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2012/08/20

昔の記憶が思わぬところで蘇る

820_2母と妹が東京へ帰るというので、M市まで見送る。コミュニティバスに乗って、O町へ出て、そこから大糸線なのだ。O町の街はつねにシャッター街で、人気が無いのだが、朝と夕方の通学時間だけは、駅から中学・高校までずっと生徒の列が続く。820_3いつもは、どこに隠れているのか、と思うほどである。また、身体障害者の人たちも、共同作業所へ通うので、集団を作っている。バスにも、二人乗っていた。

820_4M市では、日差しが強く、肌がひりひりする。熱中症は慢性化する恐れがあるので、今日はちゃんと帽子をかぶって来た。電車の窓からの陽の光が、冷房の壁を破って、侵入してくる。820_6古典の文庫本を持ってきたが、こんなに短い文章だったのか、と思えるほど、あっけなく中心部を読んでしまった。陽の暖かさで、夢うつつに社会の姿がぼおっと霞んで見えた。満員電車のなかで、またまた居眠り。
    
820_7M市では、昨年はサイトウキネンのTシャツが店を飾っていたが、今年は水玉模様のこの人だ。市の美術館で、大展覧会が催されている。そして、街を走るタウンバスの模様まで、デザインしてしまったらしい。ちょうどわたし達のまえで、曲がっていった。820_8気をつけてみると、運転台の前の水玉には、マジックインクで書かれたKの自筆サインが描かれていた。デザインとして、デザイナーのロゴが入ることはあっても、自筆サインが書かれているバスは、珍しいだろう。それにしても、80歳を過ぎて、意気盛んである。

820_9彼女のホームページを観た妹が、そこに彼女のお母さんの写真が掲げられていて、それはたしかにわたしたちの通っていた幼稚園の講師の方だった、といっていた。とすると、やはりわたしも彼女から絵画を習ったことがあるというのは、ほんとうのことかもしれない。820_10けれどもまだ、確信を得られないでいる。もしそれがほんとうのことであっても、それだから絵がうまくなるわけでもないので、まだ当分、このミステリーを楽しんでみたい。

820_11それで、中町で母たちと、いつもの山家定食と、山里定食で、枯れていて信州らしい山菜中心の食事をする。食が細くなってきていて、山菜だけでいっぱいと思っていたのであるが、山家定食には、ワインと、紅鱒の甘露煮が付いてくる。820_12この甘露煮は、ことことと時間をかけて煮たと書いてあったが、形は写真のようにきちんとしているにもかかわらず、味は濃く浸みており、骨も完全に食べられる状態になっていた。頭も尻尾もすべて柔らかく煮込んであった。820_13これと、栗おこわとの取り合わせが絶妙だ。毎年思うことだが、一年に一回は食べたい食事である。

820_14今年、一番気に入ったのは、「しのぎ」の入った陶器だ。インターネット販売でも、近年流行を極めていて、かなりの作家が粉引の「しのぎ」ものをこの界隈へ出品していた。中でも、Tにあった大きな「しのぎ」のカップはきれいだった。余裕があれば、購入したいところだったが、今年はすでに昨年から決めていたものがあったので、結局はC工藝店でコーヒーカップを購入した。820_15いつもはしゃべりかけて来るような人ではないのだが、珍しく、女主人の方から、磁器が好きなんですか、と聞かれてしまった。

820_16それから、Kへ寄って、珈琲用のポットを購入しようと決めていた。ところが、Kへいくと、写真のような看板があって、昨年同様というところが巡り合わせの不思議なところなのだが、残念ながらそのポットは手に入らなかった。娘から買ってもらった家のコーヒーメーカーも壊れてしまったので、ポットは珈琲飲みには必需品である。来年まで待って、Kを訪れるということも考えたが、一年というのはすこし先過ぎた。820_17それで、家にかえってから、インターネットで熊本の陶器屋さんから、それを手に入れることになった。これが、現代というものかしら。

820_18中町には、中町の文脈が流れていて、最近になって、その共通性をみんなが自覚するようになってきている。それが、規格化されるのであれば、中町のそれらしさを削いでしまうことになりはしないか、ちょっと心配になった次第である。街というのは、もっと猥雑な活力を必要としている。

820_19けれども、この猥雑な街の力が残っていると感じたのが、中町の最後の交差点にある、老舗お菓子屋のO堂中町支店であった。820_20ここのご主人が裏にある江戸時代からの蔵を見せてくださるというので、ガラス戸を越えて庭に回った。そして、二つの蔵を見せていただいた。ご主人の集めた収集品でいっぱいだったのだが、じつは感心したのは、小さな頃の記憶だった。

820_21わたしの通っていたM市の幼稚園がO院というところだったのだが、この隣がご主人の実家だったとのことだった。820_22それで、この幼稚園の建物が、かつての芸者の置屋であったり、(この幼稚園がバイオリン教室としても有名なところだったのだが、)それで音感が狂ったりしたなどの話を聞くことができた。820_23旅をして、昔の記憶に触れることほど楽しいことはない。自分の知らなかった、自分の中に潜在していた記憶が呼び戻されるからである。820_24今度は、別の機会にゆっくりとお聞きしたいと思いながら、M市を後にした。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。