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2012年12月に作成された投稿

2012/12/31

大晦日になった

1231 大晦日になった。雨から曇りになったが、空は相変わらずどんよりしている。だからといって、周りのみんながどんよりしているわけではない。大晦日になるほどに、仕事から解放されて、明るい顔をしている。そんな顔が向こうから、走ってくる。

1231_2 昨日から、今年見逃した映画をまとめて観て、ビデオを返し、そのまま川端へ出たのだ。居るわ、居るわ、失礼ながら、走っている人たちの写真を思わず撮ってしまった。公園へ入る散歩コースは、大晦日のにぎわいだ。目立つのは、走っている人びとの歳の平均値が高いことだ。

1231_3 走っている人の顔を見ると、一番わかりやすいのだが、その年の世相が見えてくる。日本家計の財産規模が歴史的最高値を記録していたのが、急速に滑り落ちた一年だった。それで財産問題が表に浮き上がってきたのだと思われるが、最も印象に残っている今年の事件は「角田美代子」事件だ。家族の枠組みの中で、組み入れられた人びとが次々に犠牲になった。家族というものの考え方が変わってきていることは知っていたが、それが現実となって現われたからだ。家族のような小集団も内に籠もれば、連合赤軍のような権威主義的な様相を呈するということかもしれない。映画「ニーチェの馬」で、なぜあんなに家の宝である、財産の「馬」に鞭打たねばならないのか、なぜ過酷な土地から出られないのか、ということだ。

1231_4 子どもたちもお父さんに誘われて、負ぶられながらも走っている。中高年も走っている。

1231_5 くたびれて、川を覗いている夫婦も居る。

もっと注意してみると、なかにはひとりで「ほか弁」下げて、一年の重荷を一身に背負っている責任感の強そうな人もいる。

1231_6 それでも、走り始めてしまえば、そんなことも忘れて、一生懸命に走ってしまうものらしい。

立ち止まって、かもめに餌を与えている博愛の人もいる。1231_7ハトやカラスも便乗して喰らいついている。

さて、いよいよ本日は、ここ数年来、恒例となった大晦日のひとり納会日である。幕張の研究室へ出勤する。年末になると、卒業研究、修士論文、講義・面接授業、試験の準備、さらに原稿締め切りなど、先生方は毎年忙しい。 とくに、通信制大学である放送大学の特殊事情で、「通信問題」という制度があって、受講生全員のレポートに添削をして送り返すのだ。1231_8この採点締め切りがなんと正月早々ということなのだ。多くの先生方は、12月中旬には済ませてしまっているのだが、生来の遅延癖のある身としては、最後までの時間が必要なのだ。シーシュポス的快楽に浸ると、なかなか抜け出せない。今日一日は、腱鞘炎になることも辞さず、赤鉛筆を走らせる。

1231_9 この通信問題と学期末の試験問題が楽しみなのも、ほんとうのところ事実である。経営学者にアルフレット・チャンドラーという方がいるのだが、学生は知ってか知らずか、答案にレンモンド・チャンドラーと書いて、わたしを慰めてくれる。推理小説を書く勢いなのだ。

1231_10 病院の検査室に勤めている方のレポートには、医師と技師の分業の様子が書かれている。洋服屋の分業が的確な事例として書かれている。社会人特有のふつうの大学では得られないレポートが集まってくるのだ。

1231_11 大晦日にふさわしい仕事が終わって、廊下に出ると、自動点滅装置が働いて、蛍光灯が点く。すっかり周りが暗くなっていることに気づいた。採点表をコピーしていたら、守衛さんがドアの向こうから顔を覗かせながら、「大晦日に仕事ですか。1231_12 たいへんですね」と声をかけてくださった。毎年の大晦日仕事を始めだして、知ったことだが、大晦日に仕事をしているのは、じつはわたし一人ではないのだ。正面玄関を出て、研究棟を振り返ると、二つほどの研究室に電灯が点っていた。

1231_14 表通りの自動車ディーラーのショーウインドウには、すでに「初売り」の札がかかって、ようやく大晦日の雰囲気となってきた。とたんに、ライトアップの場所に出たかと思ったら、この世の照明とは思われない住宅展示場のライトだった。放送大学の建物に挨拶をし、答案を搬送して、今年のひとり納会を無事終了する。

2012/12/27

シャルダン展を観て、年の瀬の心の中を落ち着かせた

1227On Airのインタヴューを受けた。どのような原稿になるのか、本人自身が一番楽しみにしている。ということからわかるように、気のおけないことを、勝手にしゃべらせていただいた。企画を立ててくださったA先生と、後ろから、支援してくださったT先生に感謝したい。もちろん、広報のRさん、Tさん、そして、方向の定まらない原稿をまとめることになった、Yさんにも早めの謝意を表しておきたい。

1227_2このような気分の良い時には、映画に行くことになっているのだが、しゃべりすぎたこともあって、時間が合わない。そこで、妻が推奨する「シャルダン」展を観ることにきめ、東京駅に隣接する三菱一号館美術館へ回ることにする。夜、遅くまで美術館が開いていて、放送大学の夜間講座にも、これくらいの人数が押し寄せるようになったら、夜間大学もほんものになるのだが、と考えること頻りであった。仕事帰りの東京駅近辺のサラリーマン、サラリーウーマンがこれほど押し寄せているとは思わなかった。

1227_3シャルダンについては、大学時代にみすず書房が配ったカレンダーを持っていて、そこでとりあげられていたことがあり、洒落た絵だなと思っていた印象がある。いつももっとたくさん観たいと思っていて、その後パリに行った時にも、わざわざシャルダンを見るために、ルーブルへ行ったし、ワシントンを訪れた時にも、わざわざこれを見るために、ナショナルギャラリーを訪れたのだった。けれども、どこの美術館にもせいぜい2,3枚が所蔵されているだけだった。今回のリストをみると、やはりルーブルを除くと、あとの絵はほとんど世界中の美術館、個人蔵から、1枚ずつそれぞれ集められたものであった。入場料金が高いのも、これならば納得できる。

1227_4つまり、今回のようにこれだけシャルダンをまとめて観られる機会は、今後ほとんど無いといって良いだろう。一箇所でこんなに見られるということは、金輪際起きないことなのだ、と昔の人ならば言う事だろう。外国人も多く来ていて、わざわざこの展覧会のために来日している方も、きっといることだろう。

1227_5なぜシャルダンを観たかったのか、ということは、はっきりしていて、美的関心もさることながら、時代背景、つまりは18世紀に入ってきて、フランスの「サロン」に属する職業絵描きが現れ、しかも日常を描いても「カネ」になる時代を迎えていたという事情を感じたかったからだ。この最も中心的な画家がシャルダンだったと思われる。近代へはいるについて、職業としての画家が成立することはたいへんなことなのだ。絵を売って生活が成り立つ、ということは、通常あり得ないのだが、それが可能になった時代である。ちょうど近代社会に「紙幣」という仕組みが導入された時代である。

職業画家として、外してはならないことがあったと想像される。それは、俗っぽい言い方で顰蹙を買うかもしれないが、絵が売れなければならないという点である。それで、題材は庶民的な、風俗画や静物画であっても、それらがスポンサーに受け入れられる絵画である必要があった。

彼が意識したことは、周辺を描く画家としてはちょっと矛盾しているが、「中心性」ということではなかったか、と思われる。とくに、絵画を描く時におけるシャルダンの中心性への執着は、異常なものがある。絵画のテーマが、その絵の中で、真ん中を占めていないと、彼は納得しないのだ。このような彼の絵の特徴は、目を見張るばかりだ。どんなものを描いても、それが中心を占めているように描かれているのだ。真ん中にあるものを思えば、だいたいの彼の絵を理解できるのだ。こんなにわかりやすい画家はいないだろう。中心性を考えたのはなぜだろうか。それは、おそらく何らかのパターン化を描法において行なった可能性があると、わたしは推測するのだが、果たして専門家はどう見ているのだろうか。お聞きしたいところだ。

たとえば、若い時に描かれた「昼食のしたく(銀のゴブレット)」(http://livedoor.blogimg.jp/wassho/imgs/0/3/031c04b3-s.jpg)が、最初から典型を示していて、この形式を逸脱した作品が一つもないのだ。こんなに形式が保守的な画家は世界中さがしてもいないだろう。ゴブレットを絵の真ん中に持ってくるために、棚を使っていて、手が混んでいるのは、この棚にわざわざ繋ぎのために、パン屑さえも配置しているくらいなのだ。棚を書き込むパターンはかなり共通している。

同じような趣向は、すべての静物画に見られて、すべての静物は嵩上げするための段や、棚や高さのあるものに乗せられて描かれているのだ。わたしたちの目線を意識して描かれている、という表現を使っても良いかもしれない。目線を中心というものに集中させるための工夫が、必ず施されているのだ。ときには、棚だけでは単調になるので、「木いちごの籠」(http://www.ikkojin.net/upload/Image/news/yamauchi/chardan/chardan001.jpeg)で見られるように、棚から中心へつなぐために、白い花と茎を配して、目線をやはり、中心へ誘う工夫を行っているが、それでもやはり、中心を外していないことは間違いないだろう。静物画の場合には、物が中心に来る。それで中心がわかりやすく描かれているのだ。

それじゃ、人物を描いた場合、とくに複数の人物を描いた場合には、「中心性」をどのように描いているのだろうか。まさか、人物まで棚に乗せて、目線に合わせるわけにはいかないだろう。解答は直ちに得られるのだ。職業画家であれば、実際に棚で嵩上げしなくても、それ以外のものを描くことで十分に、中心へ鑑賞者の目を誘うことは可能である。

この点で典型的なのは、今回の展覧会の最高傑作だと思われるが、「食前の祈り(祝福)」(http://www.ikkojin.net/upload/Image/news/yamauchi/chardan/chardan003.jpeg)である。この絵には母親と二人の子供という場面が描かれていて、確かに棚は存在しない。

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床が連続して、テーブルに向かい、テーブルを挟んで、親子が目線を交差させているのだ。この目線の交差が中心にあることは、すぐにわかるのだが、これらを中心に持って行くための周辺の仕組みが存在することも、すぐにわかる。この絵の場合には、棚の代わりに床が使われ、これでは物足りないので、床に炭置きをおいている。そして、他のバージョンでは、鍋をおいて中心への繋ぎとしているのだ。

このように静物画であれ、人物画であれ、すべての絵画を中心性の絵画として成り立たせていて、この執拗さは尋常ではないな、と思わせた。対の絵画に仕立てたというエピソードもやはり、一枚の絵画では、必ず中心性を狙ったということの傍証でしかないだろう。

1227_7この中心性への執拗さが、サロンで庶民的な絵画を描いていても、正統を維持でき、後の啓蒙主義にも受け入れられた理由ではあるまいか。誤解を恐れずに、挑戦的に言うならばある意味でシャルダンは、この変容の「時代」にぴったりの作品を描いていたと言えるのではないかと思うのだ。

1227_8帰りに、国際フォーラムの喫茶店で、展覧会の余韻を楽しんだ。これだけ確実性のある、展覧会は久し振りだった。ガラス張りの壁を透かして、人並みが見える。遠くに女性達が一列に並んで、何かを待っている。この寒空に耐えて待つだけの価値のあるものは何なのだろう。ここにも、時代にぴったりの何かが存在するのだろうか。

2012/12/24

近隣で、閉じこもって作品を描いていた人がいたというだけで、観に行きたくなった

1224妻が図書館から借りてきた、小説家三浦しをんのエッセイ「つながる線」を読んでいたら、都市では電線と電柱を最近見なくなったが、奈良へ旅行して、「久しぶりに林立する電柱と、絡み合う電線」があって懐かしかったと書いていた。

1224_2電線は景観を汚すというので、評判は悪いが、「改めて電線を眺めてみると、みんなで電気を分け合う感じ、みんながなにかすごく確かなもので結ばれている感じがして、好ましいのである。豊かな緑とともに、電線のつながりも残した奈良の街は、住みやすそうな穏やかさを宿していた」と綴られていて、さらに「電柱や電線がすでに失われた街に住むものは、いま想像力を求められている。それでも電気は流れ、そこに住む人々をつないでいるのだと」。なるほど、そうかもしれない。近代はすでに懐かしいのだ。

1224_3「電線風景」といえば、画家の朝井閑右衛門だ。仕事にかまけて、展覧会から遠ざかっていたことを、真摯に反省して、横須賀美術館で開催中の展覧会へ、勧めてくれた妻と一緒に家を出る。電車だけだと、32分で馬堀海岸に着き、バスでそのまま走水へ向かう。久しぶりの美術館に入る。バス停から美術館へ入るまでの海岸を歩くと、視界には右から左から、次々に大きな貨物船が通り過ぎて行く。群青色の海の寒さが懐かしかった。

1224_4目を開けていられないほどの強い風にもかかわらず、吹き上げる風を受け止めるように、「スカ美」(とわたしたちは呼んでいる)が建っていて、芝生の前庭には、子供向けのファンタジックなインスタレーションがおかれ、風の子たちが走り回っていた。

1224_5「閑右衛門」の本名は、「浅井実」というらしい。閑右衛門に戸籍名を変更したところや妻との長い別居生活などから、家族関係にコンプレックスのあったことが想像される。けれども、この二重性が彼の目立った特徴であり、これがなければあの表現はなかったのだと思われる。

1224_6電線シリーズは特に、興味深い。三浦の田浦近隣を描いている。初期の頃からの太く描かれた線、空を覆う線、地を這う線、交差し絡み合う線。古く懐かしくもある。バツ字に交差する線たちは、三浦に土着する想いを乗せて、暴れまわる。線たちの世界と、その下や上に展開する現実あるいは夢想の世界。これらを乗せて、キャンバスを超えて、わたしたちへ迫ってくる。1年に一回は見たいシリーズだ。

1224_7帰りの電車で、田浦あたりの電車が交差するところで、空を見上げ、また下を通る線路を見下げ、作品群がなぜここで思い付かれたのかを、想像してみたのだった。

http://www.yokosuka-moa.jp/exhibit/img/2007/ex_kikaku_02_img2.jpg

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1224_8「ドン・キホーテ」シリーズも好きなモチーフだ。数センチに盛られた絵の具をザラザラした感じに晒して、表面を砂状にしたところにファンタジーが生まれる。虚妄によって生まれた元気が、現実とぶつかるところに、人間本来の二重性が生まれる。彼がアルルカンや人形、人形師のテーマが好きなのも、この二重性のためだろう。「ドン・キホーテ」の一連のシリーズで、馬を駆って、槍を持ち上げさせたり、白雪姫の周りに小人たちを配置させたり、独身主義の人魚たちを描いたりしている絵もさることながら、地味な「道化・恋」「人形使いの肖像」も面白い。たぶん、「ガラス台鉢」シリーズもこの二重性の系統なのだろうか。

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1224_9それまでの鬱屈を取り払ったかのような、明るい感じの支配する「鎌倉由比ヶ浜」時代のバラシリーズは、特に圧巻だ。一枚の絵に、絵の具を何キログラム使ったのだろうか。松本で「絶筆」展を見た時には、これほどのものとは思わなかったのだ。けれども、これだけの凹凸のある絵の場合には、ほぼ3メートルから5メートルの距離をとって、眺めると、まったく違った顔を見せるのだ。「夜明け前のバラ」は、近くでみると、草野心平が評したように、単に「絵の具を耕している」ようにしか見えないが、遠目に観ると、バラが夜の闇から浮かび上がってくる。さらに、特にこれだけを初見したら、ウヘっと思ってしまうかもしれないが、ずっと集積されてきた作品群の中では、やはり「薔薇(法華壺)」は傑出している。閑右衛門といったら、この薔薇だろう。耕しているのは、厚い絵の具では無く、やはり厚い想像力だろう。

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1224_10肌に突き刺さる太陽の日差しと、海からの凍るほどの冷たい風を求めて、屋上へ出て昼食を取る。寒さのためか、二三組の中年のカップルしか居ない。親切で上品そうなカップルが写真を撮りましょうか、と近寄ってくる。遠くには、シリアやシンガポールからの大きなコンテナ船が行きかい、近くにはヨットと、爆音を立てて走るモーターボートが視界に入りすぐ出て行く。音が裏山の断崖にこだまして、わたしたちの写真の影法師をさらって行った。

1224_11日常のわたしたちがわたしたちなのか、それとも、影法師に映るわたしたちがわたしたちなのか。今日はつい、近隣で閉じこもって作品を描いていた人がいたというだけで、見に来たくなったのだ。同じ地域の空の下で、みんなが共通の考えを巡らせている、これが絵画あるいは文化ということかもしれない。

2012/12/17

「ルーク、人生はこんなものでありうるのかしら?」

1217_12今日も、自転車に乗って、出掛ける。昨日、観光のパンフレットを見ていたら、産業遺跡群がこのホテルから近いところにあることがわかり、製鉄業を追っているものとしては、予定を変更してでも訪れたいと思ったのである。

1219司馬遼太郎の短編に、「アームストロング砲」という幕末の佐賀を描いたもののあることを思い出したのだ。読んだのは、製鉄業に興味を持つ前のことだから、すっかり忘れていた。幕末に佐賀では、精錬技術に長けていたので、高性能なアームストロング砲制作に臨んだのだが、背伸びしすぎて爆発を起こし、1219_6半身付随になるという筋だったと思われるが、有名な実話が存在することがわかった。

それの舞台となったのが、昨日までわたしが講義をおこなっていた学習センターの近くを流れる多布施川を南に下ったところに、かなり広大に広がった、「製錬方」や、「反射炉」であり、写真のように、佐賀平野の中でも、1219_2中心的なところに製鉄産業が展開されていたことを知ったのである。

はじめは、日新小学校の校庭にあるという、反射炉の形をした記念碑と、24ポンド砲の複製があるいう場所を目指した。1219_3おおよその検討をつけていたが、途中佐賀大などの建物を見ながら来たこともあって、ずいぶんと走ったような気がした。校庭には、子供達が戯れていて、記念碑も隠れん坊の遊び場でしかない。

1219_4反射炉の実用化ということを、わたしは軽視していた。やはり、製鉄産業というならば、高炉ではないか、と思っていた。だから、すでに粗鋼となったものを単に溶かすだけじゃないか、という念が強かった。それで、溶かすだけならば、村の鍛冶屋でも古代から行っていたことで、それほどの技術革新ではないのではないか、という思いだった。

1219_5ところが、ここが近代技術という点を強調するところであって。つまり、規模の違いなのだ。製品として作り出されるものが大量の鉄を必要とする大砲であった、という点が特別な点であると、今回理解した。たとえば、ここの築地反射炉と、多布施反射炉だけで、合計271門の大砲が作られたとある。これだけの大量な鉄ならば、鍛冶屋というわけにはいかないだろう。近代とは、大量ということなのだ。

1219_7公園があって、その隣が広い空き地になっている。公園を掃除している人に聞くと、まさに、ここが「精錬方」の場所であったということだった。説明の文に従うと、佐賀における「理化学研究所」であった、という表現が見られる。1219_8大学と工場が一体として開発された地域であるといえる。技術者のメッカであって、幕末の田中儀衛門などが結集されたと書かれていた。「強者どもの夢の跡」という雰囲気が一キロ四方から感じられる一帯なのだ。築地から、多布施にわたる広い一体で、共通して観察されることがある。それは、かなりの水流を保った川が流れていて、これらも河川技術によって、操作され、利用されたものだということだ。

1219_9多布施川の松並木を登って、アバンセの通りに出て、豆腐料理の「M」へ入る。千葉学習センター勤務時代に、附属図書館に集まって、ヴェブレンの翻訳を一緒に行なっていたTさんが経営していた店を同僚に譲渡して、福岡県に移ってきていたのだ。生まれが佐世保で、この辺には土地鑑があるのだそうだ。

1219_12じつは佐賀に来るときに、T・クックの小説「ローラ・フェイとの最後の会話」を持ってきていた。昨年出版されたのだが、忙しくて心の余裕がなかった。ある殺人事件を巡る会話なのだが、主人公のルークに、元妻であったジュリアが問いかけるところから、物語は始まる。「それじゃ、ルーク、人生で最終的で最大の希望は何なの?」1219_13もうひとりの主人公ローラ・フェイも語りかける。「ああ、ルーク、人生がほんとうにこんなものでありうるのかしら?」この答えは、えんえんと続く、ルークとローラ・フェイとの会話の中で、1219_14明らかにされていくのだが、それは人生のページを一枚一枚めくっていく作業だ。

Tさんとの会話にも、その趣があって、なぜTさんが最終的に福岡に落ち着いたのか、息をつかせぬ興味深いエピソードが続いた。とりわけ、なぜ繁盛している店を手放したのか、どのように手放したのか。その決断はいかに行なわれたのか。たぶん、論文1本分の話が繰り広げられたのだ。1219_15結局、「人生はこんなものでありうるのかしら?」というのがTさんの言いたいことなのだ。けれども、まだ答えは出ていないのが、1219_16現実の人生の不思議なところだろう。

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空港へのバスまでに、時間があったので、佐賀の焼き物屋さんを二、三軒まわり、佐賀城にある二の丸博物館を見学して、1218_14最後は県庁の展望レストランへ腰を据えることにした。

佐賀城がこのように整備されたのは、近年になってかららしい。数年前までは、天守閣のあったところまで、民間が占有していて、1219_19城内にも民家が並んでいたそうである。

県庁からは、見渡す限り平野が続き、南には有明海が見えた。この中心地には、ちょうど長崎街道が通っていて、その昔には、商業が栄えたに違いないだろう。1219_20昨日の銀行や商家がそれを物語っている。

2012/12/16

有明海料理に挑戦

1218_2二日目は、晴れた。「雨男」だと自嘲気味に昨日の講義で言っておいたことが効いたらしい。ホテルから自転車を借りて、学習センターへ向かう。途中幅の広い計画道路にでて、目的の佐賀学習センターのある「どんどんどんの森」へ入るのだが、この計画道路の良い点は、「自転車専用レーン」が左右にそれぞれ設けられ、さらに右通行レーンと左通行レーンが存在する、ゆったりした作りになっている点である。朝なので、影法師が横に伸びてしまった。

1218_3今日の夜には、ちょっと変わった料理を食べたいと考えていた。昨日の喫茶店選びが大成功だったので、それを学習センターのMさんやY事務長さんに報告して、さらに再びヒアリングを開始した。今日も充実した日が送れそうな予感がする。センター所長のK先生には、放送大学の最前線での話をお聞きした。

1218_9二日目の講義でも、学生の方々の質問や議論が絶えず続いて、「眠っている暇がなかった」とあとで言われてしまった。体力が続かない方がいると思うと、ちょっと過酷な講義だったかもしれない。けれども、発言しなければいけないという義務感が、どのようにして出てくるのかは実際のところはわからないのだが、講義へ参加することを求めた結果が出て、今回もわたしにとっては得るものが大きな講義となった。1218_10高齢化現象が経済に与える影響について、学生の方々は、思ったよりも鋭い反応をしてくださった。二日間にわたる10時間あまりの講義も、恒例の拍手で終えることができた。少人数クラスの拍手というのは、ひとりひとりの手の音が違って響いてきて、いいなあと思う。

1218_5昼食には、自転車があるのだからと、学習センターから少し距離のある白山町の「I」という一軒家カフェのランチを目ざしたが、残念ながら臨時休業だった。そこで、再びアバンセにとって返し、1階にある「M」でしょうが焼きと野菜中心のランチを食べる。美味しかった。

午後の面接授業も新しい題目にもかかわらず、順調に終了した。1218_6学習センターの方々へ挨拶して、まだ明るかったので、さっそく観光に精を出すことにする。佐賀はほとんど平らな平野が広がっているだけなので、自転車はたいへん便利だ。古い建物が残されている郷土館を訪れる。1218_7旧古賀銀行、旧牛島家などを観て歩く。それにしても、街の至る所に堀や川が配置されていて、これらをもっと引き立てたら、どこにも無いような一大観光地が出現するだろう。1218_8まだまだ、再生されていない歴史資源がたっぷり眠っているのが、佐賀市だと思われる。

1217_8夜食には、じつは「有明海料理」を求めたのだ。ムツゴロウは知っていたが、現在は旬ではないので遠慮して、もっとも旬であっても食するのは少し冒険であることがわかっていて、親切な仲居さんが、あとのあとですね、と言ってくださった。1217_9その方が進めたのが、お酒にはこれが良いのだという。写真の最初のは、マジャコなのだ。歯ごたえがシャリシャリして、食感が良い。次に煮魚のクチゾコをいただく。1217_10カレイみたいな淡泊な味の白身魚だ。1217_11ここで大根が美味しそうだったので、ブリ大根を頼んだが、これが大容量の肉が入っていて、この頃までには酒も回ってきて、満腹感一杯だった。もっと有明海料理が食べたかったが、最後にワラスボをつまんで、終了とした。

夜も更けて、かなり酔ってはいたが、佐賀城の堀端を自転車で走る。樹齢数百年を経過したような楠木が50メートル置きに茂っている。1218_11いずれも、鍋島藩の盛衰を観てきたことだろう。と考えていると、後ろから白装束に身を固めた武者が馬に乗って追いかけてきた。さては、佐賀の化け猫騒動かと目をこらすと、堀からの霧状の水蒸気に夜間照明が当たって、動いているように見えたのだ。1218_12ホテルもこちら側から観ると、風情がある。場所は最高なのに、駅の周りに盛り場が移っていて、こちらは閑散としているのだ。それはそれで、活かす方法はあるのではないか。

1218_13ホテルに着いて、ベッドに入ると、テレビ速報が入っていて、今日行なわれた衆議院選挙で自民党が過半数を超える勢いだとのことだった。

2012/12/15

佐賀学習センターで面接授業

1217佐賀の放送大学学習センターは、アバンセという生涯学習の組織が総動員されたような複合的な建物の中にある。隣には、市立図書館があって、緑豊かな公園の中の恵まれた環境にある。

佐賀城の隣にある宿泊のホテルから、ゆっくりと歩いて20分くらいだった。ちょうど朝の軽い散歩の延長戦という距離だ。途中にかなり古い護国神社があり、佐賀城の外堀のような位置を閉めている。至る所に、堀のような、運河のような川が流れているのが、印象的だった。

1217_2センター所長のK先生にご挨拶をし、このアバンセについて尋ねると、この場所は、以前に大和紡績のあったところだと教えてくださった。幕末から明治期に至る佐賀の躍進の一つの中心部であったということを想像させる。

いよいよ面接授業が始まる。今回は「二つの社会転換」と題して、現代社会の経済転換と人口転換の相互作用について考えてみようと企画されたものだ。最初は思いつきで、題材がたくさんあるから、と安易に考えていたのだが、準備しているとそれらが全部うまく結びついてきて、自分の中ではかなり面白いシリーズになりそうだ、という予感がある。それで、学生の方々の反応が楽しみなのだ。来年、一年はあちこちでこの題材で回ってみようと考えていて、今日はそのシリーズの第一回目なのだ。

ホテルの新聞を読んでいたら、紙面の第一面にNTTが定年延長を図るために、「賃金カーブ」を抑制することで、労使合意がなった、と報じていた。すでに継続雇用制が実行されているので、その延長線上にあることではあるが、ちょうど高齢化社会現象と、経済制度の転換現象が当日に報道されるとは、幸先がよい。さっそく、新聞記事をダウンロードして講義で使わせていただいた。

学生の方々の経験談は、予想以上の闊達たる内容だった。面接授業の醍醐味は、ひとりひとりと面と向かって話ができる点だが、高齢化については、介護の経験、町内に子供がいなくなったこと、定年後の労働、一人住まいの体験、将来の不安などなど、講義の取っ掛かりになるような話が盛りだくさん聞けたので、こちらにとってもたいへん有益だった。

1217帰りに、事務長のYさんに教えていただいた、昭和30年代からある老舗の喫茶店「珈茗爾」へ寄って、今日を振り返る。この店は、ダッチコーヒーを暖めて出すという、他とは異なる提供をしている。このようなちょっとした工夫が、大事なのだと思う。近くに、今風のテラス付きのゆったりしたカフェもあって、競合するだろうなとは思ったが、この特色ある味で生き延びてきているのだろう。

1217_2コスタリカのダッチコーヒーは、特有のさっぱりした味を出していた。わたしの好みの酸味が程よく口に広がった。一日の講義を終えて、いっぱいの美味しいコーヒーにありつくことができるだけで、もう何もいらないという気分になってくる。

1217_3ホテルまでの距離がかなりあったが、ちょうどイルミネーションのフェスティバルを佐賀市が補助して行なっていて、その光のトンネルをたくさんくぐって帰った。非日常を楽しんだ。

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2012/12/14

羽田空港から佐賀へ

K大学の講義を済ませて、羽田空港へ向かう。空港で食事を一人でしなければならない時に、かならずよる店がある。大学生時代に、同じクラスのIくんが、新宿に連れて行ってくれて、幾つかのジャズ喫茶を開拓した。すでに、高校時代には、新宿に行きつけていたのだが、本屋や表通りの食事屋さんに、限られていた。だから、歌舞伎町界隈に足を伸ばすようになったのは、映画館とジャズ喫茶のおかげである。

1216それで、大学生特有の金欠病を患っていたので、食費をなるべく節約しなければならなかった。強い見方があって、それがこの店Aのロールキャベツであった。これとご飯のセットで、200円くらいだったのではないか。野菜も肉も採れて、バランスのある食事だった。新宿からしばらく遠のいていたが、その店が羽田空港にあることを知って、懐かしさに通っている。グルメというよりは、歴史を感じさせる味だが、満足する。今日も、お弁当として買っていく人がカウンターで待っていたりして、空港の高級店に混ざって、庶民的な店運営をしている。

1216_2佐賀空港に着いたら、強い雨が降っていて、バスからホテルの間に県庁があるのだが、店やなどはほとんどなく、心もとない雨の佐賀滞在一日目となった。空港で傘を借りたのだが、それでも大粒の雨で、傘を貫通する強い雨だった。県庁は、佐賀城跡に建っていて、堀がめぐらされている。その端に滞在するホテルが建っている。古い楠木が城と堀の権威を高めているようだった。

2012/12/08

2012年度の卒業研究発表会を行った

毎年恒例の卒研発表会を行った。今回は、放送大学本部西研究棟8階で開催され、その後懇親会もここで催された。図書館のAVホールが通常であれば使われるのだが、毎年ほかのコースとバッティングしていて、使えないのだ。司会は若手の先生方が受け持ってくださって、たんたんと時間通りに進んだ。最後まで、参加できるかどうかヤキモキさせた方も、最後のころには駆けつけて、ここが放送大学生の良いところかもしれないが、時間を忘れた、度胸の据わった演説を繰り広げた。

今年の論文については、個別にはいろいろと興味深い点があり、先生方が学生の方々と話し合ってチェックし合っていたから、これ以上云々することもない。率直に言って、全体として、今回もかなり実りあるものになった。

今年、面白かったのは、一つの特定の論文について、先生方がこぞって、強烈な反応を示したことだった。この同じ論文に対して、ある先生はたいへん褒めたが、ある先生は猛烈な反対をなさった。これほど、良きにつき悪しきにつき、注目された論文は珍しい。インパクトがかなり強かったのだと思われる。

一つには、この論文が経済学の常識を、いくつかの点で破っていることがあげられる。数ある多くの論文は、この常識を破ってしまうことがない。また、そう簡単に破ってしまっては、あとをきちんと修復できるのは、通常の論文では、至難の技だ。破ってしまったからには、それを論理的に説明できなければならないだろう。

もう一つは、その論文はほぼ過去のことを描いているのだが、それがかなりの現代性を帯びていることがあって、注目されたのだ。この点をもうすこし突いていたら、この論文と先生方の論争はかなり盛り上がっていただろう。

抽象的に行っていても始まらないことはよくわかるが、評価の絡む問題なので、正確に言うこともできない。いずれ優秀論文は、ホームページに掲載されるだろうから、そのときにぜひ当たりをつけて、どの論文なのかを想像し、それを読んで欲しいと思う。そして、できれば、卒論生の方々には、外部の雑誌への投稿にも挑戦していただきたいと考えている。

懇親会では、これも恒例となった、1人ずつの苦労話会が開かれた。いつもながら、会社に勤めながら、家族を介護をしながら・・・卒論を皆さん書いている様子が現われていて、これを聞くと、また皆論文を書きたいと心に秘める思いを新たにしたことだろう。わたしはお祝いに勝沼の白ワインを提供した。わかる人にはわかる味だと思う。卒論の味わいと同じように、仕込みがうまくいったワインは美味しいのだ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。