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2013年8月に作成された投稿

2013/08/27

今年の蜂騒動

0817 マンデヴィルの寓話にあるように、蜂がブンブンと唸るように、という比喩が社会状況について使われているが、実際の蜂のブンブンという羽音がどのようなものかは、実際に聞いてみる以外には、その現実感を味わうことはできない。

0810 昨年は、熊出現の話題で持ち切りだったのだが、そして林の中の木々に熊注意という標識が目立ったが、今年はその標識はまったく撤去されている。けれども、ニュースには早朝の散歩には注意が必要だと書かれていた。さて、このような認識では、どの辺を信じれば良いのかは、熊に聞いてみるしかないだろう。

同様にして、蜂情報は、毎年被害が報告されているにもかかわらず、大状況としてはかなり日常化していて、ちょっと刺されてくらいは日常のことだ。だからといって、気を許すことのできない小状況は数々存在するのだ。

0810_3 今年の蜂騒動の始まりは、南隣のログハウス裏に、一匹一匹は小さなミツバチが大きな巣を作ったのだ。もちろん、このくらいのことは、毎年起こっていて、それほど珍しくもなく、隣りのご主人が殺虫剤を噴霧して駆除を図った。ところが、予想に反して、この写真でわかるだろうか、数千どころではなく数十万、数百万の蜂が巣から飛び立って、一斉に羽音を立て始めたのだった。ブンブンどころではなく、この地区全体がブーンという低音が鳴り響いたのだった。壁面全体に、蜂が巣から飛び立って、展開し始めたのだ。雲が一面を覆ったごとくの群れが集結したのだった。これまでの蜂騒動をいくつか見て来たが、その中でも、記録に残る蜂の数だったのではないかと思う。

0826 北隣の家の蜂騒動は、何年か続いたので、ちょっと厄介な思い出だった。この家は、冬を想定して作られていて、一階は鉄骨の駐車場になっていて、その上が居住場所となっている。たぶんは冬に雪が積もっても、一階は埋もれてしまうけれども、二階はそのまま表に出ることが出来るに違いないのだが、蜂もさるもので、この一階と二階の中間にある床下空間に空気穴から入り込んで巣をつくってしまったのだ。表からは見えないので、駆除がたいへんだったらしい。

ところが、実際には、その後が大変で、駆除された蜂が住民がいない間に、軒下に引っ越して、写真のような大きな巣を作り上げてしまったのだ。これはこれで、こんなに大きくなってしまうと、帰って吉兆だということで、現在も保存されている。スズメ蜂にしてみれば、駆除されたのは何なんだ、というところだろう。

さて、今年はわたしの家の番で、案の定、玄関横に巣があるらしい。一匹二匹と、羽音を響かせて、出入りしている。さて、どうしようかな。これまで、家の回りには、数々の蜂の巣が点在していて、その度毎に対応をじっくりと考えているのだ。

0818 じつは、先日ピザを買いに、いつものパン屋さんへいって、蜂に困っているという話をすると、即効性の殺虫剤があるんです、ここでも木の上の方の蜂の巣を駆除しました、と教えてくださったのだ。これを妻に買って来てもらって、さっそく散布したのだった。効果は、もう少し後にならないとわからない、蜂族の生態に明るいわけではないが、巣の回りはどうにかなったようだが、肝心の巣の場所の特定が出来ていなかったので、どうやら中心をはずしてしまっているらしい。門番は確実に始末できたが、その奥は自信がない。

0826_2 童話のミツバチマーヤの冒険を娘に読んで聞かせたときに、門番がクマンバチの襲来で大変重要な位置を占めていた。ここを何とか退治できれば、あとは巣全体がどこかに引っ越してしまうことを目論んでいる。当分は、この長期的な効果について、様子をみてみようと言うことになったのだ。

この先送りは理由なき先送りではなく、十分に検討を重ねたいとする名誉ある先送りなのだ。

2013/08/24

最初に露天風呂に入ったのは

201309_2 最初に露天風呂に入ったのは、何時だったのか思い出してみる。生まれたのは、このO市だったから、赤ん坊のときにおそらく親に連れられて、行ったことがあったに相違ないが、記憶にはない。

けれども、幼稚園時代前頃から、このO市の祖父の家に毎年来るようになって、それ以降の記憶はある。その中で、親戚の従兄弟たちと一緒に、郊外の葛温泉へ行き、硫黄の強い臭いと、温泉でのゆで卵の美味しさは格別だったという思い出がある。当時も土砂崩れが頻発していて、途中の河原の橋が落ちていたのも覚えている。そのとき、温泉にたっぷり入っており、確かそれは露天風呂だったと思う。それ以降、温泉地へ行くといえば、必ず露天風呂があると思うようになったといえる。

201309_3 温泉では湧き出る湯が豊富なので、この豊かさを惜しげもなく、見せる必要がある。普通の大浴場ならば、都会でもあるのだが、やはり豊富さを見せるには、戸外での掛け流しでなければ、意味がないと思う。それには、露天風呂という仕掛けが合っている。

じつは、わたしも、その昔は、温泉を自宅に敷くという、叶わぬ夢を追求したことがあるのだが、そのとき聞いた維持費が、考えていた以上であったのを覚えている。通常の風呂の維持だけでなく、やはり温泉も「水資源」という特性を持っているのだ、と納得したのだ。源泉の維持からの源泉からのパイプなど、もろもろの費用は、固定費相当のものが掛かり、これらの維持には、資源の「プーリング」費用というものがかかることになるのだ。

だから、露天風呂はいかにも、費用がかからず、ただ同然で掛け流しているようにみえて、じつはかなりの維持費がかかっていることを知っている。だからなのだが、露天風呂があれば、必ず入るようにして、その贅沢を噛み締めることにしている。

前置きが長くなってしまったが、じつはこの家の近くには、旅館が幾軒かあって、それらのほとんどの風呂は、泊まり客の限定使用が当たり前であった。ところが昨今、温泉という資源も町起こしの一端を担うようになって来ており、一見の客にも開放され始めている。今日は、その一軒を訪れ、風呂だけを楽しんだのだ。大浴場の外には、当然、露天風呂が併設されている。内風呂は温泉の温度が多少高めに設定されているが、露天風呂のほうは、外気で冷まされるのか、あるいは長時間使っていても良いようにと考えてか、あらかじめ温めの設定がされていて、気持ちが良い。

201309_4 眼をつぶって、陽の光を身体に受けながら、日頃のつたなさを反省するに十分なゆとりを作ることができるのだった。すでに夏を過ぎたことを知らせようとしているかのように、ギンヤンマまで温泉の湯煙を吸いに現れた。帰りには、地元産の、冷たい壜牛乳を一本飲んだ。

2013/08/23

夜の散歩と雨の散歩

0823_2 昨日、宿に帰ってきて、さすがに疲れた。昼からずっとイベントを見守っていたし、いろいろの観察もさせていただいたので、すっかりお腹が空いてしまった。じつは娘から推薦されていた中町通りの宿に泊まろうと考えていたのだが、メールが届いていて、部屋は満室だとのことだったので、結局のところ、宿は上土町に以前からあるレトロ調のホテルKを予約したのだった。0822_14 音楽・芝居のあった市民芸術館から徒歩でそれほどの距離ではない。わたしの通った幼稚園が、そのちょっと先の通りにあったのだ。懐かしい通い道だ。

0822_15 それで、頭の中だけは満腹状態で、調子がすごく良いのだが、しかしこの身体の空腹感には勝てない。荷物を置いてすぐに、食事に出る。この近くであれば、誰もが推薦する店があって、その店「S」へ行く。店の中は満員だったが、入り口近くの丸いテーブルが空いていて、そこを指定される。0822_17 定食でも良いと思っていたが、メニューを観ているうちに、やはり信州へきたら、と思えるものが載っていて、それらを頼む。酒はMの「あらばしり」が置いてあった。

0822_18 信州に住んでいるときには、母が生ものを極端にきらっていた。これには、日持ちする食料を良しとする昔の生活の習慣というものが関係しているのではないかと思っている。それで、いつも理由を付けて、食べるのをタブーとしてきたのが、さくら肉だ。0822_19 さすがに、大人になってからは、そのようなことはない。それで、今日はこの馬刺を頼むことにする。また、夏なので突き出しには冷や奴が良いと思った。信州なので、当然木綿豆腐で、固く大きく切ったものが丼に入っていて、ここに茗荷が乗って出て来た。二人分はある。それに野菜は、大きく切ったトマトをとは思ったが、今0823_3 日は馬刺なので、セロリをたっぷり頼むことにした。酒と馬刺、さらに豆腐と野菜との取り合わせはかなり良い選択だったと思う。

この店の特徴は、調理場と客席の二つの舞台で成り立っているところにある。それは普通どおりなのだが、板前の前線にいて調理場を取り仕切っている、年取った店の顔たる主人と、その娘であろう客席を取り仕切っている細身の看板女将がいるという中心がはっきりしている特徴がある。0822_20 そして、それぞれの持ち場がその下に統括されていて、この全体の動きが落ち着いている。カウンターの奥の調理場はガラスで向こうが見え、何をしているのかすぐわかるし、また行き交う仲居も若いにもかかわらず、きびきびしていて気持ちがよい。当然ではあるが、持ち場がはっきりして、それぞれに責任を取る体制が貫かれている。料理の旨さは、マネジメントのそつのなさに現れている。

0822_21 よく見ていると、それぞれの板前が作ったものは、それぞれ客に届けても良いことになっているらしい。調理と仲居という分業体制が通例であり、ふつうの割烹では、調理場から板前は出ないし、仲居は絶対に調理場へ入ってはいけないというのが普通だと思っていた。最初はそのように観ることができると思っていたが、時間が経ってみると、どうもこの分業体制はそれほど厳密なものではないらしい。手が空いていれば、それぞれの領分を侵してもよいらしい。この境界侵犯はどのようにして起こっているのだろうか。興味は尽きない。

0823_4 この店へ一度来ると、皆常連客になるらしく、それぞれの送り迎えがたいへんだ。そとへ出ると、すでに10時を回っていて、この後寄るとすれば、飲み屋しかないのだが、じつはこの近辺で以前から行ってみたいと思っていた、昔からのジャズ喫茶「E」があるのだ。曲の音が外まで漏れていたので、場所はすぐわかった。

0823_5 昼間、ストラヴィンスキーの不協和音の音楽を聞いて、夜はジャズというのは、流れとしては、歴史的にもつながりがない訳ではないので、大変良いのではないか。深夜にもかかわらず、カウンターは常連客に占められていたので、スピーカーの前の席に座って、今日最後の一杯を頼んだ。身体の中に、音楽と一緒に染み込んでいったのだ。

0823_6 次の日、昨日の興奮が残っていたのか、それとも部屋の空調が悪かったためなのか、朝早く目覚めてしまった。今日は、朝から雨で、午後にはかなり強く降るらしい。それで松本の散歩も残念ながら早めに済ますことにする。図書館へ寄るのは表だけにして、博物館も表面を観ただけですまし、散歩も早めに切り上げて、先日娘と寄った店でタンブラーだけを購入して、早々に北松本駅から大糸線に乗って、大町へ向かう。

0822_22 電車に乗り始めた頃から、予兆はあった。大降りの雨で、上り電車が数十分遅れ、それでこちらの下り電車も、交換駅で待たされることになった。大降りの中を通り抜けて来た電車が現れた。途中で電車が雨に追いつかれ、上り電車がすれ違っていったのだ。

0823_7 駅毎に雨が激しさを増し、大町駅につく頃には、土砂降りになっていて、いつもの青空はなく、雨雲で駅も覆われていた。動くことが出来ないので、毎年寄ることにしている、駅前の喫茶店「K」で雨宿り。しばし、遠雷を聞きながら、コーヒーを楽しむことにする。いつになったら、家に戻れるのだろうか。サンド0823_8 ウィッチも注文し、小降りになるのを待つ。遠目に窓から観ていると標高が高いだけに、雲の動きも早く通り過ぎていく。

0823_9 山の頂も完全に雲に霞んでしまい、いつもの屏風のような北アルプスも観ることができない。必要最小限の買い物を済ませ、コミュニティバスに乗って、山の家を目指す。夜遅くまで、屋根が鳴るほどの豪雨が降り続いていた。

2013/08/22

松本で音楽会イベントを取材する

0822 昨日で、なんとか義務的な仕事を、免れて来た。自分の分はほぼやり終えて、あとはチームの方々の寛容によって免除していただいた。じつは、あと1週間以上に渡ってまだまだあって、I 先生やO先生は残り仕事を片付けなければならない。0822_2 だから、途中離脱はほんとうのところ気が引けるのだが、ここに至っては、わたしがやるよりは、あとは優秀な事務の方々へ任したほうがうまくいくのだと思われる。

言い訳がましいが、じつは松本市で行われている「サイトウキネン・フェスティバル」の取材・見学を予定していたのだった。ところが、この騒動ですっかり予定が遅れてしまい、取材約束を取り付けることが残念ながら出来なかったのだ。0822_3 そこでロケハンということで、前以て鑑賞して置きたかったのである。もっとも、現在制作している授業科目に関係しているようで、関係がないようであり、取材というには、材料が足りなくて、もっと前段階の試みということでちょうど良かったのかもしれないと、前向きに考えておこう。

0822_4 以前から妻がオペラを見始めていて、いつも切符が取れないと嘆いているのを見ている。それで、どれほどのものかと、ネットと電話で今回のサイトウキネン・コンサートを申し込んでみたが、ものの見事にかすりもしなかった。それでは、当日券はどうだろう、と並んでみることにしたのだった。0822_5 途中、機会があれば、どのような準備を行うのかも、協力の有り様を感じることができるかもしれないのだ。

ちょうど良い時間に着いた。さすがに、当日券はほんのわずかだそうだが、一番手につけた。一番が良いのではなく、途中の準備が次第に整えられて行くのが見られたからだ。0822_6 これで一応、取材したというアリバイは作ることができるだろう。カウンター、クローク、花台が設定され、そして当日券売り場の看板が置かれると、市民芸術館スタッフは表から引いてしまう。微調整のための舞台デザイナーや設備関係の人びとが行き交うだけだ。面白かったのは、勘違いした花屋さんがわたしのところへきて、花輪をどこに置いたら良いのか、と尋ねたことだった。作業衣みたいな服を着ていたのが、悪かったのだろうか。

0822_7 基本的には、出演者と演奏者のグループと、サイトウキネン側と、市民芸術館側という人間の動きが見られる。松本市が力を入れているボランティアの活動がそれほど見られなかったことがちょっと残念だった。訪ねてくる時間・タイミングが微妙に違うのだった。骨格は施設側が面倒を見るが、それらに色づけするのが、主催者だという役割分担だ。

0822_8 じつは主催者側が気にしていたのは、なんとこれが金属探知機だったのだ。このような大掛かりな機械をいれること自体、イベントというものの、必要な部分だといえるかもしれない。これは後で、一緒に並んでいた当日券仲間から聞いたのだが、ヤンゴトナキ方がみえるので、設置されたのだった。

0822_9 そろそろ4時間前になってきているのだが、若手の役者が出て来て、表も舞台で、タップを踏みながら、練習をはじめたのだった。ガタガタと音がして、低音部が極めて響く、声を張り上げだしたのだった。道化もカタカタと回りだし、すでに気分は祭りのなかだ。同じセリフが耳について来たのだが、昨日すでに、今日の題目であるストラビンスキーの「兵士の物語」もyoutubeで観て来ていて、準備万端だ。

0822_10 それにしても、イタリアへ行ったときに、オペラの当日券に並んでいる人をみたが、かなりの忍耐を必要とするなあ。この役者のリハーサルがなかったら、到底耐えられなかったに相違ない。その昔、40年ほど前、あるフォークソングの歌手のコンサートへ行ったら、まさに時の人であった0822_12 ので、コンサート場は満員で、会場を十重二十重に取り囲んでいた。ところが、会場から歌謡曲がろうろうと流れて来たのだ。彼のサービス精神だったと思われるのだが、じつは歌唄いというものの本質を示していたのかもしれない。0822_13 今日のリハーサルも、じつは自分たちでただ単に演じてみたかったのであって、練習などというものではなかったのかもしれない。

それが証拠に、そのあと、クラリネットの音がして、全員が会場のそとへ出て来て、ファンファーレが鳴り響き、マイクテストやら、音合わせが実験劇場と言われるところで、始まったのだった。これらは、街へ繰り出す式のアバンギャルド形式の名残だと思われる。ここまで来てしまえば、あ0823 とは目の前を「こんにちは」と通り過ぎる主役の役者や、リハーサルをチェックする舞台監督の振る舞いなど、そして、名だたる楽器演奏者たちのそれぞれのプライドと道化と、十分に楽しめたロケハンだったのだった。もちろん、実際の舞台は超満員で、音楽も素晴らしいし、緊張感ある中にもリラックスした演技にすっかり参ってしまった。

2013/08/19

都会へ出るという生活に慣れ始めた

0818_9 朝、山の家を出て、7時の始発路線バスに乗る。JR信濃大町駅へ出る。路線バスとはいえ、コミュニティバスと違って、観光用の商業バスなので、コミュニティバスの2.5倍の料金だ。朝7時に登山客が山から降りて来るわけではないので、バスの乗客も一人で、あとは通学客だけだ。コミュニティバスの始発まで待っていると、さらに1時間遅れになって、東京へは午前中に着かない。だが、この商業バスだと、かろうじて午前中に新宿へつくのだ。

0814_3 朝の大糸線には、高校生の客が多く、列車は満員だ。それにこの時期は、お盆休みをすこし延ばして滞在していた観光客が、一斉に動き出す。また、登山客は大きなリュックを持っているから、通路はそのために行き交うことも出来ないくらいだ。松本駅に着く頃には、混雑も最高潮に達し、新鮮な空気をたっぷり吸った、田舎からの乗客を吐き出すのだった。

0819_9 特急あずさに乗り換えて、新宿に出る。今年のように、これだけ東京と往復すると、車窓の景色も見慣れたものになってくる。ぶどうの出来具合が気になるのは確かだが、降りて見るだけの余裕はない。定期券ならば、当然のように、途中下車しているだろうに、最後に目的地へ着く頃には、0819_10 旅の目的が何であったのか、すっかり忘れてしまっていることは眼に見えている。

0819_3 今日の打ち合わせ場所は、東京文京学習センターに併設されている、放送大学の東京オフィスだ。月曜日なので、学習センターの講義室・ゼミ室はしまっているのだが、この東京オフィスは開いていて、会議を開くにはたいへん便利だ。十分な時間を残して、会議室へ到着した。いつもは教材の作成部会などで利用されている。しかし、今日は特別だ。0819_4 今年は、信州の山の中では、回線の具合が悪く、インターネットが通じない。それを良いことに仕事を行わないのであるが、今日のような打ち合わせの準備には、回線が不調であると、不便この上ない。さっそく、宿題となっていた作業を済ませ、プリントを作成して会議に備える。事務の方々も早めに来ていて、集まる資料があまりに多いために、サンドウィッチ片手に準備に当たっていた。

0819_5 打ち合わせは、2時間ほどで終わった。ほぼわたしの役割は終えたことを確認することができたのだった。そこに連絡が入って、沖縄のT氏から、今晩会えないかとお誘いがあった。ちょうど1週間ほど前に、新しい著書を送っていただいたところだったので、彼と話したいと考えていたところだった。銀座で待ち合わせ、夜の帰宅に都合の良い、渋谷へ出ることにする。彼と会うのは、1年ぶりくらいだろうか。

0819_6 渋谷のHの8階に展望の良い食事屋さんがあって、酒も出るらしいと聞いていたので、そこへ直行する。程なく、喫茶タイムから夜タイムへ移行して、地方色豊かな酒・葡萄酒と、料理が並び、窓からの渋谷夜景も加わって、楽しい食事となった。

0819_7 話は、新著のことが中心となった。ソーシャル・キャピタルの論客たちを揃えた著書だったので、話の内容も、沖縄のソーシャル・キャピタルに集中した。酒が美味しかったこともあって、話はあまり覚えていないが、紐帯の強い沖縄特有のソーシャル・キャピタルとでもいえるものが、今回解析できたか否か、と言う点に集中していたと思う。いずれも、興味深いことで、思わず知ったかぶりをして、批判めいたことも言ってしまったことも覚えている。酒の席なので、寛容なT氏のことだから、十分許してくださることだろう。

0819_8 店はたいへん繁盛していて、入り口へ達すると、10人くらいがベンチで空きを待っている状態だった。こんなにゆったりと話ができ、渋谷の町を一望出来るとなれば、盛らないわけがない。今後も、少人数でじっくりと話をし、味を楽しみたいときには、またここを利用させてもらおうと思った。

2013/08/18

再びピザを楽しむ

0817_16 妹が母を迎えに、O町へ来ていて、昼食にピザを食べようということになった。前回同様に、電話を掛け、時間に合わせて焼いてもらおうと思ったら、今の時間は客が一杯で、焼いて置くことはできないと言われた。それで、1時間経ってから出かけることにする。

0818 家があるところでは、気温が25度位だが、やはり道路を超えると30度は猶に超えている。自動車の窓ガラスの照り返しが眩しいくらいだ。この近くに「温泉郷」があるのだが、ホテルと旅館の盛衰は激しい。Hという事業再生で名を挙げた会社の取得した、この中でもかなり頑張っていた旅館があって、妹がそれを見学したいと言うので、門構えだけでも観て、再生がどうなったのかを観てみようということになった。もっとも、再生されたかどうかは、表からはわからなかったが、ここを再生してみようという心構えは立派だと思う。

0818_2 そういえば、林の中で、かなり昔から廃墟と化していた、新聞社の寮は今年になってようやく更地になって、建物だけは壊されていた。ここも再生される可能性がある。けれども、なにも壊してしまうことはないのだけれど。

0818_3 パン屋さんへ着くと、ほんとうに混んでいて、3つあるテーブルがすべて埋まっていた。仕方ないので、ベンチに腰掛けて、有機コーヒーを飲んで待つことにした。隣りの土地に駐車場が新たに作られており、さらに奥には、もう1軒新しい住宅が立っていた。何か新しいことがこの地区には始まるのだろうか。

0818_4 今日のピザは、昨年同様、マルゲリータと夏野菜を頼んだ。家では、老母が待っているというのに、やはり空腹には負けてしまうし、出来立ての美味しさは比類のないものだ。駐車場を作ったことで、需要が出て来たのだろうか。次から次から、客が押し寄せて来た。

0818_5 ピザに合う酒には、やはり一升瓶ワインが最適ではないか。ピザを何人かで食べていると、どうしても酒の量が進んでしまい、話をしていれば、それで堪能すべきとは思えども、ある程度の量を確保する必要があるのだ。それで、通常のワインの壜だと750か720ミリリットルで、到底足らない。それに日常ワインとして毎日飲むには、価格が高すぎる。それで、この地方へ来ると、酒屋さんでかならず売っている、一升瓶ワインを仕入れるこ0818_6 とになる。その昔は、安い輸入ワインが詰められて売られていたのだが、近年は国産ぶどうをふんだんに使ったものが出回っていて、これがなかなか良いのだ。片手で、よいしょという感じで、コップに注ぐのが、一升瓶ワインの鉄則である。

0818_7 今年は、近くの酒屋から買った塩尻の「I」ワインと大町市内の品揃えの良い店「Y」から購入した0818_8 「A」ワインのものを飲んだ。

2013/08/17

東京からの帰り道

0814

東京はまだまだ暑かった。14日と16日にも、連続して急用ができ、首都圏に滞在していた。原稿の校正は順調に進んでいるのだが、それ以上に、本務の仕事が襲いかかって来るのだ。14日の上京では、朝早かったので、バスが林を風のように抜ける感触があって、流れていく風景がとても素晴らしかった。0814_2 松本駅からのあずさ号には、タケノコの皮で包んだ感じのお弁当を購入して、一路幕張を目指した。久しぶりの幕張本部だったのだが、みんな既にお盆休みに入ってしまっていて、わたしたち以外は誰もいない。

0817 16日に至っては、お盆休みを返上してまで、仕事を休まず、官庁で働いている猛烈な人びとに熱烈感謝して、二日間の用事を終えて、また信州の山奥へ帰る。0817_2 せっかく、数日間山を降りたので、帰り道途中ひとまず松本駅で一服することにする。駅を出て、以前来たときに、娘が見つけた駅すぐそばのイタリアンの店で、ランチを取る。

0817_3 サラダとスープがついて、メインはナンのような、パン生地の皮に色々詰めた料理、イタリアの何とか地方の名物料理だということで、ローカルな食事を謹んでいただく。0817_4 さすがに、お盆休みの松本には、観光客の数が凄い。駅から大糸線内も満員状態で、立つ場所もないほどで、疑似地元の者としては、喜ばしい限りだ。たくさんお金を落として行ってほしいのだが、よく見ると、大糸線に乗り込んで来る人びとは、登山客が多く、お0817_5 土産をたくさん買い込む人は少ない。自然を楽しみにくるのだから、お金の方はあまり期待できないかもしれない。

とくに、豊科、穂高などの安曇野市に至ると、行列を作って、大勢の登山・観光客が降りていった。この近辺には、蕎麦屋さんがたくさんあるから、そちらの方は期待できるに違いないのだが。今年は、富士山の世界遺産登録の影響で、これでも人出は少ない方だというのだが、観光地という場所もたいへんな経済を営んでいるのだ。

0817_6 大糸線も穂高・有明辺りを過ぎれば、肌に触れる空気が違ってくる。最近の車両には、冷房がついてしまって、この心地よさを感じることが少なくなってしまったが、風を切って進む電車の魅力は残してもよいのではないかと思われる。秋になると、急に肌寒くなってしまうので、窓を開けて、風を取り入れるのは、晩夏の今くらいがちょうど良い。

0817_7 電車が駅に止まって、景色を眺めていたら、小学校時代の記憶が蘇って来た。何がきっかけで思い出すのかは、そのときになってみないと分らない。写真に、枝がたっぷりと付いた高い樹が写っている。この高さのある円筒形で思い出したのだった。じつは、この家にはその昔、サイロが立っていた。牛を飼育していたのではないだろうか。円筒形といっても、サイロは白いし、この家の環境も現在とはまったく違っていただろうから、必ずしも円筒形という形に反応したのかはわからない。0817_8 けれども、確実にその風景を思い出してしまったのは事実なのだ。結局のところは、全体の雰囲気が時代を超えて、伝わって来たのだと思われる。そして、いつもこの位置で電車が止まり、数分間は同じ、風景をいつも眺めていたことが、わたしに作用したのだと思われる。

0817_9 久しぶりに、大町の街を歩く。散歩のついでに、コーヒー豆とワインを仕入れることにする。三年来、覗いてみることにしている。麻倉という、その昔麻の倉庫だったところが、このところ1年ずつ訪ねると、すこしずつ変わっているのだ。まだ、全貌は明らかでないが、ことしはかなり内装を変えたレストランが開店していた。もうすこし定着までは時間がかかるだろう。0817_10 信州では、土蔵形式の建物が頑丈で、まだまだかなり残っている。減価償却が終わった建物を再利用する物件としては、蔵は最適なのだと思われる。いかに再生されるのか、時間をかけてみてみたい。できれば、そのうち取材したいところの一つだ。

0817_11 並びに、昨年も訪れたカフェバッハ系の「U」という喫茶店がある。そこでハイチの浅炒り豆を購入する。観光地の出張所などを出して、昨年より手広く展開をはじめているようだ。カウンター奥の棚には、豆を煎り方順に並べる方式で、きれいに整列させていたので、写真を一枚撮らせていただいた。

0817_12 わたしは「回遊者」ということになるのだろうか。渡り鳥のように、夏だけここを訪れる。そして、定番の店にはかならず寄って、買い物をして足跡を残して、またすぐに立ち去るのだ。回遊者が一人ならば、あまり歓迎されないだろう。また、回遊者が一回限りの観光客ならば、これもあまり歓迎されないだろう。けれども、たとえ一年に一回であろうとも、この街には多くの同じような回遊者が存在するし、0817_13 また、毎年かならず寄るならば、年を追う毎に回数は増えていき、累積すれば、ロングテール的需要になるだろう。当分は、かなり継続して、この「回遊者」的消費者を続けたいと考えているのだ。

0817_14 もう一つこの街で必ず寄る店で、「Y」商店がある。店先に井戸水を流していて、覗くとトマトやキュウリと一緒に、ホウヅキが冷たそうな水に浮かんでいた。見た目にも涼しそうな店先なのだが、じつはここのワイン販売は意欲的なのだ。もちろん、品揃えが細かいし、特色をだしているのは毎年のことなのだが、何0817_15 かひとつ眼につく物がかならず用意されている、という点では、広告宣伝の効果を意識した販売を行っていて、商業本来のあり方を心得ていて、好ましい。今年は、ブラッククイーン種という珍しい葡萄から作ったAワインの自ブランド壜が用意されていた。「絶対に、失望させません」と言われてしまうと、やはり買わない訳にはいかないだろう。

2013/08/12

今夏の野菜尽くし

0813 今年の夏も、ごちそうはやっぱり野菜だ。毎年いただいているT家からの野菜は、今年も最高だった。生野菜で良かったのは、楕円形のミニトマトで、今年の一番だった。ビーズを並べたような、この艶やかな色と形は、何とも言えない。0813_2 見た目にきれいなことが、田舎に来て食べる野菜の効用だといえるし、その通りの味がするのだ。

もちろん、歯ごたえは良い。また、何よりも味が濃厚なのだ。なぜ楕円形なのか、と考えるに、真ん丸だったトマトをさらに枝に付けていたから、重力の法則で楕円形になったのではないか、などと想像力だけは逞しい。0813_3 もちろん、そんなことはなく、品種のおかげなのだとは思われるが、しかしここは、そう想像させるような魔力が潜んでいる。

0813_4 バスで田園を走っていると、時々青々とした田畑のなかに、蜘蛛の巣を幾重にも貼ったような虫食いを思わせる畑に遭遇する。葉や茎がすでに枯れても、実だけを畑に晒して、熟させているトマト畑だ。これだけ、太陽の光を浴びれば、甘くもなるだろうと思ってしまう。ハウス栽培とは違った、地物のトマトの味がするのだ。

0828 トマトの栽培は意外に難しいらしいのだが、このビーズのようなトマトもそうなのだが、このところ珍しい形、色をしたトマトがたくさんあり、眼につくようになった。0828_2 近くにある温泉の店先には、100円均一の無人の野菜売り場があって、近くの農家が名前入りの野菜を置いている。新鮮さが第一で、今朝も茗荷の新しいのが入っていて、早速購入した。これで、冷や奴を食べると格別なのだ。

0813_5 T家からは、漬け物もいただいた。いつもは雑談をしながら、これらをつつくのだが、今年は話す時間がなくて残念だった。それで、90歳になる伯父さんが持って来てくださったのだ。0813_6 うりの漬け物の香ばしさ、なすの漬け物のこの色にはほれぼれしてしまう。一日もすれば、器が空になってしまうほどだ。

0813_7 他にも、インゲンの茹でたものは、酒のつまみに良かったし、うりの粕漬けも美味しかった。0813_8 なすは、どのような料理でも良いが、味噌を付けての焼きなすは、皮がついても、皮を剥いてもどちらでも旨いのだ。もちろん、タマネギも瑞々しかった。それで、T家からい0813_9 ただいたジャガ芋とこのタマネギで、肉じゃがが定番として作られて、もう野菜づくしも最高潮に達したのだった。

0813_10 今年は、珍しく大茄子が手に入った。これは、最初はお供え用ではないかと思ったりした。それは、夏に出る小さな青リンゴがあって、果物屋の0813_11 店先に置いてはなくて、お供え用に売っているのだ。しかし、こちらの茄子は、立派な食用であり、天ぷらにしたところ、肉厚で歯ごたえある、しかも味が濃い茄子そのものだった。

さて、こうなってくると、落ちが難しくなるのだが、信州が男女ともに長寿県になった、という報道があった。0813_12 通常挙げられるのは、健康診断などの予防が集団で行われていたことが挙げられるのだけれども、これらの野菜を見ていると、もっと自然な理由で、長寿が成就されているのだ、と思われてくるのだった。

2013/08/11

松本へ出る

0811 金曜日に来ていた娘が仕事の関係で、東京へ戻るという。途中松本へ寄るのに便乗して、しばしの休日を楽しむ。コミュニティバスに乗って、O市街まで出て、それでもかなりの距離があるから、さらに松本へ出るとなると、半日から1日の余裕が必要である。

0811_2 毎年恒例となった松本クラフト店巡りも、つねに新たな発見がある。クラフトなので、職人経済というものが、近代社会でいかにして可能か、という問題点を見せており、わたしの関心にぴったりの具体例がいつも見つかるのだ。0811_3 たとえば、ちょっと歪んだガラスコップが売られていて、これが結構持ちやすく、使いやすいのだ。かといって、これらは職人経済のサイクルに乗っているので、それほど価格が安いわけではない。

さて今日は、松本城近くへ出るというので、松本駅の一つ前の、大糸線北松本駅で降りて、歩き始めるが、この暑さだ。0811_4 今朝までの山の中の生活では考えられないほどの、太陽光線の強さと気温の高さである。東京よりも標高差で、600メートルくらいあるのだから、日差しが強いのも当然であるが、標高差があるのだから、もう少し気温が低くてもよいのではないかと思われるが、そういうわけではないのだ。

喉が乾いたので、今年になって、インターネットで知った喫茶店ギャラリー「L」を目指す。クラフト経済では、低生産性を補うために、低費用でなければならない。0811_5 したがって、古いものは徹底して使うのだ。この店のように、減価償却の終わった建物を再利用するということが必要になってくる。この喫茶店は、その昔薬屋さんだったらしい。一階の玄関をはいったところに薬棚が飾ってあって、昔の様子がわかった。

0811_6 コーヒーは、エチオピア産のハチラを頼んだ。癖のある香りのある、酸味の強い豆で、わたし好みの味だった。ギャラリーでは、「竹の駕篭」展を行っていて、愛好家たちが集まっていた。中には、紫色になるまで使い込んだような買い物かごを腕に下げて、見て回る人もいた。こうなると、クラフト経済では、古さということが価値をもつ、ということも確かめられるところだ。

0811_7 喫茶店の中をみると、壁や窓が古い建物特有の高さがあって、全体にゆったりとした空間を作りだしていた。これだけ、居心地のよい空間を作ってしまうと、客が押し寄せて、作った本人たちにとっては余裕がなくなるだろう。手作り経済は、大量生産が苦手であり、クラフト経済の限界もこの忙しさにあるように思われる。

0811_8 この喫茶店辺りから、城の側面に至る街は、子どものころに母親に連れられたり、子ども同士の探偵団を組織したりして、何度も彷徨したところだ。いまでは見る影もないが、「六区」と呼ばれていた旧い商店街だ。それで、老舗の店がいくつか並んでいるのだが、大方は写真のようなデパートの廃墟のようなビルや、小さな商店がシャッターを下ろしたままになっており、昔の記憶とはかなり異なる街となっている。それでも、一軒、二軒と記憶に残る店も無いことはない。

0811_9 最初に入った店は、Yという飴屋さんで、「板まめ」が美味しいのだ。わたしの家は、山のほうへ行ったところだったのだが、もう一軒の老舗飴屋さんSと同様に、市内をこの飴屋さんたちの自転車販売が回っていて、手繰り飴などを買ったのを覚えている。

そこを出て、しばらく歩くと、陶器類が雑多に積み重ねられている店があって、この雑然とした状態が面白くて、入ってしまった.棚には、祝いの席で使うような徳利が並んでいた。0811_10 それ以外は、まったく整理されて居なくて、店の女性もあきらめ顔に雑多さを楽しんでいるようだった。この雑多さは、クラフト文化の利点でもあり、欠点でもあるのだ。漬け物入れを見つけ、購入した。家に帰ったら、どういう訳か、バター入れとなってしまっていたが。

0811_11 六区の中心街に差し掛かると、和紙屋さんがあり、娘がみていきたいと言う。たぶん、老舗だった店を新調した店だと思われる。街の人びとが少しずつ来ていて、小さな需要を繋いで、和紙愛好家を集積している努力が忍ばれる店だ。便せん、封筒を娘は購入していた。0811_12 わたしは京都で作られているという、型絵の大判和紙を購入した。はじめは、茶筒の回りをこれで飾ろうと考えていたのだが、反対され、大判のままで飾ることにする。

0811_13 街の中心に出て、四柱神社を横切って、有名なフランス料理屋の前へ出る。目的は、鰻屋さんでランチを食べよう、ということだ。わたしたちは子どもの頃、四柱神社のことを「しんと」と呼んでいたが、漢字は今もってしらない。0811_14 四柱を「しんと」読むのだと思い込んでいたが、「神徳」なのか、とも思っている。このような何気ないところに、共同体の不思議さが宿っている。

0811_15 この鰻屋さんは、昔は土間のある広い客席の鰻屋さんで、庶民的な店として親しまれていた。たとえば、鰻屋さんなのに、メニューに鰻重はない。うな丼が主たるものなのだ。それで、きも吸つきのうな丼を二つ注文する。民芸風のテーブルと椅子、壁のコーナーには、砥部焼の素敵な柄模様の大きな花瓶が配置されていて、たいへん落ち着いた店だ。帰りに、主人らしい人に訊くと、この新しい店になったのは、18年前だったとのことだ。

0811_16 ここから、縄手通りを横切って、中町通りへ入る。まずはいつものように「「C」へ直行した。ここ3年ほど、揃えているコーヒー碗を、今年も一客購入する。このように定番となった品を滞ることなく仕入

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れていて、いつ行ってもそれがあるということが、クラフト経済の鉄則であり、このようにつねに需要があるものだけが残ってくるということも、クラフトというものの本質に存在すると思われる。

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「C」で買い物を果たしてしまえば、あとは見て歩くことに徹することが出来る。向いの店「T」で、娘がキャンドル台を盛んにみていたが、今一歩だったらしく、珍しく購入しなかった。止まることがないのが、若さの特権だと言っていた割には、選んでいる。

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そのあと、ジブザグにい

つものコースで、中町歩きを楽しむ。最後は、「I」漆器店で眼の保養をさせていただいて、中町を出る。

0811_20 駅への道すがら、ギャラリー「K」へ寄る。磁器の完璧さのなかに柔和さを追究していて、究極こうなるかもしれない、と思わされるような奈良のO氏作品展を開催していた。あとで妹も見学に訪れたらしい。「プラスチックのような生地の磁器」と表現していた。0811_21 あの人工の大理石のような器はどのように使われるのだろうか。手に残る感触を楽しみながら、「これからワインを買い込むのだ」と意気込んでいる娘と別れ、帰りの大糸線の電車に駆け込んだ。

2013/08/10

今年も夏野菜ピザを頼もうと思ったら

0810 夏野菜ピザを石窯パンの店へ頼んだ。昨年頼んだときに、生のトマトがたくさん乗っていて、たいへん美味しかったのだ。それで、夏野菜ピザと言えば、わかるのではないかと踏んでいたのだが、どうやら、「P」店ではこの1年間に多様性の幅がかなり広まっていて、季節の野菜を使ったピザがたくさんできたらしい。

0810_2 それで、「ズッキーニとエビの乗ったチーズたっぷりのピザ」がお勧めらしかったので、これを頼むことにする。娘と一緒に、川沿いの道を下っていくことにする。電話で11時半に予約をしていたのだが、この暑さと、仕事の切れの悪さだ。0810_3 さらに、ゆっくり歩くので時間がかってしまい、また道々で写真を撮りながら行ったので、着いたのはかなり遅くなってしまった。すでに、ピザ用の段ボールに入れられて、予約棚に置かれていた。ほかほかの状態で、わたしたちを待っていた。

0810_4 それでピザをみているうちに、ここに食べる施設が併設されていて、野趣たっぷりの雰囲気だったので、娘と相談して、一枚だけここで食べて行こうと言うことになったのだった。近所で作られたらしい、濃縮された瓶詰めのりんごジュースを飲みながら、さっそくズッキーニのピザにかぶりつく。0810_5 野菜の歯ごたえが素晴らしい。ピザ生地の、薄いがモッチリ感のあることと対照的な食感だ。たっぷり20分あまり歩いて来ていたので、十分にお腹が空いていた。娘と一緒に、ぱくぱくとただちに平らげてしまったのだ。

0810_6 ベンチに座っていて気のついたことは、客の多くが、わたしたちと同じような、都会に住んでいて、この夏にこの地を訪れた人びとが意外に多いということだ。もちろん、地元の人びとも現れるのだが。0810_7 この石窯の作りだすピザの味は、この土地にあってはじめて生み出される味だと思われるのだが、しかし、その価値は都会の価値と比べることが出来て、はじめてわかるのかもしれない。もう一枚のピザを待っている、家に残っている人のために、家路を急いだ。途中、白雪姫の童話に出て来るような、大きなキノコを発見したのだが、マリゲリータが冷めないうちに帰らねばと思ったのだ。

2013/08/09

長野県の山奥からの通勤は可能か

0809_10 教材作成の研修のため、毎年O町市に滞在しているのだが、今年は田舎に落ち着いた途端に、緊急の呼び出しがあって、取るものもとりあえず、ともかく朝7時に家を出て、東京都心へ向かう。何が緊急なのかということがあるが、やはり勤めるということには、社会的義務感が付いて回るという、近代社会の基本原理に従っているのだ。

0809_2 それで、もしここから毎日都心へ通勤するとしたら可能なのか、ということもじつは試してみたかったのだ。身分は違うけれども、その昔團伊玖磨が、伊豆大島から久里浜・横須賀線を使って、都心へ出るという話を、随筆集「パイプのけむり」でよく書いていて、現在では新幹線通勤が日常的であって、0809_11 むしろ長距離通勤は労働過剰の問題になっているのだが、見方を変えれば、その昔は長距離通勤の出来るのは高等遊民の印であり、むしろ余暇の一概念として存在していた時代もあったのである。田舎に住んで、都心へ通勤という移動人間タイプの話に憧れたことがあったのを思いだした。

0809_3 それで、松本くらいならば、特急が早朝からあり、十分に午前中の会議に間に合うだろう、ということはあって、この辺の想像力はついて行ったのだが、果たしてその奥の大町でも可能なのだろうか。さらにその奥の大糸線に乗って、そしてバスも利用するとなると、朝の始発に乗って、どのくらいかかるかということになるだろう。

0809_5 もちろん、通勤なのだから、タクシーを使う訳には行かない。それから、車を運転できないというハンディキャップを抱えている。それで最速でどのくらいで都心まで到達できるか、と試してみたかったのだ。結論からすれば、朝8時の始発バスに乗って、特急に乗り、都心に着いたのが、12時半であった。時差通勤の許されるところならば、可能かもしれないけれども、9時出勤はちょっと厳しいという結果なのだ。

0809_6 さらに、今日の帰りは、会議が終わったのが、18時だったので、19時の特急に乗って帰ると、最後のO町駅に着くと、最後はタクシーを飛ばすことになった。一応、都心で6時間程度の会議をこなして、当日の内に、研修場所に帰ってくることは出来たが、かなりの時間と費用と、疲れを伴うことがわかった。團伊玖磨の場合にも、パイプの煙で紛らわすことがなければ、遠方からの通勤は難しいのだろう。でも、難しいのだからこそ、これを行いたいという人がより多くなることも、すごく理解できることだった。

0809_8 考えてみたら、都市と田舎の天秤生活という問題は、わたし自身の永遠の問題なのだ。小学校までは、田舎生活を楽しみ、基本的な生活はこちらで身につけたのだが、小学校高年から東京の都会生活に入ることになった。けれども、どちらかにどっぷりと浸かることなく、ほどよい天秤の振れ具合で、都会と田舎を行ったり来たりして来た人生だったと思う。0809_9 今日の最後に乗ったタクシーの運転手の方も田舎に戻りたいということで、実は鉄道会社に入る算段をしているのだ、と計画を語ってくれた。ちょっと夢物語的ではあったけれど、その想いはわかるような気がしたのだった。

2013/08/07

講義の二日目

0807 昨日、帰りに感想のレポートを求めたところ、受講生の方々は、みなさん真面目で、1ページたっぷりと書いて来た。それで、これを題材としながら、進めることが出来たのだった。

0808 じつは、今回ショルダーバッグに講義に必要な資料などを入れて来たのだが、途中電車に乗った拍子に、肩から掛けるひもがバッグ本体からちぎれて、使い物にならなくなってしまったのだ。それでバッグを抱きかかえるようにして、持って歩いていたのだ。0808_2 それで、バッグ屋さんはないか、とセンターの方に尋ねると、ちょうど長野学習センターの宣伝用の木綿のバッグがあるということで、いただくことができた。この夏は、このバッグを持って、放送大学の宣伝をして回ろうと思うのだ。

0807_2 昼食は、裏にある「I」のランチを食べる。神奈川から参加して来ているKさんと一緒だ。ランチは鶏肉のハンバーグだ。いつもは、二日目が日曜日なので、この店には入ることが出来ないのだが、今回はウィークデイなので、開いているのだ。0807_3 授業中は、ずっと立っているので、休憩のときはすわりたいと思うはずなのだが、そしていつもであれば疲れが出るのだが、不思議と今回の授業では疲れは出ない。

授業も終わりに近づき、今回のシリーズ全体の総括も話すことが出来た。0807_4 日本経済の長期傾向が多様化して来ており、なぜ多様化しているのかがタイプ分けすることによって多少わかるのではないか、という控えめな結論だ。それで、恒例となっている受講生がどのタイプにシンパシーを感じているのかを聞いた。今回は「社会民主主義」タイプと「共同体主義」タイプが多くの支持を集めた結果となった。信州の特徴を表していると思う。そして、いつものように、質問も切れずに続いて、最後の時間までたっぷりと話ができたのだった。最後は、拍手とともに講義も終了し、今回のシリーズも幕を閉じたのだった。

0806 夕方なのに、まだ地面から熱は抜けない。Kさんと一緒に、近くの蕎麦屋へ行くが、休みだった。上諏訪の街はどうやら水曜日に休みの店が多い。それで、2本ほど通りを行ったところにある、街の蕎麦屋という感じのところに入る。いかにも、地元の人びとが入りやすそうな店だ。結局、夏なのですっきりとした、とろろ蕎麦を頼んで、Kさんのこのところの旅の様子を聞くことにする。0807_5 Kさんは既に80歳を超えているが、K大の博士号を持っていて、現在でも紀要に現役で投稿している。そのための取材旅行を欠かさないところが凄いと思う。結局は、さいごは論文談義になるのだが、いまでも書く題材に困らないのだそうだ。そのうち、わたしたちの雑誌にも、招待論文という形でも良いから、何か書いてもらいたいと思っている。

0807_6 蕎麦のあと、昨日探しておいた、自家焙煎の珈琲屋さん「J」へ入る。昨日もそうだったが、ビル・エバンスの「ダビーのワルツ」がかかっていて、常連客はいるのだが、すこし暗い照明を取っていて、静かな空間を保っていて良い。0806_2 壁に飾っているバレエのポスターも素敵だった。

Kさんと別れて、途中の諏訪湖正面に差し掛かると、15日の大花火大会の準備を行っていた。目立ったのは、緑色したトイレの列だ。0806_3 これだけ並ぶと、壮観だ。何のために、花火を観るのかということだ。それにしても、その昔も花火大会はあったのだけれども、そのときにはトイレはどうしていたのだろうか。そして、0808_3 今になって、改めてトイレがこれだけ必要になったのはなぜなのか、ということが、改めて不思議に思われてくるのだった。

0807_7 小規模な花火大会が、今日も開催されている。宿に入って、露天風呂を楽しみながら、眺める。夏のひとつの行事が終わった。0807_8

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2013/08/06

長野学習センターでの面接授業

0807 朝起きると、部屋の前に雨が当たっていて、予想外の雨だ。明日からは晴れそうだ、と予報が出ているが、雨の中講義が始まる。今回のテーマ「二つの社会転換」は昨年から始まったシリーズで、「少子高齢化と産業構造の変化」という二つの社会変化を扱っている。話したいことはおおよそ煮詰まってしまったので、そろそろ最終回にしたいと考えていた。それで、このテーマは、今回の長野学習センターの授業で最後として、来年度からはまた新たなシリーズを考えている。

0805 最後に相応しい、学生の方々との議論を十分に盛り込んだ面接授業を考えている。とはいえ、こちらがそのように考えていても、学生の側にもそれぞれ異なった思いで参加なさっているので、講義の中で応答を行いながら授業を進めていくことにした。

テーマがテーマだけに、人口の影響と経済の動向については、新聞さえ読んでいれば、誰もがなにかを言える題材なのだ。それで最初に、全員の参加者に身近な高齢化社会現象を問うた。反応は大変良いので、十年先の自分を占う意味でも興味深い講義になるものと考えている。それで、議論になることはまったく心配をしていなかったが、用意したものの最後まで到達できないのではないかという危惧があり、その通りの結果になってしまったので、それが残念なところだった。

0806 けれども、煮詰まったとはいえ、将来の不確実な状況には変わりないので、想像力と議論による授業の効果が期待される部分がたくさんあり、期待通り面白い授業となった。

0806_2 何が面白かったかといえば、テーマそのものよりも、学生の持っている経験との関係で、高齢化問題をどのように考えるか、ということにあった。たとえば、人口問題は比較的大数法則的な変化であり、ある程度予想できることであるにもかかわらず、その対応には、必ずしも大数法則的な趨勢を仮定できないというジレンマが存在する。

0806_3 学生の方がたの中にも、このところ数年間続いた新自由主義的な決定論に疑問を持っている方もいて、それ以外の可能性もあり得るのではないかという問題を議論としてぶつけてくる方もいらっしゃって、たいへん面白い議論が出来たのではないかと考えている。このように、身近な経験については多様な方向があり得るのだけれども、今回は他の学生との比較が出来るというメリットがあり、この点で面接授業の特色をうまく発揮できたのではないかと思っている。

0806_4 帰りには、毎年行くことにしている祖母の墓へ参る。大きな街道筋からひとつ入った道が連なっており、この坂道を小さな流れに沿って、登っていく。ほどなく,山門に連なる通路が見えて来た。いつものように、手水場で温泉水で手を浄めて、墓参りを済ませた。曽良の墓にも、お参りをして、風の生活の極意を問うた。

辞世の句

春にわれ 乞食やめても

        筑紫か奈

0806_5 宿舎の湖畔への帰り道、市街の中心の川沿いにある鰻屋さんへ寄る。去年は、値上がり直後だったので、客が遠のいていたが、今年は満席で女性客が多い。最近の傾向だと思われるが、女性の一人客がちょくちょく見られる。旅先でちょっとゆったりと楽しみたいというところだろうか。0806_7 酒は「M」の冷酒で、鰻は慎み深く「松」を頼む。いつものように、昔を想像し、伯父の家のことなどを想いながら、宿へ着く。

2013/08/04

採点は楽しい

0802_2 今日は大学の単位認定試験期間が終わって、学習センターも閉じている。例年であれば、神奈川学習センターの一部屋か、二部屋を借り切って、1日中採点に没頭するのであるが、今年は周期の巡り合わせが悪く、残念ながらこの1日だけ、休館である。

0802_3 それで、いつもお願いしているF先生に頼んで、K大学で採点を行うことにする。K大学はすでに試験期間が終わっており、わたしも先日K大学分の採点が済んで、すでに夏休みに入っており、さらに今日は日曜日ということもあって、構内は閑散としている。運動サークルの部員か、あるいは夏休みの模試を受けに来ている予備校の高校生が時折行き交うだけだ。

ちょうど夏休みに読むための専門書をK大図書館から借りる予定になっていたので、午前中は早めに着いて、これも学生がまばらな図書館の書庫を物色してまわった。結局、制限一杯の50冊のうち、すでに35冊位をすでに借りていたので、今回は15冊ほど選んだ。楽しい読み物も、すこしは入れたが、やはり中心は来年度の教科書を書くために選んだもので、新刊書の多い選定となってしまった。大きめのリュックがずっしりと感じ、帆布がピンと張った。

0804 気温が上がって来ているが、木陰が涼しかったので、先日の京都からの福井旅行以来、機会ある毎に購入している「カツサンド」を頬張る。関西系のパン屋さんでは、これが関東県でも定番になりつつある。それで、肉もほんとうに柔らかく、中核のところだけを使っていて、すこし贅沢な感じが客に受けているのだと思われる。

0804_3 さて、最初は、学生が少なくて空いているので、附属図書館で採点をしようと考えていたのだが、F先生が新館の講師室を都合してくださったので、すぐにそちらへ移動して、さっそく採点に集中する。とはいえ、毎年のごとく、雑談を始めると、そちらのほうに没頭し余念がなくなるのだが。それで、結局のところ、2科目分の採点を行うのに、いつものように、たっぷりと5時間ぐらいかかってしまった。今回は、昨年度にいくつかの科目が終了しているので、2科目分とは言え、例年より大分少ない。

0804_4 K大の良いところは、非常勤講師のわたしでも使える無線LANが全大学内に張り巡らされていて、たいへん便利なのだ。採点結果をただちに送ることができる。F先生には毎回たいへんお世話になっていて、ほんとうに助かるのだが、さらに楽しみなのは採点完了の喜びと同時にやってくる、慣例となった乾杯なのだ。坂を下って、途中の宅配便で答案全部を放送大学本部へ送付し、その足で京浜東北線に乗り、関内へ出る。

0804_5 宵闇が迫る中、まだ昼の熱気が残っていたが、いつものビール・パブへ入る頃には、ようやく治まってくる。日曜日のせいか、席が空いていて、昨年立ち飲みしたことを思い出しながら、エールの「アングリー・ボーイ」のパイントを飲み干した。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。