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2014年4月に作成された投稿

2014/04/30

家族崩壊の物語

Img_5520 映画が終わって、階段を降りていく最中に、前のふたり連れが映画のなかで、男優のユアン・マクレガーが出ていたようだけれど、誰だかわからなかったと、おしゃべりしていた。そういえば、いつもは金髪の欧州貴族然としている役なのだが、今回は南部アメリカのインテリ役で、ちょっとイメージが異なっていた。個人の表の役割よりも、その裏のことが中心に描かれていた映画だった。

家族崩壊の物語である。家族崩壊の原因には、いくつかのパターンのあることが知られているが、企業組織と同じように、個人が組織に耐えきれなくなって、規則を侵すことで家族が崩壊に至るというのであれば、それほどわからない物語ではない。けれども、やはり家族は、企業と違って、たとえ表の規則を破ろうとも、家族の中では、このような狂気は許されるところがあり、表立った規則を破ろうとも、許されてしまう場面が存在する。そもそも、家族とはそういうものである。だからこそ、家族崩壊は必然となる。

幕張からの帰り道、有楽町で降りて、名優たち総出演の映画「八月の家族たち」を観る。母と子を巡る家族崩壊の物語である。最初の進行は、夫が死に、ドラッグに溺れ、娘たちの言うことを聞かない母が、勝手放題を行う。それで、母と子の関係にヒビが入っていくという関係が描かれる。もしこれだけならば、家族崩壊の「かの字」の段階の崩壊模様だ。ここでもう一枚めくった事情が現れてくる。これが、本当に耐えられないもの、として現れてくるにしたがって、最終崩壊場面が描かれることになる。

映画の始まりは、T.S.エリオットの詩「うつろな人間」に出てくる「人生はかなり長い」ということばである。家族の結ぶ人間関係は、短期間でどうにかなる問題ではなく、人生の長きに渡って形成されるもので、それぞれの態度にはそれ相当の理由が隠されている。だから、時には現実でどうにもならなかったり、時には可能性としてどうにかなったりして、その間に長い間あって、どうしても避けられないものとして、本人たちが自覚しなくとも起こってしまうことがあるのだ。

Img_5525 前半には、ベテラン女優のメリル・ストリープと、ジュリア・ロバーツの激しい掛け合いがあり、言葉と暴力のバトルで目を奪われ、どうしても西洋的な言語戦争に目が行ってしまう。けれども、この映画の本質は、このような現実以上に、「長い人生」のなかでの静かな出来事に真実のあることが明らかにされてしまう。最後に残るのは、残酷な現実なのだが、なぜ家族が崩壊しなければならないのかを、妥協なしに納得させられるのだった。

小津安二郎の映画「東京物語」で、原節子が笠智衆を前にして、なぜ再婚しないのかについて尋ねられるのだが、「わたしずるいんです」という有名な言葉をそこで発する。なぜか、この言葉を思い出してしまった。家族の中に残っていれば、どうしようもなく、家族崩壊を招いてしまう、という逆説的な真理が存在し、社会心理状況として、そのことが現れたときに、家族崩壊が起こってしまうのだ。

Img_5522 階段を降り切って、映画の出演者を掲げたポスターの前で、この複雑な家族関係の系図を確認し合っている、女性たちがいた。さて、誰が誰の夫であり、誰の妻なのか。それが問題だ。

2014/04/25

横濱の港にある「衰退」の可能性

Img_5516 最近、わたしのゼミで盛り上がっている話題は、「衰退産業」についてである。もちろん、「衰退」という言葉には、マイナスのイメージがあるのだが、ここではむしろ愛着を込めた言葉として使っているのはいうまでもない。その産業がほんとうに衰退産業なのかどうか、それはわからないところが多いが、それでも「衰退産業」と呼ばれる可能性のあることには、ある種の共通点が存在する。

Img_5510 一人は、布団店を経営なさっているYさんだ。東京の下町にある商店街で、布団店を経営していて、やはり衰退と呼ばれる状況に、産業と商店街の両方が陥っているらしい。なぜ布団に需要がでないのか、思い当たることがたくさんある。もう一人は、新聞販売店に詳しいKさんだ。電子版の新聞が世に出て、それで経営が圧迫されているのでは、と想像していたら、その点もあるが、それ以上に販売・流通に問題があるのだ、という視点からゼミでの報告が続いている。

Img_5508 それで、わたしも身近なところに、衰退現象が見られるか否か、歩きながら探して見ることにした。最近、JRの各駅では、街の古い写真を掲げて、駅の宣伝に利用している。街の中での駅というものの位置づけがわかり、たいへん良い企画だ。K大学へ教えに行くときに、JR東神奈川駅をImg_5773_2 通るのだが、ここにも大きな写真が数枚掲げられている。C23号などのSLの写真もある。

この界隈は、以前にも紹介したように、幕末の外国貿易の中心地が置かれており、その周りに、大使館や領事館が寺社などを借りて、設けられたりした歴史的地域だ。それで、海岸沿いには、東海道沿道の歴史的遺産があることは知っていたが、それでは港そのものはどのようになっているのだろうか、ずっと疑問に思っていた。ちょっと横濱駅のほうへズレれば、そごう百貨店から、ウォーターフロント開発へつながってしまうのだが、この東神奈川駅近くの港がどのようになっているのか、ちょっと離れているので、想像できなかった。

Img_5457 駅の写真の中に、ちょっと変わった地図がある。古地図というには新しく、現在の地図ならなぜここに掲げられているのかが不思議な地図なのだ。なぜこの地図が東神奈川駅の象徴として掲げられているのか、大いなる疑問だったのだ。その地図は、「横濱倉庫株式会社」を中心に、この東神奈川沖の埋立て港が発展したことを物語っていた。Img_5774 朱色に塗られた「横濱倉庫」の地が現在どのようになっているのか、これだけでも散歩の意味はあるだろう。最初から、「衰退」モデルがここには存在するのではないか、とは考えなくはなかったが、とりあえず行ってみることにした。

Img_5493_2 駅を出て、すぐに京急線の仲木戸駅ガードをくぐることになるのだが、JRと京急線の間に挟まれた地区は今日では再開発されてしまっている。そのビルの一階には、昔の商店の写真が掲げられていて、かつては老舗が並んでいたことを思い出させている。国道一号線に沿って、もう一本海岸線を通っている京浜湾岸線を跨線している歩道橋も、痛みが激しく、架け替えられている最中だった。ここを過ぎると、急に人の姿が見えなくなる。Img_5459 運河のように見えるが、おそらく港の一部と思われるところが現れ、多くの船が係留されている。何に使われる船なのだろうか。さらに進むと、鉄道線が通っている。もし横濱がもっと海岸線を大切にしていたならば、この貨物線に使われている線路も、別の可能性があったものと思われる。

Img_5492 この辺から、「横濱倉庫」だったのだろうか。三井倉庫やその他の倉庫会社の古い建物群が姿を表す。倉庫を中心に発達して来た港の雰囲気が、この辺りには確かに存在する。右に行くと、横濱のウォーターフロントを経て、横濱駅へ通じてしまう。そこで、さらにまっすぐ港の先端を目指して、大きな橋を渡ろうとする。この橋のたもとには、年季が入っているが、洒落ているBAR3軒並んでいる。2軒ならば、気まぐれな散歩者を迎えるのには、十分であるのだが、3軒あるということは、それ以上の夕方から夜にかけての酒飲みの需要が定常的にあるということを示している。

Img_5471 大きな橋を渡っていくと、前方には大きな工場のような建物が数キロに渡って、延びている。いかにも、港の開かれた風景だったので、パチパチと写真を撮っていたら、金網塀の向こうから呼びかける声が聞こえてきたのだった。「写真を撮らないでください」と聞こえた。目の前の看板をみると、「U.S.Army」とあった。こんな横濱港の中核に、米国陸軍の基地があったとは。ここは、横浜港の国際埠頭の一部なのだ。

Img_5477_2 なぜ鉄橋のたもとにBARが3軒も残っているのかが、これでわかった。定期的に陸軍の兵士たちが飲みに訪れるのではないかと推測できた。真ん中の一軒「Star Dust」がこの時間でも開いていた。Img_5478 中は、タバコの煙に燻された壁や天井で、真っ暗でカウンターは黒光りしていた。窓からのウォーターフロントのビル群風景が素晴らしかったので、窓際に席を定めて、喉を湿らせた。

Img_5481 スティーブンソンの「宝島」の冒頭に出てくる錨亭のような雰囲気で、親父さんが暇そうに、バーテンダーの若者と店番をしていた。ここに兵士たちが満員になる図を思い描きながら、しばし休憩をとる。答えるともなしに、親父さんは創業60Img_5483 だ、と言っていた。つまり、戦後すぐに開いたということだ。ちょうど米軍がここに基地を定めたと思われる時期に合っている。

Img_5473_2 さて、最初の疑問は「横濱倉庫」のWebsiteで解けた。なぜ東神奈川で大きな倉庫業が発達したのか、言われてみれば当たり前で、横浜線の終着駅であり、横浜線つまり八王子からの「絹の道」のImg_5502 終着点だったということだ。幕末から、日本の輸出品の中心にあった生糸が群馬から八王子を経て、東神奈川沖の「横濱倉庫」を通じて、外国へ送られていたのであった。横浜線が横濱駅基点ではなく、なぜ東神奈川駅だったのかが、Img_5498 ようやくわかったということだ。「生糸貿易」が衰退して、現在では、「軍施設」として再生されているのだ。

2014/04/20

鎌倉駅の西側のほうを歩く

Img_5323春に誘われて、午後から鎌倉へ妻と出る。天気が下り坂なので、もうちょっと気温が上がることを期待したのだが、まだまだセーターの要る春の日。歩いていても寒いという午後だ。京急の新逗子からJR逗子へ出て、鎌倉へといういつもの経路を辿った。鎌倉駅を東口へ降りると、今日のように、春の日曜日には人出が多い。多過ぎる。そこで、今日は西口へ出て、江の電で由比ケ浜へ直行する。鎌倉文学館で、「小津安二郎」展が開かれている。


春の夜 ふと おるごおる 鳴りいだす  小津安二郎


Img_5376まだ、夜にはほど遠い時間だったけれども、鎌倉文学館へ至るには、木陰の並木道が続いていて、その先に、昼であっても夜の異郷へ迷い込むようなトンネルがある。この「ふと」というのは、心理的には春の夜に思う人の「ふと」であるのだが、「おるごおる」にかかると思う人の環境にかかってくる。両者をつないで、微妙である。

Img_5336_2かつての海岸線からの急な丘を登っていく。別荘というより、やはり「別邸」という雰囲気の場所である。前田家、佐藤家が使って来た別邸である。ちょっと来て泊まるのではなく、ずっと数ヶ月住み続ける邸宅としての趣を持っている。ひとつの谷を全部占めていて、庭が十分に取ってあり、なおかつ、料理室や客間が充実している。そして、客を迎えるための、とりわけ邸宅としての玄関が素晴らしい。

Img_5340今回はここに、小津安二郎の「小津日記」が44冊展示されている。ちょうど生誕110年で、没後50年ということで、日記は大正10年(1921年)から昭和36年(1961年)までのものが展示されていた。小津が初めて映画を見たのが、三重県松阪で10歳のとき。14歳にして、すでに映画監督になることを志望し、24歳で第1作を撮っている。生涯独身であったが、それは「日記」形式にマッチするものだったと、小津の場合にはいえるのではないだろうか。

Img_5352小学校時代の作文が展示されていて、「擬人法」を練習したものだった。友人の鉛筆になったつもりで、作文を行っている。日記には、独身者であっても、人格を複数化する効用があり、彼には文字との対話が必要だったに違いない。

Img_5361文字との対話を行っていたという証拠として、日記帳を複数持っており、小さな携帯用の日記から、ときどき、厚い日記帳へ書き写し、その際、書替えているのだ。自分の行動や他者の行動を、書き直すことで振り返っている。独身者であれば、そのような時間に困らないはずだ。もちろん、恋人との関係はあったはずだが。


Img_5338モノとの対話も楽しんでいた風がある。展示では、「小津好み」ということで、赤漆の文机、万年筆、陶硯、火鉢、パイプ、湯のみ、万祝の半纏、ベンソン懐中時計、チェックのマフラー、足袋などなど。いかにも、監督が好みそうなモノが集められていた。

Img_5378とくに、映画の中でしばしば登場していた、と妻はいうのだが、「民芸調の電気スタンド」は、時代の特徴が出ていた。傘の部分が八角形の木製で出来ているものだ。現代のようなLEDの時代には、なかなかこのような形の電気スタンドは作られることが無くなってしまった。「電球」という形式が在ったからこそ作られる電気スタンドの形式というものがあったのだ、ということを改めて気づかされる。

Img_5335庭へ出て、芝生の庭園を下って、バラ園へ出る。もうしばらくしたら、このバラ園目当ての観光客で、ここもいっぱいになることだろう。この庭園には、文学館であることから、鎌倉にまつわる俳句や短歌の燈台がたくさん設置されている。芭蕉や漱石の俳句も良いが、万葉集や実朝の歌もかなりのものだ。わたしは漱石を取ったが、妻は実朝を取った。

鎌倉は 生きて出にけん 初松魚    芭蕉


冷やかな 鐘をつきけり 円覚寺    漱石

鎌倉の 見越の崎の 岩崩の

   君が悔ゆべき 心は持たじ   万葉集


大海の 磯もとどろに よする波

  われてくだけて さけて散るかも  実朝

Img_5381鎌倉文学館の坂道を下って、大通りへ出たところに、鯛焼きの店があった。食べながら、駅へ歩こうということになる。笹目から六地蔵を経て、御成通りへ入る途中には、
Img_5384老舗の鎌倉彫の店や、かまぼこの店、絵本やブックカフェが並んでいて、ウィンドウショッピング
Img_5389を楽しませてくれる。古い銀行あとを再利用した店などもあって、散歩に最適な道になっている。自動車で渋滞している道路を尻目にして、Kという、芸術雑誌・書籍の雑多に置かれている古書店に入る。ぱっと目に入って来た不遇の英国人の詩集の一行目に、つぎの句が刻まれていた。


「美しきものはとこしへによろこびなり、

そのうるわしさはいや増し、そはつねに

失せ果つることあらじ・・・」


これから始まる叙事詩の出だしとしては、最高の出だしだと思う。今日の最後のコーヒーの代わりに、この句で満足することにして、帰りの横須賀線へ乗った。

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2014/04/13

映画「白ゆき姫殺人事件」

3 グリム童話集の「白雪姫」をわたしの放送授業で使ったので、このところ白雪姫関連の映画を見ている。先日この欄で取り上げた映画「ビアンカニエベス」も白雪姫の新しい解釈だったと思う。映画評では酷評も目立つが、異なる解釈を成立させてなおかつ古典的な白雪姫に共通の物語を、強化する映画になっている点では、評価すべきだと思う。

今回の日本映画「白ゆき姫殺人事件」はミステリーに分類されるものだと思われる。ミステリーの本道は何かといえば、諸々の説があるのだと思われるが、謎の存在が欠かせないという共通点を持っている。この「謎」を最初の段階でいかに造り出すことが出来るかが、ミステリーの最初の段階での成功を左右するだろう。「これが謎だ」と主張する人物、事象を造り出せるか否かだと思う。

この点で、今回の中村監督の「白ゆき姫殺人事件」はどの程度物語と異なり、どの程度白雪姫物語なのか、が問われるだろう。今回の映画では、とりあえずグリム童話と異なる点を強調するところから入っている。

この映画の出だしでは、「白ゆき姫」と考えられる人物を登場させているのだが、この白ゆき姫が殺害されるところから、物語を始めている。ロメオとジュリエットのように、最初に主人公が死ぬ場面から始める手法は、インパクトがあって映画向きだと思われる。

もしこの殺害が物語上「本当の」出来事ならば、白ゆき姫伝説に逆らうことになってしまう。物語では毒リンゴを盛られた白雪姫は生き返るのだから。映画が終わった後で考えれば、この設定のトリックが「白雪姫と継母を逆転させたものだ」というように、論理的にはわかるのだが、最初に「白ゆき姫が殺害される」という謎は、いかにも謎過ぎて、ちょっとわたしの柔な頭ではついていくことができなかったのが残念だった。

つまり、「白ゆき姫は、白雪姫ではなく、○○だった」という謎をまず造り出しているのだ。このように、ミステリー特有のトリックがこの映画には随所に仕組まれていて、途中途中で頭を転換させれば、たいへん面白い映画だったことがわかるのだ。じつはこの映画の主人公の一人である、テレビレポーターがいて、この頭の中が空っぽで浅薄で嘘に乗りやすい、という設定なのだが、それは映画を見ている観客がその通りであって、この映画に騙されっぱなしとなるように、この映画は仕組まれている。映画が終わると、このレポーターの絶望がそのまま観客に乗り移る。そして、この映画の設定がおかしい、無理がある、などと口にして、映画館を去ることになるのだ。

さて、このように「騙し」や「謎」の面白いところは満載なのだが、この映画に対する一番の不満は、なにか。白ゆき姫伝説のほんの一部しか使っていないという点である。もちろん、「王国」は登場しないし、「王子様」もいないし、「毒リンゴ」も現れない。そして、最も肝心な「7人の小人」が登場しないのだ。たとえ現代の映画とはいえ、「白ゆき姫殺人事件」と題名をつけるならば、白雪姫伝説をもっと尊重すべきだと思う。こんな白雪姫物語は存在しない。単に女性間の嫉妬劇を演じさせるのであれば、それに白雪姫伝説を使う必要はなかったはずだ。

2014/04/12

ガバナンス研究会を聴きにいく

Img_5267朝からよい天気で、桜の花も多様性を増しつつある。とくに、神奈川学習センターへ至る留学生会館沿いの桜並木には、緑青い花をつける桜や、八重の花びらの豪華な桜が咲いていて、かつての勤務先を想って、懐かしい。ただ、風が冷たくて、花には良いのだろうけれども、低血圧気味のわたしの身体には、ちょっと響く、と柔なことをつぶやいている。


Img_5264午後から、退任なさったA先生が主宰するガバナンス研究会が、近くの神奈川学習センターで開かれる。センター所長のI先生と新潟県立大のT先生の講演で、A先生がコメンテーターを務めるという趣向で、役者が揃っている。これを見逃す手はない。

Img_5260会場に着くと、副学長のK先生も、幕張に研究滞在している雲南省からのF先生と友人を同伴して、出席なさっていた。また、神奈川学習センター所属のHさんやKさんとも久しぶりにおしゃべりができた。わたしたちの比較地域研究会からも、Yさんが参加していた。

Img_5263ガバナンスという言葉を巡っての議論がたいへん面白かった。I先生は、国際開発の立場から、T先生は地域政策の立場から論じていて、ガバナンスという言葉に含まれる柔軟で、幅広い議論が総覧できて楽しかった。A先生の議論総括でも、ガバナンスの中核的な概念の確認ができてたいへん有益な研究会だった。思えば、今から十数年前に放送大学の大学院ができるので、当時社会学のF先生がsocial governanceという言葉を持って来てから、ようやくこの言葉が放送大学の中に定着したといえる。当初は、ガバメントからガバナンスへという、「統治」の意味で使われていたが、次第に、もっと柔らかな「社会経営」という言葉になっていったと思われる。


帰りに、I先生から、このような地域中心の研究会を、放送大学の中で盛り上げたいという提案があり、わたしも賛成した。さて、どのような方法を考えようか。



2014/04/10

新しい研究誌の発行

Photo 歴史学のG先生が、先日の教授会の折、左の写真に掲げた「放送大学日本史学論叢」を持って来てくださった。白地が表紙の多くを占め、ワンポイントの赤の四角が映える、間の感覚が凄く素敵な装丁の雑誌だ。日本史学会は、放送大学大学院修士課程を修了した方で、放送大学大学院歴史研究会所属の方々を母体とした団体だ。G先生を中心とするこの研究会は昨年だけでも4回の会合を開いている。その結果がこの研究誌に反映されている。3本の論文と2本の研究ノートが載せられていて、燃えるような熱心さが表のデザインにそのまま現れているように思えた。

0407 赤が白い線で切り裂かれているのは、おそらく歴史という生のままのものを、研究会の執筆者が独自の切り口で切り取ってやろうという心意気ではないかと思われる。斜めにしかもちょっとずらした場所での切り込みが絶妙だ。また、その中からわずかちょっと頭を出している黒いものは、論文として、表に出したいという控えめな比喩ではないかと解釈した。これはお話を伺ったわけではないので、わたしの単なる推測である。でも、論文を読めば、この小さな黒い意思は相当堅いものであることがわかるのだ。

Hp さて、今度はこちらの研究誌についてである。昨年から制作を依頼していた、研究誌「社会経営研究」「社会経営ジャーナル」のホームページが出来上がってきたので、さっそく4月から刷新した。洋服を身体に合わせて造るように、ホームページの場合には、そのサイトの性格があって、それに合わせて造っていただくことが大切である。

この点では、最初に情熱があって、熱くこういうのが良い、と伝えるのが良い結果を招くと言われているようだが、そこには留保が必要であることを学んだ。自分で造ってしまうことの危険がいくつかあって、自分の思い通りに造ってしまうと狭隘な工夫しか盛り込めない。今回は、最大限デザイナーの方の可能性に依存した制作を心がけた。

ふつう研究誌というのは、科学的な権威というものがあって、一緒に造るというよりは、「掲載してやる」という発行者目線で造られている場合が多い。「査読」制度の存在は、その最たるものだ。今回のサイトでは、何とか一緒に作ろう、という点を出したかった。結局、執筆者と編集者と読者とが最終的に一体のものとして感じなければ、雑誌を出す意味が半減してしまうのではないか、と思っている。

テーブルや椅子の比喩を使おうとなったが、それは会合における会話というものが、それぞれの出席者と全体との合一の中で、形成されることがあって、この雰囲気を大切にしたかったのだ。

合同会社TOさんにお願いして、この点を工夫していただいた。年輪を重ねたテーブルは、木工の部門を持っている、Tでなければ登場しなかったに違いない。暖かさや丸さということをこのスクエアな空間の中に造り出すには、やはりデザイナーの力でないと可能ではない。ここが重要だと再認識した。

もう1つお願いしたのは、指示物の明確さである。どこに何があるのかを文章がずらずらと並んでいるとなかなかわかりづらい。それで、ウェブサイトの表示では、矢印風のデザインを特別に作っていただいて、研究誌の掲載されている場所をかなりはっきりと表示した。この点も、わたしたち素人では、ちょっとした操作でもなかなかできないものだが、きれいでバランスの取れた具合で制作してくださった。

これらの結果、昨年度作っていただいた電子書籍の定型で表示した研究誌と機関誌がたいへん見栄えする形で掲載することができた。ちょうど第2号目の募集時期にも間に合って、今年一年、この成果が発揮されるだろうときたいしているところだ。

現在、放送大学大学院も13年目に入り、修了生もちょうど10期生ということになった。この節目の時期に、新たな雑誌が次々に発行されるのはたいへん意義深いと思われる。内容がそれにともなるように、精進を続けたいと思う。「放送大学日本史学研究」の雑誌発行を張り合いにして、「社会経営研究」の論文内容もより充実していきたいと考えている。

http://u-air.net/SGJ/

一度、御覧ください。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。