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2013/03/19

劇中劇で二重に言いたかったことは何か

0319朝早く目覚めてしまったので、明け方の空が次第に透明色になっていくのを観ながら、ホテルで原稿校正をたんたんとこなす。今日も決定的なところで、手直しがあったりして、なかなか前へ進んでくれない。

途中、資料を見る必要ができ、さらに今回の出張理由の資料収集の必要もあったので、パタパタと原稿を片付けて、K大附属図書館へ場所を移して、継続することにする。移動の途中で、すこし早かったけれども、シニアが毎日通うような、学生食堂の趣のある「M」レストランで、本日のランチを食べる。魚とハンバーグの盛り合わせだった。0319_9図書館は、連日通っていて事情がわかってきたが、大学が春休みのために、会計や法律の資格試験を受けるための学生しか利用していないようだ。

この図書館に最初にきたときの印象が良かった。いつもは、個人机の場所を探し、長期戦で籠るようなことが多いのだが、この図書館だけは違ったのだ。最初にきたときに、一番奥の大テーブルに座って、図書館のフロアーの半分が見渡せる空間のもとで、本を片端から読んでいった。柱が50メートルほど全くない広々としたところが、とても解放的で良い。遠目に三方大きな窓が開かれていて、外の世界に通じているかのような席に座ったのだった。

このような大テーブルで、仕事をする醍醐味は、考えてみれば、小学校の図書館に始まったと言ってよいだろう。特に、記憶に残っているのが、有栖川公園にある都立中央図書館へ大学生時代に通ったときである。ここは、テーブルの席を取ること自体が、激戦で、朝には入り口にずらっと行列ができた。大テーブルは4人がけで、きちきちだったにも関わらず、大広間だったこともあって、ずいぶんと読書量が進んだ経験がある。違う本を読んでいるにもかかわらず、みんなが一緒に本を読んでいるのだ。まわりを見渡して、不思議な感覚を持ったものだ。

0319_2「京都シネマ」という場所を、今回初めて訪れた。以前、京極近辺に映画館があったが、観光客に浸食されて、何時の間にかなくなった。それで、京都駅や二条駅のシネコンにはのらない名画座系の映画をどうするのか、と思っていた。仕事帰りにちょっと寄る場所としても適当で、昨日のような喫茶店もちょっと歩けばいくつかあるし、京都生活は充実した都市空間を造りつつある。夕方になって、肩こりが激しくなってきたので、繁華街へもどってきたのだ。出張先での映画は、今回「塀の中のジュリアス・シーザー」を選んだ。

0319_3現代に存在する刑務所の受刑者たちが、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」を更生活動の一環として演ずるために、刑務所のあらゆる場所を利用して、演じていくという映画だ。目指すところは少し抽象的だが、「自由と強制」の問題が見てとれる。

0319_4ひとつは、映画のなかで、もうひとつは、刑務所のなかで、このことが演じられていく。劇の中では、シーザーの独裁に対して、ブルータスの自由ということで、この劇中劇自体はシェイクスピアのシナリオ通り進んだ。けれども、それからちょっとずれるが、ブルータスは、友としてのシーザーを取るか、それとも、ローマを取るかを悩むという設定だ。

0319_5それに対して、シーザーの忠実な部下だった、アントニーは違う見解を保っていた。最初は、ローマ市民が追究しているのは共同利益であったのが、次第に、個別利益が強調されて、傾いていくことになる。アントニーは、それに便乗して、後継者たる正当性を主張することになる。面白い構図だった。

0319_6興味深いのは、なぜ受刑者がシェイクスピアを演ずるのか、という点だ。映画の最後のシーンで、「芸術を知ってから、監房が牢獄になった」と受刑者に言わせており、このことが結論と見てよいだろう。でも、さらにひっくり返して、人間はどんなに限定的な場所でも、一緒に協力してくれる人がいれば、いつでも最高の生を生きることができるだろう、というアウシュビッツでの言葉でも良かったのではないだろうか。

0319_7夕食は、姉小路の建物二階にある喫茶店「K」で食事をする。この通りには、名だたる店や旅館が並んでいて、目に触れないような、いかにも京都らしい趣向のあふれた界隈を形成している。この「K」も、この店を知らなければ、きっと見過ごしてしまうことだろう。0319_8看板らしい看板はなくて、ちょっと名前が表示されていて、ところが店へ入ると、広々とした居心地の良い空間に出会うことができるのだ。たぶん、一見さんお断り、の良い伝統を保っているのだと思われる。この広い空間は、その昔、着物の作業場であったとのことだ。

0320_2ワインとラタトゥユ、そして今日最後のコーヒーを飲み、画廊やギャラリーの窓を楽しみながら帰る。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。