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2012/06/18

産業遺跡はいつも疑問を投げかけてくる

Photo_16朝起きると、晴れていることがわかった。2日間の講義で、喉と身体はキツかったが、天候がこんなに良い調子だと、計画通り「知覧」へ出かけなさいという、天の声だと思って、鹿児島市の中心部にある、Y屋のバスセンターへ向かう。途中、市電の線路際に芝生が植えられていて、暑さ凌ぎに良い工夫だなと思った。

Photo_17軽羹で有名なA屋本店があったので、御礼のお土産を購入する。それで視線を伸ばすと、地元の人びとが、右奥のショーウインドウの一番端の商品棚に集まっているので、何かと見ると、軽羹の切れ端を簡易包装で、安く売っているのだ。完成品の5分の1ほどの値段で、味は変わらない。

小学校時代には田舎に居たのだが、その時のことを思い出した。その地区はお菓子工場の多いところだった。工場の玄関では、ウェハースの切れ端をお腹いっぱいになるほど購入しても、子どもの一日のこずかいで間に合うほどで、人気を集めていた。これと、まったく同じだ。既視感覚にも、似た思いを持った。

Photo_18バスに乗ると、昨日までの面接授業で、やはり体力が無くなっているらしく、すぐ居眠りを始めてしまった。そして目を覚ますと、すでに南九州の強い日差しの風景が、目の前をすぎて行くところであり、山の中に入って行くところだった。昨日までの間断ない雨が嘘のようだ。

Photo_19知覧は、終戦時の特攻隊基地があったことで、日本中に知れ渡っている。映画「ホタル」が撮影された場所だ。滑走路は残っていないが、特攻隊の遺品や、特攻までの数日を過ごした「三角兵舎」そして、零式戦闘機、隼戦闘機、練習機などが展示されている。

Photo_20小学校時代に教わった担任の先生が特攻隊の一員で、知覧所属ではなかったけれども、片肺飛行で生還した体験談を良く話してくださった。知覧の場合には、1945年4月から8月までの間に、多くの特攻隊員が突撃したことになる。戦争最後の運命的な場に居合わせたということになるのだが、後から考えればきわめて痛ましくもあり、生きるということは何なのか、を考えさせられる。

Photo_21他に、佐多家、島津家の武家屋敷と山城跡が残っており、さらにお茶畑が有名だ。それで、街に着くとすぐ目に付いてわかるのだが、観光客がバスをしたてて、行列を作っている。農協の食堂があったので、黒豚のラーメンを食べて、昼食とする。知覧茶がすでに二番茶も積み終えている季節に入っているらしい。Photo_22
一番茶の美味しいところをお土産に購入する。南と北に、霧の発生する地域があって、そこの銘柄茶が品評会で、よく優勝するそうだ。

Photo_23じつは、今日の目的は、上記と異なるところにある。鹿児島在住の友人Mさんが大学の同僚の方の紹介で、「ミュージアム知覧」のU氏へ連絡をとってくださったのだ。U氏は、このミュージアムの学芸員の方で、知覧中心として様々な研究をなさっている。特に、たたら製鉄の遺跡が調査報告については、詳しく知りたいと思っていた。偶然にも、知覧地区にも江戸期の「たたら製鉄」遺跡があるという、論文を見つけ、W大の図書館で手に入れていたところだったのだ。U氏の話のなかで、江戸時代の製鉄には、少なくとも2類型があるのではないか、という説に触れられたところが、たいへん面白かった。この2類型はどのようにして生成されたのか、興味は尽きなかった。

Photo_24知覧は鹿児島市内から山越えに入る、周りを山に囲われた一角にある。けれども、麓川に沿って、南に海まで開けていて、江戸期の領地としては、良い地形をなしている。山の中なので、田んぼはあまり無いが、知覧のお茶は有名だ。

Photo_25江戸期に、島津藩が分権政策をとって、100以上の領地に分けて、それぞれを武士団に統治させたらしい。そこで、小さいけれども、数多くの領地が成立することになった。知覧も佐多家を中心とした武士団が統治したのだった。

Photo_26U氏が送ってくれるというので、武家屋敷まで便乗した。このような時に、ちょっとしたことだが、観光客にはわからないけれども、地元の人がとっておきのことも、隠しているわけではないにしても、さりげなく出てくることがあるのだ。

Photo_27たとえば、知覧城の存在はパンフレットに書かれているし、ミュージアムの展示に細かく紹介されているのだが、だからといって、おいそれとちかづけないだろうと思われている。帰りのトラックでは、ちょうど通り道だったこともあって、迂回する道を通ってくださった。Photo_28この道には、観光スポットとは異なる武家屋敷あとが発達していることがわかった。茶畑が間にあって、住宅地としたら、申し分ない。

Photo_29武家屋敷のことは、今回は諦めざるを得ない状態だった。それほど、魅力的な街並みだ。現代新たに街を作るとして、これ以上の街並みを作れるかな、と思われるほど、現代に通じている。槇の生垣は、凝灰岩の基底を浮きだたせている。ずっと視界の限りに続いているのだが、それには当然、突き当たりが数カ所も設けられていて、これらが城郭の堀と同じような、防備施設として働いていることがわかる。

Photo_30この均等性がずっと続く街並みを見ていると、世の中が、きわめて平穏で、外の世界では何かがおこっているにもかかわらず、ここの世界は永遠に静かであると確信しているような様子だった。これは、住居に詳しい人たちと一緒に来ないと、本当のところはよくわからないな、という感じだった。

Photo_31どうも、武家屋敷にしては、藁葺きの家があったり、かといえば、うしろの山を借景とした、京都の庭園のような、高貴さを装う家があったりして、表を均質に統一している考え方と、その裏での、様々な様式を混在させている街全体とが、どうも、しっくりこないのだ。こういう時には、出直すに限る。

Photo_32バスを一便早めて、早々に退散する。夕方になって、友人のM氏と待ち合わせる。待ち合わせの場所を決めていなかったので、自宅へ電話すると、電話口へ女性が出た。昨年ご結婚なさったそうで、おめでとうございます。数年前に、こちらへ赴任することになって、着々と地歩を固めつつあるらしい。

そこで、二日前にも話題になった「地域性」ということについて、彼にもぶつけてみた。地域だらけであるとはいいつつ、住めば都なのだそうだ。どんな地域にも、中核を作ることはできるということと解釈した。出身の首都圏に戻る選択もあるそうだが、何かの縁だから、当分こちらで頑張るとのことだった。この意味でも、3年以上が経ち、そこで、いろいろな繋がりができてきたことは、大きいのではないかと推測された。たぶん、わたしの見たところで、一方的な感覚で恐縮なのだが、配偶者が結び付く関係について、想像力だけであったといても、そこでいろいろの関係ができてくるような気がする。

Photo_33最後に、一つだけ馴染めない地域性があると、真面目な顔していうので何かと聞くと、例の「桜島の火山灰」だということだ。そうかもしれない。郷土料理の店を出て、昨日も深夜遅くに、コーヒーを飲みに入った「L」で今日最後の一杯を飲む。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。