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2013/08/11

松本へ出る

0811 金曜日に来ていた娘が仕事の関係で、東京へ戻るという。途中松本へ寄るのに便乗して、しばしの休日を楽しむ。コミュニティバスに乗って、O市街まで出て、それでもかなりの距離があるから、さらに松本へ出るとなると、半日から1日の余裕が必要である。

0811_2 毎年恒例となった松本クラフト店巡りも、つねに新たな発見がある。クラフトなので、職人経済というものが、近代社会でいかにして可能か、という問題点を見せており、わたしの関心にぴったりの具体例がいつも見つかるのだ。0811_3 たとえば、ちょっと歪んだガラスコップが売られていて、これが結構持ちやすく、使いやすいのだ。かといって、これらは職人経済のサイクルに乗っているので、それほど価格が安いわけではない。

さて今日は、松本城近くへ出るというので、松本駅の一つ前の、大糸線北松本駅で降りて、歩き始めるが、この暑さだ。0811_4 今朝までの山の中の生活では考えられないほどの、太陽光線の強さと気温の高さである。東京よりも標高差で、600メートルくらいあるのだから、日差しが強いのも当然であるが、標高差があるのだから、もう少し気温が低くてもよいのではないかと思われるが、そういうわけではないのだ。

喉が乾いたので、今年になって、インターネットで知った喫茶店ギャラリー「L」を目指す。クラフト経済では、低生産性を補うために、低費用でなければならない。0811_5 したがって、古いものは徹底して使うのだ。この店のように、減価償却の終わった建物を再利用するということが必要になってくる。この喫茶店は、その昔薬屋さんだったらしい。一階の玄関をはいったところに薬棚が飾ってあって、昔の様子がわかった。

0811_6 コーヒーは、エチオピア産のハチラを頼んだ。癖のある香りのある、酸味の強い豆で、わたし好みの味だった。ギャラリーでは、「竹の駕篭」展を行っていて、愛好家たちが集まっていた。中には、紫色になるまで使い込んだような買い物かごを腕に下げて、見て回る人もいた。こうなると、クラフト経済では、古さということが価値をもつ、ということも確かめられるところだ。

0811_7 喫茶店の中をみると、壁や窓が古い建物特有の高さがあって、全体にゆったりとした空間を作りだしていた。これだけ、居心地のよい空間を作ってしまうと、客が押し寄せて、作った本人たちにとっては余裕がなくなるだろう。手作り経済は、大量生産が苦手であり、クラフト経済の限界もこの忙しさにあるように思われる。

0811_8 この喫茶店辺りから、城の側面に至る街は、子どものころに母親に連れられたり、子ども同士の探偵団を組織したりして、何度も彷徨したところだ。いまでは見る影もないが、「六区」と呼ばれていた旧い商店街だ。それで、老舗の店がいくつか並んでいるのだが、大方は写真のようなデパートの廃墟のようなビルや、小さな商店がシャッターを下ろしたままになっており、昔の記憶とはかなり異なる街となっている。それでも、一軒、二軒と記憶に残る店も無いことはない。

0811_9 最初に入った店は、Yという飴屋さんで、「板まめ」が美味しいのだ。わたしの家は、山のほうへ行ったところだったのだが、もう一軒の老舗飴屋さんSと同様に、市内をこの飴屋さんたちの自転車販売が回っていて、手繰り飴などを買ったのを覚えている。

そこを出て、しばらく歩くと、陶器類が雑多に積み重ねられている店があって、この雑然とした状態が面白くて、入ってしまった.棚には、祝いの席で使うような徳利が並んでいた。0811_10 それ以外は、まったく整理されて居なくて、店の女性もあきらめ顔に雑多さを楽しんでいるようだった。この雑多さは、クラフト文化の利点でもあり、欠点でもあるのだ。漬け物入れを見つけ、購入した。家に帰ったら、どういう訳か、バター入れとなってしまっていたが。

0811_11 六区の中心街に差し掛かると、和紙屋さんがあり、娘がみていきたいと言う。たぶん、老舗だった店を新調した店だと思われる。街の人びとが少しずつ来ていて、小さな需要を繋いで、和紙愛好家を集積している努力が忍ばれる店だ。便せん、封筒を娘は購入していた。0811_12 わたしは京都で作られているという、型絵の大判和紙を購入した。はじめは、茶筒の回りをこれで飾ろうと考えていたのだが、反対され、大判のままで飾ることにする。

0811_13 街の中心に出て、四柱神社を横切って、有名なフランス料理屋の前へ出る。目的は、鰻屋さんでランチを食べよう、ということだ。わたしたちは子どもの頃、四柱神社のことを「しんと」と呼んでいたが、漢字は今もってしらない。0811_14 四柱を「しんと」読むのだと思い込んでいたが、「神徳」なのか、とも思っている。このような何気ないところに、共同体の不思議さが宿っている。

0811_15 この鰻屋さんは、昔は土間のある広い客席の鰻屋さんで、庶民的な店として親しまれていた。たとえば、鰻屋さんなのに、メニューに鰻重はない。うな丼が主たるものなのだ。それで、きも吸つきのうな丼を二つ注文する。民芸風のテーブルと椅子、壁のコーナーには、砥部焼の素敵な柄模様の大きな花瓶が配置されていて、たいへん落ち着いた店だ。帰りに、主人らしい人に訊くと、この新しい店になったのは、18年前だったとのことだ。

0811_16 ここから、縄手通りを横切って、中町通りへ入る。まずはいつものように「「C」へ直行した。ここ3年ほど、揃えているコーヒー碗を、今年も一客購入する。このように定番となった品を滞ることなく仕入

0811_17

れていて、いつ行ってもそれがあるということが、クラフト経済の鉄則であり、このようにつねに需要があるものだけが残ってくるということも、クラフトというものの本質に存在すると思われる。

0811_18

「C」で買い物を果たしてしまえば、あとは見て歩くことに徹することが出来る。向いの店「T」で、娘がキャンドル台を盛んにみていたが、今一歩だったらしく、珍しく購入しなかった。止まることがないのが、若さの特権だと言っていた割には、選んでいる。

0811_22

そのあと、ジブザグにい

つものコースで、中町歩きを楽しむ。最後は、「I」漆器店で眼の保養をさせていただいて、中町を出る。

0811_20 駅への道すがら、ギャラリー「K」へ寄る。磁器の完璧さのなかに柔和さを追究していて、究極こうなるかもしれない、と思わされるような奈良のO氏作品展を開催していた。あとで妹も見学に訪れたらしい。「プラスチックのような生地の磁器」と表現していた。0811_21 あの人工の大理石のような器はどのように使われるのだろうか。手に残る感触を楽しみながら、「これからワインを買い込むのだ」と意気込んでいる娘と別れ、帰りの大糸線の電車に駆け込んだ。

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コメント

あっ、「GRAIN NOTE」の店先に私が買ったのと同じティーポットが出てますね。

やっぱり、研究室にある、蓋の欠けたのと似てますよね。

欠けた蓋だけ、売ってほしい、というわけにいかないと思いますし、
欠けている分貫禄が出て来ているので、新しいものに買え代えると
いうこともないのではと思います。

同じ作家でしょうか。いつでも、買えることがわかったので、
当分今のを愛でてください。

じつは左のほうに、クリーム色の同じ形のポットもありました。
もし買うのであれば、こちらもお勧めです。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。