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2013年6月に作成された投稿

2013/06/29

「日常生活の探究」を読む

Photo_2 大学院ゼミを東京文京学習センターで行う。先週、滋賀へ出張に行ったため、今週にゼミを持ってきた。それで、7月の合宿と近くなってしまったため、任意出席としたので、出席者が少なかった。M2の方々はそろそろ個別に原稿を書き始めていて、ゼミでの発表よりも、原稿に集中する季節に移行しつつある。M1の方々は、まだまだ方向性が定まらないので、ゼミナールで議論を積み重ねることが重要だと思われる。

Photo_3 それで、雲行きがすこし怪しかったが、池袋へ出て、副都心線から東横線へはいってしまうと、そのまま横浜の中心部へ向かってしまう。仕方なく、横浜を乗り越して、馬車道駅まで出ることにして、いつもの散歩コースへ入る。Photo_4 この辺は、新しい街である横浜の中でも、明治期からの遺跡が埋もれている地域であり、それが保存しきれなくなっているらしい。駅には、旧横浜銀行の貸金庫のドアなどが、モニュメントとして埋め込まれていた。

日本郵船博物館となりにある、スタジオ「B」へ寄る。まだまだ日は高く登っていたので、ビールよりは軽い飲み物という時間だった。Photo_5 それで、大テーブルでは他の方が仕事をしており、また外のテラステーブルも女性客が長時間占めていたので、丸テーブルのほうへ陣取って、仕事を始める。1時間くらいすると、今日は土曜日のイベントの日だということで、出入りが多くなり始める。そのまま、聴講しても良かったのだが、途中で出なければならないことになるだろうと予想して、それならばということで、始まる前に失礼して、カフェを出る。Photo_6 ここに集まる人びとを観ていると、それぞれ仕事を別々に持っていながら、暇を作りつつ集まっており、緩やかな関係性を大切にしているらしいことがわかる。他者にかかわらない雰囲気を重要だと考えているのだろう。

散歩コースとしては、このまま港の方へ、または赤煉瓦倉庫へでるか、それとも、馬車道方面へ出るか、という選択になる。雨が心配だったこともあって、今日は馬車道方面へ出て、喫茶店「BJ」へ入る。ウィークデイとお昼頃には、このカフェへは満員で入れないが、土曜日の夕方になれば、空くらしい。一番奥の落ち着ける席に座ることが出来た。

Photo_7 一昨日、W大へ行ったときに、O先生から新著『日常生活の探究』をいただいた。この喫茶店で、ケーキを食べながら、この本をじっくりと読ませてもらった。「日常生活」という舞台を中心として、近代以後のわたしたちの生活を分析した本で、たいへんわかりやすく、かつ奥深い分析を行っていて、好著だと思われる。ブログも効果的に使われていて、多様な工夫が目立つ本だ。

Photo_8 売れるかな、とご本人は謙遜なさっていたけれども、現代に不安を抱える若者に受け入れられるに違いないと思う。それで、出版社のS社から、渋谷で出版記念のトークイベントの提案があるということで、わたしにも依頼があった。詳細については、後日お知らせできると思う。

Photo_11 馬車道から伊勢佐木町へ出る途中に、いつも通っていた喫茶店のビルがあったのだが、取り壊されて鳥料理の新しいビルに変わっていた。客が並んでいて、時代が変わっていくのを感じた。伊勢佐木町の松坂屋が無くなって、かなり立つがまだそのイメージは消えない。今度は、東京銀座の松坂屋が閉店するそうで、百貨店文化という19世紀的なものがひとつひとつ消えていく。Photo_10 近代が消えるのは構わないけれども、その後の文化が用意されていないことが残念だ。兆候はかなりあるのだから、それをとらえる眼が用意されていないということだろうか。

2013/06/26

京都での激しい雨

Photo_44 朝、目が覚めると、京都の雨が落ちていた。じつは、関西に泊まっているうちは、もう雨が降らないだろうと勝手に思い込んでおり、福井の宿へ傘を置いてきてしまったのだ。長さが70センチあり、大きくて雨が降り込まずに濡れることがなくて気に入っていたのだが、やはり旅行に伴うには、とりわけ快晴の日に持ち歩くには厄介であったのだ。

Photo_45 後悔している。たとえホームレスと見られようとも、もうちょっと辛抱して、傘を持ち続けるべきであったのだ。けれども、朝から雨が降ったために、外に出る機会がなく、宿での仕事が圧倒的に進んだ。ここ二三日の移動した最中に考えていたことを、残すところわずかにして、一挙に文章化することができたのだ。チェックアウトは11時なので、朝食を食べて、ゆっくりと仕事していたこともあって、思ったよりも最後チェックアウトするころには、時間が足りない状態になっていた。

Photo_46 京都の四条河原町まで、歩いて数分の距離にある場所から、雨にもかかわらず、客たちで混んでいる錦小路をきょろきょろしながら、歩く。当然ながら、外国人の数が極端に多い。外国人にとっては、このような都市の密集は懐かしいところなのに違いないのだ。外国人でなくとも、錦小路の密集は観ていても面白い。ちょっと並んでいるものを摘んでみたくなるほどだ。サバの干物が美味しそうだった。

Photo_47 11時に宿を出て、30分くらい経てば、たいていの喫茶店は開店しているだろう、と踏んで行ったのだが、お目当てのところの開店時間は12時からであった。どうしようか、と一軒先の隣りをみると、これが、皆が知る臨済宗の建仁寺の入り口だった。大きな山門の軒下を借りて、これも巨大な柱の根元に座り込む。

Photo_48 戦国時代の御上りさんたちが、行く場所がなくて、この山門に腰をかけて、日の落ちるのをまっていたのだろう、と想った。山門で雨宿りという、何となく寺町の型通りの時間を過ごした。上が開かれていて、しかも風が抜けていくので、たいへん良い雨宿りだったと思われる。観光客は必ずしも多くなく、仕事のパソコンを覗きながら、通り過ぎていった。Photo_49 かれこれ、40分ほどかかって、一章分の校正を書き直すことができたのだ。京都で、河原乞食として仕事をするとは思わなかった。

Photo_50 ようやく、12時になった。喫茶店Oは、町家を改造したものだが、通りに面している訳でないので、玄関に入るまで長い小路が続いている。隠れ家的な趣で、たいへん落ち着く。以前来たときには、固い椅子だったのだが、今回はいちばん奥に通されて、これで数時間長居する準備が整えられた。

Photo_51 藤沢周平の小説を読み始めていたので、一気に仕事を済ますことが出来るわけではなかったが、それでも、毎学期恒例となってしまった通信添削の仕事を終了させることが出来た。昨日の喫茶店Kの目の前に、本棚が並んでいて、文庫本の中に、主Photo_52 だった長編はだいたい読んでいたのだが、見逃していた「風の果て」が並んでいた。剣術道場の仲間たちがいつものように、海坂藩の中で育っていく模様がたんたんと、また事件をめぐっては激しく描かれている。教養小説の基礎を踏んでいて、しかも悪を含む行為のパターンがよく描かれている。最初の何人かの友人と疎遠になる頃まで読んで、店を出てしまったので、昨日三省堂で、この文庫本を買い求めていたのである。

Photo_53 じつは3月にここへきたときには、ほぼ満員状態だったので、混んでいるのではないかと危惧したのだが、どうやら繁華街からすこし外れているところということもあって、こんな雨の日には客が少ないらしい。

Photo_54 途中から、隣りにすわった女性二人は、えんえんと夢中になって、おしゃべりを続けていた。聞くともなしに聞こえてきたところでは、女性のゲームオタクたちだとのことで、文学部の大学院生と、派遣会社で働きいろんな趣味を持っている同級生だった。ゲームの意味について、微に入り細に入り、会話を楽しんでいて、オタク講座を聞く思いだった。

Photo_55 それであっと気がつくと、この喫茶店の開店時に入ったのだから、かれこれ4時間弱になろうとしていた。長居しました、と店の人に言ったら、雨が激しかったですからね、と答えてくださった。それで、仕事も十分にこなし、大学の業務も済んで、さらに友人たちとの会話も果たすことができたので、十分すぎる旅行をそろそろ閉じてもよいと思われた。

Photo_56 ところが、どういうわけか、また雨が強く降り出してきたので、さらに雨宿りを決めた。四条河原町あたりで、道を曲がって、久しぶりで静かさを求める点ではたいへん好きな喫茶店「S」へ寄ることにする。いくつかの反省点はあるものの、苦めのコーヒーを一杯飲んで、さあこれで、Photo_57 ほんとうにいよいよ、旅行を閉じることにしよう。

2013/06/25

友人が集まる

Photo_32福井から京都へ戻る。ずっとその間も、仕事は付いてまわってくる。この時期は、学期ごとに通信制の大学特有の通信問題への添削があって、今日もねじり鉢巻で、ボールペンのインクが無くなるほど、書きに書くまくっている。だんだん疲れがたまってきて、観るほどに悪字がさらに乱れてしまう。Photo_33 丁寧に書いても、悪字は悪字なのだと諦める。受け取った学生の方には済まないが、この答案が関西出張の間に書かれたことを、答案から聞いていただければ、と思うが、事実はこのとおりなのだ。

Photo_35 昼食まで頑張って、いつもこの宿に泊まるときに訪れるカフェ「K」へ滑りこむ。ちょうど窓際のカウンター席が一つだけ空いていて、腰を落ち着ける。目の前には文庫本が並んでいて、仕事を続けるには、ちょっと気が散ってしまうのだが、それでも何時来ても、Photo_36 気の置けない雰囲気がある喫茶店なのだ。ランチのスープとパン、そしてコーヒーを取ることにする。

Photo_37 旅行に出ることは、日常的ではないことを行うためにでるのだから、このような落ち着ける場所を見つけてしまうことは、旅行の趣旨と矛盾するのだが、そうはいっても、これほどたびたび同じ宿に泊まってしまうと、やはり近所にいつも行くような場所をみつけてしまうことに、Photo_38 つまりは、旅行にあっても日常的な場所を求めてしまうという習性が、人間にはというよりも、わたしにはあるらしい。

さて、年を取ってくると、昔の友人と会う楽しみがあると思う。それは単に、将来どうなるのか、とその昔想像していたことが、ほんとうのところ、実際にどうなったのか、というありきたりの関心を満足させるというよりは、むしろ年を隔てて、新たな関係が生ずるのではないかという、楽しみもあるから、と思っている。けれども、そこで想起されて来ることは、やはり過去のことが多くて、それで記憶が蘇ってきてしまって、じつは困ってしまうのだが。

大学時代の友人たち、三人が集まった。ひとりのSくんとは、以前会ってから、10年くらいが経っている。じつはもう二人の、SくんとKくんとは、じつに大学卒業以来だということだから、かれこれ40年くらい経っていることになる。離れてしまって、違う生活をする時間の方が圧倒的に多いにもかかわらず、会えばそのまま以前の友人のままでいると言う関係は、いったい何なのだろうと思う。

三人の共通点は、大学から大学院へ進んだということと、大学1年生のときに、経済学の自主的な研究会を三人で作ったということだ。最初に選んだテキストが、なぜか「ドイツイデオロギー(マルクス)」であって、わたしにとっては、なぜ参加したのか、わからないところもあったのだ。もっとも、経済学を勉強することでは一致していたが、研究会をどのように利用するのかは、やはり三人三様だったと、後で知ることになる。

Photo_39 今回、集まったところは、Kくんの家のそばにある、「びわ湖大津館」というところで、旧琵琶湖ホテルを移築したものだ。明治期の宮殿を思わせる和洋折衷形式で建てられていて、重厚さを感じさせるホテル建築だ。広い玄関を入ると、赤い絨毯が迎えてくれる。いまは、レストランだけが営業されている。それでゆったりと、長時間滞在しても大丈夫な、ある種隠れ家的な場所である。

Kくんの奥さんも一緒に、楽しい会話を楽しんだ。印象に残っているのは、学生時代に持っていた、それぞれの個性が丸くなって出ていた、ということだった。このことは、年を取ると、丸くなるということではない。個性は、ほぼ学生時代そのまま温存されていて、40年が経ったとは到底思えないほどの、同じような会話のリズムであり、メロディーであるのだが、複雑さが増したな、という感想である。多層的な会話になった分だけ、単純さが表に出なくなったということだと思われる。

人生の多くの時間を共有した訳ではない。一緒に行動したのは、ほんのわずかの時間であったにもかかわらず、決定的な瞬間をいくつか共有したのが、友人の関係だ。決定的といっても、人生で必ずしも重要である必要はない、けれども記憶のなかではかなりの部分を潜在的には占めているかのように、思われる。この時間を超えた友人関係とは、ほんとうに不思議な関係だと思う。

2年生か3年生の時に、この三人が加わって、コンパを行い、野毛山へ向かう坂道を数人で登っていった。かなり酒が入っていて、誰かが溝に落ちたりした。こんな酔い方も学生時代だったからだ。飲み始めたら、止まらないという飲み方だ。それで、酔い方も激しくて、ちょうど交番前を通りかかったときに、Kくんが叫んだのだ。お巡りさん、過激派がいます、と巡査たちは笑って受け流してくれたけれども、当時は大学内で、たびたび内ゲバで人が死んでいる時代だった。

Photo_40 Sくんが新幹線で東京へ帰るということで、京都駅で分かれた。そのあと、夕飯を食べるために、宿の近くの蕎麦屋さん「W」へ行く。お酒を飲みながら、昨日の蕎麦が美味しかったな、と思って、今日も再び、梅おろし蕎麦を食べてしまったのだ。

Photo_42 帰り道、宿までの道筋には、老舗の店が並んでいる。先日終了したドラマ「鴨、京都へいく」に出てきそうな老舗旅館が暗くなった夜道にぬっと現れてきた。隣りの骨董屋には、今回は伊万里焼きが並んでいた。夜になっても、わたしのような観光客が引きも切らず注目する街に、どのようにしてなったのだろうか。

2013/06/24

福井へ行く

624なぜか、福井への出張というのは、これまでなかった。関西圏や北陸圏では、あったのだが、ちょうど中間的な場所であったのかもしれない。関西圏ならば、新幹線で米原までは行くがそれからさらに北へは行ったことがない。また、石川県まではこれまでたびたび出向いているが、北回りで行く場合が多かった。それで、福井は抜けてしまったのだと思われる。京都から、特急「サンダーバード」へ乗り込んだ。

Photo_12 今回、県立大学のH先生と会うことになったのだが、じつはもう一人、修士学生の方とももし時間が合えば、と願っての出張だった。時間をぎりぎりまで調整してみたが、どうやら学生の方は無理だった。それで、空いた時間に、福井市内を巡って歩いた。戦争で多くが焼けてしまっていて、古いものは石作りのものだけが残っていて、木造建築は新しいものだけだった。古さがこれほど残されていないのも、残念な状況である。Photo_30 あとでわかったことなのだが、戦争だけでなく、昭和23年に福井は大地震に襲われ、数千人が亡くなっており、そのときの火災でかなりの木造建築が失われたらしい。

そこで、駅前の観光ガイドで紹介された、庭園が復興されているという、松平家別邸の庭園である「養浩館庭園」を訪れた。

Photo_14 小規模な庭園だったが、それはおそらく復興された部分が小さかったのだろう。現在の街の区画に押し込められていて、復興した方々の苦労がわかるが、やはり住民の理解がえられないと、古さということも認識されないのだろう。ここまで、過去と現在の対立が露わになっているのならば、すでに異なる次元の対立が存在するということなのかもしれない。

Photo_15 歴史的にみれば、城跡の近くに当たるので、この辺は侍の住宅地であったということであり、時代は変遷して、現代の住民の住宅地となっていたということであり、Photo_16 その個人の土地を奪って、改めて歴史地区として公共施設を再開発することにどれだけの意味があるのか、ということにもなるのかもしれない。

Photo_17 写真に移っているように、周りは住宅地だが、ビルが何軒か立っており、写真をとると、必ず背景にビルが写ってしまう。遺跡というものは、環境すべてを含んだものとして存在するものだという、当たり前のことを確認した次第である。茶室も道路で分断されており、復元できなかったとのことである。

Photo_18 池は技巧をこらす感じではなく、シンプルな作りで、それは近くに茶屋跡があることからも、最初から質素さを追究したのではないかと察せられる。池の端に小さな庵が設けられていて、ここで、夏には一人で、読書を楽しんだ文人武士たちのことを想った。Photo_19 池の作りがあまりにシンプル過ぎるので、多少以前の状態を想像する必要があった。造園にはまったく素人だが、いくつかの丘が人口的につくられているところをみると、街区の都合で、小さくなっているが、以前の全体はもっと大きかったことを想像させた。けれども、古い地図には、そのような痕跡はまったく写っていないらしい。けれども、回遊式の庭園でこれほどのっぺりとしている池は珍しいのではないかと思われた。

Photo_20 それは、部分と全体の構成の問題で、この小さな池に不釣り合いの丘がいくつかあることからも想像される。また、茶屋の規模からして、このシンプルさは跡とは不釣り合いなのだった。Photo_21 そんなことを考えながら、池を眺めていると、初夏の快晴のもと、さわやかな風が吹き抜けて行った。

Photo_22 近くに、自家焙煎のコーヒー屋さん「V」があって、良い香りを漂わせていたので、コスタリカを注文する。福井郊外からも、客が訪ねてきていた。豆を購入していく人びとが多い。 散歩コースに、このような喫茶店が一軒あると、Photo_31 また来てみようという気にさせる。

帰りに、城を巡る散歩コースを辿っていると、名のある美術制作家のものであろうと思われる、「詩人」と題する彫像にであった。Photo_24 先日の高知で、はじめて鍛金の講釈をI先生から受けたばかりなのに、見るべき感性は養われていたと思われる。この具象的な像はこの場所にぴったりで、しばしこの作品のことを想ってしまった。細身の身体からは、生活の緊張感が漂っているが、しかし手帳を抱えて、創作に充実した感じがあって、全体としてここで散歩をする人びとの心情に多彩に応えることができる像となっていると思われる。

Photo_25 夜、夕飯を食べながら、福井県立大学のH先生と制作の打ち合わせ。H先生はかつて放送大学にいらっしゃって、同じ分野であったこともあって、親近感を持っていた。けれども、こちらへ移ってしまい、それ以来10年以上たってしまった。Photo_26 H先生とは、2世代くらい年齢が違い、住んでいる地域も異なるにもかかわらず、過去に話をしてきた方々について、いろいろなところで重なる部分が多いのだ。差し障りのないところでは、たとえば、Photo_27 先日C社の編集者と雑談をしていて、研究会でH先生と会ったことがある、と知らされた。それでそれらの重なりをひとつひとつ話をしていくだけで、数時間かかってしまった。

Photo_28 その間に、越前の海の幸、山の幸を十分に堪能した。お酒は、冷酒でKやBやIを飲み進んだ。料理の最初に出てきたのは、酒の肴に最適な「ヘシコ」という鯖加工の刺身で、この塩っぽさが大根と一緒に食べると、清酒に合うのだった。このような、この土地でしか食べることの出来ないものは、旅行してきて良かったな、と思わせる。Photo_29 ほんの一切れで良いのだが、この一切れがふつう手に入らない。話の内容も、まったく同じだ。彼とは、いろいろなつながりがあるのだが、それを辿っても、ここで話したことの10分の1も得られないだろう。ここで話すから伝わってくるものがあるのだ。

Img_0569 最後に、「越前おろしそば」で、蕎麦の話題になった。福井の蕎麦の生産が、長野県の生産を抜いたらしい。それほどの蕎麦の産地なのだ。それで、最近は新興住宅地の近くの休耕地にまで、蕎麦が植えられるようになったらしい。H先生の自宅のそばにも、畑が進出してきたのだということである。花咲く時期になると、白い絨毯が広がるそうだ。それで、じつは知る人ぞ知る、蕎麦の効用?があって、自宅にずっといらっしゃる家族の人が、何となくこれはおかしい、ということになったそうである。わたしもはじめて聞いた。独特の香りを発散させるのだそうだ。

という落ちがついたところで、H先生には再会を約束して、夜の福井の街で右と左に分かれた。

2013/06/23

授業に集中する

Photo 朝食は1階の食堂で、そとの湖畔を見ながら取る。びわ湖湖畔には、いく筋かの道が平行して走っている。それで、どの筋を通るかで、ウォーキングの種類がわかる。

Photo_3 目立ちたい人は、一番水に近いところを走っている。これは多分、地元の人でなく、観光客でトレーナーの色も極めてごく彩色で、ほんとうに目立つ。夫婦連れや家族ずれが話しながら走っている。ほんとうのことをいえば、そのさらに、湖岸のところには釣りを楽しむ人びとが等間隔に位置している。けれども、魚の居そうなところを移動していくために、ちょっと見ない間に、彼らは居なくなる。

Photo_4 それから、湖岸を走るのではなく、その一筋入ったところの林の中を多くの人びとが走っている。この人びとは、部屋からは見えなかった。この1階の食堂から、ようやくわかった。けれども、湖岸を走れば、気持ちが良いものを、と考えるのは、びわ湖を知らない人びとだ。

Photo_5 じつは、日が昇ってしまうと、日陰のない湖岸はかなり暑い。帽子を被っても、これを避けることは難しい。だから、どうやら地元の人びとは日の出前の薄暗い中か、あるいは、この湖岸の林の中の道を走るのだ。長期的には、こちらが望ましいのだ。それに、地面の問題がある。湖岸は舗装されていて、走るにはちょっと固い。それに対して、林の中は土なので、この点でもお勧めらしい。

Photo_6 などと、朝からゆったりとコーヒーを飲んでから、JR膳所駅から、瀬田駅へ出る。今日は時間を合わせて来たので、授業のちょうど良い時間に着いた。駅で、学生の方と一緒になった。京都から、授業を受けにきていらっしゃったとのことだ。瀬田から草津に至る歴史に明るい方で、江戸時代の東海道と中山道をめぐるこの地域のことを話してくださった。草津には、本陣跡が残されているらしい。今度、時間を見つけて、もう一度来訪したいと思った。交通の要所には、かならず市場跡が存在するはずだ。

講義は、二日目を迎えた。夕べ寝る前にレポートを書く、という学生との約束を取り付けていた。中には、レポート用紙二枚びっしりとワープロできれいに仕上げてきた学生さんもいて、きわめて熱心な方の多いクラスであることがわかった。

Photo_7 この学習センターでは、毎回自分のサインを記すことになっている。出欠を取る、その取り方にも、学習センターごとの伝統を感ずる。近江商人の国だから、ある種の証文のような雰囲気をイメージしているのだろうか。これだけ、学生の方々の名前がずらっと並ぶと、中世の時代であれば、連判状というイメージかもしれない。

質問は極めて活発で、何人かの人びとが偏りなく、次から次へテーマが変わるごとにしてくる。マゴマゴしていると、全員の人をしゃべらせることが出来なくなるほどなので、発言のない人びとにも、こちらからしゃべる機会を作った。こちらのほうも、当てられると、自分の身近なことを例に示して、結構面白い議論が続いた。

途中の休憩で、滋賀県立大学のI先生と雑談をする機会があった。英語と宗教学を専門とする方で、コミュニケーション能力の高い先生だった。腰を痛めていたらしく、立って講義をするのが辛い、とおっしゃっていた。放送大学の講義は、二日間で11時間を超える連続講義なので、これに耐えうる身体能力を要求される。だから、ちょっと身体の調子が悪いところがあると、途中でかなりのダメージを感ずることになる。ましてや、腰を痛めると、ずっと立っていることは難しいだろう。考えてみれば、講義室で座って話すことはほとんどない。それは自然の成り行きで、しゃべる行為が立つこととセットになっているからだ。とりわけ、黒板・白板を使うことになれば、立ったり座ったりする方が煩わしいだろう。

さて、そろそろ終了の時間が迫ってきた。放送大学では、地域によって交通手段が限られているために、講義の最終時間をコントロールする必要がある。ここが通常の大学と異なっている。最後の時間を気にせずに、質問に十分応え、講義時間を超えて対応するのが大学だ、というのは基本にある。けれども、長距離から参加してきていたり、新幹線で通ってきたりする学生が居る中では、配慮は必要になってくる。

今回も、このバスを逃すと、あと数十分駅に出る手段がなく、京都・大阪から来ている学生には、ぴったりに終わる必要があった。けれども、まだまだ質問しきれない熱心な学生の方々も、8割方残っていたので、二回に分けて終了を宣言した。残った学生からはいつも恒例となった拍手を受け、今回も無事授業を終えることが出来たのだった。

Photo_9 センター所長のN先生は、S大の学長を勤められた、経済学上でも大先輩に当たる方だが、これまで話す機会がなく、失礼してきた。今回は、S大経済学部のお話をたっぷりお聞きした。この学部の特色は、土地柄から「近江商人」研究で名をあげてきたということである。わたしたちが常識的に知っている近江商人の特徴が、S大の研究のなかで形作られてきたことを知った。たとえば、「三方よし」という、有名な社会的貢献を表す言葉も、文献に載っているというよりは、造語であったらしい、など教えていただいた。いつもながら、旅に出ると、学ぶことがたいへん多い。

Photo_10 まだ、1日を終えるには、時間がすこしあったので、夜の琵琶湖を眺めながら、コーヒーを一杯。それから、わずかしか出来なかったが、通信問題の添削を済ませて就寝する。

0622_7 通信制大学の身体的厳しさを実感しながら、もちろん楽しみがない訳ではないことを確認しつつ、今日はほんとうに肉体的に耐えた1日だった。

2013/06/22

滋賀学習センターへ来ている

0622_2 滋賀学習センターへ来ている。朝、宿舎の窓から、日の出を見た。目の前に湖が広がり、その奥のほうから、茜色の雲が動いてくる。昨日の嵐のような雨が上がって、今日は天気が持ち直すのかもしれない。この劇場のような湖面の輝きと雲の色の変化に見とれて、朝食の時間を忘れるほどだった。

0622_3 びわ湖の東側にあるJR瀬田駅で降りて、学生たちでいっぱいのバスに乗り、ずっと東に連なる山のほうへ入っていく。この辺の丘陵には、古代から戦国時代に至るまで、歴史の教科書に登場してきた地域がある。

0622_4 甲賀や伊賀に通ずる、映画「忍びの者」をよく見てきた世代にとっては、神話的な地域である。また、信楽に通ずる方から見れば、焼き物の世界がこの奥にあるんだな、ということも気になってくるところだ。あとで、クラスに出ていた物知りの学生さんに聞くと、東海道と中山道の交差点だということだ。

0622_5 高速道路を垂直に超えて、さらに山の中へ分け入ったところにR大学があり、レンガタイルの重厚な低層の校舎群が調和を見せながら、並んでいる。正門から右手の一番奥に、放送大学の滋賀学習センターが一階部分を占めている。講義室もエントランスもゆったりしている。大学の中の恵まれた環境にある。

0622_6 今日も早く着いてしまったので、R大の図書館を左にみて、大学の中核部の一号館に入り、その後ろにある礼拝堂を経て、学生会館あたりを散策する。すると、ちょうど9時になり、音楽が流れてきた。それが賛美歌に聞こえてしまい、礼拝堂の前にいたこともあって、ちょっとドアを押して、開けてみようとしたのだが、やはり開かなかった。R大は西本願寺の系列の大学であることを改めて確認した。仏教音楽の声明でも、流れてくれば、合っていたかもしれない。

0622_7 学生食堂もまだ開いておらず、土曜日ということもあって、学生たちもちらほらとしか、見ない。仕方がないので、学習センターへ向かう。

0622_8 台風4号が通り過ぎるというので、また「雨男」の称号にはくが付くと言うことで、講義の出だしを行おうと考えていたのだが、すっかり目論みが外れてしまった。午前中曇っていた空も、なんとか暗いながらも、授業中の最後までもってしまったのだ。

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今回のクラスは、「多元的」という形容詞が適当な、あらゆる層から質問が飛んでくるクラスだった。通常のクラスでは、質問の内容までは統制できないにしても、おおよそ講義の進行のとおりに行くのだが、今回のクラスでは講義の進行より早くに質問が出て、進行の動きがとてもスムーズで、自然に進んで行くので、たいへんやりやすかった。

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講義は予定通り終わり、疲れている学生さんたちには酷だったかもしれないが、いつものように明日までの宿題をたっぷりだした。瀬田駅から膳所駅に出て、途中シネコンの前を通ったので、映画の番組表を見たのだが、残念ながら見たい映画はなかった。それで、恒例の出張中の映画は今回果たせなかった。

0622_2

夕飯は、琵琶湖畔の「なぎさカフェ」まで行って取った。4軒並んでいる中の向かって一番右にある、オーガニック料理の店「N」に入った。湖畔の夕暮れで、空が黄昏れていく中で、1日の終わりを感じながらの食事となった。

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このカフェ群の取り柄のひとつが、前の湖岸をとおる散歩客の道から、芝生の空間で距離を取っていることである。湖岸からは離れるが、手前の空間と湖の空間が相乗効果をもたらし、贅沢なゆとりを感じさせている。ここを設計した人は、この大胆な空間の使い方にかなり苦労したはずだ。

0622_4

たそがれるには、みんな一人か、あるいはカップルで来るのかと思うと、どうやら一人客はわたし一人で、カップルも表にはあまり出ないらしい。多くは友人同士が多かった。1日の反省を終え、びわ湖ホールの隣りにある湖畔の宿へ戻って、明日に備えた。

2013/06/20

同月の27日、28日、29日生まれ

今日、初対面の方ふたりとお会いした。それで、わたしはたいへん驚いたのだが、ひとりの方は或る月の27日生まれであり、もうひとりの方が同じ月の29日生まれであった。こんなことなら、誰も驚かない。二日違いの生まれの人など、自分の生まれた日と同じ日に生まれた人の2倍いるのだから。

ところがである。じつは、わたしがその同じ月の28日生まれなのだ。つまり、同月の27日、28日、29日生まれが、一緒になったのだ。これは、驚かないわけには、行かないだろう。

と思ったのであるが、どうも他の同席していた方々の反応は鈍い。それは、わたしが特別の位置にいるから、驚いているのであって、わたし以外の人には、どうと言うことはないのだ。

また、他の人は、それはそれは、ところで、それでどうしたのですか、と来た。たしかに面白いけれども、単に並んでもそれは何も意味がない、というのだ。そこに数学者がいて、いかにもつまらなそうに言うのだった。ちょっと食い下がって、ストレートフラッシュの確率はどうなんですか、と言ってもまったく取り合ってくれなかった。もっとも、だからどうということはないのであるが。

けれども、考えてみると、なぜ3人の誕生日が並んだのか、については、まったく理由がないことはないだろう、という人もいない訳ではなかった。わたしはロマン派なので、今日このときに、運命が導いたのだ、と言ってみたが、わたしがロマン派ということ自体が疑われてしまったから、何をか言わんやである。

相性の問題ではないか、という人もいたが、それじゃこれまではなぜ会わなかったのか、と反論されてしまえば、何も言うことがない。

それで、結局のところ、妻の言葉が決定的だった。なぜこの時期に集中したのかといえば、この時期に生まれた人が多かったからに違いないだろう。一年のうち、生まれが集中する期間がいくつかあって、わたしたちはその期間に生まれたから、偶然出会う確率が高いのだ、というのだ。なぜ生まれが集中するのだ、と問いつめると、そこまでわたしに言わせるの、と言われてしまった。誰でもわかることなのだ。妻の現実的な考えに、圧倒されてしまったのは、事実である。

この話には、もう一つの落ちがつくのだ。じつは家に帰って、妻が読んでいた小説家Oの生まれた日を検索すると、これがわたしたち三人と同月で、なおかつ、その28日生まれだった。つまり、わたしと誕生日が同じだったのだ。今日一日に、このようなことが重なることも何かおかしい。不思議な縁と言ってはいけないのだろうか。妻が言うように、ほんとうに必然なのだろうか。

2013/06/13

神楽坂で会う

0613_2 娘と会うことを見せびらかすつもりはないが、会うことを口実にして、神楽坂に出ることを見せびらかすのは、大いにあり得ることだ。ところが、邪心が見透かされたように、梅雨が戻ってきてしまった。霧雨に濡れる坂道を見やりながら、待つ。地下鉄の出口には、会社から出てきたような、待ち合わせの人びとが視線を逸らしながら、集まっている。傘を片手に持っているので、つい注意を怠って、店の前ではどうしても隣りの人を突いてしまう、というのが都会の良いところだ。会社を出て、ちょっと歩いたところに、美味しい店が集積していることが、その街が栄えている指標となる。

0613_3 歩ける距離にあるのだから、当然坂道を降りてくると踏んでいた。それで、坂道を下ってくる人や、登っていく人を眺めていて、しばし想像力を発展させた。たとえば、虚ろな目をして、おそらく友人を待っていると思われる人が、電柱の向こう側にいた。軽装だから、きっと近くの会社から出てきたのだと思われる。友人が現れると、すぐに方向を定めていたから、これから話す内容も、これから行く店も、きっと決まっていたのだろう。

0613_5 うしろから、お待たせ、と声がして、雨が降っていたから、地下鉄を利用したとのことだ。さっそく、約束していた甘味処の「K」へ入る。ちょっと前まで、満員で待つ人もいた。けれども、微笑ましかったのは、甘味処であるにもかかわらず、男性ひとりで出てくる人が結構いて、そうなのか、とも思っていたのだ。そのひとりが初老の男性で、上品な方だった。歩きはじめて、店員が追ってきた。傘を忘れて出たらしい。わたしもそうなるのは、もうちょっとだ。

0613_9 高知へ行ってきた土産で、白あん風味の小夏羊羹、猫の手ぬぐい、陶器のキャップのついたコルク栓、しゃれた文芸誌などなどのガジェットを渡し、かわりに、父の日のプレゼントを手に入れる。高級感のあるコーヒー豆と、かねてより、民芸店「B」へ注文を出しておいた、しのぎの白磁ポットだ。ちょっとエビで鯛的な感じがしないでもないが、孝行娘が言うには、父の日だから奮発したのだそうだ。

 

0613_11 ランチを食べ始めてから、ここが甘味処であることを計算に入れるのをすっかり忘れていたことに気がついた。ご飯ものを二人でシェアして、甘味をそれぞれ頼むべきだったのだが、逆にご飯ものをそれぞれ頼んでしまったのだ。ちょっとしたことだが、甘味を楽しみたいと思っているものにとっては、重大問題なのだ。

ということで、鳥釜飯を釜一杯食べてしまった。焦げ目がすこしついていて、控えめな醤油味がよくしみ込んでいる。おしゃべりしているうちに、すこし余裕も出来てきたので、写真のあんみつ白玉を取ることにする。辛口と甘口の両党使いの家系に生まれついたことを、先祖に感謝しつつ、蜜をたっぷりと白玉にかけていただいた。甘みを抑えた餡子が、蜜と混じる頃には、多彩な味となって、舌を驚かせる。大げさなようだが、甘味のために生きてきたような気がするから不思議なのだ。そして、欲望はつねに際限のないもので、隣りに座っている人が、この店の名物「抹茶ババロア」を頬張っているのをみて、次はかならず、これを取ろうと思うのだった。

お腹が満たされたので、眠くなる前に、W大へ向かう。地下鉄口を登る頃から、学生たちの傘で前が見えなくなる。大学から帰る学生と、これから大学へ行く学生がちょうど門のところでつかえてしまっていて、通勤列車並みの混雑だ。この混雑の集積にW大のひとつの魅力ではあるのだが、この行列は何とかならないものだろうか。

今日の演習では、「教員」という職業についてのインタヴューを取り上げたのだった。毎回、それぞれのグループの工夫がダイレクトに現れて興味深いのだが、この点では学生よりもわたしの方が楽しんでいるのかもしれない。今日、素晴らしい発表があった。学生の側にはあまり訴えていなかったようだが、わたしの側ではたいへん面白かった。

教員という職業の本質を挙げてもらっている時に、なぜ教えたこともない学生がこのような発想ができるのか、と思うほどのものだった。教員だから、教える側の論理が優先されていくことを他のグループは突いていた。たとえば、「教育訓練が第一原則」,「教えることにベストを尽くす」ことなどなど、である。

ところが、一つのグループが、インタヴューの中では地味に取り上げられていた「子どもらしさ」を挙げてきた。これはあまり期待していなかった。ちょっと斜めから突かれた感じだった。「子どもらしさ」は子どもの側の論理であって、教員側の論理ではないと、カマをかけたら、なるほどという論理を用意していた。つまりは、多様性・複数性ということだが、相手の論理が自分の論理になり得ることを、なぜかこのグループはわかっていたらしい。職業というものは相手があってはじめて成立する、という当たり前のことを伝えることができたのは、今日の収穫だった。

帰りに期限が来ていた本を、4冊T図書館へ返した。かばんが急に軽くなったのを感じたので、寄り道をしようと企てたが、旅の疲れが、今頃になって出てきたらしいので、そのまま目をつぶり、電車に揺られて帰ることにする。

2013/06/10

高知市内の喫茶店を回る

0610_4 泊まっていたホテルの冷蔵庫にロックがかかってしまって、どうしてもドアが開かない。係のひとを呼んで見てもらったが、業者を呼ばなければわからないというので、到底チェックアウトの時間に間に合わない。急ぐ旅ではなかったので、十分つき合っても良いとは思ったのだが、どうやらこのホテルウーマンは新任らしくて、粘ったとしても得るところはないと早々に諦めて、チェックアウトすることにする。新酒の一瓶が無駄になってしまったが、これも旅というものの宿命の一つで、諦めるべきものは早く諦めるのだ。

0610_5 街中で看板を見ていると「謄写堂」という文字がある。昔懐かしい謄写版の頃からのガリ版の印刷時代を思わせる。とくに、わたしの泊まったホテルの周りに多いらしい。「N謄写堂」というところが、同人誌専門の印刷屋さんだということで、今度計画している論文集になにか良い題材がないかと、寄ってみることにする。多角経営の印刷屋さんらしく、龍馬アニメのついたグッズが当たっていて、ひっきりなしに若い男女が来ては、写真に収めていく。アイディアが勝負だ。

0610_6 南に下って、かがみ川へ出る。城下町にふさわしい大きな流れだ。土佐の山内家にあまり興味はなかったが、高知県にはこれ以降、江戸期から幕末、明治と、アイディアマンが量産されるには、それなりの土壌というのか、蓄積があったのではないか、と思い、山内家宝物殿や、下屋敷の長屋などを見て回ることにする。

0610_7 ちょうど、宝物殿では、明治期の山内家が旅行して集めた「絵はがき」コレクション展を行っていて、高知大学の朝倉地区が写っている陸軍四十四連隊の絵はがきや、明治期の全国の共進会などの絵はがきを興味深く拝見した。想像するに、高知には辺境意識というものがあまり感じられないが、それは逆説がなせる技であり、それがいつもバネになっていて、日本全国や世界中からの情報にとてつもない渇望と、それにもましての想像力を発揮してきたのではないかと考えたのだった。江戸時代の山内家の収拾した文書にも、多数の興味深いものが含まれていて、展示物のなかに、浅間山噴火や各地の災害の文書が含まれていた。当時の統治者たちの情報収集の様子を十分想像できるものであった。

0610_8 板垣退助が「自由は土佐の山間より出づ」と普遍性を求めてリベラリズムの姿勢を取ったのは、もちろん理解できる。けれども、お節介だと思われようが、高知県の今から考えると、彼以外の人びとがもっと進んで、「自由は土佐の山間にあり」と、固有性を追究したコミュニタリアンの姿勢を取っておくことも可能だったのではなかろうか。

0610_9 山内家下屋敷にあった「長屋」は興味深いもので、士の長屋は普通の長屋ではない。やはり行って良かったと思うのだった。それにしても、長屋という形式は、住むにはかなり不自由だったに違いないのだが、なぜこの形式が発達したのかといえば、やはり至る所に見られる、住人たちの集団効果を狙ったものだったにちがいないことがわかる。トイレや風呂など水回りをまとめることで、衛生面を一括して管理できることはすぐわかることだ。0610_10 現在のように、水洗や下水がない時代には、この集団効果はたいへん便利なものだったにちがいない。でも、これらの集団効果が必要なくなると同時に、そして住居の個人化が進むにつれて、0610_12 この不便さが災いして、長屋形式は廃れていったと思われる。

二カ所の観光を行っただけで、足がすでにだるくなってしまった。門を出て、仰ぎ見ると、高知城が8階建てのビルを超えて、その上遥かに伸びていたので、お城見学は、この段階で早々に諦めてしまった。ランチを食べようと有名な家庭料理の古民家レストラン「K」へ向かう。まだ始まるまで、もうすこし時間があった。

0610_21 それで、昨日勝手に入らせて、深呼吸させてもらった、近くのカトリック教会に再び入らせていただき、ベンチで論文一つ読ませてもらう。それで、0610_28 ちょうどオルガンの練習がはじまり、静かなパイプオルガンの曲が流れてきた。街にこのようなところが一つあるか否かで、人びとの暮らし方がかなり異なるであろうことを想像した。

0610_13K」のランチは、枝豆のご飯にみそ汁、白身魚のあんかけ、それにタケノコや青い野菜、さらに香の物が付き、年寄りのわたしには、ちょうど良い分量だった。早めに入ったので、0610_14 すぐ席が取れたが、次から次に客が来て、広い日本間がすぐにいっぱいになってしまった。最後に、デザートと東チモールのコーヒーを飲んで、ゆったりと昼飯を終わらせることができた。

0610_15 そのあと、足を休めるつもりで、ジャズ喫茶を目指したが、こんな早くから開いているわけがないので、I先生に聞いていた、街角の喫茶店「L」へ入って、ブレンドを注文する。0610_23 街の常連客主体の喫茶店の良さを持った店で、狭いながらも気の置けないたまり場という雰囲気がある、喫茶店で、もし将来毎日が暇になったならば、このような喫茶店に、新聞を小脇に抱えて、メモ帳をもって、朝から午前中くらいは浸っていたいところだ。このような喫茶店が、まだまだ存在するところが高知の良いところだと思われる。

0610_17 観光見学を早くに諦めたことで、喫茶店を転々とすることになるが、行きたいと思う喫茶店がたくさんあるので、迷うことはない。まず、校正の続きを行わなければならないので、まとまって座る時間と場所が欲しかった。夕べ最後の閉店まで居た「M」の窓際の落ち着いた席を占める。上から、白熱灯が降りてきていて、照明灯としては、申し分ないし、昨日のモカロールも美味しかったのだ。0610_24 メニューで迷っていたら、案内に来た店の人が、昨日の人だった。最初に頼んで品切れだったものにしますか、と言われ、そこまで覚えてもらえると、そうせざるをえないだろう。チーズケーキとコーヒーを頼む。

0610_19 予定通り、3時間かけて、1章分に赤を入れた。読んでいくと、ずいぶん冗長で、かなり削らなければならないし、逆に足りないところが見つかって、一応の作業は終えたのだが、帰りの飛行機のなかで、ちょっと考えなければならないことも見つかってしまったのだった。

0610_20 目まいがするほどに集中していたので、外に出ると、映画館を出たときのようなふらふらする感覚があった。この喫茶店の名前が「メフィストフェレス」ということだが、やはりゲーテに関係していたらしい。もう一軒の喫茶店へ移動する道の途中に、「ファウスト」という店があって、同じ会社が異なる喫茶店を展開している。0610_25 もし行こうと思っていた喫茶店がなければ、入りたいとも思ったが、時間がないので、もう一軒のジャズ喫茶「M」へ行く。中央公園のすぐそばで、老舗らしい古さを醸し出していた。0609_19 ジャズ喫茶に通うきっかけを作ってくれた歌舞伎町のジャズ喫茶と同じ名前だったので、たいへん懐かしかったのだ。エリック・リードのピアノトリオがかかっていて、これはモンクの曲だけなんですよ、0610_26 と女主人が解説してくれた。しばし目をつぶって、休憩した。

2013/06/09

路面電車で通勤

0609 朝の6時から、日曜市が追手筋であるというので、出かける。この大量な野菜や果物群をみて、ここが豊かでないという人はいないだろう。0609_2 高知県は日本の県別にみて、一人当たり所得が、現在最低水準にあるのだが、この豊かな日曜市をみて、だれがそれを信じるだろうか。この時期の大根の多さ、梅の大量さ、小夏の彩りなどなど。0609_4 途中、雨が降ってきたので、早々に引き上げたのは残念だった。高知大学行きの路面電車では、学生の方と一緒になった。

さて、0609_5 高知学習センターの面接授業が、夕方には終わった。学生全員の方々が発言し、しかもレポートを二回仕上げ、なおかつ、質問が数十回行われたという、かなりハードな内容の面接授業だったと思う。自己満足のように聞こえてしまうかもしれないが、しかしながら、みなさん熱心にこちらの問いかけにも答えてくださり、思っていたそれ以上の、成果の得られた授業だった。

0609_6 このように書いてしまうと、ハードさだけを強調しているようにみえてしまうが、そうではなく、今回は学生の方々からいろいろな面白い疑問符の言葉が発せられて、0609_17 それはよろよろだったけれども、かなりのところまで深く議論できたと思う。お世辞だろうけれど、明日の仕事の打ち合わせのヒントが見つかった、と言ってくれた学生がいたりして、何んとか筋道をつけることができて良かった。

0609_7 毎回、なにかしらのこのような計算できないフィードバックがあるから、面接授業は止められない。この性質は、それぞれの地方の固有性にも関係しているのではないかと思えるほど、それぞれの地域ごとに反応が違うから、これがたいへん不思議なところである。自然科学のように、真理のみ?を取り扱うのではないから、このような違いが社会科学では許されるのだと思われる。

0609_8 Aさんの言うことと、Bさんの言うことが違っていても、それぞれが真理であるのが、社会科学の特徴だ。あるいは違っている方が授業としては、議論が成り立つので、かえって行いやすいとも言えるかもしれない。0609_9 今日の授業の中でも、ひとりの学生のかたが、外国人労働者へ介護サービスを開放すべきだ、という意見をいったところ、さっそくおそらく看護師を職業としていると思われる方からの反論が帰ってきた。このような議論が実体験の素地の上で、成立してしまうのが、放送大学の面白いところであり、かつ、恐るべきところでもある。

0609_10 たっぷりと、今回は学生の方々の考えを聞く時間を取った。それで、最後は時間がやはり足りなくなってきてしまったのだった。授業の結論を述べると、ちょうど時間となってしまった。いつものように、丁寧なお礼の言葉が発せられ、拍手とともに、めでたく面接授業を終えたのだった。帰りの飛行機の中で、書かれたレポートを読むことを約束した。

0609_11 帰りも、「とでん」の路面電車に揺られて、オマチへ出たのだった。この言い回しは高知大学の学生の言い方なのだそうだ。学習センターがある、この高知大学のあるところは、日本軍の練兵場跡で、正門のそばに植えられている栴檀の木がそれを継承しているらしい。朝、学生の方と電車が一緒になり、教えられたことである。この枝振りの素晴らしいこと、この上ないのだ。横にずっとのびる様は、講義でずっと言ってきた、横型組織の様子を伝えているようで、まだ面接授業での興奮が覚めないでいることを知った。

0609_12 路面電車では、すこし早いとは思ったが、夕飯の場所を散策して歩いた。その折、高知学習センターの事務長さんから教わった、自家焙煎の店「B」に伺って、浅入りのキリマンジェロを注文する。仕事の後のコーヒーは、格別の味がするのだ。また、写真に写っているカップが素敵で、聞くと、やはり砥部焼きなのだそうだ。

0609_14 食事は、結局のところ、味で選ばず、ゆったりと長居出来るところを選んだ。前から気になっていた、「M」で食事をし、そのあと、ケーキセット食べることになった。0609_15 モカロールが美味しかった。この店名は、ゲーテから取ったものであろう。店の壁にも、庭にも、店内の至るところに、0609_16 その形跡を見つけることができた。最後の閉店まで、粘ってしまったのだった。

2013/06/08

日本社会のひとつの歴史的転換点

608_2 雨のない梅雨だ。高知の路面電車に乗って、気持ちの良い晴れの中、コトコトと通勤だ。今日から2日間、10時間以上に及ぶ高知学習センターでの面接授業だ。朝倉地区にある高知大学の図書館の棟に、学習センターが入っている。30分もまえに早くついてしまった。高知大学の構内に入ると、ワシントン椰子がにゅっと高く育っていた。メインストリートを奥まで行って、木陰で涼むことにする。そよ風が吹いてきて、梅雨はどこへやら、という雰囲気だ。ゆっくり歩いて戻ってくると、門の方から、センター所長I先生が出てきて、案内のために出迎えてくださった。

0608 今日の講義は、「経済社会の二つの転換」というテーマだった。一般には、たびたびニュースで報道されていることだが、この数年の間に、日本社会の重要な転換点が存在したのだ。それは、いくつかの側面を持っていて、一つの言葉では表すことが出来ないかもしれないが、たとえば、ひとつ取り上げるとすれば、日本人の人口総数が一つのピークをむかえたことだけは確かなようである。

0608_3 これを契機にして、日本が先進諸国のなかで、最高の高齢者比率を誇る国に躍り出て、これまでは米国型やヨーロッパ型に追随していけば、政策は簡単に先導することが出来たのが、それができなくなり、はじめてモデルの存在しない領域に足を踏み入れることになったことをはじめて知ることになった。

0608_7 近年の1億3千万人の総数をピークとして、将来予測に従えば、今後数十年に渡って、日本の人口が減少へ転ずるということが知られている。これは、日本の歴史のなかでは、はじめての事態であって、有史以来、と言えば、ほんとうなのかとつっこ込まれることになって、統計が取られて始めて以来、と修正せざるを得ないのであるが、たしかに、近年の歴史の中では、はじめてのことである。

0608_8 これに対する、学生の方々のコメントが、それぞれ現代社会の特色をついていて、さすが経験を持った社会人大学である。と放送大学の実力をあらためて、知ることになったのである。宿題をたっぷりとプレゼントして、教室での講義はお開きとなった。また、明日が楽しみである。

0608_9 授業が終わってから、センター所長I先生が街へ繰り出そうということになった。有名な「ひろめ市場」に最初行ったのだが、すでに満員で、土曜日にここの席を取るのは難しい。わらで焼く鰹のたたきの実演などがあって、見るだけでも楽しい市場だ。そのあと、お休みにも係らず、事務長さんも参加していただき、中央公園の向かいにある、地元の人びとがわいわいと集まる居酒屋「H」へ行く。Tというお酒がすっきりして、美味しかったし、さらに、鰹のたたきをはじめて、魚たちの目白押しだ。

0608_10 高知学習センター所長のI先生は、芸大出身の洒脱な芸術家である。わたしの教養のないことをおびただしいのだが、鍛金と聞いて、最初は工学部の何かかと思ってしまっていたのだが、鍛金という芸術だった。鍛金のお話を伺うのは、はじめてであった。「シボル」という言葉使いが新鮮で、印象的だった。「たたいて伸ばす」のに、なぜ「シボル」なのかという、ここが本質的なところなのだ。

0608_11 それで、学生時代を思い出したのだ。当時Sさんという芸大の大学院出身の方がいて、上野の校内へ連れて行ってもらったことがある。大学の各科の工房を回った。芸大特有の工房には、独特の雰囲気の場所があった。フレスコ画のところが印象的で、なぜ漆喰の上に描かねばならないのか、というところがあって、特有の表現ということ自体が興味深かった。それでなくてはならない、というところがあって、この本質的なところが好ましいのだ、と当時は思ったものだ。

0608_12 I先生の話の中で、個展の開き方の話が大変面白かった。どこが面白いのかと言えば、「芸術家」と「ゲイジュツカ」の違いなどはどうだろうか。酒を相当飲んでいたので、うろ覚えで申し訳ないのであるが、もちろん、この二者は有名か否かというところにあるのではない。おそらく、個展までのプロセスで、何がそこで起こるのかが重要なのだ、という話をなさっていたのだと思う。Tは芸術家の要素を持っているかもしれないが、Sはゲイジュツカなのだそうだ、という対比は面白かった。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。