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2012年7月に作成された投稿

2012/07/20

「リンカーン」に乗る個性は、個人を超えていくのだ

19現代社会のひとつの特徴で、Aさんという個人の存在があったとしても、「Aさんである」ということが、Aさん個人の範囲内に収まらない、という普遍的な問題が生じている。このようなAさんという存在を超えて、Aさんという個性が存在する問題を、超個人問題と仮に呼んで置くと、いろいろと便利である。

19_2代理人の問題は、このような超個人問題の典型である。Aさんが行うべきことを代理人であるBさんに頼む。ここで、Aさんの活動範囲が、Bさんの活動の範囲まで広がることになる。また、逆から見れば、Aさんの活動が、Bさんへ部分的に移されたことによって、Aさんの個性が縮小したことにもなる。部分的な拡張と、部分的な縮小とが、超個人問題には、存在する。

19_3映画「リンカーン弁護士」は、この超個人問題を扱っていて、面白かった。弁護士は、上記でいうところの、典型的な代理人である。この映画のリンカーンというのは、米国自動車の代名詞「リンカーン・コンチネンタル」のことである。この車が事務所代わりになっていて、彼は移動しながら、活動的に事件をこなしていく。

話は、すこしずれるが、十数年前に米国へテレビカメラと一緒に取材に行ったときに、NYのケネディ空港に、このリンカーン・コンチネンタルが迎えに来てくれた。黒塗りで、車体が長く、これに乗ると米国に来たな、ということを実感できる乗り物である。もっとも、この車を手配してくださった方は、これに乗ったときの人びとの反応を楽しんでいた、と後になって知ることになる。大きくは、似合っていて喜ぶタイプと、成金的に喜ぶタイプと、さらに気にしないタイプに分かれるらしい。

19_4この弁護士は、実質的に事務所として利用して、有能な運転手(この点が重要なのだが)付きであるということが、映画の筋に影響を与えていた。映画の出だしは、テレビドラマ仕立てのなにやら金儲け主義の「悪徳弁護士」シリーズというような雰囲気だったので、このままアクション主体のスカッとした映画に突入するのかな、と危惧していたのだが、どうしてどうして、弁護士というものの本質的な点に入っていく。

たとえば、有名な秘匿義務という秘密特権の話が面白い。担当弁護士になると、たとえ被告人が殺人を犯していても、その秘密を秘匿し、他者へ漏らしてはいけないという、義務が生ずる。つまり、被告人の重要な個性の一部を、弁護士が請け負うことになる。

19_5この秘匿義務を利用する事件が起こる。一人の被告人が、小さな罪である暴行の犯罪人として起訴され、その弁護人として、このリンカーン弁護士を指名する。すると、この弁護士は、過去の大きな殺人犯罪の存在を知ったとしても、この被告人を告発できないことになる。つまり、殺人罪の隠蔽が合法的に図られたことになる。

この弁護士をいわば「共犯者」の位置に合法的に置いてしまったことになる。ハメられたのだ。映画の興味は、如何にしてこの「共犯者」から抜け出すことが出来るか、しかも、それを合法的にできるか、という興味津々の展開が続くのだ。仕事の義務と、法の良心との板ばさみになる、という解釈もあり得るだろうが、それよりも犯罪者の個性へ入り込んだ自分と、本来の自分との間の、超個人問題として、わたしは観てしまった。

19_6米国の映画らしいと感じたのは、機能主義的な解決を行ったことだ。最後には、二つの「自分」を切り分けて、それぞれを異なる解決として提示することで、一件落着した。風土・文化が異なれば、他者の個性へ入り込んだら、簡単には抜くことができない、という展開もあり得たのではないか、とも考えたのだった。筋は複雑を極めているので、いろいろな解釈を許す映画になっている。この点でも、内省型の人には、お勧めの一本である。

2012/07/19

職業についてこの一学期間考えた

Photo_5W大の演習も早くも、今学期の最終回を迎える。学生に職業人へのインタヴュー集を配って、十数人の職業についてその特性を考えてきた。演習の前半で、わたしが話をしながら、そのインタヴューを紹介する。これに対して、グループ討議をしてもらって、職業ごとの特性を検討してきた。十数の職業を見ていけば、おおよそひとつの全体像が浮かんでくる。その全体像をその学生なりの方法で掴んでもらいたかったのだ。

おおよその目的は達成された。議論は短かったが、残りをW大が設置してある、授業ごとの電子掲示板に全員の学生が発表していくという形式をとって、演習時間と、自宅時間とで2倍考えてもらう演習となった。4年生には、ちょうど就活の時期と重なってしまったので、ちょっときつかったかもしれない。けれども、掲示板を活用して、さらに猶予を設けていて優遇することにしたので、多少はそのキツさが緩和されたと思う。4年生のなかには、お世辞だろうが、就活の前に受講しておけばよかった、と述べている学生もいた。

Photo_6職業を考えるときに、自分の職業や希望する職業についての想像力は働かせる可能性があるが、問題なのは職業というものは、全体社会の中に相当散らばっていて、相対的な位置を考える余裕が存在しないことだ。何らかの接触のある職業分野であれば、ちょっと想像力を効かせることは可能だが、それでもまったく関係ないと思われているような職業との有機的な関係として、自分の職業が存在していることである。

そこで、最後のレポートでは、職業の全体を分類して、自分の位置づけを表し、社会の中での自分の職業上の問題を認識してもらう、という壮大な課題を提出した。普通であれば、このようなレポートの課題を出されたならば、お手上げであるが、演習で14回に渡って、様々な職業を見てきたということが、ここで生かされることになっている。図表を書いてもらうのだが、これもそれぞれの学生の特色が現れるような、工夫をした。

Photo_7さて、今年のレポートは、じっくり型のものになったのだが、どの程度の答えが返ってくるのか、本当のところ楽しみである。

2012/07/18

神話の世界から人間の社会へ戻って、気力だけが空中を舞っている

Photo朝起きると、顔がひりひりして痛い。昨日の太陽は、尋常ではないと思ったが、これほどの影響を与えているとは思わなかった。気温があがったことよりも、陽に焼けた皮膚が問題であったのだ。

Photo_2それで、例によって、雨傘を日傘に仕立てて、炎天下の道を大学へ向かった。それでも、傘の布を通して、暑さが突き刺してくる。大げさだと言われるかもしれないが、幕張に至る道路のコンクリートがむき出しのところは、特に厳しいチェックを受けることになった。

Photo_3午前中は、出張の報告を書いたり、雑談をしたりして、出張で身についた旅のゆとりを落とし、次第に仕事用の心の準備を行うことにする。昼はいつものHで、茄子と挽肉のピリ辛炒め。この暑さにぴったりと合ったメニューだった。

この合宿のまえに、準備を終えていたのだが、放送大学の先生方の発表会のような会があって、当番で当たっていた。ほんの15分ほど話せば良いだけだったので、気楽に臨んだ。ところが、会場は冷房が効いていたはずなのに、話し始めて、五分の一ほど進んだときに、身体の変調に気づいた。

いつの間にか、体中から汗がどおっと、吹き出して、心中を反映して滝のような汗の嵐が顔から身体全体に渡って吹きすさんだ。身体中からよくもこれだけの水分が蓄えられていたな、と思えるほどに、汗が集計されて出てきた。

以前にも一度だけ、このように心臓がバクバクとしたことがあったので、ほとんど動揺はなかったのだが、それでもこのようなタイミングで出て来たことにおどろいた。それで、若い時であったならば、動揺が激しいので、すぐ会場の外へ出てしまうところなのだが、今回は騙し騙ししているうちに、何とか凌ぐことができたのが、喜ばしいことであった。いつもと比べて、言葉は貧弱であったとは思われるが、それでも成功ではないかと思われる。

Photo_4年を取るということは、こういうことではないか、と思った。疲労の蓄積が、夢のごとくに目の前を過ぎていく。それで声を発しようと思うのだが、実際には、老人だけの体力しか出すことができない。かといって、それで完全に駄目になってしまうこともない。気力だけが、空中を舞っているのだ。

2012/07/17

宍道湖の北を通る電車に乗って、出雲大社へ

17島根合宿が終わって、一日が経過するが、島根を去り難く、もう一泊する。映画「レールウェイズ」で中井貴一演ずる主人公が、小さな鉄道会社に再就職して、第二の人生を歩み始める。この時出てくる電車が、これから乗る一畑電車だ。駅舎に明治期の写真が飾ってあった。わたしの泊まった宿舎がちょうど、宍道湖の温泉駅のすぐ近くにある。

17_2この電車は、一時間に一本なので、駅でみんなのんびりと待っている。到着する電車は、通勤客で一杯だが、往きの電車は、観光客が多いような気がした。途中、宍道湖の湖面の色がいろいろに変化するのに見とれる。水が澄んでいるので水深がもっと深いようにも思えるが、わずか4から6メートルだそうだ。昨日伺った「たたら」の鉄穴流しで、斐伊川が宍道湖に流れ込む際に、大量の土砂も運んだに違いない。

17_3電車の中は空いていたので、あちこち移動して、写真を撮っていた。駅ごとに異なる神話の絵が描かれているのだ。17_14たとえば、これは明らかに、天照大御神の天の岩戸の場面だ。172


それから、水路がいたるところにあって、宍道湖へ流れこんでいる。そこで、度重なる水害に耐えたという「遙堪」が地名となっている、と電車の車掌さんが教えてくださった。

17_4すると、「先生!」と呼び止められた。昨日まで一緒だった大阪からの学生Mさんだった。同じく、出雲大社へ出掛けてきたのだという。旅は道連れということだ。

17_5出雲大社の目的は、何んといっても、なぜ大国主命が日本の統治モデルとして、今でもさん然と輝いているのか、という点である。この王様が互酬性を強く意識した王様であることは、あらゆる神話が示していて、日本国の国是の中心をなしてきたことは、系統的に明らかである。直接の関係を強いるのではなく、間接の関係を重視する。たとえば、彼は「国引き」という不思議な術を使う。遠くにある土地を近づけてしまったという神話である。統合的で、多様なものを一つにまとめる才能を持っているということの比喩であることは疑いない。

17_6それから、わたしの小さなときから、「因幡の白うさぎ」という伝説は、大国主命神話というよりは、童話レベルの一般的な物語として、絵本などで目に耳にしている。何が日本にとって教訓になっているのかといえば、残り物に福があり、親切は他人にとって重要であると同時に、自分に帰ってくるものなのだということを教えている。これもやはり、互酬性的な考え方だと思う。関係性に膨らみがある。

17_7嘘をついて、海を渡ろうとして、サメに皮を剥がされた「うさぎ」が道端で泣いている。外来者に対して、日本の土着思想は、排除的であることを示している。兄たちは、海の潮水で洗って、乾かしなさいと、うさぎをイジメる。ところが、末の弟である大国主命は、真水で洗いなさいと言う。それで、この寛容の精神を発揮したことで、結果として、妻を手に入れる。

17_9「兄」と「弟」の逆転、弱者の救済、国を治めるものの神話が、この物語には凝縮されていると思われる。この「うさぎ」とは、いったい何者だったのか。サメの「被害者」なのか、兄たちに対する「審判者」なのか、はたまた、大国主命に対する神からの「媒介者」なのか、興味の尽きない物語だと思われる。

17_10さらに、国譲り伝説は、大国主命神話の真骨頂である。同じくらいの権力が並び立ってしまったときの、ガバナンスの在り方を教えている。基本は「謙譲」であり、譲ることによって、実は実質的には、すべてを手に入れるのである。なぜ国譲りを行ったのに、大国主命の元に、出雲大社に毎年の神無月に、すべての神が集まってくるのだろうか。つまり、譲ることによって、どのようにして実質的な信認を手に入れることになったことを教えているのだ。出雲大社では、大きなしめ縄に注目した、Mさんが教えてくれたが、このしめ縄は逆向きに巻かれているという性質を持っているらしい。

17_11もう一つ感動したのは、大社の本殿の左右に、神々が鎮座する長い社が作られていたことだ。そのシンプルな建物の装いは感動的である。神々がここの集まって何をしたのかが重要でなく、集まること自体に、神々の共同体の効用があったのだと思わせるに十分な、必要最小限の建物だった。

17_12娘から、駅の道をずっと歩くと、灯台があって、素晴らしい景色が展開していると、聞いていたが、この日差しだ。そこへ着く前に、熱中症になってしまうだろう。それで、歩くことは諦めて、帰りの電車を待つ間、駅前の喫茶店で、クリームあんみつを食べることにする。暑さのあとは、しっかり糖分を補給しておかねばならない。

17_13このあと、美術館と博物館へ寄りたかったが、あまりに一度に済ませてしまうと、今度くる時のモチベーションが下がってしまうに違いない。楽しみを残してこそ、旅の意味が出てくるというものである。ぜひ今度は、面接授業などを企画して、再来を期したい。Mさんと別れて、早々に空港へ急ぐことにする。今回の島根旅行は、いくつかの宿題を、残して終えることになった。

2012/07/16

今日一日を振り返ることは、日本の数百年を振り返ることになるかもしれない

16今日一日を振り返ることは、日本全体の歴史の中でも、数百年の典型例を振り返ることになるかもしれない。これまで、産業としての鉄を様々なところで見てきた。いつの時代でも、鉄は人びとを大規模に繋ぐ産業であるという、特別の産業だと思ってきた。近代ということを考えるときには、この傾向がこの産業の特徴と一緒に必ず現れる。

16_2それで、島根にきたならば、日本近世の「たたら製鉄」を見ないわけにはいかないとかねてから思っていた。ゼミの方々も誘って、バス研修という形態を取ってやってきた。せっかく、こんなに遠くまできたからには、大学へ閉じこもってのゼミだけでは、詰まらないのではないかと考え、企画した次第である。

16_3都合の良いことに、今回の合宿で、会場の手配などたいへんお世話になった島根大学のI先生は、森林という観点から、つまり近世の製鉄では映画「もののけ姫」に出てきたように、木炭を使うのだが、製鉄環境に付いてお話をしてくださった。また、それぞれの施設毎に、研究員や説明員の方々の話を聞くことができて、たいへん詳細な情報を得ることができた。

16_4詳しくは他の場所に譲りたいが、最も印象に残ったのは、雲南市の吉田村に今も残る江戸時代からの鉄師田部家の「菅谷たたら山内」であった。江戸期から玉鋼やズクを作り続けてきた「たたら製鉄」の現場が重要文化財として残っているのだ。16_23この大きな施設で、製鉄が行われたのだ。じつは、今月が公開の最後であって、来月からはこの現建物の解体修理が始まるとのことだ。現物そのままが見られるのは、今月が最後であった。この時期に見ることができたことは、たいへん幸運であった。壁が幾重にも塗り分けられていて、苦難のあったことを表している。製鉄は火を扱うので、何回かはこの火をくぐったことを、如実に語っている。

16_5この建物全体が残っていてたいへん良かったと思われるのは、地下構造も含め、さらには、村下から番子に至るまで、それぞれの職種が座る場所と、建物内での役割が完全に見て取れることであった。16_6「村下(むらげ)」というたたらの四日間を取り仕切る職長のような人がいて、それが表と裏と二人いて、この二人を中心として、それぞれにチームが編成され、さらには、この建物の外に、鉄穴流しの要員や、出来た鉄を割る職人や運搬などの周辺の職人や人足たちが連なって行く。もちろん、鍛治場などを入れると、さらに複雑な組織になり、村下よりも、鍛治の方が報酬が良かったらしいなどという興味深いことも、指摘されていた。

16_7うすると、全体で、最盛期には、2800名ほどの働く作業場が、現出していたのだと教えられた。さらに、家族を含めれば、この地域に3万人ほどの、企業城下町が成立していたことになる。これほどの規模の産業が、江戸時代に存在したということ自体、驚きだ。江戸時代というもののイメージが一変したと表現した学生の方もいらっしゃった。これだけの産業が江戸時代に、こんな山奥に(失礼!)存在し得たということだ。かつて、釜石の橋野高炉跡へ行った時にも、その規模の大きさに驚いたのだが、それに匹敵する驚きだ。

16_8このような頂点に立つ、産業が存在し、その周辺にそれを数倍上回る人々を惹きつける有機的な産業群が存在する、という構造が成り立つのは、近代になってからと思っていたのだが、これで見るように、かなり普遍的な産業のあり方がであることがわかり、今回のバス研修は収穫大であった。16_11吉田村の土蔵群や、歴史館、未来館など、魅力的なところはかずかずあったが、想像力を掻き立てられたのは、やはりこの菅谷たたら山内とそれをめぐる、番小屋や、水車などの有機的な配置であった。

16_10のあと、同じく鉄師であった絲原家も訪れる。こちらの構えも立派で、往年の隆盛を思い浮かべることができる。鉄には関係ないかもしれないが、庭園も立派であった。この中にあった、藁葺きの小さな小屋がシンプルで、気に入ってしまった。もっとも、ここでの博物館の解説は、微に入り細に入り、質問にもたっぷり答えていただき、十分な滞在となった。残念なのは、こちらのたたら場はすでに壊されていて、写真と跡地があるだけだったことだ。

さて、最後に頭の中を去来したことは、わたしの祖先のことであった。ちょうど、近世のたたら製鉄から、電気製鋼の時代まで、信州にあって、製鉄業を営んでいた。だから、時代からすれば、ある程度は重なる。途中、資金的にうまくいかなくなって、近世のたたらからも撤退し、近代の製鉄業からも撤退した。

16_12この島根県の鉄師たちと何処が異なっていたのかといえば、一言でいえば、残るためには製鉄業だけではなく、多角化が必要であったということだ。島根には、山林が残され、製鉄業で近代製鉄、つまり八幡製鉄所に抜かれたあとは、炭を作ることで生きながらえたということだ。それについては、山林という蓄積された資産がモノを言った。ここの違いは、大きかったと言えよう。

16_13それから、それを上回っていたのは、かなり完成された「たたら製鉄」のシステムを持っていたことである。これは、社会変化でよく見られることだが、あまりに完成されてしまうと、その後発展を止めてしまうことがよくある。

16_14なぜ近世「たたら」は、規模拡大ができず、近代製鉄のような大規模化へ向かうことができなかったのだろうか。菅谷高殿と、絲原家とで質問して見た。数百年に渡って、炉近くの改善や、鉄穴流しの改良や、さらに水車という動力の導入がありながら、この箱型約3メートルの規模はそれほど変わりなく、近代になって、コークスを使うようになるまでは、大規模化が行われなかった。なぜであろうか。

16_16砂鉄と木炭の限界、村下4日間の体力限界、人的組織の限界などが、供給側の答えらしかった。また、おそらく、玉鋼への需要も、刀剣に限られ、銑鉄への需要も農機具に限られていたということもあるだろう。けれども、ここにきて見て総合してみるに、やはりたたら製法は、ほぼ完成されていて、この何処を変えても、全体を変えるには至らない、状況にあったと言えるであろう。逆に考えれば、この規模が「たたら」という方法の限界であったということになるだろう。

16_18バスは、質問をたっぷりとって、時間がオーバー気味だったが、最後は空港にもピッタリだったし、JR駅にも予定通りについて、大成功だった。16_19また、複製画だったけれども、英国取材の時に産業博物館でお目にかかった有名なコールブルックデールの絵にも再会することができた。

16_20帰り道、海鮮料理の店があったので、刺身と焼き魚を食べる。アジの塩焼きも美味しかった。16_22通り道だったので、昨日の喫茶店で、チーズケーキのセットを取る。メールで追ってきた仕事をいくつかこなして、宿へ帰る。


2012/07/15

論文書きの見果てぬ夢

15朝、展望の良いダイニング・ルームで朝食。宍道湖をぐるっと見回す。島根大学行きのバスへは、近くの県民会館前から乗る。近くに、松江城があり、掘割と遊覧船がある。朝早くから、修学旅行生が歩いていた。城壁も素晴らしい。

15_2島根大学まで歩くことができる距離だったが、この炎天下で、道に迷うことを考えると、やはりバスの方が無難だと思った次第である。そしてというのも憚るのだが、案の定、一本異なるバス停で待っていたらしい。年取った地元の人に、またまた教えられて、事なきを得る。

15_3ゼミが始まってしまうと、問題は、論文の内容ということになるのだが、まじめに言うならば、例によって個人の論文に関することなので、ここに書くことはできないのだが、じつはそうではなく、ゼミで語られることは、ふつうの文章にはならないし、杓子定規にできるものでもないということが、じつは重要なのだ。

15_4論文を書いていていつも気づくのは、何か目標が存在していて、それに向かって書いていると、結論が見えてくるというような論文は、存在しないということだ。ゼミでは、他者のコメントがどのような役割を持っているのかは、論文の性質によっても異なるので、一概にはいうことはできないが、合宿に持ってくるような学生の発表には、こちらから積極的に言いたくなるような論文が数多くあって、コメンター冥利に尽きる思いだ。好奇心を刺激することに長けている。

15_5たぶん、放送大学という生涯学習の試みの最大利点の一つが、このようなところに現れているのだと思われる。それで、このゼミに参加して、上記の意義を見出した人と、つまりは他者の発表を聴いて自分の論文への刺激を見出した人と、参加しなかった人との違いは明らかで、この共通に持つ感覚をどのように言ったら良いかはわからないが、おそらく論文を書いた人たちは、納得して共有しているものと思われる。

15_7コメントを行いたく論文とは、どのようなものであろうか。いつも参加される先生がたに一度尋ねてみたいと思っていて、未だ行ってないのだが、たぶんこれまでに聞いたことがないような、好奇心をそそられる内容で、けれども、まったくこれまでに関心外であったわけではない、琴線に触れるような興味深い論文のことだ。つまりは、誰もが口を挟みたくなるような論文であるということだ。

15_8懇親会は、大学近くの居酒屋で行う。物価が安いので、これでもか、これでもかと、料理が出てくる。この値段で、さらに、飲み放題が付いてくる。これだけの料理を提供するのでは、学生相手の店は楽じゃない。会が終わって、バス停へ向かうが、日曜なのでまだ8時だというのに、最終バスをのがしてしまったらしい。機転の効くゼミ生が、タクシーの相乗りを提案した。

15_9中心部へ戻ると、さすがにまだ開いている喫茶店があり、女性の観光客たちを集めていた。15_10ここに入って、ゼミを振り返り、今後の予定を確認する。

夏の夜も、このような水際は、何となく緩い暑さになるような気がする。15_11堀川に沿って、緩い風が吹いている。今日最後のブレンド・コーヒーとチョコレートケーキを食べて、神々の眠る神社を通って、宿舎へ帰る。

2012/07/14

島根での転地ゼミナールは、成功するか

14朝、羽田空港を発って、米子空港に着く。この境港のシンボルになっているのが、水木しげるのゲゲゲの鬼太郎だ。それで、空港に鬼太郎が来て、出迎えてくれた。子どもよりも、若い女性に人気だったのはなぜだろうか。

14_2その鬼太郎の一反木綿に乗って行ったら、さぞかし素晴らしいだろうと思える道を松江へ向かう。空港からすぐのところに、中海が広がっており、穏やかな水面で迎えてくれる。17これを上から見下ろすくらい、高い大橋がかかっていて、眺望が素晴らしい。陸があって、湖があって、さらに、陸があり、海がある。その湖水の北側をぐるっと回っての道だ。

14_3そこには、ヤマタノオロチや因幡の白うさぎなどの神話が、ほんとうによく似合う。この土地には、神々降りてくるということを想像する人びとが出てきたとしても不思議ではない。いかにも、水の中から、陸を超えて、神々がやってきそうな神秘的な雰囲気だ。自然の魅力は十分ある。この不思議で豊かな雰囲気は、きっとゼミナールに良い影響を与えることだろう。

街に入って来ると、城下町特有の曲がりくねった道が続く。川や河や運河が幾重にも重なっていて、さらに、宍道湖や湖をつなぐ水路が通っている。松江城は、水で守られた要塞だ従って、橋は昔、かけられていたものは敵を寄せ付けないために、少ないそうだ。それでも、遊覧船が通る時には、頭を橋にぶつけない工夫が必要だそうだ。

14_4駅に着くと、島根大学行きのバスを待っているT先生に会う。バスの中では、年配の方が親切にも、わたしたちの疑問に答えてくださった。このような転地が効いたのか、多くゼミ生がアイディアを揃え、整えてきて、聴いていて楽しかった。14_5身体の転地療養ということに匹敵する、頭の転地療養になったのではないだろうか。もっとも、転地療養が必要なのは、年を取ったわたしの頭の中であって、それが働き出すには、しばらく時間がかかってしまった。

14_6夜は、宍道湖の七珍料理を食べに繰り出す。海の幸と川の幸とが両方楽しめる、ということだ。シラウオ、エビ、ウナギ、そして、シジミなどがずらっと並んだ。14_7もっとも、予算の関係もあって、少しずつだったが、その他に、七珍の一つではあるが、特別にスズキは何とか焼きという、紙で包んだ蒸し焼きのものが出てきた。

14_8酒は、松江地元の醸造で、Yという純米と大吟醸のものをいただいた。偶然だったが、宿舎へ向かって歩いて帰る途中、大きな河を渡って、飲屋街を抜けて行こうと、ふと上をみると、そこにはYの醸造元があったので、びっくりしたのだった。14_9良い会話を楽しんだ一日となった。14_10明日のゼミにも、期待したい。

2012/07/13

読書することと学者精神には、似たところがある

13_2渋谷学習センターでの面接授業(実質的には「読書会」と称している)が、はやくも最終日を迎え、9時には大団円となった。このような読書会が渋谷で可能だとはこれまで決して思わなかった。ここに至って、実際に実現してしまった現実をみると、わたしだけの感情かもしれないが、できるのだ、という感慨が湧いてきた。

13_3それぞれ専門の異なる若手の研究者4人の方がたと、一緒にこの授業を作ってきたが、まだまだ、最終的にどのようなことになるのかは、未知数の部分が存在するといえる。どのようなところが未知数なのかといえば、それは9時まで、みんなで本を読みたい、という好奇心が本当のところ、持続することができるのか、という点である。自分の仕事であれば、9時までもやるだろう。責任があるからだ。

13_4けれども、学問を行うには、責任や義務だけでは、せいぜい20歳までしか持たないのではないだろうか。それ以上、勉強を続けるためには、内的な原因が必要となってくる。さて、大げさな言い方になってしまったが、じつはもっと簡単なことなのだと、ほんとうは思っている。

先日、BS放送の映画で、渋谷実監督の「好人好日」(1960年)がかかっていた。伝説的な数学者Oを題材にしているのではないか、と想像される映画である。ゴム長靴が頭に良い、という有名なエピソードで、「学者の精神」ということを象徴的に表していると思う。けれども、ほんとうのところ、学者の精神などというものは、いったい有るのだろうか。

13_5つまり、俗世間から少し離れているが、全く離れてしまっているわけではない、という世界があり得て、時には、このような世界も世の中には必要であることを、よく描いている。たとえば、三木のり平の演ずる泥棒が、このような学者の世界を軽蔑して、赤子の手を捻るように、勲章を盗んでいくが、やがては盗んだものを返しにくるような世界なのだ。

13_6現実の世界に浸り切ってしまうと、人間は何も見えなくなってしまうだろう。時には、そこから離れてみることも必要なのである。けれども、あまりに現実からかけ離れてしまうと、それはそれで馬鹿みたいな人間になってしまうのだが。

この映画の成功している理由は、いくつかあるが、先ずは「奈良」というロケ地を選んでいることを挙げたい。かつて、歴史的には中心地であったが、今は中心地から離れていて、この「のんびりさ」が程良い。主人公が山に登って、奈良盆地を眺める場面が何回も出てくる。山に登ること自体、現実から離れ、また戻って行くことの比喩として効いている。第二に、俳優が素晴らしい。笠智衆や淡島千景、岩下志麻・・・などなど、程よく「付かず離れず」の演技を保っている。

そして、この時代にあって、「コーヒーを飲みにいく」という習慣を大事にしていることが、学者の精神を表しているといえる。そのことは、子どもとの付き合いになるかもしれない。あるいは、頭の中での発想を転換することになるかもしれない。けれども、机から離れることで、世間と繋がる効用が一番大きいのではないかと思われるのである。

13_7読書会の打ち上げは、中目黒へ繰り出した。ここに沼津のエールメーカーが店を出している。いつものように、A銘柄を1パイント空けることから始まった。ビールは、紛れもなく学者の精神に合っている。現実から離れるために必要だし、現実を批判するためにも必要なのだから。

2012/07/10

茗荷谷から本郷の迷路へ散歩した

10きょうは、茗荷谷で学生と会ったり、放送大学の教材作成部会が開かれたりした。だが、それらもそれほど時間がかからなかった。夕方になって、太陽も傾いてきたので、後楽園方面への散歩に出る。さらに、その先の坂を登って、本郷三丁目へ出た。

10_2本郷当たりで、ちょっと一本道を入ってしまうと、旧い道筋が交差していて、すぐに迷ってしまう。木村伊兵衛の本郷森川町のイメージの街が続く。5交叉点、というほどのところは少なく、むしろこの道がほんとうに通り抜けることができるのかわからないというくらいの道が続くのだ。

10_3さらに深くはいると、また、後楽園あるいは白山へ逆戻りしてしまいかねない道が連なっている。それで、東大へ向かって左に折れて、数本目をちょっと下ると、今日はなぜか、金魚屋さんに当たった。夏だからかもしれない。

10_4金魚には、粘り強さを感じた思い出がある。小学校時代に松本に住んでいた家に、粘土で池を作ろうということで、水を満たしてみたが、どうも最後は排水がうまくいかなかった。それで、すでに金魚を買ってしまっていたので、それをコンクリートで囲まれた台所水の受水槽へいれて置いた。かなりの深さがあったので、猫の被害からは免れる、と考えたのだ。

10_5それで、金魚には悪いことをしたと思っているが、なんと忘れてしまったのだ。大きな石が入っていて、その影にずっと潜んでいたらしい。一年経って、石をどけてみると、まだそこにいるではないか。山椒魚のような目して、こちらを睨んでいた。これには、感動したのだ。よく頑張ったと思う。もちろん、済まないことは承知だったが、それでもこの金魚の思いは、今でも自分の中に移植されている、と考えている。

10_6この本郷の金魚屋さんは、数百年続いている老舗らしい。喫茶店が併設されていて、隠れ家的構造になっている。水槽が並ぶ店の横から、狭く入っていくと、中がわっと拡がっていて、空間全体が広く感ずるようになっている。昔は、大きな水槽そのものだったのだろうか、という作りだ。ここに座って、じっと世の中を睨んでいると、件の金魚の気持ちがわかってくるような気がする。

10_7歩いて、疲れをいやすに十分な甘味をとって、これから数日間続く忙しさの算段を行って見た。しかし、到底、何処かでバテるのではないか、と思われるので、倒れた時の算段に切り替えて、当面の心の準備を行うことにした。ここのアップルパイとコーヒーは、これさえあれば、何とかなるだろう、と思わせてくれる美味しさだった。

2012/07/07

「チャンスを逃したな!」

Photoジョニー・デップ主演の映画「ラム・ダイアリー」の中で、「チャンスを逃したな」と言われる。主人公がスポンサーだった男に捨てゼリフされる場面である。金ずるを失い、女友達を失い、さらに、勤め先の新聞社も倒産してしまうという、何もかも失ったかと思われる時期が、すべての人にあるものだ。じつは、このときこそ、人生の飛躍の時である場合が多いと、後で知ることになる。チャンスをのがした時こそ、チャンスが到来した時なのだ。この映画の主人公のように。

そういえば、わたし自身反省するに、ずいぶんと「チャンスを逃して」来たな、と思う。けれども、あえて相手から「チャンスを逃したな」と言われたほどの経験は、そう滅多にあるものではない。かなり昔になるが、某国立大学の主導的な教授職を紹介され、すぐ返事をくれ、と言われたことがあった。前任者はその地方の名士で、そうなることが保証されているほどの職だと言われた。不思議なことに、このときは直感的に、アッサリと断ってしまった。そうしたら、次の日に電話がかかってきて、もうその人事は別の人が受けたよ、ということだった。「チャンスを逃したな」ということだったらしい。

この場合も詳細を述べることはできないが、結果から見て、断って正解であったとわたしは思っている。職業や人生に正解はないのだが、結局は与えられた道の中で、右往左往するだけに終わるのはわかっているにしても、このようなときの直感はときどき正しいことが現れることがあるのだ。

2012/07/02

死者の声を聞くと、残された記憶が蘇る

13映画「臨場」を観る。勉強不足で、テレビで放映されていたことを知らなかった。テレビの映像の影響なのか、演技オーバーなところがあって、それが映画のせいなのか、原作のせいなのかがわからなかった。それで、原作のほうではないかと何となくわかってきて、映画を観る見方を変えた。それでも、全体の中での核心は変わっておらず、記憶には、依然として印象に強く残りそうな場面だけを焼き付けてしまった。

それは、このような場面だった。小説家の術中にハマってしまうのだが、街に声が残っているのだ、というシーンを描いている。少女が、子を庇う母を刺す犯人に向かって、思わず「止めて」と叫び、やはり犯人に刺されてしまう場面がある。この時に、この背景では、多くの同じような街の声が潜在することに、この映画は注目している。死者の声が、街の至るところに存在するのだ。

この小説のアイディアは秀逸で、帰りの街へ出ると、この声が聞こえてくるような気持ちに陥った。映画の最後には、小説家の用意した、素晴らしいアイディアで、物語は完結することになる。いずれにしても、この不条理の続く世界の中でも、人は、見えないものであっても継続するものを求めている、というメッセージはよくわかる。

問題は、映画のことではなく、じつは観客のほうだった。気になったことがあった。親子連れが何組かいて、5歳くらいの女の子がすぐ後ろに、座っていた。この映画は、いわゆるR映画ではないので、子どもも入って良いのだが、けれども何度となく殺人現場が映され、実際に刺殺する場面を写したりしており、その度にその子ども客があっと叫び声を挙げたりすすり泣いていたりしていた。刺激が強すぎたのだと思う。

ここは、判断の別れるところだが、セックスシーンなどをR指定にするのではなく、むしろ暴力シーンの方を注意すべきではないか、そして、一緒に連れていくとしても、親のほうで、あんな叫び声をあげるのであれば、少し配慮すべきはないかと、保守的であるが、思った次第である。もちろん、映画の帰り道に、この映画のメッセージを巡って、親と会話を催すであろう。そして、現実に敏感な子供ほど、会話が成り立つことになるだろうことは想像できるので、あくまで限定的な道徳観なのだが。

さて、帰り道の現実の中で、このような不条理の世界に対して、すすり泣いたその女の子は、隠された感動の淵まで、無事到達できたのだろうか。暴力と感動とは、相関関係にありながら、実際には、現実の社会と同じように、暴力のほうが人々の印象の中に、強い影響が出てきてしまうのでないだろうかと危惧するのだ。

現実の世界では、映画の世界と違って、この関係が待ったなしに、現れてくるという特徴がある。だから、子どもへの配慮はできない。目の前で起こった大震災の記憶は、大人になっても、消えることはないだろう。津波が押し寄せてくる、一時間前には、みんなまだ生きている人の声を聞いていたのだ。被災地を訪れた時に、街にある声に耳を傾けている人びとに出会ったことが、今でも印象に残っている。

2012/07/01

雨の中、二重性の世界にどっぷりと浸かる

Photo_20雨の葉山も、良いものだ。水滴が外側の窓にかかっているうちは、まだまだだが、内側のこころの中にまで、雨が浸透してくる頃に、ようやく海が見えてくる。午前中は、ゴタゴタとした仕事を脇におき、重要なことに発展しそうな電話も切り分けて、それらを家に残したまま、妻と二人で横浜を出た。

Photo_21画家松本竣介の回顧展が、葉山の県立近代美術館で開かれている。個人蔵で、滅多に見ることのできない初期のものから、以前、松本市美術館での絶筆展で見たものまで、ざっと主だったものが来ている。これを見逃したら、今後一生見ることができないものがたくさん来ている。

Photo_22この絶筆となった建物の絵が典型例であるのだが、以前から不思議に思っていた点があった。それは、松本竣介の二重性的な描きかただ。モンタージュと呼ばれている。建物の絵があるのだが、二重に描いている。一重目は、下絵であり、背景と建物の色が分けられて、キャンバスがぼあっと塗り分けられている。そして、二重目に、建物の輪郭がくっきりとした黒い線で描かれている。これら両者は、微妙にずれているのだが、ひとつのものなのだ。

Photo_23他の人の表現であれば、たとえば先日の須田国太郎であれば、二重化することで、深く深くおりて行くことができる。テンペラ画以来の使われ方だと思われる。色が混ざらないので、色を重ねて、深みを出すことに使われる。これと似ているようだが、松本竣介の場合には、どうも違うのではないかと思われる。透明なので、透けて二重性が見えてくるのだ。見せることが出来ないのが、残念だ。

Photo_24また、初期の作品の中にも似たような作品がある。ルオー調の太い縁取りをするような「建物」という作品があるが、けれども、この延長線上にもないような気がする。その後、1940年ごろから、下絵から分離して、黒い線で描かれた線画が上から重ねられて描かれるようになった。これは、何なのだろうか。

Photo_25松本竣介には、目に見えるものが、二重に見えたのかもしれない。あるいは、二重のものとして、事象を描いて見ることで、現実がほんとうの姿を見せたと思えることを発見したのかもしれない。

このことは、デッサンにも現れている。デッサンであるから、線のみで描けばよいのだ。ところが、このデッサンにも、単色だけれども、薄いインクでぼあっとした下地が存在するのだ。薄くグレイでベタと塗られているのだ。この二重性への執着はいったい何なのだろうか。

色彩と、輪郭がずれている、という解釈はどうだろうか。ひとつの形象が、輪郭の線と、色彩の面とに別れて、存在させているのではないか。たとえば、わたしたちは、谷を渡るウグイスを見る。同時に、ウグイスの鳴いている声が聞こえる。飛ぶ姿と、鳴く声は、一体のものとして、認識する。見る感覚と、聴く感覚が違う感覚であると認識するのだが、一羽のウグイスと認知している。

松本竣介はどうだったろうか。13歳の時に、流行性腦脊髄膜炎に罹って、聴覚を失う。その代わりに、彼にとって、視覚は、複数の感覚を併せ持つものであったのではないだろうか。視覚の中で、線の感覚と、面の感覚とを分離することは当然できたであろうし、さらには、これらを自由に統合することも、当然可能だったと思われる。

Photo_26今日の展覧会で好きになった作品は、少年シリーズ、とくにあの透けた「りんご」。自画像シリーズでは、どれも其れなりに興味があるが、初期のものと最後の43年のものかな。そして、街と人シリーズの中では、下関市美術館所蔵の「街にて」、大原美術館所蔵の「都会」。横浜ものでは、Y市の橋シリーズもよいが、初めて観た個人蔵の「街角」と「横浜風景」は抜かすことができない。赤い建物、少女・・・・というわけで、到底、すべてを挙げることができない。

それにしても、今回展覧会のパンフレットへの思い入れは、尋常で無い。詳細で読み出がある。いつもは、もう荷物になるだけだから、と購入は見合わせるのだが、今回は手にとった途端に、腱鞘炎をモノともせず、分厚いこれを小脇に抱えた。ここしばらくは、読ませていただくことにする。

Photo_27美術館の休憩椅子で、家から持ってきたコーヒーを飲んで休む。先日の鹿児島出張のときに購入した豆が、コクがあって、まろやかで素晴らしい。今日から、当分のあいだ、このボリビア主体のブレンドコーヒーを楽しもうと思う。

Photo_28美術館の玄関を出て、いつものように、裏の小径を抜けて、海岸を目指すが、写真のように、海開きを控えて、すでに海の家が砂浜を占領していた。冬のあの趣きは何処へやら。秋までの当分のあいだ、海岸散歩はお預けだな。

Photo_29雨が降り続く中、人間の中の透けた、街も透けた、建物も透けた、あの1940年代の世界を去り難く思いながら、バスに乗って帰路につく。帰ってから、今日の夜には、明日締め切りの日本語の論文査読と、英語のアブストラクトの査読とが待っている。いったい、書くことにも、二重性は適用できるのだろうか。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。