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2013年7月に作成された投稿

2013/07/30

試験監督という面白い?出来事

放送大学の試験監督の当番が回って来た。この大学では、全国規模で試験を行っているので、自分の科目だけ試験監督を行えばよい、というわけにはいかない。試験監督も分担し合って、補っている。

それで、試験監督という仕事が、単調に陥りがちであり、「次から次へ」式の仕事に終わってしまう傾向がある。なぜ監督という仕事が面白くないのか、ということは、人間関係をみる上では、何回も考えておくべきことだと思われる。じじつ、試験監督を行っていると、つねに人間関係の新しい発見があって、わたし自身にとっては、ときには楽しくなる場面もあるのだ。だから、監督という仕事も、考え方次第だというところがちょっとはあるのかもしれない。

今回、半年ぶりに定期試験の監督を行っていて、なぜ監督の人間関係が画一的になるのか、その理由のひとつがわかるような気がした。率直にいうならば、監督される側があまりに多様であるからだ、という極めて逆説的な事情が働いていると思われる。多様であるから、監督される人との人間関係の対応を多様化させるとその対応が出来なくなるから、きっと画一的になっていくのではないかと思われる。だから、多様化させようとすれば、限りなく多様化できることも、監督というものの可能性には潜んでいるのだ。

というように、すぱっと言ってしまうと怪訝に思う方々もいるとは思われるが、つぎのような事例をご覧になれば、大げさな想像力ではなく、多様化のプレッシャーはかなりのものであることがわかる。この結果、監督することになった人びとは安全策をとって、なるべく多様に対して、画一的な対応を図って、大量の多様性のプレッシャーに対して、少ない摩擦で、対応したいと考えることになるのだと思われる。それで結局は、監督というものは、画一的になってしまうのだ。

実際に、どのような学生の方々がいらっしゃるのか、全部を明らかにすると、面白すぎて困ってしまうので、最小限差し障りのないところだけを紹介したい。たとえば、受験の心構えのレベルだと思われるが、机の上の多様性には、目を見張るものがある。筆記用具は試験の必須道具なので、机の上に出すことが許されている。そこで、この狭いけれども自由な空間目指して、様々な工夫が見られることになる。

通常は、受験票と鉛筆が二本と消しゴムと時計が並んでいるのだが、これにもさまざまな鉛筆がみられるし、消しゴムほど個性が出るものはないといえる。だから、鉛筆や消しゴムのバリエーションを多様性と呼ぶならば、それはあまり注目に値しない。今日、じっくりと観させていただいたのは、ペンケースである。ペンケースを出すことが認められるか否か、ということは、別問題であるが、すくなくともいろいろなペンケースが机の上に並んでいる。

まず、彩りが多様である。とくに、それは女性のペンケースに観られることだった。今日見つけた中で一番のペンケースは、縦型のもので、こちらから見ると、すでに筆立ての部類に入ってくるものだと思われる。縦に立っているのである。けれども、素材は布であり、ペンケースだといわれれば、たしかにペンケースなのである。鉛筆に消しゴムばかりでなく、すでに定規も立てられていて、こうなるといつもの自宅の卓上とそう変わらなくなっているのだと思われる。教室の自宅化は、通信大学学生の取り柄だったことを思い出した。自宅がキャンパスであり、キャンパスは自宅なのである。自宅の延長線上に教室があるという感覚を、この縦型のペンケースはみごとに表してしまっている。

つぎに、観察できた学生は、一番前に座っていたので、すぐにわかったのであるが、もしかしたら、通常の授業でもそうではないかと、疑うことのできる仕草だった。リラックスした姿で、試験に臨んでいる。机から上の表情は変わりないのだが、足元に眼を移すと、裸足が見えるのだ。外は35度を超える環境であり、教室に入ってくると、28度の気温で、下にはタイルが敷き詰めてあるので、裸足はたいへん心地よい状態なのにちがいない。自宅の教室化が、持ち込まれて、教室の自宅化が実現されている例としては、この上ない事例ではないかと思われる。こんなことを、考えていたら、それじゃ「教室の自宅化」はいったいどこまで進む可能性があるだろうか。たとえば、服装の自由化や荷物の置き方などは、早晩自宅化が進むのではないかと予想させるのだ。これは、放送大学の潜在的な現象として、本当のところ、注目に値するのではないかと、思い始めたのだった。もちろん、本気ではありませんが。

結局何がわかったのか、といえば、試験監督は試験以外のことでは、監督できない、という極めて当たりまえの結論に到達できた。監督というのは、役割上監督やっているのであって、許されているのは、ここだけであり、もしペンケースや裸足にまで、監督者が口を出したならば、それはもう大変なことになってしまうだろう。それで、「もしも」、それは、ほんとうに「もしも」ということで、「教室の自宅化」というものを防ごうとして、ひとりの監督者が発奮したら、と想像力を豊かにしてしまったのだ。頭の中だけならば、許されるであろう。どこに監督の限界があるのか、ということを想像することは、試験監督中の楽しみとなったのだ。けれども、結局のところ、監督の多様化には限界があって、皆が認める範囲内でしか、監督は成立しないのだ。

まだまだ、こんな楽しみがあるのだから、当分監督業は廃止にならないだろう。もし監督業がすこしでも廃止になる兆候がみられるならば、それは放送大学が建学以来の懸案となっている、成績評価を試験ではなく、レポートに代えることができるようになったときかもしれない。レポートのやり方を想像してみるだけでも、試験時間は暇な時間とはならないであろう。これこそ通信制大学にとっての、真の意味での「教室の自宅化」ということかもしれない。

2013/07/26

渋谷でのトークイベント

なぜもっとたくさん話し合っておかなかったのだろう。ということが、人生にはままあって、その数が多いだけ、その人の人生の密度は濃くなる可能性があるのだと思われる。そして、それを問題にした分、そのまま通り過ぎるよりは、より深いところに辿り着くような気がする。

今日は、興奮して眠れない。O先生の著書『日常生活の探究』を巡ってのトークイベントが、渋谷の東急百貨店内にあるジュンク堂で開かれた。O先生を囲んで、H先生の司会で、わたしが脇を務めた。関係者を含めて30名ほどの方々が駆けつけてくださった。O先生やH先生のゼミ生もいたが、放送大学の学生の方も少ないながらもいらっしゃった。また、放送大学叢書の責任者M先生もあいさつをしてくださって、さらに担当の放送大学I教務課長も手伝ってくださった。叢書を出版しているS社の方々も、総出でお世話いただいた。感謝申し上げる次第である。

O先生の著書であるから、他人のことだと言うわけにいかない状況になった。最初に、O先生がご著書の内容を詳細に語ってくださったので、どのような内容の本なのかを聴衆の方々は、かなり理解していて、そのあとどのような切り口でもトークイベントは始まりそうな雰囲気が満ち満ちて来ていた。

H先生がブログについて、話題を振ってくることは予想できたので、その話題に入ってしまうと制限時間がすぐ経ってしまう。それで、多少ゲリラ的ではあったかもしれないが、その本題の前に、ちょっとわたしの関心から始めさせていただいた。

それは突き詰めれば、「感性」の問題をどのように描くことができるか、ということではなかったかと思う。この本『日常生活の探究』には、もちろん感性以外のことも書かれているのだが、やはり中心は、感性とどう向き合うのかではないかと、思ったのだ。

たとえば、O先生は日常生活では、「プレゼンテーション(自己呈示)」が必要で、3つの自己呈示(まともな人間、有能な人間、愛される人間)が可能であると著書で書いている。3つの自己呈示が複合されて、社会的人間としての承認が得られるのだ、とおっしゃっている。すぱっと、ここに到達しているわけではないにしても、これは社会科学にとって、「愛される」などの感性を中心に据えるのはすごいことだと思ったのだ。

わたしとしては、経済学と社会学の違いが、ここに現れているのではないかと思った。経済学の場合には、近代社会の影響が激しいので、ダイレクトに「愛」などの感性を取り上げるのは憚ることになっていて、効用や満足などの媒介を経て、間接的に扱うことになっている。感情を扱うようになった行動経済学や経済心理学の立場からも、心理的バイアスとして扱うことはあっても、それは「バイアス」という言葉を使うことからわかるように、偏向したものとして取り扱い、合理的な関係をまだ重視している。

これに対して、社会学では、すぱっと直接斜めから論じてしまっていて、これは何なんだよ、とわたしからすれば、そういうことなのだ。ところが、これは社会学では当たり前の方法で、多少ズラして使われるにしても、それほど不思議な方法ではないことなのだ、というお二人の受け応えなのだった。

もう一歩攻めてみた。じつは、今回のO先生の本と、H先生の書いた山田太一論である『敗者の想像力』の両方に共通に取り上げられているテレビドラマがある。1970年代後半に書かれたNHKドラマ「男たちの旅路」のなかの「シルバーシート」である。

老人ホームに住んでいて、誰にも相手にされなくなった「老人たち」が、路面電車を乗っ取る。そこで鶴田浩二演じるガードマン「吉岡司令補」と、水谷豊、桃井かおり演じる部下のガードマンたちとのやり取りがドラマの後半に起きることになる。なぜ老人たちは路面電車を乗っ取るという、あまり意味のない、とんでもないことをしでかすことになったのか、が問われることになる。

この老人たちのキャストがすごいのだ。笠智衆(門前)、加藤嘉(辻本)、殿山泰司(曽根)、藤原釜足(須田)、それにドラマの中では、この事件のすこし前に亡くなってしまう本木を演じる志村喬という面々である。この事件は、まさにこれからの日本を象徴することであるし、このようなドラマが、すでに1970年代に名優たちによって演じられていたということ自体が驚きである。この電車ジャック事件とは、いったい何なのか。

O先生の説明は、次の老人たちの言葉を選んでいることから、明瞭である。

門前「自分を必要としてくれる人がいません」

辻本「ただ世間の重荷になっちまう」

門前「私は、人に愛情を感じる。しかし、私が愛されることはない」

辻本「仕事をしたくても場がないし、力もない。大体、仕事に喜びを感じなくなってくる。名誉なんてものの空しさもわかってくる」

門前「もうろくがはじまったかな、と思う」

辻本「しかし、自分のもうろくは自分ではわかならい」

門前「使い捨てられた人間です」

つまり、高齢者は、社会の中で、O先生が主張する、「まともな人間、有能な人間、愛される人間」という積極的な自己呈示が難しいのだとされる。このために、彼らには理由なき不安定が起こり、いわば「存在論的不安」が生ずるのだと説明されている。

これに対して、H先生のこのドラマの解釈には、すこしズレが入っている。H先生が切り取っているセリフは次のところだ。吉岡「こんなことをした以上、通じても通じなくても、みなさんの思いを表に出て言いなさい。(中略)でなければ、すねた子ども子どもが押し入れにとじこもったのと変わらんじゃありませんか」門前「すねて押し入れにとじこもった子どもです」と認めてしまう。それで、このドラマで何が言いたかったのか、とH先生は問うている。

もし彼らが堂々とこれこれが要求だ、と言えるのであれば、公的市民としての権利と資格を獲得してしたことになってしまうのだが、そうではなく、権利と資格の失われた者をそのままで認めることが可能か、と脚本家は問いかけているのだと主張している。それは日常生活の示す不条理だとまで言っている。老人が吉岡に言う「お前も年をとる」というセリフに現れているように、ただその事実のみが残るだけだ。いわば、負けることをあるがままに認めることで、何らかの救いとでもいうようなものが生まれる可能性のあることを、脚本家山田太一は発見したのだ、とH先生は解釈している。

でも、ここで「あるがままに認める」の「認める」は、誰が何を認めることなのか、という問題があると、わたしには思える。負ける人自体が認めるのであれば、それは自己満足あるいは、もっと良く解釈するならば、「悟り」とでも言えるような境地に到達できたということだろう。このような、「あるがままに認める」方式が、感性への普遍的な対処と考えているのではないかと、疑問を持ったのである。

「あるがままに認める」のは誰か、ということには、もうひとつの可能性がある。それは、負ける人ではなく、社会それ自体である。社会が、その人びとが負けてはいるけれども、かれらの存在自体を否定されたわけではないことを「あるがままに認める」ことができる可能性がある。社会が人の負けた状態を、あるがままに承認することができる。すこし乱暴な解釈かもしれないが、事件を起こした老人たちを警察が逮捕することも、いわば社会的承認のひとつともいえなくはないのだ。もっとも、そこまで行かなくても、吉岡たちの説得に老人たちが応じていれば、ここでは立派な社会的承認が行われたことになるだろう。あるいは、小説家や脚本家がこの話題を取り上げること自体、消極的ではあっても、ひとつの「承認」といえる。どこまで、降りるのか、が問題なのだ。

それで、この電車ジャック事件について、どのような感性としての位置づけを与えるのか、がここでの社会学的問題だと思われたのだ。O先生はこの「存在論的不安」に日常の感情という位置づけを与え、H先生は「あるがままを認める」可能性を指摘し、日常の不条理という位置づけを与えている。ここで共通に指摘されていることは、社会の「ひとつ下のレベルへ降りてみる」式な方法である。不安や不条理という感性は、日常の中では、ふつう潜在化していて、観ることができない。けれども、ひとつ降りてみることで、認識の可能性が出てくるのだ。

もちろん、降りてみたところで、状況が急に変わるわけではない。また、解決方法がすぐに見つかるわけでもない。それでも、ひとつの社会科学的認識を開いていると、わたしは思う。O先生とH先生にとっては、すでに会話済みのことで、改めてイベントの場で話したいとは思わなかったのかもしれない。それでトークイベント会場では、わたしの立場上、挑戦的な言葉を選んで述べさせてもらったが、それは決して批難しているのではなく、大いに賞賛していることを逆説的に言いたかったからだということは、十分にわかってもらえただろうと思うのだ。

トークイベントの話題では、他に「ブログとツイッター」「孤独」、そしてO先生ゼミ生によるフラッシュ・モブ的な「電車内しりとり」「電車内輪唱」などが面白かった。また、O先生のブログでたびたび話題になっている「定食屋」についての議論も盛り上がった。

トークイベントの様子については、O先生のブログでも言及されている。

http://blog.goo.ne.jp/ohkubo-takaji/e/7d793e96dff2724656d8de2cbee47b0c

2013/07/24

高村光太郎展をじっくり

0724 「高村光太郎」展が開かれている、千葉市美術館へ行く。なぜ今、高村光太郎なのか、という点は、おそらく生誕130年後における、近代日本の美術史上の位置づけを巡っていくつかあるだろうと想像させられる。古典的な趣が近代日本のなかでどのようにかんがえられていたのかは、とくに興味あるところであるが、これらは評論家にまかせておきたい。

実際に観てみると、なぜというのは、直ちに理解できる。ひとつは、ロダンや荻原碌山との関係で、ブロンズの人物彫像のひとつの時代を切り開いたということだ。もうひとつには、やはり木彫の見直しが必要だということだと思う。

0724_3 たとえば、1935年制作の高村光雲一周忌のブロンズ像は、前に立つと、その迫力に圧倒されて、夢の中まで出てきそうな勢いがある。これは信州の碌山美術館所蔵だから、何回か観ているはずだ。今回展示されていたもののなかで、成瀬仁蔵像にも、思いあまって、像から飛び出して、こちらの現実の社会へ飛び込んで来そうな感じを抱かせる。像自体のエネルギーには、ものすごいものがある。

最初に高村光太郎について聞いたのは、ロダンを好きだった父からで、家に著書がいくつか有った。だから、母も展覧会に行きたいと言っていたくらいだ。だから、彫刻家としてよりも、詩人や評論家として家の中では存在していた。

それでは、彫刻に出会ったのはいつかと、思い出してみると、小学校時代に碌山の彫刻と一緒に観ていた作品以外では、中学校の修学旅行で十和田湖へ行き、湖岸にあった二人の裸婦像を観たときだ。当時は、二人だと率直に思っていた。手を合わせて、触れるか触れないかの構図に興味をもった。それで、今日はじめてわかったのは、片方が内部の人で、もう片方が外形の人だということだ。二人ではなく、まったく同じ人を二つ描いて並べたのだそうだ。

0724_2 今日、一番気になったのは、光雲と光太郎との親子関係と、それに妻智恵子との関係のもとに制作された、昆虫や野菜、果物などの木彫だった。光雲は江戸時代からの木彫師で、後に明治期に教壇にも立つことになるのだが、光太郎に対しては、何も教えなかったらしい。光太郎は、6歳から木彫を始めるが、職人的な教育のもとにあり、何も教えずに、見よう見まねの実践的な伝授によっって、木彫を行ったのだと書かれていた。光雲は他の弟子たちには教えたのだが、光太郎には一切なにも教えることはなかったのだ。論文指導なんて受けたことがない、というのが大学院教育だったが、同じようにクラフト的教育の本質はこのようなところにあるのではと思う。

0724_4 16歳のときに彫られた、木彫の「羅漢」がある。才気走った、すっと切れそうな浮き彫りだ。技術的には、並ぶものがないほどの素晴らしい技だ。けれども、どうゆう訳か、この描き方を発展させること無く、20年以上も木彫からは遠ざかることになる。もちろん、逆に言うならば、20年以上経ってやっともどってきたのだ、ということができる。親子関係や夫婦関係の複雑な問題を想像させて、たいへん面白かった。その結果が、「柘榴」であり、「桃」であるのだ。ざくろの脇に、光太郎の詩がおいてあった。

さくろの実

  はなやかにして

     ややにかし

  このあちはひ

    たれと

      かたらん

2013/07/17

午前中の息抜きに、鎌倉へ行き、逗子で昼食

0717_2 鎌倉で行われている「松田正平展」へ行く。「陽だまりの色と形」と副題が付けられている。この陽だまりというのは、日常性を描いた松田正平作品の比喩だ。今日の鎌倉は、30度を猶に超すと予想されたので、烈火の「陽だまり」にならない前に、朝早く涼しいうちに、観光客を避け、いつものように逗子回りで近代美術館へ入る。

0717_3 ゆったりと数十年かけて、少しずつ作品が変わっていく。最晩年の自画像が、入り口の近くに掲げられていて、これは最高傑作のひとつだと思われるけれども、その隣りから東京美術学校時代の初期作品が始まっている。そして、だいたい年代順に、80年間に渡って描き続けられた作品が並んでいる。

0717_4 このちょっとずつの変化が、日常性そのものと言えるかもしれないし、描かれた作品そのものよりも、このゆったりとした変化のプロセス自体が、日常性を表している。100点以上が展示されている大きな意味が、ここにあると思われる。

0717_5 もちろん、転機となった決定的な時期が、はっきりとわかる展覧会の構成になっていて、その変化を見つけるのは容易いが、それがわかったからと言って、ほんとうの変化が理解できるわけではないし、その意味がストレートに絵の中に書き込まれているわけではない。

0717_6 わたしの好みを言わせてもらえるならば、またここは偶然にも、2、3枚は妻の趣味と一致したのだが、1950年代後半の集中的に画風を確立した時期の、力を抜きつつも緊張感ある作品群がすばらしいと思う。これらはどういうわけか、今回は山口県の機関が所有しているものが集中的に展示されていた。きっとまとまって誰かが持っていたものを郷里の人びとが引き取ったのではないかと思われる。

0717_7 たとえば、1959年に描かれた「かみきり虫」と「乾魚」では、それ以前のごてごてと油絵を積み重ね、その中から形態を浮かび上がらせる方法も、もちろん受け継がれているものの、うまくすり抜けて、背景に透明感が出て来ている。この透明感の中から、いくつもの虫や魚の幻影が見えてくるのだが、遠目には、ひとつのシンプルな形象だけが残されているように見える。

0717_8 全体としては、子どもの絵のような単純な印象を強調し、そのじつは、力を抜いた老人のように経験を積み重ねた洒脱な描き方を行っている。かなり複雑なシンプルさを実現しているところが、日常というものの核心を突いている。虫がのたうち回っている。ただそれだけかもしれない。けれども、その一瞬をそのことだけに集中して、伝えようとしているのだ。

0717_9 「犬馬難鬼魅易」という言葉が彼の標語として、展覧会では掲げられていた。鬼や魑魅魍魎のような奇異なものを描くのは易しいけれども、犬や馬のようなありふれたものを描くのは、かえって難しい。だからこそ、描く価値があるということだろう。「四国犬」では、輪郭だけで描かれたようにみえる、中身がすかすかな絵なのに、猛烈に怒って吠えかかってくる犬が、ユーモアと余裕をもって迫ってくるのだ。

0717_11 そして、この辺りまでくると、すべての形が、自分の形に完全に一致しているらしい。自分と世界とが完全にぴったりしてくる感覚が存在するのではないかと思わせるところに入っている。それは、想像してみることは可能かもしれないが、他人が外から理解できないところとして日常が描かれていて、はっとさせるのだ。「周防灘」シリーズはそんな連作ではないかと思われた。妻から教えられたインターネット情報によると、瀬戸内海というのは、「Inland Sea」から来ているらしい。この雄大さを包み込んだおだやかさが、この内海と画風とに共通していると思う。

0717_12 さて、妻が数日前の新聞記事で、この県立近代美術館鎌倉館の建物がこの土地を離れることを読んでいた。耐震構造になっていないので、鶴岡八幡宮からの借地権が切れる2、3年後に移築されるそうだ。この蓮池に浮かんだ、鎌倉の一部として重要な風景であり続けた建物が無くなるということが、都市全体にとって、どのような意味を失うことになるのか、測りしれない。中世の世界のなかに、ぽっと近代の世界が存在していて、この対比がわたしのイメージの中では鎌倉というもののイメージだったのだが、それが変化することになる。でも、まだすこし猶予期間があるようなので、それまでこの空間を十分に楽しみたい。

0717_13 すこし散歩して、別館で開かれている「野中ユリ展」を見て、その足で逗子に出る。ちょうどランチの時間だったので、いつもの石窯ピザの店へ入る。すでに店は満席で、奥の部屋に通される。一枚目は、クリームとポテトがピザ地のもちもちと合ったもので、二枚目は、サーモンと生野菜をピザで包んで食べるタイプのもので、塩味が効いた美味しいものだった。

0717_14 午後には太陽が登って、街を歩くには辛い。家に戻って、仕事に取りかかるにはちょうど良い時間だ。

2013/07/14

最高気温が35度の中で、ゼミを行う

0714 大学院ゼミナール合宿の二日目である。今日も、外では最高気温が35度になることが予想されている。すでに、7時のニュースで28度が報じられており、放送大学のセミナーハウスの3階は、廊下に出ることさえ、避けたい状態になっているので、35度は確実だろう。

0714_3 ゼミでは、暑さの話をすれば、ふつうは異常だということで、共通の話題になるのだが、これほど日本各地で同じ現象が起こっていると、いまさらその話題を言っても、日本全国から集まってきている人びとには、ヒットしないのだった。

0714_4 30名にものぼる発表は、学会の一つのセッション並みの本数だと思われる。ところが、話題の多様性について見ると、一つの大きな学会をはるかに超えていると思われる。経済分野のなかでも、農業から始まって、鉱業、製造業、サービス業に及ぶ広範囲の産業事情をカバーし、さらに国際的な幅の広さを見ても、日本はもちろんのことで、欧米やアフリカ、アジアに及ぶグローバルな範囲を保っているというのか、問題としている。

0714_5 これで、何かが生まれるのか、が問題となるのだが、話し合っているうちに様々な意見がでてくるところが不思議でもあり、毎回期待している点であるのだ。時間を限らなければ、いつまでも止まることがない。中には、人気のないテーマもあるが、それはそれで一つの評価として受け止めてなくてはならないだろう。

0714_6 今回明らかになったことがあった。一人の観点と集団の観点とどこが異なるのかという点である。たとえば、ある発表者が問題とするところには、二つの論点が重なってあるのだが、うまく繋がらないところがあって、そのとき誰かが、切り離してみたら、という。本人の論理からは、なかなか固執しているところがあって、0714_7 それを削るという感覚は展開できなかったのだが、言われてみれば、そうかもしれない、ということになる。脇でみていると、これらの応答は、何か専門的な知識から生じたのではなく、話し合いの中から生まれたことなのだ。それも、削ってみるという発想は、本人からは出てこない場合が多い。

0714_8 この辺が集団で行うゼミナールのメリットと言えるかもしれない。これだけ多様な考え方や意見が存在するのも、他の先生方や先輩たちが蓄積していった過去の経験があったからだと考えている。昔ならば、これは社交辞令まがいのものだったけれども、0714_10 今日は決してそうではなくて、もちろん中には誤っている考えが含まれていようとも、話し合いの要素としては、欠くべからざるものだと言えるのではないかと考えている。

0714_11 恒例の懇親会にも、先輩たちも駆けつけてくださって、盛会だった。いつものH中国料理屋が会場だった。最初のビールを飲み干す姿が美しかったのは、頑張った勲章のようなものかもしれない。つまみに出て来たものが、枝豆だったので、なんだと口に放り込むと、なんと味付けがHらしいものだった。山椒と八角で味付けされた枝豆だった。つぎの香味のイカとゴウヤの炒めも素晴らしかった。続いて、青菜と鶏肉の炒めも美味しかったし、マーボ豆腐もちょっと違って、薄味なのだが、渋い美味しさが出ていた。

0714_12 すっかり紹興酒で酔ってしまったのだが、あちらこちらの席にお邪魔して、合宿の醍醐味と、Hの料理を堪能したのだった。世間を忘れて、3日間籠もりきりで、議論にすべてを費やすのも、あと1日を残すのみとなった。

2013/07/13

合宿が始まる

今日から、放送大学本部にあるセミナーハウスにて、3日間連続の合宿ゼミナールが行われる。昨年は、島根大学のI先生のお世話になって、松江で合宿を行ったのだが、これはこのゼミでは例外的なことであったのだ。一般の大学では、合宿になると、このように大学の外に出かけるのだが、放送大学は遠隔教育の大学なので、逆の動きをする。つまり、合宿になると、皆が日本国中から本部キャンパスへ集まってくるのだ。

放送大学には、社会人の方々が通って来ているので、それぞれの持つ経験談には事欠かない。ゼミが終わった、アフターファイブが楽しい。たとえば、Mさんは介護・医療施設に勤めていて、終末医療の現場に立ち会うことが頻繁にあるという、極めて現代的な仕事場にいる方だ。以前から、人の命のことに強く敏感に反応することがあって、Mさんには死者とのつながりがあって、何か職業上の直感が働くと感じていた。

人間が最後になって、どのようなことを気にするのか、などということが、すらすらと口を突いて出てくるのだ。わたしだったら、最後になったらということが今までないので、そうなってみないとわからないが、やはり常識的であっても、家族のことが気になるような予感がする。

ところが、彼の口から出て来たのは、意外なことだった。もちろん、彼の職場が典型的であるという訳ではないだろう。その点は、割り引いて考えなければならないけれども、それでも人を納得させる答えだった。

誰であっても「和解」を求めるのだと言う。たとえば、愛人から戻された夫が、正妻を最後に呼んだという例もあるし、喧嘩していた知人を呼んでほしいという場合もあるらしい。人は、最後に自分の人生を完結させたいという、広い意味での承認欲求を持っているのだと言うことであるということだろうか。

ということで、それじゃ、わたしが和解を求めるとして、それはどのくらいのレベルまで和解しなければならないのか、妻には済まないことをたくさんして来たから、絶対に和解ということにはならないままになる可能性が高いし、近親者ほど、和解できそうな人はいなくなるほど、人生のなかで、迷惑をかけてきてしまった。だから、わたしの場合は、Mさんを呼んで、懺悔するつもりは毛頭ない。

と、Mさんに言ったら、なるほど、自己完結できる人は、中には居るそうだ。わたしもこの種類に属していることを信じている。だから、せいぜいのところ、日記帳辺りで、「和解」を求めることにしたい、と思ったところなのだ。世の中で素直でない方は、居るのです、とMさんに言われてしまった。このような人種は、決して介護施設では歓迎されないから、ご覚悟のほどとまで、言われた。とくに、学界関係者ほど相手にされないらしい。今のうちから、他の生活の方法を考えなければならないだろう。

 

2013/07/09

トーク・イベントについて

きょう図書委員会があって、委員の投票で、放送大学のリポジトリーの愛称が決まった。リポジトリーは、大学などが自前で蓄積した学術情報を貯蔵して、インターネットで公開しているサイトだ。

全国の大学でも、素敵な愛称が考えられている。眼に留まったものをピックアップすると、小樽商大の「Barrel 」なんかはシャレているし、賞を取ったらしいお茶大の「TeaPot」などは、センスがある。苦労した感じのある東北大学の「Tour(TOhoku Uni. Repository)」や福島大の「Fukuro(Fukushima Uni. ReapOsitory)」もある。

放送大学図書館の呼びかけに15件の応募があった。それで、各委員が二つずつ選んで投票したところ、自慢する訳ではないが、わたしが投票した二つが上位1、2を占めた。ひとつは、頭文字を取ったという意味のある愛称、もう一つは、放送大学のマスコットを捩った、どちらかと言えばあまり意味を重視しない愛称だった。結局、決戦投票の結果、後者が選ばれたのだった。意味がなくとも、可愛くて愛されるものが良いのだ。応募で当選した人に賞品がでるのか、と思ったが、どうやら名誉だけらしい。結果については、放送大学図書館のホームページをご覧いただきたい。

図書館長のM先生は、じつは放送大学叢書の委員長もなさっていて、今回のO先生の著書発刊記念トーク・イベントについても、大いに宣伝なさってくださることになった。また、広報からも、放送大学のホームページに載せてくださったとの連絡を受けた。

http://www.ouj.ac.jp/hp/o_itiran/2013/250705.html

また改めて、S社のKさんからいただいた宣伝文をここに掲載させていただく、興味のあるかたは、ぜひ足を運んでいただきたい。

大久保孝治著『日常生活の探究 ライフスタイルの社会学』刊行記念

日常〉の大変化 これからの「幸福の物語」を考える

トークイベント:大久保孝治・坂井素思・長谷正人

近代化以降、これまでも大きな変化の波にさらされてきたわたしたちの〈日常生活〉。なかでも、人びとが共同体や企業とも切り離され居場所を失う「個人化の第二波」は、待ったなしで向き合うべき大きな波です。『日常生活の探究 ライフスタイルの社会学』の刊行を記念して開催されるこのトークイベントでは、著者の大久保孝治さん、社会経済学者の坂井素思さん、社会学者の長谷正人さんをお招きして、わたしたちの〈日常生活〉はどのようなものであったか、これからどのようなものであるべきか、歌謡曲・テレビドラマ・村上春樹の小説・ツイッターやブログ、さまざまな素材をとりあげ、共に考えます。

726日(金曜日)18時会場、1830分スタート

ジュンク堂書店渋谷店 喫茶スペース

2013/07/06

茗荷谷の播磨坂でランチ

ランチを茗荷谷の播磨坂で取った。以前、この坂の茗荷谷に近いところに、イタリアン料理の店が隣り合わせで2軒あり、午前中からゼミが開かれているときには、参加のみなさんとお昼に訪れても、20名ほど受け入れる十分なスペースがあり、重宝していたのだが、片方の店が移転したために、この播磨坂に足は遠のいていた。

講師をお願いしているN先生とランチを、というので探してみると、評判の良いPという店が、この播磨坂を下っていったところにあるのを見つけ、今回訪れたのである。11時半から開店なので、店のまえですこし待って入ることになった。写真のように開店前に行列が出来るほどの店なのだ。

クリームパスタとトマトソースパスタを取り、緑豊かな窓からの風景を楽しみながら、ゆったりと食事をした。N先生は、放送大学の経済学K先生の学部生として卒業し、さらにK大学で経済学の泰斗S先生の指導で博士号を取り、その後放送大学の講師をお願いしているので、かれこれ27年くらい放送大学に関係していることになる。考えてみれば、放送大学も創立30年を迎えるのだが、これをずっと見つめてきている人びとというのは、たいへん貴重な存在だと思われる。

午後1時から、東京文京学習センターで卒業研究のゼミナールが開かれた。今回は、鹿児島、奈良、大阪、名古屋など日本各地の参加者がいる。それで今日は、鹿児島と奈良からWeb会議で参加ということになっていた。ところがである。これまでの回では、すぐに繋がっていたインターネットがなかなか繋がらない。

最初はカメラが駄目で、つぎに音声が駄目で。このようなときには、根気よく、一つ一つ点検してつなぎ直さなければならない。一昔前であれば、これだけで疲れてしまって、結局繋がらなくて、二次的な方法で行わなければならないことがたびたび起こった。それで、このような異常には慣れてしまったのか、あるいはこちらが年を取ったのか、気分が昂揚することもなく、ひたすら時間との駆けっこを続けるしかない。

その結果、最後には無事回復し、複数の異常が直されて行く。このときに思うのだが、ゼミナールというのは、いくつもの可能性の上に成り立っていて、それがちょっとおかしくなると、前の段階へ降りていって、通常の状態へ戻る必要があるのだ。このとき、以前よりも違う場面を観ることになる。ゼミナールが対面だけに終わることもあるし、日本中に繋がって、大規模になることもある。けれども、結局は内容の問題がある、とある学生が、ぼそっとおっしゃったのが印象に残った。

2013/07/05

映画「コンティキ」を観る

映画「コンティキ」を観る。ある世代にとっては、この名前を聞いただけで、血躍る想いを持ち、本を寝床のなかで読んできたものだ。とりわけ、フィールドを志向する人びとには、たまらない魅力を持っている。

小学校の時に読んだか、遅くとも中学校で読んだか、かなり早い時期に読んでいて、それでなぜ文化人類学へ進まなかったのか、不思議なくらいだ。けれども、大学院時代の長期研究員アルバイトで、トンガへ滞在したのも、考えてみれば、「コンティキ」を読んだからに違いない。

著者のトール・ヘイエルダールは、冒険家の系列に属する人だと思う。考え方と、冒険とを統一的に組織化出来る能力を備えているのだ。この「企て」の資質というものは、現代においては必須の能力だと思われる。なにも意味のないところから、意味を作りだすことが、現代には必要なことなのだと思った。

逆にいうならば、現代という時代は、このようにしてしか意味を作りだすことができないという構造を持ているのだと考えられる。このように考えるのであれば、たとえ学説が正しくなくとも、正しいと思われるかけらが存在するならば、このような「企て」の現代において、必要不可欠のことなのだと思われるのだ。

それで、実際にいくつかのことが気になるのだ。ひとつは、トールがフィールドワークで滞在していたポリネシアの島に、やはり分け入っていくと巨石文化があって、大きな石に巨像が刻み込まれている。この印象は、鮮烈なもので、わたしもトンガの山奥へ連れて行かれて、生い茂った薮の中に突然巨石の建築物が現れると、何だこれは、と興味を持ってしまうほど、強烈な存在だった。それぞれの島に、共通して巨石文化が現れるのを観ていると、これらに何らかの共通点があるのではないかと考えてしまう。

それから、印象に残っているのが、コンティキが太平洋の海流に乗って、ポリネシアの島に、最後に流れ着く場面である。ポリネシアの島々は、珊瑚で出来ていて、周りが環礁で覆われている。いわば、水深い黒い外海から、浅瀬の白い内海へ入るには、この環礁を超えなければならない。コンティキは、大波を利用して、これを超え、大破することになる。

じつは、わたしがトンガへ行ったときには、この構造を知らなかった。それで、環礁の内側はあまりに浅過ぎる海岸なので、環礁を超えて泳ぎに出てしまったのだ。現地の人は環礁の外へは出ないらしいと後で聞いた。サメがいるし、波が強すぎて、泳ぐどころではないのだった。結局、そのとおりで、外海の大波に打ち上げられて、背中に裂傷を負ってしまった。ということも、思い出した。何が言いたいのかといえば、冒険というものは、その場に直に向き合ってみるとなかなか難しいものだ、ということだ。

それでも、疑問に残るのは、なぜポリネシア人が島あるいは大陸を出て、新たに海の向こうへ行ってみようと考えたのか、ということである。ポリネシア人がもしトールの学説通り、ペルーから南太平洋へ移住するために、筏で乗り出したとしたら、それは家族みんなを連れて出ただろうと思われる。それほどの危機がポリネシア人を襲っていたということだろう。これに対して、トールは、コンティキの冒険を冒険家たちと行い、最終的には妻に離婚されることになる。その後、冒険を続ける人生をおくることになる。この落差は何だろうと考えてしまうのだった。

この辺で、冒険生活と日常生活は両立できないだとか、はたまた、学者生活は日常生活と矛盾するとか、ということは、たいへん興味深いこととして浮かび上がってくるのだった。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。