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2012年10月に作成された投稿

2012/10/28

4年ぶりのクラス会へ出席する

1028クラス会の幹事が高校訪問ツアーを組んでくれた。それで、「見えないものを観たい」という欲望は、誰にでもあると思うが、それが満たされるのは、良いタイミングと良い関係が存在するときだけだ、と思ったのだ。たとえば、冒頭の写真は、わたしの卒業した高校の正面玄関である。ここの脇で卒業時に写真を撮った。それが2枚目の写真である。102843クラス会が開かれている間に、アルバムが回ってきて、それを撮ったものなので、粗雑な写真になってしまって申し訳ないが。この2枚の写真の間には、43年もの月日が流れたはずであり、この43年間をいっぺんに観ようとしてもなかなか無理なところがある。

1028_2ところが、実際にこの場に立ち、玄関に向かってみると、いろいろのものがほんとうに見えてくるのだった。玄関の外灯には緑青がふいていて、古く変わらぬ姿を見せている。玄関を入って、これも変わらぬ板厚の古い扉を開けると、アールデコ調の正面階段が上を目指してホールの中心から伸びている。1028_19「辛夷祭」と呼んだ高校の学園祭では、ここにギリシャ風石膏像を置いて、ステンドグラスを配置したことを思い出した。床は今では珍しい大理石風の石を使っていたので、1028このような簡単な趣向でも重厚な印象を残したと思っていた。

2階に回って、中央に2年生で使った教室、つまり2H教室があった。扉を開けて入ると、若さと汗の混じったような、忘れていた匂いがした。みんなの目を奪ったのは、この机と椅子で、座ってみると、意外なことに身体にピッタリきて、体付きは当時と変わらないことが判った。1028_2小さく見えるこの机でも、座っただけで十分な勉強スペースを確保している。それは座ってみるまで、想像も出来ないことだった。しかし、43年まえには、確実にこの頑丈な机と椅子に座っていたのだ。このことが見えるようになったことでも、今回この場所にきた甲斐があったと思う。木製の机と椅子は、鮮烈だった。2年生のときに、今回のクラス会幹事のM君が大阪から転校して来た。1028_20彼が教室に来たとき、じつは机と椅子がまだ配置されていなくて、急遽物置へ持ちに行って、予備をもらってきたことも見えてきたのだった。

1028_3今は、中間試験の最中らしく、黒板には時間表が書かれていた。それで、机の中も空っぽできれいにされていたのだ。K君はさっそく、ここに座って、何とかさんにこう呟いたのだよ、と芝居かかったことを、女性達に吹き込んでいた。1028_4そういえば、G駅で待ち合わせて、通学路を歩いている最中にも、Nさんが手を繋いで前を歩いていた、と43年の時間を飛び越えて、目の前にいるかのように彼は話していた。Nさんは再来週開かれる中学校のクラス会にくるだろうから、Fさんは早速確かめるかもしれない。もし本当のことならば、ときどきはそのことをきっと思い出しているのだろうな、と思う。1028_5高校時代もスキャンダラスな話題が渦巻いていたことは確かだが、わたしには残念ながら見えていなかった。

1028hみんなが最後に暮らした一番端っこにあった3H教室へ向かった。残念ながら、数学研究室になっていて、鍵がかけられていた。部屋全体が半円型になっていて、明るい窓がぐるっと張り巡らされた中に黒板があって、横に広い教室だった。1028h_2H君は、教室を見ることが出来なかったから、かえって良かったのかもしれない、と年相応の意見を述べていた。見てしまっていたら、見えるものも見えなくなってしまっていたかもしれない。外側から写真を撮って、想像した。

じつは高校時代に、体育の授業中ラグビー試合で、敵方へのタックルに失敗して、鼻の骨を折ったことがあった。1028_6M君は、サッカー試合で、わたしがバックキックに失敗して、自分の膝で鼻の骨を折った、と記憶していたことを今日知った。彼はその後何度かこのことを思い出して、そのたびにその記憶を強化させていたらしい。面白いなと思った。わたしがサッカー部であったことと混同してしまったのだと思われる。この入院していた2週間には、顔のギブスがちょっと煩わしいことはあったが、見舞客が相次ぎ、果物も食べ放題で、高校時代でも特別に甘い生活だった。

1028_7見えないことで興味深かったことは、小学校や大学などの他の教育機関での「校歌」はほぼ思い出されたのであるが、集まった皆がほかのものより、思い出しにくい、と感じていたことがわかったことだ。1028_8写真に写っているのは、わたしたちが卒業した後、だいぶ経ってから創られた校歌の碑だが、それで曲として歌うことができたのは、一人くらいだった。当時は、大学紛争時代であり、わたしたちの卒業時には東大も入試が無かった時代である。それで、高校学園紛争が火を噴く寸前であって、卒業式でも校歌を歌わずに済ましてしまった結果が現われているのではないかと思う。

1028_11バスに乗って、クラス会本体に合流すべく、渋谷へ出る。出席者は30数名で担任だったK先生もお元気で出席だった。健康、仕事、家族が多くの人びとのテーマだった。1028_13大病の方もいる一方で、マラソンにハーフマラソンに、さらにトライアスロンにと、到底年齢らしくない方々もいて、43年を経て、かなりの多様な人生を送り、皆異なる様相を示したことを想像できたことは、とても良い経験だった。すでに物故したかたがたも2名いらっしゃって、その方々の冥福を祈りつつ、多数の人生を想った。ほとんどの方が定年を迎え、仕事人生から自適人生への転換が見えてきた、特徴あるクラス会となった。

1028_14クラス会の醍醐味は、何と言っても、会場に来て廊下当たりで顔を合わすという、その瞬間の楽しみだ。43年前の互いの姿、あるいは前回のクラス会の互いの姿と、現在の姿とを同定するスリリングな瞬間、その瞬間のなかに、「見えなかったものを見たい」ということが現われるのだ。1028_15今回も、中学・高校が一緒だった、KさんやFさんたちとも十分話が出来たし、S君やH君とも変わりないことを確かめた。さらに、珍しく幹事役を引き受けたM君のそつのないマネジメント能力には、新たな面を見たような気がするのだった。女性幹事のNさんにも、また夫であり、次回幹事であるT君にも、二次会の最後まで一緒に付き合っていただいて感謝している。掲げさせていただいた写真の数枚も彼から拝借したものだ。

最後に欠席者からの便りが紹介された。欠席者リストの常連となっているN君がいて、わたしが幹事をやったときに、まだ昔を懐かしんでいる余裕がない、などと天の邪鬼振りを見せていたが、今回もカメラマンから漁師に転換中で暇が無いといってきていた。1028h_3これはこれで、想像力を高められた。外にあっても、元気にしていて欲しい、というエールを贈りたくなった。本人は余計なお節介と言うだろうが。

それで、「見えないものを観たい」という欲望は叶えられたかといえば、十分叶えられたと言いたい。それというのも、上の写真に写っている、学校の木である「泰山木」のように、その幹が「辛夷」であるのだが、表に現われているものも表に現われないものと一緒に生きているということを、確かめることができたからだ。

cat 4年前と同じように、今回もNさん(手を繋いでいたNさんでも、幹事のNさんでもない、もうひとりのNさん)のブログへリンクを貼らせてもらいます。

http://oceansheep.cocolog-nifty.com/mist/2012/10/2012-64b6.html

2012/10/18

アジア公開大学連合の年次大会が開かれた

1017_2組織というものと付き合っていると、外の人びとには見えないその組織特有の時間軸があって、その時間軸上に、いくつかのやっていかなければならないことが乗っかっている。放送大学にも、そのような長期的な懸案事項というものがある。

そのひとつは、このことだろう。この20数年来、アジアに対して約束してきたことがあって、それはAAOU(アジア公開大学連合)の年次大会を開くというものだった。かなりの強い意識として、放送大学の先生方は感じてきたはずである。

1017_3今回、数年の人から人へ受け継がれてきた意識が、ようやく形となって現れ、大会が幕張の国際会議場で実現したのだった。22ヶ国、200名以上の外国からの参加者があったと聞く。日本、放送大学の関係者を加えれば、300名を超えたのではないかと思われる。全体からみれば、ほんの少しだけ参加したに過ぎないが、それでも僭越ながら、「約束を果たした」という想いだ。

同僚のK先生の言葉が、印象的だった。これまで、何回か外国で開かれてきた大会に出てきているのだから、義務として「セッションのチェア」をやらせていただきます、と言っていた。儀式というものは、開くこと自体に意味があるという文化人類学的な形式的な理解もあるが、やはり、開いてみると、はじめは形式的な出会いであっても、大会に参加しているうちに、次第に気持ちが入ってくる、という経験を得られるのだと知ることになるのだ。

大会の基調講演は、最初の実例だ。パンフレットには参加意志を表明した時点での、内容が乗っているのだが、実際に話される内容はそれ以後の内容が、多くを占めているといえる。内容がかなり違っていた。たとえば、基調講演者のKさんは、コモンウェルスの遠隔教育の中心人物で、ベトナムでも講演を聞いたことがある。

それぞれの年次大会をでは、流行となる言葉が発生するという傾向がある。以前には、「…for all」という言葉が何回もリバイバルしてきている。今回も、フロンティアとか、知識とか、という言葉を散りばめて、向こうを狙ったのだが、実際に流行ったのは、「moocs」などの遠隔教育界で流行っている言葉だった。

1018旬となるような言葉がとびかうのだが、これはいわばモード界のパリコレのようなもので、今回も6月に開かれたユネスコ大会で使われた言葉が、ここでも流行したのだった。遠隔教育の世界では、まだまだ効率性や大量性ということが、形をかえてはいるものの持て囃されるのだ。

10182けれども、やはりAAOUの良いところは、ローカルなセッションが2日にわたって、数十開かれるところだと思う。これまでの恩返しで、わたしも日本側の司会をひとつ引き受けることになった。発表者は少なかったが、やはりローカルな雰囲気の醸成があり、さらにフィリッピンの方の司会がうまかったので、時間をたっぷり使って、皆さん満足のいく発表を行なうことができたと思う。最後は、記念撮影をして、互いを祝福して別れた。

2012/10/07

横濱ジャズプロムナードで、「合図」について考えた

1007「合図」を発するのは、どのような時だろうか。今日のジャズプロムナードを通じて、ジッと見て来たことである。というのか、気になったことである。答えは簡単で、「合図」は人びとを結びつけるときに、発せられるのだ。昨年同様、娘を呼び出して、まずは関内ホールから。毎年、この時期になると、横浜が活気づく。横浜という都市はイベント好きだと思うが、その中でも、10月は特別な時期に当たっている。

ジャズ音楽が学生時代から好きなのだが、どこが好きなのかといえば、柔らかさがたまらない。たとえば、ジャズには、クラシック音楽のような指揮者がいるわけではない。ところが、微妙なところで、「合図」を出し合っている。たとえば、リーダー、必ずしも団体のリーダーというわけではなく、その曲のリーダーなのだが、その曲の始めに出だしに合図を送ることは、たとえジャズのインプロビゼーションの前でも、しばしば見られる。だから、タイミングを図ることは重要であることはわかる。けれども、ジャズに限っていえば、ワン、ツー、スリーというのは、たぶん「合図」というよりは、パフォーマンスの一種だろう。笑い顔の交換もパフォーマンスだ。「合図」はすぐに形式化する性質を持っている。

1007_2それじゃ、曲の途中で、指を一本立てる「合図」は、なんだろうか。1小節か1曲か、という意味ではないかと思われる。「合図」からさらに発展して、その動作が意味を示すようになれば、「合図」も複雑な伝達手段となる。つまり、意味を発せずにはいられないほどに、そこに意味を伝えるべき「他者」の存在を認めていて、「合図」というものが他者を必要としていることをよく表している。

グループのみんなが、同じ曲を演奏しているからといって、グループ内に確固とした「合図」を通じた同意が存在すると見るのは、危険だ。むしろ、それは逆で、曲を演奏しながら、「他者」としてのグループの仲間たちを、ようやくにして互いに知るようになるのだ。

1007_3そのことがよく現れていたのが、ルクセンブルクからきた、Pascal Schumacher Quartet (Pascal Schumacher (vib), Franz von Chossy (p), Christophe Devisscher (b)Jens Düppe (ds))の演奏だった。始め、関内ホールに着いたときには、すでに満席で、仕方なく1曲目は、待合室のビデオで聴いた。けれども、流れてくる音楽は、ヨーロッパの複雑な風の香りをたっぷり持った、というイメージがピッタリの、ちょっと違った音楽だった。

1007_42曲目からは、ホールの中で聴くことができたのだが、ちょっと違うというのは、こうゆうことだ。たとえば、ピアノがフレーズを語る。続いて、ビブラフォンがフレーズを解体するか、拡大して、これにベースとドラムが付いて行く。ここでは、最初のフレーズがいわば「合図」として働き、集団による圧倒的な「応答」が続いて行くのだ。

この「合図」が、じつはどの程度なのかは、たぶんかなり、他者にはわからないものなのだ、と想像する。それで、最初は合図を巡って、周りを取り囲み、どの程度それについていくべきなのか、とメンバー同士で見ている。この感じがよく出ていた。この関係は、逡巡するものではなく、むしろ応答は流暢に発展し、天にも登って行くような響きとなって、こちらへ伝わってくるのだ。

たぶん、この「合図から応答へ」、次の「合図から応答へ」、さらに「合図から応答へ」という流れが、新しくかつ新鮮にもかかわらず、自然な推移を示しているからだと思われるが、滑らかなのだ。何か新しい感じの音楽だ。それは、低音から高音へ移って行く時のコード進行の滑らかさに現れていて、音楽にそれほど親しんでいないものにも、単純なメロディではないにしても、複雑な音の重なりが素敵に聞こえてくるのだ。

そのあともう二つ別の公演を聴いて、玄関に差し掛かると、カルテットの方々が表の街角ライブを見ていた。それで、演奏にほんとうに感動した、と伝えようとしたのだ。こんなことは滅多にないことで、原稿を書いて、凝り固まっている頭が、いっぺんに解放され、柔軟性を取り戻したのだった。グレートと言って、握手してもらった。娘も便乗して、三人に握手していた。当分、手を洗わないそうだ。

彼らだって人間だから、いくら今は、天才と言われていても、創造的であればあるほど、絶えず衰退に晒され、その憂き目をいずれは受けることになるだろう。けれども、今日の演奏を見る限りは、当分は見事な栄華を誇り、安定した創造性を発揮し続けることになるだろうと強く予想させる。

彼らは初来日で、明日は東京で演奏会があるそうだ。CDも日本盤が出るそうなのだが、この舞台でのやり取りの細部までは再現できないだろう。今日の演奏の中で見せたような、プラスティックの買物袋をシワシワにして発する音を入れたり、シンバルの表面をこすったりしているのを、音だけでいかに判断できるだろうか。

それにしても、「終わり」ということにこだわる人びとだった。終わりに近づいて、最後の一つの音に到達するまでに、数十分を費やすのだ。なかなか終わらない。それは、なぜかと考えるに、やはり「合図」の問題に行き当たるのだ。「応答」までの道のりは、彼らの場合には、相当長いということだ。途中でのやり取りに、かなりの自信を持っていることを想像させる演奏だった。

そのあと、SオーケストラやAトリオなど、いずれも名だたる演奏を一日中聴くことができて、こんな日は一年のうち何回もあるわけがない。最後に、ジャズの酔いを覚ますために、海の匂いのする喫茶店で、今日最後の甘い珈琲を一杯飲んで、久し振りにじっくりと娘と話をして帰宅した。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。