« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

2013年3月に作成された投稿

2013/03/30

人生の目的を決められない男の物語、でも誰だって自分だけで決めているわけではない

Sn3t0173_2 人生の目的を決められない男の物語、でも誰だって自分だけで決めているわけではない。映画「ザ・マスター」を見る。この自分の人生を自分で決められない男フレディが主人公だ。自分の人生を自分で決めるとは、どのようなことなのかが、何となくわかってくる。この点では、再帰的なトリックの詰まった映画だといえるかもしれない。このような精神分析的な裏読みがいくらでもできる、いわば玄人受けする映画だと思われる。

主人公は、海軍の水兵として従軍して、アルコール依存症になる。各地を点々とするのだが、それはなぜかと言えば、感情的な偏りがあるために、自分を制御できない状態にたびたび陥るからだ。そのような時に、これまでの人生の目的を与えてくれていた、「軍の支配」や「家族の支配」の代わりとなる、「マスターの支配」に出会うことになる。フレディは、アルコール依存症特有の目的意識の脱落状態に陥っていたので、精神的な「治療」を施してくれる「マスター」であるランカスターの存在は、フレディにとって絶対的なものとなる。これは心理学的にいうところの「転移」ではないかと思われる。親密な関係から、権威的な関係へ移行していく。マスターとの信頼関係は、フレディの病状に対して一時的には良好にはたらくが、最終的には、破綻するという物語だ。

もうひとつの「マスター関係」が描かれていて、こちらもたいへん興味深い。マスターとマスターの妻との関係だ。この妻の大写しの顔のシーンが、映画が終わってからも、脳裏から離れない。この映画でたびたび出てくる顔の大写しは、意図されたもので、たいへん効果的だ。映画それ自体が夢に出てきそうなのだが、実際にわたしの夢に出てきた顔は、もちろん現実の妻の顔であったのだった。これはどういう意味があるのだろうか。

この映画のどこが素晴らしいのかといえば、映像への集中度だと思われる。大写しの顔の写し方もそのひとつだが、それ以外にもたとえば、マスターが弁舌に失敗するという、ひとつの事件が起こって、帰りに皆でエレベーターに乗り込むシーンがある。この危機感をどのように映像に定着できるのか。人びとの配置は重要だ。けれども、「沈黙の演技」というものがこの絵のなかに全員のものとして入っていることが必要なのだ。ほんの数秒の演技ではあるが、演技者の魂のこもったシーンだと思う。

フレディの目的意識の無さを、映像でどのように表現できるのか、これも見所だった。オートバイに乗って、目標として定めた岩へ行って帰ってくるという、砂漠での心理訓練プログラムをマスターが組む。案の定、フレディは帰ってこないのだ。大掛かりなロケで、これほどまでにして、映像を造っていく必要があるのだ。

それにしても、この脇役を努めるシーモア・ホフマンという役者には、しゃべり方の演技に独特なところがある。そのためか、しきりになぜか、政治家チャーチルを演じさせてみたい気がして仕方がなかった。

2013/03/21

映画「千年の愉楽」を観る

0320 どのような共同体にあっても、人びとのコミュニケーションさえ通じていれば、共同の基本は守られているとみてよい。けれども、その共同体以外の者が一見したところでは、この共同体のコミュニケーションがとんでもないものに見えてしまうこともある。いわゆる「困った人」と呼ばれる人びとがどのような共同体にもいるのだ。

この中上健次原作、若松孝二監督の映画「千年の愉楽」では、「路地」と呼ばれる熊野の地域共同体が舞台である。主として物語を繋いでいる「産婆と住職の夫婦」の家を中心とした坂道に、この路地は発達していて、ここにも、伝統的に困った家系が存在するのだ。ナカモト家の男系は美男子ぞろいで、オンナにもてるのだが、それが災いして、皆若くして命が果てる、という神話的物語なのだ。

その人びとがいることで、その共同体には魂が吹き込まれるが、同時に、死神に取り付かれもするのだ。生と死の隣り合わせの、奇妙な路地なのだ。このナカモト家のオンナの影が薄いのが気になるところなのだが、それは現代におけるオンナが過剰に表に出てきていることを、正反対の隠喩で示している。この物語は、あくまで神話の時代の物語なのだ。

共同体の一員が、オンナに代々好かれる「病気」を持っていて、この穢れをいかに共同体の中で、きれいに浄めることができるのかが、共同体にとっての最大かつ最も根源的な問題なのだ。穢れを洗い浄めることを描いた映画、という位置づけの映画だと思われる。この設定は秀逸で、共同体を賭けて、生と死の境を乗り越えて、共同体というものの根源性を問うことができるかもしれないと感じられた。

大筋は、ナカモトの男たちが生命を落として、穢れを自浄した、ということになるかもしれないが、やはり共同体を守るために、共同体を支えるために、過剰な男たちは死を迎えなければならなかったのだ、と考えたい。突然、突き上げてくる生の衝動は、みんなで抑えなければ、収拾がつかない、ということではないか。現代では、これほど強烈な生の衝動は、長々と続く路地が無いのと同様に、なかなか見ることはできない。

2013/03/20

紙一重の生活とゆとりと

0320 京都駅の新幹線ホームに並んで電車を待っていた。前の列車が今、まさに出発しようとしているのを見ていた。そこへ客が駆け込んできたのだが、目の前でドアが閉まってしまったのだ。紙一重の差だった。ところが、勝負はまだ着いていなかった。閉まりかけた新幹線のドアへ、ビニール傘を差し込んでいたのだった。見ていた皆はあっと叫んだが、その客はあたかも最初から計画されていたように、悪びれることなく、冷静沈着そのもので確信犯的だった。

案の定、「ドアを開けます」と駅員のアナウンスが入り、まんまとその客は、間に合ったのだ。外国であれば、きっと皆が「コングラチュレーション」と賞賛したことだろう。わたしもやったねと叫んでしまったくらい、手際が良かったのだ。入り口に入って、こちらを振り返った。二十歳くらいの、ぽちゃっとしたお嬢さんだった。これは、何回かやっているな。

たぶん、鉄道の専門家がいたならば、事故につながる危ない行為だ、とお叱りをもらったかもしれない。けれども、考えてみれば、新幹線は所詮機械の固まりであって、本来は乗客へのサービスが優先されるべきだ。また、日本の新幹線技術、とりわけ安全技術は素晴らしいもので、あの長い列車のどこかのドアで異常を感じたら、出発せずにもう一度ドアを開閉することになっているらしい。あと一歩の客を乗せずに出発したならば、きっと機械の本分にもとると新幹線自体が思っているのだろう。ということを考えるならば、ちょっとした機転を効かせた、このお嬢さんにやはり軍配をあげたいと思う。悪びれないところが、世代の差を感じる。

じつは上には上があるもので、このお嬢さんが乗り込んだあとに、すぐまた遅れてきた男性二人組が、あわてて一緒に飛び乗ったのである。つまり、三人が乗り遅れたであろうところ、皆が間に合ってしまったことになる。世の中は、このようなことがあるから、最後まであきらめてはいけないのだ。西部劇のように、汽車を追いかけて、階段から走りながら乗り込むくらいはあっても良いと思う。

わたしならどうしたかって? 年寄りなので、ドアの前までいく前に、あきらめてしまうだろうな。傘を差し込む勇気などはさらさらないだろう。皆が乗り遅れたのは、ひかり号だから、わたしだったら、次ののぞみ号で追いかけて、途中の名古屋辺りで追いつき、本来のひかり号へ乗り換えるだろうな。年は取りたくないものだ。

新幹線の中で、この二、三日に街を歩いて遭遇したことを反芻し、「京都的」とはなにか、と考えた。おばんざい、京野菜、町家、御所に、お寺、京習慣などかずかず上がってくるのだが、やはり人間の問題かな。複合的な人びとの接し方じゃないか、と思う。表面的には、町家がそうであるように、格子窓でよそよそしく装っているが、ひとたび中へ入っていくと、土間があり、中庭があって、奥が深い。これに合わせた人間関係が発達している。

0320_2 昼食に、老舗の喫茶店「I」でランチを頼む。ここは、表から見えるところは普通の近代的な喫茶店とかわりないのだが、奥に入ると丸くソファーが巡らせてあって、一人客であっても、居心地の良い作りになっている。すでに、足腰の覚束ないような年を取った方々が、皆ひとりで食事をしている。

なにしろ混んでいて、なかなか料理が出てこない、なんとか約束の時間までに食べ終えたのだが、コーヒーを食事のあとに頼んでいて間に合わなかった。それで、事情を言って、お金を払って出てきた。ところが、2百メートルくらい来たところで、追いかけてきたレジの人に呼び止められ、お金を返しますと言われてしまった。近くの歩いて見ていた人も、返してもらったら、と口を挟んでくる。

0320_3 この商習慣の感覚と、街の人びとの感覚は、やはり京都的だな、と思う。もっとも、大阪の言葉も京都の言葉も見分けがつかないものの言うことだから、寛容の精神で聞いてほしいのだが。食事をしたのだからその分をとるという合理主義的な考え方を取らずに、むしろ信用を大切にする、というのれんの使い分けを行っているところに特色があると思われる。0320_4 この感覚は、たとえ観光客に毒されても、残して欲しいと思う。というより、むしろ、わたしのような一見の客が来るからこそ、かえって京都感覚らしさも養われていると思いたいところだ。

2013/03/19

劇中劇で二重に言いたかったことは何か

0319朝早く目覚めてしまったので、明け方の空が次第に透明色になっていくのを観ながら、ホテルで原稿校正をたんたんとこなす。今日も決定的なところで、手直しがあったりして、なかなか前へ進んでくれない。

途中、資料を見る必要ができ、さらに今回の出張理由の資料収集の必要もあったので、パタパタと原稿を片付けて、K大附属図書館へ場所を移して、継続することにする。移動の途中で、すこし早かったけれども、シニアが毎日通うような、学生食堂の趣のある「M」レストランで、本日のランチを食べる。魚とハンバーグの盛り合わせだった。0319_9図書館は、連日通っていて事情がわかってきたが、大学が春休みのために、会計や法律の資格試験を受けるための学生しか利用していないようだ。

この図書館に最初にきたときの印象が良かった。いつもは、個人机の場所を探し、長期戦で籠るようなことが多いのだが、この図書館だけは違ったのだ。最初にきたときに、一番奥の大テーブルに座って、図書館のフロアーの半分が見渡せる空間のもとで、本を片端から読んでいった。柱が50メートルほど全くない広々としたところが、とても解放的で良い。遠目に三方大きな窓が開かれていて、外の世界に通じているかのような席に座ったのだった。

このような大テーブルで、仕事をする醍醐味は、考えてみれば、小学校の図書館に始まったと言ってよいだろう。特に、記憶に残っているのが、有栖川公園にある都立中央図書館へ大学生時代に通ったときである。ここは、テーブルの席を取ること自体が、激戦で、朝には入り口にずらっと行列ができた。大テーブルは4人がけで、きちきちだったにも関わらず、大広間だったこともあって、ずいぶんと読書量が進んだ経験がある。違う本を読んでいるにもかかわらず、みんなが一緒に本を読んでいるのだ。まわりを見渡して、不思議な感覚を持ったものだ。

0319_2「京都シネマ」という場所を、今回初めて訪れた。以前、京極近辺に映画館があったが、観光客に浸食されて、何時の間にかなくなった。それで、京都駅や二条駅のシネコンにはのらない名画座系の映画をどうするのか、と思っていた。仕事帰りにちょっと寄る場所としても適当で、昨日のような喫茶店もちょっと歩けばいくつかあるし、京都生活は充実した都市空間を造りつつある。夕方になって、肩こりが激しくなってきたので、繁華街へもどってきたのだ。出張先での映画は、今回「塀の中のジュリアス・シーザー」を選んだ。

0319_3現代に存在する刑務所の受刑者たちが、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」を更生活動の一環として演ずるために、刑務所のあらゆる場所を利用して、演じていくという映画だ。目指すところは少し抽象的だが、「自由と強制」の問題が見てとれる。

0319_4ひとつは、映画のなかで、もうひとつは、刑務所のなかで、このことが演じられていく。劇の中では、シーザーの独裁に対して、ブルータスの自由ということで、この劇中劇自体はシェイクスピアのシナリオ通り進んだ。けれども、それからちょっとずれるが、ブルータスは、友としてのシーザーを取るか、それとも、ローマを取るかを悩むという設定だ。

0319_5それに対して、シーザーの忠実な部下だった、アントニーは違う見解を保っていた。最初は、ローマ市民が追究しているのは共同利益であったのが、次第に、個別利益が強調されて、傾いていくことになる。アントニーは、それに便乗して、後継者たる正当性を主張することになる。面白い構図だった。

0319_6興味深いのは、なぜ受刑者がシェイクスピアを演ずるのか、という点だ。映画の最後のシーンで、「芸術を知ってから、監房が牢獄になった」と受刑者に言わせており、このことが結論と見てよいだろう。でも、さらにひっくり返して、人間はどんなに限定的な場所でも、一緒に協力してくれる人がいれば、いつでも最高の生を生きることができるだろう、というアウシュビッツでの言葉でも良かったのではないだろうか。

0319_7夕食は、姉小路の建物二階にある喫茶店「K」で食事をする。この通りには、名だたる店や旅館が並んでいて、目に触れないような、いかにも京都らしい趣向のあふれた界隈を形成している。この「K」も、この店を知らなければ、きっと見過ごしてしまうことだろう。0319_8看板らしい看板はなくて、ちょっと名前が表示されていて、ところが店へ入ると、広々とした居心地の良い空間に出会うことができるのだ。たぶん、一見さんお断り、の良い伝統を保っているのだと思われる。この広い空間は、その昔、着物の作業場であったとのことだ。

0320_2ワインとラタトゥユ、そして今日最後のコーヒーを飲み、画廊やギャラリーの窓を楽しみながら帰る。

2013/03/18

言葉を超えること

0318朝早く起きて、宿を出る。午前中は図書館へ籠もって、仕事、ワークワク。校正を行っているのだが、なかなか進まない。編集者Nさんの顔が見えてくる。

それも、どうも1章分の辻褄が合わないということが、わかってきていることもある。本も一冊になってくると、情報量が格段に増えてきてしまって、あちこちで初期的なほころびを見せている。今回とくに参っているのが、内容があちこちの章で重なっていて、繰り返しが多いという点であり、同じ論旨で、違う章でも使っているらしい。

0318_3カミュのごとくに、繰り返すことに意味があるならば、編集者も納得がいくだろう。どうもそうではないらしい。と、人ごとのようなことを言っているから、催促がきてしまっているのだ。それで、京都にきてからも、午前中は図書館へ籠もって、本来の資料収集と同時に、校正に血道をあげ、陳列されている本を頼りに、参考文献の注を充実するために使っているのだ。

0318_4強いて言えば、もう一つ情熱がぐぐっと来ていない、足りないのだと、自分では思っている。いつもなら、これだけの原稿を出したからには、一気に最終へ向かうはずである。それでと言っても理由にもならないが、午後からは気分を変えて、頭に栄養を与え、甘いものを仕入れようと、鴨川を渡って、いつもながらの饅頭屋さんの行列に並ぶ。

これだけの大きな豆餅なのに、お腹に入ってしまうともう一つ欲しいと思ってしまうから不思議だ。そして、これをお土産に、Kくんに会いに大阪へ向かう。

0318_5Kくんが別れる時に、示唆的なことを言っていたことを思い出した。もし人間がコミュニケーションということを必要とするとしたら、すでにコミュニケーションが成り立っている時ではなく、むしろ何らかの理由でコミュニケーションが途絶えようとしている時に、はじめてコミュニケーションが必要になるのだ、と。0318_6Kくんらしい、言葉の超え方だな、と感心したのだった。原稿を仕上げることも、コミュニケーションの一つだと考えるならば、今がちょうど途絶えようとしている時かもしれない。ここを超えたいものだ。

0317_9帰りに、祇園四条へ出る。南にすこし下った路地に入ると、京都特有の懐の深い、一軒家的な喫茶店が幾つかある。建仁寺の近くに、カフェ「O」があって、ちょっと長居して、気持ちを整えることにする。

表の赤を基調にした華やかさとは対象的に、内部の装いは、グリーンを基調にした落ち着いた部屋になっている。このところ追求している多様性ということを、喫茶店で追求したら、きっとこんな風になるだろうな、という佇まいだ。座りやすそうなグリーンのソファがあったけれど、残念ながら、空いていなかったので、少し高目の丸テーブルの席に着く。隣りが古本の書架になっていたので、森茉莉の短編集や、四方田犬彦の食卓の上の小さな混沌などを読みながら、時間を過ごすことができた。

0318_8ちょうど同じ頃入った女性客が、友人と待ち合わせていたらしく、近くの席に移ってきた。聞くともなしに、聞こえてきた話は、小さな人生相談で、人間関係を相談していた。

今日一日を振り返るのに、京都では徒歩圏内に、このような適当な場所がいくつかあるのだ。徒歩圏内というところが重要で、映画を見たり、ゼミを行ったりしたあと、ふらっと寄って、一日の終わりを迎えることができることが重要なのだ。0317_10こここそ、昨日述べた小さな部屋の複雑な構成をもった喫茶店なのだ。そして、利用する徒歩圏内の街の充実した場所なのだ。コミュニケーションの途絶えがちな友を呼び出して、ちょっとしゃべってみたいところなのだと思った。

2013/03/17

図書館が休館だった

0317K大の附属図書館へ上っていくと、本日休館の札が大きくかかっていた。ホームページでいつも確かめてから、訪れることにしているので、まさか臨時休館になっているとは思わなかった。何人かの学生も、玄関内のカレンダーを恨めしそうに観ていたから、やはり急なことだったのだと思われる。

0317_2仕方ないので、学部のいくつかの図書館や情報基盤センターも見てみたが、やはり同じで、今日のところは資料収集を諦めざるを得ないこととなった。南の吉田寮を抜けて、スペイン風の柱と屋根が素敵な楽友会館を左にみて、近衛町の病院を右に通り過ぎて、聖護院にたどり着く。

0317_3喫茶店は、わたしにとって、図書館の代替場所である。それ以上の時もある程である。京都で落ち着く場所のいくつかの中でも、20歳ごろから来ているJazz喫茶「Y」で仕事を続けることにする。久し振りにきたのだが、すっかりきれいなビルに建て変わっていて、店の前には、赤い大きなベンチが置いてあって、「ゆっくりしていく」ことを誘っている。中は、以前とかなり変わっていて、カウンター中心で、マスターの目の届くところに多くの席がつくられている。

0317_4この辺は、賛否のあるところだと思われる。喫茶店で落ち着く条件の一つに、小さな部屋に分かれていて、かつそれらが複数、開放的に造られている必要があるのだ。全体に同じ空気、雰囲気が漂っていることが必要だが、かといって、それらが均質な大きな空間を形成してしまうのは避けなければならない。別々に異なる空間を構成している必要があるのだ。小さな部屋の組み合わせが、喫茶店の基本的なあり方だと思っている。

0317_5「Y」でも、以前のレコードが数万枚収納されている戸棚は健在で、それの前には、大きな空間から切り離された、小さな空間が確保されている。当然ながら、わたしはこちらの空間に籠もらせていただいたのだ。コルトレーンなどの典型的な曲がかかって、おおいに仕事が進んだのだった。

0317_6夕暮れが迫ってきて、ここからバスで四条河原町へ出て、宿舎を取っているホテル近くにある、もう一軒の喫茶店に入ることにした。繁華街から百メートルほど南へ下がったところにあるカフェ「G」である。ここは初めてであったが、入ってすぐに、居心地の良さを感じた。小さな部屋の複雑な構成をもつほどの建物の余裕はないが、狭い間口から入って細長い通路の両側に、それぞれ異なる小さなコーナーを設けていて、一人でも二人でも、三人以上でも対応できるような複数の形態の席が造られている喫茶店なのだ。

0317_7さっそく、右奥の壁ぎわにある細い棚を前にした独りがけの場所を占有することにする。夜も迫っていて、お腹がすいてきたので、ここの名物「ぐりぐらカレー」を食べる。オクラとレンコンが乗っていて、カレーそれ自体が絵本のようだ。0317_8このように絵本があり、美味しいカレーをだすところは、女性客が圧倒的だが、子連れやカップルも見られた。喫茶店全体が、絵本の「ぐりとぐら」の世界になっていて、昔の世界を思い出すのに、心地よい空間を提供している。帰りに、子供たちの小さな頃を思い出しながら、夜道を歩いた。

2013/03/16

「事実」は十分にドラマティックだ

0317「事実」は十分にドラマティックであり、そうあるべき状態を悠々と超えてしまう。映画「愛、アムール」を観る。アカデミー外国語賞を獲得した作品だ。極めて現代的な、自宅での妻への介護という問題を扱っている。ピアニスト同士の夫婦が都市のマンションに住んでいる。妻が突然半身不随になるところから、ドラマが始まる。

舞台となっているところがほとんど自宅であるのだが、同時にこのことが愛の問題ということを象徴的に表しているのだ。自宅は18世紀調の広い玄関ホールを挟んで、二つに分かれている。左へ行くと、閉鎖的な寝室へ向かう。右に行くと、夫婦の会話が交わされていた食堂と、客が来ると通されるピアノのある客間に通じている。ここは開かれている。映画も、前半には自宅の右半分で開かれた社交が演じられる。後半には、愛の閉じられた物語となる。

たぶん、この話はほとんど実話で、誰の身にも起こってしまうくらい、普遍的な問題を含んだ話なのだ。それほど、誰が見ても、自分の姿がそこに投影されてしまうだろう。現実が「愛」という妥当な状態を超えてしまって、そのまま「愛」という事実として十分にレベルの違うところの妥当性を獲得してしまっている。

それも、わたしたちが常日頃認めている、そうあるべきだという、妥当性というものが、事実として現実世界の内にあり、それを突き動かしているからであって、そのような事実が実際の事実として作用しているからかもしれない。それでは、妥当性を獲得した事実はどうなるのか。結局のところ、レベルを一つあげた、もうひとつ上の妥当性の審判を受けることになるのだ。けれども、家族にあっては、そして夫婦間にあっては、すでに存在しているような妥当性など、誰も判定できないだろう。それほど、愛は複雑だ。

介護は十分にドラマティックであり、あるべき姿を悠々と簡単に超えていく。介護には、さらに「愛」というものが加算され、いわば愛が過剰となった時、重ねられた本人たちは相当な重圧を互いに受けることになるのだ。それが、この映画では十分に描かれている。

寝たきりになった二人の会話のなかで、世話をすることを巡って、次のような会話が交わされていた。世話をするとは、どのようなことなのか。世話をされる方は、負い目を感じることになるし、世話をする方も貸しを与えたような気分になるのだということだ。それで、夫は次のようにいうことになる。「負い目を感ずることはないのだ、立場が互いに逆であったら、同じことをしただろう」と言い、交換論的な介護論を展開している。果たして、立場の互換性で、寝たきり老人の世話を説明することができるだろうか。

結末をいうわけにはいかないけれども、思いがけない結末が用意されている。

2013/03/10

学習センターの「多様性」はいかに可能か

0310k 神奈川学習センターの年次例会となったK-サポート発表会と、歓送迎会が行われた。新旧の学習センター所長と、新旧の事務長が同時に変わるというので、学習センターにとっては、大転換の季節となった。本部所属となった、わたしの出席するのもおかしなものだが、開所以来の付き合いということで、特別に呼ばれていると勝手に思っている。学生の方々には、また神奈川学習センターへ戻ってくるのですか、などとお世辞?に言ってくださる方もいて、実際のところ、呼ばれてたいへんうれしい限りだ。

0310k_2 今日感じたのは、学習センターの「多様性」ということだ。ここ数年にわたって、このサポート参加者は、最初はかなり限られた学生の方々と一緒に行い、つぎにそれを上回る人数の方々が加わり、そして最後はすべての学生の方々へ向かって、この多様性が広がってきたのだ。その最初の限られた学生というのは、どこの学習センターにもある同好会を母体としていた、だから今でも同好会の協議会というのと、0310k_3 このK-サポートとの関係は不分明ではないかと思われるのだが、そんなことはどちらでも良いだろう。実質的な活動がどんどん成立していけば、問題はない。いずれにしても、学生たちの活動の幅が広がったことは間違いないし、この「多様性」のあり方がたいへん良いものであったということも間違いないだろう。

0310k_4 たとえば、今日報告されたなかに、小さな組織というものの多様性のあり方が示唆的だった。それはわたしも属していた、K-サポートの「地域貢献グループ」のあり方だった。このグループは、Fさんを中心に活動を続けてきて成功した例の一つだ。それは、とくに11月に催されるウォーキング会に特徴がある。昨年には、100名規模の参加者を数えた。これに対して、今回このグループは、参加者の数を5分の1程度に制限したいと提案したのだった。それはもともと地域中心の小さなコミュニケーションを成り立たせようと活動を計画してきたのであり、規模が大きくなることが目的ではないからだ。たくさんの人が参加するから成功しているのではない、という主張には観るべきものがあると、思ったのだ。

0310k_5

実質的に、道路を歩いていくのに、10人くらいの10グループが列をなしていくのは、安全面や管理面から無理があるらしいのだが、それ以上に、少人数で行うことに意味があると、わたしは思う。実質的に3~5人のグループで、相互の意思疎通が可能になるだろう。この対話の規模を考えるならば、やはり100人という数字は大きすぎると思われる。結局のところ、人々のコミュニケーションを成立させることが、ウォーキングでは最終目標なのだから。

というように、何が成功の目安になるのかは、現場の判断がものを言うということであり、さらに人々の重なりを増すような「多様性」のあり方が問われていると思われる。

0310k_6 発表会が終わってから、歓送迎会は関内の立派なパーティ会場に場所を移した。ステージがあって、そこにあがると、照明がとてもきついのだが、何かしゃべらなければならないという気にさせる場所を保証している。そして、何かこれまで小さいことは良いことだ、と話していたのに、急に大きな場所に連れてこられてしまった、とちょっと思ってしまった。それにしても、K-サポートのKさん、同窓会のKさんをはじめ、数十名の方々に感謝したい。それから、こんなに大勢の写真を取ってくださった、いつもカメラマンに徹しているKさんにもお礼申し上げたい。米粒ほどの顔になってしまって失礼かもしれないが、かえって肖像権が消えてよいのかもしれない。全員の写真を掲載させていただくが、大方の許しを乞う次第である。

2013/03/06

ひとつの役目を終えて

一年間続いた、大学での一つの勤めを終えた。楽しさと苦しさの両方を味わわせてもらって、滅多に得ることができない経験だったと思っている。もちろん、仕事それ自体だけでなく、協力してくださった先生方と大学職員の方々に、絶大なる感謝を感じているのだが、それ以上に、民主主義的とはどういうことなのかを考えた一年でもあった。

0317 それは大学の一つの委員会での「委員長」と作業グループの「主査」だったのだが、社会科学を専門とするものとして、このような議論の中核を任されることは願ってもないことであった。それで、一年間という期限付きの職務を引き受けてきたが、それがようやく最終を迎えた。

委員会の内容については、守秘義務という今流行の考え方が支配しているので、言うことはできないが、さりとて、社会科学を学ぶものに取って、これを報告しないで、何を研究しているのだと言われかねないことなので、差し障りはないが重要であるところについて触れておきたい。

委員会や作業グループでの議論では、何が一番重要なのか。もちろん、目的は諸先生方の議論を整理し決定することなので、議論の最初や途中ではおおいに対立したりするのだが、そして譲歩もしたり、干渉したりするのだが、最後には一つの結論を導かなければならないところが面白く、大切なところだったことは、当然ながら間違いない。

実際の問題はたくさんあるのだが、言葉として残しておきたいことは、「議長の中間的というか、中立的な立場」ということだ。やってみればわかることだが、役割上、中間をバランスよく保つことが求められるのだ。議長だから、やはり議論の中での「縦の議論」は重要で、議論を程よく引っ張っていくには、議長のミクロ権力を行使して、時には多少強引な議事運営をすることもあり得るということだと、率直に思った。いくつかの誘導する手段は、暗々裏ではあるが試させてもらったことも、貴重な経験だった。程よさを知るには、極端も知っておく必要があるのだ。

だからといって、現在付き合いのある先生同士での議論だから、たとえば多数決ルールなどの、数にものを言わせるような強引な方法は採用することはできない。これは習慣の問題であり、「品性」の問題だ。

当然ながら、大学での議論は民主主義的な議論であるという伝統があり、最後には全員一致を目指して議論を行うことを基本にしている。最も良い案が出るまで、意見交換を繰り返すのが原則となっている。だから、「横の議論」ということが、もう一つの基本原則になる。

ところが、この「横の議論」というものを形成していこうとすると、並大抵の努力ではならないのだ。たとえば、原案が最初に出る。当然、反対論が続く。ここで議長の出番があり、これらの議論を整理して、何が対立点であり、何を決定しなければならないのか、あるいは、今回は決定を見送らなければならないのか、を示していく必要がある。比較対照をはっきりと示すことが必要で、ここで議論の中心が決まってしまうのだ。たびたび経験したのは、整理しても、異なる整理が絶えず出てきてしまって、何が議論の中心なのかが失われることがしばしば起こったことだ。このとき、効くのが常日頃からの日常からの議論だ。自分のことを考えてみると、やはり足りなかったのは、この「横の議論」だったな、と率直に反省しているところだ。

議長の面白さは、結局のところ何だといえば、縦の議論と横の議論の交差しているところにいて、両方をあるいは全体を観ることができることだ、と感じた次第である。

というような、反省の一日が終わって、家に帰り、早稲田大学のO先生のブログを開くと、わたしのことが載っている。表だってはそうは書いていないが、あまりにわたしのブログ更新が少ないので、それを促しているのだった。昔、宿題を忘れて、先生から促されたことを久しぶりに思い出した。また、新学期にお会いするのを楽しみにしている。

2013/03/05

自分はいつ人間になったのか

0305 「最初の人間」という直訳で、題名がつけられている映画を観た。カミュの自伝的な物語だということで、興味を持った。どのようにしてこの映画の主人公が「人間」になったのか、言葉を獲得するまでに、どのような人間関係が存在していたのか、というテーマだった。

アルジェリア出身のパリ在住の著名小説家が、貧困だった昔を振り返りながら、過去と現在の両方ともに解決されない、不条理な状況を詩的に描写する。

0305_2 何が詩的なのかといえば、母との関係が最もそうだった。これは父親が早くに戦争でなくなり、祖母が父親役を担っていたことに大いに原因があるのだと思われる。母親に対して遠くから眺めていて、主人公が母親の近くに現れると、母親に遠ざけられてしまうという関係を見せている。このことを象徴しているのが、「賢い子は街を出なければならない」と母に言われ、アルジェリアを後にすることになるのだ。これは、親子関係としては不条理のように見えるが、地域社会にとっては人的循環を図ることになり、極めて社会的には合理的なことだと思われる。

0305_3 もう一つは、主人公と国との関係だ。何回かのアルジェリア戦争を、フランスは経験してきているのだが、アルジェリア人にとっては、フランスとアルジェリアと二つの国に生きることになる。つまり、フランス人とアルジェリア在住のアラブ人との間に、どんなに争いがあろうと、共生しなければならないという宿命がある。映像には、アルジェリアに帰ってきて、現地の大学での演説における観衆との距離感がよく出ていた。また、小学校でのケンカ友だちであるアラブ人のエピソードも、どうしようもない距離感が埋まらなかった例として、きわめて迫ってくる現実感のある物語だ。

0305_4 結局のところ、自分とは何か、いつ自分は人間になったのか、と思うのだ。当然のように、観ているわたし自身にも迫ってくる問題だ。0305_5 映画の冒頭で、曖昧な映像が急に焦点を結び出す。それは、父親の墓を探し出した時からだ。父親と母親の間から、最初の人間が生まれたのだ。

2013/03/02

友人との感性的つき合いについて

0302夜のうち、雨がかなり降ってきて、タンタンと水の垂れる音が、低層の屋根に響く。それも、朝になると止んで、出かける頃には、晴れてきた。朝から仕事をしていて、相当進んだこともあり、京都駅へ出る頃には、すっかり気分も晴れてきた。

人並みに押されて、朝の錦小路を辿って、大丸の地下鉄口へ出る。操業1717年と看板にあり、京都商業の中心地であることを改めて想う。03021717友人Kくんに会いに琵琶湖湖畔へ向かう。彼との付き合いは長い。最初に、大学生時代の研究会を組織して以来の関係だ。時にはテーマが重なったりしたこともあるが、境界線の向こう側という感触を持った時期もあったりしたこともあり、ひとつの糸で繋がっているというわけではなく、複数のしかも複合した関係が、繰り返し何回も続いてきた、という感じだ。

0302_2この意味では、どういう友人か、と聞かれるのが一番困る。最も答えに困る関係だと思われる。ずいぶん世話になったこともあるし、引越しを手伝ったくらいの少しの世話をしたこともあり、利害関係こそあまりないが、しかし少ないながらも複雑な感情関係はあるのだ。お互いに同じことを考えて、それを競い合って生きてきたというよりは、つまりライバルとして道具的な理性によって互いの生活を生きてきたのではなく、むしろ強制されることなく、遠くから関連を静かに眺めるようなコミュニケーション的な理性を育んできたといえるかもしれない。友人ということは、だからきわめて曖昧で、はっきりした特定の関係がないにもかかわらず、あらゆることで共通点のないわけではないという関係だ。

もうひとつ加えるならば、やはり言葉の世界でのつき合いというところが、大きな位置を占めているような気がする。会話のやり取りは、だいたい印象に残っている。それから、論文を書くのも好きだが、論文を読むのも好きで、そのやり取りにはたいへん楽しい思い出が残っている。言葉の結びつきの大きな友人関係だと言って良いかもしれない。会話の力の大きさをいつも感じている。

共通の友人に、I君がいて、数年前から行方不明なのだ。それで、本人には申し訳ないが、いつもどうしているのか、会話の想像力でKくんと膨らましあっている。事実は、病気で長期入院しているか、事故にあって転地療養しているかだろうが、今日はもうひとつの可能性が、話しているうちに出てきた。I君はフランス語が得意で、フランスの田舎に長期滞在していたことがあることを思い出したのだ。それで、きっと向こうへ行って、女の人に捕まってしまったのだ、という可能性を、アランドロンの映画仕立てというわけではないが、今回二人で想像してみたのだ。もし当たっていたら、フランスからメールを送って欲しいと思う。遠くにいても、十分に友人であるのだから。

言葉の世界が大きかったので、それだけかと思っていたら、思い出したことがある。Kくんと大学で最初の頃出会った時、彼がマウスピースを携帯していた。高校時代に吹奏楽をやっていて、コンサートマスターだったことを知った。下宿にも、クラシック音楽のレコードが多く積まれていたように思う。けれども、その後言葉のつき合いが多くなったので、すっかりそのことを忘れてしまっていた。

それでは、日常的なつき合いの中で、感性的な関係はなかったのかといえば、幾つものことを思い出す。日常的なつき合いはしていなかったので、趣味については話したことがなかったように思っていたのだが、それはまったくの思い過ごしで、そんなわけではなかった。

0302_3なかでも印象に残っているのは、かなり昔になるが、銀座の松坂屋で開かれたピカソの版画展へ一緒に行ったのだ。それが、観客は多くはなかったにもかかわらず、版画の数が夥しい量で、午後までたっぷりと掛かってしまった。帰りに階段をおりながら、疲れの大きかったことを思い出した。あの制作への熱意ということは、確実に共有したと思った。このような共通体験は、陰に陽に関係に影響を与えていると思われる。

0302_4どのような友人関係なのか、を挙げていくと、その時間だけ項目が上がっていって、ゼノンのいう「アキレスと亀」がごとくの関係を形成することになるだろう。すべての関係の糸をすべてほぐすのは困難だ。友人関係なのだから、ほとんどすべてがインフォーマルな関係の特徴を持っていることは間違いない。何処かに表示されることもないし、ブログに載るくらいのインフォーマルな関係である。けれども、インフォーマルな関係だけに、多重性を持っていて、これを表現しようとすれば、おそらく多様な現れ方をしてしまって、この関係は気楽そうにみえるが、真実深そうには決して見えないだろうな、という感じだ。それは、照れというインフォーマル特有の現れ方が反映しているというよりは、隠れている部分がかなり多いし、底が深いことに由来しているのだ、ということになるのではないだろうか。

京都の宿に帰って、夕食には、いつも食事をする高瀬川沿いにあるレストラン「M」へ向かう。ちょうど中庭の席が空いていて、ゆったりとした食事をすることが出来た。ここに座っていると、旅先にもかかわらず日常が帰ってくるような感覚だ。料理が近年ちょっと脇道に逸れていて、経営が別の方向を観ているのではないかと気になるが、それは直すことができるだろう。最後は、いつものたっぷりとしたアメリカン・コーヒーをとって、一日を振り返る。

« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。