、誰でもが家族のなかで抱える問題について、家族の「協力」がどのようにあり得るのか、ひとつの典型的なモデル足り得ていると思う。特別な事件が起きたり、典型的な悪人や善人が現れたりするわけではないが、家族の今日的な構造と、そしてその日常を静かに描いていると思われる、好ましい映画だと思う。

久しぶりに上大岡のシネマへ出た。本来は、家から一番近い映画館なので、もっと頻繁に来ても良さそうなところなのだが、やはり東京とは逆向きに行かなければならないということで、仕事の後のシネマということにはならないのだ。定年退職が無事迎えられた場合には、まだ相当時間があって、期待ばかりが募るのだが、ホームシネマ館となるだろう。それまで、続いていて欲しい映画館のひとつである。

2014/05/25

「工芸の五月」をみて回る

Img_6270 クラフトフェアのようなフェスティバルには、フリンジ効果ということが起こる。昨日紹介した30周年記念の書籍『ウォーキング・ウイズ・クラフト』のなかで、座談会出席者のMさんが「フェスティバル・フリンジ」という言葉を使って説明していた。Img_6310 演劇などで有名なエジンバラ国際フェスティバルが開かれたときに、招待されなかったり参加できなかったりした人びとが、勝手に場外で、追加的なフェスティバルを行うようになった、ということを発言なさっていて、興味を覚えた。フェスティバルの目的は、内的な本来の中核的活動にあるのだが、じつはそれだけではなく、むしろ場外的な、外部的な目的が存在するようになる、というのだ。この点が重要なのは、この外部的で周辺的な、つまりはフリンジ的な部分がむしろ中核になり得る可能性を秘めているのだということだと思う。このフリンジについては、もうすこし考えてみたいところだ。

Img_6254 今回のクラフトフェアでも、このフリンジ部分で頑張っている人びとがいることを知って、今日一日はクラフトフェア本体ではなく、このフリンジ部分を探索しようと考えた。松本では、この動きはすでに数年前からスタートしていて、「工芸の五月」と呼ばれている。クラフトフェアの前後の5月中ずっと開かれているのだ。ちょっと逆転していて、理解できない部分もすこしある。ふつうフェスティバル本体のほうに、行政は協力していて、フリンジ部分は民間でというのだが、松本の場合には、本体部分は行政の力を必要としていないのだ。それで、行政はむしろフリンジ部分を手助けしている。面白い現象だと思う。

Img_6256_2 これらのなかで、木工作家M氏が全体の企画にかかわっている「六九クラフトストリート」のギャラリーの動きは、見逃せない。午前中かけて、この街を歩いた。この六九町には、その昔アーケードのある商店街が発達していて、百貨店もあって、松本市商業の中心地だったのだ。何年前の話だと言われてしまいそうだが、わたしの小学校時代の話だ。かなり以前に駅近くへ移ってしまった「I」というデパートだったと思うが、食堂に山下清の大きな富士山図がかかっていたりして、買い物のメッカだったのだ。今では、無用となったビルが並んでいるばかりで、当時栄えた布団屋や洋品店はまったく存在しない。現代風の新たな街に生まれ変わろうとしているところらしい。

Img_6259 この六九町の半地下形式コンクリート打ちっぱなしの洒落たビルでは、金沢から来た、金属のナイフやフォーク・スプーン作家と、白い磁器作家のコラボレーション展が行われていて、作者たちが丁寧に客の質問に答えていた。Img_6260 とりわけ、スプーンとフォークは、ステンレス製だとおっしゃっていたが、黒い煤を浮かせて重厚な質感を活かしていて、存在感ある作品となっていた。もしそれほど高価でなければ購入してしまうところだったのだ。それから、入り口にはシンガーミシンの椅子だけがぽつんと置かれていて、この鉄と木の組合わさった有機的な物体は好ましく思った。

Img_6262 ひとつの古い商店を改造した店Mに、女性たちが吸い込まれるように入っていく。娘から、今東京で流行っているデザイナーなのだと教わった。わたしも入ってみる。不思議な空間であることはわかるのだが、老年を迎えたわたしには、なかなか理解することの難しかったことを正直に告白しておきたい。しかしながら、女性たちには随分と人気のある空間だった。そこには、想像を超えた多様性が存在しているとしか言いようのない状況が存在するのだ。

Img_6261_2 これらのギャラリー群と並んで、盛んに健闘していたのが、以前寄ったことのある、この街本来の紙問屋さんと瀬戸物屋さんだ。紙を少々、それに土瓶を1個購入してしまった。それでも、ギャラリーに展示されていた、フォークの握り手にも満たない額なのだった。混んでいたので入らなかったのだが、以前からあるクラシック喫茶にも、客が入っていた。このようなフリンジ効果こそ、クラフト活動の活動力なんだろうと感じ入った。

Img_6275 それで、急速に昨日の疲れがわたしたちの身体を支配しつつあることに気がついた。Img_6276 まずは、この空腹をどうにかしなければならないということになり、大名町に出て、有名な蕎麦屋たちを横目で観ながら、娘が所望する鰻屋さんへ直進する。昨夏にも、娘と入ったところだ。落ち着いた店だったことで、ゆったりしたことが良かったのか、やっと元気を取り戻した。

Img_6279 予定では、フリンジ部分のところをさらに歩き回り、クラフトフェア会場の「あがたの森」へ最後に回るつもりになっていた。まだまだ、質問し足りない気がしていた。ところが、老体が急に言うことを聞かなくなっていた。そこで、無理をしても駄目なことがわかっているので、鰻屋さんを出て、しばらく座って考えることにした。Img_6280 ちょうどフリンジ部分にあたるイベント「すわりまわる」を信州大学のKゼミが展開していて、清水が湧き出る公園で、しばしすわったのだ。

Img_6283 そういえば、鰻屋さんに、「日曜日の午後は、この辺静かですね」と言うと、「日曜日だけでなく、平日もですよ」という答えが返ってきた。松本市の統計を駅でもらっていた。Img_6286 それに寄ると、松本市では毎年10月に、普通の日曜日に市内に歩く人びとを数えているそうだ。1978年から2011年の33年間に、松本の街中を歩く人の数が、35万人から11万人へ、つまり三分の一になってしまったそうだ。なぜこんなに、市内歩行者数が減少したのだろうか。

Img_6293 結局、わたしたちの落ち着く先は、喫茶店「M」ということになった。当然の帰結だと、娘との話し合いでなったのだ。縄手通りの店をすこし冷やかした。Img_6294 30年ほど前から、この女鳥羽川の象徴として、「かえる」が選ばれていたらしく、「かえる」の雑貨店があった。その後は、老舗喫茶店のMへ入って、エネルギー源の甘味をとり、複雑さのバランスが素晴らしいコーヒーを飲んで、今回の旅行を早々に振り返ったのだった。何ともはや。

Img_6255 先ほどの六九クラフトストリートでは、洒落た元眼鏡店ビルで、これは珍しいと思ったことがあったのだ。それは、東京大手の小説中心の出版社Sが展示を行っていたのだった。Img_6290 クラフトフェア創立者の一人でもある、工芸家のMさんの本がこの出版社から出ていて飾られ、即売されていた。なぜS社がクラフトフェアに参加するのか、ここは出張してきていた社員の方に聞いてみた。「持ち出しなんですが」と断りを入れながら、しっかりと、今秋創刊される工芸雑誌「S」(雑誌とはいえ、装丁から、値段から、書籍を遥かにこえるものだった)の宣伝を行っていた。2号分の束見本を持ってきていて、それはみごとに奇麗な装丁本だった。束見本の意味は、娘に後から教えてもらったのだが。

Img_6302 らに、クラフトフェアでいただいたチラシを整理していたら、S社以外にも、クラフト雑誌「C」の創刊が企てられていることがわかった。もちろん、読者層はかなり異なると思われるが、それで、双方に共通している点のあるのが面白かった。両方の雑誌ともに、1000部限定発行なのだった。Img_6308 この世界で、雑誌を観る客層の可能性を限定している点が興味深いところだ。クラフト毎の限定的な集団の発達があるだけでなく、さらに出版として限定的に、多様で多種類なフリンジが発達Img_6309 するところが、クラフトフェアあるいはクラフトには特徴として存在するようだ。

2014/05/24

「クラフトフェアまつもと」へ向かう

Img_6168 朝、7時に娘と一緒に新宿へ出る。昨日購入したコーヒーをたっぷり詰めて、特急「あずさ」へ乗り込む。この時間に出ると、松本市「あがたの森」公園で開かれる「クラフトフェア松本」にちょうど間に合うのだ。娘が行くのは二回目で、家には彼女の購入した趣味のクラフトがいくつかある。今日は、梅雨のまえの五月晴れの一日になりそうだ。

Img_5995 じつは、わたしの担当する授業「社会的協力論」の第10回に、クラフトフェアを主催する「松本クラフト協会」のI氏にゲストスピーカーとして出ていただいており、クラフト活動にみられる協力の「多様性」に関するラジオ録音を昨年録らせてもらっていた。Img_6026 今回の訪問は、そのお礼を兼ねていた。もちろん、多くの工芸作家の方々との話を交わすことができる貴重なチャンスなので、簡単な質問と取材もできるのではないかということも、楽しみにしていた。

Img_6022 電車がJR松本駅に着くと、正面に案内所が設けられており、シャトルバスや周遊バスなどの案内が周到に行われていた。わたしたちはまずは、腹拵えということで、徒歩でいつも通り中町通りへ行き、いつもの「栗おこわ」の山里定食を食べる。中町通り目当ての観光客も、Img_6023 今日はほとんどクラフトフェアへ行ってしまっていると想像していたのだが、けれども多くの人びとが、こちらへも足を延ばしていて、懐の深さを感じさせた。Img_6030 そもそもこの中町通りがなければ、クラフトフェアもあり得なかったのだ。当初はクラフト協会の事務所もこの街にあった。

Img_6034 この街を出て、歩いて片倉の紡績工場跡、生物科学研究所跡へ向かう。途中、路地の突き当たりへ目をやると、松本民芸家具を制作している木工工場が偶然にも見えたので、写真をとらせてもらう。Img_6035 細長い作業場があり、外から観ても、職人さんたちがそれぞれの職場で制作に励んでいる様子を想像できたのだった。わたしは何年か前に、ひとつ仕事を終えると、その記念にと、この家具を購入するということを行っていたが、近年はクラフト家具全体の値上がりがあって、ものによっては2倍から5倍に値段が高騰しているものもあるのだ。Img_6046 わたしの購入したウインザーチェアもいまでは、当時の2倍以上の値段となっている。当時でも、足の長さや背丈に合わせて注文すると、6ヶ月くらい待たされた。

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ようやく、クラフトフェアの入り口に到達する頃には、周りは人でいっぱいになり、入り口の旧制松本高校の講堂あたりから、メーン会場のクラフト協会のテントまでは、人の波で身動きができないくらいになっている。5万人規模のフェアから近年の10万人規模へ膨れ上がった状況がわかるような気がする。この辺の二本先の横町に、わたしは小学校時代に6年間ほど住んでいたことがある。当時、この会場にはまだ信州大学の講義室が点々と存在し、それらを観ながら育った覚えがあるのだ。いまでは、この講堂と裏の信州大学の職員宿舎くらいが残るだけで、すっかり建物が撤去され、芝生の公園があり、そして今日はテントが数百並んで、工芸品が並べられているのだ。

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さっそく、クラフト協会のTさんに案内していただき、I氏のテントへ行く。すでに人だかりとなっていて、I氏が専門としている石のアート作品が並べられている。話を伺っていたので、写真をとっている暇がなかったのが残念だ。松本市の近くを流れる梓川からとってきたとおっしゃっていたが、その石にジッパーがついて、なかからドル銀貨が覗いていたり、ジッパーが口になっていて、なかから歯が見えたりするトリック的な作品だ。面白かったのは、疑似品のアートで、遠くから観ても近くから観ても、白いセーターにしか見えないのだが、これがイタリアの大理石を使った作品だった。柔らかい素材という目の感覚は、かんたんに堅い石によって、錯覚とすることができるのだ。極めつけは、石のMP3プレーヤーで、石のようにずっしりと重いのだが、それにイヤホンを取り付けると、音楽プレーヤーとなるものだった。I氏は、「役に立つものを作ったことがなかったので」と答弁していた。なるほど、クラフトフェアの視点のひとつは、この「役立つ」「役立たない」ということだと理解する。

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1985年のフェア最初の年のポスターを掲げているサイトがあった(http://www.nao-magazine.jp/s-shinshu/42/20090521.html )。考えてみれば、放送大学の授業開始の年とまったく同じだったのだ。30周年ということになる。この30周年記念の書物「ウォーキング・ウイズ・クラフト」が発行されていて、東京で手に入れていたのだ。ここには、重い内容を軽い語り口で紹介したインタビューや、大きな話題をコンパクトに小さくまとめた鼎談・座談会が満載で、電車のなかで楽しく読めたのだった。

この書物のなかで指摘されてもいるのだが、クラフトの社会的な仕組みは、かなりの程度、市場経済と異なるという特色を持っていて、わたしのような経済を勉強するものにとってはたいへん興味深いのだ。とりわけ、価格付けにはクラフト特有の性格があると考えられる。

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たとえば、注目したのが、電気の傘(シェード)だ。このフェアには、クラフト作家千名をかなり超える応募があり、そのうち二百あまりが毎年選ばれるそうだ。ここにはシェードが横断的に出品されている。横断的というのは、シェードの素材は木製あり、真鍮製あり、プラスチック製あり、和紙製あり、ガラス製あり、陶器製ありなのだという多様な製品が存在するということだ。これらが異なる作家によってそれぞれ制作され、それぞれの別のテントで出品されている。いわば日本国中から、工芸的なシェードが一堂に会しているのだ。それによって、微妙な作用が生じていることになる。つまり、日本全体ではもちろん工芸品のシェードの市場などという市場は存在しない。経済学の教科書に書いてあるような「一物一価の原則」などという状況は存在しないのだ。それじゃ、どのようにこの値付けがおこなわれるのであろうか。同じことは、工芸的なスプーンでも、ナイフでも、人形でも、工芸品の値付けはどのようにして行われるだろうか、という面白い問題があるのだ。

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多様性という状況を観察するには、そしてその多様性がいかに整序されているのかを知るには、ほんとうに最適なフェアだと思った。クラフト特有の性質として、出品された作品と作家との関係がある。小説家と同じような文体という問題があって、それぞれの作家が作風を持っていて、その作風がこの時代にあってくると、クラフトの意味が深くなるのだと思われる。この作風は、それぞれの作家が見せるものなので、多様なのだが、この意味には似たような共通性が観られる。

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たとえば、松本在住で市内でも人気の高い、このフェアの常連であるT氏の焼き物には、その人の人格が乗り移っているかのような様相を観ることができる。今回は、深い紺色にも近いブルーを作陶に取り入れてきて、ゆったりとした形にその色がさらに落ち着きをもたらしていた。その場所で、その方によってしか現れないという共通性があるのだ。本当はカップ&ソーサーを購入したかったのだが、家で使うことができるようにと、小振りの深鉢を選んだ。

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さて、今回のフェアに1つの流行が観られた。娘がそう言うのだが、箱庭的な小さな積み木のようなオブジェが至る所で展示されていた。この小さなオブジェを揃えていくと、部屋のなかに、1つの仮想的な帝国や社会や家庭が実現できそうである。これはこれで、購入者というよりは、作者のほうで作り始めると止められないだろう。このような作品は、クラフトのように、多種類で少量を得意とする分野でこそ、流行るものだという気がした。

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このフェアの当初からの伝統で、木工の作家が多いところから、テーブルや椅子はもちろんのことであり、さらに各種木工品は観ていても楽しかった。多くの作家が競っていたのは、パンを刻んだりするのに使うカッティング・ボードで、一枚の板をただ切ればいいのだ、と思う以上に、形や仕上げのオイルなど、それ相当の手間のかかるものらしい。幾人かの木工職人の方々からも興味深い話を聞くことができた。そのなかで、経済的に聞いてなるほどと思った、Sさんのカッティング・ボードを購入した。ここでは、もうひとつアイディアがあって、バターナイフやスプーンを売っているのだが、未完成品をわざわざ売り出し、最後の仕上げを購入者に行わせる工夫を行っていた。クラフトには、購入者にも参加させずに置かないという雰囲気が大事なのだ。

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信州大学に繊維学部があり、片倉工業などの絹紡績の伝統があるために、繊維に関係したクラフトにも特徴があると思われる。屋内会場でも、珍しい色を出した絹が展示されていたし、外のテントでは世界中の羊毛を展示し、売っていた。以前、英国に行ったときに、古い工場では古くなった機械部品を売りに出していた。今回も羊毛の展示テントで、西陣織の糸を繰るもの(何と呼ぶのであろうか)を売っていて、ワインを保留したり、テーブルの置物にしたりできるようだったので、思わず購入してしまった。

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まだまだ、他にもいろいろ買ってしまったのだが、きっとそれらをここですべて書くと、雑貨主義的な生活に非難囂々だろうから、今日はここまでにして置こう。もしこの近くに住み続けたならば、きっとこのままでは済まないほどのことになっていたに違いないだろうから、やはりこれは、小学校時代から約束された運命であったと考え、多少の質問や取材ができるようになったという成長のあったことを喜びとしておこう。

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2014/05/23

都市の多様性とは

Img_5983 地下鉄の駅で、走った。大都市の地下鉄の欠点は、大深部に作られるようになって、ホームまでかなりの階段を降り、そして登らなければならないという点にある。朝の運動になるという問題ではなく、毎日この階段を昇り降りしている人のことを想像すると、やはりシュジポス的な感覚は人間にとって必須になっているのだと思わざるをえなくなっている。不条理だというだけでは済まされない問題を、大深部の地下鉄は、現代に突きつけている。この中間に存在する時間が、問題なのかもしれない。

数日前に、放送大学の「自然と環境」研究会で、新しく放送大学へ赴任なさったK先生の「都市の鳥と緑地」という研究発表を聞いて、先日も書いたが「下層植被率」という言葉が頭から離れない。都市の公園では、下草や低木が刈られてしまう傾向があり、公園の植物をみると、これらの下層における植生のカバーが低率を示すことが知られている。K先生の発表は、この現象と鳥類の公園における残存種類との関係を指摘したものだったのだが、このことは社会の形成にも応用できるのではないかと、想像力を逞しくしている。もうすでに考えられているかもしれないのだが、植生という「自然の指標」だけでなく、下草刈りという「人間の指標」も組み合わせて使われている点が面白い。

ならば、いろいろなことを考えられるのではないだろうか。ぴったりした事例は、いずれ論文へ取り入れようとしているので、取っておくこととして、乗りかかった船で、前述の大深部地下鉄の例はどうだろうか。大都市生活の多様性は、地下鉄駅の深度と相関関係にある、というのはいかがだろうか。地下鉄網が発達し、都市住民の交流の密度が濃くなるのではと思う。けれども、大深部地下鉄の発達は近隣の都市生活に取ってはマイナス要因と働き、近くの疎遠と遠くの近接という多様性をもたらせている、ともいえるかもしれない。この例はかえって直接的過ぎて、面白くないといわれるかもしれない。ならば、地下鉄の交差の頻度と関係で、大都市の多様性を考えることはできないだろうか、などなど。

Img_5985 と考えながら、地下鉄の大深部から表通りへ出て、明日からの旅行へ持参する浅煎りコーヒーを買い求めた。ここ何回かはここの浅煎りを試している。今回はコロンビアのごく浅煎りだ。携帯ポットを持ち歩くのだが、こんな小さなポットでも、数時間は熱いままのコーヒーを楽しめる。近くの表通りに面して、この珈琲店の焙煎室が作られていて、視覚的な効果もあるように思える。

Img_5987 横断歩道を渡ろうと待っていて、信号が変わりゆっくりと道路に踏み出すと、わたしの名が呼ばれた。振り向くと、にこにこしながら、高校生時代の同級生S君がいた。彼は医学系の出版社に勤めていて、Img_5996 大学院生時代にはそのビルが近くだったので、ばったりとよく会ったものだ。それで今回、その出版社とは違う方向から、来たので見逃してしまっていたらしい。話によると、出版社の土地を統合して、異なる場所に一緒になったので、違う方向から現れた、とのことだった。彼は近年、大病を煩っていたのだが、元気そうな話し振りだったので、一安心だ。この次のクラス会にも出席するそうだ。まだまだ、「ばったり効果」が続いているらしい。

 

Img_5997 今日は娘と食事をすることにしていて、本郷菊坂のMというイタリアンの店へいった。菊坂には、その昔本妙寺という寺があり、明暦の大火の火元であったらしい。振り袖がその原因になったことから、有名である。Img_6002 けれども考えてみるに、ここが火元であるということは、丘のうえから始まり、神田・上野からさらに下町へ燃え広がったことになる。そのような風の季節が定期的にあったものと思われる。Img_6003 料理の方は、それほど劇的なものではないが、特色あるラインアップがなされていて、貧食のわたしでも何とか話についていくことのできるものだった。まずサラダをとったが、観てのとおり色鮮やかであり、さらにそこに、ピザを揚げたころものようなものが入っていて、もちもちしていて特徴があった。Img_6006 それから、熟成されたと思われる鳥のレバーバテも料理に合っていた。今日は、トリッパ料理がお勧めだというので、鳥トリッパのグラタンをとることにする。菊坂には、明治時代から文士たちの仕事場として利用された下宿屋や、ホテルがあった。Img_6009 その1つに、大杉栄や伊藤野枝が逗留していたことで有名な菊富士ホテル跡がある。食事後の文学散歩に事欠かないのが、文京区の特徴だ。茗荷谷の帰りには、もうすこし時間をとってこれからも探索したい街である。

2014/05/17

幕張本部でゼミナールを開く

Img_5942 今日は、今年度の初めてのM1とM2の顔合わせのゼミナールが、幕張で開かれた。茗荷谷の学習センターでは、ゼミが集中して、部屋が取れなかったのだ。新幹線でゼミに出席する人もいるので、都内の会場が便利だ。それで、ゼミの開催も茗荷谷へ集中してしまう。それも、土曜日・日曜日がネックになっている。ゼミナールを開こうとすると、5時間以上は最低でもかかるから、これだけの時間を確保するには、学習センターでなく他にとろうとすると、費用の話で恐縮だが、3、4万円かかってしまう。このようなところは、東京は大都市だなあ、と感ずるところだ。それで、幕張ということになったのだ。

20140523_101151 5月のゼミというのは、不思議な雰囲気がある。互いに知らないグループが一堂に会するのだから初対面の堅さがあって当然ではあるが、それに加えて、それぞれのグループの時期の問題がある。M2の方々は、1年間研究を行ってきて、それを知らない聴衆のまえで、わかってもらうという圧力が働く。わかりやすい表現を鍛える良い機会だと思われる。この1年間何を行ってきたのかな、ということを見直して、最終目的である修士論文へギアチェンジして走ることになる。M1の方々は、M2の方々を観ながら、この1年間でどのように進めていくのか、期待いっぱいの状態でゼミに出席してきているのだ。M2の方々の多様な在り方があるので、そのどの辺に自分の姿があるのかを想像する良い機会だと思われる。

20140523_101749 今日のゼミでは、M2に「コミットメント」論を良くする方がいて、しばしゼミのなかで流行語となった。そこで早速これを応用すると、個人が集団に加わる時に示すコミットメントには、J字カーブを描く性質のあることが知られている。たとえば、一年次の学生は、最初は修士に入学して、何かできそうだ、と期待値が大きい、ところが暫く経つと、スランプが訪れ、期待値が下がっていくだろう。だから、M1の方々は、当分ゼミへのコミットメントが低下する傾向を示すことになる。もしかしたら、脱落してしまう人も出てしまうかもしれない。J字の下降部分に当たる。ところが、二年次に進むにつれて、コミットメントは経験の積み重ねにしたがって、高まる傾向を見せることになる。M2のある程度まで、我慢して論文を書き続ければ、自ずとコミットメントは上昇するに違いないだろうということになる。そして、Jカーブの最も高いところで、修士論文を上梓して修了していくことになるだろう。

もっとも、ゼミの効用はこのような合理的な機能があるだけではなく、いわば第三の効用があるといえるかもしれない。それは、ゼミでのこの場の雰囲気を味わうという効用である。長期的にゼミに属していると、右の意見と左の意見と180度異なる意見の持ち主たちも、楽しんで反対意見をいえる雰囲気が醸成されてくるのだ。参加するだけでも、ゼミの外部的な効用はかなりのものだと認識されるようになり、このことがわかるくらいになると、良い論文が書けるようになって、ゼミを修了して出て行くことになるのだ。

2014/05/16

偶然ばったりと

Img_5920 偶然、ばったり遭うということが重なる日がある。妻は、家から買い物に出ると、必ず会う特定の人がいて、それで本来子育ての時期だけの友人で縁のなくなる人も、立派に継続されているのは、見事な関係であると思っていた。コミュニティの空間というのは、本来このような機能が存在しているはずのものであり、いわゆる「シュムーザー」という人びとが存在しており、コミュニティではこのような特定の人に会うのであれば、生活のパターンが同じであるから、むしろ遭って当然であるといえよう。

Img_5932 わたしの場合には、神奈川、東京、千葉を単なる経路でいつも行ったり来たりしているので、偶然ばったりということは極めて珍しい。心理的には、もしそれが起こったらほんとうにばったりという感じになる。広域のシュムーザーは存在しない。

Img_5949 それで、今日は3回ものばったりがあって、こんな確率はきわめて低い。最初のばったりは、K大学で講義が終わったら、半年に一度お世話になっているF先生から声をかけられた。それで、今度横浜本郷台の公開講座で楽しい話をするのだと、写真にあるチラシを見せていただいた。移民論を専門にしていて、今回は幕末期に蒸気の外輪船で米国に渡った人びとについて、話すのだそうだ。わたしたちが知っているのは、有名な岩倉使節団くらいなのだが、かれらは一等船室で、じつは三等船室にはいろいろな目的の人びとが乗っていたらしい。とりわけ、移民の動向は興味深いそうだ。近年、当時の米国の立場を日本が担うようになってきている。エコノミークラスに乗って、日本にやってくる準移民の人びとは、当時の日本人と同じような問題を抱えていることが想像できる。時間が許すならば、ぜひ聴講したい講座だ。

Img_5939 講義のあと、千葉へ移動するので、東横線に乗って出口近辺に立っていた。自由が丘について、ドアの外を眺めていたら、第2のばったりの遭う。数年前に放送大学を定年で退職なさったK先生が、ご夫婦でホームからこちらをみて微笑んでいた。放送大学ではわたしの千葉学習センター担当時代にK先生が学習センター所長をなさっていて、たいへんお世話になった。とくに、卒業式では流暢な弁舌で、式辞を述べられていて、楽しい思い出がたくさんある。また、現在でも、修士課程修了生のOB会を主宰なさっていて、早い段階から研究誌を発行なさっていて、すでに10年近くになるのではないかと思われる。電車のホームという場所は、忙しく通り抜けてしまうので、ばったりの機会としては極めて珍しい。

Img_5916 きょうは、母の家へ泊まるつもりで、電車をおり、家に向かって歩き始めた途端に、第3のばったりに遭遇した。母がいつもお世話になっているHさんご夫婦だ。買い物の途中らしかったが、お元気そうでなによりだった。すでに陽は傾いて、今日一日も修了しようとしているのだが、太陽と同じように、表に出ていれば、このような遭遇が重なる日もたまにはあるだろう。それに、このようなばったりがなかったならば、外に出たいという意欲も無くなるだろうと思う。

2014/05/11

中華街から近代文学館へ

Img_5780 来年出すテキストの初校を返送しなければならない時期にきている。特別にメールで断りを入れておいたので、十分見直しに余裕ある時間をもらっている。それでこの優遇措置を無駄にしてはいけないと思い、ここ数日間、もうひと踏ん張りをしてみた。Img_5789 考えれば考えるほど、アイディアが重なってくるので、どれを残すのか、ということになってきて、それで厚塗りの原稿になりつつある。画家のポロックくらいの厚さになってきており、ふっと単純でシャープな考えが浮かび上がってくればよいなと思う。今日も、結局は計画した倍以上の枚数になってしまった。明日は編集者の方に郵送することにしよう。

Img_5790 妻が近代文学館で行われている「太宰治展」の切符をとってくれたので、連休を利用して家にきていた娘と出かける。途中、中華街へ寄って、昼食を摂る。休日の中華街は、観光客がいっぱいで動けなくなるので、いつもは避けていたが、今日はちょうど地下鉄関内の駅から文学館へ行く真ん中にこの街があるので、仕方ないだろう。どこかへ潜り込むことは可能だろうと思ったのだが。

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近年になって、たくさん食べることにはそれほど欲望を抱かなくなった。本来は、食いしん坊なので、バイキングなどへ行くと腹一杯食べてしまう方なのだ。けれども、すこしであっても味を堪能すれば、それでいいと思うようになってきた。どうやら消化器官が衰退期に入ってきてしまったのではと思い始めている。

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ところが、娘は若いだけあって、きょうは最初からバイキングだと言っている。ちょっと・・・と思ったが、一人がそのような欲望を持ったからには、止まらないだろう。娘が赤ん坊のころ、家族で入ったYへまず行く。店内は空いているように見えたが、それは表面だけであって、単にそこで待っている人が少ないだけで、登録待ちが2時間後だそうだ。この店は諦めた。もう一軒、老舗だが、中心部から外れたところに本店がある店でも、件のバイキングをやっているというので、そちらへ向かうと、ちょうどふたり席が空いたとのことだった。

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その方式は有名なオーダー式バイキングという方式で、ふつうのバイキングが造り置きして冷めてしまう欠点を改善したものであった。好きなものをその都度頼めて、しかも食べ放題という利点がある方式なのだ。写真入りのメニューには百種類以上の料理が並んでいて、その番号をメモ用紙に書いて渡すと、数分で料理は届く。料理店にとっても、無駄のない注文になるから、食材の過剰を防ぐことができるメリットがある。それにしても、Img_5804 これだけのメニューを瞬時に作らなければならないという体制は、これまでのバイキングのように造り貯めておくことができないだけに、料理人の数を確保しなければならない、という最大の難点があるのも事実だ。したがって、中華街のなかでも、料理人をたくさん抱えている店でしか、このオーダー方式はとることができない。調理場はおそらく戦争状態を呈していることだろう。

Img_5805 オードブルに軽いものをとって、スープはフカヒレ、青菜、肉料理、鳥料理、飲茶、北京ダックなどと進んだ。アヒルの炭火焼がほんのり煙の匂いがして、美味しかったのを覚えているが、なにしろ種類が多いことのほうに、つまり多様性を楽しむほうに、わたしの舌は作用した。本来の中華料理はそうなのだろう。食事前に思っていた食欲減退というのは、単なる思い込みに過ぎなかった。Img_5813_2 これだけ多くの料理を食べて、まだまだ食べられそうな脳の反応に戸惑うばかりだった。デザートは、苺の杏仁豆腐と桃の饅頭、そして仕上げは、甘い餡子のはいった胡麻団子だ。最後のころには、写真を撮ることさえ忘れて、舌鼓を打つほうに集中してしまったのだった。

Img_5815 中華街料理の特徴は、腹一杯に食べても、ちょっと歩くと、腹八分目ほどになって、満腹感がすぐに解消されるという点にある。消化薬が一緒に入っているのでは、と思うほどだ。それで、元町へ出て、フランス山の元フランス領事館跡地を通って、港の見える丘公園へ出る。いつも不思議に思うのだが、なぜフランス領事館なのに、風車があるのか、ということだった。Img_5818_2 それは、近くの井戸で、答えがわかった。つまり、わたしたちのように、坂道が苦手な人びとが住んでいたらしく、揚水用に風車が使われていたとのことだ。それは良いアイディアだと思われるのだが、なぜ現代にもImg_5828 それは使われていないのだろうか。現代でも、風のある街ならば、もっと広がっても良い風習だと思われた。

Img_5830 緑林の中のポスターは幻想的だ。橋を渡って、ちょっと違った世界へ行こうと誘うに、ぴったりの雰囲気だった。さて、近代文学館の太宰治展の最初の展示物が、この展覧会全体を表していたと思われる。1つ目は、二重の黒いマントなのだ。そして、脇にこのマントを所望する太宰のはがきが添えられていた。貧困生活をするなかで、田舎にマントを欲しいとねだってImg_5842_2 いるのだ。生活費を懇願するのであれば、このはがきのような文面は相応しいと思われるのだが、そうではなく、まさにちょっと高価な黒いマントを所望することに文章を費やしている。たぶん、太宰治という人物は、このようなことに極めて真面目な小説家だったに違いない。

Img_5840_2 他者であれば、求めることを諦めるような貴重なものを、駄々っ子が欲しがるように求めてしまう。そして、その極限物が彼の死だったのだ、と思わずにはいられなかった。普通の人びとならば、あれほど求めることはなかったに違いないのだ。しかし、それにもかかわらず、求めることを止まないという性格に、他の人にはない、彼の特徴があると思われた。

Img_5844 今回の展覧会では、生原稿が数多く、展示されていた。字がきれいであるという、有名となっていたことはすぐに見て取れ、展示物としても美しいと思われた。その中で、生原稿なので、字や文章を手直ししているところがあるのだが、字の消し方に特徴があるのだ。ふつう、取り消し線を二本くらい引いて、脇に訂正文字をかくのだが、太宰は取り消し部分が無数の線で塗りつぶされていて、もとに何という文字が書かれていたのかが一切観ることができないほどに、塗りつぶされている。Img_5845 前書いた文章を読まれたくなかったのだ、と娘はしたり顔で言った。ここは、太宰がいつも否定的に物事を見て、実は肯定的なことを望んでいたのではと思わせる手法と同じような気がした。だから、もしかしたら、あの塗りつぶされた斜線の下には、じつは何も書かれていなかったのだということもあったのかもしれない、とちょっと穿った見方で、原稿を眺めたのだった。

Img_5852 帰りには、テレビドラマに出てきそうな、花屋と珈琲屋が一緒になった元町の喫茶店Fへ寄る。スコーンとバナナケーキを頬張って、大振りの茶碗にたっぷりと入れてもらったコーヒーを楽しんだ。山下公園を端から端まで歩き、Img_5857 大桟橋のたもとから開港資料館前を抜けて、税関から県警前を通り、海岸通のバンクスタジオをちょっと覗いて、陽が陰ってきた馬車道を通って、関内駅に戻った。このような横濱散歩の定番は、3ヶ月に一回くらいは巡ってもよいと感Img_5876 じたのだった。Img_5869

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2014/05/02

連休の途中で仕事を済ませる

Img_5539 朝から、これまでも何度も書き換えてきていた原稿に、再び手を入れる。今回、なぜ何回にも渡って、書き直す必要ができたのかと言えば、絵画でいうところの重ね塗りを行う必要ができたからである。もちろん、文章が拙いところはたくさんあるのだが、それでも、なんと言うのか、重層的な書き方を行うためには、すこし置いておいてから、書き加えた方が味の出る場合がある。と、もっともそうな理由を付けてみる。文章は、シンプルな方が良いというのは鉄則ではあるのだが、そこは人によって意見は異なるだろう。

Img_5544 妻が録画していたNHKのドキュメンタリーで、酒井田柿右衛門の世代交代を追究していたものを観た。寝台特急「ななつ星」に設置される蹲(つくばい)、というのか手水鉢(ちょうずばち)というのか、の制作過程を映していた。そこで最後の2日を残して、もう一度塗って、さらに焼き締める必要のある場面を撮っていた。全体がルーズになっていた絵を、もう一度塗って、火入れをすることで調整を行うとのことだった。僭越ではあるのだが、何となく同じだなと思った。磁器だけではなく、観念の制作でも、もう一度「火入れ」することはたびたびあるのだと思う。

Img_5540 こんなことをやっていると、なかなか連休中折れの鬱々とした気分は晴れない。今年の連休は、真ん中に数日仕事日が挟んでしまっているために、集中して休みの気分になれない。今日も、講義が挟まっていて、これを乗り切れば、なんとか無事に後半の連休に入ることができそうなのだが。

Img_5545_5 今日は、その準備に歩き回った。講義を終えて、まずは明日からのコーヒーの調達に走った。いつものコーヒー豆屋さんは、講義後の道筋にはない。そこでたびたび寄っている、大学帰り道の六角橋商店街にある珈琲専門店で「豆をください」、と言ったら、基本的にはこの店では豆は売らないのだと断られてしまった。あれほど、店で飲む珈琲にはバリエーションがあり、美味しいのだが、豆を売らないという店は珍しい。けれども、飲みにくる客への応対に徹しているという方針は潔く、専門店の名にふさわしい。珈琲の味の最初から最後まで、店の中で責任を果たしているということらしい。

Img_5548_2 それで、渋谷へ出たのだが、出口を間違えたらしく、なかなかコーヒー店の側へは行き着かない。いずれ、この辺のコーヒー店は深煎りで、苦み系の豆が主体の店が多い。そこで、思い立って、ツツジの根津神社を拝見するために、本郷へ出る。郵便局の横にあるM食堂で日替わり定食を食べる。

Img_5549 そして、ついでに、本郷のW珈琲店で、浅煎りの酸味系珈琲を求めることにする。都内にあって、浅煎りを看板にしている珍しい店だ。一軒置いたビルに、焙煎所を設けていて、新鮮さは申し分ない。豆もかなり期待できそうだ。コーヒーの豆にImg_5543 「火入れ」を再び行うことはできないが、豆を選んで、一度諦め、さらに違う豆屋さんをハシゴしたのは、初めてだ。選び直した成果を期待したいところだ。さて、明日から信州へ行こうと考えている。

2014/05/01

衰退にこだわるようだけれど

衰退にこだわるようだけれど、最近ゼミ発表を行ったYさんの綿布団店のエピソードは衰退産業の典型を示していて、絶えず思い出される。先日、妻が図書館から山田太一著「月日の残像」を借りてきた。この中に、綿の話が載っている。なぜ綿布団が良いのか、というエピソードだ。山田太一が助監督だった撮影所時代のOさんの話として紹介されている。「友人がOさんのお宅を訪ねると、狭いアパートの一室で、掛け布団の皮をはいで、中の綿だけにくるまって寝ていたという。どうしてこんなことを、ときくと、これだと綿をちぎって首の周りを囲めるからあたたかくていいのだといったという。そして、間もなく亡くなった」というのだ。ちぎって使うことのできるのが綿であり、このようなユニークな使い方ができるにもかかわらず、なぜ綿布団は衰退するのかと嘆く、いやOさんは消滅しなければならないのかと嘆く、この衰退を憂い、楽しむ心境のわかる話だ。

このエッセイ集では、相変わらず、近代社会からはみ出さざるを得ない人びとのエピソードを集めている。これらの話の中で、最も頻繁に出てくるのは、じつは山田太一氏自分自身だ。なぜシナリオ・ライターになったのか、なぜ溝ノ口に住んでいるのか・・・いずれの話の中でも、特有のはみ出し人生を開陳している。なぜシナリオ・ライターになったのかといえば、「監督になるのが怖かった」からであり、なぜに溝ノ口に住むのか、といえば、都内から外れており、神奈川に至らないからだ、ということになる。

この屈折の具合が絶妙で、本人にとっては、当時深刻な問題であったことが想像されるのであるが、しかし部外者にとっては、この屈折の在り方が訳の分からないところであって、山田太一が西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」という言葉を引いて説明している不思議さをもっているのだ。シナリオ・ライター問題では、「社交が苦痛でない人ならよいけれども、私はすぐ一人になりたくなってしまう。片隅にいたくなる」ということになるだろうし、溝ノ口問題で言えば、「どこかで東京に出て光を浴びたくないという心持ちのようなものがあるような気がする」ということになるだろう。

それでは、監督になりたくない問題や、溝ノ口に住み続ける問題がどのように、解決されるのか、という究極の問題になるだろう。これはこれで、山田太一的解決がなされていて素晴らしい。「考えると、フィクションを書くような人間は、どこかで現実の自分や人生からはみ出したいと願っている人種なのではないかと思う」と。

それにしても、溝ノ口にはこだわっていて、ねじめ正一の書いた「荒地の恋」を取り上げ、詩人の北村太郎と田村隆一夫人が駆け落ちして、最初に溝ノ口に居を定めるが、後に逗子に移り住むくだりで、「逗子に住むことができるなら、最初から溝ノ口に住むな」と言っているところは、かなり笑ってしまったのだ。綿をちぎって暮らす者の心境がここに出ている。曲がり具合が半端でない。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。