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2013/06/10

高知市内の喫茶店を回る

0610_4 泊まっていたホテルの冷蔵庫にロックがかかってしまって、どうしてもドアが開かない。係のひとを呼んで見てもらったが、業者を呼ばなければわからないというので、到底チェックアウトの時間に間に合わない。急ぐ旅ではなかったので、十分つき合っても良いとは思ったのだが、どうやらこのホテルウーマンは新任らしくて、粘ったとしても得るところはないと早々に諦めて、チェックアウトすることにする。新酒の一瓶が無駄になってしまったが、これも旅というものの宿命の一つで、諦めるべきものは早く諦めるのだ。

0610_5 街中で看板を見ていると「謄写堂」という文字がある。昔懐かしい謄写版の頃からのガリ版の印刷時代を思わせる。とくに、わたしの泊まったホテルの周りに多いらしい。「N謄写堂」というところが、同人誌専門の印刷屋さんだということで、今度計画している論文集になにか良い題材がないかと、寄ってみることにする。多角経営の印刷屋さんらしく、龍馬アニメのついたグッズが当たっていて、ひっきりなしに若い男女が来ては、写真に収めていく。アイディアが勝負だ。

0610_6 南に下って、かがみ川へ出る。城下町にふさわしい大きな流れだ。土佐の山内家にあまり興味はなかったが、高知県にはこれ以降、江戸期から幕末、明治と、アイディアマンが量産されるには、それなりの土壌というのか、蓄積があったのではないか、と思い、山内家宝物殿や、下屋敷の長屋などを見て回ることにする。

0610_7 ちょうど、宝物殿では、明治期の山内家が旅行して集めた「絵はがき」コレクション展を行っていて、高知大学の朝倉地区が写っている陸軍四十四連隊の絵はがきや、明治期の全国の共進会などの絵はがきを興味深く拝見した。想像するに、高知には辺境意識というものがあまり感じられないが、それは逆説がなせる技であり、それがいつもバネになっていて、日本全国や世界中からの情報にとてつもない渇望と、それにもましての想像力を発揮してきたのではないかと考えたのだった。江戸時代の山内家の収拾した文書にも、多数の興味深いものが含まれていて、展示物のなかに、浅間山噴火や各地の災害の文書が含まれていた。当時の統治者たちの情報収集の様子を十分想像できるものであった。

0610_8 板垣退助が「自由は土佐の山間より出づ」と普遍性を求めてリベラリズムの姿勢を取ったのは、もちろん理解できる。けれども、お節介だと思われようが、高知県の今から考えると、彼以外の人びとがもっと進んで、「自由は土佐の山間にあり」と、固有性を追究したコミュニタリアンの姿勢を取っておくことも可能だったのではなかろうか。

0610_9 山内家下屋敷にあった「長屋」は興味深いもので、士の長屋は普通の長屋ではない。やはり行って良かったと思うのだった。それにしても、長屋という形式は、住むにはかなり不自由だったに違いないのだが、なぜこの形式が発達したのかといえば、やはり至る所に見られる、住人たちの集団効果を狙ったものだったにちがいないことがわかる。トイレや風呂など水回りをまとめることで、衛生面を一括して管理できることはすぐわかることだ。0610_10 現在のように、水洗や下水がない時代には、この集団効果はたいへん便利なものだったにちがいない。でも、これらの集団効果が必要なくなると同時に、そして住居の個人化が進むにつれて、0610_12 この不便さが災いして、長屋形式は廃れていったと思われる。

二カ所の観光を行っただけで、足がすでにだるくなってしまった。門を出て、仰ぎ見ると、高知城が8階建てのビルを超えて、その上遥かに伸びていたので、お城見学は、この段階で早々に諦めてしまった。ランチを食べようと有名な家庭料理の古民家レストラン「K」へ向かう。まだ始まるまで、もうすこし時間があった。

0610_21 それで、昨日勝手に入らせて、深呼吸させてもらった、近くのカトリック教会に再び入らせていただき、ベンチで論文一つ読ませてもらう。それで、0610_28 ちょうどオルガンの練習がはじまり、静かなパイプオルガンの曲が流れてきた。街にこのようなところが一つあるか否かで、人びとの暮らし方がかなり異なるであろうことを想像した。

0610_13K」のランチは、枝豆のご飯にみそ汁、白身魚のあんかけ、それにタケノコや青い野菜、さらに香の物が付き、年寄りのわたしには、ちょうど良い分量だった。早めに入ったので、0610_14 すぐ席が取れたが、次から次に客が来て、広い日本間がすぐにいっぱいになってしまった。最後に、デザートと東チモールのコーヒーを飲んで、ゆったりと昼飯を終わらせることができた。

0610_15 そのあと、足を休めるつもりで、ジャズ喫茶を目指したが、こんな早くから開いているわけがないので、I先生に聞いていた、街角の喫茶店「L」へ入って、ブレンドを注文する。0610_23 街の常連客主体の喫茶店の良さを持った店で、狭いながらも気の置けないたまり場という雰囲気がある、喫茶店で、もし将来毎日が暇になったならば、このような喫茶店に、新聞を小脇に抱えて、メモ帳をもって、朝から午前中くらいは浸っていたいところだ。このような喫茶店が、まだまだ存在するところが高知の良いところだと思われる。

0610_17 観光見学を早くに諦めたことで、喫茶店を転々とすることになるが、行きたいと思う喫茶店がたくさんあるので、迷うことはない。まず、校正の続きを行わなければならないので、まとまって座る時間と場所が欲しかった。夕べ最後の閉店まで居た「M」の窓際の落ち着いた席を占める。上から、白熱灯が降りてきていて、照明灯としては、申し分ないし、昨日のモカロールも美味しかったのだ。0610_24 メニューで迷っていたら、案内に来た店の人が、昨日の人だった。最初に頼んで品切れだったものにしますか、と言われ、そこまで覚えてもらえると、そうせざるをえないだろう。チーズケーキとコーヒーを頼む。

0610_19 予定通り、3時間かけて、1章分に赤を入れた。読んでいくと、ずいぶん冗長で、かなり削らなければならないし、逆に足りないところが見つかって、一応の作業は終えたのだが、帰りの飛行機のなかで、ちょっと考えなければならないことも見つかってしまったのだった。

0610_20 目まいがするほどに集中していたので、外に出ると、映画館を出たときのようなふらふらする感覚があった。この喫茶店の名前が「メフィストフェレス」ということだが、やはりゲーテに関係していたらしい。もう一軒の喫茶店へ移動する道の途中に、「ファウスト」という店があって、同じ会社が異なる喫茶店を展開している。0610_25 もし行こうと思っていた喫茶店がなければ、入りたいとも思ったが、時間がないので、もう一軒のジャズ喫茶「M」へ行く。中央公園のすぐそばで、老舗らしい古さを醸し出していた。0609_19 ジャズ喫茶に通うきっかけを作ってくれた歌舞伎町のジャズ喫茶と同じ名前だったので、たいへん懐かしかったのだ。エリック・リードのピアノトリオがかかっていて、これはモンクの曲だけなんですよ、0610_26 と女主人が解説してくれた。しばし目をつぶって、休憩した。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。