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2013年10月に作成された投稿

2013/10/20

遠出の日曜日散歩

1020 日曜日の散歩というには、少々遠出だった。先週もぞくぞく送られてくる卒研と修士の論文を読んだり、自分の論文も造ったり(こちらはぞくぞくというわけに行かないが)していて、実際外に出たのは、試験採点のためと、ゼミのためだけで、あとは目をしょぼしょぼさせながら、小さな文字を追っていたのだ。当然のように運動不足は明らかで、最近は足がむくんで来ていて、夕方には体操をしなければ治まらない状態だ。身体のほうは、それでも何とかなるのだが、頭の酸欠状態は避けられない。

1020_24 この運動不足を解消すべく、朝あずさ号に乗って、松本散歩を目指した。あいにく、空は曇り模様から雨模様になってきてしまった。まだまだ、信州も涼しいという感覚だったので、雨の散歩も素敵だろうと楽観的に思うことにした。

1020_3 じつは、散歩ともうひとつ目的があった。今、松本の「あがたの森」公園で開催されている「クラフトピクニック」を見ておきたいと思っていたのだ。クラフトピクニックは、工芸中心のワークショップのお祭りだ。木工などの工芸家たちが説明をしながら、催しを行っているというのだ。1020_25 といっても、あまりイメージが湧かなかったので、5月に開かれている有名な「クラフトフェア松本」とどう違うのか、というところを知りたかったのだ。

1020_4 駅前で夏に入ったイタリアンの店で、今度はパスタランチで腹ごしらえ。信州産のキノコがたくさん使われていて、素材の味が活かされたパスタだった。前菜として出て来たインゲンもパリパリしていて、とても新鮮だったし、1020_5 タマネギとジャガイモのスープも野菜の国に来たという感覚を呼び起こしてくれて良かった。ランチを楽しみに来た訳ではなかったが、頭の中が洗われて、運動不足も野菜を食べれば、解消されるような気になったのだ。いつもの東回りミニバス乗って会場へ直行する。1020_6 バスの中には、草間弥生さんデザインの赤い水玉のポスターが貼ってあって、表に現れるもの(水玉の世界)と、裏で動いているもの(人間の世界)との相剋が描かれていた。ちょっとしたアイディアだが、いつもながら、人の気を誘う。

1020_7 バスに一緒に乗った年配の婦人が、バスのなかで、どのバス停で降りたら、クラフトピクニック会場へ一番近いのかと運転手に訊いていたが、1020_26 わからなかったらしく、 運転手が声を張り上げて、乗客に呼びかけていた。道を訊くというのも、ピクニックの一部だと思いたい。

1020_8 公園には、テントが何十張りも出ていて、それぞれ工芸の実演が行われていたり、参加者の体験実習が行われていたりして、一回りぐるっと回るだけでも数時間かかってしまう。雨の中でも、こんなに混んでいるのだから、晴れたらもとたいへんな人出になっていただろう。気がついたのは、子1020_27 ども連れが多いということだ。体験して交流するという学習方法は、学校で行っているので、今の若い世代の人びとをすぐに活気づける。木工のおもちゃ制作のワークショップでは、とくに子どもの姿が目立った。

1020_10 わたしも子ども時代に帰ったつもりで、すこし長時間のおしゃべりを楽しんだ。二つのテントに入って、話を聴いた。ひとつは、下諏訪にある織物のA工房のテントで、夫婦で来ていた方々だ。実物を見ていても、制作者本人が目の前にいて、その織物の説明をしてくれるだけで、その織物が急に親しみを帯びて、目の前に改めて表れるのだった。基本は、経糸と緯糸で、経糸は一貫したいわば背骨を構成して、緯糸でバリエーションを構成する、1020_11 と説明されただけで、目の前にある布が別物に見えてくるから不思議なものである。なぜ織物のグラデーションが構成できるのがわかって、目の前に織物に生命が吹き込まれていくのを見ることが出来る。1020_12 このかたは、会社にずっと所属して織っていたが、かなり年を取ってから独立したらしい。会社で覚えた織り方から、かなり自由に織ることができるのだそうだが、それでも、記憶の遺産の重要さを語ってくださった。1020_13 その方が特集された新聞記事の切り抜きをいただいた。

1020_15 二番目に入ったテントは、女性の革工芸の方のところだ。フクロウを30分で造ることができる、というので加えてもらった。道具の紹介から、使い方、手順と進むに連れて、1020_16 ぐっと集中力が増して来て、ハンマーを持つ手も力を抜いて軽やかに打てるようになった。短い時間だとはいえ、数分かの職人時間を体験した思いだ。毎日、数時間パソコンを打つのではなく、ハンマーを打つのも悪くない。小道具の名前をそれぞれ教えてもらったのだが、にわか勉強だったこともあって、ずっと記憶に止めておくことはできない。 刻印の工程、カスミの工程などそれぞれの工程を無事クリアして、写真のとおりの出来上がりとなった。1020_21 とうぶん、わたしの鞄のキーホールダーにぶら下がっていることだろう。

1020_19 この革職人のかたは、何と注文は取らないとのことだった。自分の造りたい物を造るには、それだけの時間が必要なのだそうだ。そうだとはいえ、それで生活ができるのだろうか、とは到底聴くことは出来なかったのだが。

1020_22 帰り道は、小学校時代に遊び回った小径を選んだ。その昔、きれいに揃って建っていた土蔵群が見る影もなく、朽ちているのを見るのは辛い。けれども、逆に見るならば、よくぞ、これまで残っていたな、というところだろうか。1020_23 すでに高校時代に雷事故で亡くなった友人の家の前を通って、さらに住んでいた家のまえを経由して、途中中町通りなどで道草を食いながら、ぶらぶらと駅へ出た。過去の記憶を辿るのも、立派な散歩のメニューなのだと思う。

2013/10/13

「横濱」の遊歩に積まれたもの

1013 毎年恒例の横濱ジャズプロムナードへ、今年も向かう。昨年はヨーロッパから来た素敵なジャズクァルテットが午前中から掛かっていて、関内小ホールが満員で入れなかったこともあって、今年は昼食をまず取ってから、余裕をもって、関内ホールへ向かう。近くの馬車道十番館でカレーを食べる。コーヒーも専用のカップが良い形だ。1013_2 まだ開いたばかりで最初の客だった。天井の高いこの喫茶室へ座っていると、陽光が差し込んできて、外は涼しくなっていることを忘れ、休日の朝のゆったりとした街の空気を感じることができる。1013_3 今日は、横浜という「場所」に座りこんで、土地から挙ってくる雰囲気を吸い込みたいと考えている。

1013_4 娘が甘いものがある、といって、関内ホールの隣りにある飴屋さんへ入っていった。町歩きにもジャズを聴きながらも、口が寂しくなるのだ。

1013_5 「組織立った混沌」というものがジャズの本質だとちょっと利いた風なことを言わせてもらいたいと思う。「アドリブ的協力」とわたしは勝手に呼んでいる。本人たちは「打ち合わせのない対話」を行っているのだ、という比喩をよく使う。1013_6 昨日、ジャズプロムナードの実況ライブをNHK-FMで行っていて、その中でも演奏者が使っていた。けれども、これはあくまで比喩であって、わたしたちでさえも、対話を行う場合には、打ち合わせをしてから対話を行う場合もあるし、まったく初対面でそのまま対話になる場合もあるのだ。対話にも幅がある。

1013_7 今日、街角ライブまで含めると、5カ所以上回ったことになる。けれども、やはり今年の圧巻は、「静と動」の対比として聴いたのだが、恒例の渋谷毅ビッグバンドと板橋文夫のビッグバンドが良かった。この場所でないと、聴くことができない。Youtubeにも載らないのだ。それらを聴いていて、アドリブ的協力には、二種類があることがわかったのだ。デュオやトリオであれば、対話のきっかけはほぼ目線で合図を取ることで可能である。そしてまた、ジャズであるからには、たとえビッグバンドであっても、多くは当初の約束が何小節目にある、と知らされていれば、問題がない。1013_8 ところが、ビッグバンドで、個人のアドリブが途中挟まれたとき、再び多数者同士の曲に戻るとき、このときが興奮するのだが、ビッグバンド特有のアドリブの一致を行うのだ。これは、少人数の一致と、ビッグバンドの一致とはちょっと違っているように思える。

1013_9 なぜ一致して、頭を揃えて、途中からビッグバンドとしてのアドリブへ入れるのか。普通のビッグバンドであれば、リーダーが「指揮者」となって、その合図を出すのだ。デューク・エリントン楽団もそうだった。(先日テレビで観たサイトウキネンオーケストラと大西順子の「ラプソディ・イン・ブルー」演奏でも、トリオのアドリブ的演奏から、オーケストラの演奏へ戻るときに、小沢征爾がきっかけを取るのに苦労していた。1013_10 だから、音楽では普遍的な出来事なのだと思われる。)ところが、今日の両ビッグバンドでは、リーダーが合図を出すのはかなり限られていて、相互に音を出し合って、頭出しを探っていた。アドリブ的協力は、一致しないときにこそ発揮されるものであって、一致しないものがいつの間にか不思議に一致したかのような状態を醸し出すところで有効なのだ。

1013_11 その中で注目したのは、限られたいくつかの小節で、バンドのひとりが、前面に出て来て、「さん、に、いち」と指を折って示し、きっかけを指示する場面が見られたことだ。全体の2時間のなかで、ほんの1回か2回だけだったが。1013_13 それによって一致された音は、またまたそれで活気づくのだった。このとき、全員が賛成しているわけではないが、それぞれに一致をイメージするのだと思われるが、そこにそれぞれが異なる、アドリブ的興奮が生まれるのだ。

1013_14 今年のジャズプロムナードは、食事を忘れてしまうほどだった。感性の呼び戻しに有効だった。帰り道、伊勢佐木町のコーヒー店へ入って、1013_15 今日最後の一杯を、娘と話しながら飲む。身体からは当分の間、「ダンダ、タッタ、ダンタッタ・・ジャンボ」というリズムが抜1013_16 けないだろう。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。