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2012/12/24

近隣で、閉じこもって作品を描いていた人がいたというだけで、観に行きたくなった

1224妻が図書館から借りてきた、小説家三浦しをんのエッセイ「つながる線」を読んでいたら、都市では電線と電柱を最近見なくなったが、奈良へ旅行して、「久しぶりに林立する電柱と、絡み合う電線」があって懐かしかったと書いていた。

1224_2電線は景観を汚すというので、評判は悪いが、「改めて電線を眺めてみると、みんなで電気を分け合う感じ、みんながなにかすごく確かなもので結ばれている感じがして、好ましいのである。豊かな緑とともに、電線のつながりも残した奈良の街は、住みやすそうな穏やかさを宿していた」と綴られていて、さらに「電柱や電線がすでに失われた街に住むものは、いま想像力を求められている。それでも電気は流れ、そこに住む人々をつないでいるのだと」。なるほど、そうかもしれない。近代はすでに懐かしいのだ。

1224_3「電線風景」といえば、画家の朝井閑右衛門だ。仕事にかまけて、展覧会から遠ざかっていたことを、真摯に反省して、横須賀美術館で開催中の展覧会へ、勧めてくれた妻と一緒に家を出る。電車だけだと、32分で馬堀海岸に着き、バスでそのまま走水へ向かう。久しぶりの美術館に入る。バス停から美術館へ入るまでの海岸を歩くと、視界には右から左から、次々に大きな貨物船が通り過ぎて行く。群青色の海の寒さが懐かしかった。

1224_4目を開けていられないほどの強い風にもかかわらず、吹き上げる風を受け止めるように、「スカ美」(とわたしたちは呼んでいる)が建っていて、芝生の前庭には、子供向けのファンタジックなインスタレーションがおかれ、風の子たちが走り回っていた。

1224_5「閑右衛門」の本名は、「浅井実」というらしい。閑右衛門に戸籍名を変更したところや妻との長い別居生活などから、家族関係にコンプレックスのあったことが想像される。けれども、この二重性が彼の目立った特徴であり、これがなければあの表現はなかったのだと思われる。

1224_6電線シリーズは特に、興味深い。三浦の田浦近隣を描いている。初期の頃からの太く描かれた線、空を覆う線、地を這う線、交差し絡み合う線。古く懐かしくもある。バツ字に交差する線たちは、三浦に土着する想いを乗せて、暴れまわる。線たちの世界と、その下や上に展開する現実あるいは夢想の世界。これらを乗せて、キャンバスを超えて、わたしたちへ迫ってくる。1年に一回は見たいシリーズだ。

1224_7帰りの電車で、田浦あたりの電車が交差するところで、空を見上げ、また下を通る線路を見下げ、作品群がなぜここで思い付かれたのかを、想像してみたのだった。

http://www.yokosuka-moa.jp/exhibit/img/2007/ex_kikaku_02_img2.jpg

https://encrypted-tbn3.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcTtcEPaFlPvXUZK6sh5T2L3k9i5EB8IA1bSUNU3b88LL_G3dq8Dxg

1224_8「ドン・キホーテ」シリーズも好きなモチーフだ。数センチに盛られた絵の具をザラザラした感じに晒して、表面を砂状にしたところにファンタジーが生まれる。虚妄によって生まれた元気が、現実とぶつかるところに、人間本来の二重性が生まれる。彼がアルルカンや人形、人形師のテーマが好きなのも、この二重性のためだろう。「ドン・キホーテ」の一連のシリーズで、馬を駆って、槍を持ち上げさせたり、白雪姫の周りに小人たちを配置させたり、独身主義の人魚たちを描いたりしている絵もさることながら、地味な「道化・恋」「人形使いの肖像」も面白い。たぶん、「ガラス台鉢」シリーズもこの二重性の系統なのだろうか。

https://encrypted-tbn1.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcRuPb-aSPqI71RXL_HJnTSfMISgtUp_Qgb7X1mUAQB2Jld24UY2ng

1224_9それまでの鬱屈を取り払ったかのような、明るい感じの支配する「鎌倉由比ヶ浜」時代のバラシリーズは、特に圧巻だ。一枚の絵に、絵の具を何キログラム使ったのだろうか。松本で「絶筆」展を見た時には、これほどのものとは思わなかったのだ。けれども、これだけの凹凸のある絵の場合には、ほぼ3メートルから5メートルの距離をとって、眺めると、まったく違った顔を見せるのだ。「夜明け前のバラ」は、近くでみると、草野心平が評したように、単に「絵の具を耕している」ようにしか見えないが、遠目に観ると、バラが夜の闇から浮かび上がってくる。さらに、特にこれだけを初見したら、ウヘっと思ってしまうかもしれないが、ずっと集積されてきた作品群の中では、やはり「薔薇(法華壺)」は傑出している。閑右衛門といったら、この薔薇だろう。耕しているのは、厚い絵の具では無く、やはり厚い想像力だろう。

http://www.rurubu.com/event/images/postimage/PP12174M.jpg

1224_10肌に突き刺さる太陽の日差しと、海からの凍るほどの冷たい風を求めて、屋上へ出て昼食を取る。寒さのためか、二三組の中年のカップルしか居ない。親切で上品そうなカップルが写真を撮りましょうか、と近寄ってくる。遠くには、シリアやシンガポールからの大きなコンテナ船が行きかい、近くにはヨットと、爆音を立てて走るモーターボートが視界に入りすぐ出て行く。音が裏山の断崖にこだまして、わたしたちの写真の影法師をさらって行った。

1224_11日常のわたしたちがわたしたちなのか、それとも、影法師に映るわたしたちがわたしたちなのか。今日はつい、近隣で閉じこもって作品を描いていた人がいたというだけで、見に来たくなったのだ。同じ地域の空の下で、みんなが共通の考えを巡らせている、これが絵画あるいは文化ということかもしれない。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。