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2013/08/24

最初に露天風呂に入ったのは

201309_2 最初に露天風呂に入ったのは、何時だったのか思い出してみる。生まれたのは、このO市だったから、赤ん坊のときにおそらく親に連れられて、行ったことがあったに相違ないが、記憶にはない。

けれども、幼稚園時代前頃から、このO市の祖父の家に毎年来るようになって、それ以降の記憶はある。その中で、親戚の従兄弟たちと一緒に、郊外の葛温泉へ行き、硫黄の強い臭いと、温泉でのゆで卵の美味しさは格別だったという思い出がある。当時も土砂崩れが頻発していて、途中の河原の橋が落ちていたのも覚えている。そのとき、温泉にたっぷり入っており、確かそれは露天風呂だったと思う。それ以降、温泉地へ行くといえば、必ず露天風呂があると思うようになったといえる。

201309_3 温泉では湧き出る湯が豊富なので、この豊かさを惜しげもなく、見せる必要がある。普通の大浴場ならば、都会でもあるのだが、やはり豊富さを見せるには、戸外での掛け流しでなければ、意味がないと思う。それには、露天風呂という仕掛けが合っている。

じつは、わたしも、その昔は、温泉を自宅に敷くという、叶わぬ夢を追求したことがあるのだが、そのとき聞いた維持費が、考えていた以上であったのを覚えている。通常の風呂の維持だけでなく、やはり温泉も「水資源」という特性を持っているのだ、と納得したのだ。源泉の維持からの源泉からのパイプなど、もろもろの費用は、固定費相当のものが掛かり、これらの維持には、資源の「プーリング」費用というものがかかることになるのだ。

だから、露天風呂はいかにも、費用がかからず、ただ同然で掛け流しているようにみえて、じつはかなりの維持費がかかっていることを知っている。だからなのだが、露天風呂があれば、必ず入るようにして、その贅沢を噛み締めることにしている。

前置きが長くなってしまったが、じつはこの家の近くには、旅館が幾軒かあって、それらのほとんどの風呂は、泊まり客の限定使用が当たり前であった。ところが昨今、温泉という資源も町起こしの一端を担うようになって来ており、一見の客にも開放され始めている。今日は、その一軒を訪れ、風呂だけを楽しんだのだ。大浴場の外には、当然、露天風呂が併設されている。内風呂は温泉の温度が多少高めに設定されているが、露天風呂のほうは、外気で冷まされるのか、あるいは長時間使っていても良いようにと考えてか、あらかじめ温めの設定がされていて、気持ちが良い。

201309_4 眼をつぶって、陽の光を身体に受けながら、日頃のつたなさを反省するに十分なゆとりを作ることができるのだった。すでに夏を過ぎたことを知らせようとしているかのように、ギンヤンマまで温泉の湯煙を吸いに現れた。帰りには、地元産の、冷たい壜牛乳を一本飲んだ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。