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2013年11月に作成された投稿

2013/11/30

奈良の日帰り散歩

1130_13 松本の日帰り散歩を成功させた余勢を駆って、今日は距離を伸ばして、奈良の日帰り散歩に挑戦だ。もちろん、この時期が紅葉の最盛期だなんで、知らなかったし、1130_14 つい先日までは、このような予定は入っていなかったのだから、気まぐれな散歩だと思われてしまうかもしれない。放送大学の先生は「暇だ」ということで、その昔公式に批難されたこともあるので、ここで一応誤解を解いておいたほうがよいかもしれない。昨日の夜間授業でも、先生の行状について質問を受けたこともあることだし。

1130_5 じつはこの時期、師走と呼ばれているように、放送大学では複数の審査が併せて行われている。もちろん肉体的に走っているわけではないが、精神的には十分に走っている。卒業研究審査、修士論文審査、修士入学審査などなど、1130_6 それぞれ50~100ページほどの報告書、論文、計画書などを読みながら、日夜審査を行い続けている。そして、今日もじつは、奈良の学生の方がめでたく、卒業論文を地元の関西圏のN先生の下で完成され、その審査が奈良女子大のなかにある、放送大学奈良学習センターで行われることになったのだ。

1130_7 横浜を出て、ほぼ3時間ちょっとで奈良駅に着く。すっかり立て替えられて新しくなった駅舎に戸惑ってしまい、駅前の観光案内所の入った昔の駅舎が懐かしく思えたくらいだ。最初は、バスに乗って行こうと思ったが、それでは散歩にならないので、観光客を避けつつ、1130_8 一路奈良女子大を目指す。とはいえ、15分ほどの行程だ。途中のイチョウの黄色や、紅葉の赤色を見ながら、歩くと小学校・中学校の生徒たちの下校時間に重なったらしく、集団で向こうからやってくるのが見えた。今週には、かれらの頭の上へ、すべてのイチョウの葉が舞い落ちてくるのだろう。大学の近くへ行けば、昼食処はたくさん在るだろうと思っていたのだが、ないのだ。やはり、近鉄かJRの駅の近くに固まっているのだそうだ。

1130_9 けれども、大学のそばに生き残っているイタリアンの店を見つけ、さっそく入る。良い選択だった。席は10席くらいしかない、Vという店だ。こんなに客席が少なくて、やって行けるのかと思ったが、素晴らしい採算性を実現していたのだった。こんなのは、これまで見たことがない。 つまり、イタリアンの店を料理人ひとりで、すべてを行っている店だったのだ。ウェイター・ウェイトレス、レジ・補助員など、ひとりもいないのだ。1130_11 客が入って、注文を聞いて、料理を作り、それをテーブルに並べる。すべてひとりでやっている。工夫はあって、飲み物はフリーにしてあり、そこだけセルフサービスなのだが、あとはすべてのサービスをひとりでこなしている。最後のレジと客のドアへの送り出しまでこなしているのだ。これは究極の「多機能料理人」の誕生である。料理のセル生産だ。これが出来るのだ。そして、味も美味しかった。

1130_12 奈良学習センターの職員の方には、今年一年、Web会議システムでお世話になった。所長のK先生はひとつのフロアを占めている学習センター全体を案内してくださった。学生からの評判が良いとおっしゃっていた。1130_15 審査は順調に進んだ。審査の主査であるN先生と、終了してから雑談をしていると、わたしのすこし上の世代だそうで、大学院生時代のさまざまな話が出て来て、こちらも懐かしかった。たっぷりと審査には時間をかけたので、放送大学がどこに一番手をかけているのかが、学生の方にも十分伝わったのではないかと思われる。学生や職員の方々の熱心さがある限りは、この大学の存在理由は続くのではないかと思う。

1130_16 奈良女子大のある場所は、観光地に通じる道路から、すこし入ったところにあるために、観光客はあまり通らない。裕福そうな屋敷が並ぶ住宅地が点々と見られる。この道をほぼ真東へいくと、国道369号を越えて、東大寺の大仏殿と、正倉院の間にある大仏池へ出る。ちょうど紅葉が池へ映って、黄色と赤色に、空と池の青が織りなす自然の風景が見事だった。1130_17 紅葉を測って来た訳ではないにしても、これほどぴったりと季節に合っているとは思わなかった。意外性が旅には重要だ。ここでしばし眺めて、やはり今日は散歩に来てよかったと思ったのだ。

1130_18 すこし戻って、369号線の角に、ハンドメイドの作者たち150名ほどの委託販売を行っている店Sがあったので入る。30センチ四方の棚がひとりの作家に割り当てられていて、ここを貸して販売をおこなっているのだそうだ。木工、革細工、刺繍などなど、150名の棚となると多様性も極まる。ひと棚2000円ちょっとで、賃貸料だけだとこの店の維持はちょっと難しい。1130_20 けれども、この作品がかなり売れてくれれば、面白いビジネスとなるかもしれない。革のブックカバーを購入した。市場価格よりかなり安く販売されていた。やはり、市場に出難く、なおかつ、みんな欲しい1130_22 と思うようなものがねらい目だと思う。どこまでが作品で、どこまでがガジェットなのだろうか。それが、測られているのだ、と思うと、たいへん興味深い試みだと言えよう。

1130_24 今日最後のコーヒーは、ハンドメイドの店の裏手の、東大寺に入っていく傍らにある工場跡地に建っている、「K」という喫茶店での、カフェオレだった。この店もハンドメイド店と同様に、ひとつ1130_25 の形を持っていて、すでに減価償却を終わった建物を再利用して、喫茶店に仕立て上げている。古民家喫茶よりも、なにやら(乳酸飲料だったらしいが)生産の行われていたという歴史があるだけでも、1130_27 集積の知恵が詰まっているみたいで、つい興味を持ってしまうところのある店だ。長居してしまいそうになる。

1130_28 最初は、古いものの再利用として始まったプロジェクトだから、というので低生産性でもよいと考えていたのだが、やはりこれだけ顧客や観光客が集まって来てしまうと、低生産性で良いと言う訳には行かなくなって、1130_29 多角化を図ることになるのだろうと想像するのだが。それで、この数年どのような変化を遂げていくのかをしっかりと観察させていただこうと思う。写真に写っている、奥の方には、まだまだ建物が眠っている。1130_30 減価償却の終わった建物を再利用するというプロジェクトは、もっと盛んに行われてもよいのではないかと思われる。

1130_31 4時過ぎには、すでに空が暗くなる。369号線を中央へ出て、奈良公園の中を通って、商店街を抜ける。Pという喫茶店に女性客が集まっているのが見えて、危うく入りそうになった。けれどもやはり、また今度に来たときのために残しておこう。最後のコーヒーは、すでに飲んだのだ。それで、かえりの新幹線の中で1130_32 食べるようにと、柿の葉ずしをすこしだけ買って、奈良駅へ向かった。日帰りの奈良散歩で、奈良に来たのだから、当然仏像を拝むことになると思っていたのだが、思わぬことから、今後の取材場所を見つける事になってしまった。このように予定の狂うことが在るから、散歩は楽しいのだ。1130_33 それにしても、家の屋根が壊れていても、それをそのまま受け入れて、自然を装ってくらす家々が廃墟間近になっても美しさを保っているのは、素晴らしい。奈良の街のよいところだと思う。1130_34

2013/11/24

夜のクラス会へ出るために、三軒茶屋を散歩する

渋谷を歩いていると、ときどき人の多さに驚き、なぜ同じ方向へ向かって、これほどたくさんの人波が動いて行かなければならないのかと思って、嫌になってしまう。「人口減少社会」ではなかったのだろうか、と叫びたくなるが、そんなことを叫んでしまうと、人口減少がどこで起こり、人びとはますます集まるところに集まるのだ、という真理を理解していないと言われてしまうので、決して口には出さないのだが、それにしても、渋谷の人口は多すぎる。


Img_0025田園都市線へ乗り換えて、数分で三軒茶屋へ着く。こちらの方面に友人たちが下宿していたときには、玉電のおなじみだった卵形のユーモラスな車体を揺らした電車に乗って、三軒茶屋へ出たのだが、やはり学生時代以来、遠のいてしまった街であった。しかし、有名な喫茶店がいくつかあって、気になる街だった。


Img_0026今年から、高校時代のクラス会が年1回開かれることになって、その第1回目なのだ。三軒茶屋という場所を選んだのも、効果的だったと思う。現在の電車は、地下鉄に変えられ、三軒茶屋始発の路面電車も、ご覧のとおりのモダンな車体を見せていて、当時の面影すらない。ヨーロッパ風のトラムカーに変身してしまっている。けれども、相変わらず三軒茶屋の街は路地が発達していて、廃止になってしまった映画館や、昔のアパート群がまだその姿を晒していて、面白さを残している。


Img_0027その路地のひとつに入って、店がランダムに並んでいる一角に、ほとんど目立たない看板が階段にちょっと寄りかかっている喫茶店が、今日のお目当ての喫茶店だ。このさりげなさ、目立たないことが、良い喫茶店の条件なのだ。初めての人が、この階段を登って見ようと思うだろうか。そして、あのすすけたドアの内側にどんな世界が広がっているなどと、誰が想像するだろうか。それは、常連だけが知っている。


Img_0031じつは、京都にEという、これもまた四条河原町近くに在りながら、一度では絶対に見つからないような、階段を登っていく喫茶店があって、その店の姉妹店がこのMという、喫茶店なのだ。早速座って、マイルドそうなコーヒーを頼んで、目のまえで、ぽたぽたと淹れてもらい、今日のコーヒーにありつく事ができた。京都での味が蘇って来た。


Img_0034一人で来ても落ち着くところが、都会では意外に少ない。ましてや、一人で来て、だれかとおしゃべり出来るようなところは、ほぼまったくないだろう。この喫茶店だったら、すこし常連になれば、そんなことも可能になりそうな雰囲気を十分に持っている店だ。近くにあれば、このことを試してみたいと思わせる雰囲気を十分に持っている。あのドアを開けてみる勇気があれば、この室内の満員の雰囲気もきっと慣れてくるだろう。


Img_0036クラス会はスペイン料理の店で行われた。お腹がいっぱいになるほど料理が次から次へ出された。このところ、ワインを飲み過ぎて、体調をおかしくすることが続いていたので、今日はすこし控えめにしていた。それで、おしゃべりに精を出すことができた。担任の先生だった、K先生はわたしたちより20歳は年上だろうと思うのだが、いつもながらわたしたちより丈夫で、元気いっぱいだ。K先生には、じつはわたしの妹も、こちらは大学時代だが、教わっていて兄妹でお世話になったことを先生は覚えていらっしゃった。それから、いつも長くおしゃべりするKさんとは、席の抽選で、偶然隣り同士となって、音楽の話を聴く事ができた。まだ当時はそれほど有名ではなかった世界的な指揮者の演奏会へ、中学校時代の友人同士3人でいって、あまりに感動的だったので、楽屋へ押し掛けた。ところが、会ってみると、かなり威圧的な応対でがっかりしたのを思い出したのだった。

Img_0037このクラスには、同級生夫婦が二組いて、その二組が卒業時からクラス会の基底を作っていてくれる。そのために安定した会が開かれているのだと、わたしは思っている。今回はMさんとTさんが幹事で卒ない運営だったが、T夫婦がそれを支えていてくれていた。それから、もう一組の夫婦Sさんの家へは、その昔クラス会の後、皆でお邪魔して、朝までしゃべり込んだこともあった。


みんな席を変えて、あちこち移動しながら、おしゃべりを楽しんだのだが、ある瞬間に、高校時代の「京都・奈良修学旅行」で行動を共にした、グループ班(ここにはS君、H君、M君さらにSさんの奥さんも一緒だった)が偶然そろったときがあって、当時の小さなグループ行動に話題が集中した。たくさん訪れたはずなのに、なぜか「浄瑠璃寺から室生寺」コースがみんなの印象に残っていたのも、不思議な現象だった。ほかに、嵯峨野の龍安寺から落柿舎、祇王寺など有名どころを回ったり、高雄の高山寺・神護寺へ行ったり、さらには、滋賀の石山寺にまでも行ったと思うのだが、なぜ浄瑠璃寺なのか、と思うのだった。たぶん、寺の説明や、説法を聴くのはみんな拒否して、自分たちの会話を楽しんだ修学旅行だったのではないだろうか。だから、岩船寺・浄瑠璃寺コースでは、歩く距離が長く、その過程でみんなおしゃべりを楽しんだから、記憶に残っているのだと思う。

このころまでには、自制していたワインも、堰を切ったように喉へ流れ込んで来て、この店のスペイン産の白が美味しいことも判明したこともあって、相当たくさん飲む波目になってしまった。最後には、ちゃんと皆と別れて、電車に乗ったつもりなのだが、渋谷の混雑を抜けたところで、あとから出たはずのKさん、Iさん、Nさんに呼び止められて、渋谷の人の多さの中でも、呼び止められるほどに、見方によっては人口もたいしたことがないのだと、酔っぱらいの変な認識に落ち着いて、納得してしまい、東横線に飛び乗ったのだった。


2013/11/18

横須賀美術館へ

1118 妻が村山槐多の画を見たいと言う。久しぶりに朝早く出て、朝日を浴びながら午前中のさわやかな三浦半島の散歩を楽しみたいと思っていたら、あまりに天気が良いので、風は強かったが、1118_2 お弁当を持って向こうで食べようということになった。子どもを連れていったときには、よく手作りのお弁当持参のピクニックを楽しんだ。とくに、裏山が緑になったと言ってはピクニック、紅葉したからと言ってはピクニックという日々もあった。年相応にたまには、夫婦でお弁当というのも悪くない。

1118_3 したがって、午前中は出かけるまで、たっぷりと時間ができ、仕事に集中して、お昼頃にゆっくり歩いて、電車に乗ると、午後の1時頃にはお弁当にありつける。自分の分のコーヒーをポットに淹れて、仕事を家に残して、京急電車に乗る。快速特急の接続が良く考えられていて、1118_4 堀之内で浦賀行きの各駅電車が待っている。馬堀海岸からバスに乗り、椰子の木の連なる海岸通を通って、走水を経由して、横須賀美術館へ着く。

この美術館で感心するのは、レストランがいつも満員であることだが、同時に、にもかかわらず、美術館の中へ入るとあまり人がいなくて、ゆっくり鑑賞できることだ。「芸術文化」の現代的あり方を素直に受け入れていて、一番景色の良いところをレストランへ提供している。だから、わたしたちのように、この前を素通りする客は、もっとも現代的じゃないということになっている。

1118_5 まずはなにより、腹ごしらえという事で、展覧会を見る前に、透明なエレベーターに乗って、ほとんど人気のない屋上を目指す。やはり思っていた通りに、風が強く、この太陽と青い空がなければ、吹き飛ばされてしまいそうだ。おにぎりのケースが風に乗って、1118_6 屋根の上を滑っていった。風の音が心地よい。右から左へ、左から右へ、タンカーや客船や漁船が行き交う。これまでの春の景色や夏の景色の霞みに隠されていた、房総半島も今日はくっきりと姿を現している。音と色彩と、味覚とをいっぺんに味わう事ができる場所なのだ。

1118_7 美術展のほうは、村山槐多の友人の山崎省三に焦点を当てた展覧会だった。村山槐多が初期に注目された「カンナと少女」が展示されていて、あの赤くぐぐっと迫ってくる描法が最初からのものだったことを、見ることが出来た。1118_8 鉛筆のデッサンも来ていて、赤くなくとも、真っ赤に骨太の黒い輪郭が見えて来てしまうという、絵画的フィクションを十分に楽しんだ。

1118_9 同時開催で、「父、若林奮」展が地下の常設展の最後に開かれていた。自分の娘の求めに応じて、自前で絵本を作ったり、物語の人形を自分で作ってしまったり、家の中のファンタジーという需要を自分で満たしてしまう事ができるのだ、という当たり前のことが、今日いかに行われていないのか、という芸術本来の気づきをもたらす点で、興味深い展示だった。1118_10 展覧会とは関係ないが、若林奮の経歴をみていたら、わたしのかなり遠い親戚H氏の名前が出て来て、このH氏からわたしの名前の一字「素」をいただいたと父から聞いていたので、その方にはたぶんお会いしていないにもかかわらず、懐かしい思いを感じたのだった。

1118y1118_11 美術館に2時間ほどいたことになる。まだ3時まえだったにもかかわらず、太陽は傾き、海の色も濃い群青色に変化してきていて、すでに日没を待っているようだった。

2013/11/16

深川で、引っ越し祝いにおでんを食べる

1116 清澄白河というよりも、深川と言った方が親しみやすいかもしれない。ここに住んでいる娘の部屋が、先日の台風で浸水した。それで、大家さんが工事を行うことになり、急遽引っ越すことになった。ここに住み始めて3年間が経ち、何度か訪れる内に、わたしの方も愛着を感じる場所になりつつあったのだが。

1116_2 清澄白河の駅を出て、深川江戸資料館の前から、都立現代美術館に至る「資料館通り」には、レトロと今風とが混合作用を及ぼしていて、都市経済学者のジェイコブスがいう「二次的多様性」を醸し出していた。たとえば、江戸を売り物にするゴテゴテした土産物屋があるかと思えば、その向かいには、白磁だけをシンプルに飾っている陶器屋がある、と言った具合であり、とくに目立つ、昔風の服装・1116_3 寝具店の田巻屋があるかと思えば、今風の真っ白な木作りの古本屋がある。それから、田舎風に店は造っているが、中を覗くと、ちょっとお洒落な人びとが乙にすましてテーブルを囲んでいる料理と酒(勝沼ワインが置いてある)の美味しい店もある。まだまだ再開発は途上だが、二次や三次の多様性が発展する気配が十分あるのだ。1116_4 そして、そのちょっと先に、娘の借りていた部屋があったのだ。

きょうは、この街も最後だというので、コーヒー豆の焙煎所Cで待ち合わせて、夕食を一緒にということになった。1116csukaituri Cは、散歩道のある川沿い(橋の上からはスカイツリーが臨むことができる)の、この運河川から一本入ったところにある、町工場風の建物に入っている。入り口からは、焙煎機がどんと置いてあるのが見える。ゴーゴーと火を吹いている音が建物中に響いている。ところが、なぜかコーヒーの香りはまったくしないのだ。それはちょっと意外で、ちょっと残念だった。どこかで排気処理をおこなってしまっているのだろうか。

1116c 娘の到着が遅かったので、酸味のいちばん効いていると告げられたエチオピア豆を淹れてもらって、大きなカップで飲む。最初はそれほどではなかったけれども、空気に触れると次第に酸味が増していって、さわやかな味で美味しかった。薄茶色の革のソファがゆったりしていて、気持ちよかったので、1116c_2 読み直しのために持っていった岩波文庫版イソップ寓話集100話くらいを読み進んだ。もっとも、コーヒーを飲みながら、寓話集を読むなどとここでは言いたくはなかったのだ。1116ckohi なぜならば、両方とも暇人として現れる時に使われる代名詞のような意味を持っているからだ。このソファに座っていると、格好だけでなく、実際に暇人風になってくる。もっとも、現実はそのとおりで仕方ないのだけれど。

1116_5 この辺には、ちょっと路地を入ると、お稲荷さんや神社・仏閣がすぐ現れるのだが、だからといって、古い土地で高齢化が進んでいるわけではなく、これもまたちょっと歩くと、子ども図書館などが配置されていて、街に子どもが遊んでいるのをあちこちで見ることができる。下町の良い雰囲気をそのまま残しているところが、この街の期待感を盛り上げている。この写真の現代美術館が陰に陽に、見え隠れして影響力を行使しているのも、気になるところだ。

1116_6 小路を2、3本数えたところをまがって、中にはいったところにその目指す、おでん屋さんがあって、先日雨が降って、娘がひとりで淋しそうに入ったときに、これいるか、とおまけしてくれたのだそうだ。薄味だけど、味が染み込んでいる。とくにこの大根が美味しかった。大根をたくさんちょうだい、と言って大正解だった。バター風味の牡蠣も良かった。6時をすこし回ったところなの1116_7 に、すでに家族連れなどで、満員となっていて、地元の常連が通って来ている店という雰囲気だ。

駅に出て、顔を上げると、清澄庭園の木々が覗いていた。1116kaki そういえば、H先生が神奈川学習センター所長時代に、筑波へ移ってしまったK先生を呼んで、講師として、この清澄庭園で「松尾芭蕉」に関する講義を話してもらったことがあった。風流ということがよくわかった名講義だったと思う。1116_8 このバス旅行に引率して来て、芭蕉記念館を見た後、拝聴したのを思い出し懐かしかった。

さらに、じつは庭園の前には、N女子高校があって、わたしが2歳のころ、父がここの先生であった時期があるのだ。1116_10 当時は、子どもを職場へ連れて来てもとやかく言うひとはあまりなく、何度となく、父に連れられて、この高校で女子高生のあいだに入って、あやされていたことのあったのを思い出した。そして父がわたしの姿を見失うと、校内放送で呼び出しがあった。当時、父はバッハ音楽の愛好家だった。家には、シュバイツァーのオルガン集があったのだ。耳の奥にその記憶が残されていたから、バッハが好ましいと日頃感じるのだと自分自身で思っている。けれども、不思議なのは、その後父は田舎に帰るのだが、それで毎日聴いていたのはベートーベンだった。何らかの心境の変化があったのだと思っている。

1116_11 先日、娘が転出届けを出しに、深川江戸資料館の隣りにある区役所へ行ったところ、窓口のひとが、「イッテラッシャイ」と送り出してくれたとのことだった。1116_12 深川らしい、下町流の接触があったとのことだった。

2013/11/11

雪に歓迎される

1111 松本の取材を予定していたので、これに合わせて、O市へ来ている。松本までならば、日帰り出張の範囲なのだが、この先大糸線に入ると、やはり日帰り圏内から外れてくる。それは、時間や空間の物理的な限界というよりも、むしろ心の持ち様であって、空気の流れ方とか、人びとの流れ方の相違が響いているように思える。ちょっと牽強付会けのような気もするが。

1111to 取材の準備もできていたので、特急あずさの中では、来週渋谷での授業にHさんが選んで来た現代労働事情を扱っている「Sの研究」という本を読んだ。わたしたちの働く現代の事情には、アングルサクソン・モデル、ヨーロッパ・モデル、そして従来の日本モデルが存在するのだが、現在の日本で、極めて変化が著しいし、揺れ戻しが起こっているのがこの労働分野であって、今後どのような制度が形成されていくかによって、この事情がかなり変わってくるものと思われる。11112 たとえば、職能主義で行って来た日本の労働評価が、成果主義の導入に寄って、にわかに変化を受けるようになってきている。このような事情については、変化が激しすぎて、わたしは不得手であるのだが、しかし来週には渋谷の読書会で取り上げなければならない。何人かの先生や学生が一緒に議論するには、現代的であり、きわめて興味深いテーマであるといえるだろう。

1111_2 窓から伺える季節の変化が興味深い。新宿を出る頃には、東京近辺では紅葉はまだまだだった。それが勝沼辺りの葡萄畑で茶色が目立つようになり、甲府を過ぎて、信州へ入る頃には、楓の赤が山々の黄色に映えるようになって来た。そして、O市へ着く頃には、空模様も影響しているのだが、紅葉に白い物がちらほら舞って来るのを見ることが出来たのだ。紅葉のまえに、雪が降るという展開は予想していなかった。いつも寄る店「バザール」の店主が、「きっと歓迎してくれたのですよ」と言ってくださったので、そうなのか、と田舎の初冬の厳しさを受け入れることにした。

1111_3 松本とO市での電車やバスへの乗り換えに時間の余裕がなかったので、松本に着いて早々に、ワインや飲み物、明日の朝食用パンなど駅前のスーパーで買い物を済ませた。これで準備万端だと思っていたが、昼食が未だだったので、松本駅で、と1111bijutukannno りめし弁当を買ったのだが、これが失敗で大糸線がほぼ満員で、とくに高校生の下校時にぶつかったので、電車の中で旅の弁当を食べる雰囲気ではなかったのだ。O市へ着いてから、蕎麦を食べることでようやく腹を満たすことが出来た。

1111_4 O市からはいつものようにコミュニティバスに乗って、山奥へと進んだのだが、いつも寄るパン屋さんへ今日も寄って見ようと途中下車した。ところが、この雪だ。外套を羽織り、持参のマフラーを首に巻き付けて、ようやく暖をとることが出来たのだった。1111_5 バスを降りて、横殴りの雪を受けていると、手足が瞬間的に麻痺して来て、緊張していた頭の中がぼやんとして来て、ちょうど良い感じだった。このまま、雪の舞う中を1時間ほど散歩した。結局、パン屋さんは休業だったのだ。

夏に入った温泉へ、身体を暖めに行く。今回も独占状態で、客はわたし一人かと思って、この写真を取っていたら、ぬっと別の客が顔を表したので、てれ隠しで言葉を交わした。1111happa 露天風呂に入っているうちに、宵闇が迫って来て、楓の葉っぱを揺らせて、水蒸気が夜の闇に消えていった。温泉からの帰りの道は、田舎の漆黒の中に消えてい1111_6 て、舞っている雪だけが目のそばで、白く光っているだけだった。近所の犬は、今日は外に出されていて、珍しく遠吠えを披露して、野生に還っていた。いよいよ、厳しい冬が来るのだな。1111_7

2013/11/04

松本のクラフト(工芸)について聴く

1104 午後から、松本クラフト推進協会のIさんにインタヴューを行う。今朝早くに、中央線あずさ号に乗って、昼にはすでに駅前でランチを食べていた。電話が入ったので、 早々に「あがたの森」公園のまえにある推進協会の建物「クラフト・ステーション」へ駆けつける。玄関を入ると、小さな展示の出来るギャラリーになっていて、白い色調の部屋が用意されていた。今日は、ちょうど隣りの部屋で、来年度の企画会議が開かれていた。

1104_4 今回は、ラジオ授業番組のインタヴューなので、言葉が重要になることは当たり前なのだが、じつはIさんの言葉のイントネーションが、この松本・安曇野地方特有のものが出ていて、それはまたわたしの生まれ育ったところだという懐かしさもあり、対話しているとすごく気になるところがあるのだった。いつものインタヴューとは、ちょっと違った雰囲気を感じていた。録音技師のTさんと一緒に行ったのだが、Tさんは埼玉出身ということだから、いくら耳の良い彼でも、この微妙なイントネーションまでは、気がつかなかったに違いない(と思う)。

1104_5 インタヴューの内容では、松本で毎年開かれている「クラフトフェア」や「クラフトピクニック」や「工芸の五月」などの運動・イベントの説明をしていただいたのだが、なぜ松本でこれほど「クラフト」への注目が盛んになったのかが十二分に語り尽くされており、興味深いお話となった。来年4月から始まるラジオ授業番組のなかで、ぜひ聴いていただきたいと思う。もっとも、ラジオ番組には時間の制限があるので、お話のうち、半分も載せられないのが残念だ。

1104_6 この話の中で、「工芸作家」の側という視点が興味深かった。クラフトフェアには、大勢の観客というのか、参加者が集まるのだが、じつはなぜこれほど、参加者が集まるのかといえば、単なる買い物ではないもの、つまり特定の作家の作品が手に入るし、また手に入れなくとも、話を聴いて、その知識を得ることが出来るからで、このことはたいへん大きいのではないかと思われる。迂回する買い物ができるのだ。そして、その迂回の途中で、思いがけないことが、それぞれに起こるのだ。

「マーケット」と、この「クラフトフェア」あるいは秋に開かれる「クラフトピクニック」との本質的な違いがあるのだ。物を買って、取引が済めばそれで終わり、というのがマーケットであるとすれば、それに加えて、作家と参加者との間に何かが起こるのが、フェアあるいはピクニックなのだと思われる。この何かのことをインタヴュー相手のIさんは「日頃、気の付かないもの」と表現していた。この「気の付かないもの」というのが生活の中では、ほんとうのところ重要なのだと思う。買い物には、本来買い物以前の制作者のプロセスが存在するのだが、それは消費者には見えない。けれども、手作りやクラフトの良いところは、目の前でその造るところが見える点である。

じつは、わたしは、フェアやピクニックが消費者などの参加者向けに行われたものだと、ずっと思いこんでいた。ところが、今回謎が解けたのだが、もちろん参加者向けであるところは否定できないとしても、実際に推進協会の会員が気にしていたのは、作家の側であったということだ。作家がどのような技法を持っているのか、どのような素材を使っているのか、交流を通じて、互いに分ち合いたいというところに、最初の目論みがあったのだということである。考えてみれば、この運動を立ち上げた方々は、工芸作家に関係していた人びとが多かったのだから、当然なのだが。それも、自然に組織だって行ったというところが素晴らしいところだ。

その兆候は感じていた。ピクニックを見に行くとわかるのだが、「ワークショップ」形式を取っているのだ。この形式が主流になっていく過程は、まさに単なる販売と消費ではなく、そこにものづくりとしての制作を介在させたいということだ。先日訪れた「ピクニック」でも、いくつかのテントを回ると、本人が席に居ないという工房が幾つかあって、それは他の人のテントをその作家が訪れていたからだ。一覧表的な意味のフェアとピクニックは持っていて、情報のやり取りがあちこちで見られるという特徴を見ることができたのだった。

「マーケットと行政なしに出来ることが存在する」と言えるためには、これだけの工夫がなければ、これほど続くことはなかったであろう。ワークショップ形式がやはり秀逸であったということに違いない。作家と参加者の間に何かが介在しなければ、なかなか活動が活気づくことはなかったに違いない。現代では、作家と参加者との間に、何かが存在することを見過ごしているのだ。この間に割って入って、「気の付かないもの」を気づかせてくれるのが、クラフトや手作りの良いところだと思う。

1104_7 インタヴューが終わってから、いつものように写真をとって、記念にしたいというと、心良く応じてもらえた。Iさんの隣りに写っているのは、Tさんでフェアの第一回から手伝っていて、何と横浜から週4回通って来ているとのことだった。この写真はそとに出すことはしませんからというと、出しても良いですよと、とおっしゃってくださった。「クラフト・ステーション」という、この事務所はやはり木工の方々が手伝って、改造してくださったということで、白い壁のスタジオ形式の部屋に仕上がっていて素敵だった。

1104_8 帰りに、今日のインタヴューを振り返りたいと思ったので、女鳥羽川のM喫茶店へ寄って、本日限定のモンブランのケーキセットを食べる。バッハが流れていて、一日を振り返るのに最適な音楽だった。外に出ると、すでに寒さを感ずる風が吹いて来て、ここが松本であって、その昔耳のしもやけに悩んだことを思い出したのだった。1104_9 この時期から、すでに秋ではなく、冬を感じてしまうのが、信州の季節感なのだと思い出したところだった。

2013/11/01

新たな二つのこと

Ssg9thesis2 この期間、わたし自身にとってはかなり新しいことと思えることを二つ始めた。一つは、雑誌の発行者となることで、もう一つは、ラジオ授業番組のインタヴュアーになることだ。両方とも、新しいとは言っても、一年以上前から計画して準備して来たものであったのだが、やり始めてみると意外に不完全なところがいっぱい見つかって来ていて、実際にはそれほど新しいというほどのことではなく、今まで考えていたことを再びやり直しているということなのかもしれない。

Ssg9journal2 最初は編集者として認識していた。この写真がこれらの表紙なのだが、『社会経営研究』と『社会経営ジャーナル』を出したのだ。それは一年前から始まっていて、放送大学の修士課程が10年間を過ぎ、修士修了生の方々の「場(place)」というものが必要ではないか、と思うようになっていた。だから、雑誌を作ろうと呼びかけた時には、「社会経営研究」の原稿を修士OB生たちから集め、さらにその原稿を査読するところまで行うのは、編集者の役割だと思っていたのだ。

ところが、編集が終わって、この雑誌を発行する段になって、「発行者」の役割は誰だ、とOさんが問うた時、雑誌を出すという役割の重要性を理解したのだった。英語でパブリッシュpublishというのは、まさに公にするという意味で、どこまでできるのかはわからないが、この雑誌を形にして押し出すことを試して見たいと考えたのだった。現代において発行者とは何だろうか。電子出版なので、ワード文書で集めた原稿を、iBook 形式とPDF形式の電子書籍に変えて発行する、という意外に手作り的な作業なのである。こんなところで、まだほんとうのことはまったくわかっていないのだと思われる。手作業が伴う、「電子出版の発行者」という仕事は、じつはたいへん気に入っている。もっとも、現在のところは、電子書籍として「発行」しただけで、まだ公に押し出すところまでは、うまくできていないのが実情だが。

ぜひ、次のところから、ダウンロードして、修了生たちの意気込みを感じていただければ、と考えている。申込者が16名で、実際の提出者が12名で、さらに掲載者が8名であるところから、厳しかった編集過程のあったことを推察していただけるだろうと思うし、編集委員会一同これで満足しているわけではなく、反省すべきことが数多くあり、もっと良い雑誌にすべく来年度も頑張ろうと互いに喋り合っているところなのだ。

http://u-air.net/SGJ/

もう一つのラジオ番組のインタヴュアーの方も、じつは苦戦しているのが実情だ。相手の方がたは素晴らしい経験を持って方々なので、いかにしてそれをうまく聞き出すのか、日夜夢にまで人びとが現れて、健闘しているというところなのだ。先日、昼飯にいつも行く中華料理屋H店で、この3月まで放送大学の広報アナウンサーだったSさんと、広報のRさんと一緒になった。そのときにプロの技を伝授してもらったので、それでちょっと気分が軽くなって、壁となっていた枠を取り払って、聞きまくっている。実際の時間は、15くらいを予定しているのだが、いつもだいたい3倍くらいの分量になってしまっている。

インタヴューの方の感想として、世の中は多様性を発達させている、ということだが、実際のインタヴューでは、これらの話をまとめていかなければならないという制約があり、この制約の方で困ってしまっているのだ。面白い話が多すぎて、どこを切ろうか、いつも迷っている。その結果、いつでも時間が超過してしまっている。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。