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2012/10/07

横濱ジャズプロムナードで、「合図」について考えた

1007「合図」を発するのは、どのような時だろうか。今日のジャズプロムナードを通じて、ジッと見て来たことである。というのか、気になったことである。答えは簡単で、「合図」は人びとを結びつけるときに、発せられるのだ。昨年同様、娘を呼び出して、まずは関内ホールから。毎年、この時期になると、横浜が活気づく。横浜という都市はイベント好きだと思うが、その中でも、10月は特別な時期に当たっている。

ジャズ音楽が学生時代から好きなのだが、どこが好きなのかといえば、柔らかさがたまらない。たとえば、ジャズには、クラシック音楽のような指揮者がいるわけではない。ところが、微妙なところで、「合図」を出し合っている。たとえば、リーダー、必ずしも団体のリーダーというわけではなく、その曲のリーダーなのだが、その曲の始めに出だしに合図を送ることは、たとえジャズのインプロビゼーションの前でも、しばしば見られる。だから、タイミングを図ることは重要であることはわかる。けれども、ジャズに限っていえば、ワン、ツー、スリーというのは、たぶん「合図」というよりは、パフォーマンスの一種だろう。笑い顔の交換もパフォーマンスだ。「合図」はすぐに形式化する性質を持っている。

1007_2それじゃ、曲の途中で、指を一本立てる「合図」は、なんだろうか。1小節か1曲か、という意味ではないかと思われる。「合図」からさらに発展して、その動作が意味を示すようになれば、「合図」も複雑な伝達手段となる。つまり、意味を発せずにはいられないほどに、そこに意味を伝えるべき「他者」の存在を認めていて、「合図」というものが他者を必要としていることをよく表している。

グループのみんなが、同じ曲を演奏しているからといって、グループ内に確固とした「合図」を通じた同意が存在すると見るのは、危険だ。むしろ、それは逆で、曲を演奏しながら、「他者」としてのグループの仲間たちを、ようやくにして互いに知るようになるのだ。

1007_3そのことがよく現れていたのが、ルクセンブルクからきた、Pascal Schumacher Quartet (Pascal Schumacher (vib), Franz von Chossy (p), Christophe Devisscher (b)Jens Düppe (ds))の演奏だった。始め、関内ホールに着いたときには、すでに満席で、仕方なく1曲目は、待合室のビデオで聴いた。けれども、流れてくる音楽は、ヨーロッパの複雑な風の香りをたっぷり持った、というイメージがピッタリの、ちょっと違った音楽だった。

1007_42曲目からは、ホールの中で聴くことができたのだが、ちょっと違うというのは、こうゆうことだ。たとえば、ピアノがフレーズを語る。続いて、ビブラフォンがフレーズを解体するか、拡大して、これにベースとドラムが付いて行く。ここでは、最初のフレーズがいわば「合図」として働き、集団による圧倒的な「応答」が続いて行くのだ。

この「合図」が、じつはどの程度なのかは、たぶんかなり、他者にはわからないものなのだ、と想像する。それで、最初は合図を巡って、周りを取り囲み、どの程度それについていくべきなのか、とメンバー同士で見ている。この感じがよく出ていた。この関係は、逡巡するものではなく、むしろ応答は流暢に発展し、天にも登って行くような響きとなって、こちらへ伝わってくるのだ。

たぶん、この「合図から応答へ」、次の「合図から応答へ」、さらに「合図から応答へ」という流れが、新しくかつ新鮮にもかかわらず、自然な推移を示しているからだと思われるが、滑らかなのだ。何か新しい感じの音楽だ。それは、低音から高音へ移って行く時のコード進行の滑らかさに現れていて、音楽にそれほど親しんでいないものにも、単純なメロディではないにしても、複雑な音の重なりが素敵に聞こえてくるのだ。

そのあともう二つ別の公演を聴いて、玄関に差し掛かると、カルテットの方々が表の街角ライブを見ていた。それで、演奏にほんとうに感動した、と伝えようとしたのだ。こんなことは滅多にないことで、原稿を書いて、凝り固まっている頭が、いっぺんに解放され、柔軟性を取り戻したのだった。グレートと言って、握手してもらった。娘も便乗して、三人に握手していた。当分、手を洗わないそうだ。

彼らだって人間だから、いくら今は、天才と言われていても、創造的であればあるほど、絶えず衰退に晒され、その憂き目をいずれは受けることになるだろう。けれども、今日の演奏を見る限りは、当分は見事な栄華を誇り、安定した創造性を発揮し続けることになるだろうと強く予想させる。

彼らは初来日で、明日は東京で演奏会があるそうだ。CDも日本盤が出るそうなのだが、この舞台でのやり取りの細部までは再現できないだろう。今日の演奏の中で見せたような、プラスティックの買物袋をシワシワにして発する音を入れたり、シンバルの表面をこすったりしているのを、音だけでいかに判断できるだろうか。

それにしても、「終わり」ということにこだわる人びとだった。終わりに近づいて、最後の一つの音に到達するまでに、数十分を費やすのだ。なかなか終わらない。それは、なぜかと考えるに、やはり「合図」の問題に行き当たるのだ。「応答」までの道のりは、彼らの場合には、相当長いということだ。途中でのやり取りに、かなりの自信を持っていることを想像させる演奏だった。

そのあと、SオーケストラやAトリオなど、いずれも名だたる演奏を一日中聴くことができて、こんな日は一年のうち何回もあるわけがない。最後に、ジャズの酔いを覚ますために、海の匂いのする喫茶店で、今日最後の甘い珈琲を一杯飲んで、久し振りにじっくりと娘と話をして帰宅した。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。