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2013/09/27

ゴルトベルク変奏曲と是枝映画の解釈

0927 秋になって、映画の季節が巡ってきた。カンヌ映画祭で賞を取った是枝監督の「そして、父になる」を観にいく。このところ、忙しかったこともあるが、映画界は不作続きで、いくつか見てはいたのだが、これはというものに巡り合うことはなかった。

偶然にそのような映画に巡り会えればいのだが、そこまで現代社会は暇ではない。次々に送り込んでくるものにもやはり限界があって、なかなか見事な作品に遭遇することはなかった。

この作品については、賞を取ったこともあって、関心を寄せる人が多くて、新聞にもいろいろな批評が出ているので、ここでさらに上塗りしても何も面白くないだろう。それで、今回は音楽に注目することにした。

バッハのゴルトベルク変奏曲には、こんな聴き方があったのか、と思ってしまった。変奏曲だからして、様々なシチュエーションを想定して作られたとは思われるのだが、それにしても、これほどの含意を包み込んでしまうとは思わなかったのだ。実際、映画の中でもG.グールドの演奏が使われているから、わたしはこの演奏を何回も聴いているはずなのだが、状況によって現れ方がずいぶんと異なるのだ。

3回、映画の中で使われている。それぞれまったく異なるシーンであり、感情移入の内容も異なるはずのシーンなのに、同じ曲がそれぞれにピッタリ合ってしまっている。

最初に流れた時、こんなに暗いシーンで、ゴルトベルクが流れるのか、と思った。もっとも、かなりゆっくりと演奏しているバージョンのほうだったのだが、それでも、こんなにこの場面に合うとは思わなかった。監督本人がこの曲が好きであることは想像できるのだが、それだからと言って、使おうということにすぐなるのだろうか。実験的にまずは流してみようということになったのだろうか。これは、まずは成功したと言える。本当に暗い曲をそのまま暗い場面でかけてしまったら、それこそセンスを疑われてしまうだろうから、ほどほどの雰囲気の伴奏があれば、それで良いのだ。

問題は二番目である。場面が展開して、少し明るい雰囲気に転換する時に、またしてもこのゴルトベルクがかかるのだ。これが、またピッタリくるのだから、不思議なのだ。つまり、後から考えれば分かることなのだが、じつはゴルトベルク変奏曲自体が二面性、というよりも多面性を持っているということなのだ。だから、このことがわかるのだ。それで、どちらのシーンでも合ってしまう。

でも、このようなことは、つねに自分の映像と、音楽の関係を試したことのある人にしかわからないことだと思われる。この両面性に気付くのは、どのような状況で決定されたのか、興味津々なのだが、どなたか評論家の方が是枝監督に聞いてくれないだろうか。手紙を書いてでも、現在知りたいことのひとつなのだ。

そして極めつけは、3番目のゴルトベルクが流れるところだ。ここに、映画の山場を持って来ていて、観客全員の映画に対する「共感」を狙っていることが、この音楽を通して、十分に伝わってくるのだ。

簡単にいえば、主人公の野々宮良多は、近代社会を象徴するエリート社員であるのだが、これを反省する場面なのだ。ここに至る映画全体の累積が、一気に感情として吹き出してくる。近代批判と言ってしまったら身も蓋もないのだが、それでもこの近代社会からどうしてもはみ出さざるを得ない部分があって、それと寄り添って生きていくにはどうしたらよいのか、と問うている。頭で考えれば、この場面でなぜゴルトベルクなのか、ということになるのだが、ここもやはり合っているとしか、言いようがないのだ。ちょっと状況は異なるけれども、自分の経験と重ね合わせてほんとうに泣けるシーンなのだ。

ということで、この映画を暗々裏に、「ゴルトベルク映画」と名付け、ゴルトベルクの新解釈をなし得た映画の称号を与えることにしようと、0927_3 わたしは勝手に考えている。これまでもゴルトベルク変奏曲を使った映画は数々あるが、それでもこの多面性を正当に表した映画ははじめてなのではないだろうか。このような遊びの存在しない映画は、ほんとうの映画じゃないのだと、言ってもよいだろう、とハンバーガーを頬張りながら考えたのだ。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。