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2012/05/04

電気をめぐる関係から、人と人の関係に至るまで

Photo東京都現代美術館で開催されている、「田中敦子展」へ行く。連休中の風邪がひどく、家に閉じこもっていたのが、やはり外に出てしまったために、なかなか治らない。それで、人混みのところは避けて、図書館へ閉じこもっていた。

これはこれで、調子は良かったのだ。30年間分の新聞をざっと目を通したのだ。今は検索が出来るので、随分楽になった。けれども、これは風邪と同じで、頭の中を強い風が吹き抜けて行く、という調子で、さらに3日間があっと言う間に経ってしまった。

Photo_2「田中敦子展」は、本当に偶然に見つけたのだが、田中が所属していた前衛団体の「具体」という名前だけは聞いたことがあった。田中敦子の作品は、「コネクティング」というテーマで展示されているので、どのような「結合」なのかを見にきたのだ。Art of Connectingと題されていて、このConnectingという言葉に、特別な刺激を受けていた。スタートは実践的で具体的なもので、結合するものが抽象的であるという大方の期待を裏切って、予想以上のものだ。これは、見事な発想だと思う。原点は、じつは電気なのだ。

部屋中を巡って、ベルの音が駆け抜けて行く。近くのベルの音は、大きく聞こえ、遠くの音は、小さく聞こえる。という単純な装置だけで、次々に鳴る場所を連続して隣から隣へ、伝えて行く。それだけで、身近さと疎遠さが物理的な関係として、表現されてしまう。ベルという作品だ。

Photo_3音の次は、光で、一人の人間が様々な光を発していて、赤い玉、青い棒状、黄色い玉、緑の棒状など、およそ他者を惹きつけるに十分な華やかな、夥しい電球が一人の人を包んでいる。「電気服」と名付けられている。

これが、出発点となっていて、はじめはこの電線が玉をめぐり始めて、コネクティングになっていくのだが、つまりは、これからおよそ50年間に渡る、丸と線だけで表現される「work」という作品群が、田中の亡くなるまで展開されて行く。

Photo_4もちろん、一人の作家の作品についての生涯にわたるシリーズがすべてConnectingというモティーフだけで描かれているということはあり得ないが、それでも、この連作は息が長くて、1960年頃に始まって、亡くなる2005年まで続いているから、約半世紀に及ぶ時間の長さを誇っている。

今回の展示の中にも、他のモティーフがない訳ではなく、「カレンダー」の連作や「舞台服」の連作は、それだけでもかなり興味深い。かなり「余白」部分が多いために、その間を想像力で埋めることが楽しくなる作品群だった。

たとえば、カレンダーからいくつかの逸脱した作品が生まれている。キャンバスの中に、カレンダーの「週」の横のつながりがいく筋にもなってデザインされていて、いわば数字が抜けた帯となって残っている。そして、数字はひとつの数字が分断され、連ならされて、一定のリズムを刻んでいる。といった具合だ。

Img_0264ちょっと見た目には、構成主義的な幾何学模様に見えてしまうが、そうではないらしい。ここで注目されるべきは、むしろ形態よりも展開であり、動いて行く様が重要であるのだ。このような発展のプロセスが面白いと感じた。

たとえば、これらの連作の出発点は、実践である。このことは、のちの発展が、抽象的に発展しており、このことを考え続けるならば、奇異であり、まったくよくわからない動機だ。ここで登場してくるのが、前述の「電気服」なるものなのだ。キュウリのような長細い電球を積み重ねたような、眩しい洋服をまず作ってしまうのだ。

Photo_6この実践があって、次にこれらの配線モデルをいくつか描いてみた、という、絵画の連作なのだ。それがWorkとなって、どんどん展開を開始することになる。最初は「葡萄の房」のようなものとして、小さな丸印のグループの絵となる。次に、画布いっぱいに、「電球」が散りばめられて、それぞれ二箇所の結節点を持って、つながって行く。赤い線でつながったり、青い線でつながったり、黄色い線で結ばれて行くのだ。

線には、特にこだわりがあって、互いに玉の上では決して交差しない、けれども一度、線同士が絡み始めると、そこには戦争状態が現出する。玉の周りをクネクネと結び合っている。これらの玉を全部とったとしても、そこに関係性が残されているだけなのだが、それでも結び合わされていることが重要で、それがぐっと前に出る工夫がなされている。

電気というモティーフには、プラスとマイナスがあって、すでに関係性という意味が込められていることはわかっているのだが、改めて電気から、配線モデルへの転換がなされたときに、抽象に転換されることになる。いくら抽象であっても、最初にこれが定着されてとしまうと、パターンが固定されてしまう危険性があるのだが、ここでは、むしろパターンそれ自体が抽象の対象になっているために、球が大きくなったり、小さくなったり、二重になったり、内側からつながったり、外側から結んだり。パターンの多様性はすこぶる多くの例を示していて、その様子は、自然界の多様性と同じ様子を示しているのだ、といえる。

これらの電気服から始まるモチーフが、半世紀に渡って、継続され、転回されて行く様は壮観だ。最後の到達点が、カンディンスキー的な模様であっても、その経過と歴史は、まったく異なるものだ。この全体的な構成美というもの自体、時間がかかっている分、かなりの価値を生み出し、観るものに迫ってくるのだ。

ベルの鳴り響くホールは、行って帰るだけでなく、このけたたましさを共有する空間となっていて、一人一人ベルを押して、その共有を確かめる工夫が行われている。このベルの音は、あたかも近代になって、電気によってしか人々が結びつくことができないことを鎮魂しているかのようだった。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。