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2012/08/14

自然の整序というものがなぜあるのか

814_3自然法という考え方があって、社会科学を学ぶものは、学史や思想史を学ぶ時に、かならず通り抜けなければならない関門である。自然にとっての自然があるように、人間にとっての自然ということがありえるのだ、と教えられる。

814_5それで、自然と同じように、形の素晴らしい存在が、人間の織りなす制度にもあり得る、という錯覚にとらわれて、社会科学を学ぼうという思うのだ。この錯覚はとても大事で、錯覚がもしかしたら真実であるかもしれないのだ。

814_4未だに、自然の自然をみると、とても感動するのだ。こんな綺麗な形が、世の中にあり得るのだろうか、と思ってしまう。たとえば、この写真に写っている葉っぱの整序状況はいかがだろうか。何処かの国の軍隊が、命令一括すべての人が同じ方向を向いて行進するのとは、正反対の秩序であって、命令もなく、意図もなく、目的もないのに、まさに自然にこの形状が整うのだ。

814_7葉っぱや枝は、それでも植物全体の整序状況を反映していて、命令とまではいかなくても幹や根っことのバランスのいうことを聞いているのかもしれない、と想像される。それでは、違う種類の植物の自然さで、こんなのはどうだろうか。

814_8今年のヒットは、丸さである。こんな丸もあるし、あんな丸もある。丸になるからには、中央から均等に花びらや、棘が伸びている必要がある。それは、誰が命令しているのだろうか。そして、花の丸と、栗の丸と、どのような調整が行われているのだろうか。

818この辺になってくると、自然とは自然ではないような気分になっているから、不思議だ。生物学者や植物学者が、とても自然崇拝者ではないように見えてしまうのも、820失礼、自然の超自然的なあり方に問題があるからに相違ないだろう。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。