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2013/05/21

四万十川の流れに流されないもの

521 川は流れているのだから、人間社会では、方丈記などが伝えるように、変化の激しい喩えに使われる場合が多い。わたしも、四万十川を見るまでは、そう考えていた。「最後の清流」などの形容詞で語られているので、自然がいっぱいの川なのだろうと想像していった。

521_2 ところが、どうもそうではないらしい。というのは、現地に行ってみて、少しずつわかってきた。観光の基本は、固有性を持った自然な「現場」を見せる事であるから、ど521_3 のような現場を保存維持し、それを見せるように工夫するのかが、当然ながら問われる。自然がいっぱいだ、と宣伝するためには、自然がいっぱいになる人為的な事のほうが重要になってくるのだ。521_4 いかに「自然な」人為性が可能か、という西欧社会が原初的にもった疑問が、極東のここでも現れてきているといえるだろう。ここでさりげなく言っておきたいのだが、高知県庁を描いた映画「県庁おもてなし課」は、あまりに固有性にこだわりすぎたのではないだろうか。「固有性」にこだわるのは、極めて「普遍性」を持っている事を前提としていることをもっと言ってからでもよいのではないかと思われる。

521_5 四万十川を見てすぐわかることは、ゆったりとした流れだという点だ。豪快で、線が太いという印象を持つが、そのためには、いろいろな人為的な工夫がなされている。たとえば、直感的にわかるのは、「護岸」が極力廃されていることである。たぶん、これは土地の問題と人間の問題の両方が、この四万十川で自然にうまく行った例であると思われる。コンクリートの護岸施設はほとんど見られず、川幅が広がるだけいっぱいに広がらせている。このために、ゆったりとした流れになっている。そして、水量の豊かさは圧倒的だ。

521_6 遊覧船の工夫は土佐らしい諧謔に満ちている。船着き場には、コンクリートが使われず、舟についてもいつ沈んでも良いような、ぼろぼろであるように見せた舟が使われている。そういえば、船長が船着き場を出て、すぐに冗談にタイタニックを模して、「沈みます」というには理由のあることだと思われる。

521_7 船着き場を特定の場所に作るのではなく、あくまで観光のために、ちょっと場所を貸しているという雰囲気が素晴らしいと思う。つまりは、観光地らしさを極力排除する事で、観光地であることを押し出す戦略を明らかに取っている。


521_9 その結果、物資の豊かさを見せるのではなく、「語り」で勝負しているというところがある。ここが工夫の大きな点ではないかと思われる。笑いを取る方法に伝統を感ずるくらいだ。大きなことを最初に言っておいて、あとでシニカルにそれを否定して、笑いを誘っている。常套手段の笑いの取り方だが、そのなかに、漁師などの真実や虚言を盛り込んで、数十分の遊覧を楽しませている。

521_11 四万十川で三番目に水深のある、15メートル水深の龍ヶ淵には、ずいぶんこだわった「語り」をみせた。ここでは、アカメという巨大魚をめぐる漁師の話が面白かった。Kさんという人物をうなぎ漁でわたしたちの目の前へ登場させる。彼の若いときの「老人と海」を思わせるような魚との格闘なのだが、この話に練り上げるまで、数年かかったような話を船長が語るのだ。その話には、土地の歴史を感じさせた。話の内容を言ってしまうと営業妨害なので、ぜひ知りたければ、四万十川遊覧を訪れることをお勧めしたい。

521_12 四万十は、このようにして、地元のひとたちにとって、魚が大量に取れる川であると同時に、ほかにも様々な人びとが交流し合う社会的資源なのだ。今回のように、観光でひと舟、5万円の収入を得たとしても、それは四万十川の生活のほんの一部でしかない事を知った。ふと、川岸の上をみると、歩道が続いており、お遍路さんが通っていた、お堂があって、いつでも無料で泊まれるのだそうだ。

521_13 さて、ここまで徹底していると、ほんとうか否か、それが経費削減なのか、それとも、自然重視なのか、じっさいわからなくなってきてしまうのだが、船着き場へ行く前に、当然トイレや売店を岡の上で経営しているおり、そのトイレが今時、水洗ではなかったのだ。もちろん、四万十川に流521_14 すわけに行かないことは理解できるところだが、それ以上の様々な事情があるように思えてきて、想像するだけで楽しくなる。大きな声で、冗談言い合いながら、決定したであろう姿が思い浮かぶほどだ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。