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2012年6月に作成された投稿

2012/06/19

台風4号が通り過ぎる中、旅行と仕事に精を出す

Photo今日は予定では、鹿児島の焼酎業についての取材を行う予定で、工場見学も申し込んでいた。ところが、この4号台風である。通り過ぎてしまう可能性が高いとはいえ、その工場が錦江湾の海辺に立っていることもあって、風雨が強くなる可能性があるので、見送ることにした。

Photo_4昨日、南の雨の激しさを体験した。コーヒーを片手に持って、電車通りを渡り始めた。その時は、まだポツリポツリと落ちている程度で、傘をさすほどではなかった。真ん中ぐらいにきて、横の電車を見ていると、突然前方から何やら押し寄せてくる。みんな走り始めた。それで、通りを渡る頃には、頭から肩からぐっしょりと濡れ鼠状態だった。銀行ビルの庇に飛び込むのも、もどかしいくらいだった。もちろん、手の中のコーヒーは振動で、溢れてしまっていた。

Photo_5スコールというのは、むかしトンガへ行っていた時に、何度か経験していたが、まさか日本でこんな降りかたに出会うとは思わなかった。それにしても、今日の見学を諦めるのは、鹿児島へくることもこれからはあまりないだろうから、ほんとうに残念だと今更ながら思い始めた。けれども、昨日のミュージアムの取材では、かなりの成果が上がったので、諦めるしかないだろう。

Photo_6それで、予定を変更した分、仕事に精を出すことにした。このホテルのあるところから、資料館や図書館へは、歩いて数分の距離にある。何と恵まれた距離だろうと思いながら、石垣と堀の流れに泳ぐ鯉を見て、楽しみながら歩く。そういえば、飛行機を降りてバスに乗ると、どんと西郷さんのような人物がこちらを睨んでいて、鹿児島へきたんだな、と思ったのだが、散歩していて、西郷さんのような体つきの方々がいるわいるわ、という街であることを改めて認識した。さらには、西郷隆盛のような太った鯉を見て、鯉同士の政治も水の中ではあるのあろうか、と想像しながら、県立図書館へ入る。

Photo_8昨日のU氏の話の中で、1930年代に薩摩の製鉄遺跡を調べて歩いた人がいて、先駆的な資料があるそうで、それのコピーを手に入れる。本という装幀にはなっているが、中はガリ版刷りで、青いインクだ。ガリ版ずりの自費出版が、数十年後にみんなの注目を浴びることになるとは、本人も思っても見なかっただろう。スケッチが入っていて、イメージがはっきりする資料だ。

Photo_9U氏はこれを高く評価している。この解釈からすると、日本には、江戸期に複数の製鉄技術が存在して、すべて「たたら」という、これまでの支配的な考え方がひっくり変える可能性もあるとまで言えるのか、そうじゃないのか、これは面白い観点だと思った。U氏は、たぶんこれを読みながら、かなりの想像力を羽ばたかせたに違いない。しばし、近世から近代への数十年間の鉄事情に、想いを馳せた。ここには、鉄をめぐる職人チームが日本にはいくつか存在していて、その場所では、大きな想像力が局所的に渦巻いていたことがわかる。

Photo_10さて、いよいよ台風が近づいてきて、航空機の欠航が相次いでいる。わたしの予約した便だけが、いつまでも飛ぶよ、とシグナルを出しつづいていて、空港へいかざるを得ないな、と思い始めた。鹿児島の街も最後になるので、喫茶店を回って、時間を潰すことにする。それはそれで、たいへんな散歩となった。

Photo_11まず、入ったのは、喫茶店Mである。Yさんの推薦する中でも、とりわけ力が入っていたので、抜かすわけにはいかない。なにやら、「シロクマ」なるものが名物なのだというのだ。シロクマとは、いったい何なんだ。緑の看板が出ているから、食べ物だということはわかるのだ。

Photo_13それで入ったのは良いが、どうも男性がひとりで入るのは、なんとなく憚るような気にもなってくるのだが。まわりの人びとも注文しているので、「シロクマをください」と頼んだ。出てきたのが、写真のものである。

Photo_14写真ではわからないかもしれないが、かなり大きいどんぶりである。つまりは、かき氷である。それに、白いコンデンスミルクがかかっているところが特色だ。Photo_15このミルクのかける量が微妙なのかもしれないが、ほどよい甘さで美味しかった。量とトッピングは、自在に注文で調節できるらしい。

Photo_16まだまだ、時間はたっぷりある。近くのM、ちょっと歩いた中心部の交差点際にある、T。奥の深そうなB、そして、カプチーノの絶妙なVで、コーヒー豆を購入。

Photo_17これだけ、地元の喫茶店が栄えていると、チェーン店は片隅に追いやられている。他の都市とどこか違うのだが、チェーン店が流行らない構造が、この鹿児島には存在するらしい。そこで、時間を潰すために、Sへ入って、2時間ほど仕事をする。

Photo_18そろそろ、鹿児島を去る時間が迫ってきた。名残惜しいが、ほんとうに最後の最後に、ロールケーキと、今日最後の、さて何杯目になるのだろうか、珈琲一杯を、一番通ったことになる「L」でいただいて、天文館バス亭から、空港行きのリムジンに乗る。Photo_19ラッキーなことに、わたしの乗る便だけ、欠航を免れたらしい。けれども、やはり台風を避けたのか、乗客は少なかった。

2012/06/18

産業遺跡はいつも疑問を投げかけてくる

Photo_16朝起きると、晴れていることがわかった。2日間の講義で、喉と身体はキツかったが、天候がこんなに良い調子だと、計画通り「知覧」へ出かけなさいという、天の声だと思って、鹿児島市の中心部にある、Y屋のバスセンターへ向かう。途中、市電の線路際に芝生が植えられていて、暑さ凌ぎに良い工夫だなと思った。

Photo_17軽羹で有名なA屋本店があったので、御礼のお土産を購入する。それで視線を伸ばすと、地元の人びとが、右奥のショーウインドウの一番端の商品棚に集まっているので、何かと見ると、軽羹の切れ端を簡易包装で、安く売っているのだ。完成品の5分の1ほどの値段で、味は変わらない。

小学校時代には田舎に居たのだが、その時のことを思い出した。その地区はお菓子工場の多いところだった。工場の玄関では、ウェハースの切れ端をお腹いっぱいになるほど購入しても、子どもの一日のこずかいで間に合うほどで、人気を集めていた。これと、まったく同じだ。既視感覚にも、似た思いを持った。

Photo_18バスに乗ると、昨日までの面接授業で、やはり体力が無くなっているらしく、すぐ居眠りを始めてしまった。そして目を覚ますと、すでに南九州の強い日差しの風景が、目の前をすぎて行くところであり、山の中に入って行くところだった。昨日までの間断ない雨が嘘のようだ。

Photo_19知覧は、終戦時の特攻隊基地があったことで、日本中に知れ渡っている。映画「ホタル」が撮影された場所だ。滑走路は残っていないが、特攻隊の遺品や、特攻までの数日を過ごした「三角兵舎」そして、零式戦闘機、隼戦闘機、練習機などが展示されている。

Photo_20小学校時代に教わった担任の先生が特攻隊の一員で、知覧所属ではなかったけれども、片肺飛行で生還した体験談を良く話してくださった。知覧の場合には、1945年4月から8月までの間に、多くの特攻隊員が突撃したことになる。戦争最後の運命的な場に居合わせたということになるのだが、後から考えればきわめて痛ましくもあり、生きるということは何なのか、を考えさせられる。

Photo_21他に、佐多家、島津家の武家屋敷と山城跡が残っており、さらにお茶畑が有名だ。それで、街に着くとすぐ目に付いてわかるのだが、観光客がバスをしたてて、行列を作っている。農協の食堂があったので、黒豚のラーメンを食べて、昼食とする。知覧茶がすでに二番茶も積み終えている季節に入っているらしい。Photo_22
一番茶の美味しいところをお土産に購入する。南と北に、霧の発生する地域があって、そこの銘柄茶が品評会で、よく優勝するそうだ。

Photo_23じつは、今日の目的は、上記と異なるところにある。鹿児島在住の友人Mさんが大学の同僚の方の紹介で、「ミュージアム知覧」のU氏へ連絡をとってくださったのだ。U氏は、このミュージアムの学芸員の方で、知覧中心として様々な研究をなさっている。特に、たたら製鉄の遺跡が調査報告については、詳しく知りたいと思っていた。偶然にも、知覧地区にも江戸期の「たたら製鉄」遺跡があるという、論文を見つけ、W大の図書館で手に入れていたところだったのだ。U氏の話のなかで、江戸時代の製鉄には、少なくとも2類型があるのではないか、という説に触れられたところが、たいへん面白かった。この2類型はどのようにして生成されたのか、興味は尽きなかった。

Photo_24知覧は鹿児島市内から山越えに入る、周りを山に囲われた一角にある。けれども、麓川に沿って、南に海まで開けていて、江戸期の領地としては、良い地形をなしている。山の中なので、田んぼはあまり無いが、知覧のお茶は有名だ。

Photo_25江戸期に、島津藩が分権政策をとって、100以上の領地に分けて、それぞれを武士団に統治させたらしい。そこで、小さいけれども、数多くの領地が成立することになった。知覧も佐多家を中心とした武士団が統治したのだった。

Photo_26U氏が送ってくれるというので、武家屋敷まで便乗した。このような時に、ちょっとしたことだが、観光客にはわからないけれども、地元の人がとっておきのことも、隠しているわけではないにしても、さりげなく出てくることがあるのだ。

Photo_27たとえば、知覧城の存在はパンフレットに書かれているし、ミュージアムの展示に細かく紹介されているのだが、だからといって、おいそれとちかづけないだろうと思われている。帰りのトラックでは、ちょうど通り道だったこともあって、迂回する道を通ってくださった。Photo_28この道には、観光スポットとは異なる武家屋敷あとが発達していることがわかった。茶畑が間にあって、住宅地としたら、申し分ない。

Photo_29武家屋敷のことは、今回は諦めざるを得ない状態だった。それほど、魅力的な街並みだ。現代新たに街を作るとして、これ以上の街並みを作れるかな、と思われるほど、現代に通じている。槇の生垣は、凝灰岩の基底を浮きだたせている。ずっと視界の限りに続いているのだが、それには当然、突き当たりが数カ所も設けられていて、これらが城郭の堀と同じような、防備施設として働いていることがわかる。

Photo_30この均等性がずっと続く街並みを見ていると、世の中が、きわめて平穏で、外の世界では何かがおこっているにもかかわらず、ここの世界は永遠に静かであると確信しているような様子だった。これは、住居に詳しい人たちと一緒に来ないと、本当のところはよくわからないな、という感じだった。

Photo_31どうも、武家屋敷にしては、藁葺きの家があったり、かといえば、うしろの山を借景とした、京都の庭園のような、高貴さを装う家があったりして、表を均質に統一している考え方と、その裏での、様々な様式を混在させている街全体とが、どうも、しっくりこないのだ。こういう時には、出直すに限る。

Photo_32バスを一便早めて、早々に退散する。夕方になって、友人のM氏と待ち合わせる。待ち合わせの場所を決めていなかったので、自宅へ電話すると、電話口へ女性が出た。昨年ご結婚なさったそうで、おめでとうございます。数年前に、こちらへ赴任することになって、着々と地歩を固めつつあるらしい。

そこで、二日前にも話題になった「地域性」ということについて、彼にもぶつけてみた。地域だらけであるとはいいつつ、住めば都なのだそうだ。どんな地域にも、中核を作ることはできるということと解釈した。出身の首都圏に戻る選択もあるそうだが、何かの縁だから、当分こちらで頑張るとのことだった。この意味でも、3年以上が経ち、そこで、いろいろな繋がりができてきたことは、大きいのではないかと推測された。たぶん、わたしの見たところで、一方的な感覚で恐縮なのだが、配偶者が結び付く関係について、想像力だけであったといても、そこでいろいろの関係ができてくるような気がする。

Photo_33最後に、一つだけ馴染めない地域性があると、真面目な顔していうので何かと聞くと、例の「桜島の火山灰」だということだ。そうかもしれない。郷土料理の店を出て、昨日も深夜遅くに、コーヒーを飲みに入った「L」で今日最後の一杯を飲む。

2012/06/17

20年前の感覚が、突然再び現れたら

Photo_13まだ、激しい雨が降っている。散歩はできないので、市電に乗って、鹿児島学習センターへ向かう。そとを行くバスや車が、雨で見えないほどだ。

面接授業を行っていて、今回しゃべりながら、自分が何を言おうといていたのかがようやくわかり、様々な点で参考になった。特に、自分が最終的にどのようなところに到達したいのかが、明らかになったことは、これまで予想していたものよりも現実的であり、驚くばかりであった。「格差社会と新自由主義」という講義を作って、早くも3年目を迎えようしている。

このテーマの中で、この30年間を振り返って、日本社会が分配構造を中心として、どのように変化してきたのかを後付けてみようという、壮大な授業科目だった。放送授業やテキストばかりを制作しただけにとどまらず、面接授業でも自分の中では、大きな仕事が育って行った気がする

そろそろ授業としては、まとめを行い終結を目指したいと思っていて、面接授業も来学期からは異なるテーマになる予定である。今回の鹿児島と、夏の長野学習センターの講義が終われば、めでたく頭の中では、異なるテーマに移り、それが拡大することになるだろう。

そうは言っても、重要なテーマなので、今回の面接授業でも特別丁寧に、振り返って見たのだった。聴講された学生のかたがたも、この趣旨をじゅうぶんにご理解いただいていて、30年間の自分の体験を織り込めながら、格差社会の問題、さらには、新自由主義の問題を議論してくださった。とくに今回良かったと思えるのは、ようやくこれらの底辺を流れている理論的な考え方、たとえば格差の原理原則と、さらには、現実に起こってきている事件や、統計データなどの現実に現れる事象とを対応させることができたことである。最後に、学生の方々が、どのような方向性を日本社会がにとって望ましい、と考えているかまでの聞くことができ、久しぶりにまとまった面接授業になったと思う。最後は、いつものように、拍手をいただき、無事閉じることになった。

面接授業の後、学習センター所長のN先生と事務長のO氏と、じっくりと話す機会を得ることができた。ここで、有益なお話をたくさん承ったのは言うまでもないのだが、ちょっと不思議な体験を得たのだった。

ある人と20年前に会って話をした経験があったとしよう。そこで、その話がたいへん魅力的で、その記憶が今でも蘇ってくるようなことも起こる話内容であったとしよう。これは、わたしの個人的な体験であり、そのことを今まで誰にも話したことはなかった。Photo_15講演会や議論の場では、記憶に残る話というのはありうるかもしれないが、そうではなかったので、そのまま忘れていたのだ。ところがである。20年経って、他の人と会っていて、上記のある人をご存知ですか、と尋ねられたのだ。そして、20年前に、違う内容の話であったが、このような感想を持っていました、とたいへん感動したことを告げられたのだ。

16_2人生長く生きていると、20年前に共通に思ったことが、20年後に思い出されることがあるのだ。話として、このことを聞いても、なるほどとは思わないだろう。きわめて、特別で特定で、言葉に表すことが難しい不思議な感触だった。地域の距離を超え、時間をはるかに超えて、共感が走っているのだ。余韻を楽しむために、近くの「L」という喫茶店で、ブレンドコーヒーを飲んだ。

2012/06/16

天文館の宿舎から鹿児島学習センターへ向う

Photo鹿児島出張の前に、昨日から二日続きで、一日に大きな仕事を二つずつこなさなければならない状態におかれている。大きな仕事の場合には、通常午前からはじめても、午後になっても終わらないことが多い。だから、午前に終わる予定であっても、午後は開けておくことにしている。ところが、今回だけは毎日のように、このように二つずつ入ってしまったのだ。

午前中に、根を詰めたような仕事をしてしまうと、午後が持たない。それは、年を取ったせいなのだ。それで、年を取ってないと自分に言い聞かせながら、仕事をすることになる。この暗示が効いて、最終的にはすべての仕事をすっきりさせて、鹿児島へ向かうことになった。旅行に行く前になればなるほど、自由が必要だ。

Photo_2さて、豪雨の中、空港からバスで天文館まで来た。降りる時になって土砂降りの雨になった。道を聞くにも、道路を歩いている人はいない。そこで市営駐車場を見つけ、従業員の人に道を聞くと、歩いた方向性が良かったらしく、ホテルのすぐ裏手まですでにきていたことがわかり、これ以上濡れずに済んでラッキーだった。それで、昨日は黒豚と茄子の食事を取るだけで、鹿児島天文館の夜は更けた。ホテルには焼酎が並んでいる棚があり、すぐ前が酒屋さんなので、寝酒をいただく。

Photo_3今日は、この雨がまだ残っていた。豪雨はすぎたらしいが、小雨の雨雲が残っているらしい。朝の散歩を兼ねて、鹿児島学習センターを目指して、歩き始める。鹿児島中心地の「天文館」の北側商店街は、天井の白いアーケードに覆われていて、明るく新しい建物がたくさんある。中央公園を抜けて、有名な西郷隆盛像を左手に見ながら、美術館、図書館、城塞と続く道を歩く。

Photo_4雨の後の湿気がきつい。鹿児島学習センターの入っている県民交流センターに正面からはいる。こちらの構えは、パルテノン神殿をイメージさせるような、大きなつくりの近代ビルだ。あとで伺ったN先生のお話では、中には、能舞台まで作られているそうだ。

Photo_5階段から流れ落ちる雨水に混じって、桜島の火山灰が流れて、自然の模様を作っていた。あとで、学習センター教務でお世話になっているYさんと話していたら、あの豪雨でさえも、火山灰を洗い流してくれるという意味では、恵みの雨だそうだ。自然と人間の営みの相関関係について、思いを馳せた。

面接授業は、朝の10時に始まり、夕方の16時50分まで、連続2日間である。学生の方と討論や議論を挟みながらとはいえ、一日に5時間以上も、しゃべり続けるのは、体力的には年取った人の行う仕事ではない、と一般に思われがちである。

ところが、3時間がすぎる頃から、体力があまり減らないことに気づくのだ。なぜこのようなことが起こるのか、かつては不思議に思っていたのだが、面接授業でもペースというものがあって、そのクラスのペースをつかめば、それに乗って沿っていけるのだ。これも、いわば集合効果の一種ではないかと考えている。人間は年を取るに従って、コミュニケーションを食べて生きる動物なのである。

Photo_6講義の今日の分が終了したので、かねてから、待ち合わせた学生のM氏と、天文館界隈へ繰り出すことにした。M氏は、今から19年ほど前に、神奈川学習センターを卒業した学生の方で、その後、郷里の鹿児島へ帰ってきていた方だ。ブログを互いに書いているので、19年という年月は感じない。

Photo_9お昼休みに、学習センターのYさんから、料理の旨い店と、
コーヒーの美味しい店を聞いて置いたのだ。推薦に従って、天文館の電車通りから三つ目の角を曲がったところにある、湯豆腐屋さんのGへ入る。Photo_10何と創業94年という名刺までもらってしまった。老舗だ。通常は、常連の方々でいっぱいになるようだが、あまりに早くに押しかけたので、今日一番目の客となった。名物の湯豆腐は、かなりの大鍋にいっぱいで、写真のように具沢山だ。13種類の具が入っている。だから、京都風の湯豆腐を思い浮かべると、それとはまったく異なっているものが出てくる。焼酎は、小鶴という銘柄で、お湯割の場合には清酒のおかん用のアルミ缶で用意されていて、すぐ目の前で、コップいっぱいについでくれる。食が進んだ。

Photo_11話題は、「地域性」ということだった。なぜ鹿児島なのか、ということは、聞いても尽きない、いろいろの雑談を誘発するのだった。彼は、シーカヤックをやっていて、その会を活用して、海のゴミ収集ボランティアも務めているとのことだ。船といい、海といい、その土地特有の人を惹きつけるものがあり、仲間が集まる仕組みが存在していることが、「地域」ということだと解釈した。

焼酎を5杯重ねる頃には、キビナゴの串焼きも美味しいと感ずるようになって、ようやくにして、あの大鍋を空にすることができた。それにしても、入っている野菜の量が半端な量ではなかった。最後には、店も満員になり、外へ出るタイミングとなった。

Photo_12M氏と別れて、これもやはりYさんから教えてもらった、「V」というコーヒー豆屋さんでカプチーノを注文する。これが、とても良い味なのだ。コーヒー特有のチリチリする感じが出てしまっているのは、わたしの基準からすると、悪いコーヒーであり、このチリチリ感が取り除かれて、まろやかというのか、すっとしているのか、という味加減が出ていると、美味しいという基準になるのだ。この味加減が、ほんとうにうまく出ているコーヒーだと思う。

2012/06/08

「ファウストとメフィスト」と「魂と貨幣」

Poster先日の講義で、黒澤明監督の映画「生きる」の中の市民課課長を、職業人として取り上げたのだが、その中にゲーテのメフィストフェレスが話題として出てきて、それの代わりらしい、三文文士が演じられている場面も取り上げたところだった。

それで、メフィストの話をしなければならない羽目になってしまった。実際には、ゴーストなので、人間の運命を決定的に左右することはできないにしても、常に付きまとって、欲望を拡大させ、身の破滅を招かざるを得ない状況を作り出す。けれども、実際のところ、このファウストとメフィストの伝説を真剣に考えたことは、正直これまでなかった。

ウディ・アレンの新作「ミッドナイト・イン・パリ」の中のセリフで、「エセ教養人」という言葉が出てきて、自分のことかと思って、赤面してしまったことがあった。ゲーテがどうのこうのと論じるほどのものではないが。わたしもじつはエセ教養人的には、自慢するわけではないのだが、フランクフルトのゲーテの生家へ行った覚えもあるし、ワイマールの花畑の綺麗なゲーテの住居も見てきた。もっとも、だから、どうだといえないところが、エセ教養人たるものの辛いところだ。

それでも、ゲーテの「ファウスト」については、高校時代に友人のS君が、手塚富雄訳のゲーテ「ファウスト」を持ってきて、「どうだ」というので一応目を通した。けれども、何か自分の中に言葉が出てきた訳でなく、うへーという嘆息で終わってしまったことを思い出したにすぎない。

Photo_12今回、アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ソクーロフ監督「ファウスト」を銀座のシネスイッチで観た。今の時期は、首都圏ではここしか上映されていないので、朝一番の回でも、ご覧の通りの行列である。とくに、この映画館は、銀座の真ん中に位置し、東京都のどこからもアクセスが良いので、わたしのような年配者には、大変な人気でこのように混み合っている。

ゲーテの代表作で、1808年に第一部が、1833年に第二部が書かれている。啓蒙時代が過ぎ、ちょうど近代がググっと首をもたげてきた時代だ。そこで、哲学・法学・医学・神学を修めた、理性の代表たる、ファウストがその理性を疑うところから、舞台が始まる。

Photo_13そして、メフィストフェレスに魂を売る(今回のメフィウトは、はっきりと金貸しという姿を取っていて、悪魔的でありながらも近代そのものとして現れる)ところで、「魂」と「貨幣」という二元論的な人間の悩みが、強調されることになる。この構造的な人間の悩みを描いたことで、近代を超えるテーマを提供しているとして、このファウストの物語が普遍の問題として、現代においては扱われることになる。

Photo_14もう一つの問題は、魂それ自体の問題である。ファウストが感性の世界に囚われて行く発端となった、マルガレーテの今回の映像は現代的だ。ポスターに描かれている、透き通るような肌の色を、うまくカメラワークで描いていて、感性の奥に訴えており、ほんとうにリアルだ。また、19世紀初頭のヨーロッパの風物も良く再現している。あまりにリアルすぎたためであろうか、それとも、違う理由からだろうか。税関によって改変を余儀なくされた、というクレジットが最初に記されていた。税関が差し止めることのできる、規制事項とは一体どのようなことなのだろうか。もしかしたら、あの部分なのかな。

Photo_15帰り道で、プランタンの裏の並木町通りを通った。その昔、並木座という名画座がこの通りにあって、高校から大学生時代には良く通った。やはり、混んでいて、小さな映画館だったので、一番後ろで立ち見をしていた覚えがある。単色ずりの映画情報のチラシを付録としてもらったのだった。現在は、瀟洒で、かつ、近代的なガラス張りのビルや、ブランドの並ぶ街に変わっていて、近くの喫茶店だけが、昔の古い薄緑の壁を晒しているだけであった。

Photo_16図書館へ寄ると、いくつかのファウストの翻訳に出会った。近年のI訳、定評あるS訳、英語本からのA訳などの中に混じって、森林太郎訳「ファウスト」を見つけた。

2012/06/07

神田川の上流と下流には思い出がある

Photo神田川には、色々な思い出がある。中学生時代に、吉祥寺に出る用事があって、井之頭公園へ通った。このときには、まだ、神田川がここから流れ出しているという認識はなかった。

Photo_2大学生になって、フォークソングが全盛となり、続いて、叙情的な歌が流行るようになり、「神田川」が出てきた。同棲をして安アパートに暮らすという歌詞で出てくる場所が、何処なのかはよく知らないが、このイメージは、わたしにとっては中野近辺のイメージであって、なかなか東京都の主要河川という認識はなかった。

Photo_3ときどき台風がくると、東京で河川が溢れるということがニュースになったのは、隅田川や江戸川ではなく、神田川であったことが不思議であった。この意味では、神田川は山手にある川であり、江戸時代から治水されていた前者の大きな河川とは異なる概念であった。

Photo_4大学院になった頃には、お茶の水によく出ていたので、聖橋あたりからの神田川、あるいは地下鉄丸の内線からの神田川に親しみを感じていた。映画「珈琲時光」に映った神田川などが印象に残っている。

Photo_6今日は、W大の講義に出るために、大学へ向かったのだが、有楽町線に乗ってしまった。妻が、たまには江戸川橋から歩いて見たら、と言っていたのを思い出した。江戸川橋から、ずっと上流方向を観ると、なるほど見事な桜並木が続いている。そして、右手には、有名な椿山荘があり、その辺の桜は、すでに葉が鬱蒼としていて、想像するしかないのだが、かなり見事な桜の花が咲いていたことを思わせる。

Photo_7この辺の神田川は、幾たびの洪水の経験から、かなり制御されていることを思わせる流れを見せている。それでも、立派な鯉が群れをなしているし、かなり大きな亀も姿を表していて、人間がおりて来ない特権を享受していた。

Photo_8神田川を右に見て、左に進むと、もう鶴巻町に入ってくる。今日は、すでに2時近くになっていたが、W大へ通う以上は、ここのランチを食べないわけにはいかないという、Qというフランス料理の店へ入ることにする。すでに、ランチの時間は最終を迎えていて、客はわたし一人だった。

Photo_9数種類の中から、肉厚の豚肉を新ジャガイモで包み焼きした料理をお願いする。最初に出てきた、じゃがいものスープもなかなか良い。肉料理は、写真のようにかなりのボリュームで、これからの講義の熱量としては十分の栄養を取ることができた。また、肉の周りの包み焼き部分のジャガイモが、細く刻んであって、それが香ばしい外側を作っていた。

W大の講義は、現代の職業を取り上げて、議論するという内容だが、これまで公務員や経営者や、職人などを取り上げてきた。そこで、きょうはこれまでと異なる業種で、自動車工場の「溶接工」を取り上げることにしていた。

これまで「溶接工」をやったことのある学生は、さすがにいなかった。流れ作業のアルバイトに関わった人ぐらいはいるかな、と思ったが、これもこのクラスにはいなかった。

わたし自身は、と問われれば、溶接工として働いたことはないが、幼稚園の帰り道に鉄工所があって、ずっと座って、綺麗な火花を毎日見ていたことがあり、工員からあまり見続けると目によくないよ、と笑いながら注意されたことがあるくらいだ。流れ作業の方は、ソニー全盛期だったので、中学校時代のアルバイトで、テープのプラスチック組立をベルトコンベアに並んでやった。

Photo_10おそらくW大の学生で、溶接工を選択する学生はほとんどいないだろう。けれども、世の中は分業制であるから、溶接工という職業がなければ、社会は成り立たないことは言うまでもない。ここで、実際どのような職業全体の構成になっているかを想像してもらうことは重要であり、また職業に関して、社会的な要請による適職性ということを知ってもらうことは、たいへん良いことだと思っている。グループ学習でまとめてもらった答えでも、この点が強く出てきたので、今日の講義の意義もあったのではないかと思っている。

Photo_11今日は、少しいつもより歩いたので、糖分を補給するために、久しぶりに喫茶店Gに寄る。集団の人たちがちょうど出るところで、満員だった店が空いて、やっと座れた。スイートポテトのケーキと、ブレンドコーヒー。ケーキは温めてあって、その食感は、やはり焼き芋の趣が出ていた。写真では小片に見えるが、食べ始めてみると、結構量があって、十分に横浜まで帰っても、お腹は減らないだろう。

2012/06/02

研究会連合には、集合効果は存在するか

放送大学の大学院も、10周年を過ぎた。年月が経つということは其れなりに恐ろしいところがあって、積み重ねが残って行くことでもある。大学院生修了者だけでも、数千人の規模になったということである。この中にあって、むしろ喜ばしいことではあるが、大学院修了学生たちの自主的な研究会も、いくつかできてきた。

そこで、これらの研究会を結ぶ連合会を作ったらどうか、という自主的な動きが出てきている。わたしは大いに賛成であるので、最初の段階の話し合いに、かなり積極的に加わっている。今日は、第二回目の準備会の話し合いが、東京文京学習センターで行われた。

現在、このような組織は三つある。環境研究会、政府間研究会、比較地域研究会である。それぞれ別々に発達してきたことが強みだ。独自の工夫で、基本的には、自然発生的に育ってきているところが良いと思われる。主に、研究対象の違いから、少しずつ活動の違いがある。

環境研究会では、フィールドワークが重視されている。地域の環境問題に、入り込んで報告を続けている。政府間研究会では、さまさまな方々を呼び込んでの議論に特徴がある。酒の席も強いと言われている。比較地域研究会は、経済学関連の方々が集まっていて、地域の可能性を発掘する可能性を持っている。

この機会にOBの方々から、継続して研究を続ける場所、それは必ずしも、施設や建物を意味するわけではないが、精神的な拠り所も含めて整えたいという希望が寄せられたのだ。とくに、交流を行う可能性は十分あるし、機関紙の設立など、十分に設立する価値があるように思える。重要事項がザクザクと決まって行く。

中でも、機関紙を作りたいという希望は強い。けれども、紙版で紀要などを作ろうとすると、莫大な時間と費用が費やすことになって、いずれ倒産する憂き目を見ることなってしまうだろう。はじめは、電子版で少しずつ作っていって、実績をあげていただきたいと思うところだ。OBの方々も、第二論文を書きたいと思っているらしい。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。