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2012/04/13

映画「ドライブ」は現代版「シェーン」である

Photo_15カウボーイという人間類型には、数多くのものがあることはわかるが、映画に定着されるほどに典型的なものというのは、少ないと思われる。ジョン・ウェンの保守的なカウボーイは、一つの典型であると言える。けれども、正統からは外れているが、日本の任侠にも似たアウトサイダー型のカウボーイといったら、やっぱり「シェーン」だと思う。

小学校六年生の時に、田舎から東京へ出てきて、「良かったな」と思えることは、映画を安く見ることができるようになったということだった。母の背中にいた乳児時代から、東京目白の映画館に入っていて、木曽福島に住んでいる幼稚園時代も、東映の映画館に毎日入り浸りだった。ここまでは、無料であったから、良かったのだが、小学校時代に料金がかかることになって、不自由になった。中学校時代の東京池袋には、「名画座」がいくつか有った。廉価の映画館であって、二本立てで当時中学生は50円で見ることができた。東京に出て来て、はじめて観たのが、友人と一緒にいって、興奮のあまり声が出てしまったのだが、映画「駅馬車」と「シェーン」である。

特に、シェーンは謎の多い映画として、その後何度も記憶の中に蘇ってきている。なぜシェーンと貧しい農家の主人は、街のボスと対立したのか。経過はわかるのだが、本当のところの利害対立はどこに原因があったのか。などなど、その後知識として知ることになることだが、これらの謎が思い出されてくるのだ。

これらの記憶の中でも、シェーンとその農家の家族との関係は、今でも謎に満ちている。最後は、シェーンは子供との関係で、「シェーン カムバック」という最後の言葉で生き残ることになるのだが、じつは主人との関係、奥さんとの関係は微妙だ。

異邦人として生活しているカウボーイが、他者の家族に介入した時に、何が起こるのか、という典型例として、シェーン類型はたいへん興味深い観点を提供してくれる。近代家族の普遍的な問題が含まれていて、シェーンの現代版を描くことには意味があると、わたしには思える。

映画「ドライブ」を観た。主人公がドライバーで、スタントマンと闇の仕事を持っている。隣りの家族を助けることから、その家族の旦那、妻、子供との関係を形成していくのだ。この映画の人気度をみると、西洋では絶賛を得ているにもかかわらず、日本ではそれ程ではないことにも、近代家族の意味が日本では多少違っているのではないかということを示していて、たいへん興味深い。

今ロードショーにかかっている映画「ドライブ」は、シェーンがもし現代に生きていたならば、どのように行動したかを想像させてくれる作品だ。とわたしには直感的に思えたのだが、どこを探してもそんなことを言っている人は、残念ながらひとりもいなかったのは、寂しい限りだ。それでも、ライアン・ゴズリング演じる主人公の「ドライバー」は、口数の少ない、楊子をくわえた感じが、アウトサイダー的な現代版カウボーイ像にぴったりだと思われる。阻害された現代人の典型であると思われる。

近代家族という仕組みは、内にあっては、インセストタブーを原則として形成されていることは常識的な理解であると思われるが、それだけでは、外に向かって広がりすぎるので、これに対しては、不倫タブーや同性愛タブーを原則として標準家族を中心に形成されてきた制度であるといえる。但し、これは原則であって、実のところ、不規則的に破られてきた。また恒常的には、肉体的に禁止されているとしても、精神的にはむしろ寛容で、プラトニックで観念的な家族の広がりは、不倫や同性愛とは認定されず、むしろ親密性の圏内では褒められるべきこととされた。

映画「ドライブ」についても、このような近代家族の神話を強化するものとして、エトランゼとしてのシェーンが、現代においても存在しうると言えよう。「君と子どもと、ほんの一瞬でも一緒に過ごすことができた」というだけで、僕は良かったと思っている、というセリフは、わたしたちが到底口に出すことはできないとしてもだ。現代にあっては、このセリフはやはりアナクロで、寅さんじゃないと日本では流行らないのだろうか。現代にあっては、誰も「シェーン・カムバック」と誰も言ってくれないのではなかろうかという淋しい現実が存在する。

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コメント

ドライヴ見て「シェーンだなぁ」と思って検索かけて、こちらのブログを拝見しました。

ドライヴとシェーンの関係性ですが、ストーリー骨格の出典として、町山智浩さんが軽くではありますがキラキラという番組のコラムで触れています。
http://www.tbsradio.jp/kirakira/2012/03/20120323-2.html

西部劇って乾燥した世界観の中で、ほんのささやかな関係性や矜持をよすがにして、そのために死闘を演じる話が多くあって、それが僕が好きなんですが、現代社会においてはあらゆるものがライトに手に入ってしまうので流行らないのかも知れないですね。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。