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2013/07/30

試験監督という面白い?出来事

放送大学の試験監督の当番が回って来た。この大学では、全国規模で試験を行っているので、自分の科目だけ試験監督を行えばよい、というわけにはいかない。試験監督も分担し合って、補っている。

それで、試験監督という仕事が、単調に陥りがちであり、「次から次へ」式の仕事に終わってしまう傾向がある。なぜ監督という仕事が面白くないのか、ということは、人間関係をみる上では、何回も考えておくべきことだと思われる。じじつ、試験監督を行っていると、つねに人間関係の新しい発見があって、わたし自身にとっては、ときには楽しくなる場面もあるのだ。だから、監督という仕事も、考え方次第だというところがちょっとはあるのかもしれない。

今回、半年ぶりに定期試験の監督を行っていて、なぜ監督の人間関係が画一的になるのか、その理由のひとつがわかるような気がした。率直にいうならば、監督される側があまりに多様であるからだ、という極めて逆説的な事情が働いていると思われる。多様であるから、監督される人との人間関係の対応を多様化させるとその対応が出来なくなるから、きっと画一的になっていくのではないかと思われる。だから、多様化させようとすれば、限りなく多様化できることも、監督というものの可能性には潜んでいるのだ。

というように、すぱっと言ってしまうと怪訝に思う方々もいるとは思われるが、つぎのような事例をご覧になれば、大げさな想像力ではなく、多様化のプレッシャーはかなりのものであることがわかる。この結果、監督することになった人びとは安全策をとって、なるべく多様に対して、画一的な対応を図って、大量の多様性のプレッシャーに対して、少ない摩擦で、対応したいと考えることになるのだと思われる。それで結局は、監督というものは、画一的になってしまうのだ。

実際に、どのような学生の方々がいらっしゃるのか、全部を明らかにすると、面白すぎて困ってしまうので、最小限差し障りのないところだけを紹介したい。たとえば、受験の心構えのレベルだと思われるが、机の上の多様性には、目を見張るものがある。筆記用具は試験の必須道具なので、机の上に出すことが許されている。そこで、この狭いけれども自由な空間目指して、様々な工夫が見られることになる。

通常は、受験票と鉛筆が二本と消しゴムと時計が並んでいるのだが、これにもさまざまな鉛筆がみられるし、消しゴムほど個性が出るものはないといえる。だから、鉛筆や消しゴムのバリエーションを多様性と呼ぶならば、それはあまり注目に値しない。今日、じっくりと観させていただいたのは、ペンケースである。ペンケースを出すことが認められるか否か、ということは、別問題であるが、すくなくともいろいろなペンケースが机の上に並んでいる。

まず、彩りが多様である。とくに、それは女性のペンケースに観られることだった。今日見つけた中で一番のペンケースは、縦型のもので、こちらから見ると、すでに筆立ての部類に入ってくるものだと思われる。縦に立っているのである。けれども、素材は布であり、ペンケースだといわれれば、たしかにペンケースなのである。鉛筆に消しゴムばかりでなく、すでに定規も立てられていて、こうなるといつもの自宅の卓上とそう変わらなくなっているのだと思われる。教室の自宅化は、通信大学学生の取り柄だったことを思い出した。自宅がキャンパスであり、キャンパスは自宅なのである。自宅の延長線上に教室があるという感覚を、この縦型のペンケースはみごとに表してしまっている。

つぎに、観察できた学生は、一番前に座っていたので、すぐにわかったのであるが、もしかしたら、通常の授業でもそうではないかと、疑うことのできる仕草だった。リラックスした姿で、試験に臨んでいる。机から上の表情は変わりないのだが、足元に眼を移すと、裸足が見えるのだ。外は35度を超える環境であり、教室に入ってくると、28度の気温で、下にはタイルが敷き詰めてあるので、裸足はたいへん心地よい状態なのにちがいない。自宅の教室化が、持ち込まれて、教室の自宅化が実現されている例としては、この上ない事例ではないかと思われる。こんなことを、考えていたら、それじゃ「教室の自宅化」はいったいどこまで進む可能性があるだろうか。たとえば、服装の自由化や荷物の置き方などは、早晩自宅化が進むのではないかと予想させるのだ。これは、放送大学の潜在的な現象として、本当のところ、注目に値するのではないかと、思い始めたのだった。もちろん、本気ではありませんが。

結局何がわかったのか、といえば、試験監督は試験以外のことでは、監督できない、という極めて当たりまえの結論に到達できた。監督というのは、役割上監督やっているのであって、許されているのは、ここだけであり、もしペンケースや裸足にまで、監督者が口を出したならば、それはもう大変なことになってしまうだろう。それで、「もしも」、それは、ほんとうに「もしも」ということで、「教室の自宅化」というものを防ごうとして、ひとりの監督者が発奮したら、と想像力を豊かにしてしまったのだ。頭の中だけならば、許されるであろう。どこに監督の限界があるのか、ということを想像することは、試験監督中の楽しみとなったのだ。けれども、結局のところ、監督の多様化には限界があって、皆が認める範囲内でしか、監督は成立しないのだ。

まだまだ、こんな楽しみがあるのだから、当分監督業は廃止にならないだろう。もし監督業がすこしでも廃止になる兆候がみられるならば、それは放送大学が建学以来の懸案となっている、成績評価を試験ではなく、レポートに代えることができるようになったときかもしれない。レポートのやり方を想像してみるだけでも、試験時間は暇な時間とはならないであろう。これこそ通信制大学にとっての、真の意味での「教室の自宅化」ということかもしれない。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。