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2013/05/06

逗子まわりの感性回復小旅行

Img_7947 逗子回りの鎌倉行き、というパターンが散歩コースとして成立しつつある。今日は初夏を思わせる快晴の一日となった。

連休になって、大学の義務的な仕事と、それから同じ大学の仕事でも、個人受け持ちの仕事とがあって、両方が一度に押し寄せた。このような周期が、一年のうちで何回かあるのだ。今がその季節だ。Img_7918 それで、同じような状況にある、先生方に訊いたら、「連休は休みなしだ」と普通の顔でおっしゃるのだった。これが教員という仕事の、そして裁量労働制の辛いところだと思われる。「自由」とは、自分で自分を拘束することなのだ。

Img_7927 それで、諦めて仕事に入るのだが、前者の大学の仕事を優先し、それを終えてほかの先生へ送ると、またそれにレスポンスがあり、泥沼とは言わないまでも、キツネがガチッと罠にかかってしまったかのような状態に陥ってしまうのだ。また、同様に後者の個人の仕事に入っても、目の前にはいくつもの迷路の入り口がポカッと口を開けていて、そこに獲物がかかるのを待っているのだ。

Img_7930 結局のところは、肩こりと頭痛が理由を作るためには「頼り」になってくるのだ。そこから抜け出すには、誰かの顔を思い浮かべながら、タイムスリップでも起こす覚悟で、病気を理由にして、エイっと逸脱するのを楽しむ他はないのだ。そのころになると、気分は苦しみではなく、楽しみに向かっていることが多いのだ。

Img_7933 娘が2泊3日で戻ってきて、鎌倉へ誘ってくれた。ほんとうは中華街へ久しぶりに繰り出そうという計画もあったのだが、駄目になってしまった。でも、やはり仕事場から出て、青空のもとでグッと背伸びをするに比較する、贅沢はないのだと思う。逗子の青空、想像だけでも解放された気分だ。

Img_7961_2 京急電車1本で逗子に入り、すでに正午を回りかけたこともあって、逗子の商店街をちょっと入ったところにある、イタリアン料理店でランチを食べる。薪窯で焼いたピザ、表面は石窯風にパリパリしていて、中はモチモチのマルゲリータ。パリ、モチの食感だけでなく、チーズとのバランスも抜群である。それに、小魚のフリットを味付けにしたトマトソースのパスタ。魚の香りが、口に入れたとたんに、鼻に抜けていく。生臭さがフリットで抑えられ、しかし海の幸を香りで運んでくる。写真のように、見た目は普通のイタリア料理だが、隠れているところが格段に違う。このひと味、というところで、二度目も来るかどうかが決まってしまうから、恐ろしい。

Img_7964 さて、早稲田のO先生は、定食シリーズを未だに追究していて、この粘り強さには感心する。消え行くものを嗅覚で嗅ぎ分けるという、この感性の使い方は、社会学者には必須のものかもしれない。全体の構成の中で、消えるものが出たときに、あとから追うことは決してできないのだ。まだ、健在なときに記憶に残しておいて、あとでそれが社会的にどのような意味を持っていて、それがどのように失われたのかをきちんと報告しなければならない、社会的使命を持っているのだと思われる。

Img_7980_2 このような計画的な姿勢に比べれば、わたしの行き当たりばったりのグルメ志向には、困ったところがあるのも事実だ。イタリアンのこんなに美味しいところは、決してすぐに消えることがないだろうし、皆が美味しいと感じるのだから、改めて学問的にしゃしゃり出なくても、誰もがわかっていて、取り上げて言うのもはばかれるものと思われる。それでも、あえて出かけるのは、共通に感じることということ自体を、認識しておきたいからだと思っている。もちろん、このような共通感覚は移ろいやすく、短期間に失われてしまうものかもしれない。それは、それでO先生の趣向に近づくことになるから、また面白いだろう。

Img_8054 腹ごしらえが終わったところで、逗子駅に出る。暇と思われるかもしれないが、駅で通り過ぎる人びとをぼんやりと見ていた。逗子風の服装に興味を持った。たしかに、観光行楽客とはちょっと違っている。もちろん、どんな観光地でも、地元対観光客の対立があり、それを見るのは比較的容易い。けれども、見るところ、ここには第三の服装とでも呼べる、逗子風の雰囲気が感じられるのだ。

Img_7999 まず、すぐわかるのは、観光客のよそもので、リュックや鞄を携帯しているか、団体・カップルになって歩いている。若い人であれば、いつもよりちょっと短めのスカートをはき、サングラスにスニーカー、そして中年になるほどに、男女ともにジーンズをはいている。こうなると、デイパックが欠かせないし、カメラを持っている。自分のことを棚にあげていうのも、何だけれども、もっとさっさと歩いてほしいと思えるほど、歩調が遅いのが特徴だ。

Img_8036 地元の人もすぐにわかる。観光客とベクトルが逆を向いている。服装も、日常的な普段着で、周りをきょろきょろ見ずに、斜め下を向きながら、さっさと通り過ぎていく。ときどき、連休中にもかかわらず、背広を着たサラリーマン風のひとが通り過ぎていく。クローイ鞄持参だからこれも明瞭だ。海が近いから、海岸の住民は、日に焼けた黒い顔と健康そうな肉体を誇示しながら、アロハシャツ的な、少し崩れた服装が似合っている。地元の人も、どこにもいるような地元の人なのだ。

Img_8068_2 それでも、失礼ながら、こんなにじろじろと見る価値があるのは、やはり第三の服装群が目立つだからだ。これはかなりの偏見が宿っていて、その昔、田園調布に住んでいた友人がいつも、「田園調布に住んでも、うちは金持ちじゃないから」と誇らしげに言っていたのを思い出した。

Img_8019 たとえば、70歳くらいに見えるのだが、ハンチング帽をかぶり、上品な顔立ち、そして長めのコートをこの暑いのに羽織っていて、憂鬱そうな顔を伏せながら階段を上っていく。さて、この人は観光客か、地元の人なのか、たぶんどちらでもないとわたしは思ったのだ。それじゃ、これはどうか。年取った家族連れで、二三日くらい用の素敵なボストンバックを抱えている。けれども、東京方面からの電車から降りてきて、バス停へいそいそと進んでいく。店屋には、目もくれない。それは、休日であることがわかっているかららしいのだ。これらの第三の集団は、多くは年配というより、老人たちであるといったほうが近いかもしれない。もっとも、よくはわからない人びともここに属しており、穿っているかもしれないが、海辺の別荘や大邸宅から出てきたお嬢さんや、かつての愛人さんたちが、と最近は言わないのかもしれないが、ゆったりと東京へ出て行くのも見ることができるのだ。などと、散歩を楽しんだのは、ほんの一部で、きょうはじつに、三つの美術館をハシゴしたのだ。体力としては、たいへん疲れた連休最後の日となったのだ。

Img_7969_2 最初は、鏑木清方美術館。「美人画の巨匠へ」と通俗的な題名が着いている割には、数枚の見るべき画が展示されていて、ポスターになって、写真に写っている「朝涼」などは、ほんとうに見とれてしまった。清方は13歳から描き始めている。19歳のときの絵も、なんとも人生の大方を知ってしまったような筆致なのだ。盲目の三味線弾きが、子どもの手に引かれて、深川木場辺りを歩んでいく。その後、どのような人生を送ったのか、と想像したくなってしまいそうな、物語性豊かな絵なのだ。Img_7971 物語性といえば、いつもの清方が清楚な美人だけが印象に残っているために、挿画作家としてのイメージが無かったが、今回の展覧会での「にごりえ」シリーズなどは、多面的な顔を見せていて興味深かった。それから、曲亭馬琴と口述筆記の女性を描いた絵は、物語性ということを通り越して、もっと本質的なことが描かれていて、このような場面はそうあるものじゃない、と見入ってしまったのだった。

さらに、人混みをかき分けるようにして、小町通りを北上して、県立近代美術館鎌倉館の「片岡球子展」に入る。片岡は、わたしが今住んでいる弘明寺にある大岡小学校に約30年間、美術の先生として勤めていて、この学校には現在でも彼女の壁画が残されていて、その意味でも親しさを感ずる画家だ。

Img_8025_2 この県立近代美術館の古い建物は、いつきても、石とコンクリートがじつに質素な感じに組まれていて、建物としても好きなところなのだ。もちろん、展覧会も素晴らしかった。最初の「カンナ」は、赤い色使いの名手たる片岡の代名詞的な画だと思う。そして、今回一番多く展示されていたのは、「面構え」シリーズだった。誰もがどこかで見たことがあるような、歴史上の人物を戯画風に描いていて、笑ってしまうほどの作品群だ。これらも典型的でよいのだが、じつは今回のメインである「デッサンから絵画にいたるプロセス」が展示となっているところが、じつは本当に面白かった。

Img_8026 たとえば、デッサンにはフェルトペンが使われていて、その段階ですでに、極太の線が書き入れられていて、感情がほとばしっているのだが、そのデッサンの大部分は、本画では捨てられているのだ。ダイナミックさが見所であると思われているのだが、実際にはそうとは言えないかもしれないのだ。デッサンから始まって、実際に描かれる段階では、それが抑制されている。それがよく出ているのが、56歳のときに描かれた「幻想」で、デッサンでは舞台での役者の「動」を書き込んでいるのだが、実際に書き込まれたものは、「動」と言うよりは、もっと「動」の元となるものであった。役者の「長い演技」みたいなことを見なければならない、と説明文には記されていたように記憶している。この「長い」ということは、いったい何なのだろうか。

Img_8005_2 海を描いた絵が二枚あった。片岡球子が描こうと思って、最初海に対峙したときに、恐怖を感じたらしい。けれども、数日間通っているうちに、恐怖感がなくなり、海が見えてくるようになった、と解説に書かれていた。「長い」こととは、このようなことなのではないかとも思った。

Img_8023 なぜか、展覧会とは直接関係ない彫刻が何点か、一階のロビーに掲げられていた。建物の一部として、見せてくれたのか、それとも、何か特別な意味があったのかは今となっては、聞く訳にもいかないが、その中で、ケネス・アーミテージの「訪問者たち」にとくに心が引かれた。人間らしいものが三つ繋がって、ブロンズ像として成立している。このような人間の結びつきもあったのか、と二三回振り返って、確認してしまったほどだった。

Img_8047 盛りだくさんだとは思ったが、さらに北上を続け、鎌倉館の別館へも行く。昨年度新収蔵の作品を55点展示していた。ここでも、ひとつひとつ忘れがたいものに出会ったし、さすがに誰々のものだと感じたものもあり、今後の特集される展覧会にそれぞれでてくることだろうことを期待させるものばかりだった。帰り道、紅茶とケーキの店があったので、足のつかれと、喉の乾きを癒す。みやげにいつもの豆たちも忘れずに購入する。逗子経由で帰る。

Img_8051 さて、仕事のワナからはほんとうに首尾よく脱出することができたのだが、そのかわり、今度はまたまた感性のワナにかかってしまって、当分このワナからは抜け出すことはできないだろう。真の不徳の致すところだと反省している。伝わるかどうかわからないが、仕事を待ってもらっている方がた、ほんとうにごめんなさい。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。