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2014/04/25

横濱の港にある「衰退」の可能性

Img_5516 最近、わたしのゼミで盛り上がっている話題は、「衰退産業」についてである。もちろん、「衰退」という言葉には、マイナスのイメージがあるのだが、ここではむしろ愛着を込めた言葉として使っているのはいうまでもない。その産業がほんとうに衰退産業なのかどうか、それはわからないところが多いが、それでも「衰退産業」と呼ばれる可能性のあることには、ある種の共通点が存在する。

Img_5510 一人は、布団店を経営なさっているYさんだ。東京の下町にある商店街で、布団店を経営していて、やはり衰退と呼ばれる状況に、産業と商店街の両方が陥っているらしい。なぜ布団に需要がでないのか、思い当たることがたくさんある。もう一人は、新聞販売店に詳しいKさんだ。電子版の新聞が世に出て、それで経営が圧迫されているのでは、と想像していたら、その点もあるが、それ以上に販売・流通に問題があるのだ、という視点からゼミでの報告が続いている。

Img_5508 それで、わたしも身近なところに、衰退現象が見られるか否か、歩きながら探して見ることにした。最近、JRの各駅では、街の古い写真を掲げて、駅の宣伝に利用している。街の中での駅というものの位置づけがわかり、たいへん良い企画だ。K大学へ教えに行くときに、JR東神奈川駅をImg_5773_2 通るのだが、ここにも大きな写真が数枚掲げられている。C23号などのSLの写真もある。

この界隈は、以前にも紹介したように、幕末の外国貿易の中心地が置かれており、その周りに、大使館や領事館が寺社などを借りて、設けられたりした歴史的地域だ。それで、海岸沿いには、東海道沿道の歴史的遺産があることは知っていたが、それでは港そのものはどのようになっているのだろうか、ずっと疑問に思っていた。ちょっと横濱駅のほうへズレれば、そごう百貨店から、ウォーターフロント開発へつながってしまうのだが、この東神奈川駅近くの港がどのようになっているのか、ちょっと離れているので、想像できなかった。

Img_5457 駅の写真の中に、ちょっと変わった地図がある。古地図というには新しく、現在の地図ならなぜここに掲げられているのかが不思議な地図なのだ。なぜこの地図が東神奈川駅の象徴として掲げられているのか、大いなる疑問だったのだ。その地図は、「横濱倉庫株式会社」を中心に、この東神奈川沖の埋立て港が発展したことを物語っていた。Img_5774 朱色に塗られた「横濱倉庫」の地が現在どのようになっているのか、これだけでも散歩の意味はあるだろう。最初から、「衰退」モデルがここには存在するのではないか、とは考えなくはなかったが、とりあえず行ってみることにした。

Img_5493_2 駅を出て、すぐに京急線の仲木戸駅ガードをくぐることになるのだが、JRと京急線の間に挟まれた地区は今日では再開発されてしまっている。そのビルの一階には、昔の商店の写真が掲げられていて、かつては老舗が並んでいたことを思い出させている。国道一号線に沿って、もう一本海岸線を通っている京浜湾岸線を跨線している歩道橋も、痛みが激しく、架け替えられている最中だった。ここを過ぎると、急に人の姿が見えなくなる。Img_5459 運河のように見えるが、おそらく港の一部と思われるところが現れ、多くの船が係留されている。何に使われる船なのだろうか。さらに進むと、鉄道線が通っている。もし横濱がもっと海岸線を大切にしていたならば、この貨物線に使われている線路も、別の可能性があったものと思われる。

Img_5492 この辺から、「横濱倉庫」だったのだろうか。三井倉庫やその他の倉庫会社の古い建物群が姿を表す。倉庫を中心に発達して来た港の雰囲気が、この辺りには確かに存在する。右に行くと、横濱のウォーターフロントを経て、横濱駅へ通じてしまう。そこで、さらにまっすぐ港の先端を目指して、大きな橋を渡ろうとする。この橋のたもとには、年季が入っているが、洒落ているBAR3軒並んでいる。2軒ならば、気まぐれな散歩者を迎えるのには、十分であるのだが、3軒あるということは、それ以上の夕方から夜にかけての酒飲みの需要が定常的にあるということを示している。

Img_5471 大きな橋を渡っていくと、前方には大きな工場のような建物が数キロに渡って、延びている。いかにも、港の開かれた風景だったので、パチパチと写真を撮っていたら、金網塀の向こうから呼びかける声が聞こえてきたのだった。「写真を撮らないでください」と聞こえた。目の前の看板をみると、「U.S.Army」とあった。こんな横濱港の中核に、米国陸軍の基地があったとは。ここは、横浜港の国際埠頭の一部なのだ。

Img_5477_2 なぜ鉄橋のたもとにBARが3軒も残っているのかが、これでわかった。定期的に陸軍の兵士たちが飲みに訪れるのではないかと推測できた。真ん中の一軒「Star Dust」がこの時間でも開いていた。Img_5478 中は、タバコの煙に燻された壁や天井で、真っ暗でカウンターは黒光りしていた。窓からのウォーターフロントのビル群風景が素晴らしかったので、窓際に席を定めて、喉を湿らせた。

Img_5481 スティーブンソンの「宝島」の冒頭に出てくる錨亭のような雰囲気で、親父さんが暇そうに、バーテンダーの若者と店番をしていた。ここに兵士たちが満員になる図を思い描きながら、しばし休憩をとる。答えるともなしに、親父さんは創業60Img_5483 だ、と言っていた。つまり、戦後すぐに開いたということだ。ちょうど米軍がここに基地を定めたと思われる時期に合っている。

Img_5473_2 さて、最初の疑問は「横濱倉庫」のWebsiteで解けた。なぜ東神奈川で大きな倉庫業が発達したのか、言われてみれば当たり前で、横浜線の終着駅であり、横浜線つまり八王子からの「絹の道」のImg_5502 終着点だったということだ。幕末から、日本の輸出品の中心にあった生糸が群馬から八王子を経て、東神奈川沖の「横濱倉庫」を通じて、外国へ送られていたのであった。横浜線が横濱駅基点ではなく、なぜ東神奈川駅だったのかが、Img_5498 ようやくわかったということだ。「生糸貿易」が衰退して、現在では、「軍施設」として再生されているのだ。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。