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2012年5月に作成された投稿

2012/05/31

神楽坂でランチをゆったり食べる

0531W大での演習授業も、ちょうど中間点である。現代になって、職業に対する考え方が、若者を中心として変わってきている。このテーマを、この演習では追っているが、放送大学生であれば、実際に仕事を持っている学生が多いので、直ちに経験を聞くことができる。けれども、W大では学生たちはこれから就職するので、まずは職業とは何か、また、現代とはなのか、という基礎的なところから議論して行く必要があるのだ。

とはいえ、W大の演習は、夕方からなので、お昼時間は別の用事に使う余裕がある。忙中閑あり、の典型がわたしにとっての木曜日。ホワイト・チューズディ?とでも、呼びたいくらいだ。

今日は娘の遅くなった誕生日と、父の日を交換するということで、娘をランチに呼び出した。女性であれば問題がないのであろうが、男性一人で行くには、ちょっと憚ると、最近になってようやく思うようになった街である、神楽坂へ繰り出した。

朝から、池井戸潤の小説で、自動車の欠陥問題を扱ったものを読んでいた。待ち合わせまでまだ時間があったので、神楽坂の喫茶店に入って時間を潰した。20年ほど前になるが、放送大学学生に、小説ではなく、現実に自動車欠陥で事故にあった人がいて、当時詳しく事故の模様を聞いたことを思い出した。その後は、情報開示が進み、リコール制度が成立してきたのだが、その当時は自動車会社は頑なに構造欠陥の情報を開示することを拒否することが起こっていた。まさに、小説より奇なりの世界が存在していて、このような世界の成り立ちは混沌さと、秩序のあり方についてのバランスがたいへん難しいと感じたのだった。

ランチは、娘の提示は日本食とイタリアンということだったが、前者にして、典型的な神楽坂の鳥肉料理の店に決める。入ると、やはりこの近辺の事情を反映して、前も後ろも、右も左も、年を取った女性ばかりだ。けれども、ランチのボリュームはかなりあって、大きな鉢のいっぱいの鳥肉がお腹に収まった。今日の中年以上の女性たちが、このように鳥肉とはいえ、カロリーの高い食事を消化して、文化を消費しているのは、批判を通り越してすでに羨ましいというレベルに達している。

会社から少し時間をもらってきたと娘は言うので、喫茶店に場所を移すことにする。けれども、有名な神楽坂茶寮は満員で、テラスも溢れかえっていて、すでに待合所も入り込む余地はないようだ。いつも来るのだそうだが、今日はパスして、次に近くにあるトンボロへ向かうが、これも今日は休業で、どうも木曜日はハズレが多いらしい。そういえば、以前に娘に招待された時にも、じつはこのトンボロを目指したことを思い出した。二度目の失敗だ。

0531_2そこで、角を右に曲がって、突き当たりを左に行ったところに、店の固まっているところがあり、その中の、ジェラートで有名なT店に入ることにする。店を入ると、大きなショーケースが迎えてくれる。そこでおおよその検討を付けて、席に座って、注文する。今日は、まだそれほど働いたわけではないが、頭に休養は必要だと思い、ブロンボワーズにストロベリーとマンゴーの入ったジェラートのたっぷりしたのを注文する。娘はクリーム系だった。いずれも見栄えがして、写真向きであったのだが、撮るのを忘れてしまった。食欲はすべてに優先するのだ。

2012/05/30

テレビに映った顔が左右非対称だった

「顎が急に膨らむ」という、不思議な体験をした。昨日、帰る頃になって、耳の下が痛くなってきた。何故かと思っていて、家で夕飯を食べる頃には、鏡で見て、明らかに左右非対称になってきたのがわかる程度になってきたことがわかった。それでも、いつも頬骨が出ていて、痩せて貧相な顔つきだったのが、顎が豊かになり、太って豊かな様相を見せるようになったくらいにしか思っていなかった。

そうかといって、これで喜んでもいられない。食事の後は、耳の下がさらに膨れるばかりだ。疑わしい病気を調べて見た。まずは「おたふく風邪」だが、子供の病気で、免疫を持っているはずだから、まず消して良い。最近は、反復性のものも大人であるそうだが、反復していないので、それも違う。

と考えていると、パンパンになってきて、破裂したらどうするのか、という、牛にであったカエルのような気分になってきてしまった。楊枝でも当てたら、風船のようにしぼんでしまいそうだ。

近くの夜間医療病院へバスに乗って出かけることにした。とにかく、腫れ止めの薬をもらいたかった。ところが、診察室の前でしばらく待って、医者に呼ばれてはいると、顎は外れた経験はありますか、と聞かれた。どうも、外科の先生に当たってしまったらしい。結局レントゲンを撮ることになってしまい、この夜中に、レントゲン室で、顔をガラス窓へ密着させられて、二枚の写真を撮ることになった。それで、すぐに顎が外れた疑いは晴れることになった。

けれども、結局のところ、抗生物質と鎮静剤という正当的な療法に頼ることになった。夜間診療というだけあって、突然の対応に柔軟に対応するようになっている。最終的には、標準的なことを行って、あとは専門医に任せるという体制を敷いていることがわかった。学問の世界にでも、最初にあまりに専門的なことだけに首を突っ込んでしまうと問題を見誤ることがある。また、途中途中で総合的な判断をしていかないと、本質を外してしまう危険もあるのだ。

昨日はこれで済んだのだが、問題は今日である。実は、テレビの広報番組で、昨年度の卒業研究について、コメントを求められていたのだった。数分しゃべることを頼まれていた。この病気が、流行性であれば、他のスタッフに移してしまうので、断るところであったが、移る心配がないらしいということで、テレビスタジオへ予定通り出かけた。

テレビカメラに映った自分の姿をみると、だいぶ腫れは引いたとはいえ、まだ左右非対称は残っている。でも、初対面のカメラマンや、二三度あっただけの方々には、このような顔の歪みは、まったくわからないらしい。本当に、顔というものは不思議なものである、と認識した次第である。

テレビは、時間通りにまた、内容もいつになく充実して無事終えることができた。もっとも、今回の発言内容が、卒業研究の良さに依存していたのであって、決してしゃべりがうまかったわけではないのが残念なところであるが。

顔というものが不思議であるのは、カンファレンス室へ戻った時にわかった。いつも会っている先生方や、Aさんには、顔の歪みが認識されるらしかった。けれども、もっと不思議に思ったのは、歪みを認識するしないにかかわらず、どちらの方々も、この顔の持ち主がこの「わたし」であることを認識した点である。

顔は日々少しずつ異なっている。この違いを克服して、わたしたちは他者を認識できるのだが、なぜ違って見えるものを、同じ人格の者として認識するのだろうか。このことは、顔が多少の違いを克服する構造を持っていて、この類似のいくつかのヴァリエーションを同じものと認識する、いわゆる「家族的類似」の構造を顔は持っていることを想像させるのである。

先日、大学の身分証明書の期限がきれていることに気付いて、よくみると、わたしの20数年前の顔写真がそこにあった。太ってないし、髪の毛もあるし、細身だし、眼鏡も昔風だ。この写真は、さすがに現在のわたしと同一視してくれる人は少ないのでないかと思った。

2012/05/27

テンペラの下塗り作業と、論文の基礎作業との類似に驚く

Poster今日も朝から、仕事が重なって貧乏暇なしの状態に陥る。昼を過ぎ、1時になってようやく目処が立った。妻も仕事に追われていて、同様の状態だったので、かねてからの予定していた外出も、かなり遅くなって家を出ることになってしまった。

Photoそれでも、葉山の美術館へは散歩時間と同じくらいに、あっという間に着く。駅へ出る途中、歩いていて、何ということか、今年初めて蚊に刺され、免疫がまだ無いせいだろうか、腫れが酷い。散歩に何かあることは付きものだけれども、午後になって出てきた報いがこんなところに出るとは思わなかった。けれども、それ以外は、順調に非日常の青く澄んだ空の下に到達する。

Photo_2想像していた以上に、充実した作品が目白押しで、最近になく、一枚一枚丁寧に観た展覧会だった。没後50年の「須田国太郎」展である。須田国太郎は、1891年京都生まれで、京大の美学を退学して、スペインのプラド美術館で描法の自己研鑽を積んだという、日本人の画家としては、珍しい経歴の持ち主である。初期の作品を観ていると、最初からどのような方向性を取るのかについて、ある程度の見通しがあったかのようなものが、今回多く展示されていて、そのような直感というものがありうることを知った。

Photo_3「重層法」ということに、一貫して取り組んでいる。この重層法は、僭越ながら、社会を見る時の方法にかなり似ているのではないか、と思った。この方法をとったことで、たいへん描法の個性がはっきりした画家になったといえる。描かれた画自体は、ボア~としていて、特徴がはっきりしないように見えてしまうが、それは、写真の見せる幻影であって、実物を観ると、いかに写真と異なるのかがわかってくる。

Photo_4わたしが、昨年の夏にティツィアーノやティントレットなどのヴェネティア派の絵を、ヴェネティアで集中的に見てきたことが、ここでこのようにして、自分の中で活きるとは思わなかった。なぜ昨年、ティントレットにあれ程惹かれたのか、ということが須田国太郎を通してわかるとは、何という巡り合わせであろうか、と驚いた。

Photo_5描き方は、それほど複雑なものではない。テンペラの下塗りが絵全体の共通の床を造っていて、いつでも絵全体の安心する基盤が見えている。そして、その上に、上塗りの油絵が乗って行くのだが、決して下塗りを全部隠してしまわないように、重層的な方法が取られるのだ。だから、時には、下塗りをあまりに隠してしまった時には、十分に何遍も上塗りが削られて、寂びの効いた塗りが出てくるまで、塗りがさらに重ねられて行く。

Photo_6作者自身は至近距離で作業を行うのであるが、鑑賞する側は、5メートルから、時には10メートルも離れてみると、この重層が形象に大きな影響を与えていることを知ることになるのだ。近づいたり遠ざかったり、という鑑賞法は、形のわからない抽象画や大きな作品で行ったことはあるが、このような重層的な描法でも、このことが有効であることを知った。それほど、重なりということに、歴史や存在や、そして、意識までもが込められているのだ。

Photo_7とくに印象に残ったのは、1930年代後半に描かれた、「修理師」、「書斎」、田後での連作かな。そして、晩年では、「るりみつどり」、それから、妻と珍しく趣味の一致した「山羊と木蓮」。この山羊の顔には、須田国太郎が言う重層が刻みつけられている。近くで見る山羊の顔と、中ぐらいで見る顔、そして、遠くから見る顔がそれぞれに味わうことができる描き方を示している。

Photo_9美術館ではたっぷりと観たのだが、年の中でも日が長い期間であるため、まだまだ散歩はできる。いつもように、小径を伝って、一色海岸に出る。Photo_10日傘を立て、砂浜に座り、岸を通り過ぎて行く人々を観る。犬を連れて散歩する人や、スーツを着て、サーフィンを楽しむ人びとが遠目に見える。太陽が急速に、海に落ちて行くのをただ眺めていた。海の変わらぬ「下塗り」と、太陽の反射が刻々と移り変わって行くことによる「上塗り」とを、先ほどの展覧会の余韻に重ねていた。

2012/05/26

靴磨きの抱えている問題と、都市問題はかなり似ている

Poster妻と待ち合わせて、映画「ル・アーブルの靴磨き」をチネチッタで観てきた。原題は「ル・アーブル」となっていて、制作者の意図としたら、都市問題、コミュニティ問題を扱った映画だったのかもしれないと思った。古いコミュニティに、一人の異邦人が紛れ込んだ時に、そのコミュニティの真価が問われるのだ。それでコミュニティが壊れてしまうのか、それとも、問題を飲み込んでも、立派に存続して行くのか。もし日本も数百年後に、後者の道を辿ることができるのであれば、僭越ながら、ヨーロッパの経験は無駄だったとはいえないし、今の日本社会ももう少し開く必要があるのかもしれない。

Photo_20物語は、靴磨きを行っている「マルセルとアルレッティ」の老夫婦の住んでいる、港町の小さなコミュニティが舞台である。パン屋があり、八百屋があり、パブもある。古き良き街である。ここに、ガボンからの違法難民の少年イドリッサが、ロンドンの母を訪ねる途中に紛れ込む。

Photo_21古きヨーロッパが、何世紀に渡るグローバリゼーションの結果、難民キャンプが増大し、さらに移民問題がヨーロッパの都市を蝕んでいる。これが、現実であるが、そこには個別の小さな、しかし重要な、この映画のような、少年の引き裂かれた家族を引き合わせなければならないという、人間固有の問題も、コミュニティ問題として起こってきているのだ。

映画の中心には、相互関係が三重に絡んでいる。家族の象徴たる犬の「ライカ」。コミュニティの象徴としては、「パンや野菜」、それに「ワイン」は欠かせない。さらに、マルセルの仕事は、移動してまわる「靴磨き」だ。これらはそれぞれ、一つには、主人公マルセルとアルレッティの「夫婦問題」として現れ、二つには、マルセルの「コミュニティとの付き合い」に影響を与え、三つには、靴磨きとして回る「ル・アーブルという都市」自体を表しているのだ。

この映画は、小さなところにとりわけ、手を十分に加えている。第一に、妻のアルレッティの間合いの取り方は、夫婦というものの余裕ある関係を伝えている。たとえば、星の髪飾りは、何種類か変わったが、どれも素朴で可愛らしく、素敵だった。第二に、このコミュニティの住居の色は、ペンキがくすんでいて時間の経っていることを、苦労して出していた。緑と青のなかに、白い枠が目立った。所得水準は決して高くはない人びとが住んでいるが、趣味は悪くないことを見せている。第三に、港と海をたっぷりと見せてくれて、世界に向かって開いていることを、映画の風景のなかに浮かび上がらせていた。

それで、スパイスとして目立った役割を演じたのが、違法難民少年のイドリッサと、コミュニティに潜んでいる密告者、さらに、機会あるごとに首を突っ込んでくる刑事であって、彼らの演じる役割が、変化をもたらし、結局のところこの映画のコミュニティがどのような種類のものであったのかを試しているし、それを伝えている。

今日のヨーロッパから見るならば、移民問題は悪い兆候として報道され尽くされている。この中にあって、この映画のようなエピソードは、あまりにハッピーエンド過ぎないだろうか、という向きもいるかもしれない。けれども、今の現実が悲観的になっているからこそ、今回のエンディングが返って、活きていると思いたい。少しの悪が存在していても、それを上回って緩いコミュニティが存在する可能性のあることを、あえてこの映画は示したのだと、わたしは解釈している。

Photo_22チネチッタで映画を観たのだが、帰り道にある喫茶店で、「靴磨き」もやっています、と出ていた。そういえば、昔学生アルバイトをやっていた時に、同僚に年取った日雇いの方がいて、戦後すぐの時代に、東京駅で靴磨きをやっていたことがあるんだ、という話を聞いたことを思い出した。今回の映画の主人公は、若い時はパリで、頭脳的な労働者であったことを匂わせて、今の妻に出会ってから、人と最も近くに関係をもつ「靴磨き」という仕事についたと言っていた。最後になって、映画の中に出てきた、あのブリキの箱を見ていたら、わたしももう少し年を取ったならば、営業許可証なるものを取って、「靴磨き」をして人と接点を持ち、日銭を稼ぐというのも悪くはない、とちょっと飛んだ想像力を働かせてしまった。

2012/05/24

「オレンジと太陽」と心の中の怪物

523将来の自分がどのようになっているのか、ということを推測するうえで、最初の段階で、最も参考になるのは、親を見るか、あるいは親からもたらされる情報を見るかということになるだろう。そして、年を取るに従って、独立して自前の情報を駆使して、学校の友人や先生たちとの交流が、その人の情報となって行く。わたしたちに「シティズンシップ」というものがあるとすれば、人との関係でそれが形成されてくると言えるのではないか。さて、問題は、これらがなんらかの理由で壊されてしまったとしたら、どうなるだろうかということであり、今日の浮かんで来た課題でもあった。

524ちょっと脱線するが、自分が将来の自分を想定し、もっと年をとって、どのような街を彷徨しているのだろうかを考えると、一つには、本があった方が良いだろう、と思う。二つには、喫茶店があった方が良いだろう、と思う。三つには、本について言い合ったり、コーヒーを飲んだりする人びとがいた方が良いだろうと思う。もちろん、言葉を交わす必要はあるかもしれないが、年を取れば、もうそれほどしゃべりたくなくなっているから、挨拶程度のことが交わされれば良いと思う。それに、映画館があれば、言うことがないだろう。

Photo_14神保町がもう少し家に近かったら、そしてもっと小規模であれば、通うところだが、といつも思っている。神保町に通った思いでは、小学校から中学校にかけて少し(当時はまだ、都電が走っていて、池袋から護国寺経由して、神保町へ通った)、高校生と予備校生の時に少し(御茶ノ水から下って来て、大学紛争の催涙弾が飛び交う中だった)、そして大学院生の時に少し(シャンソンのレコード屋があったので)、と切れ切れながら、まとまって出没していた思いがある。その中で、5本の指に入るような、映画やレコードと巡り合ったのも、この街であった。

Photo_15そこでこの街で休憩をしようと思えば、他の街よりも容易に店が見つかる。きょうも早くから街についてしまったので、数時間をつぶさなければならなかった。このような時は、読書OKの店というところにはいることにしている。

Photo_16富山房という新書版で良い本を出版している本屋のビルの地下に、Fという喫茶店があって、今日はここにはいる。編集者たちが好みそうな雰囲気だ。無線LANも使い放題で、申し分ない。特に、タンザニアのわたしの好きな豆が特集されていたので、すぐ注文する。

Photo_17いくら神保町とはいえ、このような喫茶店が栄えるためには、周りとの競争にかたねばならないのは辛いところだ。すでにチェーンのコーヒー店が新築されて、近くに進出していた。これで、この界隈の喫茶店地図が、塗り変わってしまうだろう。ビジネス客は、どうしても易きに流れるのではないだろうか。

Photo_18今、岩波ホールでは、ケン・ローチ監督の息子のジム・ローチ監督の映画「オレンジと太陽」がかかっている。映画が始まって、なぜこれほど最初の段階で、主人公を詳細に描かなければならないのか、ということが分からなかった。なぜだろうか。それは、追い追いわかってくるのだ。

Photo_19この映画の看板には、かつて英国と豪州とに間には、「児童移民」という事件、つまり児童だけで、親の同意を得ていない移民が存在した歴史があるとされている。そして、豪州に渡ってからの児童虐待の原因をつくったということを伝えている。このような問題を扱うのだから、この映画も親のケン・ローチ監督と同じように、社会問題をリアルに描いた映画だと思い込んでいた。前半は、少なくともこのような趣があったと思う。

ところが、途中から、転回が仕組まれているのだ。転回というからには、通常は急激な変化が生ずるように聞こえてしまうかもしれないのだが、じつはそうではない。この仕組みは、ジワジワとくるタイプのものであり、あそこでアーだったな、ここではコーだったな、と思い出され、話が次第に浸透して行く種類の転回であるのだった。

このようなジワジワ的な浸透には、恐ろしいところがあるのだ。気のつかないうちに、自分のなかに巣食ってしまうような種類の怖さだ。これが本当なのか、と分かる頃には、自分の身体に変調を来たすことになっている。もしそれが病気というものとして現れるのであれば、医者のケアで充当できるから、わかりやすい。

けれども、実際には、そのような変調は、見えないところで大きく育ってしまっていて、傍目からはなかなか分からないものなのだ。ここに来て、ようやくにして、この映画の成立する根拠が明らかにされてくるのだ。

映画の中では、「心の中の怪物」と呼ばれていた。これは、いったい何なのだろうか。直接的には、映像にはならない。それにもかかわらず、何らかの形で映像として残すには、どのようにしたら良いのかが問われることになる。

他者が負っているモンスターならば、傍目からはわかるかもしれないのだが、自分の中のモンスターはどのようにして理解したら良いだろうか。また、どのようにして、映像に定着できるだろうかが問われることになる。表に現れないものは、映像としても表さない、という抑制の効いたところを狙ったものが、成功しているのだろうと思われる。

女優エミリー・ワトソンが主人公を演じていて、このジワジワ感をうまく演技していたと思う。どうやら、この問題は、「児童移民」という特別な事件特有の問題ではなく、わたし自身のごく身近な問題ではないか、と気がつくのは、かなり後の方になってからである。余計なお世話かもしれないが、さてあなたは日常、この問題に気づいているだろうか。

2012/05/21

セザンヌの意識した「多様性」とはなにか

Photoセザンヌの絵画を見てきたが、まだまだ分かっていないな、と正直なところ思っている。それで今回は、ちょっとした視点を定めて、観てみようと思って出かけた。

5月の陽気がいっぺんに降ってきたという、一日であった。Photo_2連休中は避けたいと思っているうちに、そろそろ新国立美術館でのセザンヌ展会期も残すところわずかとなってきた。駅に降り立つと、すでに階段を登ったところで、行列ができている。やはり、中も混んでいるのだろうか。

Photo_6ちくま選書の「セザンヌの手紙」を以前から読んで見たいと思っていた。セザンヌは、近代絵画の父と呼ばれていて、その後の絵画の歴史の出発点となったと言われている。この点を確認したいと常々思っていた。このなかで、ひとつ気になっていたところがあった。

Photo_4それは、「自然の多様性」という言葉を出して、その描き方に言及しているところだった。ところが、あとになって、この本の記述を探しても、どうしてもその箇所が見つからない。ほんとうにセザンヌが多様性のことについて、どのように考えていたのか、ちょっと不安に思っている。それでも詳細を確かめることはできないが、それ以外のところからは、多様性を重要視していたことが、容易に確認できる。

Photo_5のちに、キュビスムの画家たちに寄って、注目されたベルナールへの手紙の箇所では、次のような文章がみえる。「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱い、すべてを遠近法のなかにいれなさい。・・・水平線に平行する線は広がり、すなわち自然の一断面を与えます。・・・この水平線に対して垂直の線は深さを与えます。ところでわれわれ人間にとって、自然は平面においてよりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動のなかに、空気を感じさせるために必要なだけの青系統の色を導入する必要が生じます。」という、のちのち有名になった箇所である。

Photo_13つまり、自然が断片として現れるのだが、深さにおいて、色彩において、画家によって統合される可能性のあることを、セザンヌは主張しているように思える。自然の多様性を認めながら、この多様性をいかに描くことができるのかを、十分に意識していたといえる。

今回の展覧会では、この事例に従った作品が、とりわけ年を取るに従って、鮮明に意識されて行ったように思える。有名なりんごを含む静物画が多数きていたが、どの面から見たのか、多面的に捉えられているのを見ることができる。

Photo_8けれども、自然との関係でいえば、やはり、「サント=ヴィクトワール山」は、上記の言葉をそのものを描いていることがわかる。手前の赤と黄の平地の配置、そして、山と空の青い配合、これらの調和は、見事に実現されている。今回同じような趣向で、港を描いていて、ブルー基調の素敵な絵もあった。このようなことを考えながら見て回っていたら、数時間があっという間に経ってしまった。

Photo_9太陽がまだまだ高かったので、陽気に誘われて、青山の街を歩くことにした。みんな同じような気分だったらしく、近所にある有名なWという喫茶店は、外に開放されたガラス窓が客を誘ったらしく、何時間待っても入れないほどの混みようだった。

Photo_12発想を変えて、表参道へ出て、昨年入った喫茶店に今回もお邪魔することにする。青山通りをすこし横へ入って、二階へ上がったところにある「L」という茶店に入る。やはり、休日は、こちらの方が空いている。手前の小部屋の席に案内される。窓際のテラスにテーブルがくっついていて、外を通る人びとを見下ろすことができる。小径の展望の効く特等席だ。ケーキは柔らかなクリームの添えられた、少し小さめのガトウショコラ。コーヒーは深煎り苦目のブレンド。しばし、セザンヌ展を思い出しながら、休憩。

Photo_11帰り道は、青山学院大学を迂回して、六本木からくる道路沿いのトンネルを潜って、壁に描かれた模様を楽しみながら、クロスタワービルのテラスへ出る。ここからは、ヒカエリエの中を通って、直ちに渋谷駅に到達できるのだ。

2012/05/19

ひっくり返してみると、真実が見えてくる

Photo_46東京文京学習センターで卒業研究のゼミを行った。5月になって、最初の混乱から脱して、落ち着いた議論ができた。まだまだ磨かなければならないところは多々あるとはいえ、いつもながらゼミ生の発想の豊かさについては驚くばかりだ。多くは長い人生の中で得てきた、隠れた知識が成せる技ではないかと感心している。時間が経ってみなければ、わからないことは、長い人生の中では存在するのだ。

今回は、長崎在住のYさんがWeb会議で参加してきたので、同時中継で進行して行った。途中、長崎では選挙でも行われているのでしょうか。街宣カーのような響きがときどき聞こえてきて、何やら日本中の物事が、降ってくるような雰囲気の中で、ゼミが進んで行った。夕方、5時近くには、無事終了した。遠くから出かけてきている方は、都内のお子さんに会うらしい。ということで、夕方から少し時間ができたので、久しぶりに、チネチッタへ回ることにした。

Photo_47ジョニー・デップ主演の映画「ダークシャドウ」をみてきた。監督ティム・バートンの笑いには、何か影がかかっていて、それをひっくり返すと真実が現れるというものだ。現代において真実を探そうとすれば、影の部分からしか、それを探り出すことができないと言っているようだった。

ひっくり返しは、映画的手法の中心だと思う。けれども、ひっくり返しを狙っても、すべての人が可能であるとは言えないところが、難しいところだ。

物語となるのは、米国のコリンズポートという水産業の盛んな町である。ここにコリンズ家という英国のリバプールから移住してきて、大金持ちとなった家がある。息子のバーナバスを好きになった召使の子アンジェリークは、じつは魔女で、バーナバスを独占するために、彼の両親、奥さんも殺してしまう。数世紀に渡る闘いが繰り広げられることになるのだ。

20世紀となって、舞台となるコリンズ家を訪れた家庭教師に対して、男女平等・不平等について、女主人が面接で質問するシーンがある。それに答えて、「男女は不平等だ」というのだが、しかし、「女性がいなければ、男性の役割もなくなってしまう」と言わせていて、この全体の物語の隠喩を盛り込んでいる。

監督ティム・バートンの取り上げる物語は、ヴァンパイアや魔女がたくさん登場するので、いつもおどろおどろしい感じがある。顔面蒼白の仮面をつけたような、キャラクターも、それを倍加しているのだが、実際には、話の筋はノーマルで古典的だと思う。女性の普遍的なポジティブな行為を描くことで、現代社会の潜在的な要請に応えていると思われる。

かつての男性の家庭観は、配偶者を閉じ込めようとしており、所有欲に基づいていたと考えられていた時代があった。映画の中で、度々出てくるセリフ「血は水よりも濃い」ということが、男性支配の象徴だったのだ。

この映画は、この古典的な家庭観をそのまま継承しているという点では、極めて正統的だといえる。ところが、この価値観をそっくり女性にもたせることで、ひっくり返して見せるのだ。さらに、ファンタジーとしてではあるが、光の部分をひっくり返して、影の部分に真実があることを描いている。そして、このひっくり返しによって、映画として観せて、何の違和感もないではないかと、思わせてしまっているところが、ダークシャドウの意味ではないかと思う。

それにしても、エヴァ・グリーンが演じる魔女・悪女アンジェリーク像は、ひとつの人間像として、普遍的なタイプだと思う。ティム・バートンのアニメ映画の中に登場してきても、十分に「いい女」だと思う。どんなに裏切られても、いつも主人公に入れあげていて、たとえ命を奪ってまでも、愛ということを成就させようとする。アンジェリークを観るだけでも、この映画を見る価値があると思う。

Posterこの映画は、上述のようにみれば、十分に古典的であるのだが、ちょっと考えてみればわかるように、映画というものは、たとえテーマは古典的であっても、手法を変えれば、十分に現代的であるということも、この映画を観ればほんとうのことのように思えてくるのだ。

2012/05/17

バウハウスのデザインの流れは、ここにもあった

Photo母の家で、配管が古くなったので、集合住宅全体で取り換えを行わなければならない事態となった。数ヶ月に及ぶ工事に入っていた。それで工事中、台所とトイレのものを運び出さなければならない、と言われて、手伝いに呼ばれていた。風邪が周期的に腰にもきていたので、物を運ぶのはキツかったが、親孝行をするのはこのような時以外にはないと観念して、母を手伝った。

Photo_2工事は、朝9時に始まるために、それまでに日常の事を済ませて、さらに全部を撤去しなければならなかった。そして、9時になるや否や、改修工事のチームが来て、早速始まった。パイプを切断する時の騒音は半端なものではなく、扉を閉めても耐えられるレベルではないことがわかり、早々に退散することにした。母は、準備怠りなく、耳栓を用意し、数日間耐えられる一室を作って、閉じこもった。

Poster日比谷公園にある都立日比谷図書館では、「名取洋之助」展を開催していた。好天に誘われて、有楽町駅から日比谷公園へ入り、公園を突っ切る形で、散歩しながら、公会堂前へ出て、公園の花壇を楽しんだ。ちょうどバラ園が満開で、黄色、真紅、ピンクの大柄のバラの花が花弁を四方に展開していた。この満開の様には、人びとを誘う何かがある。

Photo_3近くに寄るとすわ~っと香りが鼻を支配する。戸外であるにもかかわらず、これだけの香りの支配力を行使できるのは、やはり、バラのチカラだと思う。そのバラ園の前のベンチでは、そのチカラに支配され、あるいは支配されることを楽しむ人びとが集っていた。目であり、鼻であり、空気をに触れることが大切で、写真を撮っているような無粋な者は、わたし一人であった。

Photo_4名取展の圧巻は、幻の雑誌である「Nippon」の全号、実物が展示されていたことだ。これまで、木村伊兵衛展や、土門拳展などで、断片的に見てきたものが、一堂に会すると、それはそれで壮観であった。さらに、この雑誌には、資生堂の取材を行った時に、唐草模様を資生堂の意匠部にもたらした山名文夫も参加していることもわかり、時代背景が折り重なっていることがわかって、たいへん興味深いものであった。特に、戦時中にこれだけの国際雑誌を発行できたという、マネジメント力にはみるべきものがあった。

Poster_2名取が報道写真という考え方を、日本に持ち込んだ手腕にも興味を持った。展示では、米国雑誌のライフなどでの取材写真が掲げられていた。フィールドを背景として、ちょっと斜めから主人公(虐げられシワの写っている労働者や住民が多いのだが)を撮った、今ではほんとうに典型的になってしまった構図の写真が展示されていた。

Photo_5現代ということに特に注目するには、それ相応の必然性があるように思う。当時、なぜ報道ということに注目したのかといえば、報道するに値する現象が存在するのか、報道する側の事情が反映されるか、それとも、突然変異で報道する媒体・主体が現れるかである。

Photo_6だから、本人の言葉が「バウハウスを真似したんだよ」だったのは、ほんとうに意外であた。むしろ、ライフを真似したんだよ、という方があっているのだが、そう言わなかったところが、洒落ている。報道写真のあと、日本を紹介する写真集で、何回も日用雑貨が取り上げられており、さらに雑誌「Nippon」が続いていたので、その方向性のあったことは理解した。それに、当時民芸運動が起こっていたとはいえ、この方向を目指していたのは、先見の明があったと思われる。

Photo_7日比谷図書館の食堂「Library Dining」にて、プレート・ランチを食べる。わたしの人生を振り返ると、図書館の中で、ずいぶんと時間を過ごしてきた。頭の中では、世界中の想像世界があったので、一日図書館にいて、飽きることはなかった。Photo_8つまり、図書館では読書の時間が多いのは当然であるが、生活の場という意味もあった時代があった。朝一番に並んで、図書館に入って、定位置を確保し、図書館の閉所となる時間まで、ずっとその席で過ごす、という生活を若い頃に行ったものとしては、食堂に美味しい食事が用意されていることが必須であった。けれども、今日では大学や図書館に有名なダイニング店が入ることは珍しくはなくなったが、当時はなかなか改善されなかった。仕合わせな時代を迎えている。

Photo_9さらに、1階の奥には、本屋とコーヒーショップを組み合わせたテラス風の場所も用意されていて、読書家にとっては、至れり尽せりである。千代田図書館に次いでオープンしただけあって、読者に対するサービスは満点である。とはいえ、これから講義があるので、ここにこのまま腰を落ち着かせるわけにはいかないのが残念である。

2012/05/16

久しぶりに、サッカーを観た

Photo_41マンチェスター・シティが、マンチェスター・ユナイテットとの一位争いに勝って、イングランド・プレミアムリーグで44年ぶりに優勝した。マンチェスターは、英国取材でいった時に、産業博物館や綿の取引所などで印象深いところだったので、つい注目してしまうのだ。

じつはそれだけでなく、サッカーということについては、中学・高校でサッカー部に属していたことを思い出した。部員の人数が少なかったし、試合数があまり多くなく、廃部寸前の状態であった。この廃部寸前の状態というのは、辛いものがあった。たとえば、この頃から、財政問題に悩んでいたような気がする。

Photo_42この点からすると、マンチェスター・シティよりも、対戦相手のクインズ・パーク・レンジャーズがリーグ残留が掛かっていて、こちらの状況を考えることもたいへん面白い試合だったと思う。もう一つの残留をかけていたボルトンの試合結果がこれに関係していて、たいへん複雑な状況があった。一時、ボルトンが2-1で勝っていて、クインズ・パークが負けていて、残留がひっくり返りそうになって、双方が必死になる場面があって、このような時にどこまで頑張れるかが、試されることを知った。

Photo_43つまり、マンチェスター・シティは、「粘り」ということで、観るべきものを持っていた。今期ずっと一位を続けてきていたのだが、4月にマンチェスター・ユナイテットが一位になって、この時点で勝ち点もかなりの引き離されていた。それにもかかわらず、それを跳ね返して、マンチェスター・シティが一位に返り咲いての最終戦だった。マンチェスター・シティは勝てば優勝ということだったのだが、さてどうなるのかというギリギリの試合だった。

Photo_44それで、優勝や残留の競争ということで、粘りが問題になると、通俗的に思っていたら、どうやら問題の中心は、別のところにあるらしいことがわかって、なるほどという気分になった。

何が公平なのか、ということが、じつは今回の隠れた中心点だったのだ。これを問題にした新聞記事や、ネットの報道が散見された。タフさが、貨幣と関係しているのだ。

アラブ資本によるチームの増強、選手の移籍、試合の駆け引き、それらがすべて凝縮された最後の試合であった。

Photo_45さて、後半45分が終わったところで、マンチェスター・シティは、クインズパークにリードをゆるしていた。ロスタイムがわずかに5分というところから、頑張った。ここからの2点というのは、思い出しても、感情が高ぶるのだ。取材をして、エールを飲みながら、パブでテレビを観た時のあったことも思い出した。

2012/05/15

蕭白ショック!とは、ほんとうによく言ったものである

Photo_39千葉市美術館で開催されている「蕭白ショック!」展に行ってきた。「蕭白ショック!」とは、よく言ったものである。ほんとうに、ショックなのだ。展覧会の入り口近くには、蕭白以前の、影響を与えたと言われる画家たちの展示があるのだが、蕭白の絵に移った途端に、がらっと何かが変わるのだ。

曽我蕭白は、1730年生まれで、京都の商家出身であるという来歴を持つ。やはり京都の商家出身の若冲と同時代の画家だ。たとえば、「鷹図押絵貼屏風」などの細密画は、若冲と同様に、惚れ惚れとする。妙齢の和服姿の女性が、麝香の香りを立てながら、この絵のウインドウ前に立膝して、ジッとその細密な構図を覗き込んでいる。それ程に、見れば見るほど、うっとりする。

細密画も良いのだが、やはり一筆で、ぐっと全体を決定するような、太いダイナミックな線で描かれて行く人物像は、圧巻である。「達磨図」は即興で描かれた趣がとても良いし、禅文化の影響のある「寒山拾得図」は凄い。小さなプリントや、絵葉書になってしまうと、なぜか俗っぽく、外連味たっぷりの絵に見えてしまうのだが。やはり、この大きさが必要で、この壁いっぱいに展開する大きさというものがないと、風に吹かれて、陽に晒された人物の、枯れているような、全体と微細の取りなす様子がわからないのだと思われる。

さて、注目したのは、蕭白がこの江戸期において、京都ではなく、三重地方で制作を行っていることである。二度ほどの長期滞在をして、集中的に制作を行っていて、今日までもそれが当地に残されている。たぶん、スポンサーがついたことが一番の理由だったとわたしは想像してしまうのだが、三重地方である点は注目しておく必要がある。なにしろ、松坂を中心とした三重の経済と文化が江戸期の最高潮を迎えた時期に、当地を訪れている。お伊勢参りで栄え、江戸や京都に影響力を持つ三井家があり、その下で、蕭白と同じ年に生まれた本居宣長がいた時代に当たっている。

Photo_40枯れたものにも、見るべきものがあると思う。「松鷹図襖」(それに、記憶が定かでないが、梅の細い枝の描かれた屏風絵も良かった)「松に孔雀図襖」など、次から次へ、ギョとしては落ち着き、落ち着いては、またギョとするの連続だった。

2012/05/13

鎌倉にもシンプルネスは似合う

Photo_20鎌倉へ出る。何年振りだろうか。京急線を利用して、逗子から回るルートを取ってみると、意外に早く着くことがわかる。また、季節が良くなってきて、観光客の数が増してきているので、自分のことはさて置いて、これを避けるためにも有効だった。Photo_21新田義貞ではないけれど、搦め手から「いざ鎌倉」だ。

Photo_30それでも、近道と言われている小町通りへはいった途端に、身動きが取れなくなる。いつ来ても、この不思議な人数に圧倒される。鎌倉の独自性は、付加価値が高いところだが、それがいろいろなところに見られるにしても、やはり表立って現れているのは、この通りだと思われる。

Photo_23モノの値段が高い、ということは、鎌倉の数少ない特色のひとつだ。高いというだけで、消費者が満足してしまうという、ほんとうに不思議な構造を持っている街だ。後期資本主義時代の合理性にピッタリあって、見事にそれを利用している。

Photo_37これは、まったく皮肉ではなく、真面目にその通りだから凄い。合理性は、後期資本主義では、多様性に転換するのだが、この小町通では渋谷で見られるような、画一的な多様性ではなく、個別的な多様性が実現されている。Photo_38たとえば、雑貨屋であるが、入口付近では渋谷青山系の白磁や木綿のモダンな店があるのだが、通りが深くなるに従って、専門店的になっている。自然に、他の店との差別化が図られ、全体としての雑貨街が成立している。

Photo_24中でも、豆を扱った店があり、季節ごとの味を前面に出していて、それが一ヶ月ごと、評判がよければ三ヶ月ごと、に売り出されていくから、多様性も対話形式になっている。今回は、「青うめ」と「きな粉」味の豆菓子を妻が選んでいた。

Photo_25近道をしたつもりが、思わぬ伏兵で時間がかかってしまった。目的は、県立近代美術館の二つの展覧会である。鎌倉本館では、「石元泰博写真展」、別館では、「柚木沙弥郎展」。

Photo_26両方とも、展示数は少ないにもかかわらず、筋が通っていて、充実した展覧会だった。石元泰博は今年2月に90歳で亡くなった写真家である。米国生まれで、米国バウハウスの流れを身につけて、後に日本に帰化している。

Photo_271953,1954年の「桂離宮」シリーズが今回の展示だった。桂離宮へ行ってみるとわかるのだが、多くの編年によるその時代時代の異なった様式の建物群が存在していて、ブルーノタウト達による、「簡素」という桂離宮のイメージは、全体からするとほんの一部に過ぎないことがわかるのだが、このようなほんの一部に、この桂離宮の本質的なことが存在する。

Photo_29それは、この写真展をみれば、一目瞭然なのだ。たとえば、庭石は代表例だ。中でも、行の庭石は特別な意味を持っていて、大きな石と小さな石とが組み合わされているところに、特色がある。小さな石の組み合わせであれば、並の庭石である。ところが、これらの小さな石をまとめてしまって、大きな石で代えることで、簡素の特色を出している。

けれども、最も石元が捉えたところは、中書院から新御殿へかけての形象だと思われる。建物全体の高床式の白い壁と柱の生み出す簡素さが有名であるが、石元の写真は、もっと微細な簡素を捉えて行く。それは、水平の柱と柱の積み重ねであり、細い柱と障子の水平線との積み重ねであり、さらに、これらに垂直に、縦の連鎖が大きく区画して行く。

Photo_31この平行線のリズムには抗い難い、パターンが存在しているように思える。この1950年代前半において、すでにその後の桂離宮を観る見方を決定づけている。中書院から、楽器の間を繋いで、新御殿に至る建物の連鎖が、本来は複雑であるはずの建物群だが、それがこのようにシンプルに見えてしまうのは、どうしてだろうか。

Photo_32近美の本館を出て、北鎌倉方向へ少し行ったところの左手に、別館がある。ここに至る道筋には、ゆったりとした別荘風の家や喫茶店が並んでいて、それらを洒落た雰囲気にすべく、ハナミズキなどの高い木の花々が咲いていた。写真にあるような素敵な案内板に誘われて、ちょっと曲がって、ゆるい坂を数段登ったところにある別館に着く。

Photo_33別館では、すでに90歳を迎えるという染色デザイナーの「柚木沙弥郎展」が開催されていた。こちらは狭い会場なので、小展覧会という雰囲気で、わたしのような老人には、見て回るにちょうど良い規模だ。

Photo_34それでも、先日展覧会を紹介した村上知義の息子である「村上亜土」との創作である「夜の絵」は、大人の童話という雰囲気で、布をつまんで、切り絵にした絵本だ。見ているだけで心が休まり、明日もベッドを抜け出そうという気力を与えてくれそうな連作である。

Photo_35ここに掲げたポスターは「夜の絵」の最後に出てくるデザインなのだが、何に見えるでしょうか。コップでしょうか、顔でしょうか、それとも、夜を満たしている世界なのでしょうか。Photo_36家から持ってきた、コーヒーを柚木沙弥郎の制作した暖簾の下で飲んで一服して、帰り道に小町通をひやかしながら歩き、鎌倉駅に着いた。それでも、まだ陽は高かった。

2012/05/10

どうしても風邪が去ってくれない

Photo_16どうしても、風邪の鼻、風邪の喉、風邪のやる気無さが去ってくれない。今日は大丈夫だと、歩き始めると、身体全体が熱を持ってぶり返してしまう。貧乏神のように、少し良くなるとまたまた、倍加して帰ってきてしまう。妻は、日常生活に支障はないのだから、心の持ちようだわ、と取り合ってくれない。

最悪の肺炎を疑って見たが、どうも大げさすぎる。周りの人びとも風邪にかかっているらしいのだが、医者に行った人は誰もいない。具合が悪くても、今の時期、特別ではないことだけはわかるのだ。それに、ウィルス性の風邪ならば、どうせ医者へ行っても治らないだろう。

朝、講義の準備で大学へ出るが、1時間ほどで終わってしまった。タイミングの良いことに、いつもお世話になっているKビジネスのM氏が、カンファレンス室のAさんを訪ねてきたところだった。それで、以前から懸案であった、無線LANの設定を見てくださることになった。

このところ、電子書籍や電子新聞を取るようになって、にわかに無線LAN環境が必要になっていたのだが、放送大学のセキュリティがたいへん厳しくて、ルーターの設定がどうしてもうまく行かなかったのだ。ゴシゴシと失敗に次ぐ失敗で、すっかり嫌気がさしていたところだった。手動で、特別な設定が必要であることはわかっていたが、その画面がどうしても出ないし、さらに、詳細で複雑な設定があることで、先延ばしを続けてきていたのだ。

必要なのは、先達である。M氏は試行錯誤を少し繰り返したのちに、見事に導いてくださった。ずっと滞っていたことがすっと、通ることはたいへんな快楽である。精神が開放される思いだった。これで、心置きなくW大の講義へ向かうことにする。

Photo_17途中、気になっていた本を手に入れようと、久しぶりに千代田図書館へ寄る。一階にはパン屋さんが入っていて、洒落たテーブルと椅子が置いてあり、昼食と休憩ができるようになっている。サンドイッチをつまんで、8階の図書館を目指す。相変わらず、利用者は多いが、本の配置は利用しやすく、席もさまざまな席が用意されているので、まったく座れないことはない。十分に読書をして、図書館をあとにした。

Photo_18W大の講義の前に、久しぶりにO先生と雑談。大学行政の仕事がもうすぐ終わると、おっしゃる時の顔が、たいへん和やかで、とても良い様相だったのが印象に残った。Photo_19講義のあとは、風邪で疲れが出たため、喫茶店Gへ寄って、杏のフランと今日最後のコーヒーを飲む。精神的なカタルシスにとって、すこぶる良し、として、今日を振り返る。

2012/05/06

雨宿りしながら、鮮烈な歌を反芻した

あかあかと一本道とほりたりたまきはる我が命なりけり

Photo_7という歌が展覧会の入り口で迎えてくれた。この歌で始まる「斎藤茂吉」展へ行く。茂吉が30歳代になって作った歌であり、生命の躍動が伝わってくる。有名な母への感情が横溢している第一詩集の「赤光」から受け継いでの「たまきはる」的な精神の状態がどくどくと伝わってくる。

けれども、すべてにわたって、このような躍動が支配していたのかといえば、そうではない。「赤光」には、次のような寂しい感じの歌も入っている。

かうべ垂れ我がゆく道にぽたりぽたりと橡の木の実は落ちにけらずや

Photo_8いとおしさ、あはれさなどが、ないまぜになってやってきたようだ。アララギの活動では、茂吉と赤彦の木曽連作にはかなりの緊張感がある。木曽福島の谷あいの暗く、新緑に満ちた様子をよく詠んでいると思われる。また、精神医としての仕事も、直接的に作風に影響を与えていると思われる。

自殺せし狂者の棺のうしろより眩暈して行けり道に入日赤く

そして、師である伊藤左千夫が亡くなったときに詠まれた歌は、身に迫る危機を真剣に受け止めようとする真摯さが感じられる。

ひた走るわが道暗ししんしんと怺へかねたるわが道くらし

この歌には、茂吉が強調する時にいつも使う、同じ言葉の反復がみられる。「わが道」ということにかなりのこだわりを見せている。けれども、自信喪失しているわけではない。寒い冬の日にあっても、ハツラツとした歌が詠まれてもいるのだ。

かんかんと橡の太樹の立てらくを背向にしつつわれぞ歩める

111展覧会では、当時の報道写真がたくさん展示されていた。青山病院の火災や、アララギの付き合い、おさな妻輝子とのやり取り、そして、斎藤茂太、北杜夫などの茂吉観など盛りだくさんで、2時間あっても観きれない内容だった。

すでに、陽が高くなって、仕事が終わりになる頃を見計らって、妻と家を出てきたので、会場である「神奈川県立文学館」につく頃には、閉館時間を意識しなければならない時間になっていた。粘って、閉館の音楽を背に聞きながら、文学館をあとにした。

Photo_10この頃までには、予報通りに雨がポツリポツリと振り出してきた。文学館の裏にある、111号洋館を迂回して、池の雨音を聞きながら坂道を登って、玄関を左に見て、立派な門に到達するころには本格的に降ってきた。そこで、庭園を見ながら、雨宿りして、時間を潰す。

Photo_11雨上がりの山手の街は、連休の人通りが嘘のように閑散としていて、落ち着いた街に戻っていた。いつものように、外人墓地を右手に見ながら、貝殻坂を下り、公園を突っ切って、ジュール煉瓦工場跡から、元町に入った。

Photo_13横浜元町は、常に独自性を持ち、洗練された街を目指しているように思える。だから、他の街にないような特性を伸ばしていれば、たぶんこれからも、横浜の街を象徴する街を保っていけると思う。横浜に住んで、まだ数十年にしかならないものが言うのが僭越であるが、どうも洗練されすぎるところがむしろ難点になりつつあるように、最近になって思えてきた。それがどのように作用するのかはわからないが、たとえば、写真のように、洗練された横浜老舗が並ぶ中で、シャッターを下ろしている店も目立っているのは、ちょっと心配だ。

Photo_14それにしても、子供の小さな頃に連れてきた店が、まだまだ残っているのは嬉しい。横浜の子供であれば、D家具屋さんの大きな赤い椅子には、一度は腰掛けさせてもらったことがあるはずだ。Photo_15また、今は鉄道会社に買収されてしまったUスーパーマーケットの緑の紙袋を持たされたこともあるはずだ。今日は、妻の好みの抹茶ロールケーキと、わたしの選んだ勝沼のワインとを買って、家に帰るとする。

2012/05/04

電気をめぐる関係から、人と人の関係に至るまで

Photo東京都現代美術館で開催されている、「田中敦子展」へ行く。連休中の風邪がひどく、家に閉じこもっていたのが、やはり外に出てしまったために、なかなか治らない。それで、人混みのところは避けて、図書館へ閉じこもっていた。

これはこれで、調子は良かったのだ。30年間分の新聞をざっと目を通したのだ。今は検索が出来るので、随分楽になった。けれども、これは風邪と同じで、頭の中を強い風が吹き抜けて行く、という調子で、さらに3日間があっと言う間に経ってしまった。

Photo_2「田中敦子展」は、本当に偶然に見つけたのだが、田中が所属していた前衛団体の「具体」という名前だけは聞いたことがあった。田中敦子の作品は、「コネクティング」というテーマで展示されているので、どのような「結合」なのかを見にきたのだ。Art of Connectingと題されていて、このConnectingという言葉に、特別な刺激を受けていた。スタートは実践的で具体的なもので、結合するものが抽象的であるという大方の期待を裏切って、予想以上のものだ。これは、見事な発想だと思う。原点は、じつは電気なのだ。

部屋中を巡って、ベルの音が駆け抜けて行く。近くのベルの音は、大きく聞こえ、遠くの音は、小さく聞こえる。という単純な装置だけで、次々に鳴る場所を連続して隣から隣へ、伝えて行く。それだけで、身近さと疎遠さが物理的な関係として、表現されてしまう。ベルという作品だ。

Photo_3音の次は、光で、一人の人間が様々な光を発していて、赤い玉、青い棒状、黄色い玉、緑の棒状など、およそ他者を惹きつけるに十分な華やかな、夥しい電球が一人の人を包んでいる。「電気服」と名付けられている。

これが、出発点となっていて、はじめはこの電線が玉をめぐり始めて、コネクティングになっていくのだが、つまりは、これからおよそ50年間に渡る、丸と線だけで表現される「work」という作品群が、田中の亡くなるまで展開されて行く。

Photo_4もちろん、一人の作家の作品についての生涯にわたるシリーズがすべてConnectingというモティーフだけで描かれているということはあり得ないが、それでも、この連作は息が長くて、1960年頃に始まって、亡くなる2005年まで続いているから、約半世紀に及ぶ時間の長さを誇っている。

今回の展示の中にも、他のモティーフがない訳ではなく、「カレンダー」の連作や「舞台服」の連作は、それだけでもかなり興味深い。かなり「余白」部分が多いために、その間を想像力で埋めることが楽しくなる作品群だった。

たとえば、カレンダーからいくつかの逸脱した作品が生まれている。キャンバスの中に、カレンダーの「週」の横のつながりがいく筋にもなってデザインされていて、いわば数字が抜けた帯となって残っている。そして、数字はひとつの数字が分断され、連ならされて、一定のリズムを刻んでいる。といった具合だ。

Img_0264ちょっと見た目には、構成主義的な幾何学模様に見えてしまうが、そうではないらしい。ここで注目されるべきは、むしろ形態よりも展開であり、動いて行く様が重要であるのだ。このような発展のプロセスが面白いと感じた。

たとえば、これらの連作の出発点は、実践である。このことは、のちの発展が、抽象的に発展しており、このことを考え続けるならば、奇異であり、まったくよくわからない動機だ。ここで登場してくるのが、前述の「電気服」なるものなのだ。キュウリのような長細い電球を積み重ねたような、眩しい洋服をまず作ってしまうのだ。

Photo_6この実践があって、次にこれらの配線モデルをいくつか描いてみた、という、絵画の連作なのだ。それがWorkとなって、どんどん展開を開始することになる。最初は「葡萄の房」のようなものとして、小さな丸印のグループの絵となる。次に、画布いっぱいに、「電球」が散りばめられて、それぞれ二箇所の結節点を持って、つながって行く。赤い線でつながったり、青い線でつながったり、黄色い線で結ばれて行くのだ。

線には、特にこだわりがあって、互いに玉の上では決して交差しない、けれども一度、線同士が絡み始めると、そこには戦争状態が現出する。玉の周りをクネクネと結び合っている。これらの玉を全部とったとしても、そこに関係性が残されているだけなのだが、それでも結び合わされていることが重要で、それがぐっと前に出る工夫がなされている。

電気というモティーフには、プラスとマイナスがあって、すでに関係性という意味が込められていることはわかっているのだが、改めて電気から、配線モデルへの転換がなされたときに、抽象に転換されることになる。いくら抽象であっても、最初にこれが定着されてとしまうと、パターンが固定されてしまう危険性があるのだが、ここでは、むしろパターンそれ自体が抽象の対象になっているために、球が大きくなったり、小さくなったり、二重になったり、内側からつながったり、外側から結んだり。パターンの多様性はすこぶる多くの例を示していて、その様子は、自然界の多様性と同じ様子を示しているのだ、といえる。

これらの電気服から始まるモチーフが、半世紀に渡って、継続され、転回されて行く様は壮観だ。最後の到達点が、カンディンスキー的な模様であっても、その経過と歴史は、まったく異なるものだ。この全体的な構成美というもの自体、時間がかかっている分、かなりの価値を生み出し、観るものに迫ってくるのだ。

ベルの鳴り響くホールは、行って帰るだけでなく、このけたたましさを共有する空間となっていて、一人一人ベルを押して、その共有を確かめる工夫が行われている。このベルの音は、あたかも近代になって、電気によってしか人々が結びつくことができないことを鎮魂しているかのようだった。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。