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2013/03/05

自分はいつ人間になったのか

0305 「最初の人間」という直訳で、題名がつけられている映画を観た。カミュの自伝的な物語だということで、興味を持った。どのようにしてこの映画の主人公が「人間」になったのか、言葉を獲得するまでに、どのような人間関係が存在していたのか、というテーマだった。

アルジェリア出身のパリ在住の著名小説家が、貧困だった昔を振り返りながら、過去と現在の両方ともに解決されない、不条理な状況を詩的に描写する。

0305_2 何が詩的なのかといえば、母との関係が最もそうだった。これは父親が早くに戦争でなくなり、祖母が父親役を担っていたことに大いに原因があるのだと思われる。母親に対して遠くから眺めていて、主人公が母親の近くに現れると、母親に遠ざけられてしまうという関係を見せている。このことを象徴しているのが、「賢い子は街を出なければならない」と母に言われ、アルジェリアを後にすることになるのだ。これは、親子関係としては不条理のように見えるが、地域社会にとっては人的循環を図ることになり、極めて社会的には合理的なことだと思われる。

0305_3 もう一つは、主人公と国との関係だ。何回かのアルジェリア戦争を、フランスは経験してきているのだが、アルジェリア人にとっては、フランスとアルジェリアと二つの国に生きることになる。つまり、フランス人とアルジェリア在住のアラブ人との間に、どんなに争いがあろうと、共生しなければならないという宿命がある。映像には、アルジェリアに帰ってきて、現地の大学での演説における観衆との距離感がよく出ていた。また、小学校でのケンカ友だちであるアラブ人のエピソードも、どうしようもない距離感が埋まらなかった例として、きわめて迫ってくる現実感のある物語だ。

0305_4 結局のところ、自分とは何か、いつ自分は人間になったのか、と思うのだ。当然のように、観ているわたし自身にも迫ってくる問題だ。0305_5 映画の冒頭で、曖昧な映像が急に焦点を結び出す。それは、父親の墓を探し出した時からだ。父親と母親の間から、最初の人間が生まれたのだ。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。