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2013/03/20

紙一重の生活とゆとりと

0320 京都駅の新幹線ホームに並んで電車を待っていた。前の列車が今、まさに出発しようとしているのを見ていた。そこへ客が駆け込んできたのだが、目の前でドアが閉まってしまったのだ。紙一重の差だった。ところが、勝負はまだ着いていなかった。閉まりかけた新幹線のドアへ、ビニール傘を差し込んでいたのだった。見ていた皆はあっと叫んだが、その客はあたかも最初から計画されていたように、悪びれることなく、冷静沈着そのもので確信犯的だった。

案の定、「ドアを開けます」と駅員のアナウンスが入り、まんまとその客は、間に合ったのだ。外国であれば、きっと皆が「コングラチュレーション」と賞賛したことだろう。わたしもやったねと叫んでしまったくらい、手際が良かったのだ。入り口に入って、こちらを振り返った。二十歳くらいの、ぽちゃっとしたお嬢さんだった。これは、何回かやっているな。

たぶん、鉄道の専門家がいたならば、事故につながる危ない行為だ、とお叱りをもらったかもしれない。けれども、考えてみれば、新幹線は所詮機械の固まりであって、本来は乗客へのサービスが優先されるべきだ。また、日本の新幹線技術、とりわけ安全技術は素晴らしいもので、あの長い列車のどこかのドアで異常を感じたら、出発せずにもう一度ドアを開閉することになっているらしい。あと一歩の客を乗せずに出発したならば、きっと機械の本分にもとると新幹線自体が思っているのだろう。ということを考えるならば、ちょっとした機転を効かせた、このお嬢さんにやはり軍配をあげたいと思う。悪びれないところが、世代の差を感じる。

じつは上には上があるもので、このお嬢さんが乗り込んだあとに、すぐまた遅れてきた男性二人組が、あわてて一緒に飛び乗ったのである。つまり、三人が乗り遅れたであろうところ、皆が間に合ってしまったことになる。世の中は、このようなことがあるから、最後まであきらめてはいけないのだ。西部劇のように、汽車を追いかけて、階段から走りながら乗り込むくらいはあっても良いと思う。

わたしならどうしたかって? 年寄りなので、ドアの前までいく前に、あきらめてしまうだろうな。傘を差し込む勇気などはさらさらないだろう。皆が乗り遅れたのは、ひかり号だから、わたしだったら、次ののぞみ号で追いかけて、途中の名古屋辺りで追いつき、本来のひかり号へ乗り換えるだろうな。年は取りたくないものだ。

新幹線の中で、この二、三日に街を歩いて遭遇したことを反芻し、「京都的」とはなにか、と考えた。おばんざい、京野菜、町家、御所に、お寺、京習慣などかずかず上がってくるのだが、やはり人間の問題かな。複合的な人びとの接し方じゃないか、と思う。表面的には、町家がそうであるように、格子窓でよそよそしく装っているが、ひとたび中へ入っていくと、土間があり、中庭があって、奥が深い。これに合わせた人間関係が発達している。

0320_2 昼食に、老舗の喫茶店「I」でランチを頼む。ここは、表から見えるところは普通の近代的な喫茶店とかわりないのだが、奥に入ると丸くソファーが巡らせてあって、一人客であっても、居心地の良い作りになっている。すでに、足腰の覚束ないような年を取った方々が、皆ひとりで食事をしている。

なにしろ混んでいて、なかなか料理が出てこない、なんとか約束の時間までに食べ終えたのだが、コーヒーを食事のあとに頼んでいて間に合わなかった。それで、事情を言って、お金を払って出てきた。ところが、2百メートルくらい来たところで、追いかけてきたレジの人に呼び止められ、お金を返しますと言われてしまった。近くの歩いて見ていた人も、返してもらったら、と口を挟んでくる。

0320_3 この商習慣の感覚と、街の人びとの感覚は、やはり京都的だな、と思う。もっとも、大阪の言葉も京都の言葉も見分けがつかないものの言うことだから、寛容の精神で聞いてほしいのだが。食事をしたのだからその分をとるという合理主義的な考え方を取らずに、むしろ信用を大切にする、というのれんの使い分けを行っているところに特色があると思われる。0320_4 この感覚は、たとえ観光客に毒されても、残して欲しいと思う。というより、むしろ、わたしのような一見の客が来るからこそ、かえって京都感覚らしさも養われていると思いたいところだ。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。