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2013/06/24

福井へ行く

624なぜか、福井への出張というのは、これまでなかった。関西圏や北陸圏では、あったのだが、ちょうど中間的な場所であったのかもしれない。関西圏ならば、新幹線で米原までは行くがそれからさらに北へは行ったことがない。また、石川県まではこれまでたびたび出向いているが、北回りで行く場合が多かった。それで、福井は抜けてしまったのだと思われる。京都から、特急「サンダーバード」へ乗り込んだ。

Photo_12 今回、県立大学のH先生と会うことになったのだが、じつはもう一人、修士学生の方とももし時間が合えば、と願っての出張だった。時間をぎりぎりまで調整してみたが、どうやら学生の方は無理だった。それで、空いた時間に、福井市内を巡って歩いた。戦争で多くが焼けてしまっていて、古いものは石作りのものだけが残っていて、木造建築は新しいものだけだった。古さがこれほど残されていないのも、残念な状況である。Photo_30 あとでわかったことなのだが、戦争だけでなく、昭和23年に福井は大地震に襲われ、数千人が亡くなっており、そのときの火災でかなりの木造建築が失われたらしい。

そこで、駅前の観光ガイドで紹介された、庭園が復興されているという、松平家別邸の庭園である「養浩館庭園」を訪れた。

Photo_14 小規模な庭園だったが、それはおそらく復興された部分が小さかったのだろう。現在の街の区画に押し込められていて、復興した方々の苦労がわかるが、やはり住民の理解がえられないと、古さということも認識されないのだろう。ここまで、過去と現在の対立が露わになっているのならば、すでに異なる次元の対立が存在するということなのかもしれない。

Photo_15 歴史的にみれば、城跡の近くに当たるので、この辺は侍の住宅地であったということであり、時代は変遷して、現代の住民の住宅地となっていたということであり、Photo_16 その個人の土地を奪って、改めて歴史地区として公共施設を再開発することにどれだけの意味があるのか、ということにもなるのかもしれない。

Photo_17 写真に移っているように、周りは住宅地だが、ビルが何軒か立っており、写真をとると、必ず背景にビルが写ってしまう。遺跡というものは、環境すべてを含んだものとして存在するものだという、当たり前のことを確認した次第である。茶室も道路で分断されており、復元できなかったとのことである。

Photo_18 池は技巧をこらす感じではなく、シンプルな作りで、それは近くに茶屋跡があることからも、最初から質素さを追究したのではないかと察せられる。池の端に小さな庵が設けられていて、ここで、夏には一人で、読書を楽しんだ文人武士たちのことを想った。Photo_19 池の作りがあまりにシンプル過ぎるので、多少以前の状態を想像する必要があった。造園にはまったく素人だが、いくつかの丘が人口的につくられているところをみると、街区の都合で、小さくなっているが、以前の全体はもっと大きかったことを想像させた。けれども、古い地図には、そのような痕跡はまったく写っていないらしい。けれども、回遊式の庭園でこれほどのっぺりとしている池は珍しいのではないかと思われた。

Photo_20 それは、部分と全体の構成の問題で、この小さな池に不釣り合いの丘がいくつかあることからも想像される。また、茶屋の規模からして、このシンプルさは跡とは不釣り合いなのだった。Photo_21 そんなことを考えながら、池を眺めていると、初夏の快晴のもと、さわやかな風が吹き抜けて行った。

Photo_22 近くに、自家焙煎のコーヒー屋さん「V」があって、良い香りを漂わせていたので、コスタリカを注文する。福井郊外からも、客が訪ねてきていた。豆を購入していく人びとが多い。 散歩コースに、このような喫茶店が一軒あると、Photo_31 また来てみようという気にさせる。

帰りに、城を巡る散歩コースを辿っていると、名のある美術制作家のものであろうと思われる、「詩人」と題する彫像にであった。Photo_24 先日の高知で、はじめて鍛金の講釈をI先生から受けたばかりなのに、見るべき感性は養われていたと思われる。この具象的な像はこの場所にぴったりで、しばしこの作品のことを想ってしまった。細身の身体からは、生活の緊張感が漂っているが、しかし手帳を抱えて、創作に充実した感じがあって、全体としてここで散歩をする人びとの心情に多彩に応えることができる像となっていると思われる。

Photo_25 夜、夕飯を食べながら、福井県立大学のH先生と制作の打ち合わせ。H先生はかつて放送大学にいらっしゃって、同じ分野であったこともあって、親近感を持っていた。けれども、こちらへ移ってしまい、それ以来10年以上たってしまった。Photo_26 H先生とは、2世代くらい年齢が違い、住んでいる地域も異なるにもかかわらず、過去に話をしてきた方々について、いろいろなところで重なる部分が多いのだ。差し障りのないところでは、たとえば、Photo_27 先日C社の編集者と雑談をしていて、研究会でH先生と会ったことがある、と知らされた。それでそれらの重なりをひとつひとつ話をしていくだけで、数時間かかってしまった。

Photo_28 その間に、越前の海の幸、山の幸を十分に堪能した。お酒は、冷酒でKやBやIを飲み進んだ。料理の最初に出てきたのは、酒の肴に最適な「ヘシコ」という鯖加工の刺身で、この塩っぽさが大根と一緒に食べると、清酒に合うのだった。このような、この土地でしか食べることの出来ないものは、旅行してきて良かったな、と思わせる。Photo_29 ほんの一切れで良いのだが、この一切れがふつう手に入らない。話の内容も、まったく同じだ。彼とは、いろいろなつながりがあるのだが、それを辿っても、ここで話したことの10分の1も得られないだろう。ここで話すから伝わってくるものがあるのだ。

Img_0569 最後に、「越前おろしそば」で、蕎麦の話題になった。福井の蕎麦の生産が、長野県の生産を抜いたらしい。それほどの蕎麦の産地なのだ。それで、最近は新興住宅地の近くの休耕地にまで、蕎麦が植えられるようになったらしい。H先生の自宅のそばにも、畑が進出してきたのだということである。花咲く時期になると、白い絨毯が広がるそうだ。それで、じつは知る人ぞ知る、蕎麦の効用?があって、自宅にずっといらっしゃる家族の人が、何となくこれはおかしい、ということになったそうである。わたしもはじめて聞いた。独特の香りを発散させるのだそうだ。

という落ちがついたところで、H先生には再会を約束して、夜の福井の街で右と左に分かれた。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。