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2012/12/17

「ルーク、人生はこんなものでありうるのかしら?」

1217_12今日も、自転車に乗って、出掛ける。昨日、観光のパンフレットを見ていたら、産業遺跡群がこのホテルから近いところにあることがわかり、製鉄業を追っているものとしては、予定を変更してでも訪れたいと思ったのである。

1219司馬遼太郎の短編に、「アームストロング砲」という幕末の佐賀を描いたもののあることを思い出したのだ。読んだのは、製鉄業に興味を持つ前のことだから、すっかり忘れていた。幕末に佐賀では、精錬技術に長けていたので、高性能なアームストロング砲制作に臨んだのだが、背伸びしすぎて爆発を起こし、1219_6半身付随になるという筋だったと思われるが、有名な実話が存在することがわかった。

それの舞台となったのが、昨日までわたしが講義をおこなっていた学習センターの近くを流れる多布施川を南に下ったところに、かなり広大に広がった、「製錬方」や、「反射炉」であり、写真のように、佐賀平野の中でも、1219_2中心的なところに製鉄産業が展開されていたことを知ったのである。

はじめは、日新小学校の校庭にあるという、反射炉の形をした記念碑と、24ポンド砲の複製があるいう場所を目指した。1219_3おおよその検討をつけていたが、途中佐賀大などの建物を見ながら来たこともあって、ずいぶんと走ったような気がした。校庭には、子供達が戯れていて、記念碑も隠れん坊の遊び場でしかない。

1219_4反射炉の実用化ということを、わたしは軽視していた。やはり、製鉄産業というならば、高炉ではないか、と思っていた。だから、すでに粗鋼となったものを単に溶かすだけじゃないか、という念が強かった。それで、溶かすだけならば、村の鍛冶屋でも古代から行っていたことで、それほどの技術革新ではないのではないか、という思いだった。

1219_5ところが、ここが近代技術という点を強調するところであって。つまり、規模の違いなのだ。製品として作り出されるものが大量の鉄を必要とする大砲であった、という点が特別な点であると、今回理解した。たとえば、ここの築地反射炉と、多布施反射炉だけで、合計271門の大砲が作られたとある。これだけの大量な鉄ならば、鍛冶屋というわけにはいかないだろう。近代とは、大量ということなのだ。

1219_7公園があって、その隣が広い空き地になっている。公園を掃除している人に聞くと、まさに、ここが「精錬方」の場所であったということだった。説明の文に従うと、佐賀における「理化学研究所」であった、という表現が見られる。1219_8大学と工場が一体として開発された地域であるといえる。技術者のメッカであって、幕末の田中儀衛門などが結集されたと書かれていた。「強者どもの夢の跡」という雰囲気が一キロ四方から感じられる一帯なのだ。築地から、多布施にわたる広い一体で、共通して観察されることがある。それは、かなりの水流を保った川が流れていて、これらも河川技術によって、操作され、利用されたものだということだ。

1219_9多布施川の松並木を登って、アバンセの通りに出て、豆腐料理の「M」へ入る。千葉学習センター勤務時代に、附属図書館に集まって、ヴェブレンの翻訳を一緒に行なっていたTさんが経営していた店を同僚に譲渡して、福岡県に移ってきていたのだ。生まれが佐世保で、この辺には土地鑑があるのだそうだ。

1219_12じつは佐賀に来るときに、T・クックの小説「ローラ・フェイとの最後の会話」を持ってきていた。昨年出版されたのだが、忙しくて心の余裕がなかった。ある殺人事件を巡る会話なのだが、主人公のルークに、元妻であったジュリアが問いかけるところから、物語は始まる。「それじゃ、ルーク、人生で最終的で最大の希望は何なの?」1219_13もうひとりの主人公ローラ・フェイも語りかける。「ああ、ルーク、人生がほんとうにこんなものでありうるのかしら?」この答えは、えんえんと続く、ルークとローラ・フェイとの会話の中で、1219_14明らかにされていくのだが、それは人生のページを一枚一枚めくっていく作業だ。

Tさんとの会話にも、その趣があって、なぜTさんが最終的に福岡に落ち着いたのか、息をつかせぬ興味深いエピソードが続いた。とりわけ、なぜ繁盛している店を手放したのか、どのように手放したのか。その決断はいかに行なわれたのか。たぶん、論文1本分の話が繰り広げられたのだ。1219_15結局、「人生はこんなものでありうるのかしら?」というのがTさんの言いたいことなのだ。けれども、まだ答えは出ていないのが、1219_16現実の人生の不思議なところだろう。

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空港へのバスまでに、時間があったので、佐賀の焼き物屋さんを二、三軒まわり、佐賀城にある二の丸博物館を見学して、1218_14最後は県庁の展望レストランへ腰を据えることにした。

佐賀城がこのように整備されたのは、近年になってかららしい。数年前までは、天守閣のあったところまで、民間が占有していて、1219_19城内にも民家が並んでいたそうである。

県庁からは、見渡す限り平野が続き、南には有明海が見えた。この中心地には、ちょうど長崎街道が通っていて、その昔には、商業が栄えたに違いないだろう。1219_20昨日の銀行や商家がそれを物語っている。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。