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2013年5月に作成された投稿

2013/05/31

今学期最終の渋谷授業

0928_3 今学期の渋谷での面接授業も、早くも最終日をむかえた。K大の講義を終えて、久しぶりに教室の近くにある、オーガニックレストランへ行こうとしたら、きょうは貸し切りでお休みだと言うことだ。それで、六角橋商店街の奥まったところにある、学生の下宿時代に行きつけだったキッチンTへ寄ることにする。

0928_4 学生街なので、量の多いメニューが多くを占めていて、テレビの「孤独なグルメ」でなぜこの店が取り上げられたのかわからないが、もちろん美味しいからというのが前提なのだが、そのときもジャンボメニューを取り上げていたから、やはり量の問題はこの店の大きな要素なのだと思われる。美味しい上に、量が多いのだ。古典的な定食である「ハンバーグランチ」があって、いつもこれを頼んでいる。これにはハンバーグだけでなく、魚のフライがつく。それに、鰹節の効いたみそ汁と、ソースの美味しい野菜サラダがあれば、申し分ない。大学生時代に近くに下宿していて、このキッチンにほぼ毎日通っていた。そのときの味は、今でも忘れないのだ。

渋谷の講義で、今日のテーマは、「多様性」である。といっても、たくさんある多様性とはひと味違っているところを鑑賞してもらった。都市経済学のJ.ジェイコブズを今学期のはじめの時間に取り上げたのだが、そのときは、社会運動家としての側面を取り上げてしまったので、今回は理論的・原理的な、知られていない面をとくに取り上げたいと思ったのだ。多様性については、生物多様性がマスコミに取り上げられたこともあって、現代を特徴付けるキイワードともなっている。けれども、社会的な多様性については、わたし自身これまであまり論じてこなかった。これを機会に、ジェイコブズを通して、まとめてみようと思ったのだ。

学生の方々の意見も聞くことができ、最後は時間が足らないくらい充実した時間となった。18時から21時までという、授業とはいえ、こんなに遅くまでつき合ってくださって、ほんとうに感謝している。若手の講師たちも興味深い意見を述べてくれて、楽しい時間を過ごすことができた。4回の中では、取り上げた書籍も、テーマが非正規雇用から社会保障政策、日本的経営からアベノミクスまで幅広い内容となった。また、来学期も新たなテーマを取り上げていきたいと考えている。

Img_0049_2 体調もかなり悪く、仕事もたまって居るので、今日の打ち上げ会は失礼しようと思っていたが、いざ授業を終わってみると、軽く一杯くらいであれば、大丈夫ではないかと思い直した。渋谷駅前のプラザビルの8階で、授業は行われているのだが、その裏口へ出れば、直ちに飲み屋街が広がっている。

530_3 井の頭線のあるマークシティの対面角にある、パブ風のビアレストランの野外樽の上で、フルーティなビールを一杯開けた。目の前を、勤めを終えた無数の群衆が通っていくのを眺めながら、若者たちの会話に頷いた。気分が良くなっていくのを感じながら、ネオンの下で、今日も暮れていく。

2013/05/30

牛込神楽坂の、本がたくさん置いてある喫茶店K

528 編集者のNさんと、牛込神楽坂にある、本がたくさん置いてある喫茶店Kで会う。ほんとうは、タイミングとして、昨年から書いているものの初校をすべて渡すことになっていた。この時期に出していれば、かなりの優等生と言えるかもしれない。

528_2 ところが、先週は夜中に校正を行っていると、本務の仕事が午前2時ころにメールで舞い込んできて、その日の午前中には出してほしい、というようなことがあり、続いて他の部署からもあって、何やら異常な週間だったのだ。このことは、楽しみにしていた旅行中にも起こって、現代の職務というものがどこに居ても成立してしまうという恐ろしさを十分に認識した週間でもあったのだ。

という言い訳を述べようと、K喫茶店にきたのだが、Nさんは見越したように、来週出してくだされば、それでよいのです、と直ちにおっしゃった。たぶん、内心を推せば、今日は何のためにここにきたのだろうか、と思っているに違いないのだが、そこは本の題名が「協力」論であり、これを制作している以上、魚心あれば水心、という勝手なお願いを通してしまったのだ。

528mojo 近くに娘が勤めているので、電話をしたところ、既に2時を過ぎているにもかかわらず、今遅い昼飯を食べていて、終わったら、直ちにまたミーティングなのだそうだ。親の怠惰を娘が補っている。社会的には、とんとんなのかもしれない。

528_3 赤城神社の裏に当たる、赤城坂にMという新しい喫茶店があるというのをH女性雑誌で読んでいた。行ってみると、ニュージーランド風というらしいのだが、ちょっと変わった草色の目立つデザインのところだった。英語の飛び交う店内には、外国人を中心に、女性客が入れ替わり立ち代わり来ていた。

528_4 流行のフラットホワイトを頼んで、葉っぱをイメージした泡模様を楽しみつつ、苦めのコーヒーをいただいた。W大へは地下鉄で一つなので、神楽坂はたいへん休息には適したところだ。ほんとうは、O先生が行きつけのT喫茶店へも行きたいのだが、残念ながら、木曜日は定休日なのだ。

と思いながら、W大の講義へ向かう。すると、門のところで、ばったりとO先生と出くわした。編集者に会ってきたことを話すと、O先生も今日これから編集者に会うのだと言う。梅雨入り宣言と同時に、原稿を出してしまい、こころの梅雨明け宣言を目論んでいたのだが、一日ずれてしまったとのこと。一日くらいは、微調整の範囲内ではないか。一週間も微調整の範囲だと言ってくださる、Nさんはたいへんありがたい存在だと、改めて思ったところだ。あとで、O先生のブログを読むと、いらっしゃる編集者のために、カフェGのスィーツを買いに出たところだったのですね。

528_5 講義演習の職業論では、今日のテーマとして「陶芸作家」を取り上げた。一人のインタヴューではわからない部分があると思い、多少分量は多くなってしまったが、二人のインタヴューを俎上にのせた。例年は、わたしが有田焼のI衛門窯を取材したDVDを見せるのだが、今年度はインタヴュー集で通してきたので、これに代えたいと思ったのだ。学生たちに、窯を訪ねたことのある人がいるか、と聞くが、残念ながら居なかった。職業としても、自分たちはこのような陶器職人からかなり遠い存在だと考えているらしい、ということが観察できた。

528_6 帰りに、気温が上がってきていて、喉が乾いたので、公園を抜けて明治通へ出る。外食レストランが並んでいる反対側、理工学部の通り側に併設されている。コーヒーショップTで、カフェラテを飲んで、一日を振り返る。

2013/05/26

亘理町いちご農家のMさん訪問

526 N先生プロジェクトで、亘理町に来ている。いちご農家のMさん訪問も、「いちご株券」のイベント後はじめてである。いちご収穫が最後の摘み取りの時期を迎えていて、そろそろ苗を育てる作業に入ろうとしている、という時期だった。526_14 社長と呼ばれている奥さんが、ハウスに出ていたMさんを連れてきた。いつものように、身体を猫背のように前へ傾けて、道を曲がってから、恥ずかしそうにこちらへ顔を向けた。

526_4 午前中に、N先生のゼミ生だったOさんが石巻で、訪問看護ステーションを新たに開いたのを見学してから、こちらへ回ったのだ。Oさんのことは、エピソードが多すぎるので、またいずれ別に取材したいと考えているので、そちらへ譲りたい。N先生には、数々の紹介をいただいてたいへん感謝している。

526_5 今回の訪問で、もっとも印象的だったのは、復興の帰結ということだった。Mさんたちのハウス栽培と、震災復興援助によるハウス栽培の違いだった。これらの両者の違いには、以前からたいへん興味を持って、拝見させていただいたり、意見を伺ったりしているのだが、わたしの見ていることの中でも次第に大きな問題となってきている点である。

526_6 簡単にいえば、Mさんのような「自発的な復興」と、いちご団地のような「公的援助による復興」の違いということになる。「私」と「公」との違いがくっきりと出た例として、たいへん興味深い。まず、支援のスピードの違いがある。前者は、震災直後から自前のハウスをボランティアの526_7 人びとにも助けられながら、早くから立て直して、既に昨年からいちご栽培を行っている。それに対して、後者はようやくハウスが今回出来上がり、うまく行けば、今年度からいちご栽培が最新鋭の施設で可能になるはずであるという段階に止まっている。この違いは何なのだろうか。

526_8 規模の違いも否定できないどころか、これが極めて大きな問題だ。あまり正確な数字ではないが、Mさん一人で、ボランティアと組んで作るハウスならば、5連の50メートル位のものが8棟くらいで、建設する上で、限界かもしれない。これだけ作るのに、数百万円かかっている。借りた機器類の費用を含めれば、もっとになるかもしれないが、それでも、絶対に1千万円にならないだろう。

526_9 けれども、これに対して、復興予算で出来たものは、10連の50メートル位のものが8つ一つのハウス施設にはいってしまう。この一つの施設で、コンピュータ制御の給水や、温度調節、風向が自動化されていて、全部で5千万円だそうだ。規模がかなり大きいとはいえ、それでも、予算の規模は桁違いだ。

526_10 Mさんは、盛んにこの違いを云々していたが、たしかにそのとおりだと思われる。公的な援助というものには、規格のあることは理解しているのだが、このように当事者の参加できる部分を最小限にしてしまうのは、やはり生産ということを無視している。作るということは、全体の問題であ526_11 り、一つ一つ有機的に生産に組み込んでいく必要があるのだと思われる。全体がパックとしてシステム化されているから構わないのだ、ということは、農業生産物にとっては、致命傷になる可能性もあると思われる。

Mさんも最終的には、いちご団地に加わる判断を最後に見せたが、最初の自主的な復興と、どのように調和させるのか、傍目ながらたいへん気になるところだ。このつぎ、取材するときに聞いてみたい点のひとつだ。

526_12 日が長くなったとはいえ、国道を仙台へ向かう頃には、日が完全に落ちてしまい、いつものように夜道を走る事になった。車を運転できないものにとっては、役割を免除されていると同時に、何んだか申し訳ないような気分にもなってくる。最終的に、良い取材ができれば、恩返しになるだろう、というくらいに楽観的に構えることにしよう。

526_13 今回も、震災のときに、塩害の状態を見るために、Mさんが砂地にいちご苗を植えていて、それがどうなったのか、2年間の耐久生活の様子を見に行った。何度目かの確認だが、毎回思うところが見つかる。すでに2年間の間に、復興のための耕作機などが入っていて、多くの苗は刈り倒されていて跡形もなかった。

三カ所くらい巡って、目印も定かでなくなってもう駄目かと思った。けれども、最後のところで、ひとつだけ頑張っている苗をやっと見つけた。肉厚の葉っぱを付けていて、おまえ頑張っているな、とみんなで声を掛けてきた。当たり前のように、見えないところで頑張っているものによって、世の中は成り立っているのだ。

2013/05/22

遍路文化に触れる

今、使っているカメラは初期動作が速くて、シャッターチャンスを逃さない。今までになく愛着を持っていた。ところが、昨日バスの中から、河の様子を取っていたら、そのままレンズが納まらなくなって、壊れてしまった。シャッターを押しても、うんともすんとも言わない。四日目は、カメラのない旅行となった。

江戸時代に生まれた文化には、いろいろ有るが、レジャーに興味を持っているので、余裕を持った庶民がどのような暮らしを行ったのか、ということにはとくに気が惹かれる。金比羅参りもおかげ参りと並んで、近世の大旅行装置だと思っていたが、もう一つ遍路文化というものに以前から興味があって、人生が終わりに近づくと、今まで巡ってきた道筋が思い出されるという信仰はたいへん好ましいと思うようになった。

もちろん、無信仰者のことであるから、遍路という決められた道筋も重要かもしれないが、自分の中の遍路にも注目する年代となったということなのだ。それで前にも言ったように、妻が四国一周旅行を提案した時に、すぐに賛成したのだった。もっとも、妻がなぜ四国旅行なのかは、謎だったのだが。なぜ四国なんだろうか。

途中の道みちに、お遍路さんたちがちらほらしていて、心の遍路を目指したにもかかわらず、わたしはバスに乗っているという引け目を感じながらも、四国一周を目指したのだった。白装束姿も心の中に持って、遍路宿に泊まるつもりで、歩き続けたいと、バスに揺られたのだった。

それでわかったことは、遍路という制度は、宗教的な意味も多くあるのはもちろんだが、歩き続ける中で、自分に帰ってくるものがたくさんあり、このことの影響が数多く押し寄せてきて、本当のところ、この四国だからこそ、思い出されることがあるのだと、思ったのである。

日頃、忘れていることが、風景を借りて、自然に載せてあらわれるのだった。たとえば、吉野川上流にある、大歩危の遊覧船に乗る。ここには、激しく動く水がある。この水をたどって行くと、最後は徳島の大都市に至ることはわかる。あの溢れるばかりの雨のときに徳島へ行ったことも思い出した。

だから、水はふつう近代の中では、山村から都市へという下流化の流れとして現れる場合が多い。ところが、今日はこれを遡って、都市から山奥へとたどることで、日頃水について、水の力の大きさについて思わなかったことが、循環的に思い出されるのだった。この写真に撮りたいと思ったところは、水深が20メートルにも達するのだ。この水の奥を流れる水が、どのようにして、私たちの体を流れる水となるのか、不思議だと思わない方が不思議ではなかろうか。

遍路が雨に濡れて歩くシーンで思い出すのは、笠だ。日よけにもなるし、雨よけにもなって、都合がよい。突如、このシーンと全く異なる情景を思い出した。以前、妻と北海道旅行に行ったことがある。若いときの旅行は、自分で組むものと考えていたから、途中寄り道が多くなる。それで、太陽がじりじりと照る中で、両側にトウモロコシかジャガイモ畑が地平線まで続くような道に出てしまい、それでも二人で歩き続けたことがある。それで、何もないものだから、どうでも良いような話題をしゃべっていたら、違う道を歩こうということになってしまった。なぜそうなったのかわからないのだが、人生の長い中には、このようなことは二度三度あっても不思議はないだろう。結末はどうなったのか、いまでも不思議なことがあったと思っているくらいだ。

たぶん、「旅の重さ」を感じながら、互いに違うことを思い出しながら、同じ道をえんえんと歩き続けるような気がする。海の浜の砂路を歩いていたら、いつものように、通路を外れてしまい、砂浜の波打ち際に座り込んでしまった。大音響の放送が遠くから、注意を喚起してきたのだが、もう手遅れで、海を見つめ始めたら、止まらない。旅の終わりは、意外と簡単にやってきた。

2013/05/21

四万十川の流れに流されないもの

521 川は流れているのだから、人間社会では、方丈記などが伝えるように、変化の激しい喩えに使われる場合が多い。わたしも、四万十川を見るまでは、そう考えていた。「最後の清流」などの形容詞で語られているので、自然がいっぱいの川なのだろうと想像していった。

521_2 ところが、どうもそうではないらしい。というのは、現地に行ってみて、少しずつわかってきた。観光の基本は、固有性を持った自然な「現場」を見せる事であるから、ど521_3 のような現場を保存維持し、それを見せるように工夫するのかが、当然ながら問われる。自然がいっぱいだ、と宣伝するためには、自然がいっぱいになる人為的な事のほうが重要になってくるのだ。521_4 いかに「自然な」人為性が可能か、という西欧社会が原初的にもった疑問が、極東のここでも現れてきているといえるだろう。ここでさりげなく言っておきたいのだが、高知県庁を描いた映画「県庁おもてなし課」は、あまりに固有性にこだわりすぎたのではないだろうか。「固有性」にこだわるのは、極めて「普遍性」を持っている事を前提としていることをもっと言ってからでもよいのではないかと思われる。

521_5 四万十川を見てすぐわかることは、ゆったりとした流れだという点だ。豪快で、線が太いという印象を持つが、そのためには、いろいろな人為的な工夫がなされている。たとえば、直感的にわかるのは、「護岸」が極力廃されていることである。たぶん、これは土地の問題と人間の問題の両方が、この四万十川で自然にうまく行った例であると思われる。コンクリートの護岸施設はほとんど見られず、川幅が広がるだけいっぱいに広がらせている。このために、ゆったりとした流れになっている。そして、水量の豊かさは圧倒的だ。

521_6 遊覧船の工夫は土佐らしい諧謔に満ちている。船着き場には、コンクリートが使われず、舟についてもいつ沈んでも良いような、ぼろぼろであるように見せた舟が使われている。そういえば、船長が船着き場を出て、すぐに冗談にタイタニックを模して、「沈みます」というには理由のあることだと思われる。

521_7 船着き場を特定の場所に作るのではなく、あくまで観光のために、ちょっと場所を貸しているという雰囲気が素晴らしいと思う。つまりは、観光地らしさを極力排除する事で、観光地であることを押し出す戦略を明らかに取っている。


521_9 その結果、物資の豊かさを見せるのではなく、「語り」で勝負しているというところがある。ここが工夫の大きな点ではないかと思われる。笑いを取る方法に伝統を感ずるくらいだ。大きなことを最初に言っておいて、あとでシニカルにそれを否定して、笑いを誘っている。常套手段の笑いの取り方だが、そのなかに、漁師などの真実や虚言を盛り込んで、数十分の遊覧を楽しませている。

521_11 四万十川で三番目に水深のある、15メートル水深の龍ヶ淵には、ずいぶんこだわった「語り」をみせた。ここでは、アカメという巨大魚をめぐる漁師の話が面白かった。Kさんという人物をうなぎ漁でわたしたちの目の前へ登場させる。彼の若いときの「老人と海」を思わせるような魚との格闘なのだが、この話に練り上げるまで、数年かかったような話を船長が語るのだ。その話には、土地の歴史を感じさせた。話の内容を言ってしまうと営業妨害なので、ぜひ知りたければ、四万十川遊覧を訪れることをお勧めしたい。

521_12 四万十は、このようにして、地元のひとたちにとって、魚が大量に取れる川であると同時に、ほかにも様々な人びとが交流し合う社会的資源なのだ。今回のように、観光でひと舟、5万円の収入を得たとしても、それは四万十川の生活のほんの一部でしかない事を知った。ふと、川岸の上をみると、歩道が続いており、お遍路さんが通っていた、お堂があって、いつでも無料で泊まれるのだそうだ。

521_13 さて、ここまで徹底していると、ほんとうか否か、それが経費削減なのか、それとも、自然重視なのか、じっさいわからなくなってきてしまうのだが、船着き場へ行く前に、当然トイレや売店を岡の上で経営しているおり、そのトイレが今時、水洗ではなかったのだ。もちろん、四万十川に流521_14 すわけに行かないことは理解できるところだが、それ以上の様々な事情があるように思えてきて、想像するだけで楽しくなる。大きな声で、冗談言い合いながら、決定したであろう姿が思い浮かぶほどだ。

2013/05/20

教育の原点は、やはり「遊ぶこと」から始まるのではないだろうか

520_2 四国を回り始めて気づいたのだが、毎日がそれぞれ人生を省みる旅になって来つつあるのだ。香川県から出発しているところから、お遍路さん的な心境がようやくわかるようなってきたのだ。520_18 旅に出ると、なぜか人生を振り返りたくなってしまう。

520_4 今日もたくさんの場所を訪れることになったのだが、過去を思い浮かべることで一つ挙げるとすれば、やはり今日寄ったなかでは、小豆島かな。小豆島でもオリーブ園(好き嫌いの向きは激しいが、オリーブ茶はよいと思う)やら、佃煮屋さん(子持ち本くらげの佃煮が旬だということだ)などめぐって、520_5 身体のなかにたくさんの食べ物が蓄積されたことも印象的ではあったのだが、それ以上に旅にもかかわらず、自分の心のなかに食い込んできたのは、昨日と同様に人生の反省すべきことなどであり、旅にも老人的な旅の在り方というものがあるのだな、とシミジミと思ったところだった。

520_6 小豆島については、島全体が文学の舞台になっていることでは、沖縄に並ぶのではないかと思われるほどエピソードは豊富だ。遍路に関係した文学も見られる。昨日泊まった宿が、土庄町というところだった。520_7 妻が直ちに、尾崎放哉の終の住処の場所だったことを思い出したのは、何時もながら、その記憶力の確かさにびっくりさせられる。もっとも彼女の好きな、吉村昭の小説だったので、覚えていて当然だったのかもしれない。海岸に近い草深い庵が確かにありそうな地域だった。520_8 現在は近くの海岸に、大きなショッピングモールができてしまっていて、ご飯一杯だけで暮らせるような田舎という感じがなくなってしまっているのは、残念だが、これも時代の趨勢なのだ。

文学よりは、映画の舞台になったことのほうが、小豆島ではより有名だ。昨年見た映画「八日目の蝉」は、今でも心に残っている。520_9 棚田や山祭り、そして田舎歌舞伎などのイメージが強い。さらに、連絡船。けれども、これらに出会うためには、一日の通過だけでは掬い取れないだろう。ここが詰め込みバス旅行の弱点なのだが、これだけの内容を回るために致し方ないだろう。機会があれば、ここに4、5日は滞在したいところだ。

520_10 映画では、高峰秀子主演で、木下恵介監督「二十四の瞳」なのだ。妻が初めて出会った文学だと言っている。それで、白黒画面ではわからないような、海を望む「分教場」というものがどのようなものなのか、520_11 という興味もさることながら、なぜここで教育とは何か、という原点を探ることに成功したのかが、ずいぶん気になったことだった。

520_12 ここには、教育ための図書館も、高度な知識・情報もあるわけではない。でも、だからこそ、生徒と教員が真に向き合って、双方の間に存在すべき本質的なことが、明らかになったのではなかろうか。大袈裟にいうつもりはないが、無垢な形で教育の原点が現れたのだと直感したのだった。

520_13 半島がちぎれそうになった、その首のところに分教場があり、そのちょっと先にロケに使われた「映画村」が保存されている。その保存されている中に、銅像となって先生と生徒が会話を交わしている場所がある。そこに壺井栄の小説からの引用があり、「先生、遊ぼ」と生徒が呼びかけ、それに答えて、「何して、遊ぼうか」とある。

520_19 遊びということが教育の原点であり、対話ということがそれを支えていることを、このシンプルな教えの場で実現しているのだった。この風と太陽と海の中で、この問いかけは、ほとんど決定的であったと思われる。

520_15 この瞬間が思い出されたことで、あと素晴らしいことは次々に起こったのであるが、もうこれ以上は書く気が起こらなかった。じつは、そのあと高速道を飛ばして、今はもう道後温泉に入っている。道後温泉の商店街の中ほどにある、京都風の町屋を利用した「D」という喫茶店に入っている。すでに温泉にも入って、すっかり旅にどっぷり浸かり、520_16 しかし、心はむしろ風景に気を取られるのではなく、過去の印象を思い返すことに奪われている。マイルドなブレンドコーヒーを飲みつつ、隣の席で他の客が食べているハチミツトーストを横目で見ている。写真の文旦は、途中のドライブインで購入したもので、6個入っていて100円だった。香りが朝まで部屋に充満していた。520_17

2013/05/19

金比羅さんへ詣でる

519_5 今年の初めに、香川を訪れたときに、セルフうどんに感激し、コスタリカ・コーヒーに覚醒した。それで、妻が四国旅行を提案してきたときに、二つ返事で賛成した。それに、職場に有給休暇という制度があることも昔から知ってはいたが、それを積極的に利用したことが無かったので、良い機会だと思ったのだ。519_7 5月の連休に、原稿のほうはあまり進まなかったけれども、ずっと仕事をしていたのだし、言い訳がましいが、代連休なのだ。一学期も中間をすぎ、そろそろ年相応の休憩が必要で、今校正を行っている原稿へのテコ入れが、これでできるかもしれない、ということもかすかに期待しつつ、旅行中、頭の中にいろいろな思いが渦巻くことを目論んでいたのだ。

519_8 京急電車で羽田空港へ出て、高松空港から琴平町へ直行し、ガイドに付いて、早速金比羅さんへ登り始める。突然、横浜の勤労生活から、香川の金比羅参りに没入して、階段登りを始めるというのも変かも知れないが、旅行というのは本来非日常なことなので変といえば変なのだ。

519_9 集合場所に用意されていた竹の杖を頼りに、石段を上へ上へ。785段ある。最初は、古い商家やお土産屋、さらに一刀彫の店、現世利益がありそうなお守りが売られている店もあって、ショッピング気分で、軽く足が進む。写真にある168段くらいまでは、妻と話をしながら、余裕ある歩きだった。その後、話すのはキツくなってきたので、いろいろな事を考えつつ登る。

519_10 話には聞いていたけれども、みんなして、これだけの石段を登るにはそれ相当の理由が昔からあったはずである。今回、ただひたすら登ることによって、江戸時代から現代に至まで、普遍的に庶民の期待を得られてきたものを思い計ってみよう、というのも、趣向のひとつなのだ。519_11 とはいったものの、だるまの素敵な彫刻や、土産物屋の秩序だった混沌に目を奪われることしきりで、現実的には、思考どころではなかった。

519_12 それで、ただひたすら登って見て、それは何だったのか。かなり多様な答えとなるのだが、誰の要求にもすべて応答するような何かが、そこには存在する、ということなのではないか。外側から見ると、同じことを行っているのだが、一緒に歩いている同行者から見れば、みんな異なることを考えて登っているように見える。519_13 この同じ事をみんなが行っているように見えるというところが、ほんとうのところ、金比羅参りの中核なのだと思われる。

519_14 もっとも、お参りにあらまほしきは先達であるのだから、ガイドがいて、説明をしてくれるから、ということもある。石段の横に並んでいる石たちが、寄付金の額を表していて、通常は百万円なのだが、途中書院当たりに、「金一封」と書かれた、金額のない石が並んでいて、それらがいくらの寄付だったのか、というようなことは、ガイドでなければわからないだろう。519_15 一本指が上がっていたが、石の隙間がなく、わたしが寄付したとしても、石碑を建てる余裕がないのが、せめてもの救いだろう。

519_16 もちろん、金毘羅さんは宗教施設なので、お参りにはそれ相当の神様にかかわる意味が存在することは否定できないが、しかし、それ以上なのである。それ以上のみんなの思い、共感がある。一つには、重力に逆らっている。ということは、苦痛でもあり、快楽でもあるのだ。修験者たちがなぜ山に登るのかということがようやくわかる。519_17 この重力がなかったならば、おそらく階段登りは成立しなかったのではないか。昔なら駕篭に乗ってまでも、上へ行きたい、という理由があったといえる。

519_18 二つには、集団で登る人も、個人で登る人も、みんな登っている。たとえば、集団での登っている人たちの中に、酔っ払いが紛れ込んでこようとも、みんな登っているから、ということで多少の暴言を吐いたとしても大目に見てしまうところがある。519_19 登るのであれば、何でも許させる世界がここに現出するのだ。

三つ目が高等戦術だと思えるのは、上には、何にかが用意されて

519_20

いる、という誘因が存在する。それは、金比羅の本堂が中心となっているのだが、そればかりでなく、芸術文化としても、登る理由が十分に作られている。


519_21 書院には、円山応挙や伊藤若冲が絵を残している。明治の絵では、高橋由一記念館があるし、一茶などの俳人の遺跡もある。これらは、階段を登る理由としては、十分なものである。さらに、健康にも良ければ、登らなければ損だ。

519_22 雨が降っていたのだが、かえって気温が上がらず、汗も適度にかく程度で、快適な金比羅参りだった。降りてきて、お腹が空いたので、519_23 さっそく、セルフの讃岐うどん屋へ駆け込んで、まずは一杯いただいた。素敵なガラス張りのコーヒー屋さんも見つけたが、日曜日は残念ながら休店らしかった。甘味は、お灸の形をした、白あんのまんじゅうをほおばって、お遍路巡りもどきに出発したのだった。

519_24 わたしたちが世話になった、金比羅のガイドさんは帰りにも、途中すれ違ったが、次の客たちを率いて、また登っていった。一日に何回、あの785段を往復するのだろうか。519_25 職業とはいえ、運動量の多さに驚かされる。これを見ていると、現代の観光は、はるか宗教的な意味を超えていることがよくわかるのだ。

2013/05/16

カフェGのチーズケーキは数ヶ月に1回は食べたい

Photo_2 5月の連休明けから、空は青く、風は清々しいのだが、学期の中間ということもあり、気分はちょっと下降気味だ。昼に快晴だったが、心を見透かされたように、午後から夕方にかけて、空がにわかにかき曇り、激しい雨になるパターンが繰り返されている。今日もまったくそのパターンだ。

Photo_3 戸山公園を抜け、バラ園の黄色の花を横目で見ながら、公園口からW大の構内にはいる。公園から大学への連続性は、素晴らしいと思うが、これがまったくの偶然だとは思われない。この細長く続く公園の両側には、公的な領域が広がっていて、大学や中学校、さらに都や区の施設など、公的機関が並んでいる。だから、この辺一帯が、広大な土地所有のもとにかつてあったことを想像させる。

尾張藩の下屋敷で、別邸として利用されていたらしい。さもありなん。山あり、池ありのかなりの規模の庭園があり、それをめぐって歩く事ができたようだ。いまでも、その痕跡は明瞭だ。ちょっとした丘があるのだが、これらも江戸時代からの人工物である可能性がある。池や川もほとんどが自然にみえるが、人工的な細工がされているらしい。

ここまで、分断され切り刻まれてしまっていると、これほど利用されている事を喜ぶべきか、それとも、昔の姿に戻ってほしい、と憂うべきなのか、ほんとうにわからなくなってしまう。惜しいと思われるのは、ちょっとずつの切り売り状態の小さな開発に終わっていることだ。もっと早く判断すれば、小石川植物園ほどの庭園がもう一つ生き残ったことになったのではないだろうか。

516_7 演習「現代人と職業」授業の中間点を過ぎようとしていて、学生たちも授業スタイルに慣れてきているようだ。毎回、違う職業を取り上げて、学生のコメントとわたしのコメントを組み合わせて、さらに学生たちが丁寧な議論を積み重ねてきている。

516_6 次の職業が、何の職業だか当ててみることも簡単にできてしまうだろう。今日取り上げた職業の特徴は、社会の中で「基礎的」で、「利益を生まない」という性格を持っていて、「中立的」かつ「公平性」を目指さなければならない、そして「常識的」で「新しさ」が求められるわけでもないというものだ。さて、どのような職業でしょう。学生たちの印象をホワイトボードに書き付けてもらった。その結果の文字を拾ってみた。

演習が終わって、いつもはグループ討論の議長たちから結果表を集めるのだが、今週はどういう訳か、学生たちが立ち去るのが早く、2名ほどから回収できなかった。仕方がないので、あとでメールでお知らせを回し結果表を回収する事にしよう。

Img_8209 演習室を出るころには、予定されていたように、にわか雨が落ちてきた。それにしても、気温が高いので、喉が乾く。O先生の研究室を訪れる。ちょうどタイミングよく、冷えた水を購入なさっておいたそうだ。しばし休憩したのだが、やはり甘い物が欲しくなって、カフェGへ向かう事にする。ここのチーズケーキは、数ヶ月に1回は食べたくなる。

516_10 今日は、家の話となった。なんだか、縁台将棋ではなく、縁台雑談じみてきた。このところ、我が家の雨漏りがひどくなったので、家を改修していたのだが、それがようやく済んだ話をすると、直ちに、住処の話へぐっと入っていくのだった。老後の住処はどうするのか、というテーマは、二人ともそろそろ身近な問題となっている。子どもたちが出て行ったあと、夫婦だけの住処になりつつあるのだが、スペースに余裕が出来るようで、じつは家の宿命で、色々な物が埋まってしまって、重層化した生活から抜け出す事ができないのだ。家自体が、まだまだ住む人たちを諦めていないのだ。

Img_8217_2 O先生の家には生け垣があり、息子さんが就職して家を出たので、ここの刈り込みはご夫婦でやるそうだ。それがどの程度までやるのか、というと、5~10メートルほどあって、上にピンと糸を張って、すっと揃えるところまで、徹底するらしい。わたしも少しは経験があるが、ここまでは無理だ。3メートルが限度で、たとえ腱鞘炎を覚悟していたとしても、それ以上剪定鋏を開閉する事はできないし、ましてや、糸を張るほどに揃えるところまでは到底できない。これは、ご夫婦でやるからそれだけのことができるのだと確信した。やはり、何事においても、多少の強制は必要なのかもしれないのだ。もちろん、この強制は家自体が住む人を諦めていないから、生ずるのだと思われるし、家刀自がなせる技だとも思われる。

Img_8220 帰り道、通りすがりの人びとが立ち止まって観ていた花がある。たぶん、シャクヤクではないかと思われる。遠目には、大きな花弁のバラのようにも見えるのだが。

2013/05/10

ロサンジェルスで組織をつくるなら

ロサンジェルスという場所は、楽園的であり、楽園であれば組織の柵から抜け出し、個人主義的に生きることが可能な地域かと思っていた。ところが、過去には数々の暴力集団・ギャング組織が闊歩していた地域らしい。

映画「LA.ギャング・ストーリー」を観る。リーダーがいて、如何にしてチームを編成するのか、という視点で観るには、黒澤明「七人の侍」と同様に、たいへん興味深い映画である。面白いリクルートを展開している。

どちらも、リーダーにかなりの部分、スポンサーから権限の委譲を受け、主体的にリクルートを展開することは共通している。この点では、似た者同士という面がある。農民がスポンサーなのか、それとも、警官の本部長がスポンサーなのか、くらいは違っていても、両者ともに事件が解決してしまえば、手のひらを返すように、自分の利益にしてしまう、というところまで似せていて、興味深い。

観るべき点は、仲間同士の信頼関係をどのように保持するのか、という点である。一つには、リーダーとの縦関係で、信頼の保持を図るのだが、それ以外に、横の関係でどのようにして信頼関係を維持できるのか、という点が重要だと思う。一度はバラバラにさせるが、それが統一できる瞬間があって、そこが映画の見せ場なのである。女性問題は、仲間の信頼関係を裂く役割もあり、結びつける役割でもあり、映画の常套手段だ。それから、もう一つは、役割問題ではないか、と思われる。

それで、信頼性の問題で、この映画は興味深い視点を提供している。ふつう、リーダーがチーム編成を行うのだが、たとえば、「七人の侍」では、志村喬演じる長老がひとりひとり吟味して、剣の使い手、槍の手だれなどと決めていく。

ところが、今回の映画では、誰が人選を行うのか、というところが見物なのだ。チームの信頼性は、どのようなところで発揮されるのか。リーダーの意向がそのまま反映される事を通常のチームであれば目指すのだ。つまり、目標に向かって、最前の戦略の取れるチーム編成が行われる。ところが、今回の映画ではそうではないのだ。

この辺が、実話であっても、現代的な解釈がかなり加えられた映画である事を伺わせる。さて、誰がどのような最終的な戦略をもって、チーム編成を行っているのだろうか。詳細は、いつものように、観てのお楽しみなのだ。

2013/05/06

逗子まわりの感性回復小旅行

Img_7947 逗子回りの鎌倉行き、というパターンが散歩コースとして成立しつつある。今日は初夏を思わせる快晴の一日となった。

連休になって、大学の義務的な仕事と、それから同じ大学の仕事でも、個人受け持ちの仕事とがあって、両方が一度に押し寄せた。このような周期が、一年のうちで何回かあるのだ。今がその季節だ。Img_7918 それで、同じような状況にある、先生方に訊いたら、「連休は休みなしだ」と普通の顔でおっしゃるのだった。これが教員という仕事の、そして裁量労働制の辛いところだと思われる。「自由」とは、自分で自分を拘束することなのだ。

Img_7927 それで、諦めて仕事に入るのだが、前者の大学の仕事を優先し、それを終えてほかの先生へ送ると、またそれにレスポンスがあり、泥沼とは言わないまでも、キツネがガチッと罠にかかってしまったかのような状態に陥ってしまうのだ。また、同様に後者の個人の仕事に入っても、目の前にはいくつもの迷路の入り口がポカッと口を開けていて、そこに獲物がかかるのを待っているのだ。

Img_7930 結局のところは、肩こりと頭痛が理由を作るためには「頼り」になってくるのだ。そこから抜け出すには、誰かの顔を思い浮かべながら、タイムスリップでも起こす覚悟で、病気を理由にして、エイっと逸脱するのを楽しむ他はないのだ。そのころになると、気分は苦しみではなく、楽しみに向かっていることが多いのだ。

Img_7933 娘が2泊3日で戻ってきて、鎌倉へ誘ってくれた。ほんとうは中華街へ久しぶりに繰り出そうという計画もあったのだが、駄目になってしまった。でも、やはり仕事場から出て、青空のもとでグッと背伸びをするに比較する、贅沢はないのだと思う。逗子の青空、想像だけでも解放された気分だ。

Img_7961_2 京急電車1本で逗子に入り、すでに正午を回りかけたこともあって、逗子の商店街をちょっと入ったところにある、イタリアン料理店でランチを食べる。薪窯で焼いたピザ、表面は石窯風にパリパリしていて、中はモチモチのマルゲリータ。パリ、モチの食感だけでなく、チーズとのバランスも抜群である。それに、小魚のフリットを味付けにしたトマトソースのパスタ。魚の香りが、口に入れたとたんに、鼻に抜けていく。生臭さがフリットで抑えられ、しかし海の幸を香りで運んでくる。写真のように、見た目は普通のイタリア料理だが、隠れているところが格段に違う。このひと味、というところで、二度目も来るかどうかが決まってしまうから、恐ろしい。

Img_7964 さて、早稲田のO先生は、定食シリーズを未だに追究していて、この粘り強さには感心する。消え行くものを嗅覚で嗅ぎ分けるという、この感性の使い方は、社会学者には必須のものかもしれない。全体の構成の中で、消えるものが出たときに、あとから追うことは決してできないのだ。まだ、健在なときに記憶に残しておいて、あとでそれが社会的にどのような意味を持っていて、それがどのように失われたのかをきちんと報告しなければならない、社会的使命を持っているのだと思われる。

Img_7980_2 このような計画的な姿勢に比べれば、わたしの行き当たりばったりのグルメ志向には、困ったところがあるのも事実だ。イタリアンのこんなに美味しいところは、決してすぐに消えることがないだろうし、皆が美味しいと感じるのだから、改めて学問的にしゃしゃり出なくても、誰もがわかっていて、取り上げて言うのもはばかれるものと思われる。それでも、あえて出かけるのは、共通に感じることということ自体を、認識しておきたいからだと思っている。もちろん、このような共通感覚は移ろいやすく、短期間に失われてしまうものかもしれない。それは、それでO先生の趣向に近づくことになるから、また面白いだろう。

Img_8054 腹ごしらえが終わったところで、逗子駅に出る。暇と思われるかもしれないが、駅で通り過ぎる人びとをぼんやりと見ていた。逗子風の服装に興味を持った。たしかに、観光行楽客とはちょっと違っている。もちろん、どんな観光地でも、地元対観光客の対立があり、それを見るのは比較的容易い。けれども、見るところ、ここには第三の服装とでも呼べる、逗子風の雰囲気が感じられるのだ。

Img_7999 まず、すぐわかるのは、観光客のよそもので、リュックや鞄を携帯しているか、団体・カップルになって歩いている。若い人であれば、いつもよりちょっと短めのスカートをはき、サングラスにスニーカー、そして中年になるほどに、男女ともにジーンズをはいている。こうなると、デイパックが欠かせないし、カメラを持っている。自分のことを棚にあげていうのも、何だけれども、もっとさっさと歩いてほしいと思えるほど、歩調が遅いのが特徴だ。

Img_8036 地元の人もすぐにわかる。観光客とベクトルが逆を向いている。服装も、日常的な普段着で、周りをきょろきょろ見ずに、斜め下を向きながら、さっさと通り過ぎていく。ときどき、連休中にもかかわらず、背広を着たサラリーマン風のひとが通り過ぎていく。クローイ鞄持参だからこれも明瞭だ。海が近いから、海岸の住民は、日に焼けた黒い顔と健康そうな肉体を誇示しながら、アロハシャツ的な、少し崩れた服装が似合っている。地元の人も、どこにもいるような地元の人なのだ。

Img_8068_2 それでも、失礼ながら、こんなにじろじろと見る価値があるのは、やはり第三の服装群が目立つだからだ。これはかなりの偏見が宿っていて、その昔、田園調布に住んでいた友人がいつも、「田園調布に住んでも、うちは金持ちじゃないから」と誇らしげに言っていたのを思い出した。

Img_8019 たとえば、70歳くらいに見えるのだが、ハンチング帽をかぶり、上品な顔立ち、そして長めのコートをこの暑いのに羽織っていて、憂鬱そうな顔を伏せながら階段を上っていく。さて、この人は観光客か、地元の人なのか、たぶんどちらでもないとわたしは思ったのだ。それじゃ、これはどうか。年取った家族連れで、二三日くらい用の素敵なボストンバックを抱えている。けれども、東京方面からの電車から降りてきて、バス停へいそいそと進んでいく。店屋には、目もくれない。それは、休日であることがわかっているかららしいのだ。これらの第三の集団は、多くは年配というより、老人たちであるといったほうが近いかもしれない。もっとも、よくはわからない人びともここに属しており、穿っているかもしれないが、海辺の別荘や大邸宅から出てきたお嬢さんや、かつての愛人さんたちが、と最近は言わないのかもしれないが、ゆったりと東京へ出て行くのも見ることができるのだ。などと、散歩を楽しんだのは、ほんの一部で、きょうはじつに、三つの美術館をハシゴしたのだ。体力としては、たいへん疲れた連休最後の日となったのだ。

Img_7969_2 最初は、鏑木清方美術館。「美人画の巨匠へ」と通俗的な題名が着いている割には、数枚の見るべき画が展示されていて、ポスターになって、写真に写っている「朝涼」などは、ほんとうに見とれてしまった。清方は13歳から描き始めている。19歳のときの絵も、なんとも人生の大方を知ってしまったような筆致なのだ。盲目の三味線弾きが、子どもの手に引かれて、深川木場辺りを歩んでいく。その後、どのような人生を送ったのか、と想像したくなってしまいそうな、物語性豊かな絵なのだ。Img_7971 物語性といえば、いつもの清方が清楚な美人だけが印象に残っているために、挿画作家としてのイメージが無かったが、今回の展覧会での「にごりえ」シリーズなどは、多面的な顔を見せていて興味深かった。それから、曲亭馬琴と口述筆記の女性を描いた絵は、物語性ということを通り越して、もっと本質的なことが描かれていて、このような場面はそうあるものじゃない、と見入ってしまったのだった。

さらに、人混みをかき分けるようにして、小町通りを北上して、県立近代美術館鎌倉館の「片岡球子展」に入る。片岡は、わたしが今住んでいる弘明寺にある大岡小学校に約30年間、美術の先生として勤めていて、この学校には現在でも彼女の壁画が残されていて、その意味でも親しさを感ずる画家だ。

Img_8025_2 この県立近代美術館の古い建物は、いつきても、石とコンクリートがじつに質素な感じに組まれていて、建物としても好きなところなのだ。もちろん、展覧会も素晴らしかった。最初の「カンナ」は、赤い色使いの名手たる片岡の代名詞的な画だと思う。そして、今回一番多く展示されていたのは、「面構え」シリーズだった。誰もがどこかで見たことがあるような、歴史上の人物を戯画風に描いていて、笑ってしまうほどの作品群だ。これらも典型的でよいのだが、じつは今回のメインである「デッサンから絵画にいたるプロセス」が展示となっているところが、じつは本当に面白かった。

Img_8026 たとえば、デッサンにはフェルトペンが使われていて、その段階ですでに、極太の線が書き入れられていて、感情がほとばしっているのだが、そのデッサンの大部分は、本画では捨てられているのだ。ダイナミックさが見所であると思われているのだが、実際にはそうとは言えないかもしれないのだ。デッサンから始まって、実際に描かれる段階では、それが抑制されている。それがよく出ているのが、56歳のときに描かれた「幻想」で、デッサンでは舞台での役者の「動」を書き込んでいるのだが、実際に書き込まれたものは、「動」と言うよりは、もっと「動」の元となるものであった。役者の「長い演技」みたいなことを見なければならない、と説明文には記されていたように記憶している。この「長い」ということは、いったい何なのだろうか。

Img_8005_2 海を描いた絵が二枚あった。片岡球子が描こうと思って、最初海に対峙したときに、恐怖を感じたらしい。けれども、数日間通っているうちに、恐怖感がなくなり、海が見えてくるようになった、と解説に書かれていた。「長い」こととは、このようなことなのではないかとも思った。

Img_8023 なぜか、展覧会とは直接関係ない彫刻が何点か、一階のロビーに掲げられていた。建物の一部として、見せてくれたのか、それとも、何か特別な意味があったのかは今となっては、聞く訳にもいかないが、その中で、ケネス・アーミテージの「訪問者たち」にとくに心が引かれた。人間らしいものが三つ繋がって、ブロンズ像として成立している。このような人間の結びつきもあったのか、と二三回振り返って、確認してしまったほどだった。

Img_8047 盛りだくさんだとは思ったが、さらに北上を続け、鎌倉館の別館へも行く。昨年度新収蔵の作品を55点展示していた。ここでも、ひとつひとつ忘れがたいものに出会ったし、さすがに誰々のものだと感じたものもあり、今後の特集される展覧会にそれぞれでてくることだろうことを期待させるものばかりだった。帰り道、紅茶とケーキの店があったので、足のつかれと、喉の乾きを癒す。みやげにいつもの豆たちも忘れずに購入する。逗子経由で帰る。

Img_8051 さて、仕事のワナからはほんとうに首尾よく脱出することができたのだが、そのかわり、今度はまたまた感性のワナにかかってしまって、当分このワナからは抜け出すことはできないだろう。真の不徳の致すところだと反省している。伝わるかどうかわからないが、仕事を待ってもらっている方がた、ほんとうにごめんなさい。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。