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2012/07/01

雨の中、二重性の世界にどっぷりと浸かる

Photo_20雨の葉山も、良いものだ。水滴が外側の窓にかかっているうちは、まだまだだが、内側のこころの中にまで、雨が浸透してくる頃に、ようやく海が見えてくる。午前中は、ゴタゴタとした仕事を脇におき、重要なことに発展しそうな電話も切り分けて、それらを家に残したまま、妻と二人で横浜を出た。

Photo_21画家松本竣介の回顧展が、葉山の県立近代美術館で開かれている。個人蔵で、滅多に見ることのできない初期のものから、以前、松本市美術館での絶筆展で見たものまで、ざっと主だったものが来ている。これを見逃したら、今後一生見ることができないものがたくさん来ている。

Photo_22この絶筆となった建物の絵が典型例であるのだが、以前から不思議に思っていた点があった。それは、松本竣介の二重性的な描きかただ。モンタージュと呼ばれている。建物の絵があるのだが、二重に描いている。一重目は、下絵であり、背景と建物の色が分けられて、キャンバスがぼあっと塗り分けられている。そして、二重目に、建物の輪郭がくっきりとした黒い線で描かれている。これら両者は、微妙にずれているのだが、ひとつのものなのだ。

Photo_23他の人の表現であれば、たとえば先日の須田国太郎であれば、二重化することで、深く深くおりて行くことができる。テンペラ画以来の使われ方だと思われる。色が混ざらないので、色を重ねて、深みを出すことに使われる。これと似ているようだが、松本竣介の場合には、どうも違うのではないかと思われる。透明なので、透けて二重性が見えてくるのだ。見せることが出来ないのが、残念だ。

Photo_24また、初期の作品の中にも似たような作品がある。ルオー調の太い縁取りをするような「建物」という作品があるが、けれども、この延長線上にもないような気がする。その後、1940年ごろから、下絵から分離して、黒い線で描かれた線画が上から重ねられて描かれるようになった。これは、何なのだろうか。

Photo_25松本竣介には、目に見えるものが、二重に見えたのかもしれない。あるいは、二重のものとして、事象を描いて見ることで、現実がほんとうの姿を見せたと思えることを発見したのかもしれない。

このことは、デッサンにも現れている。デッサンであるから、線のみで描けばよいのだ。ところが、このデッサンにも、単色だけれども、薄いインクでぼあっとした下地が存在するのだ。薄くグレイでベタと塗られているのだ。この二重性への執着はいったい何なのだろうか。

色彩と、輪郭がずれている、という解釈はどうだろうか。ひとつの形象が、輪郭の線と、色彩の面とに別れて、存在させているのではないか。たとえば、わたしたちは、谷を渡るウグイスを見る。同時に、ウグイスの鳴いている声が聞こえる。飛ぶ姿と、鳴く声は、一体のものとして、認識する。見る感覚と、聴く感覚が違う感覚であると認識するのだが、一羽のウグイスと認知している。

松本竣介はどうだったろうか。13歳の時に、流行性腦脊髄膜炎に罹って、聴覚を失う。その代わりに、彼にとって、視覚は、複数の感覚を併せ持つものであったのではないだろうか。視覚の中で、線の感覚と、面の感覚とを分離することは当然できたであろうし、さらには、これらを自由に統合することも、当然可能だったと思われる。

Photo_26今日の展覧会で好きになった作品は、少年シリーズ、とくにあの透けた「りんご」。自画像シリーズでは、どれも其れなりに興味があるが、初期のものと最後の43年のものかな。そして、街と人シリーズの中では、下関市美術館所蔵の「街にて」、大原美術館所蔵の「都会」。横浜ものでは、Y市の橋シリーズもよいが、初めて観た個人蔵の「街角」と「横浜風景」は抜かすことができない。赤い建物、少女・・・・というわけで、到底、すべてを挙げることができない。

それにしても、今回展覧会のパンフレットへの思い入れは、尋常で無い。詳細で読み出がある。いつもは、もう荷物になるだけだから、と購入は見合わせるのだが、今回は手にとった途端に、腱鞘炎をモノともせず、分厚いこれを小脇に抱えた。ここしばらくは、読ませていただくことにする。

Photo_27美術館の休憩椅子で、家から持ってきたコーヒーを飲んで休む。先日の鹿児島出張のときに購入した豆が、コクがあって、まろやかで素晴らしい。今日から、当分のあいだ、このボリビア主体のブレンドコーヒーを楽しもうと思う。

Photo_28美術館の玄関を出て、いつものように、裏の小径を抜けて、海岸を目指すが、写真のように、海開きを控えて、すでに海の家が砂浜を占領していた。冬のあの趣きは何処へやら。秋までの当分のあいだ、海岸散歩はお預けだな。

Photo_29雨が降り続く中、人間の中の透けた、街も透けた、建物も透けた、あの1940年代の世界を去り難く思いながら、バスに乗って帰路につく。帰ってから、今日の夜には、明日締め切りの日本語の論文査読と、英語のアブストラクトの査読とが待っている。いったい、書くことにも、二重性は適用できるのだろうか。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。