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2014年3月に作成された投稿

2014/03/29

東京文京で比較地域研究会が開かれた

Ghrpp 東京文京学習センターに20名が集まって、恒例の比較地域研究センター研究会が開かれた。今回は第8回になる。放送大学大学院も修了生が10期になり、節目を迎えている。そのこともあり、今月には、経済学分野のこの研究会が開かれ、さらに天川ゼミのガバナンス研究会が、来月には神奈川学習センターで開かれる予定だ。

Rtnlq 今回、修士論文発表でM氏が、そして研究会発表として、U氏と、Kさん、Aさんが壇上に立った。コンビニの福祉サービス、銀行店舗の地域分析、障害者雇用、近江商人など、多彩なテーマが並んで、いつもながら問題意識の多様さに驚く。

Rrbp6 今回は発表の興味深さと同時に、質問や議論の活発さが目立った。これだけの多彩なテーマが並ぶと、誤解や認識不足も起こってくるのだが、それを「乗り越えようとする気分」が醸成されるのが、79ed1 放送大学大学院での議論の特徴だと言ってよいと思われる。後の懇親会でも、司会進行を行ったH氏が、感想としてこのことを述べていた。党派性をはじめから持った議論ではなく、柔軟な応対が特徴として出ていたと思う。

Rrbp6_2 この「乗り越えようとする気分」が、なぜこのような時に発揮されるのかといえば、やはり大学院でのゼミで議論を積み重ねてきた、累積された習慣の重みは大きいと思われる。議論が激しくなればなるほど、その激しさをどこまで追求し、どこで引くのかを心得ていなければならない。この辺の平衡感覚が必要とされている。Vel72 この基底にある理解が存在していることがわかっていないと、このような場外的な議論はできない。この激しい議論のあと、お互いにニコニコしながら、お酒を飲むことができるということが、「乗り越えようとする気分」には含まれているのだ。

Rsbpc 帰りに途中下車して、酔いを覚まし、少し腹の足しに食事をするために、本郷三丁目近辺を散策する。交差点を東大へ向かって二本目を左におりて行くと、菊坂へ出る。Img_5077 この道は不思議な道で、上通りと下通りがあって、並行して道が走っている。上のほうが10メートルほど高いところを通っていて、谷底の道が下を通っているのだ。

Img_5079 今は上通りが広い道なので、自動車道路となって、往来も多いのだが、徒歩が主だった頃には、おそらく下通りが栄えていたのではないかと推測される。ここは、明治期に樋口一葉の住んでいた長屋のあったところとして、文学者たちには有名な場所だ。知らないで通り過ぎてしまったのだが、後戻りして、石畳が綺麗に敷き詰められている路地を突き当たりまで行くと、一葉時代にも存在していたという、井戸がある。まだ、ほんの少しだけ、当時の感覚をなぞることができそうな、家並みがあるのだ。

Img_5085 それから、これは偶然だったのだが、宮沢賢治の東京宅というのも、このすぐ近くにあって、文京区の立看板がそれを教えてくれる。賢治の最晩年に病気を押して、東京でセールスマンとして、働き始めるのだが、その下宿先は神田駿河台であったはずだから、ここはその何年か前に本郷に勤めていた時の宿Img_5087 だったと思われる。東京に住んで、山手から転げ落ちる場合に、上野のほうへ転げ落ちれば、華やかで政治や経済へ向いたかもしれない。けれども、反対側に転げ落ちる人びともたくさんいて、生活はうまくいかなかったかもしれないが、文学へ向いたのだ。樋口一葉も、宮沢賢治も、こちらのほうに属していたのだと、改めて認識したのだった。

寝ざめせし よはの枕に 音たてて

    なみだもよおす 初時雨かな (一葉)

2014/03/28

毎年恒例となった図書の返却

Photo 今年度も学期末が押し迫っている。例年であれば、京都か仙台辺りへこもって、来年度の原稿書きに励まなければならないのだが、4月からの原稿書きでは、少し異なる日程を設定しようと考えていて、その準備のために、余所へ出かけずに、家と近くの図書館で考えることにした。

2 それでも年度末にやらなければならないことは、いくつかあって、すぐに次の計画に入ることができるわけではない。その一つが非常勤講師に行っているK大学で拝借した図書を年度内に返さないといけないという義務がある。普通の人の感覚がときどき戻ってくる。期日が来たら、借りた図書は当然返さなければならないのだ。大学の教員というのは、本を読むことの特権階級だと思い込んではいけない、と今年度も戒めた。

2_2 K大学はこの点ではたいへん罰則規定が厳しいことで有名な大学だ。一日返却が遅れると、その日にち分だけ、貸出停止が伸びるのだ。そうなると、4月からの図書借り出しに支障ができるので、いつも年度末に返却することにしている。それで、今日も段ボールに50冊あまりの本を詰め、キャリーで引いてきているのだ。50冊を限度にした理由はわからないが、ちょうど段ボール一箱に入るだけの分量であり、一度に運ぶ量としては、これで最大限だという量である。

3 持ち運びできる量で貸出量が決まるとは思わない。もちろん、読む量が基本であることはわかるのだ。それで、隅々まで全部読んだのかと問われれば、自信を持ってマダだといえるのだが、ほとんどは論文の参考資料用なのだから、拾い読みが終わればそれで良いのだ。結局、論文が仕上がるまでは手元に置きたいと思っているうちに、溜まってしまい、50冊というボリュームになってしまうのだ。読み方で読みこなす量は変わってくる。

4 今年度この図書館だけで借りた本は計算すれば、100冊ぐらいになると思われる。人によって読む量は異なるから、それに応じて、貸出量も個人差を認めたらと思うのだが、図書館としては、何処かで線を引かなければならないのだろうと思う。

5 図書館の性格がここに現れる。この大学図書館は、拾い読み的長期貸出に対して、たいへん理解があり、5ヶ月の期限なのだが、一般の図書館ではたとえばベストセラーなどを貸し出す専門の公立図書館では、本をいかに回し読みさせるかが、勝負であるから、5冊を2週間というところが限度だろう。

Img_5089 キャリーで図書館のカウンターに持ち込んだ。重さは、20キロをはるかに超えている。これから、下ろすのが問題だと思っていたら、若い女性がヒョイっとカウンターへ持ち上げてくださった。本を扱う商売は、本屋に限らず、力仕事なのだ。

Img_5090 数をちゃんと数えて来たつもりだったが、一冊放送大学の本を間違えて持って来てしまった。その結果、一冊足りないことになった。その一冊は、昨日読んでしまおうと思っていて、椅子に積み上げてあったのだ。残った一冊が論文用ではないということにも、何かのつながりを感じてしまう。シェイマス・ヒーニーの『水準器(The Spirit Level)』なのだが、やはり読んでから返しなさいという啓示だと思い、家に帰って、ページをめくった。

Img_5095 水準器は物理的な平衡を図る道具だが、同時に苦しみに耐え、精神的な平衡を保つ比喩でもある。北アイルランド紛争の経験の中で、心の釣り合いを保つことの困難さを詩に託している。「秤にかける」という詩では、「他人の中にある許し難きものと、己の中の許し難きものとを秤にかけ」その中で耐える試練を謳っている。そして、最後の詩では、北アイルランド紛争に光明が見えてきた喜びを次のように表現している。この訳者の解説で、次の文章が取り上げられているので、ちょっと癪であるのだが、喜びが出ている文章で、自由な感じが良く出ているところなので、ここでも取り上げておきたい。

僕たちは余所者というよりは探索者 光怯まず

墓場を抜け出してきた亡霊たち 生き返って 罪を犯しながら

出直し もう一度やり直そうとするのだ

もう一度自分に帰って もう一度思いのままに それも悪くない

Img_5101 図書館の帰りに、陽気に誘われて、横浜の丘を港へ向かってくだって、ひよどり越えもさにあらんというような坂道の階段を降りて、かつては海岸線であったと思われる、横浜駅近くへ出る。丘の頂上で立ち往生していたら、親切な老婦人が近道のこの階段を教えてくださったのだ。今日最後のコーヒーは、いつもの珈琲豆を購入するところで、ブレンドを飲む。

2014/03/27

S先生の著書『様式の基礎にあるもの』

今日は放送大学の教職員送別会の日である。毎年、印象としては、教職員全体の三分の一ほどの退職者がいるのではないかと思えるほどに、異動の多い大学である。その中で、定年退職なさる方は、ほんの僅かで、多くの職員の方は出向元へ帰ったり、他の機関へ転職なさったりするのだ。今年異動する職員の方がたの中にも、名前を挙げると切りがないほど、たいへんお世話になった方々が多い。ありがとうございました!

他方、定年退職する方の中心は教員で、70歳を迎えた大先生方が退職なさって行く。したがって、退職の先生方には、個人的にご挨拶することにしているのだが、哲学のS先生にだけは、まだお別れの挨拶を済ませていなかった。今日の送別会にいらっしゃるだろうと、期待していたのだが、具合が悪くなったということで、ついに会うことが叶わなかった。

Photo_2 じつは、2月の教授会の日に、郵便受けに近著『様式の基礎にあるもの』(三元社刊)が入っていて、すぐに全部読ませていただいていたのだ。僭越ながら、この中の一つの箇所に魅せられてしまっていた。人生の中で、これはと思える文章が書けるときが誰にでもあるのだが、それは他者には容易にわからない。けれども、S先生の著書の場合、この箇所は誰が見ても、そのような表現の箇所であることは間違いないと思われる。

この表現にまで到達するには、じつは80ページにも及ぶ論考があるので、その前提を抜きにして言ってしまうことには、これから述べる解説に瑕疵のあることは間違いないのであるが、けれども、これを抜いたとしても、きっと伝わるものがあるに違いないと思う。

Ihttp3a2f2fpdsexblogjp2fpds2f12f200 S先生は、彫刻家のジャコメッティがインタヴュー相手と一緒にルーブル美術館を巡って歩いた記事を、この著書の中で取り上げている。細身の塑像を数多く制作してきたという「様式」を持つジャコメッティが、古今東西の「様式」というもの奥に存在する普遍的価値に到達する、という出来事があったと指摘する。なぜ様式をもって、芸術は表現されて行くのか、これがこの著書の中核だと思われる。

そこに至る途中で、とくに印象に残ったところを挙げていくと、そこには、ここ数年間評議会の隣りの席に座らせていただいて伺ったり、ちょっと廊下で立ち話したりして伺うことができたことが、浮かび上がってくるのだった。たとえば、ヴェネチアのティントレットが描いた「自画像」が挙げられIhttp3a2f2fpdsexblogjp2fpds2f12f201 ている。そして、ジャコメッティの「この目は目であるが、同時に眼窩であり、頭部の構造そのものだ。本当に、ルーヴルのなかでこれ以上に美しい頭部はない」という言葉を取り出している。表に現れている顔、目などの奥に、現れない頭部の構造を観ている。先年、ティントレットのことを聞いて、矢も盾もたまらず、わたしはヴェネチア訪問を行ったというほどの、魅力的なS先生の語りだった。

09enikkiruuburu4r さらに、ル・ナン兄弟の「農民の食事」について書いているところでは、皆が当然魅せられるワイングラスの赤色のみならず、次のジャコメッティの言葉を抜き書きしている。「いや、そんなことはどうでも良い。そら、あの若い女の目、あれは第四王朝を思わせる。・・・ 目は黒い。同時に、こちらの方は、ナヴォナ広場を、あちらの方は第四王朝を感じさせる。どれも同じように真実だ」という場面を載せている。エジプト王朝時代から数十世紀隔てた17世紀のオランダに、共通する意匠を観ているのだ。じつは、この絵が日本へ来たときに、親子でいらっしゃっていたS先生と、国立新美術館の会場内でばったりとお会いしたのだった。今から思えば、ここを観ていたのだ。

そして、ジャコメッティとの対話の最後の部分が描かれている。S先生の論文の最高潮に達する場面がやってくる。「それはすべてに似ているし、・・・・・・、どれにも似ていない。」さらに続いて、「心地よいこの深さ、ちょうど音楽の中へ入って行くように、そこに入っていくのだ。それはほんとうに心地よく、楽しい」という、ジャコメッティの言葉に到達するのだ。絵画、芸術、そして真実というものの「様式」というものは、「すべてに似ている」という普遍的な知のもつ共通性を持っていると同時に、「どれにも似ていない」という固有の価値を持つものとして、表現されると考えることができるのだ。ここに至っては、もはやこれ以上の言うべき言葉を知らない。

2014/03/22

映画「コーヒーをめぐる冒険」

Img_5040 昨日、四ツ谷での会食が終わったのが夕方の6時、総武線に乗って、代々木で乗り換え、渋谷へ着いたのが、7時10分前だった。先日、早稲田のO先生のところへ行ったときに、映画「コーヒーをめぐる冒険」という題名のドイツ映画が来ていることを知った。イメージフォーラムという場所の名前は聞いたことがあったが、まだ行ったことがなかった。地図をみると、十分に最後の上映に間に合いそうな距離だった。スーツを着て、会社の帰りに映画というのも、こんな気分なのかもしれない。懇親会のアルコールがまだ相当身体に残っている。

Img_5045 コンクリート打ちぱなしの構造で、小さなホールが組み合わされた映写場という雰囲気だ。若者が多く、シニアだと言うのを憚るくらいだ。最初は、アルコールが効いてきて、眠気が消えなかったが、途中からエピソードにリズムが出て来た。ベルリンの街も、モノクロ映像できれいに撮られていて、映像を見るだけでも十分に観るに値する映画だった。

Img_5044 話の筋は、エピソードの連鎖で構成されていて、はっきりとした骨格があるわけではない。ほかの人はどのような見方をするのかはわからないが、おそらくこの映画へのコメントは行い難いのではないのか、と思われる。一言でいうならば、「インフォーマル映画」だとわたしなら呼んでしまいたい映画なのだ。つまり、やることなすことにケチが付くような一日ということがあるのだ。何か良い方向へ持っていこうとしても、裏目裏目が出てしまい、すべてがインフォーマルへ沈んで行くことはあるのだ、と思う。

主人公のニコは、ある日恋人の部屋で、コーヒーを飲み損ねる。ここから、付いていないことが次々に起こることになる。検査官とうまく行かず、車の免許が停止になったり、アパートで住民とトラブったりする。不良の孫と暮らしているが、仕合せそうに安楽椅子に座る老婆。俳優志望の親友マッツェと出かけるが、マッツェも不幸を背負い込むのだ。クサい芝居をする売れっ子俳優に会ったり、ニコに片想いしていたデブだったユリカともうまく行かなかったり、ナチス政権下を生き抜いた老人の死に遭遇したり、次々にどうでも良いような、表には到底現れて来ないような、インフォーマル部分が映画の中に現れてくるのだった。

日常生活からはじき出された人びとの間を、一日中遍歴するのだ。ニコを通じて、いつもは表に現れて来ないような潜在的な生活の一端が見えてくることになる。

Img_5046 主人公は、一日ベルリンを歩き、至るところでコーヒーを求めるのだが、結局コーヒーの機械が故障していたり、切らしていたり、最後になるまでコーヒーにありつくことが出来ない状況というものを描いた映画なのだ。コーヒー中毒のわたしとしては、この耐えられない状況で、インフォーマルに沈んでいく生活というものに、甚く共感したのだった。

2014/03/21

今年の卒業式には、見るべきもの聞くべきもの味わうべきものが満載だった

Img_4994 土曜日の静かな渋谷の街がよいと思う。渋谷区役所へ向かって、パルコ前の坂道を登っていく。本来は、駅から離れていて、そして坂道だから、静かな街なのだ。だから、名だたる喫茶店が店を出そうと考えるのも、不思議ではない。しかし、これらの名店は、こんな朝早くは開いていないので、チェーン店の広く無機的な店内で、ひとり珈琲をいただく。

Img_4995 今日の収穫は、卒業生の言葉だ。このように言ってしまうと語弊があるのは重々承知だが、もしかすると、先生方や来賓の方々を飲んでしまうほど、上回る挨拶が行われたのだ。ここが社会人の大学である、放送大学の取り柄であり、むしろ学生が言葉で先生を上回るということが起こってしまうのが、放送大学らしいし、むしろ当たり前のことなのかもしれない。

Img_4997 臨床心理学のO先生の指導したFさんの謝辞は、素晴らしかったと思う。内容において、苦労話やユーモア話があるのは他の人と同じで、いつも通りなのだが、今回何がちがっていたのかといえば、独特の低く抑制され、すこし震えた効果的な女性声と、謝辞全体の構成に現れたアイディアだった。大向こうを唸らせたと評価されてもおかしくない謝辞だったと思う。

Img_5000 「小さな奇跡」と彼女は表現していた。アイディアの種明かしをしてしまえば、なんだということに聞こえてしまうのだが、じつに重みのある声で繰り返し聞いていると、こころの奥に響いてくるのだった。Fさんは海外NGOに所属していて、ネパールの山奥で少女教育に携わった。それで、少女を教えるFさん自身と、こんどは教わる立場となった放送大学でのFさんとが心理的に重なって想えたのだということだ。

Img_5004_2 おそらく、何かを教える立場にある人には、共通に訴えかける表現に、Fさんは到達したのだと思う。学ぶものと教えるものとの間には、国が違っても、世代が違っても、個人的な体験が違っていても、同じ二重の相似パターンが現れるのだ、ということを示して、普遍的なことを掴んだという確信が伝わって来た。十分に「小さな奇跡」だと思われるし、この普遍性が感動的に語られたのだった。席を立ったときに、O 先生へ思わず、お祝いの言葉を伝えてしまったくらいだ。

Img_5016 懇親会では、大学院ゼミと卒研ゼミの面々を中心として、輪が出来た。それで、話に夢中になっている間に、大テーブルにあった料理が平らげられてしまったのだった。神奈川学習センターの同窓会が、今回の懇親会の幹事センターだということで、予てより学習センター所長のI先生が全国のセンター長の先生方から、各地の銘酒を集めて、今回の会場へ持ち込んでいた。

Img_5018 こちらへも遅れて行ったので、北の方の秋田や岩手の銘酒はすでに空になって、横に倒されていたが、関西以西のものは、まだまだたっぷりとあって、20種類くらいの味見を行うことができ、これはこれで至福の時を過ごすことができた。信州のMは、甘系の酒として、いつも標準を保っていて、頼もしかった。先日、群馬でいただいたTも美味しかった。Img_5024 酒どころを次々に巡って、最後に九州の佐賀の酒へ到達した。最近は、ずいぶんフルーティ系が出回っていて、飽きるほどなのだが、このNは、そのなかでも十分にフルーティの本道を行っていると思われた。Img_5022 もちろん、泡盛や焼酎もあって、このころには身体全体にアルコールが回って、かなり気持ち良くなってきた。そして、やはり究極には、ワインも出品されていて、山梨の甲州種ワインが出ていた。香りといい、味といい、十分に日本酒に対抗できる味だったのだ。懇親会でなかったならば、ここにもうすこしいて、これらの酒をいただきたかった。

Img_5030 今回の懇親会では、わたしの担当している放送教材への感想を述べてくださる方々が、たいへん多かった。たとえば、信州飯田の学生の方がいて、わたしが総合科目の「社会の中の芸術」で取り上げた珈琲職人の弟子の方が、飯田で喫茶店を開いていることを教えてくださった。神奈川学習セImg_5037ンターで一緒に活動して来た学生OBの方々も、笑顔を作って、目の前や脇を通り過ぎていくので、久しぶりに顔を拝んで懐かしかった。酔った勢いで、N先生のゼミの方々のところへも顔を出して、今度合同ゼミを行おうか、と盛り上がった。それやこれやで、懇親会のあとは、T先生と修了生の方がたと、まだ十分に明るい四ツ谷の街へ出て、夕方までほろ酔い気分を続けながら、経済学と社会科学談義をえんえんと続けたのだった。

2014/03/18

神楽坂で会食

0318 半年振りの早稲田である。昨年の前期まで講義を受け持っていたのが、もう何年も前のことのように思えるのだが、それは原稿書きで、家に閉じこもっている期間が長すぎたからだということだろう。

文学部のプレハブだったところが、工事に入るらしく、通常口の門が閉鎖され、記念会堂の前から構内へ入った。O先生の研究室で待ち合わせて、会食しようという計画だ。彼のブログに寄ると、早稲田系の店への招待と、蒲田系の店への招待と、二つのバリエーションを持っていて、彼の卒業生たちが訪れると、どちらかへ誘っている。

0318_2 わたしの場合は、早稲田系を選んだ。店は彼におまかせということにした。じつは、会食と、もう一つ目的があって、彼がライフコース論の専門家であることを活用させていただこうという虫のいい話で、迷惑だったかもしれないが、来年度のわたしの放送大学のテキスト「多様なキャリアを考える」掲載の内容を聞いていただいた。わたしなりの内容チェックを行おうという意図もあったのだ。こちらのほうは、彼の指摘が的確であったので、諾々と進んで、各種の改良がなされた。お腹が空いているところ、嫌な顔一つせずに付き合ってくださったので、たいへん感謝している。

彼の行きつけの神楽坂の店、「スキッパ」へ行く。「スキッパ」の前までは、何回か来ているのだが、これまで早稲田大の講義日が木曜日であり、この曜日はスキッパが定休日なのだ。それで、これまで一度も入ったことがなかった。めでたく、「スキッパ」デビューということになった。今日の定食は、メインがチキンカレーで、人参などの野菜の煮物などが添えられていて、たいへんヘルシーなメニューだった。最近は歳をとったせいか、量があまりに多いと敬遠してしまうのだが、この量は最適だった。

0318_3 食事の後、おしゃべりをしていたら、女子会食やら、カップルたちやらで店がいっぱいになって来たので、続きをお隣の喫茶店「トンボロ」へ移して行うことにした。今日のおしゃべりは、「社交性」について、えんえんと話が弾んだ。彼のブログで何回も取り上げられてはいるものの、やはり生の声で会話すると、刺激の度合いが違う気がするのだ。経験というもののなかでも、実感という部分がこの社交には作用しているものと思われるが、それがこれだ、と取り出すことができないのだ。ちょっと厄介なものかもしれないが、おしゃべりというものの魅力的な部分だ。

0318_4 たとえば、O先生が実践している社交性の発揮の事例として、差し障りのないところでいえば、彼が卒業生たちと会うというのがある。なぜか、いつも卒業生たちが早稲田を目指して上京したり、仕事を抜け出したり、家庭から出て来たりするのだ。そしていつもブログに登場するのは、女性の「美人」卒業生なのだ。男性はほぼ訪れない。「美人」だから訪れてブログに登場するのか、それともたまたまブログに登場する卒業生が「美人」なのかはわからない。ここが、社交の難しいところではないかと思われる。恋愛感情を持ってしまっては、社交にならないし、かといって、まったく持たなければ、これも社交にならない。彼の卒業生との社交性とは、どのような性質のものなのか、このままではよくわからないので、どのような性質を持っていないのか、という否定的な側面から質問してみることにした。

まず、大学教授と女子学生というシチュエーションで有名なのは、映画「月の輝く夜に」のなかでのニューヨークの大学教授の例がある。毎年、教え子に手を出して、その関係が絶えず破綻するのだ。レストランで女子学生がコップの水を教授の顔にバシャとやるシーンがある。人生の中で、一度はバシャとやってみたい。なぜ男が女に興味をもつのか、という答えが、死の恐怖から逃れたいからだという形而上学的な理由を挙げている。O先生の場合、このような強い恋愛感情は、これまで卒業生には持ったことがないとのことだ。卒業生が結婚の相談に来て、もし相談相手と恋愛してしまったら、それは問題だが、それはないらしい。

0318_5 それでは、文藝春秋3月号の村上春樹の短編「独立器官」に出てくる「度会」氏のような、感情処理はどうだろうか。度会は美容整形の医師で、多くの女性と関係を持つが、恋愛感情を深くもつことはなかった。ところが、最後に思いも寄らず、深い恋に落ちてしまった。そのときに、「誰かを好きになりすぎないように努力する」という方法を思いつく。彼女のネガティブなこと、欠点を考えるようにする、という努力を重ねるのだ。さて、これについてもO先生の場合には当てはまらないらしい。このような努力をするような、ストレスを負ったことはこれまで一切なかったとのことだった。

それじゃ、なぜ女性の卒業生たちと会うのか、結局は堂々巡りなのだが、「社交性」のためだ、というところに落ち着くのだ。ほかにも、いろいろな社交性の事例が出て来たが、まだまだしゃべり足りなかった。

0318_6 トンボロでは、いつも酸味系のブレンドを注文する。相変わらず、このコーヒーの酸味は抑制が効いていて、素晴らしいと思う。チーズケーキもさりげない味で、コーヒーの味を引き立てている。ふたりとも名機のカメラを取り出し、コーヒーを撮るついでに互いを撮り合った。こちらのブログには、O先生が掲載され、O先生のブログには、でかでかとわたしが載ってしまった。ここでは、写真の社交性を暗黙のうちに追究した結果になったのだが、それ以上になんとなく、いわく言いがたい変な社交関係が、今後繰り広げられる可能性があるのでは、ときわめて危惧し、また楽しみにもしているのである。

2014/03/15

小説「不如帰」の冒頭に出てくる宿の喫茶店で、珈琲を飲む

0314_10 昨日、先生方の乗ったマイクロバスと、伊香保温泉で別れて、単独行動を取ったのだった。伊香保温泉には、戦前には御用邸があり、群馬県の温泉地がかなり存在する中でも、とりわけ有名で、人びとが集まっていたことが知られている。なぜこのように、伊香保温泉にみんなが吸い寄せられたのか、社会現象としてたいへん興味深い点である。

0314365 たぶん、「黄金の湯」と称する伊香保の源泉そのものも十分な理由であるとは思われるが、それ以外にも数々の神話が存在するので、それを尋ねて歩きたかったのだ。ちょうど娘が仕事を終わらせて、つき合ってくれるということになり、昨日の昼に伊香保温泉で落ち合うことにしていた。

待ち合わせたところが、じつは伊香保温泉を日本中に広めることになった、その原因の1つとして名高い、徳富蘆花の小説「不如帰」の冒頭に出てくる旅館であった。最初は、そうとは知らずに、伊香保温泉の中心にある石段に沿って、登っていったのだが、途中右手に趣のある庭が見え、さらにちょっと覗くと、落ち着いた雰囲気の喫茶店Rが目に入った。窓からの景色が素晴らしく、赤城山の続いている山並みが関東平野にせり出しているのだ。

0314365_8 「千明」の宿ということで「不如帰」には出てくるが、これがこの宿「千明仁泉亭」の3階の部屋だったらしい。しばし、娘の到着を待ちながら、喫茶店Rで苦みの効いたコーヒーを楽しんだ。この全体の風景は、現代も明治期も変わらなかったにちがいない。小説の中で、この旅館での主人公「浪子」と、夫の「武夫」のふたりの会話場面から、この小説がスタートし、さらにさっきわたしたちがマイクロバスで寄って来た「水上観音」0314_13 へのピクニック場面が続いて描かれているのだ。小説は、夫婦愛というのか、浪子の純粋な愛が、明治期の家制度で潰されていく「家庭小説」という悲劇の文脈で進んでいくのだ。この小説がベストセラーになったことも手伝って、伊香保温泉が明治期の人気の場所になったらしい。

0314365_3 最近の流行で、どのような喫茶店でもその土地の特産物が置いてあり、ここの喫茶店でも、小さな壜に入ったジャムが売られていたので、母へのプレゼントで1つ購入した。娘は、雑貨趣味を反映した土産品を両手いっぱいに抱えて現れた。赤城山をかけ下ってくる寒気がそろそろ厳しくなって来て、マフラーを顔に巻くとちょうどよいくらいという気温になって来た。

0314365_5 もうひとつ訪れたのは、竹久夢二の美術館である。午前中にK先生から、この伊香保温泉の最大地主であるK一族のことを聞いていた。この夢二の美術館もそのK一族が経営していて、普通の美術館よりもすこし高い入館料が設定されていた。それでも、期待した以上に、デッサン帳の収集が充実していて、400冊以上を保蔵している。それで、これらを見ているだけでも、相当な時間のかかる見学となった。それから、草花を描いた夢二の水彩画が素敵だった。

0314365_6 それで、なぜ夢二が伊香保と関係していたのか、という点が重要であると思われる。もちろん、伊香保関係者からの注文に応じて作品を書いたということも重要であるのだが、それならば、日本中に夢二美術館は建ってしまう。現に、日本の至る所に夢二美術館があって、その関係性をいろいろな形で正当化しているのを見ることができる。ここでも、伊香保在住の少女からの手紙が残っていて、さらにそれへの丁寧な夢二の返信が残されており、これらの神話を強調しているのだ。いずれにしても、夢二を通じて、伊香保の人気神話が増幅されたということは確かなことである。

0314365_7 外に出ると、先ほどよりも気温がさらに5度くらい下がっており、すでに外を歩いている人はいない。地元の酒屋に飛び込んで、地酒の「T」と「M」というフルーティ系とすっきり系の吟醸酒を購入して、早足で宿に戻ったのだった。そして、伊香保の「黄金の湯」にたっぷりと浸かって、冷えきった手足を温めたのだった。

2014/03/14

なぜ宿場町の用水路は一本なのか?

0314 昨夜は、わたしが頓珍漢なテーマを発して混乱させる以外は、濃密な議論が数時間にわたり、たいへん生産的な合宿となった。そして、インフォーマルな会合にも適度な話題が加わり、合宿の醍醐味を味わったのだった。

0314_2 今日の予定として考えられていた場所が、先日の大雪で駄目になったので、群馬県沼田市に広がる真田家の城を巡りながら、一路昼食の場所である、伊香保の観音、温泉地を目指したのだが、じつは途中で寄った「白井宿」が問題となった。マイクロバスでは、隣りの席に昨日の建築学のH先生が座っていて、何気なく昨年の議論を思い出していた。それは、昨日の須川宿資料館で見た地図がきっかけであった。写真の地図には、たしかに用水路が道の真ん中を通っている。

0313_11 昨年、H先生から江戸時代の宿場町では、このようにメインストリートの真ん中を用水路が通っている街がいくつかあることを教えられていた。昨年の話を復習するならば、ひとつの理由として、中世特有の理由、つまり馬を使用することから、衛生上の理由、つまり馬糞を処理するのに使ったのではないか、という説を紹介した。ところが、H先生によると、それ以外にも異なる説がいくつかあるというのだった。

0314_3 それで、この白井宿の復元された町並みには、じつはこのメインストリートでの一本の用水路が見事に復元されていたのを現物としてみることができたのだった。0314_5 これは予想外の出来事で、すっかりH先生とわたしとは盛り上がってしまった。それで、昨年の議論が再燃したというわけである。

0314_4 なぜ江戸時代の宿場町では、真ん中一本の用水路が見られるのだろうか。ここ数年研究して来ている、H先生からのヒアリング結果は、次の通りだ。この内容のプライオリティは、もちろんH先生にあることをお断りしておく。

0314_6 第一の理由は、物理的な理由だ。三国街道は昔から雪が多かった。この雪をこのような共同溝に捨てるというのは、合理的な考え方だと思われる。道の両側が共同で雪を処理できることができるからだ。前述の馬糞の処理も同様に考えることができる。気象上の理由なのか、衛生上の理由なのかという違いがあるが。

0314_7 第二の理由は、須川宿資料館の方の考えだということだ。三国街道では大名行列が頻繁に行われていたらしいのだが、それで行列が追い越したりすれ違ったりするには、「二車線」の方がよかったのだ。真ん中で道を切断して、両側を通るようにしたのだという説である。これは社会ルールとして秀逸な考えであるといえる。もしこれを裏付けるような文書があれば、かなり有力な説となろう。

0314_8 第三の理由は、共同組織的な考え方である。宿場というのは、かなり発達した自治組織で運営されていたらしい。これらの決定で、用水路の構築がなされたとすれば、それぞれ個人宅の前を両側に通る側溝よりも、真ん中に一本とおる共同溝の方が共同体的である。それに、それぞれ道の両側に側溝が二本作られるよりも、真ん中一本の方が財政・経済的に安価であったといってよいのではないかと思われる。そういえば、白井宿の用水路の脇には、井戸があって、この井戸掘削には、「井戸無尽」のような共同の企てが成立したと、標識には書かれていた。

0314_9 まだまだ、どの説も文献の裏付けがなされていない。だから、謎が謎を呼んで、たいへん楽しい議論状態が今回の合宿で現出したのだ。昨年も述べたような気もするが、H先生にはぜひ論文・著書を発表して、これらの点を明らかにしていただきたいと考えるのだった。それとも、もうすこしテーマを拡大させて、シンポジウムにしてしまえば、来年の合宿は研究のための合宿になるのだから、今年よりもOKになる可能性が高くなるかもしれない。

2014/03/13

K先生の「大庄屋」宅を訪問する

0313 今年も放送大学の先生方と一緒に、学部や大学院の運営についての相談と、社会科学の教授法に関する合宿を開くために、群馬県の三国街道沿いにある湯宿温泉へ来ている。授業期間では、話し合うことができないことが、1つの場所に缶詰になって話し合うことで、濃密な相談ができる。利点は明らかで、長時間議論できること、多種類の議論ができること、親密な議論が可能であることなど、効用をあげたら切りがない。ところが、大学も公的な組織なので、このような合宿が次第に許されなくなって来ているらしい。合宿ができない大学は、大学とは言えないのではないかと思われるのだが、ビジネスライクな世間一般の常識とはかけ離れているらしい。今年で最後になるかもしれない合宿を記憶に止めておこうと思う。

0313_2 朝早く、電車を乗り継いで、三国街道沿いにある旧「須川宿」へ着く。ここは「たくみの里」という職人の街が形成されている。昨年は、ここの革細工の家で、ぽっくりした茄子型のキイホールダーを購入して、手に付く道具として便利に使っている。今年も訪れたのだが、木曜日はお休みの店が多く、目途としていた、この革細工の店と、木工品の椅子やテーブルの並んだ喫茶店もやはりお休みで、がっかりしてしまった。

0313_3 歩いていると、用水路のそばでスケッチしている方がいて、これが同僚の建築学のH先生だった。一緒に、脇本陣だった「須川宿」資料館を見学する。係の方が、たいへん親切なかたで、手持ちの資料を詳細に解説してくださった。H先生は3回目の訪問だったらしいのだが、フィールドワークは継続が重要なんです、とおっしゃって、質問に余念がなかった。ここを出た後、近くの群馬野菜を売りにしている定食屋さんで「たくみの里定食」を食べる。6種類の田舎風総菜が付いていて、さらに外が寒かったこともあって、豚汁が暖かくて美味しかったのだ。

0313_4 今年の特色として、これまでお世話になって来た農業経済学のK先生のお宅をみんなで訪れよう、という計画が立てられた。じつはK先生の家は、江戸時代から続く「大庄屋」の家柄で、建物自体が歴史的建造物として保護の対象になるほどの由緒ある建物なのだ。これを期待して、先生方がお昼に集まった。

0313_5 ところが、大庄屋さんは時間になってもなかなか現れない。電話をすると、すぐにぐわっと音をたて、車を駆ってやって来た。そして、須川宿周辺の集落を、ぐるっと一回りしてくださった。古いが格式ある寺があり、また他の近隣集落がそうであるように、かつては養蚕中心の造りを見せていて、桑の木がいたることころに残っていた。桑の木がこんなに幹が太くなるのを知らなかった。たくみの里での木工品の材料にも影響を与えていたのだ。

0313_6 さて、K先生宅の大庄屋書院造りの間は、想像以上に興味深いものだった。ひとつは、こんな山の奥(失礼!)でも、山里だからこそ、江戸時代にはかなりの豊かさを誇っていたことがわかる。狩野派系の絵が描かれた襖や、「正義」の立派な書などが目を引く。なぜ歴史建造物の保護の対象になったのかといえば、書院造りに理由があるそうで、身分制度を反映した数段階にわたる部屋間の段差が作られており、社会構造が建築物へ与えた影響を観ることができるからだそうだ。

0313_12 それで、圧巻は現在でも使用されている居間の囲炉裏で、ここに写真のような大木が燃やされていた。そこからの煙が想像以上の量で、ちょっと先が見えないのだ。もっとも、この煙が出るから、暖房が保たれる訳だが、じつは煙を避けるために地面を這って移動した。この煙に顔を突っ込んだならば、目がちかちかして、開けていられないのだ。これは、ちょっと見ただけでは想像できない状況なのだった。

0313_9 K先生は囲炉裏にどっかと座って、そんな煙など意に介さない様子で、さすが大庄屋の末裔だとの風格を感じさせた。この囲炉裏の部屋をぜひ数百年守っていただきたいものだと思った。それほど、価値ある居心地を感じさせる。かつては、上の階にある蚕棚などとの連携があり、必要不可欠の暖房装置として欠かせないものだったことを感じさせた。この大木が燃えるのを眺めながら、酒を酌み、論文を書く醍醐味は、彼だけにしかわからない楽しみにちがいない。

0313_10 写真に撮るのを忘れてしまったが、自家製の干し柿が真っ白に粉をふいていて、甘く美味しかった。K先生の奥さんは、京都時代に知り合って、こちらへ来たとのことで、最初はかなりの苦労をなさったと推測できるが、この自然いっぱいの生活に次第に魅せられていったのではないかと想像させられた。

2014/03/08

黒田辰秋展を観に行く

横浜のそごう百貨店で、「黒田辰秋の世界生誕110年」展が開催されていた。最初に、黒田辰秋の名前を聞いたのは、諏訪の伯母からだった。松本市の民芸運動のことを話していて、松本に伝わる木工に触れて、この名前が出て来た。当時はまだ幼くて、木工にあまり関心がなかったし、現物をみることがなかったので、そのまま忘れていた。

学生時代になってから、作品に触れたというのか、驚きの目で眺めたというのか、京大へ通っていた友人に連れていってもらったのが、京大近くの喫茶店「進々堂」だった。そこの板厚で、何時間でも客を受け止めてくれそうで、何人もが議論を戦わせたであろう、大テーブルとベンチが彼の作品だった。大きな広間にそれらがどん、どん、と並んでいる様は、壮観だったし、このテーブルならば長居しても大丈夫そうで、当然相席が普通であって、お尻が痛くない程度に、ずっと座っていたかった。テーブルの上だけ、時間が遅く動いているような気がした。

それでも、木工品を一堂に集めて展示することなど不可能に違いないと思われ、河井寛次郎宅や日本民芸館などで観ることのできる作品を、垣間みている程度だったのだ。今回は、有名な目利きと呼ばれる人びとが所蔵しているものを展示していて、ほぼ個人蔵のものが開示された展覧会であったといえよう。

今回の展覧会で何度も繰り返して描かれていて、印象的だったのが、何と呼ぶのであろうか、赤い漆の「稜線模様」だった。箱やタンスや椅子などに、何年に渡って、ほぼ同じデザインが描かれていて、これが繰り返されても、デザインの威力が衰えないのだ。異なるものが描かれているにもかかわらず、普遍性を失わない情熱を保っている。この保持された力が素晴らしかった。

とりわけ、小林秀雄の箱に描かれた稜線、黒澤明の「王様の椅子」に描かれた稜線は波打っていて、静かな中に動きを感ずるものだった。毎日使うものなので、同じデザインである場合には、飽きの問題があるのだが、毎日使うものだからこそそれに合ったデザインというものがあることを知った。

稜線模様が箱や椅子に定着させたデザインも良かったが、それが飛び出て、「四稜棗」として作られた稜線模様は特にきれいだった。ほんの小さな木工品なのだが、これを愛でていると、普遍が見えてくるようなものだったに違いない。

2014/03/05

カネが媒介する人生について

20140323_004859 わたしの仕事上、世の中の職業をあつかった映画を観るのを止めることはできない。増してや、金融にまつわるビジネスは、十分過ぎるくらい検討しておきたいテーマなので、内容がなく、あまり食指を動かされることがないとしても、見逃すことはできない。

好き嫌いは激しいが、現代を代表する俳優となったデカプリオ主演の映画「ウルフ・オブ・ウォールストリート」を観る。ジャンク証券販売をチームで扱い、金持ちになっていく集団を描いている。主人公がまず大手証券会社に入って、最初に教わる唄というか、叫びがある。胸をたたきながら、全ニュージーランドのラグビーチーム「オールブラックス」張りの雄叫びに旋律を付けたものだ。この唄があるから、この映画の題名が付けられたのではと思われるのだが。

カイヨワの遊び論の中で、「めまい」のするような、たとえばジェットコースターに乗って感じるイリンクス(眩暈)という分類があり、もし今回の職業を遊びに準えるとしたら、このイリンクスに相当する仕事として、彼の「ジャンク投資ビジネス」は位置づけられるであろう。大きすぎるリスクと背中合わせのビジネスだ。この点で、本人たちにとっての「遊びとしての職業」ということが成り立つと思われる。

お金というものが、人と人のメディアである、という主題をテーマとすると、物語は果てることがない。この映画でも、金の亡者どもが過剰な生活を過ごすのを描いているが、そう言ってしまえば、たわいのない物語になってしまうのだが、金を媒介とする販売については、過剰さを強調して、果てることのない物語が連鎖して、興味が尽きない。

たとえば、映画の中で二度使われるセールス・トークがあって、これなどは、「遊びとしてのビジネス」をよく表している。「ここに万年筆があるが、これを目の前の客を前にして、売込みを行いなさい」という典型的なセールス技術を映画は利用している。宣伝文句を並べ立てたり、万年筆の性能を言ったりしても、客は振り向かないだろう。どのようにしたら、売込みは成功するのだろうか。二度も出てくるから、正解は映画を観てのお楽しみだ。

ヒントを出すならば、ここで万年筆が問題ではなく、客が何を考えるかが問題であり、このときセールス人の心と、顧客・消費者の心を結んでいるのが、「お金」なのだ。このところを外してしまうと、この映画の興味も半減してしまうだろう。この映画では、ドラックやオンナやカブが扱われているが、これらを売買するときのイリンクスを起こさせるものとして、カネが有効なのである。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。